ライトノベルは文学か

総特集
文芸学科
大解剖
第七集
2015
ライトノベルは文学か
文芸学科大解剖
【総特集】
2015
藝大我樂多文庫
第七集 目次
鼎談「ライトノベルは文学か」
004
ライトノベル作家登場!
八薙玉造特別講義
035
私を文芸学科に導いた一冊
042
そして学生は扉をたたく ―文芸ゼミ訪問―
051
052
055
059
063
玄月ゼミ 掴め、織田作之助賞!
出口ゼミ 奔放自在、柔よく全を制す
山田ゼミ 言葉で紡ぐ、言葉で伝える
宮内ゼミ ペンは強し、大芸小説道場
突撃!気になるあの授業
066
069
072
ブックデザイン 駒原稔子先生
シナリオ制作 西岡琢也先生
エディトリアル演習Ⅱ 福江泰太先生
001
文芸学科生への手紙
笹谷純雄先生
西岡陽子先生
077
087
本好き、集まれ! オーキャン実行委員会奮闘記
093
はじめまして、大芸生です。
ライバル
~有力大学探訪記~
専修大学 日本文学文化学科
早稲田大学 文芸・ジャーナリズム論系
法政大学 文芸コース
日本大学 文芸学科
京都造形芸術大学 文芸表現学科
近畿大学 創作・評論コース
098
106
114
121
129
138
オダサクの青春を歩く
146
西へ東へ!古書店入門
150
私の本棚
159
磨け、コトバの原石
Telopworks
創作考房
白地図
大阪芸大河南短歌会
163
167
170
174
在校生インタビュー
学生作家みうらかれん
177
編集後記
182
002
藝大我樂多文庫 第七集
文芸学科大解剖
鼎談
藝大我樂多文庫 第七集
まっている学生のなかには﹁小説は書き
たいけれども、私はライトノベルに関心
がありません﹂という学生もいるかもし
れない。だけど、君たちがこれから表現
者として生きていくときに、ライトノベ
ルは無視できない。たとえ自分が書かな
いとしてもね。なぜかというと、君たち
が書く作品の読者がライトノベルで育っ
私は自分の本心としては、ライトノベル
考える文学とには随分差があるわけです。
ルがどういうものであるかを知っておく
に関心がないという学生も、ライトノベ
わけにはいかない。だからライトノベル
ているからです。この事態を直視しない
に ま っ た く 関 心 が な い。 け れ ど も 実 際、
講師の方々を紹介します。石坂秀之先
長 谷 川 今 日 は 大 鼎 談 を 計 画 し ま し た。
テ ー マ は﹁ ラ イ ト ノ ベ ル は 文 学 か ﹂。 実
生は講談社に勤められていて、
﹁群像﹂の
をいうと、少なくとも文芸学科において
ルを視野に入れなければならない時代が
編集長も経験された。大槻慎二先生は福
べきだと思う。そういう時代がすでにき
きているということは痛切に感じていま
武 書 店︵ 現 ベ ネ ッ セ コ ー ポ レ ー シ ョ ン ︶で
てしまった。
しかし、私自身はライトノベルがどん
す。現にこの学科からもライトノベルの
﹁ 海 燕 ﹂と い う 雑 誌 の 編 集 を さ れ、 小 川
一八歳、あるいは二〇歳の学生諸君の前
なものか知らない、それが意味する内容
作家は何人も出ている。僕らは今まで純
で小説の話をするときには、ライトノベ
も理解していない、その定義もまったく
文学を中心として授業を進めてきたけれ
はライトノベルという題目で話をするの
わからない。ただ、時代の流れがライト
聞 出 版 に 移 ら れ て、
﹁一冊の本﹂や﹁小説
ノベルの方向へ行っている。実際、最近
トリッパー﹂の編集長を経験された。ま
洋子や、角田光代、佐伯一麦といった新
だからあえて今日は、文芸学科史上初
人の才能を育てられた。その後、朝日新
めて、ライトノベルをテーマに鼎談をし
ど、それとは関係ない場所からどんどん
しかし彼らが書きたい小説と私が考えて
た、福江泰太先生は講談社文芸文庫の中
ライトノベルの作家は育っている。
い る 小 説 に は ど う も 違 い が あ る ら し い。
ていただくわけです。しかし、ここに集
く と 八 割 か ら 九 割 の 学 生 が 手 を 挙 げ る。
ライトノベルで育ってきた学生と、私が
の 新 入 生 に﹁ 小 説 を 書 き た い か?﹂と 聞
は史上初めてのことです。
ラ イ トノベルは文学か
004
れてきた。今日はとても貴重なお話がう
てゆく編集者として時代の変化に対応さ
い、新しいクリエイティブな働きを考え
す。書き手と付き合い、読者とも向き合
考えてこられた人たちだということで
で 感 じ て、 そ の な か で い ろ ん な こ と を
トノベルへという時代の潮流を実際に肌
いる。三人に共通するのは文学からライ
心的なスタッフとして現在も活躍されて
い読者を発見した﹂という言葉です。
っ た の は、
﹁僕たちは中高生という新し
とができたのですが、なかでも印象深か
集者と知り合い、いろいろと話を聞くこ
バルト文庫の編集に携わってきた先輩編
い﹂では済まされないわけです。長くコ
仕事の性格上﹁よくわからない﹂
﹁縁がな
ベルから出る文庫がムチャクチャ売れる。
ピンキー文庫が創刊され、それらのレー
があり、その後、スーパーダッシュ文庫、
というと、僕の場合は、小学校から中学
まず、僕たちがいつ大人を意識するか
かがえるのではないかと思って、私自身
もとても楽しみにしています。
二〇〇〇年頃からで、二〇〇四年あたり
す る の は、 イ ン タ ー ネ ッ ト が 普 及 す る
も﹁ ラ イ ト ノ ベ ル ﹂と い う 名 称 が 一 般 化
福江 僕がライトノベルを意識し始めた
の は、 九 〇 年 代 の 後 半 で す。 と い っ て
の流行りの作家にも手を出す。これが一
ね。高校生になると外国文学やその当時
る。 そ れ な り に 背 伸 び を し た 読 書 で す
作 と い わ れ る﹁ 文 学 ﹂な ん か を 読 み 始 め
の読んでいる本も読んでいいんだと、名
それと同時に、中学生なのだから、大人
校に進んだときです。半ズボンから長ズ
からラノベブームとなりますので、九〇
般的な僕たちの世代の読書体験だったと
ライトノベルの誕生
年 代 後 半 の 僕 の 認 識 と し て は、
﹁よくわ
ボ ン に 変 わ っ て、 大 人 に な っ た と 思 う。
からないけれども僕とは縁のない幼稚な
僕 は 集 英 社 の P R 誌﹁ 青 春 と 読 書 ﹂の 編
てくる。﹁宇宙戦艦ヤマト﹂や﹁銀河鉄道
から八〇年代半ばにかけて様子が変わっ
読物﹂といった程度のものでした。当時、 思うのです。しかし、七〇年代末あたり
集をしていました。すでにコバルト文庫
ライトノベルは文学か
005
友克洋や岡崎京子などが登場し、質的に
ニメが中高生を夢中にさせ、マンガも大
999 ﹂そして﹁ガンダム﹂へと続くア
に速くする。そのためには描写よりも会
格を明確にし、ストーリー展開を徹底的
に取り入れる。例えばキャラクターの性
容自体もマンガやアニメの手法を意識的
物﹂や﹁小説新潮﹂などに、大衆向けの作
手が大衆文学の文芸誌である﹁オール讀
ないでしょうか。かつては純文学の書き
から、皆さんもその区別はわかるのでは
す。芥川賞と直木賞が並立していること
と、現在もいまだに二誌出し続けていま
は、純文学の文芸誌、大衆文学の文芸誌
藝大我樂多文庫 第七集
読書体験から多くの中高生が降りていく。 話を重視する。中高生がワクワクドキド
かなり高度になってくる。僕ら旧世代の
にはどうしたら良いか、編集者も書き手
活字の世界からマンガやアニメの世界に
品 を 書 き、 そ れ を﹁ 中 間 小 説 ﹂と 称 し て
大衆文学が現在のエンターテインメ
もすごく考えたわけです。そして人気の
ン ト 小 説 へ と 飛 躍 し て い く き っ か け は、
行ってしまった中高生をもう一度活字の
策 で す。 僕 に と っ て 先 輩 編 集 者 の 話 は
いました。純文学と大衆文学は、区別さ
﹁ 目 か ら ウ ロ コ ﹂と い う 感 じ で し た。 背
五木寛之の登場です。僕も高校時代にハ
七 〇 年 前 後 で す。 象 徴 的 に い う な ら ば、
れながらも浸透しあう面もあった。
昔 か ら﹁ ジ ュ ニ ア 小 説 ﹂と い う 細 い 流
伸びをする大人をまねた読書体験とはま
出た作品は必ずシリーズ化する。マンガ
れがありましたが、その流れを太くする
た別の読書体験を中高生に提供していっ
は週刊ですから、シリーズ化はその対抗
というのではなく、マンガやアニメに対
世界に取り戻すのだ、というのが先輩編
抗できるような、中高生をワクワクさせ
えば、
﹁編集者が作り上げたジャンル﹂と
の原点だと思います。裏方の事情からい
の枠内で語り得ると思っています。文学
ン タ ー テ イ メ ン ト 小 説 は や は り﹁ 文 学 ﹂
ノベルをあえて対立的に見たときに、エ
僕はエンターテイメント小説とライト
仕事をしてきましたが、桐野夏生の﹃O
編集者になってからは、純文学を中心に
小説は質量ともに高度化し拡大していく。
た。五木寛之以降、エンターテイメント
っこいい書き手が登場したと感激しまし
だ と か﹃ 蒼 ざ め た 馬 を 見 よ ﹄だ と か、 か
マ り ま し た。﹃ さ ら ば モ ス ク ワ 愚 連 隊 ﹄
たわけです。
してライトノベルは生まれたともいえる
う 二 つ の 流 れ が あ っ た。 例 え ば 大 岡 昇
