著作権法改正の政治過程の構造的歪み

著作権法改正の政治過程の構造的歪み
氏名:益田彰拓
序.
1.著作権法の現状
2.著作権法改正におけるアクター分析
3.事例研究(1)還流レコード防止措置
4.事例研究(2)権利制限の一般規定
5.権利者団体の影響力源泉
6.まとめ
序
本研究では、著作権法改正の政治過程について検討してみ
たい。デジタル技術の発達により、創作物の利用が容易にな
ったことで、著作権法は国民一般にとって身近な法律となっ
た。それに伴い、所管の文化庁では、度重なる法改正とその
為の議論が行われている。著作権法はこれまで法学的な検討
がなされる事が大半で、政治学的な検討は少なく、またその
ほとんどが政治家・官僚・利益団体の三角関係によってレン
トシーキングが行われているという、やや単純化されたもの
に留まっていた1。
そこで本研究では、著作権法の政策的に争点化されにくい
性質2や、公共選択論における「少数派バイアス」3がかかり
やすい状況など、政治過程の構造的な問題を明らかにし、関
係する各アクターの合理的行動の結果として、権利者団体の
影響力が相対的に大きくなる点に着目する4。著作権法の改正
過程について検討を加える事で、現行の著作権法がどのよう
な議論を経た後、政策帰結にどのような利益が反映されてい
るのかを明確にする。そしてアクターの合理性を強調しなが
ら、政治過程の構造上の歪みに着目する事は、政治過程のバ
ランスに配慮された参加環境を構築するための考察を可能に
すると考える。
1.著作権法の現状
まず始めに、当研究で題材とする「著作権法」について説
明しておきたい。法律学の研究ではないため詳細な説明は省
くが、著作権法の社会的な位置づけなどについて明らかにし
たい。
(ⅰ)著作権法とは
著作権法は、小説、音楽、映像作品など、人々が創造した
表現物について、どのように利用するかをコントロールする
権利を創作者に付与する法律である5。こうした表現物は「著
作物」と呼ばれ、上記のような芸術性を伴うものに限らず、
1 例として、山田 奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』
(人文書院、2011)
、城所 岩生『著作権法がソーシャルメディアを
殺す』
(PHP 新書、2013)
、など
2 京 俊介
『著作権法の政治学:戦略的相互作用と政策帰結』
(木鐸社、
2011)
3小林良彰『公共選択』1988 東京大学出版会
4 同様の問題意識を持つものとして、田村 善之「日本の著作権法の
リフォーム論―デジタル化時代・インターネット時代の
「構造的課題」
の克服に向けて―」
(
『知的財産法政策学研究』Vol44、2014、25―64
ページ)
5 福井健策『著作権とは何か―文化と創造の行方』
(集英社新書、
2005)
論文などの学術的なものや、アニメやゲームソフトのような
ものまで、人間の思想やアイデアが表現されているものであ
れば凡そ著作物に該当し、その創作者に著作権が与えられる6。
著作権は、支分権と呼ばれる複数の権利で構成されていて、
著作物によって権利者はそれらを原則自由に行使することが
出来る。この支分権について一つ一つ解説する事は当報告の
本旨ではない為省略するが、その中でも最も重要なものと考
えられる「複製権」については簡単に説明をしておく。
「複製
権」とは、文字通り著作物をコピーする事に対して行使でき
る権利である7。論文をコピー機で複写したり、テレビ放送を
DVDに録画したり、或いはデータをパソコンのハードディ
スクに記録する行為などが含まれる。我々にとって身近な行
為の多くが「複製権」の対象となっている。
著作物の利用に係る条件が厳しいと、委縮効果が生じて誰
も利用しなくなるかもしれない。
過剰に保護を強化する事は、
かえって新たな創作を減退させてしまう危険さえある。こう
した、利用による社会利益の増大と、保護による創作者のイ
ンセンティブ確保という、保護と利用のバランスをどのよう
に調整するかというのが、著作権法を考える上で重要になっ
てくる。現行法では、個人や少数の友人同士での利用や、教
育目的や障がい者福祉の目的での利用の場合など、特定の利
用について権利行使に制限が設けられている。
(ⅱ)法改正の特徴
著作権法は、平成に入ってから現在に至るまでの数年間で
24 回もの改正が行われている。これだけの頻度で改正が行わ
れている法律は珍しく、それだけ社会において重要性が高ま
っている法律であるということが出来る8。改正の特徴として
は次のようなものが挙げられる。
① 保護を強化する方向の改正
近時の著作権法改正については、強化する方向での改正が
多いという事が指摘されている9。例えば、2009 年には、著
作権を侵害するコンテンツの私的使用を目的とした録音録画
について、改正以前は許可がなくともおこなえる行為とされ
ていたものが、許可を得なくてはならなくなり、無許可で行
うと刑事罰までもが課されるようになった10。侵害の罰則を
見ても、1998 年には「懲役 3 年以下、罰金 300 万円以下」
であったものが、複数回にわたる改正を経て、現在では「懲
役 10 年以下、罰金 1 千万円以下」にまで厳罰化が進んでい
る。
② 権利行使を制限する方向の改正
権利強化に比べて、それを制限する形での改正はあまり多
くない。近時の改正では、検索エンジンのサービス実施のた
めの複製や、絵画や彫刻等、美術の著作物の譲渡等の申し出
に伴う複製などが、権利が制限される利用として認められる
こととなった。そのような中で、アメリカなどで導入されて
著作権法第 2 条 各号
著作権法第 21 条
8 永山 裕二「特別講演録:著作権行政をめぐる最新の動向について」
(
『コピライト』
、2010-11 月号、4-5 ページ)における永山の述懐か
ら。
9 前掲注 4
10 文化庁「平成 24 年 10 月 1 日施行 違法ダウンロードの刑事罰化
について」
(2012 年 10 月 1 日)
(http://www.bunka.go.jp/chosakuken/online.html)
