国語 問題用紙

分)
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>
受験番号と氏名は解答用紙の定められたところに記入しなさい。
− 101 −
二〇一五年度 第 二 回
(
国 語 (二) 問題は1ページから ページに印刷されています。
(三)
解答はすべて解答用紙の定められたところに記入しなさい。
25
(四)
(一) 開始のチャイムがなるまで、この冊子を開いてはいけません。
注 意
50
− 102 −
わらわ
い
い
Ⅰ 次の文章を読んで、以下の設問に答えなさい。
をんな
ご
とを
お
きぬ
かたち
やまぶき
かみ
あふぎ
な
べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て走
きよげなる大人二人ばかり、さては童
めのわらわ
わかむらさきのまき
さい
り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。髪は扇を広げたるやう
にょうぼ う
にゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。(『源氏物語』若紫巻)
がさね
のり
う わ ぎ
房が二人ほど、それから女童が出入りして遊んでいる。その中に、十歳ほどであろうかと見えて、白い下着に
(きれいな大人の女
山吹襲などの糊の落ちた表衣を着て、走って来た女の子は、たくさん見えた子供たちには似ても似つかず、はなはだ将来の成長ぶり
けっこん
が期待される様子で、かわいらしい顔立ちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔はまことに赤く手でこすった様子で立っ
ている。
)
こい
サッコンは案外、それに近い出会いもあるようです。
ⓐ
平安時代には、会ったこともない相手に恋をして結婚した、と言われます。現代に生きる私たちには、顔も見たことのない人と恋
けい じ ばん
に落ちるなんてあり得ない話だ、とお思いですか。ところが
か
示板やフェイスブックを通して知り合い、会ってみてお付き合いに発展したり、遠方の人と仕事のメールを何
インターネットの掲
ひとがら
しゅ み
こう しょう
度もやりとりしながら親しくなったり、といったケースです。顔や声がなくても、やりとりするⓑブンメンやその掛け合いの呼吸か
と
す
えいびん
ら、相手の人柄や趣味や教養まで想像がつくのでしょう。だとしますと、案外これは高尚な出会い方だな、という気もしてきます。
恋とは、そんなものかも知れません。
①
ぎ澄まし、見えないものも見えるように、感性を鋭敏に
わからないことや見えないことがたくさんあると、人はすべての感覚を研
さ
するのでしょう。相手のことがおおかた分かってしまうと、心は醒めてしまう。
−1−
かい ま
み
ひめぎみ
垣間見する男たち
へだ
平安時代の姫君たちは、
もの もうで
ちょう
き
ⓒ
ヨウイに男たちの前に姿を見せません。親や夫以外は、兄弟であっても几帳〔
そでぐち
す
かげ
ひょう
C
し
を凝らし、
こ
A
み
す
〕や御簾〔
間仕切り・
目隠し きぬ ず
D
〕を
すだれ
かく
つつ
をそばだてて、
が 見 え た り、 扇 で 隠 し た 横
おうぎ
隔てて対面しました。外出はめったにせず、祭りや物詣くらいしか機会がありませんでした。ですから、男たちに見えるのはわずか
すそ
おど
が見えれば、幸運に心躍らせたものです。いきおい男たちは、
に、姫君の装束の裾や袖口や、御簾を隔てた透き影でした。たまさかに何かの拍子で長い
B
かな
こと
た
こう
かお
〕たちが動くたびに、装束はさやさやと音を立てます。その衣擦れの音が、品よく慎
宮中に仕
える女官
御簾のうちの気配を感じ取ろうとしました。
にょうぼう
房〔
姫君当人はもちろん、お仕えする女
き
きた
②
品定めをしたのです。さぞ豊かな想像力が鍛えられたことでしょう。
ましやかか、わざとがましいか、あるいは、姫君の奏でる琴の音がどの程度のものか、焚き染める香の薫りが優美かどうか……、も
ふん い
ろもろの雰囲気から姫君の
おそ
さ
ち りょう
③
「 垣間見」です。現代は、近所のきれいなお姉さんをのぞき見なんぞしていますと、
ですから、男たちが何よりもまず望んだのは、
わかむらさきのまき
警察に通報されてしまいます。しかし平安時代の物語では、男女の出会いといえば、まずは垣間見なのでした。
すき ま
これ
』 が幼い少女を垣間見する場面があります。山に遅い桜の咲く頃、病気の治療のために北
『源氏物語』若紫巻には、光源氏〔 『の源主氏人物公語〕
みつ
いっしょ
か わい
すずめ
かご
めし つかい
山に出かけた光源氏が、治療も一段落したので、ぶらぶらと散歩に出ますと、こぎれいな家があります。垣根の隙間から、従者の惟
ば あ
光と一緒にそっとのぞいてみますと、可愛らしい少女がいるではありませんか。雀の子を籠に入れて飼っていたのに、召使の女の子
に
あこが
おも ざ
なみだ
が逃がしたといって泣いては、お祖母さんにお説教をされています。その様子を見ながら、光源氏は、心ひそかに思いを寄せている
憧れの人に面差しが似ている、というので感動の涙にくれるのです……。
ごた
たいくつ
実はあまり面白いと思いませんでした。『源氏物語』にはもっと色っぽい場面もあれば、ハラハラドキドキする場面
これは古文の教科書には必ずといっていいほど採用されている、有名な場面です。私もこの場面を高校生の時に授業で習いました
おもしろ
④
が、しかし、
もあって、かなり読み応えがあるのですが、私は品詞分解を重ねながら、すっかり退屈になってしまいました。
−2−
かい ま
み
わかむらさきのまき
きりつぼてい
えが
ちょうあい
きさき
ふじつぼ
そもそもこの垣間見の場面は、同じ若紫巻に描かれている光源氏と藤壼〔
ままはは
みっつう
あわ
あこが
〕との密通の場面と併せて読まないと、よくわか
『源氏物語』
の作中人物
めい
』
の 寵 愛 す る 妃 で あ り 光 源 氏 の 継 母 に あ た る、 藤 壺 へ の ど う に も な ら な い 憧 れ が 、 こ
らないはずのものなのです。父桐壺帝〔 『の源作氏中物人語物〕
ⓓ
むらさき
かんじん
ササえているからです。その少女は藤壺の姪にあたる女の子でした。憧れても思いがかなう
しょうがい
の少女を垣間見た時の光源氏の感動を
』
を見つけるのだ、というところが肝心なのですが、長い長い『源
事のない藤壼の代わりに、光源氏が生涯の妻とする紫の上〔 『の源作氏中物人語物〕
氏物語』のあらすじを知らないと、なぜ大事な場面なのか、さっぱり分からないのです。
つ
つ
ひ かくてき
⑤
較的文章がわかりやすく、初級の
それでは なぜこの場面が教科書に採られているのでしょうか。確かに『源氏物語』の中では比
ⓔ
古文の教材としてふさわしい、という実際的な利点もあるでしょう。加えて、 コライしばしば絵画化された著名な場面だったから、
という事情もあるはずです。
そうぐう
き詰めれば、これが垣間見の場面だからなのでしょう。垣間見の場面とは、当時の物語
しかし理由はそれだけではありません。突
に必ず見受けられる、男女の出会いの始まりの、典型的な場面なのです。
く
かえ
古典文学をある程度読んでいると、似た話、似た設定の物語にしばしば遭遇します。あれ、これ前に読んだことなかったっけ? すぐ
と
こ
という気持ちにさせられるのです。それは古典文学が、似た話を好んで繰り返したからです。著作権などという発想がなかった時代、
おもしろ
よ
そ
び さい
きそ
あ
面白いもの、優れたものは、どんどん自分の作品に勝手に取り込んでいこうとしました。個性がなかったわけではありませんが、一
かか
き
定の型に寄り添いながら、微細な個性を競い合う文化だった、といってもよいでしょう。
よ ゆう
い
せ
あり わらの
え持つ法則を知っていると、他の物語を読む時にも応用が利きます。たとえば入試の時に、読んだことのな
こうした古典文学の抱
い物語と向き合っても、余裕をもって取り組むことができるはずです。
垣間見の元祖は?
