永友散歩「横十間川で和船に乗る」寸描

「横十間川で和船に乗る」寸描
永友散歩
2015.06.10 矢 嶋
江戸の文化を伝えようと江東区横十間川親水公園で、櫓漕ぎ技術伝承を目的に活動している「和船友
の会」による和船乗船を体験する。梅雨の晴れ間、川面を渡る爽やかな風を感じながら優雅なひととき
を過ごすことが出来た。
行 程 :11:00 「猿江恩賜公園内四阿」集合→(横十間川水辺散策路を南下)小名木川と横十間川交
点に架かるクローバー橋→12:00 横十間川親水公園和船乗り場 和船乗船体験→親水公園ベンチで昼食
→仙台堀川と横十間川交点 野鳥の島→花菖蒲園→13:37 バスで門前仲町へ移動→深川不動尊→深川伊
勢屋で休憩(生ビール2・お酒1・かき氷各種3・コーヒー1・くずきり1)→富岡八幡宮→旧弾正橋
16 時過ぎ解散。今日の歩数14000歩
参加者 : 青山、青山(輝)、浦野、木村、河野、佐藤、白井、矢嶋
“生き字引”ならぬ“生き地図”浦野君のおかげで下町のど真ん中で和船に乗って優雅なひ
とときを過すという至福の時間を過ごすことが出来ました。お世話さまでした。
久し振りに元気な姿を見せてくれた木村君、採れたての柔らかくて美味しいタケノコ煮をご
馳走してくれた河野君、いつもいつもお菓子(今回は「和菓子丹波大納言」)を差し入れて呉れ
る青山夫妻有難うございました。
もうひとつ河野君の歩き疲れ回復特効薬を発見!散策のおわり近く「もう駄目だ!」と悲痛
な顔をしていたが、伊勢屋でのお酒ワンカップでたちまち生き返りその後の散策にもシャキッ
としてついてくる。浦野君が「さっきは嘘をついていたのか?」と厳しく?追及していた。
海抜ゼロメートル地帯
地下水の過剰な汲みあげによって江東区、江戸川区、
墨田区、葛飾区のうち荒川両岸(概ね中川以西大横川以
東の地域)に海抜0メートル地帯が広がっている。
左写真は、今回の散歩の集合地への最寄り駅都営地下
鉄新宿線住吉駅 A3 出口、4 段ほどの段差と鋼鉄製の扉
で洪水時の浸水を防護している。ほど近い江東区江東橋
2丁目の水準点はマイナス0.6m と表示されている
(国土地理院地図による)
また、この地域の川・運河の水面が地表より高くなっ
ているいわゆる天上川なので、すべての道路は橋を渡る
度に上り下りをしなければならない。
昭和40年代に入って地下水くみ上げが規制され沈下
はほぼ収まったが、一度起こしてしまった地盤沈下はも
う戻ることは無い。明治の産業革命遺産が喧伝されてい
るが、東京下町のゼロメートル地帯は「戦後復興の負の
産業革命遺産」ではないだろうか。昭和30年代の終わ
りごろこの辺りを訪れた際に橋を渡る度に道路が上下す
る異様さに驚いたことを今でも鮮明に記憶している。
マイクロ水力発電施設
小名木川と横十間川が交わる地点に架かるクローバー
橋(橋の平面形状が X の形をしていて渡るのが容易な人
と自転車にやさしい橋である)の南側の水門橋に設置さ
れている。
江戸初期より川の水運を生かしての産業の発展、また
水害・公害などから人々の暮らしを守る努力をしてきた
「水彩都市・江東」を人々に広く知らしめるシンボルと
して造られたという。
発電出力 約1.1KW
有効落差 最大1.5m
使用水量 最大0.23㎥/秒
運転開始 平成27年3月
小名木川と横十間川南半部の水位差を利用している。
表示モニターには現在の発電量 840wとあった、発
電された電気は表示モニター・LED6灯などで自家消費
されている
和船に乗る
乗船時間はおよそ15分くらい。救命ジャケッ
トを付けていざ乗船、ボランティアの船頭さんの
巧みな櫓さばきで滑るように進む。梅雨の晴れ間
の爽やかな風を感じながら都心とは思えないよう
な緑に囲まれた自然の中で過ごした至福の時間で
あった。
船は全部で7艘すべて江東区の所有で、無料乗
船と櫓漕ぎ体験は「和船友の会」のメンバーがボ
ランティアで行っているという。
船の種類は「網船(文字通り魚船)」
「荷足船
(重心の低い荷物運搬船)
」「猪牙船(猪の牙のよ
うに舳が細長く左右に揺れやすいが速度が早
い)
」「伝馬船(荷役連絡用)」の4種類、私たち
の乗った船は、12人乗りの“かるがも”と命名
された網船。
深川不動堂の天井画
成田山新勝寺の東京別院で、古くより「深川の
お不動様」として親しまれている。
浦野君の案内で本殿に入る、私は本殿に上がる
のは初めてである。まず左手の護摩祈祷をする一
角へ、畳席やいす席が備わっていて毎日9時・1
1時・13時・15時・17時に行われる護摩祈
祷の儀式に参加することが出来るという。浦野君
の言によればそれはそれは壮観な一大ショーの様
だと云う。しかし残念ながら時間が合わない。
2階の礼拝所・写経道場・阿弥陀如来像・供養
の間(位牌安置室)を見てから4階宝成大日堂
へ。ここには日本最大級の大きさだという天井画
「大日如来蓮池図」(左写真)が描かれている。
作者は長野県上高井郡小布施町で生まれた(19
45)中島千波という画伯だと説明にある。小布
施と云えば葛飾北斎晩年の作岩松院の天井絵「大
鳳凰図」を思い出した、中島画伯もこれを見て作
意を抱いたのであろうか?
伊能忠敬像
富岡八幡宮の鳥居をくぐったすぐ左手に伊能忠
敬像が立つ。伊能忠敬と云えば千葉佐原だとばか
り思っていたので訝しく思って説明板に眼を通
す。佐原は家業(酒造業)や名主などで活躍した
場で、測量を始めたのは50歳で家督を譲ってか
らのことであることを知る。以下は説明文の丸写
し。
「近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は家業に
成功した後50歳の時江戸に出て、当宮近くの黒江町に
(現在は門前仲町1丁目)に隠宅を構えました。約200年
前の完成12年閏4月19日(陽暦では1800年6月11日)
の未明に当宮を参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出
かけました。忠敬先生はこの時を含めて全部で10回の測量を
企画しましたが、遠国に出かけた第8回までは出発の都度必
ず内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参拝して、無事を
祈念してから千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩
き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへんご縁の深い場
所であります。」
なお、8月15日を中心とする富岡八幡宮の例
大祭は江戸三大祭(神田祭・山王祭・深川八幡
祭、三社祭・鳥越祭・深川祭とする説もある)の
一つで「水かけ祭り」の別名通り観客と担ぎ手が
一体となって盛り上がることで有名だ。