日本大学英文学会通信101号

2014
月
第年
1016 号
英文学会通信
英 文 学 会 通 信
第101号
─ 日本大学英文学会─
発行:日本大学英文学会
〒 156-8550 東京都世田谷区桜上水 3-25-40
日本大学文理学部英文学研究室内
Tel.:
(03)5317-9709(直通)
Fax:
(03)5317-9336
E-mail:[email protected]
目 次
《ご挨拶》
会長挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学英文学会会長 深沢 俊雄
2
英文学科主任挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本大学文理学部英文学科主任 塚本 聡
2
定年退職に寄せて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部講師 當麻一太郎
3
《追悼文》
不肖の弟子です ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元東京都市大学教授 遠藤 幸子
4
中島先生の思い出 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部講師 桑山 啓子
4
中島邦男先生を偲ぶ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学通信教育部教授 真野 一雄
5
福島基裕先生を追悼して ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元日本大学国際関係学部教授 髙橋 公雄
6
《エッセイ》
この喜びを忘れずに ・・・・・・・・・・・ 日本大学豊山女子高等学校・中学校講師(専任扱)
川鍋 理奈
7
就職活動について、就職にあたっての抱負
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科 2014 年度卒業生 宮津 風香
8
《海外留学体験記》
有意義な時間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科 3 年 橋本 栞奈
8
《新刊書案内》
『国際文化学への第一歩』、『移動する英米文学』、『ソール・ベローと「階級」
』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 静岡文化芸術大学教授 鈴木 元子
9
『越境する英米文学 ―人種・階級・家族 ―』 ・・・・・・・・・・・・ 松山大学法学部准教授 新井 英夫
10
《訃報》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
《月例会関連》
月例会報告・予定、その他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
《事務局・研究室だより》
退任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元日本大学文理学部助手 B 佐藤 瑛奈
12
ご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部准教授 隅田 朗彦
13
着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部助手 B 髙橋 友加
14
2013 年度・2014 年度行事、その他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14
─ ─
1
2014 年 6 月
日本大学英文学会
英文学科主任挨拶
《ご挨拶》
日本大学文理学部英文学科主任 塚本 聡
会長挨拶
日本大学英文学会会長 深沢 俊雄
ことのほか厳しかった冬の寒さから解放され、 3 月
25 日に卒業生を送り出して間もなく新年度を迎えた 4
月 8 日の入学式は好天に恵まれ、桜の花もちょうど満
開の入学式日和となりました。新入生のみなさまは将
来の希望と期待に胸を膨らませて桜門をくぐられたこ
とと思います。
ところで、文理学部の英文学科で長年にわたり教鞭
をとられ、英文学科の発展と後進の指導にご尽力くだ
さった日本大学名誉教授の中島邦男先生が 2 月 5 日に
ご逝去されました。享年 89 歳でした。心よりお悔み
申し上げ哀悼の意をささげます。
新入生のみなさまは、ここ 2 週間ほどカリキュラム
の履修方法等であれとこれと向学心に燃えて授業のご
準備をされておられることと存じます。将来ご自分の
進む道にふさわしいカリキュラムの履修選択をして、
4 年後の夢を叶えられるよう精進してください。
2 年生以上の在学生のみなさまは、これからご自分
が進む道をしっかり見据えて TOEIC, TOEFL, 論文
テーマの選定と論文研究、就職活動、教員採用試験、
公務員採用試験、資格検定試験等々の準備に余念がな
いことと存じます。どうぞ、大学入学以来学業を積み
重ねてきた自己研鑽をもとに十分実力を発揮して、ご
自分が選んだ道を邁進していただきたいと思います。
日本大学英文学会では夏休みと春休みを除いて、毎
月 1 回月例会で研究発表やシンポジューム、外部の著
名講師をお招きして特別講演会等を行っております。
12 月第 1 週の土曜日には年次大会を開催して、研究
会員の先生方や院生のみなさまが充実した盛り沢山の
研究発表ならびに総会と懇親会を行っております。ぜ
ひ、在学生会員のみなさまもご参加ください。みなさ
まのご参加を心よりお待ちしております。
新年度に時を合わせるように桜が開花し、すがすが
しい年度初めとなりましたが、 2 月には関東地方に数
十年ぶりの大雪があり、入学試験の時期と運悪く重な
り、対応に追われる年度末となりました。試験日当
日、大きな交通障害が発生し、いくつかの大学でも行
われましたが、本学でも追加で入学試験を実施し、入
学者を迎えました。そのような異例な年度末の 3 月に
は、平成 25 年度の卒業生 136 名、大学院文学研究科
英文学専攻博士前期課程修了者 9 名、同後期課程満期
退学者 1 名が本学から社会へ巣立っていきました。入
れ替わりに平成 26 年度の新入生 152 名、大学院前期
課程 5 名、後期課程 3 名を迎えました。
昨年度は、長年本学に勤務され研究・教育に尽力さ
れた當麻一太郎先生が 7 月に定年退職されました。そ
の後引き続き、非常勤講師として授業を継続し教学の
任を担ってもらっています。その後任として、英語教
育を専門領域として研究されている隅田朗彦先生が准
教授として着任し、外国語教育の充実を目指します。
これは文理学部に数年前に設置された外国語教育セン
ター(FLEC)の充実を図り、文理学部全体の英語教
育の強化に努める施作の一つとなります。そのほかの
教員に変更なく、引き続き研究・教育にあたります。
学科事務室では、 6 年間英文学科助手 B として勤務の
佐藤瑛奈さんは任期終了に伴い退職し、後任に今春本
学卒業の髙橋友加さんが 4 月より勤務を開始しまし
た。1 年生の副担任、および図書担当として勤務にあ
たります。
文理学部で数年後に行われるカリキュラム改訂にあ
わせ、英文学科でも時代に即した魅力的な学科となる
よう、カリキュラム改訂を予定しています。ここしば
らくは、
「ゆとり教育」といわれる教育指導要領に
従った教育を受けた学生が入学してきましたが、 2 年
後には改訂された新指導要領の学習を経た人たちが入
学者の中心となります。「ゆとり教育」の結果、学力
低下をまねいたとの批判があります。とすると、新指
導要領による学習をした世代は、以前の学力に回復し
ていると期待でき、学力のより高い学生が入学するこ
とを期待します。実際、 3 年ごとに 15 歳を対象にし
た調査に学習到達度調査(PISA)というものがありま
すが、その調査によると、 6 年前、および 3 年前より
も「数学的リテラシー」
「読解力」
「科学的リテラシー」
が向上しているとの結果が出ています。
学力回復が期待できる一方で、 2018 年以降は 18 歳
人口の急激な減少が起こります。平成 24 年 10 月時点
の 18 歳人口は 123 万人、その 5 年後(29 年時点)には
117 万人、その 5 年後(34 年)には 109 万人と急速に
減少します(総務省統計局平成 24 年 10 月 1 日現在の
─ ─
2
英文学会通信
資料による)
。このような変化に対応するカリキュラ
ムを模索している最中です。中学、高等学校など教育
の現場にいる方から、どのような改善が可能かのご意
見を頂けたら幸いです。
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定年退職に寄せて
日本大学文理学部講師 當麻 一太郎
日本大学文理学部勤務を命じられてから定年退職の
日まで長きに亘って大勢の方々にお世話になりまし
た。先輩の先生方、同僚の先生方、助教の先生、助手
A・B の皆様、事務職員の皆様に感謝申しあげます。
また、 2013 年度学術研究発表会であったにも拘わ
らず、最終講義の時間を与えてくださった当時の吉良
会長はじめ常任委員会委員および運営委員会委員の先
生方に感謝申しあげます。加えて司会をしてくださっ
た高橋先生、出席してくださった会員の皆様および大
学院生と学部生の皆様にも感謝申しあげます。
私は、頻繁に質問を受けるほど、アメリカではなく
てイギリスへよく行きました。その理由は、領事とし
てイギリスに滞在したホーソーンの伝記的側面を調べ
たかったからでした。
「ジョンソン博士によせるホー
ソーンの思いをめぐって」と題して最終講義をさせて
頂きましたが、イギリスでの調査・資料収集をしてい
る間、ホーソーンが滞在していたヴィクトリア朝時代
にワープした気分になり、ホーソーンと共に旅をして
いるという心地よい錯覚に襲われたものでした。
「1859 年 7 月 1 日 10 時か 11 時、 London Bridge 駅か
ら Bennoch と Fields と共に Lewes という町へ行き、城
と修道院の廃墟などを見学し、昼食を食べた。その
後、 Brighton の町に住んでいる Francis G. Moon 卿の
晩餐会に招かれ、その場で演説をした」とホーソーン
は日記帳に綴りました。記したのはこれだけです。
Centenary Edition の注にしても、ホーソーンは年一回
7 月の最初の土曜日に行われる Noviomagian Club の旅
行に招かれ、Lewes に向かったということ、このクラ
ブに関しては、 S. C. Hall の Retrospect of a Long Life を
参照のこと、Moon 卿とは 1844 年にロンドン市長を務
めたことのある人物で、そのクラブの会長をしてい
た、という程度の情報しか示していなかったのです。
Lewes という町へ行き、ホーソーンが「見た、触れ
た、感じた」城や修道院などを訪れるだけでも楽し
かったのですが、その前に、大英図書館の新聞部では
当時の地方紙や The Wellcome Institute of Medicine で
は年に一回だけ行われたイベントの手書きニューズレ
ターを入手しました。
ホーソーンを招待した一行は、 12 時 20 分に Lewes
第 101 号
駅に到着し、 Sussex 州考古学会の機関誌の編集をし
ていた Mark A. Lower に出迎えられました。大勢の会
員がいる Sussex 州考古学会資料館に案内されて大歓
迎を受けた後、城の天守閣や門などの説明を受けたと
記されています。St. Anne’s House と呼ばれている
Lower の屋敷で昼食会が設けられたのですが、その昼
食会に招かれた学会員の名前やホーソーンと一緒に招
かれた人たちの名前もすべて当時の地方紙には記され
ています。夕方になって、ホーソーンの一行は Brighton
にある Moon 卿の Western House の晩餐会に招待され
たそうです。
私が訪れた時、 Western House はすでに取り壊さ
れ、その敷地は道路になっていましたが、屋敷の写真
が残っていましたので、その旅の一日をホーソーンと
共に謳歌したような気分でした。更に、当時の地方紙
により知ることになった大勢の人びととホーソーンと
の関係や出来事を調べていく内に、幾つかの面白いエ
ピソードにも行き当りました。そのひとつですが、
ホーソーンと共に旅をした Fields はこんな事を書いて
います。
All the way down in the train Hawthorne was
rejoicing that this was to be a dinner without
speech-making; “for,” said he, “nothing would tempt
me to go if toasts and such confounded devi1try
were to be the order of the day.” So we rattled along,
without a fear of any impending cloud of oratory.
