卒業論文 「これからの日本におけるアートマネジメントの在り方を考える」

卒業論文
「これからの日本におけるアートマネジメントの在り方を考える」
【1】はじめに
【2】アートマネジメントとは
Ⅰ.アートマネジメントの定義と必要性
Ⅱ.アートマネジメントのプロセス
Ⅲ.日本におけるアートマネジメントの歴史
Ⅳ.各国で求められるアートマネジメントの差
【3】現代日本におけるメセナ活動
Ⅰ.企業例
Ⅱ.メリットや問題点
Ⅲ.企業メセナ協議会への懐疑
【4】むすびに
経営学部経営学科 4 年
中村
【1】はじめに
多くの人々は、生きてゆく内に様々な芸術に触れ、文化を感じ、それにより
刺激を受け、日々精神を充足させてゆく。もしいま、音楽プレーヤーに入って
いる音楽データがすべて消えてしまったら、病院の待合室に飾られている絵画
が取り払われてしまったら、人々は一体何を思うだろうか。いまや芸術の存在
は、我々の普段の生活に欠かせないものとなっていると言えるだろう。
アーティストが芸術作品を作成するためには、他者に披露するためには、一
体いかにして作品を作る環境を作ることができるか、生まれた作品をどのよう
に扱えばよいか。また、次に生まれ来るであろう作品を、再び作成・披露する
ためにどのような考えを持って芸術活動を進めてゆくべきであるか…このよう
なことを考えることは、現代において「アートマネジメント」と呼ばれている。
また近年、企業が‘メセナ活動’として芸術・文化を支援しているという話
題が出てくることは、決して珍しくないことである。以前まで主流であった株
主価値経営から脱却し、その上をゆく次元の話として、社会貢献による企業価
値の上昇という話がよく上がっているという背景もあり、企業のメセナ活動が
今後も増えてゆくであろうことは期待できるだろう。
しかし実際には芸術の振興が行われていることを感じる機会は少ない。例え
ば、私が今まで出会った人の中で、普段から演劇を劇場に観にゆく習慣がある
といった人は数少ない。音楽に関しても、クラシック音楽に精通している人が
減ったようにすら感じられる。そのような私情も伴い、今回私は「これからの
アートマネジメントの在り方」とはなにかということを調べてゆこうと考えた。
本論文では、まずこの序文の後、アートマネジメントの定義と必要性・アー
トマネジメントが行われるプロセス・日本におけるアートマネジメントの歴史
という 3 点をまとめることで、アートマネジメントとはなにかを確認してゆく。
次章では、現代の日本においてのアートマネジメントがいかなるものかを論じ、
また、どのような企業メセナ活動が行われているかを取り上げ、それによる社
会におけるメリットや問題点を掲げることで、現状を把握してゆく。そして以
上の内容を踏まえ、最終章にて本論文のタイトルにもある「これからのアート
マネジメントの在り方」とはなにかを論ずることとする。
【2】アートマネジメントとは
Ⅰ.アートマネジメントの定義と必要性
アートマネジメントという語句は、そもそも日本語には無かった表現・概念
で あ り 、 欧 米 か ら 日 本 に 持 ち 込 ん で き た も の で あ る 。 元 の 言 葉 は “ Arts
Management”である。このようにアートマネジメントという語句は「アート
(Arts)」と「マネジメント(Management)」を繋ぎ合わせたものであるので、そ
れぞれに分けて確認する。
まずここで言う”Arts”とは”Art”の複数形であるが、“Art”が美術などの単体
の芸術行為及びその成果等を指すことから、”Arts”は、複数の芸術作品のことを
指すか、もしくは美術や実演芸術・映像といった様々な芸術分野のことを統括
して指していると言える。
“Management”に関しては、大きく捉えて「運営・管理」という解釈で間違い
は無いであろう。
したがって、アートマネジメントを単純に日本語に置き換えると、「芸術運
営・管理」となる。補足として、欧米では同意義語に“Arts Administration(芸
術行政・運営)”というものがあり、どちらかというとこちらの方が一般的であ
ると言われている。
つまるところ、アートマネジメントとは何かを説明するとしたら、広義では
・ アートを社会で活かしてゆくこと
・ アートを生み出すアーティストと社会の橋渡しをすること
・ アーティストである個人が生み出す表現を社会に伝えてゆくこと
というようなことであると言える。さらに狭義として具体的な話にすると
・ アートに関わる事業の運営
・ あるアーティストの芸術活動の管理
・ ある文化施設の管理・運営
・ アートリテラシー(芸術に関する知識・教養)の普及
というような事が挙げられる。
以上の事を踏まえ、アートマネジメントとは何かを定義付けるとしたら、