に は、 当 初 よ り 純 文 学 と 大 衆 文 学 と い
文庫の形で出す。競争相手はマンガやア
安くなくちゃいけない、だから最初から
が、大衆小説は娯楽だ、と明確にいい放
平という作家は、文学︵純文学︶は芸術だ
景としているのですが、
﹁貧乏﹂はそれま
られた﹂と思いました。主婦の貧乏を背
U T ﹄を 読 ん だ と き は、 正 直 い っ て﹁ や
ニメだから、装幀はもちろんのこと、内
ち、 実 際、 文 芸 誌 を 出 し て い る 出 版 社
中高生がお小遣いで買うわけですから、
わけです。
集者が構想したというのがライトノベル
る よ う な﹁ お 話 ﹂を、 危 機 感 を 持 っ た 編
集者の真意です。
コバルト文庫の創刊は一九七六年ですが、 キ す る よ う な﹁ お 話 ﹂を 楽 し く 展 開 す る
006
石坂秀之
1953 年生まれ。東京都出身。編集者。
講談社「群像」
「週刊モーニング」編集を経て、
「群像」編集長、文芸図書第一出版部・部長。
2014 年退社。
ンタメの膨化と同時に、
﹁純文学の衰退﹂、
かりし人間もきっちりと描けている。エ
りがたし﹂と痛感しました。物語がしっ
わ け 私 小 説 家 に と っ て は。﹁ エ ン タ メ 侮
では純文学の主要なテーマでした、とり
め、 物 語 を 作 る た め の﹁ 文 法 ﹂が、 文 学
明確に意識していると感じます。そのた
象としている。書き手も編集者もそれは
はいまだに中高生をコアにした若者を対
読者を限定していないが、ライトノベル
や﹁ 若 者 ﹂の 輪 郭 が 曖 昧 に な り、 流 行 の
の﹁ 文 法 ﹂と は 異 な り、 マ ン ガ や ア ニ メ
速度が速くなってくると、ライトノベル
の﹁ 文 法 ﹂に 則 っ て い ま す。 し か し い ま
そうした状況のさなかに登場したのが
の内容もジャンルクロスを起こし、質量
り﹂が始まったわけです。
ライトノベルです。出自からいって、こ
あるいは﹁純文学のエンタメへのすり寄
れはエンターテインメント小説の一変種
ってきている。現在では、エンタメとラ
ではありません。むしろマンガやアニメ、 ともに膨化して、その輪郭も不明瞭にな
ゲームと隣接したサブカルチャーの一領
ノベの間を衝く有川浩のような作家も生
れ る 分 野 の 編 集 を や っ て き ま し た。 た
石坂 長谷川さんからご紹介があった通
り、 私 は 講 談 社 で ず っ と 純 文 学 と 呼 ば
のは事実ですね。
ても不思議ではない状況が出現している
テインメント小説の一変種だと勘違いし
はないかと思います。ラノベをエンター
の線引きがかなり難しくなっているので
り、
﹁直木賞﹂業界では、ジャンルの上下
出男のような純文学志向の作家も出てお
まれています。またエンタメから古川日
域と考えた方が混乱しない。エンタメは
ライトノベルは文学か
007
藝大我樂多文庫 第七集
ら ほ ぼ 二 〇年 前 に 起 こ っ た﹁ 純 文 学 の
が、一応、ライトノベルの起こりは今か
といっても話が通じるのか不安なのです
見当がつかない。だから﹁純文学の衰退﹂
どんなイメージを抱くのか、正直いって
ったのですが、あなたがたが同じ言葉で
﹁ あ あ、 あ れ か ﹂と い う 共 通 の 理 解 が あ
七〇年代の頃。
が大体完成されるのが一九六〇年から
るのは全てそのためだったのです。それ
リーする。社会インフラを整備したりす
差や差別をなくし、幸福を万人にデリバ
るということをいちばんの理想とし、格
それぞれ豊かで知的で健康的な生活をす
なくそうじゃないか、個人というものが
却﹂なんです。この世から貧しい人間を
いいのですが、現実世界ではない別の世
上 げ て い く。 あ る い は﹁ ア バ タ ー﹂で も
京ディズニーランドのような世界を作り
ターネットのなかに、娯楽を、例えば東
わ ゆ る﹁ ネ ッ ト 時 代 ﹂で す。 今 度 は イ ン
に九〇年代に入ってやってくるのが、い
ていったわけです。つまり貧乏な人がい
衰 退 ﹂の 時 期 と 一 致 し て い る。 壇 上 に
り、みんなが平等に暮らし始める。それ
れまでの士農工商という階級制がなくな
えば日本だったら明治維新があって、そ
業革命以後の社会の発展段階ですね。例
ますが、要するに西洋をはじめとする産
いう言葉があります。近代主義ともいい
別の方向からいうと、
﹁モダニズム﹂と
化の壁にぶち当たったともいえます。
ですが、それが象徴するのは、生活プラ
に東京ディズニーランドが開園されるの
る の が﹁ 娯 楽 ﹂な ん で す ね。 一 九 八 三 年
はクーラーまである。そうすると次にく
レビもあるし、冷蔵庫、洗濯機、あるい
度豊かになって、それぞれの家庭にはテ
まうと次のようになります。皆がある程
いのですが、外側からざっくりいってし
﹁ポストモダニズム﹂。詳しい定義は難し
そ し て そ の 後 に く る の が、 い わ ゆ る
る。一方、我々が現実に生活していく世
る性質をもつ。そしてどんどん増え続け
れらが蓄積されて、データベース化され
とは、デジタル化された文字や画像。そ
よ り も 多 く な っ て 蓄 積 さ れ る。﹁ 情 報 ﹂
というと、
﹁情報﹂というものが現実世界
﹁ネット時代﹂になって何が変わったか
視される。
間関係を結んでいくかということが重要
そこでは貧困云々よりも、どうやって人
するべきだという考え方なのです。昔の
生活に必要なものはどんな個人にも分配
えるような、超金持ち国家ができあがっ
日本の地価の総額がアメリカのそれを超
うということです。﹁バブル期﹂もあって、
ています。本を読み、人と話して得る情
とのできる情報量というのはごく限られ
界では、リアルに受け取り、管理するこ
人格になって別な役割を演じ、生活する。
以 降 一 九 七 〇 年 頃 ま で を﹁ モ ダ ニ ズ ム ﹂
スアルファの楽しみを皆で共有していこ
小説を読むとわかるのですが、そこで最
つ ま り そ れ は 簡 単 に い っ て し ま え ば、
と呼びます。
界をネット空間に作り上げ、自分が別な
そ の﹁ ポ ス ト モ ダ ニ ズ ム ﹂の 時 代 の 後
ない。みんな結構金持ちという時代。
い る こ の 三 人 は、 と も に そ の 時 代 の 変
﹁貧困からの脱
だ、我々の世代までは﹁純文学﹂と聞くと、 も 語 ら れ て い る こ と は、
008
大槻慎二
1961 年生まれ。長野県出身。編集者。
大阪芸術大学、奈良大学、非常勤講師。福
武書店「海燕」編集部を経て、朝日新聞社に
入社。「一冊の本」
「小説トリッパー」朝日文
庫の編集長を務める。
化される情報とは比べものにならないく
いうと、デジタル化され、データベース
報、記憶できる情報というのは、量的に
要でなくなり、娯楽や別世界の物語が可
テ ー マ に す る﹁ 純 文 学 ﹂が、 読 者 に は 必
だとか貧困、あるいは戦争ということを
いう感じがあります。そこではもう差別
況のなかから必然的に出てきたものだと
能性を広げていった。そうした状況下で
らい少ない。それなのに、データベース
ライトノベルが始まったんじゃないかな、
化された情報は、その本人の手に余るく
らい過剰に蓄積される。そういう時代に
で は、 測 り か ね る 時 代 で す。﹁ モ ダ ニ ズ
文学﹂とか﹁エンターテインメント小説﹂
したことがあるので、最初にそのことを
けれども一度だけそれに近い場所に遭遇
ベ ル の あ ま り い い 読 者 と は い え ま せ ん。
大槻 僕もお二方と同じく長らく純文学
畑を歩いてきた編集者なので、ライトノ
という感じを持っています。
なったわけです。
そこではもう我々は全体を把握でき
ム﹂以降はそういう世界が広がってきた。
お話しします。
ない。つまり我々が取り扱ってきた﹁純
その九〇年代以降の経済、社会、文化状
立てなさいということで、
﹁海燕﹂の場合、
ま ず、 雑 誌 の 柱 と な る よ う な 批 評 家 を
大切なことを教えてくれました。それは
その寺田さんが文芸誌を作るうえで最も
僕の生涯のお師匠といってもいい方です。
ながらもう亡くなってしまったのですが、
という非常に優れた文芸編集者で、残念
でした。この雑誌の創刊編集長は寺田博
書 店 で 出 し て い た﹁ 海 燕 ﹂と い う 文 芸 誌
僕の編集者としてのスタートは、福武
﹁ ラ イ ト ノ ベ ル ﹂と い う も の は、 ど う も
ライトノベルは文学か
009
福江泰太
1957 年生まれ。山口県出身。編集者。
出版社勤務を経て、文学に特化した編集事
務所を主宰。大阪芸術大学客員教授、法政
大学兼任講師。講談社文芸文庫、集英社『コ
レクション 戦争×文学』
(全 20 巻+別巻 1)
などの刊行に携わる。
な。秋葉原の海洋堂というおたくのメッ
藝大我樂多文庫 第七集
はなくて、キャラクター小説といってい
ましたが、思えばそれが僕の初めてのラ
イトノベルとの出会いでした。
ついでにいうと、リニュアルで表紙を
変えたときに、まず作家のポートレート
で 行 こ う と 考 え た。 第 一 号 が 吉 本 隆 明、
次が中上健次、そして三号目がその対談
の号だったのですが、表紙に困った。で、
ぶつ ど
困った揚げ句に考えたのは、アニメのフ
