佳 作 いまなお尾を引くGHQ洗脳教育の悪影響―問われる日本の大手メディアの懺悔の必要性 佳 作 いまなお尾を引く GHQ洗脳教育の悪影響 なみに、カルターゴー( ) は、 フ ェ ニ ー キ ア の 言 葉 で あ る。 な お、現在、カルタゴ遺跡は、チュニジアの首都チュニス郊外の高級住宅 地に位置する。フランス語を母国語とする国にあるので、現地では、カ ”)と言う。 カルタゴのことを、ラテン語ではポエニと呼ぶので、、古代ローマと カルタゴが 度にわたって戦った戦争のことを、ローマ側からみてポエ ルタゴのことを、「カルタージュ」(“ e g a h t r a C 歳 ō g ī h t r a C えい じ ―問われる日本の大手メディアの懺悔の必要性 やました 山下 英 次 次にわたって戦われ、紀元前146年、カルタゴの完敗によって ニ戦争というのである。紀元前264年に始まったポエニ戦争は、断続 的に 終了した。当時、地中海の新興勢力として台頭してきたローマが最終的 には勝利した。ローマ人のカルタゴに対する敵意は凄まじく、ほとんど すべてのカルタゴ人が殺されるか、奴隷にされた。また、カルタゴの土 こうして、ある時期、北アフリカ(いまのチュニジアのチュニス近郊) を中心に、イベリア半島南部を含め地中海西部の広大な地域を支配する 地は、塩で埋め尽くされ不毛の地にされた。 ほどの勢力を誇った強力な海洋国家カルタゴは滅亡した。そして、「ピ .カルタゴの教訓 .非科学的なリヴィジョニスト批判 .GH Qの洗脳教育と言論統制:アメリカの極めて陰湿かつ邪悪な意 .戦前から今日に至るまでずっと偏向してきた日本の大手メディア 図 たカルタゴは、もはや自分で反論することはできないので、ローマによ えられ、2000年以上の年月を超えて今日に至るまで残った。滅亡し は、敗戦 って着せられた汚名を永遠に晴らすことはできないであろう。 そこで、カルタゴの日本に対する教訓は、 つである。第 国は、戦勝国によって不当に貶められ汚名を着せられる。第 に、有効 )に相当する英語である。古代ローマ人は、カルタゴの のない」とか「裏切りの」という意味もある。この言葉は、ラテン語の )という言葉がある。「カルタゴの」と 英語に、ピューニック( か、 「カルタゴ人」という意味であるが、 「 (カルタゴ人のように)信義 題などは、むしろ1990年代以降になって深刻化した。対外的に有効 まだに汚名を晴らすことができていない。それどころか、従軍慰安婦問 力国の一つとして復活したが、有効な反論をしてこなかったために、い c i n u P ポエニ( な反論をしてこなかったという意味で、最も罪が大きいのは、日本の外 ī n e o P 年経っても、まだ、戦後の a i c ī n e o h P 務省であるが、後段で述べるように、戦後 )から出て来たので、 ティーナにかけての地域のフェニーキア( GHQによる洗脳教育の「優等生」のような報道姿勢を続けている大手 ない。日本は、カルタゴと異なり、滅亡するどころか、戦後、世界の有 ことを、 「ポエニ」と呼んだ。カルタゴ人は、いまのシリアからパレス .カルタゴの教訓 1 2 な反論をしなければ、敗戦国はいつまでもその汚名を晴らすことはでき 2 .日本の大手メディアの「告白」責任 ち「信義のない」とか「裏切りの」という意味が、後から勝手に付け加 ューニック」という言葉に、カルタゴ人にとって侮蔑的な意味、すなわ 大阪市立大学名誉教授、経済学博士 3 .一番近い世界大戦(冷戦)の勝利者としての日本の立場 (目次) 3 1 それから派生してポエニと呼ばれるようになったものと考えられる。ち 95 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 67 2 3 4 5 6 1 70 開始から101年になるが、同大戦の歴史的評価が定まったとはまだ決 判したとしたら、それは、むしろ、われわれに良い反論の材料を与えて c i f i t n e i c s n u )な姿勢を徹底的に批判することができるか は、開かれた心を持ち合わせているとはいえないし、科学的でもないわ t s i n o i s i v e r r e i n e d t s u a c o l o h ”)とほ 世の中、 どの分野でも、 およそ、 リヴィジョンなくして進歩はありえない。 