・ アートマネジメントとは、「アーティストの才能を育て、質の高い芸術を世
に生み出す環境を作り、生み出された芸術を限られた資金で効率よく社会に
普及させることでひとびとの心と生活を豊かにするための物的・人的環境を
整えるインタフェース 1」
であると言えるだろう。
またアーティストの視線から考えると
・ アートマネジメントとは「観客やパトロンに自らの活動の意味・価値を理解
してもらい、その必要性を説得するためのノウハウ 2」である
と言える。ここでいう「パトロン」とは、資金援助者のことを指す。つまりは
上記の内容をまとめると、アーティストにとってアートマネジメントは ‘資金
調達の方法論’であると言える。
次に、なぜアートにマネジメントが求められるのかということについて考え
てゆく。
アートの源がアーティストの才能であるとすると、才能はそのアーティスト
が持つビジョンであり、技術であり、創造性である。しかし才能そのものはそ
のアーティストの心身(手、精神、心など)に秘められているもので、目に見
えているわけではない。それらが目に見える形で表れたものが作品である。作
品は社会に対して発表の機会が得られて初めて、社会に生きた存在となる。
例えば、ある一人の才能があるとされる演出家がいたとする。その演出家の
才能は、役者を伴う舞台という作品において初めて目にすることができる。し
かしそこに至るまでには様々なプロセスが必要となってくる。まず作品の発
表・記録・保存など、それぞれの資質を持った人材が求められる。また作品が
多くの人々の目に触れるようにするために、観客動員もしなければならない。
演出家の作る舞台は公開されるべきであるが、これらのプロセスを、演出家一
人で行うのはとても困難であることは容易に想像がつく。また、それらを実現
するためには大きな資金が必要となってくることも考えられる。そこで、その
舞台の発表の機会をマネジメントする者の存在が求められてくるのである。そ
1
2
林(2004) 3p
同上
してそれは演出家本人でなく、その演出家の作品(となる予定である物)に触
れ、心を震わされた他人である。
つまり芸術作品には、それを享受する者、鑑賞し批判・賞賛する社会(観客)
が必要であり、社会に生きる人々もまた、文化的で充実した日々を送るために、
あるいは他者の思想や哲学に触れ刺激を受けるためにアートを欲している。こ
の‘お互いが必要としあっている’アートと社会を結びつけること、つまりア
ートのマネジメントが求められることは、至極まっとうなことであると言える。
そしてそれを概念として体系づけたものが、現代社会において名を成している
アートマネジメントであると言えるだろう。そこにはそれに従事するアートア
ドミニストレーター、あるいはアートマネージャーと呼ばれる存在も現れてく
ることとなり、そのような存在に自らがなることで生きがいを得られるという
者もいる。
また、アートがどのようなタイミングで人々にインパクトを与え得るかとい
うことも注意するべき点である。アーティストには寿命があるが、作品は形と
して残っている限り存在し続ける。それゆえに、作品はアーティストの死後も
次の世代の個人・社会へもインパクトを与える作品にもなり得る。そのような
作品を作った者の最たる例として挙げられるのはパブロ・ピカソであろう。ま
た、生前は評価されずに、死後に作品が評価されたフィンセント・ファン・ゴ
ッホのような者もいる。そのような芸術家は世界中に多々存在すると言われて
いるが、そのような事が起こる要因としては、当時の世間の芸術観にそぐわな
かったことや、政治的背景により弾圧の対象となっていたこと、人々の芸術家
の評価基準がその芸術家の生涯を見つめることを前提としていること(ゆえに
存命中は評価されづらい)、などが考えられる。
上記の例として挙げたピカソやゴッホの作品は、今なお現代に生きる人々に
大きなインパクトを与えている。このように、いつまた人々にインパクトを与
えるアートが生まれるか予想が出来ない現代において、アートの社会における
インパクトは長期的に考えていかなければならない。それゆえに、アートをど
のように発表・保存するのかということは、マネジメントの枠で捉えて突き詰
めて考えてゆくべきことであるとも考えられる。
いずれにしても、根本には人々が抱いた‘もっとアートに触れたい’や‘ア
ートを大切にしてゆきたい’という気持ちがあり、それに伴って、アートをマ
ネジメントしようという流れが生まれたと言えるだろう。
Ⅱ.アートマネジメントのプロセス
では、そのアートマネジメントはどのようなプロセスを持つこととなるのか
というと、以下の二つに分けて考えられる。
①個々の作品を自由に表現する環境を資金的及び物的に整えること
…これは例えば、アートマネジメントの対象が一人の美術家だとすると、その