(2015 年 1 月 3
日閲覧)
6
7
- 1 -
いる、個別規定とは異なる権利制限の一般規定、通称「フェ
ア・ユース」の導入が日本でも議論されたことがあった。後
にこの事例については詳説するが、帰結としては、写りこみ
など付随著作物の利用、企画案など検討過程における利用、
技術開発の試験での利用、情報通信技術を利用した情報提供
の準備に必要な情報処理のための利用、という個別の制限規
定が設けられるにとどまった11。この帰結については、最早
フェア・ユースではないという批判も多い12。
(ⅲ)社会における著作権法
現行の著作権法は、
1970 年の全面改正の時にベースとなる
ものが制定されたが、その時と比べると、著作権を取り巻く
環境は大幅に変化している。
① デジタル技術の出現
デジタル技術の発達に伴うマルチメディア化が、著作物の
流通の在り方に大きな変化を与えた。これまでは音楽であれ
ばCD、文書であれば本というように、有体物の形になって
いるものによる享受が一般的であった。しかし現在では、著
作物の種類に関わらず、あらゆるものがインターネット上に
データとしてアップロードする事が可能となった。既存の著
作物を自分のブログや動画投稿サイトにアップロードする事
は、今や中学生でも出来る。これらの行為は著作権法上の「複
製」に該当し、本来権利者の許可なく行ってはならない。デ
ジタル技術の出現により他人の著作物を利用する機会が激増
し、それだけ著作権に触れる危険性も増大した。このような
変化を権利者からみれば、著作物の利用様態を管理する事が
著しく困難になっているということになる。
保護するための法律という性格が強かった著作権法が、ビジ
ネス・ローとしての性格を強めていくこととなった。こうし
た背景から、著作権法の改正について、文化政策を担当しな
い経済産業省が関与する事態も生じている。典型的には海賊
版の問題がある。コンテンツの違法なインターネット上での
アップロードによって収益を上げる海賊業者が、コンテンツ
産業にとって世界的な問題になっている。著作権法の経済法
としての性格が強まることは、これまでより関係者が増え、
利害関係の複雑化・多様化が進展していく事を意味する。
2. 著作権法改正におけるアクター分析
著作権法改正の立法過程に登場するアクターとして、
「政治
家」
「官僚」
「利益団体」
「利用者」を想定する。それぞれのア
クターが、著作権法の改正に対してどのような態度で臨むの
かについて、主に政策プロセスへの参加に係る費用と便益の
観点から考察を行う15。参加にかかる費用は、問題となって
いる事柄の複雑性、利害関係者の数、利害の集中度、政治過
程へのアクセスに対する障壁、組織維持の費用によって、ア
クターごとに異なる。そして参加から得られる便益を算定す
ることにより、参加が成功する可能性が決まってくる。これ
らの要素が各アクターに均等に配分されていていれば、参加
可能性の観点からして、バランスの取れた政策過程であると
考えられる。このことを踏まえた上で、以下それぞれのアク
ターについて分析していく。
世界各国で知的産業の重要性が高まり、日本でも「デジタ
ルコンテンツ」と呼ばれる著作物が、収益を上げる財産とし
ての地位を上昇させている。元々著作物は、排他性はあるが
競合性がない準公共財としての性質を持つものであったが、
コンテンツ産業の興隆により、こうした著作物も経済財とし
て見られるようになった14。それに伴い従来は文化的資本を
(ⅰ)政治家
著作権法改正について、政治家があまり積極的な権限行使
をするとは期待されず、彼らの役割は基本的には受動的なも
のとなる16。それは、著作権法の「ロー・セイリアンス」と
いう性質に関係している。ロー・セイリアンスとは、国民一
般が強く関心を持たず、メディアも取り扱わない為に、選挙
等で争点にならない政策分野の事を言う17。より詳細には、
特殊利益に関する政策、選挙区に限定されない利益範囲を持
つ政策、イデオロギーと関連性を持たない政策である場合、
選挙において票に繋がりにくい事から、政治家は敢えて関与
するインセンティブが見出さない。さらに、著作権法の持つ
高い専門性が、関連する問題の理解を難解にし、多くの政治
家にとって参加費用を高いものにしている。したがって著作
権法の改正に対して、政治家は利益団体等のロビイングによ
って問題を認識し、それに反する行動を取ることは難しい。
ただし、小泉首相による知財立国宣言以来、内閣府に知的財
産戦略本部が設けられた。そこから出される「知的財産推進
計画」には、著作権法の改正についての要望が書かれるよう
になっており、近年では文化庁の審議会はこれを受けて開か
れるようになっていることから18、政権与党に関して言えば、
文化庁に対する議題設定や議論の方向性などを一定程度規定
する能力は有るのではないかと考えられる。
11 詳しくは、文化庁「いわゆる「写り込み」等に係る規定の整備に
ついて(解説資料)
(第 30 条の 2,第 30 条の 3,第 30 条の 4 及び第 47 条の 9 関係)
」
(前掲注同日閲覧)
(http://www.bunka.go.jp/chosakuken/utsurikomi.html)
12 中村伊知哉
『コンテンツと国家戦略:ソフトパワーと日本再興』
(角
川 Epub 選書、2013、第 3 章「著作権新時代の幕開け」
)など
13 岡本薫『著作権の考え方』
(岩波新書、2003)など
14中山信弘『著作権法』 2007
有斐閣
Antonina Bakardjieva Engelbrekt(田村 善之 訳)
「制度論的観
点から見た著作権:アクター・利益・利害関係と参加のロジック(1)
」
(
『知的財産法政策学研究』
、Vol.22、2009、34-38 ページ)
16 前掲注 2
17 Pepper・D・Culpepper『Quiet Politics and Business Power』
(Cambridge University Press、2011)