若紫巻の垣間見の物語に先立って、大変有名だった垣間見の物語といえば、やはり『伊勢物語』初段です。『伊勢物語』は、在 原
−3−
なり ひら
こい
かい ま
み
うば
な
ら
かすが
ういこうぶり
おとず
〕のことです。男が元服して旧都である奈良の春日の里を訪れますと、
男子の成
人の儀式
業平という実在の人物をモデルにした、約一二五段におよぶ恋の短編集です。その最初の小話である初段は、「昔、男、初冠して」
めずら
という有名な書き出しで始まります。
「初冠」とは元服〔
かりぎぬ
すそ
むらさきぐさ
ひなびた土地には珍しく、美しい「女はらから」がいます。これを垣間見てすっかり心を奪われ、そのまますぐに、着ていた装束で
しの ぶ
ず
おく
「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず」(春日野の若い紫草のような美しいお二人にめぐりあって、
ある狩衣の裾を切って
そく ざ
私は信夫摺りの模様のように、思い乱れています)という和歌を書きつけて贈った、という話です。ここではただ垣間見るだけでは
いっぱん
なく、即座に和歌を贈って求愛の気持ちを伝える、という筋立てになっています。
い
せ
えが
いっしょ
めと
一般には「女はらから」は姉妹二人のことだとされています。姉妹のいずれに贈ったのか、姉妹がどのように返歌をしたのか、と
かい しゃく
いった細部は、
『伊勢物語』には描かれていません。『古事記』などに姉妹を一緒に嬰る話がありますが、同類の話なのでしょうか。
こい
けつえん
そうだとも特定できないままにさまざまな解釈を生み、なかには「女はらから」は男の実の姉妹に当たる人物だ、という解釈まで提
案されています。それにはやや無理があるにしても、光源氏が恋しい人の血縁の少女に思いを移していくという展開は、「女はらから」
を垣間見る物語と、どことなく通じるところがありますね。
てき
く
と
す
⑥
それを目的にして出かけたというのではなく、たまたま出かけた少々ひなびた場所で、ふと垣間見をしたところ、思いがけず素
わかむらさき
敵な女性がいて、その女性に求愛をする──、これが、『源氏物語』が『伊勢物語』から汲み取った展開だったのでしょう。そして、
あ
そう い
り合っていたのでしょうか。私には
ぐうぜん
E
疑わし
『伊勢物語』初段の男の歌の言葉、
「若紫」を発想の源として、『源氏物語』若紫巻は作られたのではないでしょうか。こうして、垣
おどろ
けいやく
めぐ
間見から始まる素敵な恋、という展開が、その後の物語において定番になったに相違ないのです。
うわさ
噂
で期待し、現実に驚く
けっこん
それでは、実際のところ、当時の男性はいつも垣間見によって女性と巡
く思えます。貴族たちの結婚は、家と家の間に結ばれる、いわば契約であったからです。垣間見は、素敵な女性と偶然に出会う機会、
−4−
うわさ
ひめぎみ
というよりは、噂に聞いた女性が、
F
み りょくてき
こ ちょう
かい ま
み
ど の く ら い 魅 力 的 な の か を 確 か め る 方 法 だ っ た、 と い っ た 方 が よ い の で は な い で
ひ
つの
いた
しょうか。どの家も、自分の家の姫君の魅力は三割四割増しに誇張して宣伝するのが当たり前ですから、垣間見によって実像を知り
そうほう
じゅうぶん
たいという思いは強かったはずです。それでも噂に聞いた姫君を垣間見して、その魅力に惹かれ、思いを募らせて結婚に到ることが
だま
ふ
い
せ
わかむらさきのまき
「しまっ
できるのであれば、男女の双方にとって充分に理想的なシナリオだったことでしょう。ともすると実際に相手に会ってから、
げんそう
垣間見から始まる恋、というのは、ロマンティックな物語の典型として、『伊勢物語』初段や『源氏物語』若紫巻で描かれるけれ
た、騙された」と地団太を踏むのが現実だったのではないでしょうか。
ねら
G
絵空事だろうと読者も
ども、そうした出会い方は物語の中で作り上げられた幻想で、噂に聞いた女性をなんとか垣間見して実像を確かめようとする、とい
うのが、現実的な気がします。
す てき
そんな具合ですから、垣間見すればいつも素敵な女性に出会える、という物語ばかりでは、
なっとく
すえつむはな
いだ
ふみ
じょう
〕の忘れ形見だという姫君のことを女房から聞きつけて、宮家のお嬢さまならば、
にょうぼう
H
教養あ
納得しなくなったのでしょう。逆に、垣間見はしたものの予想外の女性であった、という、「落ち」を狙ったパターンも出てきます。
ひたちのみや
光源氏は、常陸宮〔
おく
『源氏物語』
の作中人物
』 の物語です。
有名なのは、
『源氏物語』の末摘花〔 『の源作氏中物人語物〕
たゆうのみょうぶ
る奥ゆかしい姫君だろうな、と興味をそそられます。噂を聞きつけて関心を抱いた姫君に文を贈る──、平安時代の物語にはよく見
』
といって、光源氏のもとにも常陸宮のもとにも出入りしていた女で
られる展開です。光源氏の耳に入れた女房は大輔命婦〔 『の源作氏中物人語物〕
れいらく
おそ
たくら
した。複数の家に出入りして物や情報を運ぶのも、女房の仕事のうちだったのです。大輔命婦が光源氏に常陸宮の姫君の話をしたの
こと
ひ
も、単なる世間話や思い付きではなく、おそらくは姫君が零落することを恐れて、わざと企んでのことだったのでしょう。
しゅうとう
よう
を弾かせて光源氏に気
光源氏は大輔命婦にその気にさせられて、垣間見に出かけたところ、大輔命婦がここぞとばかりに姫君に琴
ぼう
かん どころ
