皆が知らない本当の生活保護

われてしまっていましたし、どうしたモノかと考えた末に、その時に
住んでいた家の一箇月分の家賃で足りる物件を必死で探しました。
公開コピー誌
皆が知らない本当の生活保護
3 賃貸契約ができなくて
暗黒通信団
そうして探し回って金銭面でなんとかなる物件はいくつか見つかっ
たものの、暫くSEから離れていたため通帳の入出金がほぼゼロに等
しい状態で、保証人以前の問題で悉く断られてしまい、そうこうして
1 はじめに
いるうちに完全にホームレスになるしかないといった状況に見舞わ
れてしまったことに気付きました。
私がこの文章を書こうと思ったのは、生活保護といえば不正受給の
それでも役所の判断はNG。住んでいた自治体が悪いのでしょう
ニュースなどでしか見聞きすることもなく、実態というモノを一切知
か——絶望だけが襲い来る中、どうせ更新もできないのだからと更
らなかったところに、何度となく生活保護の相談を却下された後に無
新の一箇月前に退去することにして、父親の自宅が1フロア空いてい
事に受けることができ、皆様の税金で無事に生かせていただいている
るのでそこに必要な荷物を送って(両親は離婚しています)、あとは
ことを感謝するとともに、普通ならそこまでややこしいことにならな
とにかく売り払って現金を作りました。
いであろうといったほど様々な経験をしたことを伝えたい、という思
とはいえ——できることなどもうありません。ホームレスになる
いからです。生活保護では、収入があれば保護費はその分だけ減りま
一歩手前のネカフェ難民でアルバイトを続けていました。住民票を
す。つまりこの本が売れようが売れまいが私は一切得することはあ
置く場所もない状態になりましたが、そのときのアルバイトはスナッ
りません。ただ、この本を買ってくださった方のお金が入るか、どこ
クのホステスだったため、そこまで極端に困ることはありませんで
の誰とも知らぬひとからのお金が入るか、それだけの違いでしかあり
した。
いつまでネカフェ難民を続ければいいんだろう——ネカフェ難民
ません。——と思っていましたが、実はある程度までは収入は増え
で居る状態でSEの仕事などできるわけもない——生活はかろうじ
るようです。控除的なモノがあるようです。
てできていましたが、不安が募るばかりでした。
それでも私はどうしても書きたかったのです。
生活保護の実態。いい面も、悪い面も、私が経験したことは、総て。
注)初稿は平成 23 年で、25 年 10 月に加筆修正を加えた文章にな
ります。
4 初めてのネカフェ難民
2 賃貸契約の更新ができなくて
フリーランスのSEですから、仕事があるときとないときの差が激
しく、仕事があるときなら半年くらいは休んでも平気という気楽な状
フリーランスのSEをしていたものの、震災の影響で仕事がなくな
態で暮らしていたところから、ネカフェ難民以外の道がなくなってし
り親兄弟からお金を借りてなんとか家賃を払ってアルバイトをしな
まって絶望でした。
がら生活をしていました。どうせ案件を選ばなければすぐにまだ仕
持ち物はキャリーバッグひとつと普段使いのショルダーバッグ
事が見つかるだろうとたかをくくっていた頃、賃貸の更新月が二箇月
だけ。
後に迫っているということに気付きました。親兄弟に借りるのもさ
そんな状態である日ふと最近シェアハウスが流行っているという
すがに限界に達していて、どう金策したものかと悩んでいたところ
ことに思い至り、ネカフェで検索したところ、そのときの所持金で入
に、その時に住んでいた物件の保証人になってもらっていた妹から一
居できるところがありました。
通のメールが届きました。
もちろん事情など話したくもないので、他の物件にも下見に行った
「仕事辞めて職訓に通うことになった、保証人になられへん。」
ふりをして、そこに決めることにしました。というか、そこに決める
両親とも自営で、自分も自由業、ましてお金もない——更新などと
以外の選択肢が金銭的にありませんでした。
ても無理だと悟り、軽い絶望に襲われました。
あまり慌てて入居するのもおかしいと思い、まだ一箇月ほどネカ
この時点で一旦は生活保護の相談に行きましたが、親兄弟が健在と
フェ難民を続けていました。布団で寝たい、ベッドで寝たい、ただそ
いうこともあったのか、それともその時に住んでいた自治体の都合な
れだけが望みでした。住民票のことなど全く頭にありませんでした。
のか、全く取り合ってもらえない状態でした。その自治体に居た十年
アルバイトにも身が入らず叱られて、どんどん心が縮んでいきまし
間、節税に節税を重ねほとんど住民税・所得税ゼロ、精神障害者手帳
た。それでも私は最善策を選んだ——そう信じたい気持ちでいっぱ
二級から三級に降格、年金は当然全額免除、国保料ですらたまに免除
いでした。
してもらうほどの状態だというのに、おそらくそれを調べることもな
