はじめに 既卒生激励会(駿台予備学校)について この時期の過ごし方

平成 27 年 11 月 9 日
進 路 指 導 部
はじめに
秋が深まっています。
平安時代を代表する歌人で、
「伊勢物語」の主人公のモデルとされた在原業平の歌に、
「千早ぶる 神代もきか
ず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」があります。
この歌の意味は、
「神秘的なことが多かったという神代のころにも、こんなに不思議なできごとがあったと聞い
たことがない。龍田川に紅葉が美しく舞い散って、流れる水を色あざやかにしぼり染めにするなどということは。
」
です。
この歌は「屏風歌」と言われ、屏風に描かれた絵に合わせて、その脇に和歌を付けたものです。古今集の詞書
には「二条(にでう)の后(きさい)の春宮(とうぐう)の御息所(みやすどころ)と申しける時に、御屏風(み
びゃうぶ)に龍田川に紅葉流れたる形(かた)を描きけるを」とあります。
二条の后とは、藤原長良(ながら)の娘の高子(たかいこ)のことで、清和天皇の女御(天皇の側室)でした。
その二条の后が、春宮(皇太子)の御息所(皇子を生んだ女御)だった頃、后の屏風に竜田川に紅葉が流れてい
る絵が描かれているのを、作者の在原業平が見て、付けた歌だということです。当時、業平は天皇の女御・二条
の后とも実は恋愛関係にありましたが、この歌には業平の二条の后に対する深い思いが隠されているといわれて
います。
さて、川一杯に紅葉が広がっている光景とはどのようなものでしょうか。一度見てみたいものです。
既卒生激励会(駿台予備学校)について
先日、駿台予備学校で既卒生激励会を行いました。
今回の激励会には、本校から3名の教員に加えて、66回
生の学年主任を務められた金村先生(現在:広島市立工業高
校)が参加しました。
各先生方から、受験に対する心構えやこの時期の健康管理
などについて話していただきました。
既卒生たちは生活習慣を大切にしながら、受験勉強に取り
組んでいるようでした。尐なからず不安はあるかと思います
が、乗り切って欲しいと願っています。
この時期の過ごし方について(3年生)
成績の潜伏期間はだいたい6カ月ぐらいと言われています。本気で勉強を始めても、成績は勉強にかけた時間
通りになだらかに上がっていくわけではありません。これまでの努力が模試の成績として表れるのは、これから
です。この先もしばらく我慢比べが続きます。
この時期、模擬試験が続いており、疲れも溜まりやすく、スランプに陥る生徒も出てきます。しかし、受験生
の不安は勉強でしか解消できません。いろいろな誘惑に打ち勝って、せっかくここまで頑張ってきたのです。あ
と尐しの辛抱です。これまで続けてきた学校の授業を中心とした取組を最後まで崩すことのないよう、ご家庭で
もご指導をお願いいたします。
「早稲田大学先進理工学部 出前講義」について
日
場
講
内
時
所
師
容
:
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平成27年11月20日(金) 15:45~17:15(90分)
視聴覚教室
早稲田大学 先進理工学部 応用物理学科 教授 森島繁生 先生
テクノロジー系研究部門
・ 人物表情の分析・合成 ・ 感情モデルの構成 ・ 人物動作計測及びアーカイビング
・ 音声の分析・合成とマルチメディアインタフェース
申込方法 : 進路指導室前に用意された申込用紙に必要事項を記入し、提出ボックスに投函(先着90名まで)
「医学部医学科志望者集会(2年生)
」について
以下のとおり、
「医学部医学科志望者集会(第2学年)
」を行います。
日
時 : 平成27年11月24日(火) 16:45~
場
所 : 本校視聴覚教室
内
容 : 医学部医学科合格に向けての情報提供・目標設定、医学部合格に向けて書籍の配付
申込方法 : 後日、申込方法について周知します
新聞記事から
11月1日(日)の毎日新聞朝刊の記事に、京都大学長の 山極寿一 先生の「あらしのよるに」と題したコ
ラムが掲載されていました。現在の社会や人間関係に対して示唆を含んだ内容でした。