アメリカでは、学者まで、リヴィジョニストを悪い意味で使っている ) は、 本 来、 良 い 意 味 で あ る。 よ う で あ る が、 リ ヴ ィ ジ ョ ン( ない。こういう第 石の国民党であり、共産党は、せいぜいゲリラ戦的な戦いをしたに過ぎ 大いなる欺瞞である。日中戦争で、主として日本軍と戦ったのは、蒋介 n o i s i v e r 次世界大戦の解釈に関する中国のプロパガンダに対 2 d r a u g d l o d e t o g i b いま、新たな歴史認識が出てくるのは至極当然である。むしろ、これか る。そして、日本は、経済的影響力という意味において、西側陣営の勝 民主主義と独裁的共産主義との戦いであった。中国もほとんど敗者であ する共産主義陣営(東側陣営)が敗者である。これこそまさに、自由な 次世界大戦について、戦勝国の戦争犯罪を含めて新たな歴史認 ら、第 識がどんどん出てくるであろう。ちなみに、今年は、第 1 2 96 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● メディアの責任も厳しく問わねばならない。 また、日本の汚名というのは、何も慰安婦問題とか、南京事件などの 個別の問題に限ったことではなく、むしろ、GHQの歴史洗脳教育によ くれたようなものだと、理解すべきである。彼らの学者としてあるまじ して言えない状況である。彼らが、リヴィジョニストだとわれわれを批 って著しく歪曲された日本の近現代史全体にまで及ぶことが極めて深刻 き非科学的な( らである。 である。 こ う し た 状 況 を 打 破 し よ う と、 わ れ わ れ の 側 か ら 正 し い 歴 史 認 識 を 提 示 し よ う と す る と、 た ち ど こ ろ に、 海 外 か ら リ ヴ ィ ジ ョ ニ ス ト けであり、そもそも知識人としてあるまじき姿勢の者だと言わねばなら .非科学的なリヴィジョニスト批判 開かれた心と自由な思想の持ち主ならば、リヴィジョン(修正)に対 して常にオープンな姿勢を取らなければならないはずである。われわれ 、 歴 史 修 正 主 義 者 ) だ と の レ ッ テ ル を 貼 ら れ る。 通 常、 彼 を、ステレオ・タイプ的に直ぐにリヴィジョニストだと批判する人たち ( ない。 ス・ドイツの)ホロコーストを否定する者」 ( 〝 とんど同じ意味で使っている場合も少なくない。すなわち、彼らは、極 新たな事実を基に、リヴィジョンを重ね、知見を積み上げていくことは、 しては、そもそも大いなる欺瞞であると主張するとともに、東京基督教 ) 2 年前に終結した冷戦の勝者は、アメリカ、西ヨーロッパ諸国、日本 などを中心とする自由民主主義陣営(西側陣営)であり、ソ連を中心と つとむ むしろ、学者、とりわけ歴史家の本分である。われわれを、リヴィジョ 大学の西岡 力 教授が主張するように、一番近い世界大戦は冷戦であり、 こ ろう ある。さらに、 「それではあなた方は固陋な守旧派( ではないですか」と、逆にレッテルを貼りたいぐらいである。 また、歴史の評価は、少なくとも100年ぐらい経たないと定まらな いとよく言われるが、 第 次世界大戦終了からまだ 年なのであるから、 25 利に非常に大きな貢献を果たした。さらに、日本は、冷戦でほとんど敗 70 次世界大戦の 2 る。 ニストだと非難する彼らの学者、科学者としての姿勢に大きな疑問を持 3 これに勝利した日本という立場を対外的に主張していくことも大切であ 9 めて非常識なトンデモナイ人という言葉とほとんど同義で、レヴィジョ 中国は、 月 日に、北京における抗日戦勝記念パレードを大々的に 開催したが、無論、中国共産党は、第 次世界大戦の勝利者ではない。 3 つ。 「あなたがたは、それでも学者なのですか?」と問いたいくらいで ニストという言葉を使っているようである。 .一番近い世界大戦(冷戦)の勝利者としての日本の立場 らが歴史問題について、リヴィジョニストというとき、それは、「(ナチ 2 佳 作 いまなお尾を引くGHQ洗脳教育の悪影響―問われる日本の大手メディアの懺悔の必要性 らこのように明確かつ正式に定義していた。