アルバイトが夜なので、なかなかナイトパックの時間にネカフェに
く門前払いです。
行くこともできず、昼間少し休んで電車やバスで寝て過ごしていまし
母親と妹から二箇月分の家賃を借り、その間に何とかしようと必死
た。それこそエコノミークラス症候群になるのではないかというほ
になりましたが、努力だけでどうにもなるものではありません。そも
ど乗っていました。ネカフェで過ごすより一日乗車券を買った方が
そも更新どころか状況的にはどう考えても賃貸契約など結べるわけ
安いから、という理由でした。
もないことも察しており、ましてや賃貸契約となると費用がますます
ネカフェ難民というよりはホームレスに近かったのではないかと
かかってしまいます。両親、妹ともに「これ以上の援助は無理」と言
今は思います。
1
7 住み込みの仕事をクビになり
5 ドミトリーのシェアハウス
ところが世の中そんなに甘くありません。倉庫代わりの部屋とい
そうして暫く苦痛に喘ぐ日々を続け、予定の入居日が来ました。
うのは電気ガス水道なし、来客用の布団を置くために倉庫を片付ける
挨拶もそこそこに、三段ベッドの真ん中でぐっすり眠ることができ
のが私の最初の仕事でした。
ました。これまでの生活に比べれば頭を起こせない三段ベッドの真
それから、全く慣れない写真撮影やフォトショップの使用、多少は
ん中など苦痛でもなんでもありませんでした。余談ですが、上段は楽
慣れているサイトのメンテナンスなどを暫く日給五千円でやらせて
に起き上がれる高さがあるのと、下段の方が中段より出入りしやすい
もらいました。
という理由で、中段だけが格安だったのです。
ただ、通販の会社と言ってもそこまで売り上げがあるわけでもな
アルバイトは相変わらず続けていました。夜の仕事だということ
かったようで、「今日は仕事しなくていいよ」と言われることも多々
はシェアメイト全員に伝えてありました。管理人さんも問題ないと
あり、金銭的にはかなり苦しくなってきました。
言ってくれたので私は安心しきって父親に頼んで荷物を少し送って
もうそろそろここに住まわせてもらうのも限界かもしれない、そう
もらったりして苦しいながらも生活を続けていました。
思い、その場所の近くにある障碍者向けの支援センターに相談に行き
SEの仕事ももちろん探していましたが、一向に見つかる気配がな
ました。もしかしたら住めるところがあるかもしれないし、生活保護
く、このままではたかだか三万円程度の家賃・光熱費すら払えなく
も受けられるかもしれないという微妙な朗報をもらい、少し安心しま
なってしまうのではないかとまた不安に襲われる日々が続きました。
した。
そして——イヤな予感は別な方向に当たってしまいました。
翌日から食事も殆ど取らず、なるべくお金を持っておこう、それだ
夜の仕事だということを了承していたはずのシェアメイト達が、明
けを考えて生活していました。仕事は週に数回程度しかありません
け方の帰宅を管理人に苦情として届け出た、強制退去してもらう、と
でしたが、電気ガス水道がないとはいえ、布団で眠れることが幸せで
いう連絡が入ったのです——。
した。冬のことでしたのでなおさらです。ちなみにお風呂は職場の
そのシェアハウス自体の住み心地は非常に快適だったので残念に思
を借りていました。
うとともに、これからどうすればいいんだろうと途方に暮れました。
ところが——やはり運命というモノはよくわからないモノで、私の
夜の仕事で忙しいので、当然住民票は放置したままです。保険証の期
誕生日は十二月二十四日なのですが、その日の朝に突然雇い主が「ご
限も切れそうで、免許の期限はあと一年以上あるものの、精神科の主
めん、もう雇えないから荷物持って出て行ってもらえる?」と言い出
治医は月額上限二千五百円だというのに通院するお金も捻出できず、
したのです。そもそもが友人の知人なのですから、何の文句が言える
精神障害者手帳の失効も間際。更新するには診断書料が別途五千円必
わけもなく、別の友人に持ち切れない荷物を預かってもらい、「また
要。次から次へと無理難題ばかりが降り注いでくるのです。通院で
ネカフェ難民、か」などと思いながら近くのネカフェに行き、ひたす
きずにいたために薬を切らしてしまい精神状態も当然悪化。そこに
ら調べ物をしました。調べ物をするといっても何をどう調べればい
強制退去。泣きっ面に蜂——そんな言葉がぴったりなのではなかっ
いのかすらわからない状態で、再度障碍者向けの支援センターへ相談
たでしょうか。
に行きましたが、土曜日だったため手続きが何も取れないと言われ、
私はどうしたらいいのかわからなくて途方に暮れて、相談もできずた
だ泣き続けました。
6 二度目のネカフェ難民
そして、結局またネカフェ難民になりました。
強制退去となってしまっては仕方がありません。また父親のとこ
8 三度目のネカフェ難民
ろへ荷物を送り、ネカフェ難民をしながらのアルバイト生活を続けて
