南三陸防災対策庁舎・震災遺構保存計画に思う はじめに 中野 恒明 早く被災の記憶を忘れたい、通常の生活の戻りた 今回の東北現地視察活動に関東から参加した立 い、被災地イメージが不動産価格の下落に繋がる 場から、また東京湾岸液状化被災地・千葉県浦安 との否定的な市民の声が強く出され、結果として の住人であり被災者の一人の立場から一言寄せさ マンホール遺構保存計画は頓挫してしまった。だ せて頂くこととしたい。 が、宅地の擁壁の傾斜など各所にその痕跡が残さ 震災から 4 年余りの月日が流れ、東京湾岸の地 れ、また意図的にそれを継承するという市民も存 盤液状化被災地の市民生活はほぼ平常時に戻るな 在する。私も敢えてそれに同調する一人で、傾斜 かで、道路等の基盤は復旧事業が未だに続いてい した煉瓦擁壁と水平化した上部の板塀とのギャッ る。多くの沈下現象が発生した戸建住宅地では現 プが、常に被災時の記憶を呼び覚ましてくれてい 在約 4000 戸もの方々が、 官民共同で地盤強化に取 る。これも私の活動の糧となって来た。 り組む宅地と道路を対象とした市街地一体化型液 状化対策事業に取り組み、 調査から施工に移行し、 今回の視察調査で最も印象的であった南三陸町防 これもあと1~2 年で収束する段階にある。とは 災対策庁舎について一言 言えほぼ全戸が被災約 1 か月後には上下水道・ガ 私が三陸沿岸の被災地の復興風景の中に見た震 スの途絶が復旧し、建物は傾斜が残るもどうにか 災遺構で最も印象的であったのは南三陸町防災対 市民生活は回復できたのである。その被災家屋も 策庁舎である。この保存に関しては、様々なイン ほぼ 3 年で被災家屋 8000 戸の全数が水平化および ターネット上の書き込みがある。とりわけ被災関 建替えを終えたとの報告がある。 係者からの直接の書き込みと思われるものには胸 それに比して、東北被災地の状況は未だ地盤嵩 を打たれる。そこには「鎮魂」 「教訓」 「記憶」 「発 上げ工事や高台住宅地の造成工事の途上にあり、 信」などのキーワードが並ぶ。それは保存か解体 その土地上での職場や住居の完成にはまだまだ数 かの間に揺れる関係者の葛藤そのものでもあり、 年を要するような状況、その結果多くの被災者の その経緯がこと細かく記されている。 方々が仮設住宅暮らしを余儀なくされているとい その前置きはさておきとし、 当該建物の 20 年間 う実態、これこそ今回の被災の凄まじさを物語っ の県有化による棚上げ・先送りはほぼ決定し、 「遺 ている。 構」保存のための大きな力となったと見るべきで とは言え、この三陸の地の従前の都市規模そし あろう。問題はその保存の方法とそれの維持修繕 て海の恵みを背景とした市民の暮らしと、復興の にかかる費用の捻出と言ったところであろうか。 イメージ図とのギャップをこの分野の専門家の一 南三陸町防災対策庁舎敷地は川にほど近い場所 人として何かしら割り切れない気持ちになったの にあり、周囲の 10m余りの土盛り嵩上げに合わせ、 は事実である。とりわけ、現地から状況写真をフ 河川堤防が設けられる予定となっている。しかも ェイスブックにて発信させていただいたが、JU 周辺一帯は震災復興祈念公園に指定され、これの DIの面々からも様々な意見を寄せていただいた。 嵩上げ費用の復興資金の手当ての目処が立ってい 多くが大規模土木事業への疑問の声であったこと、 ないと言う。その一方で河川堤防は既定計画で進 これも付記しておくこととしたい。 められる。そうなると庁舎前面にこの建物とほぼ ちなみに、湾岸液状化の最大被災地とされる浦 同じ高さの堤防が築かれ、堤防上からは庁舎を見 安市内においても市民層から浮き上がった下水マ 下ろすこととなる。その堤防位置を庁舎裏にずら ンホールの震災遺構保存の声が上がったものの、 すことも検討され、協議中と言う。 これを聞き、私が町長さんに、 「ならばこの震災 ある旧中島町の敷地・建物の姿をCG上で復元す 復興祈念公園のほぼ全域を現在の地盤高に残し、 るという涙ぐましい活動が行われてきた。