特別インタビュー アメリカ獣医眼科専門医になるまでの道のり

犬猫の緑内障 基礎と検査2015
特別インタビュー
アメリカ獣医
眼科専門医に
なるまでの道のり
辻田 裕規
Hiroki Tsujita
どうぶつ眼科専門クリニック
アメリカ獣医眼科専門医
1976年大阪府生まれ。2002年麻布大
学獣医学部獣医学科卒業、日本の一般
臨床現場に6年間在籍したのち、2007
年よりコーネル大学眼科医局眼科研究
員、2009年よりフロリダ大学眼科医
局所属獣医眼科レジデント、2013年
に ア メ リ カ 獣 医 眼 科 専 門 医 を 取 得。
2014年10月大阪府箕面市にどうぶつ
眼科専門クリニックを開業予定。
●眼科専門医を志すきっかけ
―まず、眼科に興味をもったきっかけを
教えていただけますでしょうか。
はじめは臨床医を目指して麻布大学獣医学部獣医学
科に入学し、そして所属した眼科研究室の指導教官の
印牧信行先生にご指導いただいたのがきっかけです。
このときに、1つのことをきわめるには多大な努力が
必要であること、そしてその努力は将来の武器になる
ことを感じ、眼科スキルをもっと伸ばしたいと考える
ようになりました。とくに学生の頃は治療や手術は実
際に行うことができないため、学生のうちに眼科に関
する解剖、生理学、薬理学を徹底的に勉強しました。
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アメリカ獣医
眼科専門医に
なるまでの
道のり
ルほどでした。
―その後、眼科研究員として
1年間コーネル大学で勤務されるわけですが、
visiting programの 1週間という
非常に短い期間で、何かアクションは
おこされたのでしょうか。
visiting programの期間中に「ここに残りたい」と
いう意向をすぐに伝えました。すると、今すぐという
のは難しいが(当然ですね(笑))、同年に開催された
アメリカ獣医眼科年次学会(ACVO)で再度話し合い
の場をもっていただき、そこで再度その気持ちを伝え
書き込んだノートは5冊以上になります。このノート
た際に、翌年の2007年秋に今度はClinical Privilegeと
は今でも自身の基盤になっています。
しての参加を了承いただきました。そして同年12月よ
りコーネル大学眼科医局眼科研究員として勤務する機
―卒業後の進路についてお聞かせください。
会をいただくことになりました。Clinical Privilegeは、
2002年に大学を卒業し、眼科症例の多い民間病院で
visiting programとは異なり、他の大学の眼科のレジ
3年間勤務することになりました。2005年から眼科の
デントが他大学で研修するプログラムで、診察や学生
スキルアップと一般臨床においても2次診療レベルに
への指導も含むため、はじめは不安も大きかったです。
ある松原動物病院での勤務を開始しました。当院は眼
このとき、もちろん日本での勤務を退職しなければ
科の機材が充実していたことも働かせていただいた理
ならないので、病院には退職することを伝えました。
由の1つです。当時は技術のスキルアップ、そして将
費用については、とりあえず約1年間程度は無給でも
来開業する可能性を視野に、一般臨床をできるだけ身
問題ないように資金を貯めていました。幸運だったの
に付けたいという気持ちがありました。
は、出発の直前に松原動物病院の井上理人先生から金
額面でサポートしていただける話を頂戴したことでし
●そしてコーネル大学へ
た。なので、私の場合、日本の病院に所属していなが
2006年に一度、単にお金を払って学生の後ろで見学
きました。その後3年間のフロリダ大学でのレジデン
させてもらう、「visiting program」というシステム
ト時代はフロリダ大学から出る給料と貯金で妻と2人
を利用してコーネル大学に1週間滞在しました。アメ
の生活を過ごしました。
リカは日本と比べ専門診療システムが確立しており、
研修当初、手術数の多さに驚きました。白内障など
現地でレジデント制度の詳しい内容に触れました。ア
の眼科手術も週に3回設定日があり、最低でも週に1~
メリカ獣医眼科の分野では一般的に大学を卒業して3
2回(1~4眼)白内障手術を行うスケジュールでした。
~4年の期間を経てレジデントに入る先生が多く、参
そしてもう1つ驚いたのは、手術を自分と同世代のレ
加者は自分とほぼ同年代の先生という状況でした。常