いました。いっそ寮のある風俗か雀荘にでも、と考えるほどに思い詰
三度目は少し焦っていました。年末年始です。年が越せません。と
めていました。雀荘アルバイトの経験は何度かあったのと、プロ試験
にかくひたすらネットで検索しました。有益な情報は何ひとつあり
を冷やかしで受けて一般常識の筆記で落ちてしまった情けない経験
ませんでした。
があったので、いっそプロ雀士に——などと馬鹿げたことを考えた
とんでもないバースデープレゼントに憂鬱になりながらもとにか
りもしました。
く検索するしかないんです。難民というほどの期間ではなかったに
そんなおり、状況を知っている友人から朗報がありました。
せよ、有益な情報が何ひとつ得られないネットに一体何の意味がある
通販の会社を経営している知人に事情を話したら、倉庫として借り
のだろうかと思いながらずっと検索していました。飲み物を飲むこ
ている部屋を使ってそのうえで仕事を手伝ってくれれば給料もくれ
とすら忘れ、トイレへも行かず、ただひたすら何か情報がないかとそ
る、と。
れだけを探していました。
ただ、締め日の都合上また一箇月近く待たされることになりま
結局、何も得られないままネカフェ難民生活を終えることになりま
した。
した。
とはいえ、仕事と住まいが一度に手に入るなら一箇月くらいどうと
いうことはありませんでした。ずっと、ルーチンワークのように、ネ
カフェ、電車、バス、アルバイトとこなしました。
9 追い詰められて生活保護の相談
アルバイト先のスナックのママさんに事情を全部話すわけにもいか
ないし、その必要もないので、仕事の都合で引っ越すことになった、
所持金は二万円ほどありました。
と言って住み込み開始直前に辞めさせてもらいました。
とはいえ、年末です。年末年始です。役所は閉まってしまいます。
2
二万円で年が越せるとはとても思えませんでした。
——死に急ぐ必要はありませんよ——私が言った言葉を思い出し、
もうやけくそでした。十二月二十六日にビジネスホテルに泊まる
ギリギリのところで思い留まって、交番に電話して、どうしても死に
ことにしました。二十六日、住民票のある自治体に電話して相談した
たいから来てくださいと頼みました。
ところ、今現在居る自治体に相談してくださいと言われました。どの
ところがそれが仇になってしまったのです。
みち何度となく断られていたのであまり気にせず事務的にそのビジ
寮長に『完全自殺マニュアル』を悪書扱いされ、預かりますと言わ
ネスホテルがある自治体に電話で相談をしました。翌日に相談に来
れてしまい、同室のお婆さんともども途方に暮れました。あんなに希
いということで、案外あっさりしたモノなんだなと思いながら電話を
望を与えてくれる本はないのに、と思ってつらくて仕方がありません
切りましたが、その日は眠れませんでした。
でした。
翌日、チェックアウトの時間を過ぎるとお金がかかってしまうと思
翌朝寮長のところへ行って、これは自殺を防止するための良書だ、
い、早朝に役所へ向かい、事情を話して夜間休日の窓口近くで開庁を
前書きだけでも構わないから読んでくれ、同室のお婆さんも自殺願望
待たせてもらいました。
があってふたりで楽しく読んでいた、といったようなことを伝えまし
結局その日は申請だけだったので、もう一泊することにして、寮や
た。小一時間説得して、ようやく前書きだけは読んでくれましたが、
施設の空き状況を調べておくので翌日に来てくださいと言われたの
全く何も理解はしてくれませんでした。
を不安に思いながらもなんとか眠ることができました。役所の最終
ここから逃げ出したい、そう思った瞬間でした。
日だからこの状況ならなんとかしてくれるのではないかと期待して
いました。
11 余談:一風変わった生活
翌日チェックアウトを済ませ、空きがなかったらどうなるんだろう
かと思いながら役所へ行きました。すると、三食付いて生活保護費が
三万円弱残る寮に空きがあったので入寮手続をしてある、すぐに行き
タバコはOKアルコールはNGという謎のルールがありました。当
ましょうと言われ、慌しいながらも無事に年を越せることがわかって
然のように皆喫煙者でした。残り本数を数えながらもう1本吸うかど
本当に安心しました。
うするか悩む姿をよく見かけました。私が吸っているのはわかばな
のであまり本数を気にせず吸っていました。アルコールNGだと言
われると呑みたくなってしまうもので、主婦時代からのパチプロスロ
10 入寮
プロ経験を生かして昼食後に1パチを打ちに行き、ある程度アルコー
ル飲料と交換できる程度に貯玉しておいて、毎日のようにお昼に1∼
無事入寮して、自分には勿体ないほどの新品の布団が届き、これで
2本交換して呑んでいました(笑)。1パチができた頃はバカにして
やっと生きていけると思いました。相部屋でしたが、シェアハウスの
いましたが、生活保護だとありがたいですね(笑)。交換できるタバ
経験もあったのであまり気になりませんでした。