これに 堤防はずっと背後の道路側に設けたらどうでしょ つながる発想と言ってもよい。またニューヨーク うか。嵩上げ費用の捻出も不要で、現地盤でも洪 の名所となったハイラインでは永らく放置された 水で冠水はめったに起きないでしょう。 」 を申し上 高架跡に自然に残された野草のイメージ復元がラ げた。はてその結果はどうなるか。 ンドスケープデザインのキーワードとなっている。 言葉足らずであったので、これを追加解説して このようなアイデアも記憶の継承につながるも おきたい。 のとなるであろう。 1)震災遺構は南三陸町防災対策庁舎の建物と震 3)庁舎建物の維持には費用がかかる、ならば遺 災復興祈念公園の双方の関係こそが重要である 構観光の収入がそれを支える仕組みづくり 庁舎を残すことの意味は「この高さまで津波が 当面、庁舎建物は県所有となるが、いずれ保存 来たこと、その自然の力の存在を後世まで伝える が決定すれば町に移管される、その維持管理の費 ことにある」と私は思う。 用をだれが負担するのか、という課題が残る。税 遺構保存に議論の中にはこの建物を周囲の地盤 金でそれを全額支えるのは止めにしたい。となれ の中に埋没させる、と言う提案がある。これはモ ば、震災遺構の保存に要する費用の捻出方法を考 ノの保存にはなるが、自然の力への畏怖の念は伝 えることも重要で、一つのアイデアで被災者の わらない。むしろ現地盤があっての、建物高さで 方々には不遜と言われるかも知れないが、全国か あり津波の驚異的な高さの再認識なのである。 らこの保存された震災遺構を見学に訪れる方々か その意味では、周囲の低い地盤があっての庁舎 ら、如何ばかりの寄付または負担をお願いする。 保存の価値がある。ならば公園全体を低地として この最も簡易な手法が、観光バスやマイカーな 残すことの方が重要なのではないだろうか。講演 どの駐車場からの料金収入徴収である。その際、 は一見水没するように見えるが、前述のように、 町民の方々にはICカードをかざせば無料で利用 既成市街地の水害履歴は津波以外にはあまりない できるシステムも導入することも考えられる。 と聞き及ぶ。 この震災遺構こそ、今後襲来が予想されている 公園および公共施設用地と河川用地の一体化の 南海・東南海・関東も含めた全国の津波危険地帯 例では、松江宍道湖袖師護岸・岸公園(2003 年土 の方々への教訓となるに違いない。その点では南 木学会デザイン賞受賞、私が設計関与) 、津和野川 三陸の町民のための遺構ではなく、地震列島日本 河川景観整備(2002 年土木学会デザイン賞受賞) 全体の遺構としての意味がある。 などがある。土木学会HPをご参照されたい。 海は自然の恵みを与えてくれる母なる存在では 2)震災復興祈念公園の地面の一部にまちの記憶 あるが、地球の有する大陸の移動に伴うひずみが を留める鎮魂の場所をつくる 地震エネルギーとなり、われわれの社会に多大な 現地盤を温存するならば、庁舎建物周囲の津波 る被害をもたらして来た。その自然の摂理の畏怖 で流された建物の基礎や敷地の記憶を留める方策 の念の再認識のために、これら震災遺構は継承さ を考え、被災の記憶を後世に伝えることも重要で れ続けていくべきものである。それを維持してい はないだろうか。建物基礎が残されていれば、こ く経済原理も構築されるべきと思う。 れを保存することも考えられるし、周囲の野草と の共存する姿も震災後の自然に成立した風景と言 以上、雑駁ではありますが、関東からの参加者 としての提言とさせていただきます。 っても良い。また舗装面となる場合は、基礎の立 ち上がり部分をカットし平らに均すのもありうる (なかのつねあき・関東ブロック/芝浦工業大学 と思う。 教授・(株)アプル総合計画事務所主宰) 例えでは、原爆の被災地・広島では平和公園の
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