ィギュアを物撮りして載せようというこ
カのようなお店に行って、領収書を貰っ
とでした。確かセーラームーンだったか
そ れ で そ の 後、 朝 日 新 聞 社 に 移 っ て
て 買 っ て き た。 そ の お 店 の 客 層 を 見 て、
吉本隆明でした。
長としてリニュアルしろといわれたとき
か ら﹁ サ ブ カ ル チ ャ ー 文 学 論 ﹂と い う 長
けですね。ミステリーだってホラーだっ
いったように、これという規定はないわ
ライトノベルって、先ほど福江先生が
こ れ も 初 め て﹁ お た く ﹂と 呼 ば れ る 人 間
い連載が始まるわけですが、連載開始に
て学園モノだって何でもあり。ただひと
に遭遇したと実感したんです。
あたって東浩紀さんと対談をやってもら
つ共通点があるとすれば、それは文庫と
に考えたのは、大塚英志さんにその役を
った。大塚さんが一九五九年生まれ、東
のときにはまだライトノベルという言葉
おたく文化に造詣が深い批評家です。そ
レーターによる口絵や挿絵がふんだんに
ーターによるイラストで、同じイラスト
るのですが、お二人ともサブカルチャー、 いう形態で、表紙は決まってイラストレ
さんが七一年生まれでかなり年の差があ
やってもらおうということでした。そこ
﹁ 小 説 ト リ ッ パ ー﹂と い う 文 芸 誌 を 編 集
010
クター小説はまずキャラクターありきの
そしてライトノベル、すなわちキャラ
ですね。
店のどの棚に置かれているかが大事なん
パッケージがある。そしてその商品が書
ありきの世界なんです。内実に先行して
ンであり、何よりもまずマーケティング
ラストレーターと作家のコラボレーショ
入っているということ。つまりそれはイ
ライトノベルの特徴だと思うんです。
口絵にマンガ化ができる。ぼくはそれが
なく綴られていくのです。だからすぐに
マに割れそうな一連の描写が何の抵抗も
い越して⋮⋮と、すぐにでもマンガのコ
そして途中で何人かのクラスメイトを追
ーストをくわえて玄関を飛び出して行く。
パパやママに小言をいわれて、慌ててト
子高校生を描くとすると、寝坊してきて
ば朝ご飯を食べて学校へ行こうとする女
している。
たく疑わず、むしろそのことを大前提に
と い う よ う に﹁ 物 語 ﹂で あ る こ と を ま っ
あさんは箒に乗って飛んでいました⋮⋮
じいさんはガンダムスーツを着て、おば
おじいさんとおばあさんがいました、お
り、ライトノベルは﹁お話﹂ですよ。昔々
語﹂に対する疑いがまったくない。つま
も関連しますが、ライトノベルには﹁物
それから大槻先生がいわれたことと
昭 和 二 年 に 芥 川 と 谷 崎 が 論 争 す る。
ですが、技法としてライトノベルと他の
てきちんと読んできてわかったことなん
うので、ライトノベルというものを初め
そしてこれは今日このお話をするとい
理解なんです。
ィクションがついていくというのが僕の
には無理がある。発生からして、まずマ
延長あるいは拡大として考えていくこと
とつの形式であるとはいえても、文学の
ルチャーの一ジャンルであり、物語のひ
もいったように、ライトノベルはサブカ
はできないだろうと思いました。先ほど
ライトノベルを文学の延長で考えること
福 江 ﹁ ラ イ ト ノ ベ ル は 文 学 か ﹂と い う
テーマを長谷川先生から聞かされたとき、
小説も小説である限り、小さな噓はたく
だけを書いて、物語を排除している︵私
す。そして私小説は、私に纏わる﹁事実﹂
るかってことじゃないか、という発想で
はこの現実を自分がどう感じてどう生き
物 ﹂、
﹁ 噓 っ ぱ ち ﹂じ ゃ な い か、 大 切 な の
があった。自然主義も、物語とは﹁作り
とつの芸術として成り立つという確信
な く て も、 文 学 は 日 本 語 で 作 ら れ た ひ
的価値を強めるということはない﹂と芥
﹁話の筋の面白さが作品そのものの芸術
小説と何が違うかというと、一般の小説
ンガと競合しなければいけない、その次
さん含まれているけれども、
﹁作り物﹂に
物語における現実性
世 界。 キ ャ ラ ク タ ー と は﹁ 人 格 ﹂の こ と
だけど、この言葉は︿キャラクター商品﹀
がまず現実が目の前にあってそれを直接
はアニメと競合しなくてはいけないわけ
からきている。つまりマーケティングと
に写し取ろうとするのに対して、ライト
ですから。
川は主張する。極論をいえば、
﹁物語﹂が
ノベルはまず現実を一度マンガのコマに
してのキャラクターがあって、そこにフ
置き換えて、それを描写している。例え
ライトノベルは文学か
011
彼が井上靖の歴史小説を批判して論争が
素だと思う。
考えるときには欠かすことができない要
うような冷めた眼は、日本の近代文学を
よ ね、 そ ん な の﹁ 作 り 話 ﹂で し ょ、 と い
はしない︶
。
﹁ 物 語 ﹂ っ て﹁ 噓 っ ぱ ち ﹂だ
さんは、靖国神社は立派な建物だけれど、
発言をしたことに対して、作家の奥泉光
地の人たちが嘆いている、という趣旨の
故郷に霊が還ってこられなくなったと現
と し て 戦 死 し、 靖 国 に 祀 ら れ て し ま い、
いわれた台湾の先住民族の男たちが軍人
で、近代文学研究者が、かつて高砂族と
に最近出会いました。あるシンポジウム
もうひとつ、文学者らしい立ち向かい方
のです。物語の構造も重層化され、エン
語﹂には別に﹁オチ﹂がある必要はないし、
も、
﹁オチ﹂がある。純文学における﹁物
ドものであっても、ループものであって
の﹁ 物 語 ﹂で す。 つ ま り パ ラ レ ル ワ ー ル
き 進 ん で い く の が、 エ ン タ メ や ラ ノ ベ
タがあっても、物語のゴールへ向けて突
います。いくら途中でジグザグ、ゴタゴ
れ る﹁ 物 語 ﹂と は 異 な っ て い る よ う に 思
しかしエンタメやラノベにおいて要請さ
藝大我樂多文庫 第七集
起こった。物語を優先して、歴史的史料
そ の な か に は 霊 は ひ と つ も な い ん で す、
タメやラノベのように線を描くように
新事実を追補していった執念の作品です。 像力﹂の一端を見る思いがしました。こ
忠実であろうとして、版を重ねるたびに、 したね。奥泉さんの発言に文学者の﹁想
いう大作があります。可能な限り史実に
り ま せ ん が、 大 岡 に は﹃ レ イ テ 戦 記 ﹄と
の想像力と二三〇万部を売り上げた﹃永
霊も靖国には帰らず海上を彷徨っていま
三 島 由 紀 夫 の﹃ 英 霊 の 声 ﹄の 特 攻 隊 員 の
疑﹂があるように思っています。
根っこには、やはり﹁物語﹂に対する﹁懐
が ︶。 こ う し た 純 文 学 の 物 語 の 作 り 方 の
寄りにおいてはその限りではありません
す︵しかし﹁純文学﹂のエンタメへのすり
進行することのほうが珍しいくらいで
先ほど大岡昇平の名前を出しましたが、
を改竄したという批判です。物語を排し
戦死者の霊はいまだに戦場を行軍し続け
僕は読破しようとして、三回挑戦し、よ
ていることは確かです。良し悪しではな
遠の0﹄における想像力とは質を異にし
のまま、読者にほうりだせばいい
て 歴 史 的 現 実 に 迫 る と い う こ と が、
﹁歴
ています、と応えたのです。そういえば
うやく三回目に読破できた。そのくらい
いが、やはり心が震える。戦死者の霊は
のほうが何倍も面白い。でも面白くはな
的かということです。
作 者 自 身 が ど の く ら い 相 対 化 し、
﹁物語
く、物語に対する立ち位置の差、物語を
文学の重鎮である古井由吉さんがお酒を
大槻先生のお師匠さんの寺田博さんと純
り ま し た。 そ の と き の エ ピ ソ ー ド で す 。
集者とで温泉へ団体旅行をしたことがあ
んで話されていて、それを僕のような
る﹂という行為に対してどのくらい自覚
純文学においても﹁物語﹂は必要です。
この作品によって救われたと感動しまし
歴史に対する大岡的な立ち向かい方と、
た。
かなり昔の話になりますが、著者と編
面白くないわけです。井上靖の歴史小説
は
なのかという難問です。歴史小説ではあ
史学﹂としてではなく﹁文学﹂として可能
012
か べ る よ う な﹁ ち ゃ ん と し た ﹂物 語 で は
結構があったとしても、君たちが思い浮
を組む女たち﹂にしても、物語としての
情景です。古井さんの初期作品の﹁円陣
す。僕にとってはいまだに忘れられない
えなかったかのように無視をされたので
れ、これに対して古井さんはまるで聞こ
ろ物語に戻ってきたらどうだい﹂といわ
た。寺田さんは古井さんに﹁もうそろそ
ペーペーの編集者たちが周りで聞いてい
く見積もっても三千人から五千人くらい
らの実感でいえば、純文学の読者数は多
を相手にした仕事をしています。そこか
文学のなかでも古いタイプの作家や作品
ています。僕は講談社文芸文庫という純
の様々な局面から教えられたのだと思っ
ーさを選ぶ方が楽だということを、社会
したが、読者は、軽さや明るさ、イージ
ラ・ネアカ﹂という言葉が流行っていま
地 よ い の は 当 然 で す か ら。 当 時、
﹁ネク
そ し て 涙 が 流 せ る﹁ 作 り 物 ﹂の ほ う が 心
がイヤになってしまった。わかりやすく、
んで、そして僕が読む。で、みんなで良
読むわけです。まず妻が読んで、娘が読
ねられない。僕の家族はみな村上春樹を
