展望台 福本 出 〜新たな展望台に立って〜 官から民へ 本年10月、自衛隊記念日行事観艦式が行わ れ、付帯行事では、“ フリート・ウィーク ” と銘 打ったさまざまなイベントが行われました。艦 艇をモチーフにした萌キャラアニメのテーマソ ングを歌うタレントが音楽隊とコラボするな ど、自衛隊イベントは近年大幅に垢抜けし、誰 もが親しみをもって参加できる行事になってき ました。また私にとっては初めて “ 私服 ” で見 た自衛隊記念日行事となりました。 横浜大桟橋に堂々の姿を披露した新鋭艦「い ずも」の巨艦を遠景に、ウォーターフロントを 楽しむ市民の姿との対比は、かつて民間港入港 時には、時に林立する赤旗とシュプレヒコール に迎えられた過去を知る世代には、まるで異国 の海軍を見ているような錯覚すらおぼえたとこ ろです。 “ フリート・ウィーク ” は、戦後70年を経て、 自衛隊を見る国民の視線が、不信、うすら怖さ、 敬遠から、信頼、安心、期待へと変化したこと を実感できたイベントでもありました。冷戦 中、対象国であったソ連の脅威を肌で感じる国 民はいなかったでしょう。しかし今の時代、わ が国と周辺国との間に存在する安全保障上の懸 念は、一般市民と共有されています。 さて私事にわたり恐縮ですが、私は昨年8月 に海上自衛隊幹部学校長の職を最後にリタイア しました。官から民へ、180度違う場所に位置す 2 防衛技術ジャーナル December 2015 る “ 展望台 ” から自衛隊を見る立場に移り、今 調達に関わる各幕や関係部隊・機関となるの までとは違うように見える、あるいは見えな は、当然と言えば当然のことでしょう。しかし かったものが見えることに気づきました。見慣 装備品を駆使して国の守りにつき、自らの命を れた風景が、角度を変えるとここまで異なるも 装備品に託すユーザーたる現場部隊の声を直に のかと驚くばかりです。防衛大入校から数えれ 聞く努力を怠ってはなりません。 ば39年余の自衛隊人生を振り返ると、あるとき また新しい装備品は、防衛白書がそういう項 は船乗り、あるときは教壇に立つ先生、あると 立てであるように、まずわが国を巡る安全保障 きは外交官などなど、さながら転職を繰り返し 環境の分析から始まり、国家安全保障戦略を受 てきたと言っても過言ではありません。その意 け、それらに呼応する防衛政策が策定され、備 味で、今回の転職もさほどのことを予期してい えるべき将来作戦の遂行に必要な装備品が決ま なかったというのが正直なところです。しかし り、計画的に調達されていくわけです。情勢の それは大いなる誤認識でした。 基本認識を共有した上で、官と民、ユーザーと そのひとつが、官と民との距離感です。 技術者の意見交換が行われる必要があります。 いわゆる自衛隊のラインオフィサーが企業の 防衛省自衛隊と、それを縁の下から支える防 方々と接する機会はそれほど多くないでしょ 衛産業が立つ “ 展望台 ” が異なり、違う角度か う。艦艇畑を歩んだ私の場合、艦艇が定期的な ら日本の将来を眺めることが当然だとしても、 検査等でドック入りした時、あるいは故障修理 違う方向を見ていたために意見が一致しないと 時等ぐらいのものでした。現場部隊から見る いう事態があってはなりません。 “ 業者 ” は、部隊をよく理解し、共に歩んでくれ 防衛装備庁新編は、防衛省内局、各幕、装備 る頼もしいパートナーという認識でした。機会 施設本部、技術研究本部等がそれぞれに担当 は多くなかったけれど、決して遠い存在ではな し、ともすればストーブパイプ化の嫌いがあっ かったのです。 た、装備品の研究開発から調達、用途廃止に至 しかし今、企業の側に立って感じる現場部隊 る一連の流れが集約・統合され、一元管理され との距離感は、自衛隊側にいた時よりずっと遠 るという画期的な組織改変です。なかでも「プ く感じることに驚きを禁じえません。これは言 ロジェクト管理」方式導入により、これまで以 うまでもなく、企業と自衛隊がもつべき節度と 上に現場部隊の声が届きやすくなることも期待 しての距離を指しているのではありません。 されます。 陸海軍工廠が存在しなくなった現在、日本の 防衛省自衛隊と共に歩む防衛産業が、現場自 防衛産業は自衛隊の作戦運用や装備品の研究開 衛官の声に耳を傾けることを忘れず、各幕およ 発を支えてくれる頼もしいパートナーに相違あ び新たな主正面となる防衛装備庁とさらに連携 りません。たとえば戦後初めて自衛隊が海外で を深め、“ 民 ” であることの特質をフルに発揮 実任務を担うこととなったペルシャ湾岸におけ し、わが国の平和と安全保障により一層貢献で る1991年の掃海作業における、稼働率100%と きることを願ってやみません。 いう他国海軍艦艇にはありえない驚異的な数字 は、まさに日本の技術力と現場部隊との連携の 証でした。これは国産装備品の質の高さと同時 に、港で待機し、突貫作業で翌夜明けには掃海 (株式会社石川製作所 東京研究所長 元海将・元海上自衛隊幹部学校長) 艇を送り出してくれた、部隊と共にある企業の 技術者がいたればこその結果でした。 防衛産業の営業や技術者が接する機会が多い のは、第一線部隊よりむしろ、研究開発や契約 3
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