また、時代は遡るが、第 次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議の一環として開催された国際連盟 北した中国の経済的復興に極めて大きな役割を果たした。今日の中国経 済の繁栄の礎を築くのに、わが国は非常に大きな役割を果たしたのであ 規約委員会において、日本は 」という圧倒的に多数の国々の支持を得たにもかか 回目の提案では、日本は採決を要求し、 度にわたって、「人種差別撤廃条項」を る。中国経済の躍進に最も大きな貢献を果たした外国はどこかと問うと 対 盛り込むように提案した。第 すれば、それは日本をおいて他にないであろう。この点については、多 その結果、「 わらず、議長のウッドロー・ウィルソン米大統領の極めてアンフェアな くの中国人識者さえも認めるであろう。この点も、中国に対してだけで なく、国際社会全体に訴えていくべきである。中国やロシアは、二言目 議長采配によって、認められなかった。牧師の息子のウィルソンは、人 世界大戦(冷戦)の戦後秩序」作りに大きな貢献を果たしてきたのであ 道主義を高らかに掲げていたが、実際は途方もない偽善者であった。ま 日、日本、満州、タイ、フィリピン、ビルマ、中 カ国による有色人種初のサミット「大東亜会議」を 華民国、インドの 次世界大戦についていえば、連合国の立場からは、よく、「民主 義同盟などとは言えない。共産主義独裁国家のソ連と手を組んでいたか 他方、日露戦争後のアメリカにおける黄禍論に基づく立法措置を含め た諸々の対日差別が、日米開戦の極めて大きな背景となった。また、原 月 19 年以上前に、スターリンの残虐性は 回モスクワ裁判」を行い、外国メディアにも公開 らである。スターリンは、1936年 あの忌まわしい「第 8 次世界大戦中は、さすがに「一時中 断」するが、大戦後、すぐに再開され、最終的には、自国民数千万人を 組んだ。スターリンの粛清は、第 ルーズヴェルト大統領は、こともあろうに、のちに、スターリンと手を 国際的にも広く知られていたが、親・共産主義的な米国のフランクリン・ している。すなわち、日米開戦の 1 決して説明することはできない。 .GHQの洗脳教育と言論統制:アメリカの極めて陰湿かつ邪悪な意 第 次世界大戦の終了時、アメリカに徹底的に打ちのめされ、町を焼 け野原にされた日本人に、当然のことながら、戦争に関する罪の意識は 図 リアやドイツと異なり、ファシズム国家ではなかった。 たせることが必要だと考えていた。実際、1945年 日、東条英機首相は、国会におい 日、鳩山一 なかった。むしろ、日本の復興のためにも、アメリカ人に罪の意識を持 月 「極力、アメリカ人をして、広島、長崎、東京下町などの惨状を視察さ 郎は、「新党結成の構想」と題する文章を朝日新聞に寄稿し、その中で、 15 て「大東亜宣言」を行い、 「大東亜共栄圏」は、欧米列強の植民地主義 月 9 せ、彼らに自らの行為に対する罪の意識をもたせ、日本の復興に責任を 実、日米開戦直後の1942年 2 と人種差別主義に反対し、 「アジア人によるアジアの統治」を目指した 21 持つように自覚させるべきだ」と主張した。これに、GHQは激怒し、 1 日米戦争は、むしろ、 「人種差別主義のアメリカ 対 人種差別撤廃 主義の日本」の戦争であったと表現した方が妥当ではないだろうか。事 虐殺する世界史上最悪の独裁者となった。また、そもそも日本は、イタ 4 5 2 的な一般市民に対する諸々の攻撃も、人種差別の要素を抜きにしては、 爆投下や夥しい数の日本の都市への無差別爆撃など極めて残忍で非人道 際場裡で人種差別の撤廃を明確に主張してきたのである。 撤廃を謳った。このように、日本は、100年近く前から一貫して、国 7 日、大粛清の開始となった 主義の連合国 対 ファシズムの枢軸国」の戦争であったとされるが、 これもかなり欺瞞に満ちあふれた表現である。連合国は、決して民主主 第 的な躍進に対する日本の貢献は、冷戦後の国際秩序作りの一環としても 6 東京で開催し、「大東亜共同宣言」(大東亜憲章)を採択し、人種差別の 11 とらえることができるのではないだろうか。 