をもたせ、それもぼろが出ない程度の思わせぶりなところで演奏を止めさせる、といった周到さです。ですからこの折は、姫君の容
貌などは見ることができませんでした。ここが勘所ですね。ついに光源氏は、相手の姫君の顔も知らないまま、何度も求愛の文を贈
−5−
らくたん
たゆうのみょうぶ
おとず
ひめぎみ
ようぼう
り、その返事ももらえないままに、大輔命婦の手引きで対面し、そのまま関係を持ってしまいます。とはいえ様子がおかしいと感じ
かい ま
み
とく ちょう
め
びょうしゃ
ひ
て落胆し、関心をなくしかけていましたが、久しぶりに訪れた冬の雪の日の朝、その姫君の容貌をまざまざと見てしまうのでした。
す
わかむらさきのまき
か わい
み りょく
間見の場面の特徴は、それが、垣間見る男の眼を通して描写されるところにあります。相手の女性に惹かれていく男の目線に近
垣
てき
ふじつぼ
さっかく
えが
いところにカメラを据えて描写するために、臨場感たっぷりになるのです。先の若紫巻では、少女の姿がいかに可愛らしく、魅 力
しょうがい
かか
ふ げん ぼ さつ
的で、そして藤壺に似ているか、読者がまるで光源氏その人になったかの錯覚を覚えるように描かれていたのです。
ひたちのみや
はだ
は
おもなが
や
かみ
陸宮の姫君は、光源氏の生涯に関わった中で、もっとも不細工な女性でした。座高が高く、鼻は普賢菩薩の乗り物、つ
さてこの常
は
お
くろてん
ざんこく
まり象の鼻のように長く、しかも先は赤かった。肌の色は雪も恥ずかしがるほど白く、面長で痩せて、おでこが広く、ただ髪だけが
る
る
すえつむはな
みにく
めん ど う
すばらしく美しかった。装束は古びて色も剥げ落ちており、上には男物の黒貂の皮の衣の上着を着ているその描写は、まことに残酷
うわ き
ちが
ほか
なまでに縷々と続きます。ですが光源氏は、この姫君、末摘花の醜い容貌を見知ったのちも、生涯面倒だけは見ようと決意するので
すから、ただのその場限りの浮気な女好きとは格が違います。
は
この物語はもとより、ろくさま容貌も知らないまま相手の女性と関わるという、平安時代の男女関係が生んだ悲劇、いえ喜劇に他
さそ
つつみちゅう
な ごん
め
なりません。まだ見ぬ人に思いを馳せるものの、現実を知って興ざめする、という典型的なパターンです。
うわさ
噂
通りの変な女の子
はべ
あ ぜ ち の だい な ごん
察使大納言〔
かご
めのわらわ
の
どう じょ
な
め
つか
〕の姫君です。普通は若い姫君ならば、女童といった童女を召し使うものですが、
地方の監督官を
兼任する大納言
うパターンのお話としては、『堤 中 納言物語』「虫愛づる姫君」なども似ています。
このように、意表をついて笑いを誘
わらわ
ここに登場するのは、按
まゆ
ぬ
ほう び
わんぱく
〕もしないので、笑うとニッと白い歯を見せます。まあ腕白で健康的なのでしょうが、当時の
歯を黒く染
めること
この姫君は、男の童を侍らせています。男の子たちに毛虫を集めさせては籠に飼い、手のひらに載せては撫で撫でしているのです。
当人は、眉も抜かず、お歯黒〔
身だしなみからすれば、とんでもない女の子です。男の童たちは褒美ほしさに、カマキリだの、カタツムリだのを持ってきます。男
−6−
むらさき
すずめ
か わい
の童の名前には、虫の名を付けようというので、「けらを(おけら)」、「ひきまろ(ひきがえる)」、「いなかたち(不明)」、「いなごま
そ こつ
じ い
あ ぜ ち の だい な ごん
ろ(イナゴ・バッタ)
」
、
「あまびこ(やすで)」などと名づけているのです。このあたりは、紫の上が雀の子を可愛がっていたのに童
と
つくろ
女が粗忽で……という話のパロディだといえましょう。実は紫の上の母方のお祖父さんも按察使大納言だったので、そのあたりもパ
てつがく
ちょう
いさ
しかしこの少女は、
「人はすべて、つくろふところあるはわろし」と、人はありのままで取り繕わないのがよいのだ、などと言っ
ロディとして意識されているのかもしれません。
みょう
へび
にせ もの
し
か
ふくろ
ふみ
おく
ていまして、なにやら哲学めいたものを感じさせます。親が注意すると、毛虫もやがて美しい蝶になるのですよ、と逆に諌めたりし
うまのすけ
て、両親も言葉を失います。妙に達観した子なのですね。
うわさ
かた か
な
そうりょ
おもしろ
かい ま
み
と
ひめぎみ
おとず
まゆ
やしき
』
が
、
蛇
に
似
せ
て
作
っ
た
偽
物
を
、
動
く
よ
う
に
仕
掛
け
を
し
て
袋
に
入
れ
て
、 文 を つ け て 贈 り ま す。
噂 を 聞 い た 男、 右 馬 佐〔 『の堤作中中納人言物物 語〕
もの お
かた か な
ふ つう
ひら が な
⑦
受け取った姫君はさすがに物怖じし、ようやく偽物と知って片仮名で返歌をします。普通ならば女性は平仮名で書くものなのです
さそ
よ。片仮名は、男性や僧侶が用いた文字なのです。右馬佐は、これは面白い、なんとかして垣間見せねば、というので姫君の邸を訪
くろぐろ
け しょう
いだ
れますと、ちょうど庭の木に毛虫の行列がいると男の童に誘われて、姫君は身を乗り出してきます。髪も梳かさずボサボサで、眉も
黒々、お歯黒もなし、でも口元はかわいらしく、化粧をしたら結構いけてるかも、と思う気品高さもある、と関心を抱いた右馬佐は
にょうぼう
和歌を贈り、かろうじて女房が返歌をして、物語は終わっています。
すえつむはな
とぎ ばなし
そも
⑧
美しい女性との出会いの機会としての垣間見の物語が定着すればするほど、それを逆手にとって笑いの種にする物語も、あれこれ