ジデントが専門医と一緒に手術を行い、専門医とのマ
に専門医がそばで教育とサポートをしてくれるため、
ンツーマン指導のうえで手術を行うという形でした。
細かなアドバイスを得ながら診療を進められるトレー
この育成体制はただただ素晴らしいと思いました。そ
ニングシステムは自身の中でも衝撃でした。旅費は往
して、どの専門医も褒めながら丁寧に、辛抱強く自分
復で17万円ほど、滞在先は一戸建ての家の一部屋を借
のレジデントを育てようとする熱意をもち、その教育
り、バストイレ、キッチンはシェアで、1週間で100ド
を受けたレジデントもまた次世代にその熱意を継承す
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ら、研究員としてアメリカで1年間勉強することがで
る、このシステムこそアメリカが獣医医療先進国とい
伝えられません。ただこれから海外への挑戦を考えて
われる一番の所以なのだと、後に自分がレジデントに
おられる方への後押しになればよいのですが、自分は
なったときに痛感しました。
海外へ渡るとき、英会話教室の中級レベルほどでした。
ちなみに後日、教授から自分を雇用することへの一
コーネル大学に1年間通っている間にある程度身につ
番の懸念材料は当時勤務していたレジデントの教育へ
くのではないかと考えていました。一般的には研究員
の影響だったと聞きました。そのレジデントが問題な
として勤務する前に約半年ほどお金を払って語学研修
いとしてくれたおかげで研究員になれたので、自分か
を行う場合もあるようですが、私の場合、費用面の問
ら話しかけて交流をもっていてよかったと思いまし
題もあり、いきなり現場に飛び込むような形をとりま
た。
した。日々の現場で英語のスキルは上達すると思って
いましたが、研究員といっても行うことは診察の補佐
●次の段階へ進むための1年間
や手術の助手であり、実際にオーナーと直接会話する
―そして、2009年よりレジデントとして
なかったように思います。やはり英語はネイティブス
スタートを切られました。
わけではないので、自身が期待するほど英語は上達し
ピーカーと徹底的に話すことで初めて上達していきま
もちろん、コーネル大学での眼科医局眼科研究員か
す。これではいけないと考えていたところで、レジデ
ら何もせずにレジデントになることは確約されたこと
ントになることとなりました。
ではなく、日本を発ったときにはレジデントになるこ
フロリダに入ってからの3ヵ月はとても苦労しまし
とができる保証などありませんでした。コーネル大学
た。毎回の診察ごとに、電話して主治医に経過を伝え
で勤務する1年の間に、眼科のレジデント制度に申し
る、オーナーとお話しする、電話でやりとりするなど、
込みをしました。コーネル大学に所属した理由の1つ
今までになく英語を話す必要に迫られ、生き残るため
に人脈づくりがあります。レジデントになるためには
に必死で英語を覚えました。
推薦状が3枚必要で、とくに専門医の先生の推薦状は
最も必要なことは周りの人たちとコミュニケーショ
力のあるものといわれていました。そして、ありがた
ンをとろうとする姿勢と自分の能力を示すことです。
いことに、多くの先生の協力を得られたため、2009年
コーネル大学の眼科医局にも、日本や韓国、南米など
より3年間、フロリダ大学でレジデントとして参加す
海外の獣医師が料金を払ってよく見学に来ていました
ることとなりました。アメリカは広大な面積の割に獣
が、人によっては1日、ほとんど会話をせずにプログ
医大学が20校ほどであり、しかもその中で眼科がある
ラムが終了となる方も多くみられました。周りの担当
のは約半分という状況です。ポストが空席になるのも
者たちも、黙っていると、
「この人は干渉されたくな
年に数名いるかどうかという状況で、レジデントのポ
い人なのか」と放置されることも多かったようです。
ジションを得る競争は毎年約50~60倍という高倍率で
自分も帰国して患者と日本語で診察できることが、こ
す。
倍率だけを考えれば現実的に難しい状況でしたが、
れほど幸せなことかとうれしかったのを覚えています。
やるだけやろうとチャレンジしたところレジデントに
英語に関しては、日本の英語教育を受けただけだっ
採用してもらえたという次第です。
たので非常に苦労しました。2~5歳までアメリカには
いたのですが、幼かったので帰国後はすべて忘れて、