月 た、1943年 には、 (第 次世界大戦の) 「戦後秩序」というが、日本は、「一番近い 5 る。冷戦後の世界秩序作りはまだ非常に混沌としているが、中国の経済 2 ものであるとしている。すなわち、日本政府は、大東亜戦争を、最初か 97 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 1 2 11 2 2 その代わり何が教えられたかというと、GHQの洗脳部隊である参謀 第二部(G2)民間情報教育局(CIE)が編纂した『太平洋戦争史』 の 本 の 執 筆・ 編 集 を 指 導 し た の は、CIE企 画 課 長 の ブ ラ ッ ド フ ォ ー 設立したOWI(戦時情報局)の対日戦争プロパガンダの責任者(於・ r a w t s i d n a g a p o r p )が編纂した日本人に罪悪感を植え付けるために書かれた 「ためにする本」である。 なぜこのように、彼らは、日本人に徹底的に戦争の罪悪感を植え付け ようとしたのであろうか?それは、すでに述べたように、第 に、終戦 に、他方、アメリカは原爆投下や日本の夥しい都市に対 当時、日本人に罪悪感はなく、むしろ、被害者意識が強かったというこ とがあり、第 n o i t a m r o f n I t l i u G r a W する無差別爆撃など、数々の悍しい戦争犯罪(国際法違反)を犯してい P I G W ' m a r g o r P たからである。したがって、彼らは、日本人に強い罪悪感を植え付け、 自らの犯罪から国際社会の目を逸らそうとしたのであろう。原爆の被曝 e l p o e P e s e n a p a J e h t f o n o i t a t n e i r o e R d n a n o i t a c u d e e R による人体への恐ろしい被害が国際社会にしられることを殊のほか恐 GHQは、この『太平洋戦争史』を唯一の歴史教科書として、メディ アと学校教育を通じて、日本全国にあまねく徹底的に普及させた。それ れ、その点に関する情報について、特に徹底的に検閲した。 完全に禁止した上で、自分たちの歴史観だけを植え付けようとしたので と並んで、東京裁判が行われ、これらの つを通じて、戦後の日本人は、 ある。すなわち、平たく言えば、歴史教育に関しては、戦後の日本人は、 GHQによって徹底的に洗脳教育され、今日に至るまで、多くの日本人 .戦前から今日に至るまでずっと偏向してきた日本の大手メディア しょうけつ GHQに手足を縛られた上で強姦されたようなものである。 の頭の中で自虐史観が猖獗を極める結果となってしまった。 2 「教育に関する四大指令」を発令したが、特に、1945 GHQは、 年 月 日に発令された第四指令である「修身、日本の歴史及び地理の 教科の授業が停止させられた。すなわち、 停止に関する件」が最も重要である。これによって、「日本史」だけで なく、「日本地理」 と 「修身」 の る。 GHQは、日本の歴史・地理および道徳教育を全面的に禁止したのであ 3 それ以前は、軍部の拡張主義に対して批判的であった日本の新聞は少 なくないが、1931年の満州事変以降になると、まず最初に軍部から 5 31 98 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 即日、民間諜報局(CIS)民間検閲支隊(CCD)の隊長ドナルド・ フーヴァー大佐が日本の報道機関に対する声明を発し、以後、新聞、放 月発行)という冊子である。こ (日本語版・高山書院刊、1946年 日から 送については、CCDが100%の事前検閲を行うと通達した。なお、 月 ホノルル)であった。『太平洋戦争史』は、本文僅か158ページに過 来ているアメリカ人が本国の家族と交わす私信さえも検閲の対象とされ た。また、GHQは、言論統制の事実を、一般の日本国民には秘匿する )の 1 など、そのやり方は、極めて陰湿なものであった。 ) 、第 は、日本がこれ以降、米国にとって脅威とならず、 ル ト・ イ ン フ ォ メ ー シ ョ ン・ プ ロ グ ラ ム 」( ログラム」 ( つであった。 ド・スミスとみられている。彼は、戦時中は、ルーズヴェルト大統領が 日間( 時間)の発行停止処分を受けた。 