美術家が絵画を描くための画材や、作品製作のための作業場所としてアトリエ
などを提供すること、もしくはそれらを手に入れるための資金を提供すること、
が、このプロセスに当たると言える。
②作品として表現されたものを広い意味で社会に還元してゆくこと
…その美術家の作品が展示されている展覧会を開催することや、作品を画廊で
販売することなどがこれに当たる。そしてこの段階で、このアーティストから
生み出されたアートが地域の振興に役立ったり、環境を改善したり、教育に活
用されたり、といった様々な形で実社会と関わることとなる。
の二点である。①の段階ではアーティストからアートが生まれるまでのサポ
ートであり、②の段階はその後のサポートであると言える。①の段階のみでも
アートマネジメントの存在意義は大いにあるが、②の段階まで進めてゆくこと
が出来ない限り、アートマネジメントが本来の目的を達成し功を成したとは言
えないであろう。
アートマネジメントの範囲は、単に芸術施設の運営等を指すのでなく、自治
体の文化政策を指すのでもなく、それらすべてを統合して作家が表現するため
のインフラを整え、その才能が社会で開花しインパクトを与えるようにする方
法論であると言える。
Ⅲ.日本におけるアートマネジメントの歴史
では、いかにして日本にアートマネジメントという概念が入ってきたかを確
認するため、日本におけるアートマネジメントの歴史をまとめてゆく。
まずは 1980 年代にあった関連の出来事として、アートによる街づくり、冠イ
ベントの多発、企業のメセナへの傾倒の 3 つが挙げられる。
①アートによる街づくり
…80 年代から「文化」や「情報」、「仕事」といった人々の生活に基づく要因が
都市に集中し、それと共に人口が集中してゆくこととなった。それにより地方
では人口が減少し、過疎化が進んでゆくこととなり、地方各地は人口を取り戻
すことを課題とすることになった。そこで、自らの地域を魅力づけるためにい
わゆる‘文化を取り入れた街づくり’というビジョンを掲げ、その一環で美術
館や音楽ホール等の文化施設を建てていった。しかしこれは後に触れるが成功
とは言い難い結果に終わることとなる。
②冠イベントの多発
…80 年代のバブル経済時代に大量の商品を生み出した企業は、その商品を得る
ための広告・宣伝活動に力を入れた。そこから芸術イベントを用いた宣伝活動
である「冠イベント」が盛んになってゆくこととなった。冠イベントとは、ス
ポンサー名をタイトルに被せたイベントのことを指す。当時からある例として
は NTT・N 響コンサート、サントリー・ブロードウェイ・ミュージカル「ダン
シン」等が挙げられる。企業がこの冠イベントを利用した理由としては、アー
トの持つプラスのイメージと企業名を合わせて、企業や商品のイメージアップ
を狙ったのが根端であると考えられる。
③メセナ活動への傾倒
…上記のように冠イベントにより、企業は多大なる宣伝効果を得られた。しか
し一方で、世間ではこの冠イベントに対し「企業がアートを利用している」
「商
業化している」という批判が起こっていた。イベントのスポンサーとして資金
を提供し、見返りを請うというのは妥当な話ではあるが、世論として、芸術を
そのように利益追求のために用いるのはよくないのではないかという意見があ
ることがわかった。ここで企業は日本社会の芸術観というものを意識すること
となる。
そのような状況の後に 80 年代末から 90 年代に向けて生まれたのが、社会貢
献を目的とした企業の文化支援‘メセナ活動’である。
・ メセナとは
メセナ【mécénat】はフランス語で、芸術文化支援を意味する単語である。
1988 年に行われた日仏文化サミット’88 がきっかけとなり、フランスから
この語を取り入れることとなった。後に企業メセナ協議会はメセナを「即効
的な販売促進・広告宣伝効果を求めるのではなく、社会貢献の一環として行
う芸術文化支援 3」として定義付けた。それにより、当時から現在にかけて
日本において、メセナはすなわち「企業が行う社会貢献活動」であるという
解釈が為されている。
次に 1990 年代を見てゆく。90 年代の主な出来事としては、企業メセナ協議
会の発足、日本企業のグローバリズムの2つが挙げられる。
①企業メセナ協議会の発足
…80 年代の流れを介して、日本では 1990 年に公益社団法人の企業メセナ協議
会が発足した。企業メセナ協議会とは、企業には社会貢献の責任があり、その
一環としてメセナ活動があるとする企業の会員組織である。またこの企業メセ
ナ協議会が設立された 1990 年は‘メセナ元年’と呼ばれている。企業メセナ協
議会は 2014 年 12 月時点で、正会員 136 社・団体、準会員は 34 社・団体及び
個人が 14 名というメンバーを擁している。
3