18 池村 聡「著作権法改正に見る立法過程」
(
『IP マネジメントレビュ
ー』
、8 号、2013、12-13 ページ)
② 創作技術の一般化
デジタル技術の出現は、著作物の利用だけでなく、自ら著
作物を発信する事の敷居も大きく下げた。従来自らの思想や
作品を発信することは、特別な技術や機会に恵まれた一部の
プロのみが可能だった。しかしデジタル技術によって、アマ
チュアでも世界中の不特定多数に向けて自分の作品や考えを
発信する事が容易にできるようになった13。発信されるのは
全くのオリジナルな作品だけでなく、他人の既存の著作物を
利用する事で新しい別の著作物を作り出す「リミックス」で
ある事も多い。そしてどちらの場合にも著作権法が問題とな
る。
③ 著作権の経済法化
15
- 1 -
(ⅱ)官僚
政官関係について本人-代理人モデルで考えた場合、著作
権法改正についてはエージェンシースラックが発生しやすい
と考えられる19。つまり、著作権法について知識がない政治
家が、情報において優位に立つ官僚を監視するには高い費用
が必要になる。
政治家からの監視や修正が無いと判断すれば、
官僚は自らの選好を実現するための行動を行う可能性が大き
くなると考えられる。京俊介は著書の中でその点を強調し、
著作権法の改正過程は、各アクターの選好の読み合いになる
戦略的相互関係であることを、ゲーム理論を用いて実証して
いる。しかし、先に述べた「知的財産推進計画」を発端とし
て審議会が開かれている場合、官僚が政治家の意向には無関
心に審議を進めることは難しいのではないかとも考えられる。
またこの推進計画は、
政府のみならず各省庁も策定に関与し、
当然その中には文部科学省も含まれており、著作権法の改正
について文部科学省から案を提示することもある。これらを
無視してでもあえて実現しようとする選好を、京は「法的な
整合性の維持」であるとしているが、この点については疑問
が残る20。
官僚の行動様式について考える重要な要素として、ここで
は結論を得るための妥協をあげたい。著作権法の改正過程に
は、一般的に審議会について言われているような予め筋書き
が決まっていといった様相はあまり見られず、権利者や学識
者などが各々の利害や見解をぶつけ合う侃々諤々の議論を行
っているというのが実情に近い。関係者が多様で、利害が交
錯し複雑になる場合、立法過程は当事者間の直接交渉に委ね
るという格好になりやすい21。また、情報化の進展に伴う専
門知識の複雑化、高度化は、官僚の政策形成や執行能力を減
退させている22。そうであれば官僚は、交錯した利害関係に
あるアクター間の交渉によって、辛うじて合意が可能であっ
た部分を見つけ出し、政府に対する報告案として纏めようと
する。以上から官僚についても、媒介的な受け身のアクター
として位置付けるのが妥当ではないかと思われる。
(ⅲ)利益団体
著作権法における「利益団体」には大きく分けて2種類あ
る。一つは著作権法によって保護される「権利者団体」であ
る。レコード業界や放送業界などは著作権法改正の影響を直
接受けるため、参加のインセンティブが高い。ここには、J
ASRACのような権利者の利益を一括管理するために設け
られた団体も含まれる。権利者団体は、創作者の利益を代表
し政策プロセスの場において浮上させる役割を持っている。
権利者団体以外には、録音機器を製造する機器メーカー、コ
ンテンツ・プラットフォーム業界などの「経済団体」がある。
これら「経済団体」は、著作権法に特別な利害があるわけで
はないものの、改正の内容が利害に影響する場合は積極的な
19 建林正彦、
曽我謙悟、待鳥聡史『比較政治制度論』
(有斐閣アルマ、
2008、54-56 ページ)
20 前掲注 2 ただし彼は同著作内で、
予算拡大やキャリアアップなど
従来政治学的に官僚の行動基準とされていた要素が、
セイリアンスの
低い政策分野には当てはまらない事を述べている。また「法的整合性
の維持」は、政治家からの自律を保持する手段として考えている。
21 Dinwoodie,G. and R,Dreyfuss 「TRIPS and the Dynamics of
Intellectual Property Law Making」
(
『Case Western Reserve
Journal of International Law,36』2004、95-122 ページ)
22 前掲注 19
233 ページ。例として、RAM のデータ一時蓄積への
対応が却って利用者からわかりにくくしたとされる(野口裕子『デジ
タル時代の著作権』
(ちくま新書 2010)69-72 ページ)
。
行動に出る。録音録画補償金の対象範囲についての審議にお
いて、対象を拡大したい権利者団体と、販売機器を対象にい
れたくない機器メーカー団体との間で激しい対立が生じた23。
双方とも政治過程に小さくない影響力を持つ団体であるが、
政治参加に対して特に大きな利害を有するのは
「権利者団体」
の側である。法改正による権利の変動によっては、職業上の
利益に直結するからである。そして権利者団体は、他のアク
ターと比べて参加のための費用も抑えることが出来る。この
点については後の章で詳細に説明する。
(ⅳ)利用者
利用者の立場については、セイリアンスの低さと遵法精神
という倫理観の点から説明が出来る。まず著作権法は一般の
利用者からすれば非常に複雑で、改正案の内容から予想され
る影響について理解するには相当に高い費用が発生する。そ
してその費用に見合うだけの便益が、社会福祉や労働法制な
どと比べると認識しづらいため、政治的な争点としての優先
度は低くなる。したがって、著作権法の改正に強いインセン
ティブを感じる利用者はごく一部にとどまる。さらにその一
部も、
利益団体と比べて組織化もされておらず拡散していて、
影響力アクターとしての力は弱い。またセイリアンスの低さ
は、選挙等を通じた政治家による委任への期待の低さにもつ
ながる。
二点目に、権利者による宣伝が、創作者の権利は守るべき
