GEOTAIL から続く道 元 NEC 河野まり子 短大を卒業して NEC 横浜事業場で採用されて3年が経った頃、科学衛星グループの一員にな りました。理系の素養もないのに「衛星開発のしっぽでもいいからつかまっていたい」という気 持ちだけは一人前の私に、川口さんが「一緒にがんばろう」と言ってくださったあの日は今でも 忘れません。萩野さんからシステム文書の管理や実務的なことを教わり、最初は内容が理解でき ずボロボロだった設計会議の議事録は川口さんによる添削部分がだんだんと減り、他メーカの 方々と直接仕事のやりとりをすることができるようになり、少しずつ知識とできることが増えて いく毎日が本当に楽しかったです。 ところが、総合試験が始まる頃になると、がんばっても追いつけない自分の力不足を実感する ことが日課のようになりました。射場作業に入ってからも、修正した手順書のコピーを取りなが ら「こんなに足りない自分がここにいてよいのだろうか」と落ち込んだこともありました。特に 心残りだったのが総合試験でのアライメント測定です。アライメント測定の基本を理解できず、 手順書も書けないまま化膿性扁桃炎による高熱で 1 週間寝込むことになり、その間、手順書作成 から一切を同僚の遠間さんに丸投げする形となってしまい、迷惑をかけたこと、責任を持ってや り遂げられなかったことが、NEC をやめてからもずっとずっと引っかかっていました。 会社をやめて5年が過ぎた頃、上杉先生からお声をかけていただき、殿の腰元としてお仕えす ることになりました。宇宙研にいると開発中のプロジェクトの状況もわかり、かつての同僚や顔 なじみだった方とばったりお会いする機会もあり、そのようなうれしい環境の中で上杉研究室の 事務補佐員を3年数ヶ月務めさせていただきました。 その後、上杉研在籍中にご縁ができた(現在も所属している)研究室に移ると、そこでは中谷先生 と関わりの深い INDEX プロジェクトが進行中。何と、このプロジェクトで心残りだったアライ メント測定に携わる機会が巡ってきたのです。GEOTAIL に比べると小規模ですが、学生さんと 一緒に手順書を作り、測定練習をし、MTM AT 後と FM 振動試験前後で計3回のアライメント測 定をしました。今ではセオドライトをアライメントミラーに正対させて整準し測定するところま で一人でできるようになり、密かに自慢に思っています。 アライメント測定ではセオドライトという測量機を使いましたが、このつながりから、 『はやぶ さ』の地球帰還に際してカプセルからの電波を受信するアンテナの電波軸合わせに用いることに なった GPS 測量機の操作説明書 兼 作業手順書を作りました。予定では現地での測量作業は JAXA 職員のどなたかがやるはずでしたが、最終的に私の担当となり、オーストラリアの地で測 量班および地上に落ちたカプセルを上空からヘリコプターで探すヘリ班員(帰還当日はレンジコ ントロールセンターで航空無線のスイッチと電話の受話器を握りしめて日本側の連絡役)として、 これまでの経験とそれに基づく自信を持って自分の役割を果たすことができました。 科学衛星グループに移ったばかりの頃の恐いもの知らずの私(この年齢になって当時の自分を 振り返ると赤面・恐縮してしまいます…)を受け入れてくださったみなさんには感謝してもしきれ ません。NEC で身に付けさせてもらった社会人としての基礎と GEOTAIL プロジェクトで見て・ 聞いて・学んで経験したこと、出会った方々との関わりのそれらすべてが私の中に生きています。 GEOTAIL がなかったら今の私はありません。あの頃のように若くはないけれど、これからも宇 宙研の中でできることを少しずつでも増やし、どのような仕事にも手抜きをせずに取り組むこと が、育ててくださった方々へのご恩返しになると思っています。 今でも鮮やかに残っている記憶の数々の中からいくつかの場面をご紹介して終わります。 [C 棟にて] ・控え室のテーブルに顔を伏せて(寝て?)いる小嶋先生の姿。また、ある日、たまたま耳に入って きた会話。 「下宿の窓を閉めてくるのを忘れた…」と雨を心配なさっていました。 ・発売されたばかりの宮沢りえの写真集を手にした中村先生。うれしそうでしたヨ。早川先生も 一緒にいらっしゃったと思います。 ・頭を悩ませていた EMC 対策についてプロジェクトメンバーを前に原因と対処法を報告する筒 井先生と長野先生。ハーネスのルーティングの説明をお聞きしながら感動しておりました。 ・GEOTAIL を擬人化して英語で詩を書きました。それをチェックアウト室でロジャーさんが読 んで、ニコニコと笑いながら褒めてくださいました。 ・LEP の単体振動試験でしょうか、向井先生が「LEP を振ったらカラコロカラコロって」と、そ の楽しそうな(?!)口調が印象的でした。 ・バレンタインデーのときに「みなさんへ」という意味で控え室にチョコレートの大箱を置きま した。そのお返しにと、ホワイトデーに明星電気のみなさんが缶に入った不二家のクッキーをく ださって、ものすご~~くうれしかったです。その缶は今でも手元にあります。 いろいろ思い出していると懐かしくて涙が出そうです。 (現 宇宙科学研究所 水野研究室 河野まり子)
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