スピーチは無いと確信してホーソーンは Noviomagian
Club の招待を受けたようでしたが、彼が綴った短い
日記に見られるように、結局はスピーチをする羽目に
陥ってしまったというのです。晩餐会の席でホーソー
ンは動揺することなくスピーチをしたそうです。しか
し、晩餐会におけるホーソーンの様子までは知り得た
のは幸いでしたけれど、彼のスピーチの原稿を入手出
来なかったことは未だに心残りです。
最後になりましたが、イギリスでの調査・資料収集
を許可してくださった大学当局の教職員の方々にもこ
の場を借りて感謝申しあげます。
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3
2014 年 6 月
日本大学英文学会
《追悼文》
不肖の弟子です
元東京都市大学教授 遠藤 幸子
中島先生と初めてお会いしたのは、およそ 35 年前、
通信教育のスクーリングに出席した時でした。科目は
「英語学」の入門とか概論とかだったと思います。
100 人くらい入る教室は満杯でした。先生は入って
こられるなり、
「あー、隣の教室でね、同じ科目を
もっと若くてハンサムな先生がやっているから、そち
らの方がいいよ」などとおっしゃいましたが、出てい
く学生は少なく、私も一番前の席で頑張っていまし
た。先生の授業はとても面白くて、「大学院に行きた
い」という気持ちはこの授業を聴講した結果でしたか
ら、
「若くてハンサム」に釣られなくてよかったと思
います。
テキストは『詳注ブルック英語史』だったと思いま
すが、先生のテキストの読み方は緻密で、単語ひとつ
ひとつの意味や使われ方、ほかの語との関係など細か
く質問なさり、それを「学生をいじめる」と称してお
られましたが、このおかげで英文を読むという力がつ
いたと思います。当時私の持っていた三省堂のコンサ
イスを「380 円の辞書」とお呼びになり(本当はもう
ちょっと高かった)、
「その 380 円の辞書にも出てるで
しょう。引いてごらんなさい」などとよくおっしゃい
ました。
卒論は他の先生(例の若くてハンサムな先生だった
かな?)の指導に割り当てられましたが、ぜひ中島先
生にとお願いして変えていただきました。卒論の指導
もレポートの送付と添削で行われるのですが、何をし
たらいいのか全く分からない私をご自宅へ呼んで下さ
いました。友人と二人で伺った先生の書斎は回り中を
本で囲まれた和室で、
「大学の先生はこんなに本を読
むのか」と驚いたり感心したりしました。先生にテキ
ストや研究の方法、大学院への進学の可能性などの相
談に乗っていただきました。先生がテキストとして示
してくださったのは近代初期の英語で、それまで見た
こ と も な か っ た の で、 全 く ち ん ぷ ん か ん ぷ ん( 死
語?)でしたが、挫折せずなんとか卒論を書くことが
できたのは本当に先生のご指導のおかげでした。
通信教育を卒業して一年後に大学院に入学、それか
ら 5 年間先生からたくさんのことを学ばせていただき
ました。英語、中英語、古英語はもちろんですが、物
事に取り組む際の姿勢というものを学びました。
その 1 は「細かい面倒なことを厭わない」というこ
とです。
先生の研究は膨大なテキストからひとつひとつ単語
を拾っていくことが出発点で、それは面倒で手間暇が
かかるものでした。また、後に自分が教える立場に
なってわかったことですが、教えるということは実に
面倒くさいものです。学生に質問しても誰も答えられ
ないとき、
「こうだ!」と答えを言いたくなります。
でも、それでは学生は考える癖がつきません。「学生
をいじめる」と称してじっくりと答えを引き出すのは
実に忍耐のいる仕事です。先生は徹底してそれをやっ
て下さいました。細かいことをないがしろになさいま
せんでした。
その 2 は「続ける」ことです。
先生は一度決めたこと、始めたことを途中でやめた
り、楽なほうへ軌道修正したりなさいませんでした。
規則正しい生活を変えることなく、ランニングやウ
オーキングもずっと続けておられました。自主講座や
毎年の合宿も先生ほど長く続けられた方はないと思い
ます。続けることは本当に強い意志がなければできる
ことではありません。継続は力です。先生は身をもっ
てそれを示して下さいました。
けれども私は先生から学んだこの二つを「学べども
身につかず」の不肖の弟子のまま、昨年定年を迎えま
した。今頃空の上から先生は「何たるこった。いじめ
足りなかったか」と嘆いておられることでしょう。
「先生、ごめんなさい」
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中島先生の想い出
日本大学文理学部講師 桑山 啓子
2014 年 2 月 6 日。一本の電話がかかってきた。中島
先生の訃報を知らせる電話だった。2013 年の 6 月に
先生と会って話をした方からお元気そうであったと聞
いていたし、 12 月には先生と電話で話をした友人か
らは「お元気そうだった」と聞いていたので、突然の
知らせに茫然としてしまった。 翌 7 日にお通夜に行くと会場の隅に見たことのある
本が並べられてあった。先生の著書と先生が受けられ
た勲章が机の上に展示されていた。その隣にモニター
があって先生の陸軍士官学校時代から今に至るまでの
写真が映し出されていた。それを見て学部時代からの
思い出が走馬灯のように目の前に浮かんできた。
日本大学英文学科に入学した時、 1 年生の科目とし
て一般教養の英語と一緒に専門科目が 2 科目設置され
ていた。
「英文学史」と「英語学」
。
「英語学」とはどの
ような科目か不安に思いながら教室に入っていくと黒
板に何やら数式が書いてある。壇上にいた先生が「学
生証番号を使ってこの数式で自分の席を割り出して着
席するように。
」とおっしゃった。授業が始まると「こ
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4
第 101 号
英文学会通信
の授業では欠席は 3 回まで。4 回続けて無断欠席する
と名簿から抹殺する!遅刻は 3 回で 1 回の欠席に数え
る!」と厳しい言葉が飛んできた。これが中島先生と
の最初の出会いであった。
「英語学」では毎回先生が決めたテーマ(例えば
「woman の複数は何故 women なのか」など)に沿って
英語の歴史を詳しく説明してくれた。それまで現代英
語だけを学んできて、日本語と同じように古い形も古
典的作品もあるということを知らなかった私には驚く
ことばかりであった。しかし当時の私には古英語や中
英語の話は難しく授業について行くのが精一杯。未消
化のまま終えてしまった気がする。
2 年生になり専門科目の中に「英文法」があった。
高校で厚さ 5 センチの文法書を丸暗記させられて、
すっかり「英文法」が大嫌いになっていた私は大学生
になっても「英文法」を学ばなくてはならないのかと
思った。しかも「英語学」と同じ先生。「英語学」も良
く解らなかったのに、また「英文法」で大変な思いを
しなくてはならないのか・・とうんざりしながら授業
を受け始めた。ところが、この授業が私の人生を 180
度変えてしまったのである。
第一回目の授業で一枚のプリントが配られた。英文
を読む時に参考に出来るようにと先生が作られた「品
詞とその働き」を非常に簡潔に表にまとめたもので
あった。あまりにも簡潔にまとめてあり、高校で分厚
い英文法の参考書を丸暗記したのは何だったのだろう
と大変驚いたのを記憶している。授業では英文の中の
単語を一つ一つ、品詞とその働きを確認していった。
古谷メソッドを基盤に、主に Jespersen の理論を取り
入れ、単語が品詞によってどのような働きをするの
か、その働きによって語句や文を作っているのだとい
うこと、英文は論理的に組み立てられており、品詞と
その働き、そして文の構造を考えながら読んでいかな
くてはならないということ、英文法は英語と言語構造
が違う言語を母国語とする者が英文を読む時に唯一頼
りに出来るものだということ、等を教えてくださった。
高校時代に英文法は暗記の科目、受験のための科目と
考えていた私にとって目から鱗であった。英文を品詞
とその働きを考え、さらに文の構造を考えながら読ん
でいく、その面白さにどんどんのめりこんでいった。
今では若い人たちから「中島先生は優しかった。」と
いう言葉を時々聞く。しかし、私が大学に入学した頃
は非常に厳しく、怖くて近寄れなかった。1 回 1 回の
授業で常に学生と真剣勝負をするかのように真剣の白
刃を突きつけられているような鋭さがあった。大学院
に入り中島先生の授業やゼミを受けて学部時代よりも
もっと強くそう感じた。それは教師も学生も英文を読
み、研究するという立場は同じで妥協は許されない、
徹底して原書を読み込んで研究しなくてはならない、
という姿勢であったと思う。だから授業でもゼミでも
解からない部分はどれだけ時間を費やそうが学生と一
緒に真剣に議論をしながら考えていった。さらに学内
だけでなく外に出てゼミ合宿を行い、春は主に伊豆大
川で Old English のテキストを、夏は主に山中湖で
Middle English のテキストを読み、両方とも夜は英語
史の研究書を読んだ。私は大学院を終えた後も数年こ
のゼミ合宿には OB として参加させて頂いた。学部、
大学院の授業、ゼミなどを通じて先生から英文の読み
方、教師としての在り方、その他いろいろなことを数
多く学ばせて頂き、大変お世話になり感謝の言葉が
ない。
中島先生、今まで本当に有り難うございました。
先生のご冥福をお祈りいたします。