である、という倫理観を強化し、著作権法について疑問を抱
きにくくしている。
初中等教育で行われている著作権教育も、
著作権侵害を回避する必要性を認識させるという事に重点が
置かれている24。このことによって著作権法の倫理規定とし
ての見方が強化されることになり、それに対抗する動きは浮
上しにくくなると考えられる。結果として利用者は、著作権
法の改正に対して利益を反映させるのが難しくなる。
以上、著作権法改正に係る、政治家・官僚・利益団体・利
用者、それぞれについて検討したが、参加にかかる費用と便
益にアクター間でばらつきがみられることがわかる。ここか
ら導かれる推測は、著作権法改正の政治過程は、利益団体に
よって主導されている可能性がかなり高いということである。
著作権法の政治アリーナでは、たとえ政治家や官僚が積極的
に利益団体のレントを守ろうとしなくとも、各アクターが合
理的に行動すれば、利益団体の選好が反映されやすい構造に
なっているのである。こうした構造がもたらす政策帰結は、
第2章(ⅱ)で述べた、個別の保護を強化するような形での
改正が多くなり、保護を緩める改正がなされにくくなるとい
うことである。
このような傾向について、第3章、第4章において、利益
団体に着目しつつ、具体的に見ていきたいと思う。特定の利
益団体が強い利害を示した事で立法に至った例として「還流
レコードの輸入禁止条項」
、
そして政府や官僚が積極的であっ
たにもかかわらず利益団体から賛同を得られず実現には至ら
なかった例として
「権利制限の一般規定」
について検討する。
3. 事例研究(1)還流レコード防止措置
本章では、2003 年度の法制問題小委員会で議論され 2004
前掲注 2「第 6 章 私的録音録画補償金制度の見直し」
田村 善之「法教育と著作権法―政策形成過程のバイアス矯正とし
ての放任との相剋」
(
『ジュリスト』No.1404、2010、35-42 ページ)
23
24
- 1 -
年に改正が実現した、
音楽CD還流防止条項の導入における、
政治過程について検討する25。
音楽CD還流防止措置とは、海外でプレスされた、日本で
製造されたものよりも安価な日本音楽CD(以下「還流レコ
ード」
)
が日本に流入する事を防ぐために設けられた制度であ
る。この改正によって、次のような条文を新しく作ることと
なった。やや長文でかつ難解な条文であるため、要約して説
明すると、①日本国内で販売されているものと同一内容のC
Dを、②禁止されている事を知りながら、③日本国内で頒布
(有償無償を問わない、複製物の公衆への譲渡又は貸与)する
為の輸入または所持によって、④日本のレコード会社が不当
に利益を侵害される場合、⑤それが日本国内で販売されてか
ら一定期間(7年を超えない範囲で政令で定める)を超えてい
なければ、その行為を侵害行為とみなす、という内容である26。
立法にあたっては、いくつかの懸念があった。第一に、国外
からのCD全体に制約を課すことは、TRIPs協定の基本
原則である「内国民待遇」に抵触する可能性が高かった。第
二に、国内の消費者に不当な負担を課すことになりかねず、
消費者からの反発が予想された。これらの課題をクリアし、
かつ還流レコードの問題を解消できるような条文を作成する
には、高度な立法技術が必要である27。それ程のものを、レ
コードの著作物だけのために創設することとなったのは、レ
コード業界の審議会内外での働きが功を奏した結果といえる。
導入の背景には、アジア諸国におけるJ-POPなど日本
音楽の人気が高まり、日本のレコード業界に海外展開を積極
化させる機運が発生した。海外での販売は、海賊版が横行し
ないよう、現地のレコード会社とライセンス契約を結んだ上
で、現地での製造・販売を通じて行われていたが、契約内容
や物価の違いによって、その価格は日本で製造するものより
も著しく廉価になってしまった。廉価な海外製造のCDが日
本市場に還流する事は、その価格差から国内販売価格のレコ
ード市場にとって脅威になり始めていた。しかし著作権法で
は、適法に製造され流通しているものについて自由に輸入し
譲渡する事を制限することが国際間の取引でもできなかった。
こうした問題に対し、契約のみによる解決に限界を感じたレ
コード業界が、廉価な日本CDの輸入を防止するための措置
を実現するために、政府を初め種々のアクターに働きかけを
行った。
その甲斐があってか、
2003 年に知的財産戦略本部が公表し
た「知的財産の創造、保護及び活用に関する推進計画」にお
いて、上記の還流レコードの問題に対処するために、
「レコー
ド輸入権」という全く新しい権利の導入が提案された28。レ
コード協会がこれ以前より政府に対して根回しを行っており、
自民、民主、公明の3党はこの方向での改正に概ね合意して
いた。政治家は、著作権法や還流レコードの問題について専
門的な知識があるわけではないため、レコード業界からの訴
えかけに敢えて反抗する理由もなければ、そもそも抵抗に動
員可能な資源がなかった。政治家は、レコード業界からは還
流レコード防止措置については「海賊版対策である」との説
明を受けていたという29 。還流レコードは海外で日本のレコ
ード社からライセンスを受けた正規品であり、この説明は明
らかに虚偽であるが、それを看取だけの情報も政治家は持っ
ていなかったのである。
一方官僚は、
「知的財産推進計画」により政治家からの要請
を受け審議を始めるも、
文科省はこの方針に不信感を抱いた。
レコード製作者を保護するだけの目的で、
「レコード輸入権」
なる新しい支分権を設立するということは通常考えられない
ことであったからである。したがって無理難題をいきなり首
相官邸から与えられた文化庁の担当者は、当惑していたとい
われる30。
また、経団連も当初はこの「レコード輸入権」の創設には
反対であった。還流レコードの影響を抑える最小限の法改正
は容認しつつも、流通の自由を阻害するような権利導入には
反対を示し、また音楽業界の競争力向上のために、政治では
なく市場で問題を解決すべきとも考えていた。