これ以降、新聞、放送、本、映画、さらには個人の封書に至るまで、 GHQの検閲部隊であるCCDは、徹底的な検閲を行った。終戦時、海 ぎない冊子であり、分量的にも、内容的にもかなり貧弱なものであり、 朝日新聞は、鳩山のこの記事を掲載したことを理由に、 4 外に住んでいた日本人は、基本的に帰国させられた。日本という巨大な 2 とても歴史書と言えるような代物ではない。戦争プロパガンダ屋( 18 「洗脳の檻」の中に、日本人全員を入れるためである。さらに、日本に 9 ア メ リ カ の 戦 後 の 対 日 戦 略 プ ロ グ ラ ム は、 第 に、 日 本 人 に 戦 争 に つ い て の 罪 悪 感 を 植 え 付 け る た め の 宣 伝 計 画 で あ る「 ウ ォ ー・ ギ 1 むしろ国益となるように、再教育し、再方向付けする「日本人再教育プ 2 2 48 こうした戦略の下に、GHQは、日本人の歴史認識を完全に入れ替え るために、徹底した洗脳教育を実施した。これまでの日本の歴史教育を 2 12 佳 作 いまなお尾を引くGHQ洗脳教育の悪影響―問われる日本の大手メディアの懺悔の必要性 年間にわたる長期企 的に伸びるということもあり、次第に、戦争支持の論調が大勢となって きたが、自分たちの戦後責任については、今日に至るまでほとんど反省 画を組むと同時に、それをまとめた単行本を出版するなどして反省して 争責任」については、これまでに各々の本紙で約 いった。戦争が起きると、戦地に派遣された夫や子供のことを気遣う妻 したことがないといっても過言ではない。日本の大手メディアには、「戦 の圧力によって、次いで、実際に戦争が起きると新聞の発行部数が飛躍 や母が戦地の情報を知りたがったし、戦果が上がったとする勇ましい報 争責任」だけでなく、「戦後責任」もあることを、強く認識すべきである。 .日本の大手メディアの「告白」責任 道は、読者を惹きつけた。いつの時代にも、「戦争は新聞の非常に効果 1 ーナリスト、いや独立した人間としての誇りはないのであろうか?すな GHQの洗脳教育の「最優等生」の如くである。彼らに、独立したジャ く 挙 っ て 豹 変 し た。 そ し て、 朝 日 新 聞 や 毎 日 新 聞 は、 現 在、 あ た か も 新聞は、戦後は、GHQの厳しい検閲と洗脳教育を受けた結果、敢え無 いことを忘れてはならない。戦前戦中に戦争支持の論調であった日本の 皮肉にも、いまかなり左派的といわれる朝日新聞と毎日新聞に他ならな 戦前から今日にかけて、右から左へ、思想的に最も大きく振れたのは、 新聞と毎日新聞は、左派系の代表的な新聞とみられている。すなわち、 毎日新聞後援」と揶揄されたほどであった。しかしながら、今日、朝日 聞であった。勇ましい軍事作戦を紹介する際には、「陸軍参謀本部主催、 るはずである。さもないと、日本国民は、いつまでたってもGHQの洗 日本の大手メディアは、GHQによって厳しい言論統制を受けた事実 を、読者、視聴者、国民に対して告白し、事実を正確に伝える義務があ ないのではないだろうか。 で言論統制を受けた事実を告白する社説は、どの大手新聞からも出てい であった。そして、おそらく、その後も今日に至るまで、GHQ占領下 だそうであるが、日本が主権を回復して、実に以来 った。日本国憲法の施行(1947年 通常、社説は 売新聞』朝刊だという。「言論統制下の戦後民主主義」というタイトルで、 江藤淳によれば、日本の大手新聞が、戦後のGHQ占領下における言 論統制の存在を、社説で最初に認めたのは、1997年 月 日付『読 30 年が経過した時点 なくして、自らをGHQの洗脳教育の呪縛から解き放つことはできない 日本の大手メディアの国民に対して負っている言論上の負債は極めて 巨大であり、今後、いずれかの機会に、一回限り、告白報道をするとい であろう。『産経新聞』ですら、まだ一度も告白特集を出していないのは、 らしく伸び伸びと、 自由闊達に活躍することがなかった」と述べている。 うぐらいでは、とても罪滅ぼしにはならない。あたかも「月命日」のよ 日 で あ る。 な ぜ か と 言 う と、 つきめいにち いま考えれば、 「百年の歴史」を「150年の歴史」と読み替えること 新 聞 に つ い て い え ば、 月 命 日 は いのことをする必要がある。 