5 日本発、希少難病HAMに 対する革新的治療薬の開発 聖マリアンナ医科大学 山野 嘉久 Key words HTLV-1 / HAM / ATL / 抗 CCR4 抗体 / HAM ねっと 1.HAM の問題解決における日本の役割 HTLV-1(ヒト T 細胞白血病ウイルス)は、ひとたび感染すると体の中から排除 することのできない、生涯にわたり感染が持続するウイルスです。このウイルス の発見は 1980 年と比較的最近ですが 1)、縄文時代以前には、すでに日本人に感染 していることが明らかとなっている、太古より現代まで日本人に連綿として引き 継がれてきたウイルスです。2009 年に行われた疫学調査によれば、わが国の感染 者は約 108 万人、つまり約 100 人に 1 人がこのウイルスに感染していることが明 らかとなりました 2)。通常は、このウイルスに感染していても何ら問題なく生活を 送ることができますが、まれに感染者の一部に重篤な病気、すなわち感染者の約 5% に ATL (成人 T 細胞白血病・リンパ腫) という白血病を、 約 0.3% に HAM (HTLV-1 関連脊髄症)という神経難病を引き起こすことが知られています 3, 4)。ATL は、数 やま の よしひさ 山野 嘉久 Author 著者 聖マリアンナ医科大学 難病治療研究センター 医学博士 1993 年 鹿 児 島 大 学 医 学 部 卒。 鹿 児 島 大 学 医 学 部 内 科 学 第 三 入 局。 1997 年 同大学大学院内科学修了。2000 〜 2003 年 米国 National Institute of Health 研究員。2009 年 聖マリアンナ医科大学難病治療 研究センター病因病態解析部門 部門長 / 准教授、同大学院先端医療開 発学代表、同臨床研究データセンター副センター長兼務。専門領域:神 経内科専門医(指導医)、リウマチ内科専門医、総合内科専門医(指導 医 )、HTLV-1 感 染 症、HAM、 神 経 感 染 症、 神 経 免 疫、 ト ラ ン ス レ ー ショナルリサーチ、臨床試験。社会活動:日本 HTLV-1 学会理事、日本神経感染症学会評 議員、政府 HTLV-1 特命チームオブザーバー(平成 22 年度)、厚生労働省 HTLV-1 対策 推進協議会 構成員(平成 23 年度から現在)。HAM 患者会(アトムの会)顧問、NPO 法 人「日本から HTLV ウイルスをなくす会」(スマイルリボン)顧問。業績:Bangham C, Taylor G, Yamano Y, Araujo A.:HTLV-I-Associated Myelopathy/Tropical Spastic Paraparesis(HAM/TSP). Nature Reviews Disease Primers , 2015 他 研究室 HP 電子版 Vol.4 No.2 2015 43 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ Special Topic 図1 HTLV-1 感染者の一部は難治性で予後不良の白血病 (ATL)や神経難病(HAM)を発症 ある白血病の中でも致死率が高い白血病の一つで、発病後1年ほどで亡くなる方 がほとんどの深刻な病気です。一方 HAM は、長い年月をかけて脊髄が徐々に傷 害され、次第に下肢がしびれたり、歩きづらくなったり、排尿や排便をすること が難しくなったりしていき、最終的には車椅子や寝たきりの生活を余儀なくされ る難病です。また HAM の患者さんには ATL を発症するリスクもあります (図 1) 。 このように HTLV-1 が引き起こす病気は重篤ですが、残念ながら現在の医療では 発症を防ぐ方法や、病気を完全に治療できる薬や方法はありません。 実はこの HTLV-1 は、世界のなかでもとくに日本に感染者が多いウイルス で、ATL や HAM も日本人研究者が発見した病気です 3, 4)。図 2 に世界における HTLV-1 感染者の分布を示しますが、感染者が多い地域は日本以外ではカリブ海 沿岸、南米、アフリカなどの発展途上国で、先進諸国で感染者が多いのは日本の みです 5)。このような背景から、医薬品開発がさかんな欧米先進国では HTLV-1 に対する関心は低く、海外で新薬が開発される可能性はきわめて低いといえます。 そのため、この問題を解決するための日本の役割はきわめて重要で、世界中の HTLV-1 感染者そして、ATL や HAM の患者さんが、日本の研究に期待を寄せて 電子版 Vol.4 No.2 2015 44 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ 5 Special Topic 図 2 世界における HTLV-1 感染者の分布 (先進国では唯一日本に多い) いるといっても過言ではないでしょう。現在では、日本政府もこの HTLV-1 にか かわる問題を重要視しており、2011 年には国主導による感染予防や疾病対策・治 療研究の推進を盛り込んだ「HTLV-1 総合対策」がスタートしました。 