中学・エッセイ・優秀賞 ばらいろの未来へ向かって 私と一緒で極度に寒がりな父が、一人で四月の冷たい海で自ら しくてずっと泣いていた。泣いて目を腫らした私の写真を見て、 【優秀賞】 父も泣いていたらしい。 そして半年が経ち、私と母が父のいる広島へ引っ越しをして、 また家族三人の生活が始まった。小学校三年生から私は中学受験 のために塾に行き始めた。父は勉強がよく出来たので、分からな 亀井美沙 (兵庫県 滝川第二中学校) い問題の解き方を教えてもらった。遊びだけでなく、勉強も教え てくれる優しい父が私は大好きだった。 月日が経ち、私が小学校五年生の三月末に美容院に父と行っ た。想像以上に刈られてしまった父の髪を見て母と二人で笑っ 春の昼下がり、五歳くらいの女の子が自転車に乗ってお父さん た。そしてこれが、父との最後の外出になった。 と一緒に走っている。それを見た時「あぁ、懐かしいな。」と感 三月三十一日、いつも帰ってくる時間をとっくに過ぎても父が じた。私も、ああやってよく父に遊んでもらった。 帰ってこない。母と一緒に私も起きていたのだが、明日も塾があ 私と父は誰が見ても親子だと的中させるだろうと思うくらい顔 るということで十一時に寝てしまった。次の日起きると母が、 がよく似ている。産まれた時に母が落胆してしまうくらいそっく 「パパまだ帰ってないねん。多分会社に行ってると思うから りだった。父はそんな私を溺愛していた。例えば私が遊びに誘う みーちゃんは心配しなくていいからね。」 と、いつも自分がしていた事を中断して私との遊びを優先してく と言った。きっと帰ってきていると思っていた私は驚いて何も考 れていた。自転車、鉄棒、滑り台、折り紙など数えきれないくら えられず、塾に行くしかなかった。塾から帰ると母方の祖母が来 いの事を教えてくれた。父は休日のほとんどの時間を私と一緒に ていて、三人で警察署に捜索届を提出しに行った。 過ごしてくれた。私は父の口から「今は駄目。」などという否定 三日後の四月四日、午前五時頃に私は母に起こされた。隣の県 の言葉を聞いたことが一度もない。朝早く起きてしまった私を公 の警察署から父の車が見つかったと連絡がきたのだ。警察署に着 園に連れて行ってくれたり、幼稚園の行事は毎回休みをとって来 くとすぐ母だけが呼ばれていった。その時私は察してしまった。 「あぁ、パパは死んでしまったんだな。」 霊安室で袋に入れられた父を見て、頬に触れても人の体温は 残っていなかった。その時もう父は二度と動かないし、私に話し かけてもくれない、亡くなったんだという現実を突きつけられ た。 てくれたりした。そんな優しい父だった。小さい頃の思い出は全 てがばらいろだった。 私が小学校二年生の時に、父が広島に単身赴任をすることに なった。金曜日の深夜に三時間半かけて私と母の住む家に帰って きて、日曜日の夜にまた出かけていく。こんな生活が半年続い た。今まで父とこんなに離れた事がなかった私は、最初の頃は寂 - 112 - 中学・エッセイ・優秀賞 命を絶った事を知り、つらかった。いつも一緒にいて、大好き だった父がそれほど悩んでいた事に気付いてあげられなかったこ とが悔しかった。多くの人がお通夜やお葬式に来てくれた。最後 は盛大におくってあげよう、とたくさんの花や手紙を棺に入れ た。そして母に頼んで、私も参列してくださった方々に挨拶をさ せてもらった。 父が亡くなる直前に、大学ノートに走り書きした遺書を後から 見せてもらった。最後に一行だけ、私宛のメッセージがあった。 「美沙へ、強い大人になってください。」 涙が止まらなかった。昔から心が弱く、父や母に頼ってばかり だった私に深くその言葉が突き刺さった。 「もう守ってあげられないから、一人で頑張れ。」 そう言われているような気がした。 私は父を亡くして、悲しい、つらい気持ちを味わい、心にぽっ かり穴が開いたような気持ちになった。しかし、月日が経つこと で傷ついた心が少しずつ少しずつ癒されてゆき、悲しみやつらさ も減っていった。決して父の事を忘れた訳ではないが、だんだん 痛みが和らいでいった。そして悲しみやつらさ、痛みが減るのと 反比例して、父との思い出はむしろ鮮やかになっていった。 父を亡くした事で、大きな物を失ってしまったが、人の優しさ や愛情をたくさん感じる事ができるようになった。父の形見の結 婚指輪は私のお守りになった。不安な時や大切な時には必ず身に つけて持っている。このお守りと遺書の最後の言葉を胸に強く生 きていきたい。ばらいろに輝く人生を歩んでいきたい。天国にい る父が安心できるように。 - 113 -
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