老いていくけれども、精神的に年齢が重
てないわけです。肉体的にはいくらでも
も、なんだか三二歳くらいの感じしか持
を痛感しています。僕は五七歳だけれど
しょうが、
﹁成熟の不可能性﹂ということ
︿大きな物語﹀の終焉とも関連するので
の隆盛は必然のように感じますね。
ると、純文学の凋落とエンタメ、ラノベ
ように消費されていく。そのように考え
の主人公は五〇代前半で、ほかの作品で
あ り ま せ ん。 か つ て﹁ 翻 訳 の 世 界 ﹂で 古
はみな主人公が若い。村上春樹という存
井さんの短篇をリービー英雄さんが英語
石坂先生の発言を聞きながら感じたの
かったね∼とかいっちゃう。でもちょっ
ですが、国家や社会が進むべきヴィジョ
彼はもう六五歳ですよ。それなのにデビ
在は、本当に僕にとっては﹁
と考えるとすごくおかしい。最近の短篇
り 翻 訳 す る た め の﹁ 補 い ﹂を リ ー ビ ー さ
ンを持ち、それぞれの個人がどう生きれ
ュー時と同様に、若い主人公の物語ばか
じゃないでしょうか。これでは、はなか
んがやっているからです。かつては、古
ば い い の か が 思 い 描 け た よ う な、
︿大き
りを紡いでいる。ある意味でグロテスク
らエンタメやラノベに太刀打ちできるは
井さんのみならず、純文学の書き手たち
な物語﹀が成立した時代では、物語への
に翻訳するという試みがありました。お
は、 物 語 の﹁ 冒 険 ﹂を 果 敢 に 繰 り 拡 げ て
懐疑が生まれ、今日のように、社会も個
な 感 じ も す る。 し か も そ う し た 作 品 を
かしなことに僕にとってはリービーさん
いました。高橋源一郎さんの﹃さような
五七歳になった僕が読んでいる。村上春
集 の﹃ 女 の い な い 男 た ち ﹄で は、 最 年 長
ら、ギャングたち﹄を読んだときもびっ
人もなんらヴィジョンを持ちえない︿大
樹もあるときに自分が年をとるのを止め
ずはありません。
くりしました。しかしいつのまにか物語
物語が際限もなく産み出され、ついばむ
きな物語﹀が失われた時代には、小さな
の翻訳のほうが理解しやすかった。つま
の﹁ 冒 険 ﹂自 体 が 袋 小 路 に 迷 い 込 み、 読
﹂なんです。
者 の 側 も 純 文 学 の﹁ 冒 険 ﹂に 付 き 合 う の
ライトノベルは文学か
013
中上健次は、作品のなかで非常に魅力的
ちゃんとやっている。すでに亡くなった
に 対 し て﹁ 大 人 ﹂と し て の 向 き 合 い 方 を
したり、若者へ向けて発言したり、社会
春樹よりも若いけれど、財界人と対談を
たように思えてしまう。村上龍は、村上
﹁ 文 学 ﹂の 流 れ と も ク ロ ス す る よ う な 気
なと思います。それは、村上春樹以降の
はり現在を象徴した不思議なジャンルだ
熟できない読者が留まるというのは、や
がある。成熟を排除したジャンルに、成
なければならない﹀という﹁強固な前提﹂
としても、ジャンルとしては︿常に若く
るかっていう問題の延長線上にある。そ
描くべきだ、と。これも主人公を誰にす
族とか友達とか、よく知っている人間を
のことは理解できない。だから自分の家
つまり、人というのは自分から遠い人間
い 人 間 し か 書 い ち ゃ い け な い と い っ た。
また、伊藤整という作家は、自分に近
藝大我樂多文庫 第七集
なおばあさんやおじいさんを描く。大江
がします。
題だったんですよ。
健三郎も自分の年齢相応に作品も老いて
ということです。
ういう流れが日本の文学のなかにはある
石坂 福江先生がおっしゃったことには
三つあると思うんです。
いていくというのが、日本の文学の普通
対する疑いと成熟、これがこれまでの日
けれども、これは大正期から昭和期に日
確かに谷崎と芥川の有名な話もあります
私小説があるということですね。それは
話です。
つまり我々は全員子どもなのか、という
実 は こ れ を さ っ き い い た か っ た ん で す。
次は﹁成熟しない﹂という問題ですね。
本の文学の二つの大きな要素ですね。し
のあり方だったように思います。物語に
かし、村上春樹以降は、どうもそれがわ
つ ま り﹁ 他 人 の こ と が 書 け る の か ﹂と い
らいになって、感受性が豊かになった時
があって、そこでは幼少期から中学生く
か つ て は︿ 青 春 小 説 ﹀と い う ジ ャ ン ル
本の小説家がみんなすごく考えたことで、
う疑問があったんですね。
老いていくことを排除したジャンルです
トノベルは、物語への疑いを持たないし、
一〇人くらいがバッと手を挙げた。ライ
ノベルを読むの? という質問をしたら、
ているのですが、主人公をどうするかと
せん﹂というニュアンスの発言を紹介し
ないから、自分は自分のことしか書きま
と批判しつつ、
﹁他人のことは絶対に書け
久米正雄 がバルザックらの小説を通俗小説
なんじゃないでしょうか。
今はもう青春小説なんて言葉自体が死語
う い う こ と が 書 か れ て い る わ け で す が、
つがいるからどうにかしたいとか⋮⋮そ
の矛盾を考えたりとか、友達に貧乏なや
例えば小林秀雄は﹃私小説論﹄のなかで、 期に、登場人物が初恋に悩んだり、社会
ね。若い作家が若者のために紡ぐ物語世
いうのは日本の小説のなかでけっこう問
一方、ライトノベルにおいては青春小
界で、絶えず著者と読者が入れ替わった
生に、君たちは七〇歳になってもライト
る授業で、ライトノベルを読んでいる学
なぜこういう話をするかというと、あ
からなくなってしまった。
まずは日本の小説の伝統には自然主義、
いく。作家自身の年齢とともに作品も老
014
す。
が人生の一時期だということもないんで
つまでたっても子どもなんだから、青春
ってみんな成熟しないわけですから。い
説的なテーマは関係がない。なんてった
もの、ということになるのです。
熟しない社会の産物、成熟しない我々の
基本的な成立要件だとすれば、確かに成
ないということ。これがライトノベルの
子どもであること、そして現実は必要
んてもう必要ないということなんですね。
まうということは、逆にいえば、現実な
い る。 こ れ は﹁ モ ダ ニ ズ ム ﹂に 逆 行 し て
です。それでなおかつ、格差が広がって
きゃいけない世界になってきているわけ
まり富を少しずつみんなで分配し合わな
ほとんどの人々が給与をあてにする、つ
で生きていけた社会だったのが、今では
にいうとかつては五割ほどの人が自営業
そ し て 最 後 の ひ と つ が︿ 現 実 ﹀と い う
ま わ な い わ け。
﹁あなたのことが好きで
わけですよ。おケツから餃子が出てもか
になることは良いことであるという基本
ですか? 我々に。これがさっきいった
﹁ モ ダ ニ ズ ム ﹂の 問 題 で、 成 長 し て 大 人
そもそも成熟する必要がどこにあるん
もしかしたら希望のない世界を生きてい
が あ っ と い う ま に 終 わ っ て、 我 々 は 今、
わけですが、あんなに浮かれていた時代
こと。つまり、小説は何をやっても良い
すから、私のおケツから出た餃子あげま
的な前提があるからこそ、成熟を求める
のは当然です。﹁モダニズム﹂においては、 るのかもしれない⋮⋮いや、誤解を受け
だ か ら﹁ ポ ス ト モ ダ ン ﹂と 呼 ん で い る
いますよね。
それでかまわない。けれども読者にどう
す﹂みたいな。それをリアルだと思えば
戦争や貧乏は嫌だから、みんなでそれを
るといけないので声を大にしていってお
み﹂を考えるのが従来の小説だったのだ
やってリアルと思わせるか、その﹁仕組
き ま す が、 い つ の 時 代 に も﹁ 希 望 ﹂を 捨
ーマ・クラブという民間のシンクタンク
止めようという目的が社会全体に、ある
えれば、社会全体で皆が幸せになる方向
が﹁ 成 長 の 限 界 ﹂と い う レ ポ ー ト を 発 表
けれど、ライトノベルにおいてはもはや
に進んで行こう、という基本的な了解が
それを現実だと思えっていわれてもちょ
た給与生活者は、今では九割ですよ。逆
ていた昭和三〇年代では四割ぐらいだっ
うと、例えば明らかにモダニズムに属し
じ ゃ あ 今 は﹁ モ ダ ニ ズ ム ﹂な の か と い
んなが豊かになるためには経済はどんど
する﹂というものなんです。つまり、み
ば、百年以内に地球上の成長は限界に達
増加や環境汚染などの現在の傾向が続け
もっと正確にいうと、一九七二年にロ
ライトノベルの作品に﹃ソードアート・
人々にあった世界のことを﹁モダニズム﹂
ててはいけない。
︵川原礫著・電撃文庫︶という
オンライン﹄
し た。 そ れ は ひ と こ と で い う と、
﹁人口
いは我々の気分のなかにあった。いい換
のがあるんですが、ネットに入り込んで、
と呼ぶのです。
そんなものは関係ない。
そこでの対戦で死んだら自分も本当に死
っと無理じゃないですか。けれどもその
んじゃう、というような世界なんですね。
﹁ 無 理 な 現 実 感 ﹂と い う の が 通 用 し て し
ライトノベルは文学か
015
藝大我樂多文庫 第七集
き る た め に 想 像 す る。﹁ あ の 女 の 子 が 自
でもあると思います。つまり、人間は生
ではもはや、成長していく主人公という
こ ろ が﹁ ポ ス ト モ ダ ン ﹂と 呼 ば れ る 文 学
公というのは考えられないわけです。と