こい
生まれてくるのでしょうか。末摘花の話にせよ、虫めづる姫君の話にせよ、こうした笑いを誘う物語が生まれてしまうのは、
けっこん
そも垣間見から始まる恋は、当時の現実の中では一種のお伽噺だったからではないのかと、私はますます感じてしまうのです。それ
は、ともすると大人の事情で決まってしまう結婚という現実に向き合わざるを得ない人々の、ささやかな夢であり遊びであったので
はないでしょうか。
−7−
かい ま
み
く
こ
こい
く ふう
こ
わかむらさきのまき
ともあれ、垣間見から始まる恋、という物語のパターンが、細部にあれこれ工夫を凝らされて、美しくもおかしくも変形しながら
さまざまな物語に組み込まれていることを考えますと、そのような物語の型の典型的な事例として、教科書では若紫巻の光源氏の垣
た さい
間見の場面が取り上げられている、と考えるべきでしょう。
まが
彩な応用がきくという、いわば数学の公式や科学の法則のような側面が、古典文学の名場面には
有名な一つの場面を知ることで多
あるのです。その意味で、古典とは紛うことなく〈型の文化〉なのです。
きん ちょう
と まど
どうぞたくさんの古典文学の名場面に接してみてください。そして、「ああ、これに似た話、読んだことがあるな」という経験を
積んでみてください。読んだことのない古文の文章に試験の会場で向き合った時の、あの何とも言えない緊張と戸惑いが、いくらか
ⓐ「サッコン」
、ⓑ「ブンメン」、ⓒ「ヨウイ」、ⓓ「ササ(えて)」、ⓔ「コライ」を漢字に改めなさい。
か じょう
かな
こ
−8−
軽くなるはずですから。
【問1】 のであろう、ということ。
しゅ み
(エ) 相手の趣味と自分の趣味が一致し、相手の教養が自分の期待に適うものと分かった時に、「恋」というものが生ま
いっ ち
(ウ) 相手のことならば何でも知りたいと思うほどの、相手に対する過剰なまでの思い入れが、「恋」と呼ばれるものな
のだろう、ということ。
(イ) 手紙などのやりとりを通して、それまで見えなかった相手の良さが見えてきた時に、「恋」というものが生まれる
あろう、ということ。
(ア) 顔も名前も分からない相手を、自分にとっての理想的な存在だと思い込む気持ちが、「恋」と呼ばれるものなので
次の中からもっとも適当なものを選び、(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
【問2】 ―――①「恋とは、
そんなものかも知れません」とありますが、筆者の言う「恋」とはどのようなものだと考えられますか。
‖
‖
‖
【問3】 〜
D
まゆ
には、身体の一部を表す漢字1字が当てはまります。次の中から適当なものを選び、それ
れるのだろう、ということ。
A
ぞれ(ア)〜(コ)の記号で答えなさい。
かみ
かた
(ア) 頭
(イ) 顔
(ウ) 首
(エ) 眉 (オ) 手
み
(キ)
(カ)
耳 (ク) 肩 (ケ) 目 (コ) 足
髪 かい ま
【問4】 ―――②「品定め」
、③「垣間見」
、とありますが、これらとほぼ同じ意味で用いられる言葉を(ア)〜(オ)の中から選び、
にんてい
それぞれ記号で答えなさい。
ぬす
(ア) 認定 (ア) よそ見
み見
(イ) 品行 (イ) 盗
ひより
②「品定め」
(ウ) 決定
③「垣間見」
(ウ) そら見
(エ) 品格
(エ) 日和見
(オ) 評定 (オ) わき見
−9−
おもしろ
いだ
【問5】 ―――④「実はあまり面白いと思いませんでした」とありますが、筆者が「あまり面白いと思」えなかったのは、なぜだ
こい
と考えられますか。次の中からもっとも適当なものを選び、(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
(ア) 見も知らぬ相手に恋をするなんて、あり得ないことだと考えていたので、一目見ただけの少女に恋心を抱く男性の
心情がよく理解できなかったから。
し げきてき
むらさき
ごた
(イ) 高校の時の授業は、言葉の働きなどの文法についての学習が中心であって、『源氏物語』という物語の面白さを十
分には教えてもらえなかったから。
たいくつ
(ウ) 『源氏物語』には色っぽい場面や刺激的な場面もたくさんあるのだが、光源氏が紫の上と出会う場面は、読み応え
のない、退屈な内容であったから。
(エ) 教科書に採用された部分だけからは、光源氏が紫の上と出会う場面が『源氏物語』の中でどのような意味を持つの
かが、よく理解できなかったから。
a
〜
d
に当てはまる語を(ア)〜(コ)の
【問6】 ―――⑤「なぜこの場面が教科書に採られているのでしょうか」とありますが、筆者は「この場面が教科書に採られている」
理由をどのように考えていますか。次の説明文を読み、
中から選び、それぞれ記号で答えなさい。ただし、同じ記号を2度以上用いてはいけないものとします。
み
く
と
b
して
として他の
a
間見するシーンは、『源氏物語』の名場面の一つだと言えるでしょう。絵の題材としてしばし
かい ま
光源氏が幼い少女を垣
せ
ば取り上げられるだけでなく、
『源氏物語』以降の多くの作品が、「垣間見」という設定を積極的に
い
います。つまり、『源氏物語』が、それに先立つ『伊勢物語』から汲み取った設定が、一つの
も ほう
作品によって模倣されることで、「垣間見から始まる恋」というものが、古典文学における典型的なパターンとして定
− 10 −
着していったわけです。
かい ま
み