企業メセナ協議会「メセナとは」
http://www.mecenat.or.jp/ja/introduction/post/about/(2015/1/22 アクセス)
②日本企業のグローバリズム
…日本企業は大きく成長してゆき、成熟しつつある日本の市場から新たな市場
へと突入するため、グローバルな展開をしてゆくこととなった。そして徐々に
日本の製品は外国へと出るようになっていったが、実際にそれを考案したり作
ったりしている日本人の‘顔’が見えてこないという状況に陥った。つまり外
国からすれば、日本人の国民性や国文化が不透明であり、日本はとっつきにく
い国であるというイメージがあったと言えるだろう。そこから日本では、自国
のアイデンティティー確立のための文化振興・普及が重要視されてゆき、欧米
で論議されているようなアートマネジメントの必要性を説いてゆくこととなっ
ていった。
Ⅳ.各国で求められるアートマネジメントの差
前項の通り、日本では 90 年代初頭にアートマネジメントという概念が入って
きて、その必要性が理解され始めた。大学での講義であったり、企業メセナ協
議会が主催となったシンポジウムであったり、様々な場でアートマネジメント
に関する講義が開かれてはいるが、日本においては、欧米を模範とするアート
マネジメントが機能していないようにも感じられている。
それはなぜかということを問うために、日本と欧米の違いに注目してみるこ
ととした。今回は「芸術観」と「経済面」の2つについて論じてゆく。
①芸術観
…芸術観とは、人々がいかに芸術という物を捉えているかという意味であるが、
欧米と日本ではこれが大きく異なっている。
欧米の人々にとってアートは特別なものであると考えることが多いそうであ
る。言うなればアートは「才能のある芸術家の特権(林 2004)」であるとして、
捉えられているという。
一方日本では、アートはそもそも生活の中にある身近なものとして捉えられ
ていた。例として浮世絵を挙げて考えてみると、現代においては日本を代表す
る美術である浮世絵も、制作当時は‘人気役者のブロマイド’や‘観光地の絵
葉書’といったような土産物として扱われていたと言われている。このような
事情から、日本社会において芸術は才能のある芸術家の特権というような扱い
ではなく、一般市の身近に存在し、簡単に嗜めるものであったと考えられる。
そして、そのようなアートに対する日本人の意識は現代においてもあまり変わ
っていないものなのではないかと考えられる。両者の違いは大雑把に言うと芸
術に対する‘有り難み’の有無である。次に述べる経済面の違いにも関連して
くるが、日本における芸術に対する寄付の文化が希薄であることもその裏付け
となっているのではないだろうか。
これまでに国や自治体が推し進めてきたものは欧米志向のものであり、市民
におけるアートとの距離はむしろ広まってしまっていると言える。欧米に感化
されて建てられた革新的な建物も、実際に日本人が気に入るかどうかという問
題である。例えば美術館は美しいフォルムや外観・整然とした空間などを目指
すのではなく、ある程度の規律はあっても雑然とした空間である方が、日本人
の肌に合うのではないかというようにも考えられる。
②経済面
…続いて経済面ではどのような違いがあるのかというと、文化施設の歳入の寄
付金の割合が大きく異なっている。
日本の国立美術館の 2012 年度のデータと、アメリカのメトロポリタン美術館
の 2011 年 7 月から 2012 年 6 月にかけての歳入データを比較してみたところ、
以下の様な数字が見られた。
表 1-1
国立美術館・メトロポリタン美術館の歳入データ
国立美術館
メトロポリタン美術館
総収入
14,207,757,666 円
332,049 ドル
入場料
1,172,042,936 円
37,828 ドル
寄付金
16,656,430 円
77,311 ドル
(出所:国立美術館HP 4・メトロポリタン美術館HP 5より筆者作成)
そしてこの数字を元に総収入をおおよそのパーセンテージで分けて示すと以
下のようになる。
表 1-2
国立美術館・メトロポリタン美術館の歳入データ
国立美術館
メトロポリタン美術館
総収入
100%
100%
入場料
8%
11%
寄付金
0.1%
23%
(出所:同上)
両館で入場料における割合に大きな差は無いものの、寄付金の割合が大きく
異なっていることが目に見えてわかる。国立美術館に対する寄付金は 1%にも満
たないのに対して、メトロポリタン美術館は総収入のほぼ 4 分の 1 を寄付金に
よって賄っている。これはさきほど触れた‘寄付の文化’の濃薄の差が浮き彫
りになっていると言えるだろう。
しかしこの数値の違いには、そうなるに至る理由が存在している。メトロポ
リタン美術館の入場料の制度には特色があり、入場者全員に必ずしも提示した