の資源をどんどん食わなければいけない。
のが素直に信じられなくなっている。
また、ライトノベルはひとつの﹁権利﹂
けれどもその限界はもう見えてしまった。
れば明日も楽しく生きられる﹂みたいな
分 を 振 り 向 い て く れ な い か な、 そ う す
う あ る 種 の 隠 さ れ た﹁ 希 望 ﹂を 紡 い で い
⋮⋮ライトノベルの作家たちは、そうい
出現する背景には、サブカルチャー文化、
トム﹂を例にひきたい。ライトノベルが
こ こ で ち ょ っ と 唐 突 で す が、
﹁鉄腕ア
後 は 何 と か う ま く﹁ や り く り ﹂し て そ の
われわれ六〇年代、七〇年代を生きて
きたい、という思いがあるのではないか
全然違う。さっき純文学がダメになった
科学者が、悲しみを紛らわすために天馬
どもを交通事故で失った天馬博士という
ムって何かって考えてみると、自分の子
が大事にしてきた文学か、といわれると、 あると、僕は思っています。それでアト
ト ム ﹂、 ひ い て は 手 塚 治 虫 と い う 存 在 が
カルチャー文化のおおもとには﹁鉄腕ア
おたく文化があるわけですが、そのサブ
きた人間にとっては、世界は将来どんど
な。
年代以降は明らかになってきた。だから
といったのですが、なんでそんなことに
ただそれが、俺が知っている文学、俺
ん良くなると簡単に思っていた。けれど
前者で語られる文学と後者で語られる文
なっているかといえば、そこにはちゃん
ライトノベルが成熟を拒む﹁永遠の子
飛雄という子どもと等身大のロボットを
作る。それがアトムなわけですね。つま
と必然があるのではないかと思います。
係があると思いますね。つまり、単純な
そのことを考えるのは、君たちのような
我々に﹁希望﹂はあるのですよ、絶対に。
ていく。つまりひとりの少年がいて、そ
ですが、そこでは人間はちゃんと成長し
ン、日本語に訳すと教養小説になるわけ
大 槻 確 か に モ ダ ニ ズ ム 文 学 と い う と、
その典型的な形がビルドゥングス・ロマ
ノベルというのは現実をマンガのコマ
少し枝道に入りますが、先ほどライト
成長しないわけです。
サブカルチャーにおいて子どもは永遠に
なわけです。
りアトムとは︿永遠に成長しない子ども﹀
これからの人間の使命です。ここにいる
の主人公がいろいろな経験を積むことで
現実的希望が信じられるかどうか。間違
三人なんかはもっとお気楽な世界を生き
に置き換えてそれを描く小説だといっ
そ れ が 全 て の 根 本 に あ る も の だ か ら、
てきて申しわけないとも思っているくら
大人になっていく。成長が止まった主人
えちゃいけませんよ。こういう時代でも
いです。
譲れない世界
ども﹂のもの、というのもそこら辺と関
学は、違っていて当たり前なのです。
もそういうスレスレの世界が、特に九〇
ということなのです。
限界に達するのを先延ばしにしましょう、
ん発展していかなければいけない。地球
016
ゼーションの過程にぴったり合致してい
イズされていく過程、つまりグローバリ
まれている。それは世界中がアメリカナ
アメリカのみならずロシアや中国でも読
界 中 で 読 ま れ て い る と い え な く も な い。
んです。また、だからこそ彼の小説は世
あるような台詞が現れても違和感がない
いような、まるでアメリカ映画の字幕に
⋮⋮﹂なんて日本では決して交わし得な
だから彼の小説の会話には、
﹁オーケー、
ある。つまり構造はライトノベルと一緒。
てもそう読まざるを得ないように書いて
ればならないんですね。固有名詞がなく
ーなんかではなくてバドワイザーでなけ
ですが、そのビールは決してキリンラガ
なかでは登場人物がよくビールを飲むん
れを描写している。その頃の彼の小説の
を一旦アメリカの小説に置き換えて、そ
なんかを読み返すと、まさしく彼は現実
の頃の彼の小説。例えば﹃風の歌を聴け﹄
樹の小説に思い至ったんです。特に初期
た。それに気づいたときに何故か村上春
した。
れを見たときに背筋に寒いものが走りま
血を流して死ぬ生身の人間なんです。そ
のなかの人間ではなくて、弾に当たれば
反応で示されている人間は決してゲーム
撃をしている。しかしその画面で赤外線
に中東のどこかを飛んでいる無人機で爆
じり、まるでテレビゲームでもやるよう
いて紙コップのコーヒーを片手に鼻歌ま
ことがある。彼女はペンタゴンの一室に
兵士がオペレートしているところを見た
ビでその無人飛行機をアメリカ軍の女性
すぐそこにある戦争ですが、いつかテレ
無人飛行機やロボットがやるというのが
も は や 生 身 の 人 間 が や る も の で は な い。
のことです。アメリカ軍にとって殺戮は、
す。そこで思い浮かぶのは今の最新兵器
ガのみならずゲームの世界にまで及びま
ライトノベルが置き換える現実は、マン
露 呈 し て い る の が 現 代 だ と も い え ま す。
現象が、文学を超えた感性の問題として
のなさ、というか転移された現実という
に関するグローバリゼーションと現実性
しまうと、この村上春樹とライトノベル
ば、その目的がない世界では、もはやか
か、というのが今の我々の世界だとすれ
まで本当に大人になることはできるの
族 を 持 つ こ と は で き る。 け れ ど も 内 面
なることはできるんですね。就職して家
い﹂という問題ですが、便宜的に大人に
先ほどから挙げられている﹁成熟しな
ことを考えたいわけです。
なり始めた、その必然性は何だ、という
なしに、こんなにライトノベルが優勢に
てしまう。俺はそういう価値の序列では
認められるか﹂という問題が付きまとっ
は ず っ と、
﹁ライトノベルは文学として
っているだけなわけです。だからそこに
ルはそういう現象の一環としてあるとい
造的にそうだというだけで、ライトノベ
ているだとか、現実を見ないとか⋮⋮構
に見えるとか、物語のなかに閉じこもっ
石坂 ここまで我々が述べてきたことは、
ある意味簡単じゃないですか。ゲーム的
ル的なものだといえなくもない。
うな感性を保証しているのがライトノベ
ムの画面を媒介に現実を捉えるというよ
そういう現実性のなさ、あるいはゲー
そして飛躍ついでにもう少し飛躍して
るのです。
ライトノベルは文学か
017
歳になってもアニメ的な世界を大事にす
な い。 す る と そ の と き、
﹁もう帰ってく
出かけたんですよ。まったく話がわから
すが、アニメ・マンガおたくの集まりに
藝大我樂多文庫 第七集
つ て の﹁ 文 学 ﹂は 必 要 な い。 ラ イ ト ノ ベ
る、あるいはライトノベルの感覚を大事
んです。相手も別に悪気があっていった
れ﹂といわれたんです。突然排除された
にするってことはあり得るわけです。
一九九〇年代のことですが、私は﹁モ
ル的などこか心地よい物語、あるいはフ
ーニング﹂とか﹁アフタヌーン﹂というマ
ったのですね。彼らとライトノベルを愛
ラブコメディ、あるいはよくいわれるの
好している人を同じ次元で語ってはいけ
は﹁ 萌 え 要 素 ﹂で す よ ね。 そ う い う 瞬 間
あ る い は﹃ あ あ っ 女 神 さ ま っ﹄と か、 そ
な い か も し れ ま せ ん が、
﹁譲り渡したく
わけじゃないかもしれないけれど、その
の前作の﹃逮捕しちゃうぞ!﹄などが人
ない夢﹂のようなものが確かにそこにも
とき俺は、彼らにとっては﹁自分たちの
ライトノベル好きの学生たちの話を聞
気だった頃です。あのときはまだライト
あるような気がします。ただ、それが何
ンガ雑誌の編集部にいたんです。その時
いていると、あれは良かった、あっちの
ノベルが今ほど全盛ではなく、マンガの
かはわからない。
期を作品でいうと、岩明均さんの﹃寄生
方が良いとお互いに自分たちが読んでい
ノベライズが主流だった。例えば﹃金田
さっき福江先生が﹁七〇歳になっても
的な、感覚的な快楽⋮⋮といえるのかは
る作品を比べ合っているのですが、それ
一少年の事件簿﹄のノベライズとかです。
ライトノベルを読みますか?﹂って聞い
わからないですけれど、それでお互いが
が何故良いかと聞くと、説明してくれる
じゃあそのマンガの読者、例えば﹃寄生
獣﹄が連載されていて人気を誇っていた。 大事なものを譲り渡したくない相手﹂だ
んですが、俺にはまったく意味不明なん
獣﹄の読者がちゃんと成熟していかない
は平気でできる。いわゆる形式はちゃん
て﹁ 御 社 ﹂と か い っ た り す る こ と く ら い
の時期になってスーツを着て面接を受け
長は絶対しているはずです。例えば就職
長しないのかっていったら、便宜的な成
メ愛好家たちのなかにあるのじゃないか
が、ライトノベル愛好家、あるいはアニ
違って、内面的に譲り渡したくないもの
する、しない﹂っていうのとはちょっと
だからどうも一般的に大人のいう﹁成熟
かといったら、そんなことないんですよ。
じゃないかと思いますね。
という、この現実に対するある種の批判
になってもそういうものを失わないぞ﹂
という話ですが、それは﹁絶対にその歳
た ら﹁ 読 む ﹂と 答 え る 人 た ち が 多 く い た
福江 他人には譲り渡したくない何かが
今、文学は存在するのか
と思うんです。
これは実際その頃体験したことなんで
と整えられる。ところが内面は絶対に渡
よ う な 気 が し ま す ね。 就 職 し て 三、四 〇
さないよ、というところがどっかにある