うに、毎月、「GHQ言論統制告白大特集」を、今後何年間か組むぐら 月) 。 ができるであろう(鈴木健二、 『戦争と新聞』ちくま文庫、2015年 百年の歴史の中で明治の一時期と少数の例外を除いて、ついに言論機関 続けていると言えるのではないだろうか。 日) 周年に合わせた企画 本建ての長文の社説であ 3 理解に苦しむところである。 月 本建てであるが、この日は、 わち、戦前戦中は、右に偏り過ぎ、戦後は、左に偏り過ぎているのであ 脳教育の呪縛から逃れることはできない。また、メディア自身も、懺悔 50 45 1 3 2 否、毎日新聞論説副委員長を経験し、東京大学新聞研究所長となった き ど また いち 城 戸 又 一(1902~1997年 ) は、1970年 頃、「 日 本 の 新 聞 は る。換言すれば、日本の新聞は、最近、 こぞ 年間以上にわたって、偏向し 6 的な広告」という側面が確かにあるのである。 第 次世界大戦中、日本の新聞は、概ね、戦争支持であったが、その 度合いが最も強かったのが毎日新聞(ただし1942年 月末までは、 12 東京日日新聞と大阪毎日新聞に分かれていた)であり、次いで、朝日新 2 朝日、読売、毎日の大手新聞各社は、自分たちが犯した戦前戦中の「戦 99 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 80 5 8 8 1945年 月 日、すなわちGHQは、日米開戦 周年の日に合わせ 社に、 先に述べたGHQ作成の洗脳歴史教科書である『大 日間にわたって、 ページにわたって掲載させた。かなり薄っぺらの本なので、 東亜戦争史』の全文掲載を開始させた。それ以降、 て、 新聞大手 8 回で、全文が掲載された。 毎日、全 全 4 10 5 報教育局(CIE)は、1945年 月 日(日)から、例のGHQ御 9 ワーに、全 分番組の放送をNHKラジオ第 と第 時からのゴールデン・ア 1 回放送された。 『眞相はかうだ』の終了後も、『眞相はかう で同時放送させた。これは、毎日曜日の夜 かうだ』というドラマ仕立ての 用達の洗脳歴史教科書である『太平洋戦争史』をベースとした『眞相は 12 9 8 30 新聞大手は毎月 日に、NHKは毎月 日に、「GHQ言論統制告白 大特集」を是非とも組んで、 それを何年間か継続してほしいものである。 塗りをし続けることになる。 して負った巨大な負債の返済を開始しないと、今後とも、日々、罪の上 は、日々、不作為の罪を積み上げ続けているのである。早く、国民に対 のは、むしろ現在の日本大手メディアの現役スタッフたちである。彼ら GHQ占領当時の日本のメディアのスタッフに罪はない。彼らは、命 令に従う以外に道はなかったはずである。国民に対して罪を負っている を果たしただけであった。 GHQ制作のこれらの番組を、NHKは、ただ単に命令されて流す役目 ーからの投書がNHKに殺到したためだと言われている。いずれにせよ、 ッチの形式になったのは『眞相はかうだ』の評判がかなり悪く、リスナ お、 『眞相はかうだ』の後、番組がリスナーの質問に答えるソフト・タ だ 質問箱』 、 『眞相箱』 、 『質問箱』 、 『インフォメーション・アワー』と、 手を変え品を変え、執拗に次々とGHQ御用達番組を放送し続けた。な 10 9 あった芝の愛宕山である。GHQの洗脳部隊であるCIEは、そこの一 であろう。また、GHQ先脳教育の発信拠点は、当時、NHKの建物が さもないと、彼らの日本国民に対する言論上の罪を償うことはできない 8 部を接収して、対日洗脳作戦を展開していた。NHKの第 回「GHQ 1 言論統制告白大特集」は、是非、この象徴的な場所から放送してもらい たいものである。 100 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 12 2 他方、NHKについていえば、月命日は 日である。東京芝の愛宕山 にあったNHKの建物の一角を接収したGHQの洗脳部隊である民間情 10 2
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