2.HAM の真に有効な新薬を開発するために必要な視点 これまでに HAM の治療薬の候補として様々な薬が試されてきましたが、いず れも効果に乏しく、病気の進行を止めることができないため、患者さんたちは一 日も早く新薬が登場することを切望しています。しかし希少難病の研究には、症 例数の確保が難しい、潤沢な研究資金を調達しづらいなどの多くの障壁があり、 いかに効率よく病気の本質に迫る研究ができるかが鍵となるため、様々な工夫が 必要です。 HAM は、一般に数十年という歳月をかけてゆっくりと進行していく疾患であ ることから、治療の最終目標(医学用語で True endpoint;トゥルーエンドポイ ント)は、長期予後の改善(生涯にわたり、いかに症状を軽い状態で維持するか) であるといえます(図 3)。薬を開発する際には、その薬の効果を確認する“臨床 試験”を必ず行いますが、HAM のように長い時間をかけて徐々に症状が進行し 電子版 Vol.4 No.2 2015 45 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ 5 Special Topic ていく疾患では、薬の 効果がはっきりと確 認されるまでに非常 に長い年月を要する こ と に な り ま す。 し たがって短期間で行 われる臨床試験では、 症状が改善したかど うかなど薬の効果を 評価することが非常 に 難 し く、 こ の 点 が 図 3 HAM の経過を踏まえた治療の最終目標は長期予後の改善 真に有効な薬剤の開 発をさらに困難にし ています。そのため最近、症状の進行に長い時間がかかるという特徴がある疾患 に対しては、サロゲートマーカー(代用マーカー)の開発が進められるようにな りました。サロゲートマーカーとは、True endpoint(HAM の場合は長期予後の 改善です)を反映する目印のことで、この目印をもってすれば、その薬の治療効 果を短期間で正確に、定量的に予測できるというものです。最近ではサロゲート マーカーを治療効果の指標とした治験(薬の承認を得るために行われる臨床試験) の実施が様々な難病で盛んとなってきています。しかしながら、サロゲートマー カー自体を決めるためには、臨床経過や治療効果と結びつけた各検査データなど のバイオマーカーの情報を長期的に追跡する研究が必須です。HAM では、最近 ようやく我々がサロゲートマーカーを選定する研究を開始したところですが、こ れまでの段階で HAM では末梢血の HTLV-1 ウイルス量(感染細胞数)、髄液の 炎症マーカーであるネオプテリン、CXCL10 濃度が病気の進行度と相関するサロ ゲートマーカーの候補となることが明らかとなってきました 6, 7)。つまり HAM に おいては、HTLV-1 ウイルス量と髄液のネオプテリン、CXCL10 濃度を改善し得 る薬が、HAM の長期予後を改善させる、真に有効な治療薬となる可能性がある ことを示唆しています。 電子版 Vol.4 No.2 2015 46 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ 5 Special Topic 3.HAM の根本的な治療薬となり得る抗 CCR4 抗体 これまでの種々の研究成果から、HAM の様々な症状は、HTLV-1 に感染した 細胞が脊髄の中に入り込み、脊髄内での慢性的な炎症を引き起こした結果、神経 組織が障害されることによって現れると考えられています。また前項でも述べま したが、HAM では、HTLV-1 ウイルス量(感染細胞数)は長期予後と相関する ことが明らかとなっています。そのため HAM の治療には HTLV-1 ウイルス量(感 染細胞数)を減らす薬が根本的な治療薬になると期待され、数多くの試みがなさ れてきましたが、これまでに実現したものはひとつもありません。そこで我々は、 HTLV-1 の感染細胞を減らすためには、ウイルスの特徴を踏まえて HTLV-1 感染 細胞そのものを特異的に攻撃・破壊する治療薬の開発が必要であると考えました。 このような戦略で、我々が HAM 患者の HTLV-1 感染細胞の表面にある目印とな る分子を探索したところ、HTLV-1 感染細胞を特徴づける分子は、ケモカイン受 容体の一つである CCR4 が有望であること、さらに HAM においては、CCR4 陽 性の HTLV-1 感染 T 細胞(CCR4 が目印となって細胞表面に出ている HTLV-1 に感染した T 細胞)が炎症を促すような異常細胞に変化して、HAM の病因と なっていることを証明しました(図 4)8-10)。以上の結果から、CCR4 抗原を標的 として抗体依存性細胞傷害活性を示すヒト化抗 CCR4 抗体製剤(CCR4 が目印と なって細胞表面に出ている細胞を、特異的に殺す働きのある抗体製剤)の開発に 成功していた国内企 業と 2007 年から共同 研究を開始し、HAM における本製剤の抗 HTLV-1 感 染 細 胞 活 性、抗炎症活性を証明 し ま し た 11)。 