「敵」を作り出す人間
この秋、京都の南座で「あらしのよるに」という新作歌舞伎を見た。中村獅童がオオカミのガブを、尾上松也が
ヤギのメイを演じる。獅童のだみ声と松也のすっとんきょんな声音がオオカミとヤギにぴったりで、見事なはまり
役である。
ある嵐の晩に、小屋に逃げこんだガブとメイが、暗闇の中でお互いの正体がわからないままに話をしながら仲の
いい友達になる。翌日の昼に再会を約束して、顔を見合わせてみたら食う、食われるの関係にあるオオカミとヤギ
だったというわけだ。二人は互いの動物領域で煩悶する。オオカミにとってヤギはごちそうだし、ヤギにとってオ
オカミは天敵だ。それぞれが仲間に説き伏せられて心が折れそうになる。しかし、最後にそれぞれの歴史的関係よ
りも、あらしのよるに友達になった気持ちを優先して、手を取り合って歩むという物語だ。
たわいもないファンタジーと言うなかれ。ここには意外な真実と可能性が描かれている。ヤギはオオカミに食べ
られるものという常識はいったいだれが決めたのだろうか。オオカミはヤギを食べなければ本当に生きていけない
のか。ヤギにとってオオカミは永遠に天敵なのだろうか。
実は、こうした一見常識に見える絶対的敵対関係を、人間は勝手に解消してきたのである。私が長らく研究して
きたゴリラはその人間の身勝手な常識に翻弄されてきた。19世紀の半ばにアフリカで欧米人により「発見」され
て以来、ゴリラは凶暴なジャングルの巨人として有名になった。人間を襲い、女性をさらっていくという話を真に
受けて、多くのゴリラが殺された。逆に、中央アフリカの低地ではゴリラは肉資源として昔から狩猟の対象とされ
ている。人間はゴリラにとってオオカミのような存在なのだ。しかし、ゴリラの平和な暮らしが明らかになると、
その見方は一転し、今度は人間の大切な隣人として観光の目玉になった。低地でもゴリラはもはや食料とは見なさ
れなくなりつつある。
人間どうしの関係でも同じことが言える。江戸時代には、日本人にとって白人たちは人間を食う鬼と見られてい
た。第二次大戦中、鬼畜米英と呼んで抱いた恐れと憎しみはいったい何だったのか。今だって、テロ集団やテロ国
家は抹殺せねばならない存在とされている。彼らと平和に共存することは本当にできないのだろうか。
昔から寓話やファンタジーは、動物の姿を借りて人間社会の機微を描き出し、私たちが見習うべき教訓を語りか
けてきた。
「あらしのよる」から私たちは何を学ぶのか。それは一見とても変更しようのない関係も、気持ちの持
ち方で変えられるということだ。知能の高い人間だけに可能な話ではない。野生のチンパンジーも時折肉食する。
タンザニアのマハレで50年も研究を続けている日本人研究者によれば、近年獲物の種類が変わってきたそうだ。
昔はイノシシやカモシカの仲間を食べていたのに、今はほとんどサルしか食べない。これはチンパンジーの狩猟イ
メージが変わったためだという。
アフリカでは、人間を襲うライオンもいるが、人間に敬意を示して距離を置くライオンもいる。それは、ライオ
ンと人間双方が長い時間をかけて友好的な関係を築いてきたからだ。私はゴリラが人間の食料にされていた地域
で、武器も餌も使わずにゴリラと仲良くなろうと努力してきた。最初ゴリラたちは私たちを見るなり逃げ去り、追
うと恐ろしい声をあげて攻撃してきた。突進を受けて、私も頭と足に傷を負った。しかし、敵意のないことを辛抱
強く示し続ければ、ゴリラは態度を変えて人間を受け入れてくれる。10年かかったが、やっとゴリラと私たちは
落ち着いて向かい合えるようになった。
このように友好的な関係になったのは、この地域ではたった一つの群れだけである。他の数万のゴリラたちはま
だ人間に強い恐怖と敵意を抱いている。しかし、それがいつか変わる日が来ると私は確信している。それは人間社
会にも言えることではないだろうか。ぜひ「あらしのよる」を体験してほしいと思う。
終わりに
朝夕はかなり冷え込む日となりましたが、日中はシャツだけで過ごせるような時もあります。体調を崩して学
校を休むことがないよう家庭におきましてもご留意ください。
(文責:進路指導部 池本 邦彦)