4
独立社団法人国立美術館「平成 24 年度業務実績報告書」
http://www.artmuseums.go.jp/03/03030067-1.pdf
5
The Metropolitan Museum of Art「Annual Report for the Year 2011-2012」
http://www.metmuseum.org/about-the-museum/annual-reports/reports/annual-report-for-th
e-year-20112012
入場料全額を払わせているわけではない。メトロポリタン美術館は入場料を大
人は 25 ドル、学生は 12 ドルといった形で提示しているが(これは国立美術館
と比較しても大きな差は無い)、これはあくまで「希望額」なのである。ここで
払われたチャージは特別展示への費用の補填等に向けて使われるということで
ある。
では、実際にはいくらで入場することが出来るのかというと、なんと無料で
入場することが出来る。実際のところ入館時に、
「入場料は寄付金で良い」と言
われるほどである 6。もちろん金銭的に余裕のある者が多く払うこともできれば、
本当に一銭も持たない貧しい者でも躊躇いなく入場することができる。
アメリカでは自治体、学校、宗教団体、科学、スポーツ・文化といった幅広
い分野への寄付金の所得控除が認められているので人々の善意が社会に浸透し
やすいシステムになっている 7。国民全体として、寄付がし易い環境にあると言
える。それゆえに多くの寄付金が集い、国政からのサポートを大きく受けずと
も、メトロポリタン美術館のような大きな文化施設を運営してゆくことが可能
となっている。事実、メトロポリタン美術館は国営ではなく私営団体として活
動している。たとえ赤字となってしまっても、国民に根付いた寄付の文化が美
術館を支えるであろうということは、決して想像に難しくない。
以上の二点が日本と欧米との違いであり、この違いにより、求められるアー
トマネジメントの差も生まれているのである。これは今回の論文テーマの中心
となっている日本に限ったことではなく、各国において言えることである。例
えば国の財政においても、それぞれの国の経済状況により、文化支援に割り振
る予算にも差が生まれることが考えられる。国民に寄付の文化が深く根付いて
いることを理由に予算を控えめに出来る場合もあれば、あるいは国からの支援
を中心に資金繰りをしていかなければならない国もあるだろう。そしてそれを
受けて実際にアートの現場にいる者達が、マネジメントを遂行してゆくことに
なる。これらを踏まえて、現代の日本においては一体どのようなアートマネジ
メントが求められるだろうか。
6中村繁夫(2012)
7中村繁夫(2012)
【3】現代日本の企業メセナ活動
Ⅰ.企業例
では次に、現代の日本ではどのような活動が行われているか、トヨタ自動車
株式会社、株式会社東急 Bunkamura、福岡ソフトバンクホークス株式会社の3
つの企業を例に挙げて触れてゆく。
①トヨタ自動車株式会社
…トヨタ自動車は言わずと知れた自動車の会社であるが、アートマネジメント
にも注力している。まずトヨタ出てきたアートマネジメントの活動として、ト
ヨタ・アートマネジメント講座(TAM)がある。
トヨタ・アートマネジメント講座はトヨタ自動車と企業メセナ協議会が協働
し行われたもので、1996 年 6 月に始まり、2004 年 3 月までに、53 回開講され
た。この活動は単純に言えば、全国各地でアートマネジメントの講座を開くこ
とであるが、その特色は、地域のコーディネーター(開催地の企画担当者や実
行委員)と、TAMの運営委員が連携し、開催地それぞれの地域性などに基づい
たアートマネジメントの講座を行うこと 8である。53 回と数多く行われた講座
ではあるが、同じ内容の話は一つもなく、地域密着型のアートマネジメントと
して、各地域を盛り上げることとなった。
そしてその後、トヨタ自動車はインターネットサイト「ネット TAM」を開設
した。このネット TAM はアートマネジメントの総合情報サイトとして開かれた
ものであり、アートマネジメントに関する用語解説やコラムの紹介、過去に行
われたトヨタ・アートマネジメント講座のアーカイヴ、また芸術文化分野の求
人情報などが掲載されており、アートに関わる多くの人々の手綱となっている
と考えられる。
②株式会社東急 Bunkamura
8
ネット TAM「トヨタ・アートマネジメントについて」http://nettam.jp/about/tam/all/
…株式会社東急 Bunkamura が開いた Bunkamura は、1989 年 9 月に開館され
た複合文化施設である。楽団の演奏会などに使われるオーチャード・ホールや、