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中島邦男先生を偲ぶ
日本大学通信教育部教授 真野 一雄
中島邦男先生が私の教員としての道を開いてくださ
いました。昭和 51 年、研究室で当時の実験助手とし
て勤務できたのは中島先生のおかげでした。その頃文
理学部の電話番号が変更になったのでしょうか、私の
記憶ははっきりしていませんが、電話番号(当時 329
- 1151)の覚え方として、先生は 51 歳でしたので、
「みにくいひと 51 歳」とおっしゃっていました。自分
が 51 歳になったとき、当時の先生と自分をよく比べ
たものでした。そして何事にも先生のほうが勝ってい
ました。当時は糖尿病予防のため、食事のカロリーを
きっちりと計算し、昼食はいつも日本食のそばでし
た。先生は非常に意志の強いひとでして、私も見習わ
なければなりませんが、意志の弱い私は全然先生のマ
ネができません。
研究室に勤務していたときに、大学院の Malory の
授業も聴講させていただきました。当初はどちらかと
いえば英文学のほうに興味がありましたが、学科代表
を勤めておられた先生のおそば近く仕えることがで
き、中英語・古英語・英語史に興味を覚えました。も
ちろん大学院への進学を勧めてくださったのも先生で
した。当時の思い出で一番印象に残っているのは、春
の伊豆大川での古英語の合宿と夏の山中湖セミナーハ
ウスでの中英語の合宿です。先生を囲み、多くの仲間
と古英語・中英語を夜遅くまで勉強したり、帰りに山
中湖で遊んだことが昨日のように思い出されます。
大学院を出た後は、通信教育部に勤務することにな
りました。先生は通信教育部の学務委員を長く務めて
おられたので、こちらでも先生には大変お世話になり
ました。通信教育部での仕事のことはもちろん、英語
に関すること、関係しないこと、いろいろなことを教
─ ─
5
2014 年 6 月
日本大学英文学会
わりました。今、思うとこの頃、私が若い頃、先生か
ら教わっていた頃が、私にとって一番よい時代だった
かもしれません。今一度、先生から英語学、英文法、
英語史のことをいろいろとお聞きしたい思いを強く感
じています。
通信教育部では『英語史』のテキストとして、先生
が注釈を付けられた南雲堂から出版されている Brook
の A History of the English Language を用いています。
スクーリングでも私はそのテキストを使用しています
が、私がいつも携えているのは、大学 3 年生のときの
先生の『英語学演習』を受講したときのものです。今、
定価約 1700 円ですが、私のは 570 円と記されていて、
時代を感じさせます。学生時代の書き込みなどがして
あり、私の宝物となっています。もうぼろぼろになり
かけていますが、先生のテキストを今年度も用いてい
ますし、これからも使い続けると思います。そして、
先生ともうお会いすることができなくなりましたが、
いつまでも先生と一緒にいるように感じられます。先
生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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福島基裕先生を追悼して
元日本大学国際関係学部教授 髙橋 公雄
福島基裕先生は平成 26 年 2 月 8 日に亡くなられた。
享年 83 歳であった。
私にとって福島先生といえば、谷口富男先生ととも
に、短期大学部(三島)の文科(文学科)の消息と一体に
なっている。少し煩雑になるのをいとわず説明したい。
短期大学部(三島)の創設は 1950(昭和 25)年と古
いのだが、文科(国文専攻・英文専攻)の発足になる
と 1966(昭和 41)年となる。当初の教授陣を列挙する
と、堀江政美、結城健六郎、西村満男、秋山正幸、加
藤司、大西次丸、谷口富男の諸先生方であった(これ
に大利享子先生が 1972 年に加わっている)。文科の構
想は「新時代に即応した女子教育を実施しようとする
もので、たとえば家庭的な雰囲気の中に教授と学生が
一体となり、少数によるゼミナールやサークルの研究
活動を重視」し、従来のアカデミックな研究と指導の
上に、実学的な技能・技術の習得を加えようとするも
のであった。
日本においては、短期大学は当初暫定的な制度とし
て発足したが、その後「短大ブーム」と呼ばれるほど
の著しい発展を遂げ、いわゆる高度経済成長を経た
1970(昭和 45)年には、高等教育機関、むしろ女子の
完成教育機関として重要な地位と役割を占めるように
なった。しかし実態は、 1985(昭和 60)年の男女雇用
機会均等法制定にいたるまで、女性はその多くが男性
の補助的地位にとどまっていたのである。高度経済成
長期の女性の高等教育進学志向が短大ブームという形
態をとったのは、「教育投資と将来の展望を見こした
うえで、保護者と女子学生が合理的に選択した結果」
であろう。1970(昭和 45)年以降、低迷していた短大
卒業生の就職率は漸増し、 1980(昭和 55)年を過ぎる
頃には 80%を超えた。卒業生が雇用されていったの
は情報化が進んで拡大したサービス部門における短期
雇用の事務分野であった。このような短期就労、家事
育児専念、パート労働という就労パターンに最も合致
していたのが従来の短期大学教育である。二年間の短
期教育は「教養」的なものに傾きがちで、専門的な職
業教育としては不十分であり、実務教育といっても
「使いやすい若年労働力」を育てるという産業界の要
請に直結していた。
福島先生が専任講師として就任されたのは、まさに
このような上り坂の時期、 1978(昭和 53)年のことで
ある。続いて水澤総子、岡田篤志、角ヶ谷和夫の諸先
生方が続いた。福島先生は 1984(昭和 59)年には中期
海外派遣研究員として、「ジェイムズ・ジョイスの実
証的研究ならびに米国における外国語としての英語教
育研究」のため、イギリス及びアメリカに留学され
た。時折、『ダブリナーズ』を中心にして薀蓄を傾け
てお話しされるのをうかがったことがあるが、福島先
生はジョイス研究者でもあったのである。
1986(昭和 61)年に福島先生は教授になられ英文主
任に、谷口先生は文科長に就任された。この年は臨時
定員増により英文の学生数は 197 名となり、発足時の
学生数 60 名と比べ格段の増加であった。以降しばら
く 200 名前後を推移することになる。安部(大利)享
子先生は経済学部へ転出。髙橋、松岡直美、安藤栄子
諸先生が就任している。
しかし 18 歳人口が急減しだした 1990(平成 2)年以
降、女子高等教育は急激な展開をたどる。四年制大学
への女性の進学率は上昇の一途をたどり、いろいろな
分野へと進出を続けることになった。1995(平成 7)
年、短期大学への女子進学率はついに四年制大学への
それに 42 年ぶりに逆転された。もはや短期大学が女
子の高等教育への進学者の大半を占める時代は終わっ
たのである。
1990(平成 2)年、文科が文学科に名称変更される
ことになった。福島先生は文学科長に、谷口先生は短
大(三島)次長に就任された。この名称変更は一連の
短期大学の動向と無関係ではなかった。文科、理科と
いう学科設定の古色蒼然もさることながら、もはや右
肩上がりの入学志願者増は望むべくもなく、四年制大
学への編入学制度を入学勧誘の謳い文句にしなければ
ならなくなっていたのである。文科から文理学部への
編入学は長い伝統があり、また当時のカリキュラムの
整合性から学生の利を考えると国際関係学部よりも文
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第 101 号
英文学会通信
理学部英文学科・国文学科への編入学を第一に考える
必然性があったということであろう。もっとも、一時
は短期大学部から国際関係学部への編入学は卒業まで
三年かかるという状況もあったが、まもなくそれも緩
和されて二年で卒業できるようになり、編入学が容易
になった。
1996(平成 8)年、福島先生は定年延長一年を経て退
職された。この年に宗形賢二先生が着任されている。
福島先生は、文字通り短期大学部の隆盛と衰退を目に
しながら、教育にあたられたということである。退職
後も文理学部や通信教育部で講師として教えられた。
世間の四年制大学志向にさらに追い討ちをかけたの
が、文学部(文学)の人気低落である。短期大学にお
いても、特に文学科の受験者数は激減し、入学志願者
の定員割れにいたるようになった。最後には男女共学
という窮余の策を試みたが、焼け石に水の感は拭えな
かった。そのような経過を経て、文学科と生活文化学
科の学部新学科への改組転換により、文学科は 2000
(平成 12)年に廃止された。文科創設以来、9,738 名の
卒業生を社会に送り出していることになる。
「追悼の言葉」と関連して日本語には「点鬼簿」とい
う語があるが、英語では obituary であろうか。よくそ
れには故人をめぐる二、三の逸話が紹介されているこ
とが多いのだが、私自身福島先生とは淡々の交という
ような接し方をしていたので、あまり逸話といえるよ
うなものは多くない。前述した福島先生の留学目的の
第二項、英語教育についてお話しする。先生は以前か
ら頭から読み下していくということを強調され、それ
を教育の場でも実践されていた。例えば、 He used to
think that it’s wrong to think the US is superior to Asia.
