H3ロケットの開発状況(PDF/2.58MB)

工業会活動
H3ロケットの開発状況
三菱重工業㈱ 防衛・宇宙ドメイン
宇宙事業部 主席プロジェクト統括
奈良 登喜雄
1.はじめに
2013年5月に、現行の基幹ロケットである
H-ⅡA、H-ⅡBに代わる我が国の新たな基幹
ロケットの開発が決定された。当初“新型基
他の競合ロケットに比べ打上げ輸送サービス
価格が割高となっており、商業衛星打上げ獲
得市場では苦戦を強いられている。
これまで打上げている衛星はほとんどが国
幹ロケット”と呼ばれていたこのロケットに
内の官需衛星であり、年間1∼4機と変動が大
は今年7月に「H3ロケット」の名称が与えられ
きく安定した産業として維持することが難し
た。H3ロケットの開発には、我が国の宇宙輸
い。このような官需衛星打上げのみでは生産
送の自律性の確保と衛星打上げ市場での国際
機数の変動や少量生産を強いられる等により
競争力の強化を実現させ、現状の宇宙輸送シ
サプライヤの撤退が増加しており、製造基盤
ステム産業が抱える課題を払拭しその産業基
の維持が課題となっている。一方で、H-Ⅱロ
盤を維持・発展させることが期待されている。
ケットで全段の本格的開発を実施してから25
2014年2月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)
年以上が経過し、この間改良開発以外の開発
からこのロケットの開発及び打上げサービス
機会が無いことから、当時の国産ロケット開
に関わる公募が行われ、三菱重工業㈱がプラ
発を通じて技術を獲得したシステム開発経験
イムコントラクタとして選定され開発作業を
者のリタイアにより技術伝承の機会を失う恐
進めている。現在、概念設計フェーズを経て
れがあり、技術基盤の維持も課題となってい
基本設計フェーズへ移行しており、2020年度
る。
の初号機打上げを目指している。本稿ではこ
我が国の宇宙政策の方針をまとめた宇宙基
のH3ロケットの開発状況について紹介する。
本計画では、人工衛星等を他国に依存するこ
となく打上げる能力を保持すること(自律性
2.H3ロケット開発の意義
現行の基幹ロケットであるH-ⅡA、H-ⅡB
の確保)は宇宙政策の基本であり、宇宙輸送
システムを保持することは、自律性確保の観
は、今年8月のH-ⅡBロケット5号機による「こ
点から不可欠であるとされている。ところが、
うのとり5号機(HTV-5)」打上げ成功により
宇宙輸送システムの産業界では上記に述べた
合せて27機連続成功となり、打上げ成功率も
課題を抱えており、自律性の確保のためには
96.9%と欧米の主要な打上げロケットと比肩
これらの課題への対策が求められる。
しうる信頼性を有している。さらに予定期日
こうした状況を踏まえて、現行基幹ロケッ
どおりの打上げ率が高いことも信頼性の高い
ト(H-ⅡA/H-ⅡB)に代わる我が国の基幹ロ
システムである証となっている。このように
ケットとして、H3ロケット(当時“新型基幹
信頼性については衛星顧客の高い評価が得ら
ロケット”)の開発に着手することが、2013
れているH-ⅡA、H-ⅡBロケットではあるが、
年5月に内閣府宇宙政策委員会で決定された。
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平成27年10月 第742号
このH3ロケット開発の進め方については、
“自
ロケットを開発中で、2014年に基本形態のテ
律性の確保”と“国際競争力のあるロケット
ストフライトを成功させている。一方、新興
及び打上げサービス”を目指すものと宇宙政
勢力と目される中国も次世代長征シリーズ
策委員会から指針が示されている(2014年4
(長征5/6/7号)を開発中であり、インドでも
月)。政府衛星打上げの要望に確実に対応す
新型ロケットであるGSLV Mk-Ⅲの開発を進
ると同時に、国際市場において毎年一定数の
めている。H3ロケットの運用が始まる2020年
商業衛星打上げを獲得できる新たな打上げロ
度以降にはこれらの新規の競合ロケットに伍
ケット・システムを構築することにより、宇
していかなければならない。
宙輸送システムの技術基盤及び産業基盤を維
持・発展させることが期待されている。