コにわかばがあればなぁ、と思う日々でした。最近どこのコンビニで
寮での生活は時間の制約が厳しく、食事の時間やお風呂の時間を逃
でも売っているのに、パチンコ屋では見かけないんです。ついでに、
すと大変でしたが、それなりに快適に過ごせました。ただひとつ、ま
寮の最寄駅にあるゲーセンと同じビルに雀荘があったので、そこでも
だ生活保護受給者ではないという点を除いては。
ちゃっかり所持金を増やして昼食を外食にしてアルコールを付けた
翌年の一月四日、ケースワーカーが訪問に来ました。特に問題なく
りしていました(笑)。まぁ、門限が厳しかったのでそこまで派手に
生活しているということであっさりと生活保護の申請は通りました。
やってたわけじゃありませんけどね。
ただひとつだけ気に入らなかったのは、それまで私に冷たかった寮長
ちなみに公営以外のいわゆるギャンブルと呼ばれるモノによる収
が保護決定した途端に優しくなったことでした。結局世の中はお金
入は申告不要です、というか収入と見做されません。それを収入と見
なんだな、と空虚な気持ちに襲われました。
做してしまうと、役所がギャンブルを認めたことになるからだそうで
それとともに、何度となく生活保護の相談をしてもダメだったのに
す。バカ正直に勝った申告をしようとした私は一体。昔一年半ほど
あっさり通ったことが却って私の心を傷付けました。障碍者控除目
スロプロとして生活して、それを確定申告してみたというただのバカ
当てで障害者手帳を申請したら二級だったときのような心境でした。
です。はい。バカです。すみません。今も堂々とスロや麻雀で稼い
その時点では三級になっていて、なおかつ失効していた手帳ですが、
でいますが稼働日数は月に2∼4日なのでせいぜい月一万∼三万円
手帳と保護決定通知書を見比べては死にたい気持ちでいっぱいにな
程度です。
りました。
また、月に三万円弱残る程度で保護が受けられてもただ無益に生き
12 寮を逃げ出して
るだけで意味がないのではないかとも思いました。
相部屋のお婆さんとは仲良くなっていたので、保護されたことで死
にたいとぽつりと漏らしました。お婆さんも何か事情があったよう
閑話休題。すぐさまウィークリーやマンスリーのビジネスホテル
で、やり残したみっつのことを追えたら死にたいと答えてくれまし
を探し、逃げ出す準備は整いました。ウィークリーで金銭的に何とか
た。そのとき私はちょうど自殺防止用の『完全自殺マニュアル』を
なるところがあったのです。荷物をまとめて逃げ出しウィークリー
持っていたので貸してあげて読みながら「死ぬのって難しいわねぇ
のビジネスホテルに一週間滞在して、その間にどうするか考えようと
∼」「でも死ねる方法はこんなにたくさんありますよ、死に急ぐ必要
思いました。
はありませんよ」と、自己矛盾した言葉を発していました。
今居る自治体に相談してください、と以前言われたことが思い出さ
そしてある日、私が役所に行った帰りに道に迷ってしまい、門限を
れ、役所も近かったので早速相談に行きましたが、返答は芳しくあり
過ぎてしまうという連絡を入れました。電話口でも寮に帰ってから
ませんでした。
も寮長に怒鳴りつけられ、生きていく希望を失ってしまい、もう自殺
状況的にはどこの自治体であろうと申請できるしおそらく受理も
しよう、と安全剃刀を分解してお風呂に入りました。
できると思われる、ただしそのためにはまずホームレスになってもら
3
うことが必要。
そんな精神力がどこにあるでしょうか。寮も逃げ出し、リハビリ施
つまりもうお金を払ったウィークリーをキャンセル料もなく引き払
設も退所になり、もう私には生きていくことはできないのではないか
わないといけない、そういう意味でした。所持金は当然雀の涙です。
とすら思い始めていたというのに。
どうすればいいんだろう、ホームレスになるならせめて一週間ここ
昼間のネカフェ代は生活保護費からは出ないので、専ら電車やバス
で眠りたい、そう思っていたとき、当然のようにケースワーカーから
に乗って寝ていました。夜はネットカフェでマンガを読んだりネッ
電話がかかってきました。事情を全て話しました。やはり保護の申
トを見て解決方法を探したり、完全に昼夜逆転になっていました。
請をし直すならホームレスにならなければいけないとのことでした。
ある日ふと思い立ってカラオケボックスの深夜フリータイムを利
ただしひとつだけ朗報はありました。アルコール中毒などのひと
用してみたところ、さすがに怪訝な顔をされましたがカラオケ代も支
が住む女性リハビリ施設に空きがあるからそこに移ってはどうかと
給されました。ネカフェよりも広々とした空間で眠れる、それが快適
いうことでした。ウィークリーの分は払ってしまっていたので、その
で、ますます私は賃貸の物件を探す気力を失っていきました。そもそ
後ならお願いしますと言って約束を取り付けました。
も、私が生活保護受給者という立場になった理由が賃貸の物件の契約