古文の教科書が、初級の教材として『源氏物語』の垣間見の場面を採用するのは、文章がわりとやさしいという実際
c
が存在することに気づきます。「垣間見から始まる恋」というのは、ある意味では古典文学
的な理由もありますが、
それだけではありません。多くの古典作品を読んでみると、「垣間見から始まる恋」というパター
ンの、様々な
d
を学ぶことでもあるのです。これが、古文の教科書に『源氏物語』の垣間見の場面が採用され
の本質的な要素の一つなのだと言えるでしょう。つまり、『源氏物語』の垣間見の場面を学ぶことは、古典文学におけ
る一つの
る理由でもあると思います。
はいじょ
(ア) 話法
(イ) 類型
(ウ) 導入
(エ) 解答
(オ) 手本
(カ)
(キ) 個性 (ク) 排除 (ケ) 結論 (コ) 手法
法則 【問7】 ―――⑥「それを目的にして出かけたというのではなく」とありますが、ここでの「それ」とは具体的にはどういうこと
す てき
ですか。次の中からもっとも適当なものを選び、(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
はな
(ア) 素敵な女性と出会い、その女性に求愛すること。
むか
れ、少々ひなびた土地へと行くこと。
(イ)
京の都を離
けつえん
(ウ) 美しい二人の姉妹を同時に妻として迎えること。
(エ) 恋しい人の血縁の少女に思いを移していくこと。
− 11 −
【問8】 E
〜
H
に当てはまる語を次の中から選び、それぞれ(ア)〜(ク)の記号で答えなさい。
にせもの
かた か
な
(ア) とうてい
(イ) はたして
(ウ) かならず
(エ) さぞかし
(オ) ひたすら
もの お
(カ) いかにも
(キ) いささか
(ク) ましてや
ひめぎみ
【問9】 ―――⑦「受け取った姫君はさすがに物怖じし、ようやく偽物と知って片仮名で返歌をします」とありますが、「姫君」が
「片仮名で返歌」をするというのは、どういうことだと考えられますか。次の中からもっとも適当なものを選び、(ア)〜(エ)
の記号で答えなさい。
あ ぜ ち の だい な ごん
れん あい
ちが
(ア) 世間の若い姫君たちとは異なる、独自の価値観を持った按察使大納言の姫君は、自分に対してぶしつけないたずら
おどろ
を仕かけてきた人物に対して、あえて作法から外れた文字を使うことで、男女の恋愛という文脈とは違った位置に
き ばつ
自分を置こうとしたのではないだろうか。
ひら が
な
(イ) ふだんは男まさりの奇抜な言動で周囲の者を驚かせている按察使大納言の姫君ではあるが、実際にはまだ幼い少女
であって、偽物の蛇を見たことですっかり気が動転してしまい、女性が返歌をする時には平仮名を用いるという作
まゆ
ぬ
法も忘れてしまったのではないだろうか。
(ウ) 眉も抜かず、お歯黒もせず、男の童たちに集めさせた毛虫たちと遊ぶ按察使大納言の姫君は、当時の若い姫君たち
つくろ
が習得すべき教養や作法といったものを、まったく身につけていなかったために、平仮名を使って歌を書くという
みょう
ことができなかったのではないだろうか。
そう りょ
に達観したところがあり、人はありのままで取り繕ったりしないのがよいという思想を持った按察使大納言の姫
(エ)
妙
ふみ
君は、自分を女性らしく装うつもりなどまったくないので、いつも男性や僧侶が用いる文字である片仮名を使って
文などを書いていたのではないだろうか。
− 12 −
【問
かい ま
み
こい
a
〜
d
とぎ ばなし
に 入 れ る の に も っ と も 適 当 な 語 を( ア ) 〜( コ )
けいやく
は、互いの家同士で取り結ぶ契約という側面を持っていました。
えが
c
の 姿 を、 男 が 確 か め に 行 く、
の出会いから始まる恋などというものは、物語の世界の出来事だったのだ、と言うことも
a
たが
】
―――⑧「そもそも垣間見から始まる恋は、当時の現実の中では一種のお伽噺だったからではないのか」とありますが、
ど う い う こ と で す か。 次 の 説 明 文 を 読 み、
の中から選び、それぞれ記号で答えなさい。
b
現実のレベルにおいて、貴族と貴族との
したがって、
で き ま す。 だ と す れ ば、 現 実 の 世 界 の 垣 間 見 と は、 親 た ち が 決 め た 相 手 の
d
ぐうぜん
的なお話だ、ということになるのです。
というものであったのではないでしょうか。こうした意味において、物語の世界に描かれた「垣間見から始まる恋」と
ばな
は、
「お伽噺」──すなわち現実離れした
けっこん
(ア)
(イ) 一面 (ウ) 実際 (エ) 交際 (オ) 偶然
空想 (カ) 理想 (キ)
家庭 (ク) 本物 (ケ) 結婚 (コ) 必然
− 13 −
10
【問
がっ ち
れんあい
(ア) インターネットを通して出会い、そこから恋愛関係に発展していくようなケースを見てみると、日本人の感性は古
わかむらさきのまき
典の時代からまったく変わっていないと思えるのである。
きりつぼてい
つ
けいこう
紫巻では、紫の上を一目見ただけで、光源氏は紫の上に恋をしてしまうのだが、それは光源氏が
(イ)
『源氏物語』の若
すぐ
父親の桐壺帝から受け継いだ性質によるものなのである。
せ
かい ま
み
れたところなどを、すすんで取り入れていく傾向があり、この点に
(ウ)
古典文学は、先行する作品の面白いところや優
い
おいて古典とは「型の文化」であったと言えるのである。
ありわらのなりひら
さそ
おく
えが