4.H3ロケットの目指す姿と開発状況
H3ロケットは、こうした衛星市場の変化や
3.世界の衛星打上げ市場動向
次に、H3ロケットが参入を目指す世界の衛
星打上げ市場の現状及び動向を整理する。
他国ロケットの開発状況を睨みつつ国際競争
力を確保する必要がある。H3ロケットの目指
す姿は、現行基幹ロケット(H-ⅡA/H-ⅡB)
世界の商業衛星打上げ輸送サービスの市場
の強みである“高い信頼性”に加え、国内外
は主に通信・放送衛星の打上げ需要から構成
のお客様(衛星オペレータ、衛星メーカ)か
されており、年間20∼25機程度の需要があり
らのヒアリング結果も踏まえ、①国際競争力
今後も同程度で推移していくと予測されてい
のある能力と打上げサービス価格、②お客様
る。衛星質量範囲は2.5∼6.5tonの間に分布し
の希望する時期に打上げ、③振動の少ない乗
ている。今後主流となる衛星質量は、主要ロ
り心地の良い機体、を実現させるものとして
ケットの打上げ能力や電気推進衛星の普及状
いる。
況等の影響を受け変動す ると考えられるた
め、幅広い衛星質量に対応できる柔軟性が必
要となる。
また、
競合する他国の打上げロケットをみる
現在、上記に示した打上げロケットを具体
化させる開発作業を始めた段階にあり、以下
に述べる機体構想を検討している。
と、
従来この市場のシェアは欧州のArianespace
社Ariane5ロケットとロシアのILS社Protonロ
H3ロケットの機体形態/ファミリ構成(案)
ケットによる寡占状態であったが、新しく米
を図1に示す。液体酸素/液体水素を推進薬
国民間会社のSpaceX社がFalcon 9ロケットを
としたコア機体をベースに、1段エンジン基
市場投入し圧倒的な低価格を武器に急速に
数(2基または3基)、固体ロケットモータ本
シェアを伸ばしている。更に能力を増強した
数(0∼4本)を組み替えることにより、2.5∼
発展型となるFalcon Heavyを計画している。
6.5tonまでの幅広い衛星質量にシームレスに
このSpaceX社の市場参入に刺激されて、現在
対応させる。コア機体の直径は5.2mとした。
の市場リーダである欧州Arianespace社も現行
H-ⅡBロケット第1段の直径を踏襲しており、
機種から価格競争力を強化させた次世代ロ
さらに第2段機体も5.2m化させている。全長
ケットのAriane 6を開発中であり、2020年頃
は約63mであり、固体ロケットモータ4本を結
に市場に投入する計画である。また、ロシアは
合 し た 形 態 で は、H- Ⅱ B ロ ケ ッ ト(全 長 約
現行のProtonロケットの後継機となるAngara
57m)を一回り大きくしたイメージのロケッ
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工業会活動
図1 H3ロケットの機体形態/ファミリ構成(案)
トとなる。一方、軽量で太陽同期軌道に投入
簡素化としては、部品一体化による点数削
する衛星に対しては、固体ロケットモータを
減、最終製品形状に近い素材を準備すること
結合せずコア機体のみで打上げる形態を選択
による材料の歩留り改善と加工費削減、加工
できるものとした。
を容易化する形状の採択等が挙げられる。近
年急速に普及が進む3Dプリンタによる部品製
(1)競争力のある打上げ能力・価格
作も、工程簡素化による低コスト化の一案と
図2にH3ロケットの打上げ能力と価格ター
して検討している。汎用化としては、アビオ
ゲットを示す。衛星打上げサービス市場にお
機器(電子機器)や推進系機器(バルブやセ
いて、他国の競合ロケットと互角以上に渡り
ンサ類)への民生部品(航空機用・自動車用
合うためには図中に示す能力・価格ターゲッ
部品)適用を検討している。宇宙用部品は、
ト帯を実現するロケットとしなければならな
特殊仕様で使用個数も少なく非常に割高であ
い。従って、H3ロケットには現行基幹ロケッ
るため、信頼性が高く安価な民生部品を適用
ト(H-ⅡA/H-ⅡB)からコストを約半分に低
できる効果は大きい。民生部品適用について
減することが求められることとなる。
は、部品選定基準や安全基準にも関連するた
このような競争力のある価格を実現するた