還流レコード防止措置の検討は、
2003 年度の文化審議会著
作権分科会・法制問題小委員会で行われた31。その構成員の
顔ぶれをみると、20 名のうち 16 名が権利者団体の代表で占
められ、
残り 4 名も弁護士や法学者といった学識者層であり、
音楽愛好家や消費者団体といった一般利用者の利益を代表で
きる人間は含まれていなかった。還流防止措置をとれば、レ
コードの価格が高止まりするなど、消費者の選択肢に影響が
出ることが予想されるにも関わらず、これらのアクターはオ
ブザーバーとしての参加や意見書を提出するにとどまり、公
式に議論の場に参加することができなかった。これについて
文化庁は、当初反対であった経団連と協議が行われているこ
と、反対者からの委員の選出があったことなどを理由に、問
題はなかったとしている32。
議論をリードしたのは、日本レコード協会から参加した生
野秀年委員である。彼は海外での国際流入防止措置の状況や
CDの還流状況のデータ(株式会社文化科学研究所による委
託調査)といった、議論の前提となる資料を提示し、また防止
措置の案を考案するなど、当初から積極的に活動していた33。
第 6 回の会合までに「レコード輸入権」創設について、明確
に真っ向から反対する委員は見られなかった。先に述べた委
員の構成から、この改正案について権利者団体間の対立は存
在していなかったと言える。そしてその中で一般消費者を代
表する議論は見られなかった。一方この時点では、経団連、
流通関係者、公正取引委員会との協議はなお必要とされ34、
また委員ではないが、日本生活協同組合連合会の小熊竹彦に
より、日本生活協同組合連合会、全国消費者団体連絡会とい
った、消費者を代表する団体からの反対意見が第6回の会合
で報告された35。
第 7 回において、レコード還流防止措置の必要性とその理
由について各委員からの意見表明が行われた。必要だと答え
たのが 12 人、不要と答えたのは 6 人であった。議事要旨か
らは誰がどのような発言をしたのかは不明であるが、これら
29
参考として、京俊介 前掲注 2「第 5 章:音楽 CD 還流防止措置の
導入」
(185-202 ページ)
、稗貫俊文「音楽 CD 還流防止措置導入と競
争政策との調整」
(
『日本国際経済法学会年報』第 17 号、2008、62-84)
26 著作権法 113 条 5 項
27 その為文化庁だけでは条文案が出せず、内閣法制局の力を借りて
作成された。
28 知的財産戦略本部「知的財産の創造、保護及び活用に関する推進
計画」
「第 4 章:コンテンツビジネスの飛躍的拡大」
25
津田大介『誰が「音楽」を殺すのか』
(翔泳社、2004、19 ページ)
吉川 晃「知的財産戦略に基づき最近の動きについて―平成 16 年著
作権法改正について―」
(
『コピライト』2004 年 9 月号、2-20 ページ)
31 文化庁「著作権分科会 法制問題小委員会」
(平成 15 年第 1 回―
第 8 回)
(文化庁ホームページ、2015 年 1 月 3 日閲覧)
32 前掲注 31
33 著作権分科会法制問題小委員会 第 6 回 資料 3-2、3-4
34 上記 資料 3-1
35 上記 資料 5
30
- 1 -
の意見を基に報告書が作成される。第 8 回の会合内で委員か
らの意見により、報告書案についてパブリックコメントの募
集が行われることとなった。このパブリックコメント受付を
きっかけに、
「レコード輸入権」創設がインターネット上を中
心に利用者側でも話題になり始めた。そして、佐藤謙一郎、
川内博史両衆議院議員の質問趣意書に対する回答が公開され
たことで、
「海外産の洋楽CDの輸入も阻止されるのでは」と
いう懸念が提示されたことで、一般利用者や反対派アーティ
ストらによる反対署名運動やシンポジウムが開かれるなど、
利用者アクターの間で反対の意思表示が行われ始めた36。し
かしパブリックコメントの結果は賛成 676、反対 293、その
他 68 という結果となり、
賛成が反対の 2 倍以上の票を得た。
これらの議論や意見を踏まえ、2004 年 1 月に法制問題小
委の最終報告書案が出された。そこでは文化庁としては、
「日
本の音楽レコードの還流防止措置のため、何らかの措置が必
要である」としつつも、具体的な方法については、慎重な意
見も見られ合意が得られなかったとし、審議会としての結論
は出さなかった37。しかし経団連がこの時には態度を軟化さ
せていたこともあり、文化庁は還流レコード防止措置の設置
に着手することとなる。法制問題小委員会が終了した後に、
レコード業界の根回しが功を奏したのか、自民党のワーキン
グチームから還流防止措置導入の提言がなされ、また民主党
でも同趣旨の決議が行われた。こうして、レコード業界側は
還流防止措置の導入について政治家からの支持を強化するこ
とに成功した。公取委は 2003 年時点では反対の立場であっ
たが、適用に条件を課し期間も限定するなど、文化庁が提示
した案が妥協を引き出した。文化庁としては、すでに述べた
ように、
「輸入権」という新しい権利を創設する事には消極的
であったが、還流レコードの問題を解消する何かしらの措置
は講ずるという知的財産推進本部の意向を受け、具体的な方
法については審議会での議論から得られた賛成派と慎重派の
意見を折衷できるような法案を考えたのである。最終的な法
案が作成された後の国会審議で、民主党の川内議員から「洋
楽 CD に適用範囲が広がる恐れがあるのではないか」
、
「一般
利用者の代表が審議会に参加できなかったのはなぜか」とい
う点について理由を問われるなど、一般ユーザーの視点から
疑問を呈する向きが見られたものの、自民党と民主党が改正
に関して合意をしていたためか、大勢に影響することはなか
った。
以上が、音楽 CD 還流防止措置条項の導入の過程である。
4. 事例研究(2)権利制限の一般規定
本章では、2009 年度から 2010 年にかけて法制小委員会で
議論された「権利制限の一般規定」の導入過程について検討