(エ) 在原業平をモデルとした『伊勢物語』の初段は、姉妹二人を垣間見した主人公が、二人の女に同時に求愛をして失
ひめぎみ
すえつむはな
敗をするという、意表をついて笑いを誘う話なのである。
め
な ごん
おも
(オ)『源氏物語』の末摘花の物語は、見知らぬ男から和歌を贈られ、とまどう女の立場から描かれているが、こうした
あ ぜ ち の だい
手法は「虫愛づる姫君」にも受け継がれていくのである。
しろ
(カ) 紫の上の母方の祖父が按察使大納言だったことに注目するなら、「虫愛づる姫君」という作品は、『源氏物語』を面
白 く 作 り か え た も の だ と 考 え る こ と も で き る の で あ る。
− 14 −
】
筆者の意見や考えと合致するものを次の中から2つ選び、(ア)〜(カ)の記号で答えなさい。
11
ぼう
Ⅱ 次の文章を読んで、以下の設問に答えなさい。
ころ
ぼう し
あ
にっぽう
からカンカン帽を愛用していた。麦わらで、シルクハットを平たくしたような形につくった帽子である。引き揚げの
父は、若い頃
時も、大事にもって帰った。
おおいた
あたまにカンカン帽をかぶり、足もとは黒いレインシューズをはく。それが晩年の父の第一礼装になった。
せん
こ
分まで、東海道線、山陽線、日豊
昭和二十年代の終わり頃、学生のわたしは夏休みのたびに父の住む九州へ帰省した。東京から大
線と下っていく汽車旅は、ほぼ二十四時間かかった。
りち ぎ
むか
えて歩かねばならず、二時間余りかかる。それでも父は、わたしが
当時、バスなどなく、駅まで出てくるには、山をふたつほど越
か
かれ
彼のまわりには明治の時間がたちこめているよ
①
帰省するたびに、律儀に駅のプラットホームに迎えにきた。──カンカン帽をかぶった第一礼装で。
数少ない乗降客と出迎えの人々の中で、父のカンカン帽は、きわだって目立ち、
きゅう
うに思われた。
休暇が終わって帰るときも、父は駅まで送ってくるといってきかなかった。その日の朝になると、きまって箱の中からカンカン帽
をとりだし、ホコリをはらった。
「その帽子、もういいかげんにやめたら」
「うんにゃ。駅にいくんじゃから」
②
むすめ
駅は、父にとって「文化の接点」であったようで、彼はカンカン帽をかぶるのを、やめようとはしなかった。
だいしんさい
のようすを見に東京へ来た。彼が東京へきたのは、
大学を卒業して、広告代理店でコピーライターとして働きはじめたころ、父は娘
二度目である。一度目は、
「関東大震災〔大正十二年に関東全域を襲った地震災害〕の前の年、全国校長会議があってな」のときで、
じ まん
③
それが自慢で小さいわたしに何度も話してきかせたものだ。
− 15 −
き げん
1
ぼう
と
おおいた
き
は
ひび
は異様に目立った。兄夫婦の家に泊まるという父を連れて山手線に乗ったわたしは、気恥ずかしさのせいで
ふう ふ
父は相変わらずカンカン帽をかぶって東京へやってきた。昭和三十年代に入り、多少豊かになった日本の、それも東京駅のホーム
ふ
で、父の
不機嫌に無口だった。
おどろ
早々に自分のアパートに帰ったのは、その気恥ずかしさが尾を引いていたから
お
分なまりは、山野に住む人特有の大声で山手線の車両に響きわたり、周
あめ色に変色したカンカン帽をふりたててしゃべる父の大
囲の注目をあびていたのだ。
④
「お前がどげな仕事やっちょるのか、何度きいてもわからんのう」
き げん
機嫌に語る父に、ろくな返事もせず、
じょう
兄の家で上
かもしれない。
⑤
のんびりふくれっつらの気分でいたのだ。なぜ見送りに呼んでくれんじゃったと、おもわず方言になって電話口で
きあわてた。父が数日滞在するもの
翌々日、兄から会社に電話がかかった。今東京駅のホームで父を見送ったという。わたしは驚
さけ
とばかり思い、
い な か もの
叫ぶと、直子は仕事が忙しそうじゃから呼び出してはかわいそうだ、そっと仕事をさせちょけ、と父がとめたのだという。
田舎者の父を恥ずかしく思った自分が腹立たしかったのと、もう当分は父に会えないという思いとで、受話器を置いたわたしはト
イレにこもって泣いた。
きょう
えい
⑥
その出来事も影響している。
ろ
かれ
呂好きの彼らのための「風呂小屋」建築用にするか、迷った。ほんとは、
ふ
それから二、三年して仕事に慣れたころ、ボーナスを全部はたき、足りない分は借金して両親に東京見物をさせようと決心したの
は、
かな
じつはそのお金を「東京見物」用に使うか、それとも風
どちらも叶えたいのだが、それには足りない。ここで、どちらがいいか手紙でたずねた。(あとあと役に立つ風呂小屋のほうを選ぶ
かな)と思ったが、彼らは「もちろん東京へ行く!」と言った。
− 16 −
父たちは
2
に おう だ
おお いた
とやってきた。父は相変わらずカンカン帽姿。大分なまりの大声である。電車の中で、見物する先々で、
⑦
そんな気分であった。
わたしの心は、こんどは仁王立ちしたようになって父をかばっていた。カンカン帽のどこがおかしい! 大声の田舎なまりのなにが
いかん!
(これは、うちの愛するとうちゃんぞ。もんくあっか!)
お
相変わらず、お前がどげな仕事をやっちょるかわからんという父を、休日の会社に連れていき、仕事場をみせて説明した。しかし
」
3
している気配があるが、ためらっている。
お前、エレベーターを動かせるんか」と感心した。
やはり仕事の内容はのみこめないようだ。それより、四階にあった仕事場までエレベーターに乗ったとき、わたしがボタンを押して
エレベーターを動かしたことが、えらく印象に残ったようで、「ほう!