ができなかったことだったというのも大きく、その頃よりも状況が悪
化している——と自分では思っていて、安定収入があるという意味
13 女性リハビリ施設入所
では状況は好転していたのですが、そんなことに気付く余裕などある
わけもありません。
前に居た寮ほどは時間には厳しくないように思えました。面談に
そうして一箇月近く、ネカフェとカラオケボックスと電車やバスで
通って、そこに住めることになりました。相部屋でしたが、空き部屋
過ごしていました。いつしか、このままの生活でもいいような気すら
だったので実質個室でかなり快適でした。その施設もやはり保護費か
してくるほどに、そのときの私は幸せでした。
ら三万円弱残るが食事は朝夕だけしか出ないということで少し厳し
ところが、当然ずっとそんな生活ができるわけもなく——それが
いかなとは感じましたが、とにかく生きることができるのはありがた
できるのなら現代からネカフェ難民など消え失せて、皆が皆生活保護
いことでした。その施設は場所がかなり不便なところだったので、通
を需給できてしまうのではないかと思います。ある日保護費とネカ
院や職探しをどうするかという悩みだけが残った状態になった——
フェ代を貰うために訪れたケースワーカーは、私に精神科への入院を
そう思っていました。
勧めてきました。入院するほどの病状ではありませんし、入院経験も
入所二日目、精神障害者手帳を取得しなおすためにずっとできてい
なく、ただいたずらに不安を煽られただけでした。
なかった精神科への通院は、保護を受けて医療費がかからなくなった
ことによりようやく再開できました。施設の他の入所者さんは気さ
くな感じのひとが多くて、これなら暫くは休んでもいいのかな、そう
16 入院を強いられて
思い始めた頃、また運命の歯車が狂い始めました。
「○月×日にXX医院さんに一緒に行って相談しましょう」
私は、その日の前日に風邪をひいたので友人宅に泊まっていると嘘
14 強制退所
の電話をかけて逃げました。友人には迷惑をかけられないので、風邪
という部分だけを嘘にしました。
その施設には朝の軽い掃除の時間があるのですが、精神科にようや
次に保護費を貰いに行ったときに言われたのは、もっと酷い言葉で
く通院再開できた身でまともに寝起きができるわけがありません。入
した。
所三日目四日目と続けて寝坊して掃除ができず、たかだかそれだけの
「風邪だとかなんだとか言って逃げてるだけじゃないんですか? 理由で強制退所を言い渡されたのです。
明日……はXX医院さんは休診か……明後日XX医院さんに一緒に
それも、一日すら待ってくれず今すぐの強制退所です。
行ってそのまま入院しましょう、もう先生と話は付けてあります。明
どこまで行ったら落ち着けるんだ——死にたくなる気力も失いま
日はここに泊まってください。お金は出ます。」
した。
安いビジネスホテルの地図を渡されながら、一気に言われました。
何の気力もなく、ただ周りの指示通りに動くだけでした。
一泊いくらまでならお金が出るとか、そういった制度があるのだそう
です。
もちろん私が考えたのは逃げることです。保護費は一週間分とは
15 ネカフェ難民をしながらの需給
いえ貰ったばかり、翌日が運良く主治医の休診日、逃げる以外の選択
肢などありません。
もうあなたを受け入れられる施設はない、今はひとまずネットカ
フェ難民をしながらでも保護を受けることはできるから、ネットカ
どう逃げるか——思い出したのは、生活保護の申請ができるとい
フェの領収書を持ってくるように——そのように言われたと思いま
う売り文句のシェアハウスでした。私は「生活保護の申請なんて紙切
す。一箇月分まるまるの保護費支給はありませんでした。持ち逃げ防
れ書かされるだけなんだからどこでだってできるよ、バカじゃない
止なのでしょう。十二万円程度の保護費が入るので、そのまま別の自
の?」と思いながらも、その日、役所を出てすぐにネカフェに行き、
治体へ逃げてしまえば、また新たに生活保護の申請をするくらいのこ
電話で問い合わせをしました。
とはできます。私はシェアハウスでの生活の経験があったのと、最初
現状を伝えると、うちの物件で生活保護受けてるひとは何人かいる
にシェアハウスを探していたときに「生活保護の申請もできます」と
し、その状況ならほぼ確実に生活保護が受けられるから最初に一万円
いう物件があったので、シェアハウスでいいから落ち着きたいと思っ
だけ預けてくれればあとはうまくやるよ、といったようなことを言わ
たのに、その自治体の方針なのかケースワーカーの判断なのか、賃貸
れました。一万円など持っていませんでしたが、友人に借りて、本来
物件を探せと言うのです。
行かなければいけないはずの役所から二時間はかかる程度に離れた
物件を紹介してもらい、そのままそこに住むことになりました。
ネカフェ難民をしながら生活保護を受けながら賃貸物件を探す?