●英語のスキルは必要か
あまりアドバンテージにはならなかったように思いま
―やはり、渡航する際に、英語のスキルは
まったく思い出せませんでした(笑)
。ですが、はっ
必須なのでしょうか。
英語のスキルはもちろん必要です。最低限のコミュ
す。英語も「思い出すかな」とも考えていたのですが、
きりいって英語の上達は自分の努力次第です。なので、
英語が渡航の障害理由にはならないと思います。
ニケーション能力と英語力がなければ伝えたいことも
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だくことはできなくても、お渡しだけはしていこうと
考えていたのですが、その当時、獣医麻酔科の教員と
して在籍されていた浅川 誠先生に「それでは絶対に
履歴書をみてくれない」とアドバイスをいただき、プ
レゼンテーションの時間をとってもらうことができま
した。ここで、
「ここに残りたい」という希望をコー
ネル大学の先生方に伝えることができたのです。その
後も松原動物病院はじめ、当時海外でご活躍されてい
た他の日本人の先生方との出会いがなかったら、今の
自分はないと思っています。
―プレゼンテーションの資料というのは
―英語のスキルというよりも、
どういう内容だったのですか?
コミュニケーション能力が重要ということでしょうか。
パワーポイントで、これまでに経験した症例の症例
おっしゃる通りです。日本人はやはり文法などを組
集を英語で作成し、発表を行いました(図1●)。そ
み立てて話してしまいがちですが、たとえば、スペイ
のときに、一度詳しくACVO年次大会で話をしてみよ
ン人などラテン系の人はわからないなりに単語をとり
うかという流れになりました。しかし、希望する全員
あえず話して、つなぎあわせるような話し方をするの
がプレゼンテーションの時間をとってもらえるという
で、上達が非常に早い印象があります。逆に日本人は
ことでないと思いますので、そこは非常に幸運だった
完璧な文章をいおうとするため、上達はしにくいと思
と思います。50枚くらいのスライドでしたが、つくる
います。
国民性と実践英語の教育のちがいでしょうか。
のには病院での仕事をしながらだったため、約3ヵ月
程かかりました。
―コミュニケーション力の重要性は、
海外でも日本国内でもあまり変わりませんね。
―レジデントの応募状況を
むしろ、日本語のほうが難しいと思います。敬語謙
お教えいただけますでしょうか?
譲語があり、同じ文章でも雰囲気やニュアンスで意味
自分が修了するときは、1人の枠に50人以上の応募
が変わってしまう場合もある。その点、英語などは非
があるようでした。基本的にフロリダ大学の獣医眼科
常にダイレクトな言語なので、その面はよいと思いま
医局では応募者を面接に呼ぶことはなく、あくまでも
す。
向こうから希望する人が面接に来ます。しかし毎年多
くの応募者がありながら、実際に訪ねてくる応募者は
●コーネル大学へ行くために
とった具体的な方法
少ないのが現状です。おそらく一般的には大学側から
コーネル大学に行く際に、多くの方からの多大な協
間性に加え、やはり推薦状の執筆者とその内容が大き
力を得られました。当時は海外獣医コミュニティとい
なポイントとなるようです。
うものがあり、海外ですでに活動されている先生と交
レジデントの応募は毎年9月あたりにホームページ
流することができました。私は当時アメリカに行く前
(https://www.virmp.org/)でレジデントを募集して
に、自身のことを知ってもらうために履歴書を準備し
いる大学が掲載される「Matching program」と、各
ており、その書類を渡したうえでいろいろと希望を伝
大 学 が 個 別 に 募 集 を か け る「Non-Matching Pro-
えようと考えていました。その場で履歴書をみていた
gram」があり、眼科の場合は後者が多く、自分の場
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興味のある人だけ声をかけて面接するのが普通なの
で、そのため敷居が高いのかもしれません。そして人
合は、その両方に応募して自身で各募集大学と連絡を
<ACVO専門医試験(2014年現在)>
とり、順次面接の予約をとりました。面接だけであれ
1日目
画像(スライド)試験:計7.5時間
ば1日でいいと思うのですが、英語力不足を感じてい
2日目