演劇公演が行われるシアターコクーンなど、様々な文化施設を擁している。
この Bunkamura の組織運営の体制という意味で大きな功績として挙げられ
るのが「オフィシャルサプライヤー制」というもの取り入れたことである。オ
フィシャルサプライヤー制とは、1980 年代から 90 年代にかけて、冠イベント
という形を脱却し、企業と文化とを結ぶ新しい関係を作ることを目指し築かれ
た制度であり、企業側が単発のイベントのスポンサーという形ではなく、長期
的に文化・芸術を支援してゆこうというビジョンの元、形作られていった。
そしてこのオフィシャルサプライヤー制は 1999 年度の「メセナ大賞」(企業
メセナ協議会主催)を受賞された 9。現在も東急グループだけでなく、株式会社
日立製作所、株式会社LIXIL等、様々な企業がオフィシャルサプライヤーとして
継続的にBunkamuraを支え続けている。
③福岡ソフトバンクホークス株式会社
…福岡ソフトバンクホークスは、プロ野球チームである。今回主な話題となっ
ている芸術とは少し離れるが、野球というスポーツを文化として捉えれば、メ
セナ活動を行う理由の根本は同じであると考え、例として挙げることとした。
福岡ソフトバンクホークスは、メセナスポンサー制を導入しており、ホーム
グラウンドであるヤフオクドームの応援席の一部にメセナシートという席を用
意している。メセナシートとは、メセナスポンサーにヤフオクドームの年間指
定席を購入してもらい「野球観戦を望んでいる養護施設や介護施設に入所され
ている方々や少年野球チーム等のスポーツクラブに所属している青少年を野球
観戦にご招待していただけるシート 10」のことを指している。そしてそのメセナ
シートには、スポンサーの社名ロゴステッカーを貼り付ける、ということなん
っている。そのスポンサーの例としては株式会社みずほ銀行、三井住友海上火
災保険株式会社、ヤマト運輸株式会社など、様々挙げられる。
9「オフィシャルサプライヤー|Bunkamura
のコンセプト」
http://www.bunkamura.co.jp/about/concept/os.html
10 福岡ソフトバンクホークス「メセナスポンサー」
http://www.softbankhawks.co.jp/company/partner/mecenat.php
これも一つのメセナ活動であることに間違いはないと私は考える。
Ⅱ.メリットや問題点
以上 3 つの企業を例に挙げ話を進めたが、ここでそれらのメセナ活動による
メリット及び問題点等を挙げてゆく。まずメリットとして挙げられるのは、
・ 実際に文化振興に役立つ件は多々ある
…前項で取り上げたメセナ活動の例はどれも実社会に結びついていると言
えるだろう。特にネット TAM のような物はこれからアートマネジメントの
研究を始めるという人にも打ってつけであり、アートリテラシーの普及とい
う意味で大きく貢献していると考えられる。
・ 企業のイメージアップに繋がる
…芸術や文化を支援してゆくことが良いことであるというのは誰もが潜在
的に思っていることであるだろう。それを企業が目に見える形で為していれ
ば、間違いなくその企業のイメージはアップすると考えられる。このイメー
ジアップこそが企業にとって一番大きなメリットであると言えるだろう。
という点である。では逆に問題点はなんであるかを考えてみると
・ 資金援助という形だけでの繋がりが少なくない
…メセナ活動を起こす企業側は芸術に関する知識が芳しいとは限らず、それ
ゆえに結局のところ資金援助という形のみでの繋がりが多くなると考えら
れる。資金援助は立派なメセナ活動であるし、それにより芸術が興隆するの
はもちろん良いことである。そしてそれによってアートマネジメントの目的
が達成することは十分にあるだろう。しかし、資金調達をするだけというあ
まりにも表面的な関係性のみでは、「本当に芸術に関心があって活動を起こ
したのか」といった疑問も生まれてくる。
・ メセナのためには経済的な余裕が必須である
…企業のメセナ活動は褒めて然るべきことであるが、それをするためにはま
ずある程度の資金が手元に無ければいけない。すべての企業に等しくメセナ
活動を求めるとしたら、そこには経済的な壁が大きく立ちはだかることだろ
う。とりわけ日本においては資金規模の比較的小さい中小企業が多い。これ
らの要因から、メセナ活動に切り出すことが出来るのは主に大企業のみとな
ると考えられ、それに乗じてメセナによる評価の上昇が望めるのは大企業ば
かりということになる。
以上のようにメリットや問題点が挙げられた。これらの問題点を解決するた
めに、日本ではこれからのアートマネジメントがどのような形を目指してゆく
べきであるのかということを見据えてゆく必要があると考えられる。