という文があるとすると、「彼は考えたものだ/考える
ことは間違っている/アメリカはアジアより優れてい
る」とひっくりかえらず、読み下していきなさいという
ものだった。これを先生は「福島メソッド」と称して学
生に教えておられた。教えを受けた学生の中でどれく
らいがこのメソッドのことを覚えているのだろうか。
福島先生が退職されて以降、私の多忙な時期があ
り、賀状の交換以外久しく時間をかけてお話しする余
裕がなかった。私も二年前に定年退職を迎え、やっと
自分の時間が持てるようになり、少し心のゆとりもで
きてきたこの時期に、先生の訃報を受けた。改めて哀
悼の意を表します、合掌。
《エッセイ》
この喜びを忘れずに
日本大学豊山女子高等学校・中学校講師(専任扱)
川鍋 理奈
「一生に一度の中学校・高校生活を最高のものにする
サポートをしたい。」これが、私が高校 2 年生の夏に、
教員になることを志した理由です。
「英文学会通信」第 101 号の執筆を賜りました川鍋理
奈と申します。この度、平成 26 年 4 月より、日本大学
豊山女子高等学校・中学校で教員として勤務しており
ます。僭越ではございますが、私が今日に至るまでの 4
年間の道のりと今後の展望を述べさせていただけたら
と存じます。
日本大学文理学部英文学科を卒業したのちに、私立
の中高一貫校で非常勤講師として 1 年間、常勤講師と
して 3 年間、合計 4 年間の勤務をいたしました。この 4
年間は大変かけがえのない出会い、経験ばかりでした。
新卒の間もない頃は、自分の授業形式を作り上げるこ
とや、授業の 50 分間を成り立たせることにとても苦労
をした記憶があります。しかし、日々の教材研究を欠
かさず行うことや英語力を向上させるための勉強、「生
徒にとって何を教わることが一番大切なのか」と目的を
見出すことがとても大切だったと実感しています。一
生懸命さや、自分の出来ることを精一杯に行っていく
ことは必ず生徒に伝わるのだと確信いたしました。ま
たこの時期には、センター試験の過去問題を全て解き
直したり、私大の過去問題の演習や文法問題集を 1 冊
徹底的にやり込みました。これは、自分の授業にも厚
みや幅が広がりましたし、とにかく自分の英語力を向
上させるために尽力いたしました。
そして、「授業力は指導力である。」と実感したのも
この頃です。圧倒的な授業力を持つ教員は、自身の授
業を軸に生活指導や部活指導を行うことが出来るのだ
と思います。そして常に、自分が学級担任を持った時
のことを想定し、授業以外にも様々な教育活動に携わ
らせていただきました。
しかし、私学で専任教諭になるということは極めて
困難で厳しいものであると痛感したのも事実です。専
任教諭になるにあたり、自身のさらなる英語力の向上
が必要だと思い、仕事を続けながら大学院へ進学する
ことを決心いたしました。指導教授であった吉良先生
には大変お世話になりました。思い起こせば私が大学 2
年生の時に初めて吉良先生の英文法の授業を受講した
ときには、それはそれは恐ろしかった覚えがあります
が、授業の内容の濃さや先生の暖かさ、何よりも学生
を第一に考えてくださる姿に感銘を受け、吉良先生の
ような教員になりたいと確信した記憶があります。日
─ ─
7
2014 年 6 月
日本大学英文学会
本大学の高等学校・中学校教員適正検査の最終面接の
際には、緊張で手足が震えるほどでしたが、「吉良先生
に良い報告をしたい!!」という一心でした。そして、
念願叶って日本大学豊山女子高等学校・中学校から合
格をいただくことが出来ました。夢を応援してくれた
皆から「おめでとう。」と言ってもらった瞬間は今でも
忘れません。周りの友人にも恵まれ、大学院で過ごし
た日々は大切な思い出です。個人的にではありますが、
私は働き始めてから大学院に入学して良かったと思い
ます。自分で稼いだお金のありがたみや社会のルール
を知ることができ、中々勉強する時間を確保出来ない
中で、大学院という高度な環境で勉強をさせていただ
けて今までの自分を見つめ直す転機となりました。
本原稿を執筆した 3 月中旬は、ちょうど離任式を終
え、自分のために別れを惜しみ泣いてくれる生徒の姿
がなんとも言えない寂しさでした。中学校・高校生活
は人生における極めて短い時間ではありますが、二度
と戻ってこない時間でもあります。この貴重な時間に、
多くの生徒になるべく多くの成功体験を積ませてあげ
たり、失敗からも何かを学び得て、次への原動力に繋
げられるような、そんな教育活動を行っていきたいと
思います。また、厳しいけれど生徒のことを第一に考
え、暖かく人間性豊かな教員になれるよう、日々精進
していく決心です。そしてこれからも、日本大学の多
くの仲間とともに繋がりを大切にしていきたいと思っ
ております。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
就職活動について、
就職にあたっての抱負
日本大学文理学部英文学科 2014 年度卒業生
宮津 風香
私は今年の三月に四年間の楽しかった大学生活を終
え、五月から社会人になります。私は就職活動におい
て、「人に関わる仕事」、「人の役に立てる仕事」という
二つの軸を持っていました。また披露宴のスタッフの
アルバイト経験から「人の笑顔が自分の行動の原動力」
であるということに気付き、接客業を中心に見ていま
した。ブライダル、ホテル、旅行、アパレル、航空な
ど様々な業界を受験しましたが、どこの企業にもまず
はエントリーシートを提出する必要がありました。就
職活動において、企業と「初めまして」と言葉を交わす
のがこのエントリーシートですので、一字一句きれい
に書くことはもちろんのこと、自分らしさが伝わるエ
ピソードや言葉を使ったエントリーシートを書く為に、
就職指導課に出向いて何度も添削をしていただきまし
た。そのお陰もあって、たいていの企業から一次面接
には呼んで頂けたのですが、そこから先の選考に進め
ずに悩んでいました。その原因は、面接において、暗
記したことを「話そう」としていたことにありました。
面接官も人間ですので暗記したものをそのまま話そう
とすれば、それはすぐにばれてしまいます。そこで、
まず伝えたいことのポイントだけを自分のなかで覚え
ておいて、なるべく簡潔に、そして相手が想像できる
ように、抽象的な表現ではなく、数字などを使って話
す事を心掛けました。面接中の私は、恐らくとても切
羽詰まっていたでしょうが、スラスラとは言えなくて
も自分の言葉で「伝えよう」としたことは面接官には伝
わったのではないかなぁと感じます。
就職活動は「ご縁」だという事をよく耳にします。本
当にその通りで、企業とのご縁も勿論ですが、「人」と
のご縁はもっと素晴らしいと感じました。私は就職活
動を通してたくさんの人と知り合いになり、同期にな
る仲間の中には、他企業でのグループワークで一緒に
活動した人もいますし、また就職先は異なりますが今
でも交流をしている人もいます。就職活動は、本当に
大変です。ですがそれは同時に、普段は違う環境にい
る、多くの人と出会える滅多にない素晴らしい機会で
す。このチャンスをプラスに考えるか、マイナスに考
えるかは自分次第だと思います。
私はかねてから入社したいと願っていた企業に就職
することができましたが、この会社は私が唯一内定を
頂けた企業でした。こんな私の話が、果たして後輩の
みなさんの役に立つのか不安ですが、少しでも就職活
動についてお話しできればと思い、この文章を書かせ
て頂きました。今後の抱負として、今まで支えても
らった家族や社会の皆さまに感謝の気持ちを忘れず、
少しでも恩返しができるよう、それも私達卒業生に向
けて塚本教授がおっしゃって下さった、「倍返し」が出
来るように日々努力を重ねて、社会人として後輩のみ
なさんのお手本となれるように努めたいと思います。
みなさんの就職活動が実りあるものとなりますように。
応援しています!