仕事場を案内した後、再びエレベーターに乗るとき、思いついて父に言った。
「こんどは、父ちゃんが動かしてみる? このボタンを押せばいいんだよ」
は
組みしたまま、じっとボタンを見て考えこんでいる。押したくて
うで ぐ
父は腕
4
かれ
う
父と母は、わたしの四 畳 半のアパートに二十日ほどいた。仕事の合間をぬって東京見物や、小旅行に連れだしたが、おおむねの
よ じょうはん
やがて、ふっと息を吐き、腕組みを解いて言った。
「
時間を彼らはその部屋で留守番をしていたわけだ。
わか
かびあがり、父の指先から直接エサを食べてい
ある日帰ると、父は金魚にエサをやっているところだった。みると金魚は水面に浮
5
と存在感のあるものになっていたのだ。
ほんの数日父が手をかけただけで……。
⑧
るではないか。夜店で気まぐれに買った貧相な金魚が、いるかいないか判らぬほどひっそりと泳いでいたのが、父の手にかかると、
にわかに
「そりゃお前、こっちが好きになりゃ、むこうも好きになるっちゅうもんじゃ」
− 17 −
いっぱい
金魚に指をつつかれている父親の姿は、やわらかく丸まって見え、わたしは、あらためて父のことを好きだと思った。そのことを
しんだいしゃ
言いたいと思ったが、どう伝えていいかわからないし、照れくさくもある。(まあいつか、いっしょに一杯飲みながらでも言う機会
があるだろう)
帰りの汽車は、父たちにとって初めての寝台車だった。寝台車についての説明をあれこれしたあと、発車まで十数分ゆとりがあっ
た。そのとき座席に座っている父がポツリと言った。
「エレベーター、なあ。あれ、自分で動かしてみたかったのう」
父は、翌年死んだ。エレベーターを動かしてみないまま。
ぼう
⑨
をかぶってプラットホームに立った父の姿を思いだす。
金魚を見ると、カンカン帽
かれ
【問1】 ―――①「彼のまわりには明治の時間がたちこめているように思われた」とありますが、ここで筆者は「父」のどのよう
き ばつ
な様子を表していますか。次の中からもっとも適当なものを選び、(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
き おく
ふん い
き
いろ こ
(ア) 周囲からは奇抜に見えた父の身なりも、かつては流行したものであり、あえて「当時」の服装にして、若かった時
めずら
代の記憶を大切にしていることを示していた、ということ。
う
(イ) その「当時」としては珍しくなってしまった父の身なりには、もう過ぎ去ったかつての時代の雰囲気が色濃く感じ
られるため、周囲からは浮き上がって見えた、ということ。
あた
(ウ)
一目で高価だとわかる父の身なりは、その「当時」にはもう手に入らなくなってしまったかつての時代の貴重なも
ぬ
のであるという印象を、周囲に対して与えていた、ということ。
ふ
(エ) かつての時代から抜け出てきたような父の身なりは、周囲の人目を引き、その「当時」の人々に戦争や貧しさなど
の振り返りたくない記憶を思いださせるものであった、ということ。
− 18 −
【問2】
―――②「駅は、父にとって『文化の接点』であったようで」とありますが、筆者は「父」の考えをどのようにとらえて
いますか。次の中からもっとも適当なものを選び、(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
しょうげき
(ア)
父にとって駅とは、関心を寄せている列車や都会へとつながる線路を直接見ることができる特別な場所であったの
ではないか、ととらえている。
ふ
撃を思いださせてくれる特別な場所であったの
(イ)
父にとって駅とは、何十年も前にはじめて汽車を見た時に受けた衝
ふ だん
ではないか、ととらえている。
(ウ) 父にとって駅とは、自分の普段の生活では見ることができない人や物に触れることができる特別な場所であったの
ではないか、ととらえている。
(エ)父にとって駅とは、その時々の最先端の技術や発展する科学の成果を感じ取ることができる特別な場所であったの
ではないか、ととらえている。
【問3】 ―――③「それ」とありますが、どのようなことを指していますか。その内容をもっともよく表しているものを次の中か
1
ひ がい
に当てはまる4文字の語を、本文中より抜きだし、答えなさい。
ぬ
(エ) 東京にいながら関東大震災の被害をまぬがれたこと。
だいしんさい
(ウ) 東京で開かれた全国校長会議に参加したこと。
(イ) 東京の広告代理店で働くようになったこと。
(ア) 東京に二度行ったことがあること。
ら選び、
(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
【問4】 − 19 −
【問5】
―――④「早々に自分のアパートに帰った」とありますが、このときの「わたし」の気持ちはどのようなものだったと考え
う
られますか。次の中からもっとも適当なものを選び、
(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
が まん
わ かん
いだ
いっしょ
れっとうかん
(ア) 予期していなかった形で東京の人々から話題のまととなり、すっかり浮かれて調子づいていく父の様子にあきれ果
い
ててしまった「わたし」は、もはや我慢しきれず、もうこれ以上父と一緒に過ごしたくないと思った。
(イ) 父の姿や言動に対して東京の人々が強い違和感を抱いているであろうと感じた「わたし」は、いくばくかの劣等感
ふ
ま
ときまりの悪さを覚えたが、そんな「わたし」の思いに気づく様子もない父に対して少々いらだっていた。
と ほう
(ウ) 自分の住む地方での日ごろの振る舞いを東京でもかたくなに変えようとしない父の様子に、「わたし」はすっかり
とまどってしまい、東京において父にどのように対応すればいいかわからなくなってしまい途方にくれた。
(エ) 周りとは明らかに異なる父の様子が東京の人々から注目を集めていることに対して、照れくさく感じていた「わた
し」は、その言動をあらためてもらいたいと父に伝えようとするが、うまくいかないためあきらめてしまった。
ふ
【問6】 ―――⑤「のんびりふくれっつらの気分でいた」とありますが、どういうことですか。次の中からもっとも適当なものを
選び、
(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
ま
「 わたし」は父への否定的な感情をどう解決したらよいか自分でも分からなかったが、そのような「わたし」の振
(ア)
いだ
る舞いがいつのまにか父を傷つけていたとはまったく考えていなかった。
おおいた
おこ
(イ) 「わたし」は父に対して確かに不満を抱いてはいたが、わざわざ東京にやってきた父が「わたし」と再び会うこと