め、JAXAとも連携して評価を進めている。
めに、機体システム・サブシステムに共通す
共通化としては、一例として駆動エネルギ
る基本的な考え方として、簡素化・汎用化・
源の共通化としてバルブやアクチュエータの
共通化を考慮している。
電動化が挙げられる。駆動エネルギ源として
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平成27年10月 第742号
図2 H3ロケットの打上げ能力と価格ターゲット
の高圧ガス系・油圧系が不要となることによ
これらの振動環境についても、射点設備によ
るシステムの簡素化を検討している。
る注水対策や機体外形形状の工夫による音響
低減や防振対策による振動・衝撃の緩和等に
(2)顧客希望の打上げ時期への対応
顧客の希望の時期に確実に打上げるため
取り組むことにより、競合ロケットと同等以
下の振動環境に抑える仕様としている。また、
に、前後に他のミッションの打上げが予定さ
フェアリング内に衛星を搭載する際に必要と
れていても、柔軟に対応できるようロケット
なる艤装品類(アクセスドア等)についても、
系射場整備作業の期間を現行ロケットの半分
顧客の要望する位置・仕様設定時期に柔軟に
程度に短縮する。射場整備作業の期間短縮は、
対応できるよう製造工程を工夫する。このよ
打上げサービス価格低減の観点からも重要で
うな衛星と打上げロケットとのインタフェー
ある。この期間短縮のための方策として、機
スにおいて、顧客優先の仕組みを構築するこ
体の機能点検を自動化させ、機体にアクセス
とにより、乗り心地の良い機体の実現を目指
して点検装置の接続等の準備を行わなくて済
している。
むようなアクセス不要の機体仕様とすること
を検討している。機体と地上設備はアンビリ
冒 頭 で 述 べ た よ う に、現 在 は 概 念 設 計
カル(機体と地上設備をつなぐ配管配線類の
フェーズでのロケットシステム全体の基本仕
接続部)経由でネットワーク接続し、自動で
様設定を踏まえて、基本設計フェーズに移行
データ取得し良否判定を行う構想である。
し機体各部の仕様の詳細検討を進めている。
2020年度初号機打上げに向けて各開発試験作
(3)乗り心地の良い機体の実現
搭載される衛星には、打上げ時に音響、低
業が本格化していくこれからが正念場である
(図3参照)。
周波振動、衝撃等の様々な振動が負荷される。
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工業会活動
図3 H3ロケットの開発スケジュール
5.産業基盤の維持・発展への貢献
ら民需衛星打上げを一定量獲得する努力を
各衛星顧客から、我が国の基幹ロケットの
我々が続けていくことにより、宇宙輸送シス
信頼性について既にH-ⅡA、H-ⅡBロケット
テムの産業基盤を長期的に維持・発展させる
の打上げ成功実績により高く評価されてお
ことができるものと考えている。
り、この高い信頼性を踏襲しつつより安価な
打上げ輸送サービスの提供を期待されてい
6.むすび
る。上記で述べたH3ロケットを開発すること
H3ロケットの開発では、現行基幹ロケット
によりこれらの期待に応えられる打上げ輸送
H-ⅡA/Bの開発・運用を通して蓄積した知見・
サービスが提供できるようになると考えてい
経験を最大限活用して信頼性が高いロケット
る。今後激化が予想される商業衛星打上げ市
システムを踏襲するとともに、従来の発想を
場であるが、この国際競争力を強化したH3ロ
超えて民生部品材料や製造技術やプロセス等
ケットを武器にこの市場から商業衛星打上げ
の優れたものを積極的に取込むことによって
の獲得を目指す。
国際競争力を強化することが必要である。こ
今年1月に策定された新しい宇宙基本計画
のH3ロケットを魅力あるロケットに仕上げら
において、官需衛星の長期整備計画が提示さ
れるよう、顧客の要望を踏まえつつ、関係機
れた。H3ロケットは、これらの官需衛星打上
関、関係各社と連携して開発に取り組んでい
げに確実に対応し我が国の宇宙空間アクセス
く。
への自律性確保の責務を果たしつつ、市場か
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