な に あ

な に あ い
小学校
だより
通信
平成 27 年 9 月24日
長野市立七二会小学校
№ 5
「七二会を治めた春日様」 校長講話より(9 月 24日)
いよいよ秋らしくなってきました。もうすぐ
戸屋城から市場を臨む
遠足ですが、昨年は、全校遠足で登る陣場平山
に伝わる長者屋敷のお話をしました。今日は、
去年に続いて七二会の昔の話をします。
今年の遠足は、低学年の皆さんは「春日丘神
社」というところでお休みします。また、中学
年の皆さんは、昔、春日山城があったと伝わる
「春日山公園」の近くを通ります。七二会の地
域にはあちこちに「春日」という名前が残って
います。実は、今から800年ぐらい前に、七
二会にやってきて、370年近く治めた春日様
という、お百姓さんを大事にし、七二会をもり立てた殿様の名前から来ています。今日は、この
春日様のお話をします。
春日様は、もともとは七二会の人ではなく、今の佐久市春日というところの人です。春日様が
有名になったのは、いまから800年前、日本中を巻き込んだ承久の乱(1221)という戦争
のときです。後鳥羽上皇が率いる京都の軍と北条泰時の軍(鎌倉軍)が戦いました。そのときの
春日様は名前を貞幸といいます。春日貞幸は、深いつながりのあった鎌倉幕府の大将の北条泰時
の軍に加わりました。
北条泰時は兵をどんどん増やしながら京都に向かい、北条氏の鎌倉軍は何万人にもなったそう
です。京都まで攻めてきて宇治川で戦いになりました。京軍は、丁度大雨で水かさが増していた
宇治川の橋を落として、敵を防ごうとしました。この宇治川を渡るとき北条軍は苦戦しました。
このとき、春日貞幸は先頭争いをして、川を渡ろうとしましたが、貞幸は京軍に馬を射られ、水
底に沈んでしまいました。やっとの思いで腰刀を抜いて鎖の上帯を切り、小具足(鎖の下に付け
ている防具)を切り払い、ようやく浮かび上がることができました。そこへ水泳上手の家来が泳
いできてすくい上げてくれました。そして、大将自ら泰時が貞幸に灸をすえてやったので、貞幸
はやっと正気に返りました。しかし貞幸の子はこのとき水死してしまいました。
味方の軍勢がたくさんなくなって苦戦しているのを見て、大将の泰時は我慢ができません。自
ら川の中へ飛び込んで渡ろうとしました。貞幸はその馬のくつわをとらえて「たとえ千騎が百騎、
百騎が十騎になっても、大将さえ健在なら戦に勝てます。まして、今日の味方の損害は百分の一
にもなっています。おとどまりください」といさめましたが、泰時は承知しません。そこで、貞
幸は一計を案じていいました。
「今日の川を渡っての戦いでは、甲冑を着けているものは必ずおぼ
れています。甲冑を脱いでお渡りください」
「もっともだ」といって、泰時が甲冑を脱いでいる間
に馬を隠してしまいました。
そうしている間に、兵隊達が力を合わせて渡って、京軍を打ち破りました。北条氏が勝ったの
で、戦いが終わったら、この戦いの手柄にそってみんなに褒美がわけられたとき、春日貞幸は、
大将の命を助けるという立派な手柄を立てたので、重く賞せられ、
「七二会に行って治めなさい」
と言われて、七二会に来たそうです。
七二会は、春日様が来るまではそんなにここは、それほど開けていなくて、人もあまり住んで
いなかったようです。春日氏は、春日山城、大久保の方にある萩野城と山のてっぺんや奥の方に
城を築き、戸屋城に住みました。今も残る石塔には春日郷21ヶ村と彫られていますが、陣馬平
山の裏も表も治めていて、そしてお百姓さんたちと一緒に上の方からだんだんと畑を作ったり、
田んぼを切り開いたりして、この七二会だけでなく、中条や柵あたりまで開き、その全部をしっ
かりと治めていたわけですね。
七二会にはその頃から切り開かれたものが多いようです。そして、いろいろなものが採れるよ
うになって、そこで「市場」をつくりました。学校のこのへんは市場といいますね。昔の人が、
ここで「これが取れました」
「こんなものとかえま
しょう」とお金がなくても、物と物で取り替えが出
来ました。そして大変にぎやかになりました。
戸屋城はいろいろな戦をするときに大変大事な
ところで、その後も、春日様はあちこちの戦いで大
きな手柄をたてて、
いろいろな武将が味方に付けよ
うとしたそうです。
最後は、正源寺の裏山に篠平城を作りました。城
のような形でなくて、
大きなお屋敷を建てて住んで
戸屋城跡
いたようです。このように370年もの長い間、春
日様は七二会を治めて下さいました。
お百姓をとて
も大事にしたそうです。
七二会には、春日様の一族が立てた性乗寺や春日丘神社などのほか、守田神社や忠恩寺や大安
寺、正源寺などあちこちにご先祖をまつる大きなお寺や神社がたくさんありますね。あちこちに
五輪塔という古いお墓があります。こんな石塔見たことがありますか。小坂にもあるそうです。
春日様と一緒にこの地を切り開いた武士やご先祖様もそこに眠っています。
春日様は、370年間治めて、戦国時代の終わりに、東北の方に移っていったそうです。皆さ
んのご先祖は、ここに住んでここをいい村にするように頑張り、今も皆さんをしっかりと末永く
見守っているんですね。目にしたら、今日のお話を思い出して下さいね。
(参照 七二会村史、犀
北地区郷土資料、吾妻鏡〈承久記下〉
)
土曜参観日 ~引き渡し訓練も実施~(9 月5日)
9月5日の土曜参観日では、大勢の保護
者の皆さん、地域の方々にご参観いただくこ
とができました。1年生は、ひらがなを使っ
た「言葉さがし」に、2年生は、
「くりあが
りのあるたし算の筆算」に、3年生は、手作
りみそを使った「にらせんべい作り」に、4
年生は、
「ブラインドサッカー選手の中沢さ
んとの交流のまとめ」に取り組みました。また5・6年生は、
「着衣泳」をして、水の危険を知り
水の事故に備えました。
この日は地震を想定した防災訓練と児童の保護者への引き渡し訓練も行いました。いざという
時に、今回の訓練が生きるように心の備えを大切にしていきたいと思います。
~ 非違行為防止の取り組み ~
本校では、「職場から絶対に非違行為者を出さないという強い意識を持つ」「悩みや困ってい
ることなどを、気軽に話し合える、風通しの良い職場づくりを更に進める」ことを目標に、今年
度も全職員で自らを振り返り、事例や資料をもとにした研修を積み重ねています。今後も取り組
みを継続し、教職員の資質向上に努めて参ります。