4
二時間程度離れた自治体、というのは特に意味はありませんでし
た。ただ逃げ出したかっただけでした。通院が遠くなるのはわかっ
18 転居指導
ていましたが、あいにく通院に便利な物件に空きがなかったというだ
けのことでした。
そこに救いの手が訪れました。役所からの転居指導です。
あのシェアハウスでは訪問時に誰が出るかもわからない、私が居る
のか居ないのかもわからない、そういった内容で会議が行なわれてい
たらしく、三箇月ほど経って転居指導が出ました。転居指導だと言え
17 貧困ビジネスなシェアハウス
ば賃貸契約はできますと言われ、ますます以前のケースワーカーへの
腹立たしさが蘇りましたが、不動産屋巡りの日々が始まりました。
下見せずに決めた物件です。若干期待しすぎていたのでしょうか。
ただ、そこでも私を阻むモノはありました。持病のうつ病です。
風呂釜がなく、やたら弱いシャワー。ただ、部屋は狭いとはいえネカ
「生活保護の転居指導ということなんですけど大丈夫でしょうか?」
フェよりはずっと快適でした。3DKの団地のひと部屋をふたつずつ
「うつ病だそうです。……ダメですか。
」
にベニヤ板で仕切って六人が住めるような形に改造してありました。
「お役に立てず申し訳ございません。」
それでも私は入院という選択肢を取らずに済んだことに安心して、そ
何度この言葉を聞いたことでしょうか。もちろん、死なれては困る
の日はすぐに眠りました。
からだろうということはわかります。わかりますが、また私を絶望へ
翌日、当然ケースワーカーから電話がありました。入院する約束を
といざなっていく、そんな言葉でした。とある水曜日、水曜日は不動
しましたよね、と。バカ正直に「逃げた」と答えても良かったのです
産屋が休みなことが多いということを忘れていた私は不動産屋の多い
が、以前からそのケースワーカーの態度が気に入らなかったことも
駅で本日休業の不動産屋をひたすら巡っていました。もう今日は諦
あり、預けている荷物を友人宅に送ってほしい、実家に帰ることにし
めよう、そう思った瞬間に大手不動産チェーン店が目に入りました。
た、などと取るに足らない嘘を吐いて荷物を送ってもらいました。
中に入って事情を全て話すと、ちょうどいい物件がひとつある、今
もらった保護費の最終日、その自治体で何もかも正直に話し、生活
から見に行かないかと言われました。断る理由が見当たるわけもな
保護の相談をしました。翌日、生活保護の申請をしました。ただ——
く、当然すぐに見に行きました。屋根裏がロフトになっている実質2
ひとつだけ、生活保護の申請をするにあたって、不審な点を感じてい
Kの部屋でした。ガスコンロが設置されているということもあり、ガ
ました。
スコンロを買うために見積を取って申請してお金をもらってという
家賃と光熱費で五万円以上するのです。西成の安宿よりも狭いし
手間が省けると思い、即決しました。
個室と言えるような個室でもない部屋で。そして、申請するときに謎
担当してくれた方が、
「水曜日の契約は、水曜日が水を表すから流
が解けました。「このお家賃だとうちの自治体の上限を超えてるから
れやすいから不動産屋は水曜日が休みのところが多い」などと言って
出せないの。今までも頑張ってきたのに困ったわね」。新しい自治体
若干不安にさせてくれましたが、「保障会社から電話がかかってきた
でのケースワーカーさんはとても優しい女の人でした。おそらく私
らうつ病のことは言わないでください、無職の期間が長くなりすぎて
より年下で、こう言っては何ですが公務員という安定した職業に就い
生活保護を受けていると言えば通ります。安心してください。」とも
ているのに、本当に私のことを心配してくれていると感じられる方で
言ってくれました。
した。
その日が水曜日だったのが運命の分岐点だったのでしょう、あっさ
とはいえ、住めないのでは困るので、ちょっと管理人さんに電話し
りと契約成立、役所からお金が出るのを待つだけの日々を一箇月近く
てみますと答え、電話で訊いてみたところ、上限を千円勘違いして書
過ごしました。不快なシェアハウスですら快眠できるほどに安心し
類を作ってしまっていた、家賃は書き間違えだと答えてくれと言われ
きった日々を送ることになりました。
ました。
ケースワーカーといい不動産屋の担当者といい、私はかなり恵まれ
——確かに、うまくやるな、慣れているんだな——そう感じなが
