事故や事件などの失敗から学ぶ 失敗を成功に導くエンジニアの育成 東京大学大学院工学系研究科総合研究機構 教授 中尾政之 何かを設計・企画・計画するときは、まず何をしなければならないか(What to do) 、つまり「要 求機能」を決定しなければいけません。例えば、入試で「どのような能力を持った学生に入学して もらいたいか」という要求機能を初めに設定できれば、それを実現するために「あの科目はこれく らい難しく、例えば1時間で5割しか正答できない試験問題」というような設計解(How to make) が決まります。そして、その試験に合格して入学した学生が最終的な設計解になります。 といっても、実際に試験問題を作るときは要求機能を討論せず、前年度の過去問題を踏襲して「似 て非なる」問題を作成します。その理由は、100 年も昔から試験科目は数学、英語、物理というよう に決まっているからです。ところが、突然、「工学部にビジネスマインドを持った学生を入学させて、 大学の中でベンチャー企業を立ち上げよう」という新たな要求機能が持ち上がった場合、どのよう な入試問題を作ればよいでしょうか。 工学には、100 年以上の歴史のある分野、例えば機械、電気、化学、建築のような分野があります。 しかし、現在は、ビジネス、政治、経済や法律とも接点を持つような要求機能が工学にもあります。 その一つに、失敗に対するエンジニアの対応が挙げられます。エンジニアは一般に「頑固で視野が 狭いが、言われたことは地道に実行する。だから、忙しくて給料が安い、趣味がなくて閉鎖的で、 仲間内に失敗を隠す」といった散々の評価を受けているようです。でも、それは本当でしょうか。 近年、自動車やロケットの故障、工場や原発の事故が重なり、「エンジニアは過去の失敗に学んで いるのか」と批判を受けているのは確かです。しかし、政治家や行政官、銀行員といったエンジニ ア以外の分野でも不祥事や誤判断が続出し、大きな問題となっています。つまり、小さな失敗を正 直に告白しなかったために事件が拡大し、さらに責任追及でエネルギーを使い果たしてしまい、失 敗の再発を防止できないということは、日本全体の問題なのです。東京大学大学院の総合研究機構 では、このような工学と社会との両方にかかわる問題を研究しています。 私の研究室では、まず片っ端から失敗の情報を集め、それらに含まれる知識を抽出します。例え ば、2004 年に起きた回転ドアに小児が挟まれた事故は、回転ドアの大型化によって運動エネルギー が増大したこと、挟まったことを検出するセンサーをだましだまし調節しながら運転したこと、フ ェイルセイフ(事故発生時に被害を最低限にとどめるための設計)がなされていなかったことなど が原因であると考えられます。もし回転ドアが木製で小型だったなら、ぶつかっても扉の方が壊れ て、人は無事だったかもしれません。 次に、その失敗から得たことをどのようにしてエンジニアに還元させるかが課題となります。こ れまでに、失敗疑似体験ソフトウエアや失敗ケーススタディー会を試していますが、失敗体験のな い成功者に対して失敗に関する知識を与えることは、当人が必要としていないだけに難しいもので す。そこで、演習でいろいろな機械を設計している学生に、小さな失敗を経験させて、それが創造 の成功にどのように結びつくのかを調べています。例えば、設計前に心理テストを行い、「あの学生 は失敗の対処が下手そうだから、あの学生と組み合わせよう」というようなチーム編成方法を開発 しています。しかし、演習後の作品の独創性や完成度は、必ずしも期待していたような結末になっ ていません。 失敗に学ぶ「失敗学」の要求機能は、「過去の失敗を活用して、将来の事故を回避し、創造を成功 に導く人材を育成する」ことです。この能力を潜在的に持つ候補者は、どのような入試で選別する ことができるでしょうか。それには、工学を超えて心理学、法学や経済学のような他分野の研究者 との交流が不可欠なのです。 http://hockey.t.u-tokyo.ac.jp(中尾・濱口研究室)
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