していく38。この「権利制限の一般規定」は審議会等で用い
られている正式な呼称だが、学者などからは「日本版フェア・
ユース」と呼ばれている。この章でもこの語を用いる。
「日本版フェア・ユース」は 2009 年度の「知的財産推進
計画」の検討の中で導入について提案された39。その背景に
は以下のような問題認識があった。日本の著作権法では権利
行使が制限される場合について、引用や私的利用など個別具
体的に規定されている。これらの規定に該当しない利用は、
権利者を不当に害するとは言えないものでも形式的には違法
になってしまう。裁判所の柔軟な法解釈によって適法とされ
るケースもあるが、明文規定によらない不明確な運用はその
場限りの判断を招くのではないかという指摘があった。
他方では、現行法では音楽や動画のネットワーク上での共
有が出来ず 、コンテンツ配信ビジネスがフェア・ユースのあ
るアメリカに劣後することになっているという問題意識もあ
った。前者を「形式的侵害該当行為解消策」としてのフェア・
ユース、後者を「ビジネス振興策」としてのフェア・ユース
として整理する。このような状況を打開する知財政策として
フェア・ユースが考えられたのである。日本でのフェア・ユ
ース導入を積極的に唱えた人物の代表として、法律学者であ
り知財本部の本委員、そして文化審議会の委員でもある中山
信弘がいる。知的財産推進会議内で彼は、以下のような発言
をしている。
ネットを利用したビジネスは、ネットの特性上、著作権侵
害となる可能性が非常に高く、危険性の高いビジネスになっ
ております。今後、どのようなビジネスが生まれてくるかわ
からないわけでありますので、この閉塞状態から脱却するた
めにも、アメリカのように柔軟な解釈を可能とするフェア・
ユース(中黒点は筆者)の規定の導入ということを、ぜひ進
めていただきたいと思っております。40
しかし、審議の過程でこの「日本版フェア・ユース」は、
「著作物の付随的利用」
(A 類型)
「著作物の検討過程におけ
る利用」
(B 類型)
「著作物の表現を享受しない利用」
(C 類型)
という 3 類型に縮小され、最終的な改正法案では包括規定と
はかけ離れた個別具体的な利用の許可にまで縮小された。
政治家や学識者によって積極的に導入が目指された「日本
版フェア・ユース」が、最終的には一部から「骨抜き」とま
で評されるような縮小された形の改正に留まる事となったの
はなぜか。ここでは、先の還流レコードの事例との対比で、
「権利者団体から殆ど支持を得る事が出来なかった」という
事実に着目してみたい。
法制問題小委は 2009 年から始められた。この委員会は、
構成員が学識者と弁護士のみという形態をとっていた。第 1
回目では、当該小委員会において知的戦略推進本部での要請
により日本版フェア・ユースについて議論を行う事、そして
知財本部での意見募集において、権利者側より慎重な意見が
多く出された事が明示された。その内容については、後のヒ
アリングで出されたものとほぼ同様の主張なのでここでは省
略するが、濫用による権利侵害を危惧するものや、日本の法
文化とのミスマッチを懸念するものが主であった。
社会における著作権法の重要性の高まりに照らして、何ら
かの一般規定を設ける事自体に委員間で争いはなかったと見
られる。問題となったのはどのような規定にするのかという
ことであった。コンテンツ配信やクラウドサービスなどの産
業振興のために、一部利用者には特別に利用を認める事を可
能にするような「ビジネス振興策」と、写りこみや会社内の
コピー利用など、権利制限の対象外だが実質的に権利者を侵
前掲注 29、25-39 ページ
文化庁「文化審議会著作権分科会報告書」
(平成 16 年 1 月)
38 文化庁著作権分科会法制問題小委員会 平成 21 年第 1 回―第 7 回、 40知的財産戦略本部 知的財産戦略本部会合
(第 21 回)
議事録 2008
平成 22 年第 1 回―第 12 回議事録
年 12 月
39 知的財産戦略本部「知的財産推進計画 2009」
「第 2 章:重点的に
(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/dai21/21gijiroku.html)
講ずべき施策」
(2009 年 6 月)
(2015 年 1 月 5 日閲覧)
36
37
- 1 -
害していないと言える利用を可能にする「形式的侵害該当行
為解消策」との間で意見の対立があった。知的財産本部で委
員としてフェア・ユース導入論を提示した中山信弘委員は前
者を指向していたが、松田正行委員をはじめ、委員の間では
後者の方式に支持が多かった。規定が不明瞭だと、権利が制
限される場合かどうかを判断する負担が国民にも司法にも課
されることになるため。あまりに広範な規定は非現実的では
ないかという懸念があった。
第 2 回目でヒアリングでの質問事項が提示された。それは
権利制限の一般規定の導入に賛成か反対かに加え、それぞれ
についてどのような利用行為を想定して賛成または反対して
いるのかを述べさせるものであった。審議会の発端が、将来
的に利用行為の予測が難しくなる事態に備えて、司法による
救済の余地が生まれる柔軟性の高い「一般規定」を導入する
という趣旨であったはずだが、この質問方法では、現在の時
点から予測可能な個別具体的な利用行為についての狭い議論
しかできなくなることは想像に難くない。これが文化庁に何
らかの意図があったとすれば、こうした質問形式にすること
で見解の最大公約数を導出しやすくなり、合意形成が容易に
なる効果を狙ったものと考えられる。
第 3 回から第 6 回の四度の審議会では、関係する 43 団体
からのヒアリングが行われた。ヒアリングには音楽や文芸な
どの権利者団体だけでなく、弁護士連合会や障碍者放送協議
会、
「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」などの
民間団体も参加した。また参加ではないが、アマゾン、グー