けん お
のないまま大分県に帰ってしまうとは思ってもいず、安易に構えていた。
(ウ)
「わたし」は父に向かって嫌悪の情をあらわにしていたが、父がそのような「わたし」の態度に怒って、もともと
の旅程を切り上げて大分県に帰ってしまうとは少しも考えていなかった。
− 20 −
れいたん
〜
C
に当てはまる語句を、
(エ) 「わたし」は冷淡な思いを持っていることを父に知られないようにしていたが、父はその気持ちに気づいていたば
A
かりでなく、逆に「わたし」を気づかっていたとは思ってもいなかった。
ぬ
おお いた
【問7】 ―――⑥「その出来事」とありますが、これに関する次の説明文中の
ぼう
東京にやってきた父は、カンカン帽をかぶったその服装と、大分県にいる時そのままの言動により、 A(5字) を
た
集めていたが、そんな様子に「わたし」は B(6字) を感じて、父にうまく対応できなくなってしまう。しかしそ
いか
の後、兄からの電話で「わたし」に告げずに父が東京を発ったことを知り、これで「わたし」は C( 字) と痛感
・
3
・
5
に当てはまる語を次の中からそれぞれ選び、(ア)〜(ク)の記号で答え
するとともに、自分自身に怒りを感じたのであった。
2
− 21 −
指定された文字数で本文中より抜きだし、答えなさい。
【問8】
(オ) だらだら (カ) ぎりぎり (キ) いそいそ (ク) すやすや
(ア) さらさら
(イ) のろのろ
(ウ) いきいき
(エ) うずうず
なさい。
11
い な か もの
は
つ選び、
(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
おと
舎者」であるとして恥ずかしく思っていたかつての自分の態度は、あってはならないものだったと考えて
(ア)
父を「田
おおいた
いる。
じょうきょう
でしゃべる父の様子について、東京の人々から何か劣ったもののように思われるいわれはない、
(イ)
「大分なまりの大声」
と強く思っている。
おく
(ウ) 「大声の田舎なまり」が異様に目立ち、父の存在が悪く言われはじめた状況のなかで、その敵意から父をどうやっ
ぼう
て守ったらよいか案じている。
4
お
に当てはまる、
「父」の言葉としてもっとも適当なものを、次の中から選び、(ア)〜(エ)の記号で答えな
からずいるであろうと思っている。
(エ) 「カンカン帽」をかぶった父の姿をみる東京の人々の中には、父を時代遅れの「田舎者」としてとらえる者も少な
】 さい。
(ア) ……やっぱ、お前、押せや
きん ちょう
(イ) ……前から押してみたかったんじゃ
(ウ) ……いざ押すとなると、緊張するのう
(エ) ……おい、押すだけで、本当に動くんか
− 22 −
【問9】 ―――⑦「そんな気分」とありますが、このときの「わたし」の「気分」の説明として、あやまっているものを次の中から1
【問
10
【問
】
この言葉にあらわれた「わたし」の思いの説明として、もっ
―――⑧「ほんの数日父が手をかけただけで……」とありますが、
み ちが
とも適当なものを次の中から選び、
(ア)〜(エ)の記号で答えなさい。
ま
違えるように元気になったのをみて、父のもつ不思議な力が東京においても発揮されたことを、意外に思
(ア)
金魚が見
いつつも喜んでいる。
(イ) 短い期間で金魚の様子をすっかり変えてしまった父の姿を目の当たりにし、父がいなければ金魚をきちんと育てら
れないと実感している。
あつか
(ウ) 父のように一日のうちの長い時間を使えば、わずかな日数で金魚が元気を取りもどせることを知り、これまでの金
魚の扱い方を反省している。
おどろ
(エ) 金魚の思いもよらない変化を前にして、その変化をもたらしたのは金魚に対する父の独特なかかわり方であると考
え、驚くとともに感心している。
− 23 −
11
【問
A
〜
F
ぼう
に当てはまる語を、後からそれぞれ選び、
(ア)〜(シ)の記号で答えなさい。
】
―――⑨「金魚を見ると、カンカン帽をかぶってプラットホームに立った父の姿を思いだす」とありますが、これに関する次
の説明文の
な
東京見物に来た翌年、父が亡くなってしまったことは、「わたし」に大きな欠落感をもたらしたであろう。「わたし」
き おく
にとって金魚は、父との最後の思い出となったわけだが、それだけではなく、金魚をめぐるエピソードには「父らしさ」
めんどう
がよく現れていたからこそ、
「わたし」にとって印象深い記憶となったといえる。父は金魚について、「こっちが好きに
A
に裏打ちされた父の言葉に、「わたし」は
なりゃ、むこうも好きになる」ということや、定期的に面倒を見れば金魚も安心すると、「わたし」に伝えていた。そ
A
からくる考えを大切に守るという父の姿勢がもっともはっきり示されるのが、駅
の言葉通りの反応を金魚が見せていたこともあり、これまでの
そんな、自分自身の
強い説得力を感じたのだろう。
B
するのではなく、
C
おおいた
もど
をはらっ
に行くときには必ずカンカン帽をかぶるその姿であった。自分自身が慣れ親しんだ生活の方式をかたくななまでに大事
にするとともに、なじみのない「文化」に対してはいたずらに
て接しようとする。このような父だったからこそ、二度目に東京に来た際には、「わたし」に告げずに大分に戻ったの
むすめ
かれ
であり、また、最後の東京見物の際に「動かしてみたかった」はずのエレベーターのボタンを押さなかったといえるの
していたからのことだったと考えられるのだ。
で は な い だ ろ う か。 こ れ ら の 父 の 行 動 は、 東 京 の 地 で 働 き、 そ の「 文 化 」 の な か で 生 活 し て い る 娘 を 彼 な り に
D
は
ずかしさを覚えた「わたし」も、父の姿とその考え方の意味を実感するようになったが、そのことを伝
一度は父に恥
の念をくり返し確かめているのだろう。しかし、その思いは、かすかな
F
の念を伴っている
ともな
え ら れ な い ま ま、 父 は 亡 く な っ て し ま う。 金 魚 を 見 て、 父 の 姿 を 思 い だ す た び、「 わ た し 」 は 父 に 対 す る 限 り の な い
E
− 24 −
12
のである。
こうかい
きょぜつ
(イ)
悔
(ア)
努力 (ウ) 拒絶 (エ) 結果
後 にんたい
(オ)
尊重 (カ)
愛着 (キ) 吸収 (ク) 想像
(ケ) 忍耐 (コ)
経験 (サ) 敬意 (シ) 才能
− 25 −
【出 典】
[Ⅰ] 高木和子『平安文学で分かる恋の法則』(ちくまプリマー新書、二〇一一年)より。
[Ⅱ] 工藤直子『象のブランコ』
(集英社文庫、二〇〇六年)より。
− 26 −
− 27 −
− 28 −
− 29 −
− 30 −