もう一度いうけれど、彼らは本当に成
です。
納得してコミュニケーションがとれる。
ァンタジックな世界での戦争、日常的な
018
れが現実への批判になっているというこ
ぞという気持ちもわかります。そしてそ
あり、それを自分はいつまでも失わない
た 現 実 は ど こ に あ る の で し ょ う か。 相
報化のために液状化している。確固とし
を張ろうとした現実自体が急激に進む情
するな﹂ではなく、
﹁絶望に向きあえ﹂と
﹁ 守 る べ き も の ﹂だ と 思 い ま す が、
﹁絶望
面を補塡しているのだとしたら、それは
い う 姿 勢 が、 か つ て の﹁ 文 学 ﹂の 立 場 だ
対的貧困率︵簡単にいえば、平均年収の
ありましたが、ここに集まっている学生
成長が終わり、ひとときバブルの時代が
は、まさに若者の時代でした。高度経済
年 代 の﹁ カ ウ ン タ ー カ ル チ ャ ー﹂の 時 代
めの大きな力になった。六〇年代、七〇
っていた。この自由は未来を切り開くた
﹁ 若 者 ﹂は 誕 生 し た。 彼 ら は 自 由 を 背 負
特 攻 隊 と と も に 死 滅 し ま し た。 戦 後 に
こ の﹁ 青 年 ﹂と い う 存 在 は、 あ の 戦 争 で
とはいっても﹁若者将校﹂とはいわない。
うとした。二・二六事件でも﹁青年将校﹂
として認知され、それに一所懸命応えよ
あり、
﹁青年﹂は社会や国家を背負う存在
い ま す。 か つ て は﹁ 青 年 ﹂と い う 言 葉 が
歴史にはなかったのではないかと思って
大切にしない時代は、これまでの日本の
SNSに頼り、先ほど石坂先生が指摘さ
う自我をかろうじてつなぎとめるために
というのは無理な話です。放散してしま
れている。そうした現実に﹁絶望するな﹂、
引 っ か か ら な い﹁ 貧 困 ﹂が 現 在 生 み 出 さ
援など、あらゆるセーフティネットにも
ますが、親族の縁、地域の縁、行政の支
で、 縁 に 恵 ま れ た ら﹁ プ ア 充 ﹂も あ り 得
は 違 い ま す。﹁ 貧 乏 ﹂は お 金 が な い だ け
深 刻 に 露 出 し て い る。﹁ 貧 乏 ﹂と﹁ 貧 困 ﹂
の﹂としてきた問題が、形を変え、より
す。モダニズムが解決して﹁なかったも
くが非正規雇用に甘んじているわけで
代の半ばにありました。そして若者の多
日本は四番目という報告が、二〇〇〇年
アメリカの前にメキシコ、トルコがあり、
先進国ではアメリカに次ぎ第二位ですよ。
O E C D︵ 経 済 協 力 開 発 機 構 ︶に よ れ ば、
し ま う。 つ ま り﹁ 作 り 物 ﹂に な っ て し ま
あ り ま す。 ど う し て も﹁ 物 語 ﹂に 頼 っ て
れエンタメだよ、と思った経験が何度も
す﹂という学生の作品を読んだとき、こ
ど、じゃあ文学書け! といわれたらち
ょ っ と 書 け な い。﹁ 純 文 学 を や っ て い ま
さっさと書いちゃえばいいのです。けれ
ラノベの﹁文法﹂がすぐにわかりますよ。
あります。大塚さんの本を何冊か読めば、
ャラクター小説の作り方﹄という名著が
連載をお願いされた大塚英志さんに﹃キ
いのかと思っているのです。大槻先生が
ライトノベルは案外書くのは簡単じゃな
うな、ということに通じると思います。
こ れ は 石 坂 先 生 が い わ れ た﹁ 希 望 ﹂を 失
進んでいってほしいと僕は願っています。
自が目標とした何かに向かって少しでも
いたいのは、成熟とはいわなくとも、各
二分の一以下で生活する人々の割合︶は、 ったと思います。ただ敢えてひとことい
た ち は 九 〇 年 代 生 ま れ の﹁ デ フ レ 世 代 ﹂
れた、他人にはよくわからないもので内
僕はその前提として、現在ほど若者を
とにも同意します。
です。経済がどうしようもないうえ、社
ライトノベルに話を戻しますと、僕は、
会の規範は緩み、個人が生きるために根
ライトノベルは文学か
019
リティを感じているのか不安になる。話
い、書いた学生自身が自分の作品にリア
イビツです。あの戦争を挟んでの小島の
て い る﹃ 抱 擁 家 族 ﹄も、 イ ビ ツ と い え ば
スクール﹂も、戦後文学の名作といわれ
とりです。芥川賞受賞作の﹁アメリカン・
味のリアルで、
﹁本当のリアル﹂
、つまり
﹁ こ こ を 押 せ ば 気 持 ち い い よ ﹂と い う 意
が、どうでしょうか。
ルは案外書きやすいように思えるのです
藝大我樂多文庫 第七集
のない話を書けっていうのは難しいでし
戦後作品は、全て何をどう書いてもイビ
ました。夢なのか現実なのかよくわから
配する。島尾敏雄という好きな作家がい
頭に残っていて、その日一日の気分を支
にかく頭のなかは小説のことでいっぱい
のに、それをいとも簡単に放擲する。と
は、中村真一郎も絶賛する端正な小説な
し 戦 前 の 一 高 時 代 の﹁ 裸 木 ﹂と い う 作 品
ツ に な っ て し ま う︵ し て し ま う ︶。 し か
です。
僕はライトノベルの将来に興味津々なの
してラノベは機能している。だからこそ、
妙に﹁隠蔽﹂するまぎれもない︿装置﹀と
先 ほ ど い っ た 若 者 が 抱 え る﹁ 絶 望 ﹂を 巧
ね。﹁ ラ イ ト ノ ベ ル は 文 学 か ﹂と い う テ
ない世界を透明感 れた文体で描く。ス
ー マ と は 逆 で す よ。 今 果 た し て 我 々 が
トーリーを要約せよ、といわれたら困る
く。作品からその作家像を思い描けるの
文学は存在するのか﹂ということですよ
も﹁ 文 学 ﹂の 面 白 さ の ひ と つ で す。 し か
か。存在しないかもしれない。何故そう
﹁ 文 学 ﹂と 呼 ん で い た も の は 存 在 す る の
石 坂 と い う こ と は、 逆 に い え ば﹁ 今、
ちょっと前に小島信夫の初期作品集を
しライトノベルの作品からその作家の姿
だった作家で、正円を一生懸命描いてい
講 談 社 文 芸 文 庫 で 作 り ま し た。﹁ ふ ぐ り
を感じとれることはほとんどありません
るように見せかけて、イビツな楕円を描
と原子ピストル﹂というタイトルからし
けれど、印象深い読後感を残す。これは
て危ない小説が収められていますが、そ
ね。
品です。小島信夫も僕の好きな作家のひ
崩すためにあるのだという確信犯的な作
的です。失敗作ともいえますが、物語は
く。とにかくハチャメチャで赤塚不二夫
破綻していく過程を小説として見せてい
自分が書いている小説がぐちゃぐちゃに
説 が 崩 れ る 過 程 を 見 せ て い る わ け で す。
ょうか。そういう意味でも、ライトノベ
重要で、その次に作家性ということでし
つ ま り 面 白 い﹁ 作 り 物 ﹂を 拵 え る こ と が
物 語 の 世 界 観 の 設 定 が ま ず 優 先 さ れ る。
うかというと、キャラクターの立て方や
面に出るのに対して、ライトノベルはど
文学では、個人の資質やその文体が前
思います。
だからみなさんにも考えてもらいたいと
はり考え続けることの大切さを感じます。
があるかないかわからないけれども、や
これからも考えていくと思います。答え
ぶ ん 考 え て き た ん で す け れ ど も。 い や、
なっているのかということを僕らもずい
の小説が何を見せているかというと、小
個人の資質としかいいようがない。
ま た、
﹁ リ ア ル ﹂と い う こ と で い え ば、
ーはないけれど、強烈なイメージだけが
ょ? 夢 を 見 ま す よ ね。 夢 に は ス ト ー リ
020
なく、金融的に、つまりある仮想の価値
です。モノをいっぱい持っているのでは
の土地の値段より高くなったという時代
え、日本の土地の全部を合わせると米国
ル時代があった。日本の地価が米国を超
石 坂 さ っ き い っ た﹁ モ ダ ニ ズ ム ﹂の こ
とですが、日本には一九八〇年代、バブ
した。日本は戦争に負けたけど、零戦が
ーク爆撃の図﹂という作品を描いていま
け れ ど も。 会 田 さ ん は 当 時、
﹁ニューヨ
れ が﹁ 本 当 の リ ア ル ﹂か は わ か り ま せ ん
きるのではないか、と思ったんです。そ
いる内面と現実を合わせた表現が実現で
作った。彼らの方にこそ、我々の持って
家とか、そういう人たちを入れて雑誌を
ティストとか、蜷川実花さんという写真
を作ったんです。会田誠さんというアー
チャー誌を作ろうと思って、
﹁群像別冊﹂
たんです。
表現を実現できるかという疑問が出てき
る ジ ャ ン ル そ の も の が﹁ 今 こ こ ﹂と い う
うわけではないけれど、僕らの持ってい
はならない。だから文学者が駄目だとい
をどうやって表現するのかという議論に
とをただ繰り返しているだけで、
﹁現実﹂
だった、文体はなぜ大事か、みたいなこ
明治時代はこうだった、大正時代はこう
み ん な 過 去 の こ と し か い わ な く な っ た。
は、例えば﹁群像﹂で座談会をやっても、
消えてはいなかった。けれども現実的に
モダニズムの影響
で あ る︿ 貨 幣 ﹀を 持 っ て い る と い う 意 味
ニューヨークを爆撃するっていうとんで
と問題になっちゃうかもしれないですけ
もない絵。今みたいなご時世だとちょっ
を見つけようとして、演劇の前田司郎さ
そういうことをやりながら新しい作家