グル、ヤフー、ニフティの 4 つのプラットフォーム業者から
は意見書が提出された。著作権法に関する種々の団体から幅
広く意見が収集されたことがわかる。
ヒアリングと意見書から窺える特徴は、フェア・ユース導
入に対する反対意見が権利者側に集中していた事である。内
容に差はありつつも、賛成意見はデジタルコンテンツ関連の
経済団体に加え、ユーザー団体や図書館機構など利用者から
出された41。ここに保護を緩めて欲しい一般利用者と、保護
を弱くしたくない権利者の対立構図を見ることが出来る。反
対の理由としては以下のようなものがあった。
(ⅰ)訴訟の負担が大きくなる
一般規定による権利制限に該当するか否かを決定するため
に裁判を行うことは負担が大きいという意見である。一般規
定の創設により合法かどうかを巡って裁判が頻発する事が予
想され、それら全てに対応することは権利者にとっては負担
が大きい。権利者は多くが零細な個人であり、一方で一般規
定の利用者として主に想定されているのは企業であるため、
裁判に臨む精神的、金銭的コストの負担に格差があるという
のである。
(ⅱ)一般規定が不当に解釈される危険性
インターネット等で違法利用が横行しているという現状認識
のもと、権利者への配慮が啓蒙されないまま一般規定を導入
すれば、違法な利用を助長するだけであるという主張だ。審
議がなされている時期は、グーグルによる書籍の無断でのデ
ータ化が問題になっており、インターネットビジネス業者に
よる大規模な無断利用に強い警戒感を示していた。
(ⅲ)個別規定でも対処できる
前記のような産業振興の目的ではなく、実質的に不当とは
言えない利用についての保護に関しては、包括的な一般規定
ではなくても、個別規定によってその都度対処する事で十分
対応可能であるという意見である。また立法による対処はな
くても、個別的な利用許諾の契約によって現在でも対応出来
ているという主張もなされている。
このように、一般規定の導入がインターネット産業の振興
を目的としているという理由から強い反発があった。形式的
侵害行為の保護のための規定についても、一般規定の持つ不
明瞭さから権利者の態度が変わる事はなかった。この点は、
賛成意見の中でも産業振興目的には反対しつつ形式的侵害行
為保護には理解を見せた「ネットワーク流通と著作権制度協
議会」とは一線を画している。
ヒアリングを経て、賛成意見の中で出された具体的事例な
どを踏まえて、
「議論のたたき台」として作成されたのが、
11 ページの ABC の三類型である42。これ以降の 2010 年度の
審議会では、法的な整合性などからこれらの類型について中
身を検討する議論に入っていく。つまり、この時点ですでに
一般規定が、個別規定といっても差支えない限定的な規定に
変わっていたことになる。この 3 類型が出された後で再び関
係者へのヒアリングが行われたが、ここで賛成派と反対派の
構成に変化はなく、強固に抵抗を示したのは権利者側であっ
た。一般規定への賛同者からは、類型に縛られない広範な一
般規定も設ける事が唱えられ、反対者からは、この類型でも
まだ不当利用の恐れが残るとして抵抗が見られた43。
「法制問
題小委員会の中間まとめ案」に対する意見募集の中には、現
状の個別規定重視の著作権法の不便さを意識するように求め
る意見も見られたが、そのような意見は反映されなかった。
かくして、
ビジネス振興策として政府等から求められた
「日
本版フェア・ユース」は、権利者団体からの積極的な支持を
ほとんど得ることが出来ず、また弁護士会や民間団体などの
賛成派の存在も十分な推進力にはならなかった。法制小委員
会の委員間の交渉を見ると、
「ビジネス振興策」としてのフェ
ア・ユースについては疑問視する向きが強く、形式的侵害該
当性解消策としてのフェア・ユースを妥協点として提示する
事が出来るかに思われた。しかし、著作物の利用を簡易にす
る「フェア・ユース」自体に権利者団体から支持を得ること
が出来なかった。その結果賛同者へのヒアリングから得られ
た「具体的なケース」にのみ対応する形の妥協案が、一つの
落としどころとなった。
41 前掲注 38 第 3 回―第 6 回 これらをまとめた物として第 6 回資料
6「ヒアリング等で出された主な意見の概要について(案)
」
(2009
年 9 月)
42 文化庁 権利制限の一般規定ワーキングチーム「権利制限一般規
定ワーキングチーム 報告書」
43 2010 年度 第 6 回―第 8 回ヒアリング
5. 権利者団体の影響力源泉
著作権法の改正過程において、利益団体、特に権利者団体
の影響力が大きい。還流レコード防止措置ではレコード業界
からの要望に対して、他産業からの批判、利用者からの反発
を受け、国際条約に抵触する恐れがありながらも、規定改正
で対応した。他方、内閣府からの提案であったが、特定の権
利者団体からの賛同を得られなかった日本版フェア・ユース
は、法案作成の時点ですでに一般規定とは言えない骨抜き状
態に陥ってしまった。今回採り上げた事例に限らず、近年の
著作権法は、特定の業界を保護するような規定がなされるこ
とが多くなっている。こうした権利者団体の影響力の源泉と
なっているものは、何かについて考えてみたい。
- 1 -
(ⅰ)専門性・情報の優位
著作権法についての知識だけでなく、問題の実情や認識に
ついての情報、或いは改正に対する意見・アンケート調査な
ど、権利者団体が情報へのアクセスにおいて優位に立つこと
がある。そうした情報を政党に提示して法改正のきっかけを
作ったり、議論をリードする手段として活用することはよく
みられる。還流レコード防止措置においては、レコード業界
の提示した、廉価版レコードを原因とする損失額や他国の状
況などの資料が、審議会としての案作成に大きく影響を与え
た。またこれらの情報は改正に対する抵抗力にもなり得る。
さらにこうした情報は、自らに都合のいいように提示するこ
とが可能であるのは言うまでもない。例えばアンケートのサ
ンプル回収方法が不明確なことがある。特に権利者団体の場
合、ごく少数の成功した著作者と大多数の零細な著作者との