ていたと思います。本当に自殺を考えるような状況下からここまで
らそのままケースワーカーに話しました、ケースワーカーは不思議そ
戻れたのですから——。
うな感じで「じゃあ新しく書類を作り直してもらってくださいね。受
理はできます。安心してください。もう逃げたりしなくても大丈夫で
19 ようやく落ち着いて
すから。それから、役所に出し損ねた精神障害者手帳の申請もしちゃ
いましょうね。でも、リハビリ施設なのにそんなに短期間で追い出さ
れるなんてイヤねぇ。そのせいでまだ精神障害者手帳の申請ができ
転居の費用も出て、オーブンレンジや炊飯器も無事購入する運びに
てないんでしょう?」普段ならこれだけごちゃごちゃ言われたら鬱陶
なりましたが、まだふたつ問題がありました。洗濯機はケースワー
しいと感じるような饒舌なケースワーカーの言葉を、友人からの応援
カー曰く「時代遅れな話なんだけど、手洗いできるから必要ないで
のように聞いていました。
しょってことになってるの。食べ物に関するモノだけなの」。
シェアハウスでの生活ははっきり言って苦痛でした。隣からいび
シェアハウスに居た間は家具があったので困りませんでしたが、冷
きが聞こえる、リビングから電話の声が聞こえる、——ネカフェの方
蔵庫と洗濯機がどうしようもない状態でした。食べ物に関するモノ、
が快適なんじゃないかとネカフェで過ごした日もあったほどです。
と言っても上限金額があるうえに見積を二箇所出してもらってから
引っ越したい——当然そう考えました。とはいえ、生活保護の申
になるのです。リサイクルショップのメモ書き程度でもいいとは言
請中、引っ越しなどできるわけもなく、またネカフェ難民に戻るわけ
われたものの、せっかくコンロの付いた物件を見付けたのに冷蔵庫が
にもいかず、生活保護の申請が通ってひとまずは借りたお金を返した
ないのではどうしようもありません。
りできるようになったとはいえ、頭の中は「引っ越したい」でいっぱ
オークションぐらいしか思い付きませんでした。即決五千円程度
いでした。※本来は保護費を借金の返済に充ててはいけません
の冷蔵庫と洗濯機を探して見付けて買いました。洗濯機は思いっき
5
り水漏れしてくれて自力修理が必要になるというおまけが付いてき
ましたがまぁ今までのことに較べれば可愛いもんです。ノークレー
22 おまけ:その後の生活
ムノーリターンって、便利な言葉ですね。さすがにクレーム入れまし
たけど。
初稿をいくつかの出版社に持ち込んでみたところ、悪くない返事が
それと並行してリサイクルショップ巡りをしたりオークションを
来たのは二箇所。一箇所は、企画としては是非やりたいが営業が内容
見たり、と苦労して家財道具(というほど立派なモノでもありません
的に売り出せないと言っている、という返事。もう一箇所は、出版し
が)を揃えて、ようやく人並みの、本当にごくごく人並みの生活を送
たいので会議に出してみますと一旦連絡が来てから二週間ほど経っ
れるようになりました。
て、似たような返事。せっかく書いたのに勿体ないな、などと考えて
夜眠って朝起きることが困難、という以外は特に問題もなく生活で
いたところで暗黒通信団の戦闘員になったことを機にちょっと話を
きるようになりました。服薬量はもちろん想像に難くない程度には、
振ってみたら、こういう形で世に出ることになりました。
ですが。
現在の住居に引っ越してきて一年三箇月(九月現在)。専業主婦
こうして落ち着いた日々を取り戻して、もう生活保護に頼らなくて
だった頃、2人3食の食費が月二万円を超えたことが一度もない程度
も済むようになりたいな——と考えるようになりました。服薬さえ
の実力をもってすれば毎月こっそりタンス預金は貯まって行きます。
していれば夜眠って朝起きられて、通院の他には特にすることもない
恐らくわりと優雅な生活をしています。気分的にはダンナが単身赴任
生活に飽きてきたのかもしれません。
の専業主婦のような感じですね。ちなみに銀行口座にお金が入って
いると、ケースワーカーから「預金してある分も遣ってくださいね」
と言われます。受給世帯を減らしたいなら預金くらいは認めてくれ
20 仕事をしたいのに
てもよさそうなものなのに。
今年の八月からお役所曰く「デフレが原因」で保護費の減額が始ま
そんなこんなで職探し——をしようとしたものの、正社員になる
りましたが、消費税アップのことはどう考えているのやら。正直なと
気が全くないフリーランスを十年以上続けてきた私にケースワーカー