その後、一九九〇年にバブルは崩壊し、
で金持ちだった時代があったのです。
が発表されて、阪神淡路
湾岸戦争があり、そして一九九五年には
んに小説を書いてもらったりした。つま
ウィンドウズ
どね。
新しいリアル、いわば僕らの今いる世界
う だ け で は 文 学 は 存 在 し な い。 だ か ら、
いて、言葉を使える人なら誰でもいいと
他のジャンルでも表現をちゃんとやって
去 の再 生 産 を 繰 り 返 す だ け だ と 思 っ た。
作ろうとしたのだけれど、そんなのは過
新人賞﹂から出た人ばかりで文芸雑誌を
が 生 ま れ る。 俺 は ず っ と﹁ 群 像 ﹂の 編 集
について、言葉あるいは絵画や音楽のよ
り、それまでは﹁群像新人賞﹂とか﹁新潮
をやっていたけど、二〇〇〇年あたりに
うなアートで、そういう新しい表現をや
さっき﹁文学はあるのか﹂っていう話
とんでもないことを考えたわけ。もう純
いうスタンスで始めたんです。
をしましたよね。今はもう、権威性とい
文学をやめよう、って。文学はいいもの
ってもらおうと思って雑誌を作ったんで
アートそのものが変わり始めた。例えば、
と こ ろ が、 俺 の 感 覚 だ と 二 〇 〇 五 年、
だとずっといわれてきたけど、なにがい
ライトノベルは文学か
021
その頃、純文学も確かに、内面的には
す。
それで俺は、若い女の子のためのカル
いのかわからなくなった。
そ し て、 二 〇 〇 〇 年 に﹁ ネ ッ ト 社 会 ﹂
とつの大きな変化があった。
大震災やオウム事件が起きる。ここでひ
95
藝大我樂多文庫 第七集
る。俺はずっと、若い人の戦闘的な気持
琢磨している様子が三〇〇枚くらい続く
ちを表している作品だと思いながら読ん
失ってきたんですよ。本当のところはわ
た。舞城王太郎さんとか佐藤友哉さんと
でいたら、最後に﹁それは映画でしたよ﹂
森美術館。六〇万人入るような美術館が
か、
﹁メフィスト﹂などで活躍していた人
で終わる。このようなやり方で、今まで
で、それが全部映画だったって明かされ
徐々に細分化されて、大きな展覧会がな
にも、我々の純文学雑誌で書いてもらい
ん で す。 そ し て 最 後 の 二 ペ ー ジ く ら い
かなかできなくなってきた。それでご存
始めた。今までの芥川賞や新人賞で権威
そ の 頃 か ら、 文 学 も 少 し 変 わ っ て き
じの通り、ワンピース展とか、スヌーピ
リアルが小説の重要な要素だという常識
からないけれど、俺らにはそう見えた。
ー展とかやるようになった。つまり、ア
付けされたものでは、もうみんな読まな
できて、開館当時は行列ができたりもし
ートそのものも商業的に人を集められな
そのものを壊してきた。
どうイメージを再構築していくかという
ど う や っ て 文 芸 雑 誌 を 運 営 し て い く か、
ると、純文学の作家にライトノベルを書
た。そして二〇一〇年くらいになってく
そしてそこから舞城王太郎らが出てき
いだろうと思ったのです。そういう小さ
という雑誌に象徴されるように、東京出
な戦国時代のような感じが広がってきた。
て き た ら﹁ こ ん な こ と し た い ﹂と、 地 方
う 雑 誌 を 中 心 に︿ J 文 学 ﹀と い う 動 き が
を売りだそうということで、
﹁文藝﹂とい
二〇〇〇年より少し前、とにかく新人
家ですが︶、俺の辞めた後ですが、
﹁群像﹂
た鹿島田真希に︵彼女も﹁文藝﹂出身の作
そ れ は﹁ 冥 土 め ぐ り ﹂で 芥 川 賞 を も ら っ
い て も ら お う と い う こ と に な っ て き た。
悩みがあった。
満員になったりしたのですが、そんな動
ニメ的な、少女がボールを持って空を舞
きが二〇〇〇年から二〇〇五年くらいま
うような装丁にして売り出したら、いつ
あった。そこには阿部和重とか赤坂真理
か ど う か わ か ら な い も の を 書 い て い た。
もの鹿島田さんの売れ部数より遥かに売
ではあった。だからそれを中心に雑誌を
ところが、その動きもだんだん小さく
例えば阿部和重が﹁新潮﹂で書いた﹁イン
れた。
編 集 部 が 彼 女 に﹁ 来 た れ! 野 球 部 ﹂と
いう小説を書かせた。純文学では考えら
なってきて、中目黒は若い子のおしゃれ
デ ィ ヴ ィ ジ ュ ア ル・ プ ロ ジ ェ ク シ ョ ン ﹂
れないタイトルですよ。その作品を、ア
地域なんですが、自分でTシャツを作っ
という小説││それは地方のとある農村
とか柴崎友香さんたちが入っていた。彼
て売ってみようとか、セレクトショップ
らの表現はさまざまで、純文学といえる
に置いてもらおうとか、だんだんそうい
で、テロリズムを考えている若者が切磋
そういうふうに純文学もラノベを意識
う状況がなくなってきた。みんな元気を
作ろうと思ったわけです。
彼女たちで中目黒の小さなギャラリーが
の女の子はみんな読んでいた。そういう
一 九 九 五 年 く ら い ま で は﹁ オ リ ー ブ ﹂
くなったわけです。
たけど、それは例外であって、アートも
022
ノ ベ 愛 好 者 に 必 ず 売 れ る わ け で は な い。
状況。ただし内容からいって、それがラ
となれば、どんどん使いますよ、という
にアニメ的なイラストを使った方がいい
なければならない状況ですね。本の装幀
として表現のひとつの可能性として考え
しなくてはならない。それは新しい動き
女﹄や眉村卓の﹃なぞの転校生﹄などのウ
た。そこから筒井康隆の﹃時をかける少
ース﹂とか﹁高一時代﹂とかの学年誌だっ
ないので、仕方なく選んだのが﹁中一コ
で、文芸誌なんかに書く場所は与えられ
た ち。 当 時 はS F と い う の は マ イ ナ ー
古いところでいえば、黎明期のSF作家
を作っているといえます。
ある人たち。その人たちが新たな文学史
作家が多いんです。要するに本当に力の
事をして今になって見事に開花している
見ると、彼女たちのなかには、息長く仕
やってきた。二〇年くらい経った今から
女たちがどんどんと一般の小説の世界に
マーケティングを前提とした小説ですが、
いた作家、あるいは最近だと桜庭一樹と
いうと純文学との境界線に近いところに
ト﹂から出てきたんだけど、どちらかと
それと同じ現象がいま、ライトノベル
芥川賞を見ていてもわかると思います
ある時期、その書き手たちがどんどんと
か柴崎友香とかがライトノベルに飽き足
ルトラヒットが生まれたりもした。また、
が、今の小説って話題になって売れても、
一般の小説に流れ込んできた。そのうち
しかしそうしたことがずいぶん増えてき
そ こ か ら︿ 作 家 ﹀が 育 っ て い く わ け で は
の何人かに聞くと、コバルトノベルの作
らなくなって、どんどんと大人の小説に
にも起きているんじゃないかと思います。
ない。商業性というだけでなく、なぜ人
家というのはブロイラーの鶏と一緒で文
進出してきている。
舞城王太郎とか佐藤友哉など﹁メフィス
が﹁ 物 語 ﹂を 読 む か っ て い う 本 質 へ の チ
庫本一冊くらいの長篇をそれこそひと月
のは、それこそ村上春樹など目じゃない
少 女 に タ ー ゲ ッ ト を 絞 っ た﹁ コ バ ル ト ﹂
ャレンジが編集側になければならないわ
かふた月に一本くらいのペースでどんど
くらい売れる。シリーズ何百万部とかが
の諸作品。それはライトノベルと同じく
けです。その点からも文学がラノベに近
ん書かされるんです。それも編集者から
たなと思います。
づいているのかもしれないな、と思いま
非常に窮屈な注文付きで。例えば今度は
大槻 今の石坂さんの話にならって、僕
も編集者としての実体験に則していうと、
が非常に苦痛になるんですね。それで彼
能がある人は、ある程度まで行くとそれ
にハッピーエンドでとか。作家として才
ミングな恋愛小説にしてくれとか、絶対
学園モノにしてくれとか、ハートウォー
外知らない。というか問題じゃない。
も、その作家が谷川流だということは案
ハルヒ﹂というシリーズ名は知っていて
名詞をいえるかというと、例えば﹁涼宮
ザラです。けれどもじゃあ書き手の固有
ライトノベルで本当に売れる人という
す。
ライトノベル以前に、若い読者を意識し
開発された「売れる」仕組み
た 創 作 活 動 と い う の は い ろ い ろ あ っ た。
ライトノベルは文学か
023
文学でいうならば、そこがいちばん問
と。
れ単体で感動できるって一体なんだ? す。描写でもストーリーでもなくて、そ
藝大我樂多文庫 第七集
作家というのは固有の文体を持ってい
たら、九万部売れたという話を聞きまし
の﹃人間失格﹄のカバーに﹃DEATH
N O T E ﹄の 小 畑 健 の イ ラ ス ト を 使 っ
切なのはデータベース。猫耳だとかメイ
だ﹂と。東さんのいい方にならえば、大
ている作家なんていうのは一番ダメなん
い う わ け で す。
﹁これからは文体を持っ
う。けれども東浩紀さんなんかは平気で
があるというのが何よりも大事だと思
らそんな小石を探して歩かねばならない
なるのだろう、といっている。だとした
打つのだとすれば、一体どういうことに
はなくて、言葉の指す対象がわれわれを
いて、この言葉そのものに打たれるので
巨大な影を投げている、という一節を引
が夕日を受けて、ピラミッドを思わせる
梶井基次郎の小説のなかの、地面の小石
最初の印象で、この本は売れるなと思い
ラストレーターだそうですが、本を見た