筆記試験:250問、計7時間
<1週間空けて> たため、フロリダ大学のときのように、1つの大学に
最低1週間だけでも実習見学を含めて滞在させてもら
3日目
実技試験
うようにお願いしました。
1.診察実技試験:計40分
  ・大動物 ・小動物
2.眼科手術実技試験:計100分
  ・眼外手術 ・眼内手術
●レジデント期間の流れ
レジデント期間中は、所属する大学・民間病院によ
り異なりますが、私が所属したフロリダ大学では基本
私が受験した年は再試験者・初受験者を含めて45人
的には4~6週間の「オンクリニック
(診療と手術の週)」
ほどが受験しました。例年通りであれば約2割の合格
と2週間の「オフクリニック(自分の学術研究と専門
率で、ちなみに専門医試験の現役合格率は毎年5%程
試験勉強)
」を継続します。
度です。そして試験に無事合格し、念願のアメリカ獣
医眼科専門医になることができました。
―専門医試験はどのような流れだったのでしょうか。
まず、試験の前に必修の海外雑誌への論文の提出が
さずに済んでよかったと思っています。またフロリダ
●レジデントになるために
必要なこと
大学ではレジデント中にACVO年次大会での口頭発
―積極的なアプローチが実を結んでいる
表の義務もありました。試験は毎年7月後半に行われ
印象をもちますが、レジデントになるための
ありました。自分の場合、専門医試験直前まで持ち越
ています。
心掛けなどはありますか?
レジデントを希望されている読者の先生に対して、
注意してほしいところは、渡米しただけではもちろん、
海外の大学に入れたとしてもその時点ですぐにレジデ
ントになれるわけではないということです。そして、
どうしても1年間は日本の臨床から離れることになる
図1●当時作成したプレゼンテーション資料
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犬猫の緑内障 基礎と検査2015
●おわりに
特別インタビュー
アメリカ獣医
眼科専門医に
なるまでの
道のり
現在、日本の獣医療はホームドクターと専門病院の
線引きが非常に曖昧だと感じています。
アメリカでは、ホームドクターが白内障手術を行う
ことはなく、日本のように専門医をもたない獣医師が
白内障手術を行って術後トラブルを抱えたケースをみ
たことは4年間で一度も経験しませんでした。とくに
アメリカは訴訟になる場合が多く、何かトラブルが
あった場合、その担当の先生が専門医であったのか調
査されることもあり、責任の所在が非常にシビアです。
日本の1次診療で必要なのは、診断や治療を行うに
わけなので、この期間内にもし専門医になる道が閉ざ
あたり、「できる」「できない」の判断の精度を高めて
されるようなことになれば、誰でもできるただの海外
いくことではないかと思います。専門医に紹介すると
研修となり、形にできないままの帰国になってしまう
いう判断も、オーナーの信頼を得るためには必要なこ
可能性もあることを念頭に置く必要があります。それ
とだと思います。
だけの覚悟が必要だと思います。
そして、1つのクオリティを追求するには、徹底し
たとえば、日本の動物病院で片言しか話せない外国
た専門教育を受けられるシステムづくりが重要だと思
人の方が「働かせてくれ」といっても、なかなか難し
います。とくに眼科は疾患の発見、診断および外科的
いのが現状だと思います。何かしらのインパクトが残
手術については、指導医のもとで行う実践トレーニン
すことが必要だと思います。
グが必要不可欠だと思います。
将来的には、日本でも専門医教育の場が増え、動物
●そして今
―アメリカに残るという選択肢はあったのですか?
実際には教員としてフロリダ大学に残る話も出て熟
慮しました。確かにアメリカのほうが、家族との時間
がもちやすいですし、専門医というステータスが確立
している部分もあるのが魅力でした。ですが、やはり
自分がアメリカで学んだ獣医眼科学や、体験した獣医
師としての教育システムを少しでも日本で還元できれ
ばという気持ちが強く帰国しました。将来的には地に
足をつけた獣医眼科専門医療センターからそうした教
育システムや専門医療を提供できればと考えています。
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やオーナーたちの幸せにより直結する獣医療の提供が
できるような体制づくりに少しでも尽力していきたい
と思います。