西田先生とGEOTAIL、そしてHEP

西田先生とGEOTAIL、そしてHEP
元 宇宙科学研究所 前澤 洌
GEOTAIL衛星は、西田先生が研究の中で培われた科学的アイデアと、「日本の衛星が最先端の磁
気圏データを取れるようにしたい」という先生の強い意思とが結びついたものだと思うが、それらの基盤は、
ずっと前から西田研の日常の雰囲気の中にすでに存在していたに違いない。私が大学院生として大林
西田研に入った1968年、まだ日本最初の人工衛星が上がっていない時代だったが、大林西田研は、西
田先生ご自身が発見した全地球規模の電離層電流系と惑星間空間磁場との深い関係に関連して、太陽
風―地球相互作用の分野の研究で世界の最先端を走っていた。日本に帰って間もなかった西田先生は、
日本のコミュニティが衛星データを気軽に使えるように、NASAのデータセンターに収録される衛星デー
タを日本の一か所に保管し研究者に貸し出すセンターをつくり、自分の研究室をそのデータ資料室にあ
てていたから、大学院生の私のまわりは、衛星の磁気テープとマイクロフィルムがあふれていた。この部屋
で西田先生は、先生と親しい海外の若手のやり手研究者との議論の話などを日常的にしてくださったが、
それを聞いていると、なぜか自分もそれらの研究者と議論で十分わたりあえるような気がしてくるのが不思
議だった。私はそれらの衛星データを使って研究し、この研究室の雰囲気にどっぷりつかってPD生活を
していたが、ある日、晴天霹靂のことがらが起こった。西田先生が自分の部屋に私を呼んで、「私も40代
になり、研究とは別にやるべきことができたので、今までのようには君と研究の話はできないからそのつも
りで」とおっしゃるのである。その時は意味がよくわからず、ただショックだったが、今から考えると、このころ
から、「日本のSTPコミュニティが世界のトップを走れるようなデータをもたらす衛星を実現したい、そのた
めには研究時間も犠牲にする」と思われるようになったのではないだろうか。
西田先生は(本郷の国分先生などと)、アメリカのOPEN計画に日本の衛星が参加する可能性を検討し、
初めはOPEN-Jという日本独自の衛星計画を立ちあげられ、名古屋大学に移った私も、末席ながら、科
学目的や軌道の検討などに参加した。OPEN-Jは、西田先生の磁気リコネクションの実証への思いを載
せた形で、昼側の磁気圏境界面のリコネクション領域と、夜側の磁気中性面のリコネクション領域の両方
を狙った意欲的な衛星だった。予算不足から、アメリカのOPEN計画自体の実現が危ぶまれ、アメリカの
計画する衛星のうち、1機(GTL)をOPEN-Jと統合し、その開発を日本が引き受けて(ただし打ち上げ
ロケットは米担当)、GEOTAIL衛星の実現となった。後から聞くと、西田先生は、交渉相手のアメリカ側
からは「tough negotiator」として有名で、日本の利益を通すためには一歩も引き下がらなかったそうだが、
それは私が研究室で知らなかった西田先生の一面であった。西田研での先生の柔軟な議論のやりとりを
日常的に知っていた私としては、私もぜひその場を目撃したかった気がする。
OPEN-Jの時代から、数十 keV を超えるエネルギーの磁気圏粒子の観測がぜひ必要だということから、
早稲田大学の道家先生の研究室(道家先生自身は磁気圏専門ではなく、半導体粒子計測がご専門)に
計画に加わっていただいて、大面積の高エネルギー粒子観測器(エネルギー別に4台以上の検出器で
構成、エネルギーの低い方の2台は磁気圏コミュニティ用、残りは太陽粒子観測用)を載せることになり、
磁気圏用の2台(HEP-BDとHEP-LDと後に呼んだ)に関しては、開発を担当する道家研究室および
(BDの責任者の)玉川大の永田さんと磁気圏側サイエンスとの調整役を私が主にやった。GEOTAIL計