ころ、生活保護だとわかってもいいから消費税が免除されるカードか
は正規雇用しか勧めて来ません。もちろんまた生活保護に戻られて
何かが欲しいです。医者にかかるとき・調剤薬局で薬を貰うとき、ど
は困るという思いもあるのでしょうが、こちらとしてもフリーランス
う見ても保険証じゃない紙切れを出してお会計ゼロというのが最初
としてやっていく以外に道はないのです。夜眠って朝起きることが
は苦痛でしたが慣れましたし。というか、そういう部分は開き直らな
困難、つまり正社員になれたところですぐに解雇になるのが目に見え
いと生活保護なんか受けられません。
ています。フリーランスとしてやっていくなら勤怠が悪くて解雇に
後ろめたいとか恥ずかしいとか、そんなくだらない理由で保護の相
なったところで次をすぐ探せるので、私はそちらの方がいいと思うの
談にも行っていないようなひとは、これを読んだらすぐにでも役所に
ですが、どうしても聞き入れてくれません。
行ってください。生活保護を受給することは恥ずかしくありません。
主治医に相談したら「働かなくてもお金貰えるんだからいいじゃな
友人に受給者が居ましたが、精神科入院を経て実家に帰り家業を継い
いの∼」なんて暢気なことしか言われず、働こうにも働けません。多
で社会復帰しています。生活保護はだらだら暮らす手段ではありま
少のアルバイトぐらいはしようかなとも思うのですが、保護費を下回
せん。立ち直るための休憩所です。私自身も、父親の床屋を継ぐつも
る収入の場合は保護費が減るだけで何の特にもなりませんし、保護費
りで理容師免許取得のための費用を貯めているところです。目標金
を上回ってしまうと保護を打ち切られてまた医療費貧乏に逆戻りの可
額には程遠くて嫌気がさしますが——。
能性すらあります。もちろん社会復帰のためのリハビリという意味
最近は、夜眠れない・朝起きられない日が多く、今月は五日が受給
ではアルバイトでもすべきだとは思うのですが、主治医もケースワー
日で市役所に行かないといけないのに五日六日と体調不良で行けず、
カーも療養しろの一点張り。一体何を療養するのか。十五年間服薬
家賃だけは不動産屋と交渉して家まで取りに来てもらいタンス預金
し続けていても快復しないのに仕事もないやることもない、朝から晩
から支払い、月曜日こそは起きるぞ動くぞと自分に言い聞かせながら
までぼーっとパソコンでネットを眺めて、たまにタブレットでゲーム
これを書いています。ここ数箇月、この状態があまりに続くようなら
をして過ごすだけのくだらない日々。
入院も考えた方がいいかもしれない程度に何もできていない状態で
私はこの状況を受け入れていいのでしょうか?ケースワーカーや主
す——。——そして月曜日はバニッシュして火曜日に役所に行きま
治医の言うことを突っぱねて働くべきなのでしょうか?それとも、生
した。何をやっているんだ自分は。九月九日なんてスロ屋狙い目だっ
活保護を打ち切ってもらって遠く離れた故郷へ帰るべきでしょうか?
たのに!
現在の住居に引っ越してきてからずっと考えていますが、答えは出
いつかすっぱり生活保護を切ってもらえる日が来るよう、努力だけ
ません。もしこれが書籍化されてベストセラーになって生活保護か
はし続けたい。そんな毎日です。
ら抜け出すことができればな、と願いながら、誰の目にも触れないか
もしれない文章をただつらつらと書き連ねています——。
皆が知らない本当の生活保護
21 終わりに
2013 年 11 月 20 日 第一版
2015 年 8 月 12 日 PDF 版公開
著 者 十六夜 栞(いざよいしおり)
発行者 星野 香奈 (ほしのかな)
発行所 同人集合 暗黒通信団 (http://www.mikaka.org/~kana/)
〒277-8691 千葉県柏局私書箱 54 号 D 係
頒 価 0 円
あなたはこれを読んでもまだ生活保護そのものを叩く対象にでき
ますか?
一部の不正受給や在日外国人と同じ扱いをしますか?
∑
∞
·`·
もしそうであれば、私がこの文章を書いた意味はなかったのかもし
れません——。
乱丁・落丁は在庫があればお取り替えします。ご指摘ご感想などお待
ちしております。
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⃝Copyright
2013-2015 暗黒通信団
6
Printed in Japan