こ れ ら 一連の研究成果を総合 的に考察した結果、抗 CCR4 抗体は、これま で実現されなかった 図 4 抗 CCR4 抗体による治療は HTLV-1 感染細胞の破壊による根 本的な治療薬となり得る 電子版 Vol.4 No.2 2015 47 HAM の HTLV-1 感 染細 胞 を 標 的 と し た 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ 5 Special Topic 根本的な治療薬になりうると判断し、2013 年 11 月より HAM 患者を対象とした 抗 CCR4 抗体の医師主導治験を開始しました。現在、治験の進捗状況は順調で、 HAM の画期的な新薬を実用化できる可能性が見えてきました。 4.希少疾患の問題解決には患者登録システムが有用 HAM は、全国の患者数が推定で約 3,600 名と非常に少ない疾患です。そのため、 治療薬の開発に必要な HAM の経過や治療効果などに関する様々な情報が不足し ており、新薬開発を困難とする大きな原因の一つとなっていました。さらに、希 少疾患では治験を行うための症例数の確保が難しく、治験が実施できないという 問題もありました。これらの問題を解決するために、我々は 2012 年から患者会 と連携して全国的な HAM 患者登録システム(HAM ねっと:http://hamtsp-net. com)の運営を開始し、既に 400 名以上の HAM 患者さんに登録いただき、経年 的な疫学調査研究や患者さんへの情報発信ツールとして活用しています(図 5)。 現在実施している抗 CCR4 抗体の医師主導治験においても、この HAM ねっとを 利用することで症例を順調に確保することに成功し、症例集積性の向上に大きく 役立ちました。また HAM ねっとは、患者情報を効率的に収集・解析することが 可能なシステムとなっており、世界に類を見ないきわめて貴重な HAM の実態解 明に資する情報基盤となっています。今後は、HAM ねっとを活用して全国の専 図 5 HAM 患者登録システム(HAM ねっと)は HAM の問題解決に有用 電子版 Vol.4 No.2 2015 48 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ 5 Special Topic 門医療機関との連携をはかり、全例登録を目標に掲げたシステムへと発展させる ことで、HAM の早期発見から専門医への連携といった HAM 診療ネットワーク の拡充を図り、全国の HAM の診療レベル向上に大きく貢献できるようになると 期待されます。 5.おわりに 現在我々は、世界初の HTLV-1 感染細胞を標的とした HAM の根本的治療とな る可能性がきわめて高い、わが国発の医薬品の治験を実施し、実用化に向けた開 発を進めています。その成功は、有効な治療法がない神経難病 HAM に対する日 本発の画期的な治療技術となり、患者の生活の質を大きく向上させることでしょ う。さらに、ATL の発生源でもある HTLV-1 感染細胞を制御できることを示す ことで、ATL の発症予防薬の開発にもつながる可能性があり、HTLV-1 総合対策 を大きく前進させることが期待されます。HTLV-1 の問題は先進国の中では日本 特有であることから、日本が主導的に研究開発を行わなければ解決されない問題 です。この新薬の開発は、日本のみならず、感染者や患者の多い発展途上国など の地域にも恩恵をもたらし、国際的な貢献にもつながると期待されます。今後は、 新薬開発に関する関係機関との連携をさらに深めることで、1 日も早く患者さん にこの画期的な新薬を届けることが出来るように努めていきたいと思います。 【参考文献】 1)Poiesz BJ. et al . : Proc Natl Acad Sci USA , 77(12): 7415-9, 1980. 2)Satake M. et al . : J Med Virol, 84(2): 327-35, 2012. 3)Uchiyama T. et al . : Blood , 50: 481-92, 1977. 4)Osame M. et al . : Lancet , 1: 1031-2, 1986. 5)Gessain A. et al . : Front Microbiol , 3: 388, 2012. 6)Olindo S. et al . : J Neurol Sci , 237: 53-59, 2005. 7)Sato T. et al. : PLoS Negl Trop Dis , 7: e2479, 2013. 8)Yamano Y. et al . : PLoS One , 4(8): e6517:1-14, 2009. 9)Ando H. et al . : Brain , 136: 2876-87, 2013. 10)Araya N. et al . : J Clin Invest , 124: 3431-42, 2014. 11)Yamauchi J. et al . : J Infect Dis , 211: 238-248, 2015. 電子版 Vol.4 No.2 2015 49 前の 記事へ 目次へ 次の 記事へ 5
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