Ⅲ.企業メセナ協議会への懐疑
私は本論を書き進める上で、企業メセナ協議会のホームページを広く参考に
させていただいた。その中で一つ、書いてある内容について懐疑的な気持ちを
抱いた箇所があった。
企業メセナ協議会のホームページを見ていると、助成認定制度というものを
見かけた。これは端的に言うと、助成の認定をされた団体・個人は、企業メセ
ナ協議会を通して寄付金を受けることで、その同額を受け取ることが出来ると
いう制度である。この制度が推奨されているのは、寄付が行われる際に公益社
団法人である企業メセナ協議会を通すことで、その寄付金が寄付金控除の対象
とされるからである。この制度の対象者は「公益を目的とした法人で、芸術・
文化活動を行うもの」「芸術・文化活動を行う個人の場合は、その活動の公益
性が認められるもの 11」であるとされている。また、対象となる活動は「芸術文
化の普及向上に資する活動、および芸術・文化による社会創造に寄与する活動 12」
とのことである。
しかし次の項を見ると、上記の制度の対象とならない活動として「一般への
公開を前提としない活動(習い事やサークル活動の発表会、特定の会員の相互
11
12
企業メセナ協議会「助成認定制度」http://www.mecenat.or.jp/support/apaap.html
同上
交流に過ぎないものなど)13」という項目があったからである。この項目は見る
からに、習い事やサークル活動の発表会には‘公益性が無い’と言っていると
いう解釈が出来てしまう。確かに、それらの活動は普段から公益のために活動
しているかと言うと決してそうとは言えないだろう。そしてそのような芸術活
動のために寄付金控除まで取り繕う必要があるかと言うと、それも大それた話
である。しかしそれらの活動について‘公益性が無い’と捉え得る表現をして
しまうのは甚だ遺憾である。
私がそう考える理由として、実際の体験談が挙げられる。私は他の大学の和
楽器サークルの活動の一環である演奏会に訪れる機会があった。その演奏会は
もちろん入場無料であるし、座席も入退場も自由であり、誰でも気軽に訪れる
ことが出来る。また、幅広い年代の方々に楽しんでもらえるようにと、プログ
ラムや選曲においても学生なりの工夫を凝らしており、普段から和楽器演奏と
いう伝統芸術に触れていない人でも楽しめるような演奏会作りをしようという
意思も感じられた。そしてそのサークルのメンバーの中には、プロの演奏家を
目指して日々練習に熱心に取り組む者もおり、非常にレベルの高い演奏が聴け
る機会であったと言えるだろう。実際にサークルの OB にプロの演奏家がいる程
である。
誰かにとっては、初めて和楽器演奏という芸術に触れる機会となったことだ
ろう。そして場合によってはこの演奏会という機会が大きな衝撃となり、その
後の人生を色濃く彩ってゆく可能性もあると考えられる。そのような‘可能性’
を作ることに対して‘公益性が無い’と言うことが出来るだろうか。また、こ
のような事例が、「一般への公開を前提としない活動」と言えるだろうか。
企業メセナ協議会のページに書いてあることを深読みすると、習い事やサー
クル活動、つまり、学生やアマチュアの活動には目を向ける必要も無いと言っ
た解釈も過言では無いかと勘ぐってしまう。
様々な要因から現代の日本におけるアートマネジメントの現状を読み解いた。
以上のことを踏まえ、結論に繋いでゆくことにする。
13企業メセナ協議会「助成認定制度」http://www.mecenat.or.jp/support/apaap.html
【4】むすびに
本論文において第 2 章では、アートマネジメントとはなにかを確認した。そ
の中でとりわけこれからの日本におけるアートマネジメントがいかなるものか
を考える上で重要となった項は、各国で求められるアートマネジメントの差と
いう部分であると私は考える。国立美術館とメトロポリタン美術館を取り上げ、
経済面の違いを示したが、最終的にそれらの差を生んでいる最大の理由は、米
国と日本の国民性の差である。元々アートマネジメントは欧米で生まれた概念
であるが、芸術を特別視する欧米人のアートマネジメントを模倣するのは、日
本において芸術文化を進行させるために有効な手段であるとは言えないだろう。
欧米には欧米の、日本には日本のアートマネジメントが必要であるという事が
浮き彫りとなった。
そしてその‘日本向け’のアートマネジメントとはなにかということである
が、まず一つ考えられるのが、国民の芸術に対する意識を欧米風に近付けてゆ
くことである。このためには、かなりスケールの大きな話となってしまうが、
日本人の意識を根本から変えてゆくための芸術教育・アートリテラシーの普及
を全国的に行ってゆく必要がある。
「アート」のイメージを‘身近なモノ’から