《海外留学体験記》
有意義な時間
日本大学文理学部英文学科 3 年 橋本 栞奈
私は 3 年の進級時に 1 年休学をし、カナダのトロン
トに語学留学をしました。海外長期留学という長年の
夢が叶いとても幸せでした。留学先にカナダを選んだ
─ ─
8
第 101 号
英文学会通信
理由は、様々な国の人々や文化が共存している点、カ
ナダの英語が聞きやすいといわれている点、そして自
然が多い点に魅力を感じたからです。実際暮らしてみ
ると、街中では他国からの移住者も多く、なまりの強
い英語を聞く機会が多かったように感じましたが、カ
ナダで出会う人は皆優しく、ゆったりとした時間の流
れなど素敵なところが沢山ありました。
約 10 ヶ月間トロントに滞在をしていましたが、当
初の 8 ヶ月間は語学学校に通い、残りの 2 ヶ月間はホ
テルでのインターンシップをしました。語学学校には
世界各国から幅広い世代の人たちが集まっていたので
異なった価値観、考え方、文化等を吸収することがで
きました。世界の文化を紹介したものはテレビで何度
か見たことがありましたが、実際にその国の人に聞く
とまだまだ知らないことがたくさんありました。特に
興味深かったことは、南米人、西欧人、アジア人の性
格の違いです。南米の生徒のフレンドリーさは日本人
の素っ気ない態度とは反対に、話しかけるときの緊張
感も吹き飛ばしてしまうほど、距離の近い人間関係を
一瞬のうちに築けるものでした。挨拶の際に頬にキス
をされたときはカルチャーショックを受けましたが、
このフレンドリーさのおかげで人と会うことやコミュ
ニケーションをとることがさらに好きになりました。
ホテルでは、主にレストラン内で働きました。毎日朝
食の時間はウエイトレスとして接客をし、午後はその
日の片付けや次の日のための準備をしていました。職
場の人たちも第二言語として英語を話す人が多く、な
まりのある英語を聞くことに少し苦戦しましたが、環
境に恵まれ充実した毎日を送ることができました。ホ
テルで印象的だったことは、お客さんの笑顔の多さで
す。出会ったお客さんは笑顔を向けてくれる人が多
く、リスニング、スピーキング力が乏しかった私に
とってそれは大きなやりがいを感じさせてくれるもの
でした。お客さんとの間だけではなく、従業者の人た
ちとの間でも笑顔の持つ力の大きさを実感しました。
カナダでは、ホームステイ先とシェアハウスで暮ら
していました。心配していたホストファミリーとの英
語でのやり取りや、異文化の生活も問題なく、ストレ
スに感じることもありませんでした。ステイ先には 3
歳児の女の子がいたので一緒に遊んだり、ホストファ
ミリーに BBQ へ連れて行ってもらったりと楽しい思
い出をたくさん作ることができました。
最後に、トロントでは語学だけではなく人とのコ
ミュニケーションの取り方や、カナダ以外の異文化も
多く学びました。人とのつながりの大切さも以前より
重視するようになり、現在は出会う人、一人ひとりと
の時間を大切にしています。あらゆる方面で自身が成
長できたトロントでの経験を活かしこれからも沢山の
ことに挑戦していきたいと思います。
《新刊書案内》
本学会員による新刊書を下記の通りご報告します。
なお、学会員で研究書等を出版された方は事務局(英
文学科研究室)までお知らせください。新刊書案内と
して随時掲載いたします。
(1)静岡文化芸術大学文化政策学部国際文化学科
編.『国際文化学への第一歩』
.埼玉:すずさわ
書店, 2013.(鈴木元子先生(静岡文化芸術大
学教授)が共著者として執筆)
(2)石田久・服部典之編.
『移動する英米文学』
.東
京:英宝社, 2013.
(鈴木元子先生(静岡文化
芸術大学教授)が共著者として執筆)
(3)鈴木元子.
『ソール・ベローと「階級」
:ユダヤ
系主人公の階級上昇と意識の揺らぎ』.東京:
彩流社,2014.
(4)Hosaka, Michio, Michiko Ogura, Hironori Suzuki,
and Akinobu Tani, eds. Phase of the History of
English. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2013.
(保坂道雄先生(文理学部教授)が共同編集を担
当、また先生ご自身の論文も所収)
(5)森田彰・佐藤明彦・藤本淳史・山本由布子・生
谷大地・Bill Benfield.『World Wide English on
DVD —Volume 1—:世界で輝く若者たちの英
語』
.東京:成美堂,2014.
(6)新井英夫・辻祥子・細川美苗・森有礼.
『越境
する英米文学─人種・階級・家族─』
.東京:
音羽書房鶴見書店,2014.
『国際文化学への第一歩』
『移動する英米文学』
『ソール・ベローと「階級」』
静岡文化芸術大学教授 鈴木 元子
静岡県に赴任し、静岡県立大学の専任講師として教
鞭を取りはじめたのが約 20 年前。助教授になり、じ
きにその大学を基にした新設大学、現「公立大学法人
静岡文化芸術大学」の教授になり、現在にいたってい
る。今、振り返ってみると、無我夢中で走ってきたよ
うな気がする。数年前には博論にも挑戦し、教育同
様、研究に精進することで、 2013 年度ははからずも 4
冊の本を上梓することになった。この紙面をお借りし
て、そのうちの 3 冊について紹介させていただく。
最初の『国際文化学への第一歩』(すずさわ書店)
は、わたしが所属する国際文化学科の教員 20 名がそ
れぞれ 1 章を担当して、執筆したものである。それに
─ ─
9
2014 年 6 月
日本大学英文学会
はこれまで、
「国際文化学科というところで何を勉強
するのですか?」と問われ続けてきた経緯がある。そ
れを念頭において、大学 1 年生の教科書として企図し
た本である。ゆえに、論文というよりも、わかりやす
く読んでもらえる学術書をめざしたといえよう。わた
しの「西洋文化とアフリカ文化の接触から—ゴスペ
ル・ミュージック」は、開学当初に実際に行っていた
90 分の授業を文章化したものである。興味をもって
もらうために、ハーレムに住むアフリカ系アメリカ人
ティーンエージャーの様子から筆を起こし、昔に遡っ
て黒人奴隷制時代、さらに黒人霊歌や黒人教会などに
筆を進め、具体的にはヨーロッパの白人の讃美歌がア
フリカ人のリズムや歌い方、コール&リスポンス等の
文化と融合して新しい音楽ができたと論を導いていっ
た。 日 本 で も 話 題 に な っ た『 ア ミ ス タ ッ ド 』、『 カ
ラー・パープル』、
『マルコム X』、『天使にラブ・ソン
グを』の映画共々、
『アンクル・トムの小屋』
、『私は
黒人奴隷だった—フレデリック・ダグラスの物語』、
『奴隷少女の人生の出来事』、『見えない人間』等の文
学作品にも言及した。
次に、 12 月に刊行された『移動する英米文学』(英
宝社)には、 2012 年夏に書いた拙論「移動する痣—
—ホーソーンからソール・ベローへ」が入ってい
る。これは、ソール・ベローの長編小説 More Die of
Heartbreak を読んでいて、語り手ケネスがホーソーン
の短編「痣」に言及することから、面白いと思って研
究をはじめたのが論文執筆のきっかけである。ソー
ル・ベローのこの作品には、ホーソーンの「痣」から
ヒントを得たと考察されるモチーフが、アイコンのよ
うに踊っていると指摘したのである。人間にはどうし
ようもない、生まれつきのバースマークが形を変えな
がら、 19 世紀から 20 世紀へと「時間」を、ニューイ
ングランドからシカゴへと「場所」を、そして WASP
作家からユダヤ系作家へと「人種・民族」を移動した、
この文学だからこそ可能となった移動について伝えた
かったのである。
2014 年 2 月に出版された『ソール・ベローと「階
級」
:ユダヤ系主人公の階級上昇と意識の揺らぎ』(彩
流社) は、 大 阪 大 学 大 学 院 に 提 出 し た 博 士 論 文 の
「ソーシャル
ソ ー・モビリティ
ル・ ベ ロ ー の 小 説 に み る ユ ダ ヤ 系 主 人 公 の
社 会 移 動 に伴う階級意識の
揺らぎ」を学術単行本用に調
整したものである。ソール・
ベロー(1915 ~ 2005)の 1944
年に出版された『宙ぶらりん
の男』から、 2000 年に出版さ
れた『ラヴェルスタイン』ま
で の 長・ 中 編 小 説 の 全 14 冊
を、階級及び階級意識の視座
から研究した。ベローがユダ
ヤ民族 5 千年余の歴史にあっ
て、ユダヤ人を一般市民として受け入れた初めての国
アメリカで、移民の息子・娘・孫たちが急激な階級上
昇を遂げていくその奮闘の歴史の一齣を、つまりユダ
ヤ人たちがアメリカ型資本主義社会に同化していく
過渡的状況、及びそれに伴う彼らの文化的痛みや意
識の揺らぎを即時的、かつ臨場性をもってフィク
ションに映し出した点に関して、我々はもっと文学
的価値を認めるべきなのである。ベローの全 14 冊を
取り上げた本は日本では最初といえる。ちょうどソー
ル・ベローの生誕百年を迎える前年に出版することが
できて、感慨深い。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
『越境する英米文学
― 人種・階級・家族 ―』
松山大学法学部准教授 新井 英夫
本書は、松山大学の英米文学を専門とする教員三名
(細川美苗・辻祥子・新井英夫)に、中京大学の森有
礼を加えた 4 名が、松山大学言語・情報研究センター
