Statesman 」 と褒め称えられる。 1976 年 体調を崩し、会長職を引退、 1977 年 (昭和 52 年) 3 月 4 日死去、 享年 77 歳 ○ 斉藤邦吉 :福島県 3 区 選出 衆議院議員 1909 年 (明治 42 年) 6 月 26 日 1992 年 6 月 18 日 旧制相馬中学,旧制一高、東京帝国大学 旧内務省、戦後内務省解体、厚生省に移り厚生次官 大竹作磨知事が 1957 年 (昭和 32 年)が引退するに当たり、後任知事に推薦した のが厚 生次官であ った斉藤氏 で自民党公 認として福島県知事選に立候補した。 ところがもう一人自民党所属で現職の国会議員であった佐藤善一郎氏が立候補、 当然同 党で二人の 公認はあり 得ず、佐藤 候補はヤム を得ず社会 党推薦で県 知事選を 闘い当選した。 1958 年 (昭和 33 年)衆議院議員選挙(福島 3 区)自民党公認で出馬、当選 連 続 12 期 当選 1964 年 7 月、第三次池田改造内閣内閣副官房長官 1972 年 12 月、第二次田中内閣厚生大臣 1980 年 7 月 、 鈴 木 内 閣 厚 生 大 臣 1982 年 11 月:第一次中曽根内閣行政管理庁長官 自民党幹事長 ○ 渡部恒 三 福 島県選出 衆議院議員 1932 年 5 月 24 日 南会津郡田島町生まれ(現・南会津町) 県立会津高校、早稲田大学卒 卒業後 八 田貞 義 国 会議 員 (会 津出 身、 福島 2 区 )の 秘書 となる。 1959 年 4 月 福島県議会選挙に自民党公認で出馬、当選、 県議となる。 笠原太吉県議と共に双葉郡の原発誘致に動き県に働きかけ る。 県議在職中、公職選挙法違反で逮捕され、有罪判決を受けて県議を辞任。 1969 年 、第 32 回総選挙に福島 2 区から出馬、自民党は公認しなかったので、無 所属で あったが当 選。幹事長 であった田 中角栄氏は 不明を詫び 、追加公認 したので 即田中派に入った。 田 中 派 で 王道 を 歩 み 、 厚 生 大 臣 、 自 治 大 臣 、 国 家 公 安 委 員 会 委 員 長 、 通 商 産 業 大臣を歴任、その後竹下派に属し、経世会では竹下派七奉行の一人になる。 原発問題では双葉郡への誘致に県議時代から積極的に働き、厚生大臣であった 1984 年 1 月 、 原 子 力 関 係 者 だ け の 内 輪 の 会 合 で 「 原 発 を 造 れ ば 造 る ほ ど国 民は 長 - 15 -
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