間で利益が異なるため、どちらの層を対象とするかで、表明
される意見に差が出る。資料として問題がある場合でも、そ
れに気づかない、あるいは問題を認識しつつも、官庁側が別
の情報を自前で提示できない場合に、その資料は影響力を持
つことが出来る。
(ⅱ)当事者性
著作権法が、創作者の権利を規定している法である以上、
その対象者である創作者の意見を蔑ろにしたまま議論を進め
ることは実質不可能である。日本版フェア・ユースの審議過
程にあるように、権利者の保護はその議論の場に権利者団体
がいなくても何かしらの形で考慮されやすい。権利者団体と
してもそうした当事者性を前面に出し、
「創作にはコストが必
要である」
「創作者の保護は文化の保護である」といった主張
を行いやすい。
著作権による保護が弱くなったからと言って、
著作者がストライキを起こすことは考えにくいが、著作権が
弱まり創作者の収入が減少すれば、創作意欲が薄れていくと
いう主張は、行政への圧力としては一定程度の効果があるの
ではないかと思う44。また、著作権法では、自分の権利を守
りたい創作者と、出来るだけ自由に創作物を使いたい利用者
との間で、対立がほぼ必然的に生じてしまう。日本版フェア・
ユースのヒアリングで、賛成と反対がきれいに二分された事
からもそのことが伺える。この時に「当事者性」が、政治ア
リーナにおける両者の意見の採り上げられやすさに差を生み
出していると言える。
得られる利益も小さなものになる。その為集団内にフリーラ
イダーが生じやすくなり、集団による積極的な行動がとられ
にくい。結果著作権法改正の政治は、利害が分散した利用者
側と、デジタル化のインパクトを受け権利強化にまとまる権
利者団体という構造になっており、前者の利益が政策に反映
されやすい。
(ⅳ)ロビイング力
利益団体の影響力資源に、ロビイング力がある。ただし著
作権法政治過程へのロビイングは、直接政策として実現され
る程に強力なものではなく、アジェンダ設定、審議会への参
加、パブリックコメントの提出、非公式の接近、或いはキャ
ンペーン活動による間接的なものに留まると考えられる46。
コンテンツが日本の主力産業として見られている現状では、
海賊版対策などの名目で政府、特に自民党に対して働きかけ
を行うことは、問題を議題に載せるアジェンダ設定効果を持
つと考えられる。また審議会への参加やパブリックコメント
の反映や非公式の接近は、一般市民が得るには困難な影響力
である。間接ロビイングについて、著作権法の政策は一般市
民が関心を持ちにくい分野である事から、環境政策と異なり
効果を上げにくいとも考えられるが、一方で映画館での映画
盗撮防止を呼びかけるCMなどは、著作権法に明るくない市
民に対し、著作権法を社会的な倫理規定として認識させる効
果があると思われ、保護強化に対する反発を市民一般から生
じさせない環境形成に寄与していると考えられる。
6 まとめ
以上の検討から、著作権法改正の政治過程において権利者
団体の影響力は相対的に大きいことがわかった。これは政府
による利益誘導によるものではなく、改正過程において各ア
クターが合理的な行動を選択した結果である。改正過程の政
治アリーナの構造的な特徴として、著作権が政治的な争点に
なりにくいロー・セイリアンスの性質をもち、利益が複雑化
したことで官庁側から一定の帰結へと誘導することが困難と
なり、利害の大きさや集中度の違いから利用者に不利な少数
派バイアスが生じる、という三点をあげた。政治家にとって
は政策としてセイリアンスが低いために敢えて自律的に行動
するインセンティブが働きにくく、また要求される知識のハ
ードルも高くなっている。著作権法の利害関係者が多様化す
(ⅲ)組織力
るにつれ、その関係性も複雑化し、官僚がこれらを纏めるに
権利者と比べれば、利用者である一般市民の方が数として は当事者間の議論に委ねる面が大きくなっている。ユーザー
は多い。
しかしその利益は拡散していてまとまってはいない。 たる市民の利益は、利益団体に比べて分散しており、つなが
一方実際の数では少数派である権利者は、それぞれ利益実現 りが弱く行動力においても劣る。
これらの構造的特徴が、利益団体の影響力を大きなものと
のための組織を形成し、利益団体として一つにまとまってい
る。こうした場合オルソンの「集合行為論」に照らせば、拡 している。その帰結として、特定の利益団体が恩恵を受ける
散された多数の意見よりも、まとまった少数派の意見の方が 個別的な改正が多く行われ、フェア・ユースのように積極的
政策に反映されやすいという「少数派バイアス」が発生する45。 支持が得られにくい改正は実現し難くなっているというのが、
構成員が少ない小集団の場合、一つの目的を共有しやすく、 著作権法の現状である。保護を強化し続け利用を委縮させる
その目的の達成が構成員自身にも利益をもたらすという共通 事も、創作者の保護を全く無くすことも適当とは言えず、保
認識がある。したがって政治への参加も自発的に行われ、ロ 護と利用のバランスについてどのようにするか結論は出てい
ビイングは強力なものになる。他方構成員が多い大集団は、 ない。しかし、その政治過程の構造に存在するバイアスを修
目的意識が共有されにくく、高い政治参加のコストを払って 正し、多様な意見を反映できるような、各アクター間でバラ
ンスの取れた政治参加の環境を整える必要はあるのではない
かと思われる。
44 この点で、大嶽秀夫(1996)における経済団体の「生産力・供給
力」とやや類似していると言える。
45 前掲注 3
46
- 1 -
前掲注 2
参考資料一覧
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第 1 回―第 8 回 議事録 各資料
―平成 21 年度 第 1 回―第 7 回 議事録 各資料
―平成 22 年度 第 1 回―第 12 回 議事録 各資料
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