画になってから、地球起源酸素イオンの同定に有利なTOF(Time of Flight)測定器に実績のあるドイツの
Wilken 氏にLDの開発を依頼することになり、この観測器(LD)に関する連絡役も私がすることになった。
私は、高エネルギー粒子観測には素人だったので、道家研究室の方々には大変お世話になった。名
大の私の研究室で、GEOTAILのLDとBDのデータが十分にデータ解析できるように整えた。しかし、実
際に観測が始まると、これらのデータにはかなり苦労させられることが明らかになってきた。BD,LDともに、
緯度方向に視野を分割する3本の測定器の出すデータが食い違い、観測する粒子の異方性では説明が
つかない。エネルギーレスポンスの特性にも違いがあり、原因の解明とキャリブレーションが急務となった。
BDに関しては永田さんの努力により、また向井さんにも色々協力をお願いして、地上でハードを復元し
てテストしたり、アメリカ側の観測器(視野は違う)やLEPのデータと比較検討した結果、電子に関しては
(原因をある程度特定して)結果をまとめられた。
一方LDは、機上で編集した情報を地上で再び加工し直して解析した結果、赤道面向きの検出器は、
他の検出器より一桁近くTOF検出の効率が低いことがわかった。TOFの検出できないイベントはデータ
として送られないため、赤道面向きの検出器のカウントが著しく低く、観測できるイベント数が非常に少な
いことが大問題となった。そこで、日本側としては、発想を転換し、とにかく沢山のイベントを観測すること
に重点をおき、TOF情報を捨てて半導体検出器のエネルギー情報だけを送るデータ伝送モードを
Wilken に提案し、(しぶしぶ)認めていただいた。この効果は絶大で、このモードによって(半導体検出器
の)エネルギーレスポンスのキャリブレーションが完成し、LEPとスペクトルが矛盾なくつながるようになり、
観測イベント数も格段に増えた。堀(智昭)さんはこのモードで、面白い特徴を持った磁気圏粒子バースト
現象を発見し、学位をとった。ただ、この伝送モードは、陽子と電子のどちらかがドミナントなイベント(それ
を判断する指標はテレメトリー内にある)でないと、出てきたエネルギースペクトルが電子のものか、陽子の
ものか言えないという大きな難点があった。誰でも使えるデータベースとしてはこのデータを公開できにく
かった理由の一つである。なお、その後、BD検出器が劣化してからは、BDの分のテレメトリーの空きを利
用することにより、LDのTOFデータを捨てることはなくなったが、TOF分はキャリブレーションできないま
まとなった。
LD,BDデータは上のような理由で大規模な解析が難しかったが、GEOTAILの他の搭載機器、特に
LEPやMGFのデータを自由に使わせていただいたことにより、大変貴重な、人生で一番興奮する種類
のデータを解析する楽しさを体験できた、特に、初期の deep tail の軌道においては、太陽風の吹く方向
を座標軸にとることにより、ねじれた尾部断面の姿が統計的に浮かび上がってきたのは、かなりの興奮で
あった。この尾部ねじれの存在のせいで、テイル磁場のZ成分の統計に偏りが出る可能性などを含め、西
田先生といろいろと discussion できたのも、院生のとき以来の楽しさであった。
西田先生はその国際的な政治力で多大な力を発揮され、GEOTAIL関係者全員がその恩恵を蒙って
いる。しかし、そのためにご自身の研究の時間を相当に割かれて、サイエンスの分野でのお仕事を犠牲
にされたことも多かったに違いない。先生には最後に感謝あるのみである。
写真1.HEP-LDを担当した Wilken 氏(左)とHEP-BDを担当した永田氏
(1993年EGSにて)
写真2.手前はHEPのPI道家先生(一昨年故人となられた)。
(後ろにいるのは向井、前澤、上杉、国分、松本(敬称略))