プロジェクトという制度を利用して、松山大学から助
成を受けて共同研究したその成果の一部である。
「越境」という主題を扱う文学研究は、既に多く出
版されている。その意味では、本書もそういった先達
の轍を辿る一冊に過ぎないかもしれないが、
「越境」
もしくは「境界」の概念については、依然として確た
るものが定まっていない。そのため本書においても各
論者が念頭に置いている境界、そして境界の概念は必
ずしも一致したものではなく、むしろ時に相反するも
のになっている。それは本書で取り上げられている作
家 ― ギルバート・イムレイ、メアリ・シェリー、
ハリエット・マーティノー、フレデリック・ダグラ
ス、ジーン・ウェブスター、ウィリアム・フォーク
ナー、ジョージ・オーウェル、カズオ・イシグロ(掲
載順)― からも明らかであろう。しかしながら、い
ず れ の 論 文 も、 様 々 な 境 界 を 越 え る 際 の 軋 轢 や 葛
藤 ― 越境のダイナミズムがもたらすクリティカル
な経験 ― を巡って議論を展開している点では共通
している。
本書の構成は、第 1 章から第 8 章までで、順に細
川、辻、森、新井の各論者の論文が二本ずつ並んでい
る。わたしは第 7 章と第 8 章を担当した。第 7 章で
は、 ジ ョ ー ジ・ オ ー ウ ェ ル の 処 女 小 説『 ビ ル マ の
日々』を取り上げ、白人社会とビルマ人社会の間で苦
悩する主人公フローリーの自殺を通じて、帝国主義社
会で人間としての尊厳を保つためには、死しか道が残
─ ─
10
英文学会通信
されていないことを示すと共に、彼がビルマで客死し
たことは、オーウェルがビルマ時代の自身の二律背反
な帝国主義意識をフローリーとともに葬り、ジョー
ジ・オーウェルという新しい自己を創出する試みで
あったことを確認し、社会主義者に至る途上にあった
オーウェルの帝国主義に対する憎悪と批判の精神が潜
在する作品として本作を再評価した。第 8 章では、カ
ズオ・イシグロの『遠い山なみの光』を取り上げ、帝
国主義的主体が植民地においていかに境界を引かれ分
裂していくか、そしてそうした歴史と社会の圧力から
逃れ、自己の回復を目指すために語りの力がなぜ人に
は必要であるかを論じた。
これまでブロンテ姉妹を中心とした 19 世紀前半の
英文学研究を専門としてきたわたしにとって、ジョー
ジ・オーウェルとカズオ・イシグロの研究は大いなる
挑戦となった。パソコンの前に座り、遅々として進ま
ぬ論文に苦しんだ時期もあった。しかしながら、各論
者との共同研究会における議論は、論文の執筆に大い
なる参考となったばかりでなく、研究者として文学作
品に真摯に向き合うことの大切さを改めて学ぶことが
できた貴重な機会となった。本書がささやかながら
も、
「越境」という主題を扱う文学研究の理解を深め
る上で、会員の皆様に多少なりとも役立つものとなれ
ば望外の喜びである。
(2014 年 2 月、音羽書房鶴見書店、A5 判横組み、
203 頁、3,000 円)
《訃報》
元日本大学商学部教授 佐々木 哲朗 先生 ご逝去
2014 年 1 月 27 日(月)元日本大学商学部教授の佐々木
哲朗先生がご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上
げます。
元日本大学名誉教授 中島 邦男 先生 ご逝去
2014 年 2 月 5 日(水)元日本大学名誉教授の中島邦男先
生がご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
元日本大学短期大学部教授 福島 基裕 先生 ご逝去
2014 年 2 月 8 日(土)元日本大学短期大学部教授の福
島基裕先生がご逝去されました。謹んでお悔やみ申し
上げます。
《月例会関連》
●月例会報告
第 101 号
り行われました。
11 月 研究発表( 2013 年 11 月 16 日)
[司 会] 鈴木 孝(理工学部准教授)
[発 表]
1. 推量を表す法助動詞と疑問文
小澤 賢司(博士後期課程 3 年)
2. トニ・モリソンの描くパラダイスについての考
察―Paradise について
茂木 健幸(文理学部講師)
12 月 2013 年度学術研究発表会・総会
( 2013 年 12 月 7 日)
【学術研究発表会(文学の部)
】
[司 会] 安藤 重和(法学部教授)
[発 表]
1. Paradise Lost における 「 存在 」 の考察
野村 宗央(文理学部助手 A)
2. サマセット・モームの歴史小説 Then and Now
(1946)を読む
前島 洋平(文理学部准教授)
【学術研究発表会(語学の部)
】
[司 会] 中村 光宏(経済学部教授)
[発 表]
1. 可能性は無限大 「 お遊びに終わらない小学校英
語教育 」 とは?
池田 和子(紅玉)
(文理学部講師)
【最終講義】
[司 会] 高橋 利明(文理学部教授)
[演 題] ジョンソン博士によせるホーソーンの思
いをめぐって
當麻 一太郎(文理学部講師)
1 月 研究発表( 2014 年 1 月 25 日)
[司 会] 塚本 聡(文理学部教授)
[発 表]
1. 自動詞と共起する完了形の発達
秋葉 倫史(文理学部講師)
2. 風景庭園の詩学―E. A. ポーの「アルンハイム
の領地」を読む
堀切 大史(文理学部准教授)
4 月 研究発表( 2014 年 4 月 19 日)
[司 会] 閑田 朋子(文理学部准教授)
[発 表]
1. ラベル付けと素性継承 The Labeling Algorithm
and Feature Inheritance
賀美 真之介(博士後期課程 2 年)
2. Jane Austen, Persuasion に見る「説得」の意味
宇野 邦子(文理学部人文科学研究所研究員)
2013 年 11 月以降の月例会・特別講演は以下のとお
─ ─
11
2014 年 6 月
日本大学英文学会
5 月 研究発表( 2014 年 5 月 17 日)
[司 会] 塚本 聡(文理学部教授)
[発 表]
1. A Masque presented at Ludlow Castle, 1634 におけ
るキリストの予表としての Sabrina
桶田 由衣(博士後期課程 3 年)
2. 中英語期の非人称動詞 semen
齊藤 雄介(文理学部講師)
【学術研究発表会(文学の部)
】
[司 会] 未定
[発 表]
1. 未定
【最終講義】
[司 会] 佐藤 明子(法学部教授)
[講 師] 原 公章(文理学部教授)
1 月 研究発表( 2015 年 1 月 17 日)
6 月 特別講演( 2014 年 6 月 7 日)
[司 会] 保坂 道雄(文理学部教授)
[講演者] 宮川 繁
(マサチューセッツ工科大学教授・東京大学特任教授)
[演 題] 進化論から見た人間の言語
[司 会] 未定
[発 表]
1. 未定
2. 未定
●研究発表者募集
●月例会予定
2014 年 9 月以降の月例会の予定は以下のとおりで
す。詳細が決まり次第、メールおよび本学会ホーム
ページ等でご案内いたします。
9 月 イギリス文学シンポジウム( 2014 年 9 月 27 日)
「『状況小説』の現在」
[コーディネーター] 前島 洋平(文理学部准教授)
[発題者]
1. 杉本 久美子(東北女子大学准教授)
2. 前島 洋平(文理学部准教授)
3. 新井 英夫(松山大学法学部准教授)
4. 原 公章(文理学部教授)
10 月 英語教育シンポジウム( 2014 年 10 月 18 日)
「『英語で英語の授業』と現実(仮)」
[司 会] 加藤 寛典(日本大学鶴ヶ丘高等学校教諭)
[発題者]
1. 島本慎一朗(静岡理工科大学星陵中学校・高等学校教諭)
2. 加藤 寛典(日本大学鶴ヶ丘高等学校教諭)
3. 江村 直人(横浜翠陵中学・高等学校教諭)
11 月 研究発表( 2014 年 11 月 15 日)
[司 会] 未定
[発 表]
1. 未定
2. 未定
12 月 2014 年度学術研究発表会・総会
( 2014 年 12 月 6 日)
【学術研究発表会(語学の部)】
[司 会] 未定
[発 表]
1. 隅田 朗彦(文理学部准教授)
2. 未定
当学会では、月例会・年次大会の発表者を募集して
います。申し込み希望者は、以下について事務局まで
お知らせ下さい。なお、検討の結果、ご希望に添えな
い場合がございます。
1. 氏名
2. 住所・電話番号・メールアドレス
3. 所属
4. 発表希望年月
5. 発表題目
6. 要旨(日本語 400 字以内、英語 200 語以内)
《事務局・研究室だより》
退任のご挨拶
元日本大学文理学部助手 B 佐藤 瑛奈
私は昨年度末をもちまして英文学科助手を退任いた
しました。学部を卒業した春、 2008 年 4 月より 2014
年 3 月まで 6 年間助手に就かせていただき、学部時代
も含めると 10 年間、英文学科と共に過ごしてまいり
ました。専任の先生方、非常勤の先生方、学部生や大
学院生の皆さん、職員の皆様、副手の先輩方、助手の
皆様、本当にお世話になりました。新卒入職で右も左
も分からず、私の力不足でご迷惑をお掛けしてしまい
ました。そんな至らない私が任期満了まで勤められた
のは、皆様方のおかげです。心より感謝申し上げます。
これまでを振り返ると、いろいろな想いが込み上げ
てきます。入職当初、学生の皆さんの前で着任の挨拶
をした時は、緊張で手が震えてしまいました。期待と
不安でいっぱいだったことを今でも昨日のことのよう
に覚えています。
最初何もわからなかった私に一から教えてくださっ
