一 、 張 斐 は 南 京 に て 康 王 か 魯 王 を 取 立 参 ら せ ん と し て 事 な

一、張斐は南京にて康王か魯王を取立参らせんとして事
ならすして道士となりしと長崎に来る清人の物語也心越は
それは偽れる事の由申されと張斐は三年まて我朝に
来て水戸殿に仕んと望しかとも其頃水戸殿心越の事
を信せられしゆへ事ならさりき一説に張斐とかく本国へ帰
りて又来んといひしゆへ事ならすといひきされと心越に
猜忌の心や有けん古き人の申せしは三家の御方に
唐人三人まては召置るゝ事御ゆるしのよし申きと也
寺澤志摩守方に堀江宗信と云もの少しの由緒にて客分に
なりて居けり此ものある時大和の士何かし事關ケ原にて何
れの手にか属し潔よく討死をとけたる始末を物語りけり
右の士は常には銭の数をもしらす米の升目もしらぬ者にて
真の武士にて候と言けるに志广守言真の武士と云ものはさ
にあらす世の中をうかと心得たる如きは薬代なしといふ物
なり治世の十年もつゝく時は飢寒をもまぬかれす武具
も持たぬほとに零落するもの也幸にして乱世に遭ひ討死
せしかは尾をも出さすめくら打といふ也といはれき
先生曰或ふるき職原抄の抄物を見侍るにいにしへは天下の礼
儀は朝廷にのみありて士庶人は嘗而しらさりしほとにをのつ
から朝廷を奥ふかく恐ろしき事におもひて恐れ尊みたり
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