‘特別なモノ’へ。それは決して簡単なことではなく、根本からの変化を求め
るのはなかなか現実的であるとも言えない。ただ‘欧米の人々は芸術に対して
このような意識を抱いている’という事実さえ国民に伝われば、良いのである。
芸術を‘特別なモノ’として扱うことが、欧米の人々との相互理解にも繋が
る。国民の多くに周知されている企業が企業メセナを行うことによって、徐々
にそのような欧米的な意識を広めてゆくことは完全に不可能とは言えないだろ
う。日本という国全体がグローバリズムに向けて動いている現在において、こ
れからの日本人の芸術への意識を変化というものをいかに操作してゆくか、そ
れがこれから求められるマネジメントなのかもしれないと、私は考える。
次に、第 3 章で触れた現在に日本で実際に行われているアートマネジメント
の問題点をいかに解決してゆくかということを考察してみる。
‘資金援助という
形だけでの繋がりが少なくない’と‘メセナのためには経済的な余裕が必須で
ある’の 2 点を挙げたが、前者はやむを得ないとして、後者についてである。
企業がメセナ活動を行うためにはある程度の経済的な余裕が求められる。そ
れゆえに資金に乏しい中小企業は、たとえメセナ活動を行ったとしても簡単に
淘汰されてしまうと考えられる。もちろん大きな額を資金援助する企業の方が、
素晴らしいとされるのは妥当である。
しかし、私はメセナをメセナたるものとしているのは額の大きさではないと
考えている。例えば中小企業の中に、顧客情報システムを取り扱う SIer 企業が
あるとする。そしてある劇場は、顧客情報がシステムで統括されていない。そ
のようなシステムを取り入れたいと思うもののそのための経済的余裕が無く、
泣く泣くアナログの処理を行っており、そのための人員も求められるが、雇用
のための資金も無い。結果少ない従業員は長時間労働を強いられることとなる。
処理に滞り結果公演を削ることなり、動員数も減ってしまう。そろそろ廃館か
…という状況があったとする。そしてその SIer 企業に所属するある従業員は、
この劇場に昔から通っており、数多くの演劇・舞台を楽しんでいた。自宅にも
勤務地にも近いこの劇場がなくなるのは心惜しいことでる。話を聞いてみると
どうやら事務処理に追われているそうである。うちのシステムを用いれば…。
このようニーズ・シーズに立ち会うことは決して珍しいことではないのでは
ないだろうか。そこで「それでは寄付だ」というのは簡単なことではないかも
しれない。しかし、第 1 章でも述べたように、アートマネジメントは長期的に
芸術・文化支援を考えてゆくことが大事である。その劇場はそのシステムを導
入したことで事業が活性化され、そこで終わる可能性もあった事業が先 50 年続
くかもしれない。そして、その劇場は地域の方々から愛され、劇場の苦境にシ
ステムを提供した企業が素晴らしい評価を得られることになるかもしれない。
以上のことはあくまで綺麗な例え話であるが、もしかしたらそのようなシチ
ュエーションは実在するかもしれない。そして実際にそれに立ち会った時、そ
の当事者が何をどう考えられるか、である。企業にとって無駄な投資は自らの
企業価値を下げる要因とも成り得る。しかし、芸術・文化支援のための投資に
関しては、どれだけ小さな額・小さな事案であっても胸を張って誇れるような、
そんな社会があると良いという、私の期待を述べ、本論文の結びとする。
<参考文献>
熊倉純子監修 編集:菊地拓児・長津結一郎(2014)「アートプロジェクト(芸術と共創する世界)」
[水曜社]
小林真理ほか(2009)「アーツ・マネジメント概論 三訂版(文化とまちづくり叢書)」[水曜社]
中村繁夫(2012)「メトロポリタン美術館が寄付で賄われるわけ」[Wedge 2012 年 12 月号]
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2405
林容子(2004)「進化するアートマネージメント」[レイライン]
http://nettam.jp/「ネット TAM」(2015/1/22 アクセス)
http://www.artmuseums.go.jp/「独立行政法人国立美術館」(2015/1/22 アクセス)
http://www.bunka.go.jp/index.html「文化庁」(2015/1/22 アクセス)
http://www.mecenat.or.jp/ja/「企業メセナ協議会」(2015/1/22 アクセス)
http://www.metmuseum.org/「The Metropolitan Museum of Art」(2015/1/22 アクセス)
http://www.softbankhawks.co.jp/「福岡ソフトバンクホークス」(2015/1/22 アクセス)