─ ─
12
英文学会通信
たのは副手の先輩でした。ガイダンスでは段取りをつ
け、堂々と進める姿をすぐ隣で見てきました。いつも
楽しそうに仕事をする先輩がとても印象的でしたが、
実際に私がその立場を引き継いでみると、すごく大変
なことを知りました。そんな素振りを見せることなく
仕事をやり抜く先輩は私の理想でした。ガイダンスに
限らず、あらゆる場面において、先輩の偉大さを感じ
ております。
また後輩を迎え入れるにあたり、私が先輩になるに
は力足らずだと自身の未熟さを痛感しました。私が悩
み、困っている時は、助教さんをはじめ周りの方がア
ドバイスやフォローをしてくださいました。尊敬する
先輩や同僚、助教さんに出会い、ご指導いただき、私
はとても幸せでした。
そして、どんな時も温かく見守り気遣ってくださる
先生方が大好きでした。優しくて、学生を自分の子供
のように大事に想っていらっしゃいます。入職してか
ら、表立って見せない温かい配慮に気がつきました。
英文学科のために研究も教育も尽力されています。そ
んな先生方が築かれている英文学科の卒業生であるこ
とを誇りに思います。また在職中も先生方にはいろい
ろな事を教えていただきました。同じ時間を共有させ
ていただき、私には身に余る光栄でした。
学生の皆さん、卒業生の皆さんにもこの場をお借り
して、感謝の気持ちを伝えさせていただきます。構内
で会うと笑顔で挨拶してくれたり、英文学科事務室ま
で近況を報告しに来てくれたり、すごく嬉しかったで
す。目標に向かって挑戦する姿や将来に思い悩む様子
を見かけ、いろんなお話をさせていただきました。先
輩として期待に添うようなアドバイスができたかどう
かはわかりませんが、皆さんに寄り添い、一喜一憂し
ました。この貴重な時間は忘れません。私の方が勇気
づけられ、背中を押してもらったように思います。あ
りがとうございました。皆さんの今後の更なるご活躍
を心よりお祈り申し上げます。
最後に。母校でこのような温かい皆様に恵まれて、私
は本当に幸せでした。ありがとうございました。
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ご挨拶
日本大学文理学部准教授 隅田 朗彦
本年度 4 月に英文学科准教授として着任いたしまし
た。よろしくお願いいたします。昨年度 3 月まで、文
京学院大学外国語学部英語コミュニケーション学科に
4 年間勤務しておりました。専任教員として勤務する
のは、この日本大学文理学部で 4 つ目となります。
第 101 号
私の社会人としてのスタートは、中学校及び高等学
校の英語教員でした。学部、大学院とも英語教育を専
門に研究しておりましたので、自然な成り行きで現場
教育に従事することになりましたが、中高生の教育に
携わる生活を、途中にカナダのモントリオールにあり
ま す McGill 大 学 大 学 院 へ の 留 学 を 挟 ん で、 数 年 間
送った後、高等教育機関での研究教育活動を約 15 年
間続けてまいりました。
最初の 10 年間は、新潟市の中心部にあります新潟
青陵大学短期大学部にて、地域の高等学校出身者を中
心に、一般英語や時事英語を教えておりました。キャ
ンパスのすぐ裏手に日本海が広がる風光明媚な環境と
美味しい食材に癒されながら(ただ、冬の日本海の天
候は癒しというより、強く生きることを学ばされるよ
うな、関東地方出身の私には驚きの連続でしたが)
、
過ごしました。地方都市での生活は初めての経験であ
り、親戚縁者のいない場所に住むという状況も相まっ
て、新潟の人々や学生の文化を客観的に観察すること
ができ、同じ日本人でも、ものの考え方や感じ方が随
分と異なることがわかる良い経験ができたと思ってお
ります。
直近の前任校では、当初は英語教育の専門教育及び
英語教員養成に従事しておりました。しかし、最近は
文科省もスーパーグローバル大学の創成支援を始めて
おりますが、世間のグローバル化の推進に対応するた
め、後半の 2 年半は学部横断型のグローバル教育プロ
グラムの実践メンバーとしての業務もしておりまし
た。専門教育とグローバル英語プログラムの運営を同
時に行うことは体一つではなかなか大変でしたが、今
後もこのような経験が生かせればと考えております。
さて、私の研究は上記のような比較的忙しい変化と
は逆に、同一のテーマで続いており、もともと学部、
大学院と続けてきた英語学習者の動機づけに関するも
のと、英作文指導法に関するものが主な分野です。ど
のように学習したら英語ができるようになるのか、ど
のようにすればやる気が出て学習が進むのか、また、
それはどのようにしたら効率よく実現できるのかとい
うのが研究の動機となっています。いろいろと試行錯
誤をしながら、英語の能力向上を必要としている多く
の人々の助けとなるべく研究を続けていき、その成果
を教育の場に生かせればと考えております。
以上、着任のご挨拶というより私の自己紹介に文字
を費してしまいましたが、私の人となりをお分かりい
ただき、皆様の仲間としてご認識していただければと
思い、このようなご挨拶となりました。普段は外国語
教育センターの業務に従事することが多くなると思い
ますが、できるだけ皆様とお話しできる機会があれば
と思います。どうぞよろしくお願いいたします。
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2014 年 6 月
日本大学英文学会
黒 澤 隆 司
○福 島 昇
古 賀 康 博
○保 坂 道 雄
齊 藤 伸
○堀 切 大 史(会計)
○佐 藤 秀 一
真 野 一 雄
渋 木 義 夫(会計監査) 間 山 伸
鈴 木 孝
水 口 俊 介
○高 橋 利 明
宗 形 賢 二
武 中 誠二郎
山 岡 洋
塚 本 聡
山 上 登美子
當 麻 一太郎
(○印は常任委員)
[任期は 2013 年 4 月より 2015 年 3 月まで]
着任のご挨拶
日本大学文理学部助手 B 髙橋 友加
本年度から英文学科事務室の助手 B として勤務させ
て頂くこととなりました、髙橋友加と申します。私
は、日本大学櫻丘高等学校入学当初から、隣接する文
理学部英文学科への進学を考えておりました。在学
中、尊敬する先生方にご指導していただき、英文学で
は作品の背景や影響を知ることで奥深い作品の見方を
学び、英語学では疑問を持っていた文法への理解が深
まりました。
学科事務室の皆さんには、様々な面でお世話になり
ました。大学受験の面接の際、面接会場まで誘導をし
てくださった元英文学科助手 B の森尾さんが、緊張し
ている私を案じて、
「大丈夫だよ、自信を持って頑
張って」と、面接直前に励ましの言葉を下さいまし
た。緊張していた私は、肩の力が抜け、面接で全力を
出し切り合格する事ができました。入学後も助手の
方々に履修登録や提出物の期限を呼び掛けていただ
き、分からない事も丁寧に説明していただきました。
学科事務室の皆さんのサポートがあったからこそ、 4
年間充実した学生生活を送ることができ、現在の私が
いると思っております。3 月に無事卒業し、謝恩会の
際、
「大勢の素晴らしい方々に囲まれ、英文学科に在
籍できて幸せだった」と心から思いました。
4 月からは学生ではなく助手 B として、英文学科で
お世話になっております。サポートする側として、改
めて先生方そして学科事務室の皆さんに対し、日々感
謝と尊敬の念を持って、仕事をさせていただいていま
す。今度は、私自身が先生方、学生の皆さんに「髙橋
さんに任せれば大丈夫」と思っていただけるよう、精
一杯努めていく所存です。「1人でも多くの人に必要
とされる存在になる」という目標を念頭に、日々精進
して参ります。
何かと至らない点もあるとは思いますが、どうぞよ
ろしくお願い致します。
● 2013 年度行事
◆ 2013 年度文理学部英語弁論大会(文理学部主催)
11 月 2 日(土)に 3 号館 3 階 3308 教室において開催
されました。結果は以下のとおりです。
1 位 松日楽達哉(地球システム学科 2 年)
2 位 石崎 皓大(英文学科 1 年)
3 位 屠 雯(中国語中国文化学科 2 年)
◆ 2013 年度大学院特別講義
2013 年度の大学院特別講義は以下のとおり行われ
ました。
【英文学分野】
9 月 17 日(火)3・4 時限
[講 師] 大橋 洋一(東京大学大学院教授)
[講義題目]「シェイクスピアとエコクリティシズム」
【英文学分野】
9 月 25 日(水)3・4 時限
[講 師] 水野 眞理(京都大学大学院教授)
[講義題目]「ソネットの誕生と変容」
【英語学分野】
9 月 27 日(金)4・5 時限、10 月 11 日(金)2・3 時限
[講 師] 安井 泉(聖徳大学教授・筑波大学名誉教授)
[講義題目]「正確な英文解釈を支える英文法の知
的な世界を堪能する」
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● 2013・2014 年度運営委員
会 長
副会長
安 藤 重 和
○飯 田 啓治朗
○閑 田 朋 子
○吉 良 文 孝
深 沢 俊 雄
高 橋 利 明
○中 村 光 宏
○野 呂 有 子
原 公 章
○深 沢 俊 雄
【米文学分野】
11 月 15 日(金)3・4 時限、22 日(金)4・5 時限
[講 師] 藤平 育子(中央大学文学部教授)
[講義題目]「フォークナーの小説」
◆ 2013 年度卒業式
3 月 25 日(火)午前 10 時より日本武道館において卒
業式が挙行されました。引き続いて、午後 12 時半よ
り文理学部 3 号館 3206 教室において学位記伝達式が
行われました。本年度は学部卒業者 136 名、大学院博
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第 101 号
英文学会通信
士前期課程修了者 9 名、博士後期課程満期退学者 1 名
でした(3 月 25 日付)。
また、優等賞は宮本優子さん、学部長賞は細川隆平
さんでした。同日午後 6 時より明治記念館において謝
恩会が催されました。
◆ 2013 年度大学院修士論文・卒業論文
2013 年度に提出された大学院修士論文のタイトル
および学部卒業論文の分野・作家の内訳は以下の通
りです。
〈 2013 年度大学院修士論文 タイトル一覧〉
和泉 周子 A Study of Light in August ― Joannaʼs
Resolution and its Unexpected Result
稲垣 康江 On Providence in Great Expectations:
Provis is Providence
今滝 暢子 The diachronic study of auxiliary will
加藤 遼子 A Comparative Consideration of the Garden in The Secret Garden & Paradise Lost
反町 佳美 The Gems and Gold of Paradise Lost
竹花奈々子 A Study of Angels in Paradise Lost
長澤 佳則 Study of Chestertonʼs Philosophy in The
Man Who Was Thursday and Orthodoxy
西本 浩平 The Different Speed of Subjectification
of Auxiliary Verbs
山口陽佐子 Similarities and Differences of Present
Perfect in English and Japanese
〈 2013 年度学部卒業論文 分野・作家内訳一覧〉
(カッコ内の数字は人数)
【英文学】
(67)
【米文学】
(27)
Austen, Jane(5)
Alcott, Louisa May(1)
Barrie, James Mattew(1) Burnett, Frances Hogdson(1)
Brontë, Charlotte(2)
Capote, Truman(1)
Brontë, Emily(3)
Cooper, James Fenimore(2)
Burgess, Anthony(1)
Emerson, Ralph Waldo(1)
Carroll, Lewis(3)
Fitzgerald, Francis Scott( 1)
Conrad, Joseph(2)
Hawthorne, Nathaniel( 8)
Dickens, Charles(8)
Hemingway, Ernest( 2)
Doherty, Berlie(1)
Poe, Edger Allan(3)
Doyle, Arthur Conan(1) Salinger, J. D.( 2)
Gaskell, Elizabeth(1)
Steinbeck, John(1)
Hardy, Thomas(2)
Stowe, Harriet Beecher(1)
Kingsley, Charles(1)
Twain, Mark(1)
Lawrence, D. H.( 1)
Webster, Jean(1)
Lewis, C. S.( 5)
Williams, Tennessee(1)
MacDonald, George(1)
Malory, Thomas(1)
【英語学】
(17)
Milne A. A.( 2)
Milton, John(3)
【英語教育】
(3)
Pearce, Philippa(2)
Rowling, J. K.( 6)
【その他】
(20)
Shakespeare, William(5)
Shelley, Mary(3)
Thackeray, William Makepeace(1)
Tolkien, J. R. R.( 1)
Wells, H. G.( 1)
Wild, Oscar(1)
Wordsworth, William(3)
● 2014 年度行事
◆ 2014 年度入学式・開講式
2014 年度 4 月 2 日(水)午前 10 時より文理学部で開
講式が行われました。英文学科の入学者数は次の通り
です。
学部入学者
152 名
大学院博士前期課程入学者
5名
博士後期課程入学者
3名
◆ 2014 年度在籍者数
学部 2 年生
3 年生
4 年生
大学院博士前期課程
博士後期課程
139 名
168 名
182 名
17 名
7名
◆ 2014 年度大学院特別講義のお知らせ
英文学、米文学、英語学の各分野の著名な先生方に
よる 2014 年度大学院特別講義が、以下のとおり開催
されます。大変貴重な機会ですので、是非ご参加くだ
さい。詳細は英文学科ホームページおよび掲示でお知
らせします。
【英文学分野】
7 月 2 日(水)2・3 時限
[講 師] Peter Milward(上智大学名誉教授)
[講義題目]「Shakespeare as a Catholic」
【英語学分野】
7 月 30 日(水)3・4 時限、7 月 31 日(木)3・4 時限
[講 師] 寺澤 盾(東京大学大学院教授)
[講義題目]「聖書でたどる英語の歴史」
【米文学分野】
10 月 10 日(金)3・4 時限、10 月 17 日(金)4・5 時限
[講 師] 増井 志津代(上智大学大学院教授)
[講義題目]「ピューリタニズムとアメリカ文学」
【英文学分野】
11、12 月頃を予定
[講 師] 植松 みどり(和洋女子大学名誉教授)
[講義題目] 未 定
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2014 年 6 月
日本大学英文学会
●日本大学英文学会 2012 年度決算額
2012 年度決算額
前年度からの繰越金
収入の部
会費
研究会員
同窓会員
学生会員(新入生)
雑収入
補助金
収入合計
支出の部
論叢出版費
会員名簿出版費
学会通信出版費
同窓会通信出版費
通信費
大会費
大会懇親会補填費
講演謝礼費
大会
月例会
講演会
他学会年会費
日本英文学会
日本アメリカ文学会
日本英語学会
英語教育関連学会
用品費
会合費
予備費
支出合計
日本大学英文学会基金への繰入
計
次年度への繰越金
¥2,681,290
¥1,463,000
¥809,000
¥316,000
¥338,000
¥380
¥300,000
¥1,763,380
¥309,510
¥173,670
¥178,626
¥88,242
¥286,820
¥41,347
¥116,000
¥128,620
¥0
¥40,000
¥88,620
¥24,360
¥8,120
¥9,120
¥7,120
¥0
¥39,279
¥103,738
¥10,513
¥1,500,725
¥0
¥1,500,725
¥2,943,945
●メールアドレスご登録のお願い
事務局の労力軽減と事務費コストの削減を目的とし
て、以下の学会運営業務に電子化を導入しております。
① 月例会のメールでのご案内
② ホームページでの住所等の会員情報の確認・変更
つきましては、まだメールアドレスのご登録がお済み
でない方は、本学会ホームページの「オンライン住所
変更・業績調査」のページにて、メールアドレスの登
録とご連絡先等の登録情報の変更をお願いいたしま
す。なお、従前どおり郵送でのご案内を希望される場
合は、誠にお手数ですが事務局あてにお知らせくださ
い。今後も紙媒体によるご案内をさせて頂きます。
●お詫び
「英文学会通信」第 100 号の《新刊書案内》コーナー
の(3)と(4)に関し、執筆をされた先生方のお名前を
明記しておりませんでしたので、以下の通り訂正をさ
せていただきます。
(3)武井暁子、要田圭治、田中孝信編.『ヴィクト
リア朝の都市化と放浪者たち』
.東京:音羽書
房鶴見書店、 2013 年.(閑田朋子先生(文理学
部准教授)が共著者として執筆)
(4)日本英語文化学会編.『英語文化研究』.東京:
成美堂、 2013 年.(佐藤明子先生(法学部教
授)
、角田裕子先生(日本大学講師)
、野村宗央
先生(文理学部助手 A)
、福島昇先生(生産工学
部教授)
、藤木智子先生(文理学部・理工学部・
法学部講師)
、松山博樹先生(文理学部講師)
、
宗形賢二先生(国際関係学部教授)
(五十音順)
の計 7 篇の論文が掲載)
『英文学論叢』
第 63 巻 原稿募集について
『英文学論叢』第 63 巻(2015 年 3 月発行予定)は故中島邦男先生の追悼号として刊行する予定です。
投稿希望の方は『英文学論叢』第 62 巻巻末の投稿規定に従って下記宛までご提出下さい。
締切日 2014 年 9 月 30 日(火)
(必着)
宛 先 〒 156-8550 東京都世田谷区桜上水 3-25-40
日本大学文理学部英文学研究室内 日本大学英文学会
Tel. : 03-5317-9709 Fax : 03-5317-9336
E-mail : [email protected]
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