ストはとてもよい。ゆきうさぎというイ
の作り方はラノベですね。カバーのイラ
ーの﹁マネジメント﹂を読んだら﹄も、本
高校野球の女子マネージャーがドラッガ
り 入 れ る。 出 版 社 は 違 い ま す が、
﹃もし
う習慣がありますから、それをうまく取
た。ラノベでは、カバーのイラストで買
ド 服 だ と か、 い わ ゆ る﹁ 萌 え ﹂の 要 素 が
吉田健一は﹃文学の楽しみ﹄のなかで、
データベースとしてあって、それをうま
ましたよ。タイトルは長いけれども面白
れが何百万何千万という莫大な数なんで
いまのサブカルチャー文化にとってはそ
してどれだけ多くの人間が共有できるか。
るとして、そのマンガをデータベースと
と、現実を置き換えるものがマンガであ
が問題になってくる。さっきの話でいう
できる読者が母体としてどれだけいるか
け装幀ではラノベのいいとこ取りをし
す。石坂先生もいわれたように、とりわ
福 江 し か し、 こ こ ま で ラ ノ ベ が 膨 化
す れ ば、 文 学 も 影 響 さ れ て く る わ け で
ばならないのか。
あるならば、なんでそれが小説でなけれ
ネ な ど﹁ 萌 え ﹂の デ ー タ ベ ー ス が 問 題 で
それが指すモノ、猫耳やメイド服やメガ
は当たり前だ、なんてすごいことを真顔
でいるからベストセラー小説を書けるの
のですが、私はこれまで万巻の書を読ん
んの弟子なんです。朝日新聞にいるとき
い ん で す が、 例 のA K B
大槻 作者の岩崎夏美さんって、児童書
の版元の岩崎書店の社長のお孫さんらし
ノベルにおいては文章は二の次であって、 もかなり蔓延していますね。
い。 こ う い う 本 作 り は﹁ 文 学 ﹂の 世 界 で
す。けれども僕みたいにそこから外れて
。つまり小説を知り尽
でいうんです︵笑︶
つまりそういう問題なんです。ライト
が、そんなことをしても無駄だと。
しまう読者には何の面白味もない。だい
て い る わ け で す。 集 英 社 文 庫 で 太 宰 治
の秋元康さ
た い﹁ 萌 え ﹂と い う の が わ か ら な い ん で
家だと。すると同じデータベースを共有
く組み合わせていけるのがこれからの作
て、 そ れ に よ っ て 書 か れ た 固 有 の 作 品
題 じ ゃ あ な い か と 思 う ん で す。 つ ま り
024
に一度お呼びして講演をやってもらった
48
鹿売れしただけで、そういうのを作家と
ずだった。つまりあれ一作がたまたま馬
して二作目を出したけれど、鳴かず飛ば
ね。文藝春秋が図に乗って大々的に宣伝
大槻 はい。秋元流の薫陶を受けている
というわけで。でも結局あれ一発でした
くした自分が、プロジェクトとして売れ
よりも主体としての編集部が違う。つま
と﹁ 電 撃 文 庫 ﹂と で は 作 家 が 違 う と い う
じ 角 川 書 店 に し て も﹁ ス ニ ー カ ー 文 庫 ﹂
まり主体は終始編集部にある。例えば同
の意図﹂を説くためのものなんです。つ
ラノベの解説というのは﹁プロジェクト
るいは﹁紹介﹂するために書くのですが、
別 の 作 家 で あ っ た り 批 評 家 が﹁ 評 価 ﹂あ
んですね。文庫の解説というのは普通は
たり前だと。ホントかなと思うんですね。 説って、ほとんどが編集部が書いている
る小説を書いているんだから、売れて当
りブランドが違うと読者がガラリと代わ
て気が付いたんですが、ラノベ文庫の解
今回まとめてライトノベルを読んでい
い だ ろ う と 思 っ た か ら で す。 大 森 さ ん
ノ ベ ル は 読 め な い だ ろ う し、 わ か ら な
役になってもらいました。僕にはライト
ベル☆めった斬り﹄の大森望さんに相談
巻一︶の編集に携わったとき、
﹃ライトノ
レ ク シ ョ ン 戦 争
そそられますね。
角川書店に対しては、出版史的な興味を
か、 仕 方 な し か、 受 け 入 れ る ほ か な い。
もんです。作家はそれをありがたがって
店のラノベ作家への拘束たるや、すごい
の本流になったことは確かです。角川書
事実です。そして今や角川書店がラノベ
福江 確か放送作家でしょ?
はいわない。
るわけです。
︵全二〇巻+別
文学﹄
僕が集英社の八五周年記念企画の﹃コ
福江 でも、あの本はすごく売れたんで
すよね。
ょうね。
ロジェクトとしては、優れていたんでし
かにラノベのマーケティングを盗んだプ
て、表紙をラノベっぽっくして⋮⋮と確
かは、いうまでもないことです。ラノベ
家がどのくらい出版社に拘束されている
全てマンガから学んだことです。マンガ
ストーリー展開にも介入する。これらは
き手を﹁ブロイラーの鶏﹂の如く支配し、
編集者が作り上げたジャンルであり、書
福江 それは当然ですよ。最初にいった
ように、ラノベは、サブカルを意識して、
実際に仕事を始めてみると、当たり前の
こ と が 基 本 方 針 と し て あ っ た。 し か し、
メやラノベの作家にも目を配ろうという
は純文学だけでは不十分だから、エンタ
た。﹃ 戦 争
にかられてちょくちょく読むようになっ
うすると読めたわけです。それから必要
で、とりあえず一冊手に取ってみた。そ
品も読めるよ﹂と助言してくれましたの
は﹁﹃涼宮ハルヒ﹄が読めたら、ほかの作
マーケティングをうまくやれば意図的に
の作家もいまだに、それぞれの文庫のレ
大槻 つまりはドラッカーをわかりやす
く解説するために学園小説の体裁を借り
ヒットを出しやすい。計画的な事業計画
ーベルに何年間か拘束されていることは
文 学 ﹄で は、 現 在 を 語 る に
が必要な今の大企業出版社には願っても
そ う、 そ こ も ラ イ ト ノ ベ ル の 特 徴 で、
ないジャンルなんです。
ライトノベルは文学か
025
批評とは何かといえば、そこではその作
タベース消費ですよね。
切れ続出なんです。それはひとつのデー
藝大我樂多文庫 第七集
ことに気付くわけです。エンタメもラノ
﹃ドラえもん﹄というマンガがありまし
た ね。﹁ 妖 怪 ウ ォ ッ チ ﹂と﹃ ド ラ え も ん ﹄
品を読んでなくても、その作品の意味と
とどこが違うのか考えたことがあったん
か成立とかが手に取るようにわかるよう
に書かれていたわけです。ラノベが増え
文学﹄は中短篇のアンソロジーなの
争
て純文学が消えてきているというのは事
んと描けるんです。成長したのび太やジ
﹃ドラえもん﹄の世界では﹁将来﹂がちゃ
で、作品を探すのに苦労しました。エン
東浩紀とか大塚英志とか、ラノベを書
ャイアンやしずかちゃんが、性格はまっ
タメ作家の短篇は、文芸誌を丹念に見て
いたり愛好したりしている人が、データ
たく変わっていないけれど、成長した主
です。ちょっと前に日産のコマーシャル
ように、何冊もシリーズ化するように育
ベース消費とか大きな物語は終わったと
人公として描ける。﹃サザエさん﹄でも、
で、 未 来 の の び 太 く ん と し ず か ち ゃ ん
てられている。ここでも文学とラノベの
かいっていますけどね。それを簡単にい
未来のカツオくんが野球をやってるコマ
実 で す が、 さ っ き か ら 俺 が い っ て い る
違いを痛感しました。結局、二作品しか
うと、物語をみんなで共有するのではな
ーシャルがあったけど、要するに﹁未来﹂
﹁ な ぜ そ う な っ た の か ﹂と い う の は 誰 も
収録できなかった。ともによくできた面
く、重要なのはそのひとつひとつのアイ
が描けるわけ。
いけば、かなりの量を見つけることがで
白いものですが、この面白さは、キャラ
テムなんですね。猫耳でセーラー服が可
きたのですが、ラノベ作家の短篇は難し
と状況設定の面白さであって、
﹁面白さ﹂
愛いとか、物語に関係ない部分が独立し
が や り と り し て い る C M が あ り ま し た。
を 超 え た﹁ 別 の 何 か ﹂を さ ほ ど 期 待 で き
解説してくれていないんですよ。
ない。それに対して、面白くなくても感
できないんですよ。キャラクターとして
ん や フ ミ ち ゃ ん の﹁ 未 来 ﹂は 描 く こ と が
と こ ろ が﹁ 妖 怪 ウ ォ ッ チ ﹂の ケ ー タ く
て、キャラクター商品もいっぱい売れる。
最 近 で い え ば﹁ 妖 怪 ウ ォ ッ チ ﹂も そ う
だということはわかるんです。東さんや
全体の大きな物語はわからないんですよ。 東さんのいうような﹁データベース消費﹂
ですね。全体の構造はわからない。妖怪
主人公たちもふつうの学校に通っている
存在している妖怪たちはもちろん可愛い
石坂 典型的なことをいうと、ラノベに
限らず、最近は文芸批評がなくなってき
大塚さんは、今起こっている現象につい
のジバニャンとかムリカベとか、そうい
ているんですよ。誰も文芸批評を書かな
小学生ですし。それが今、グッズも売り
うのがそこらへんにいるっていうだけで、 のですが、
﹁物語﹂がないんです。それが
くなったし、書いてもつまらない。文芸
マンガという存在
ますからね。
動する作品は、文学にはいくらでもあり
い。ラノベ作家は、マンガの連載と同じ
ベ も 長 篇 が 中 心 だ と い う こ と で す。﹃ 戦
026
ういうものを愛好するのか﹂という部分
ては語っているのですが、でも﹁なぜそ
﹃ も し ド ラ ﹄の 話 が 出 ま し た け ど、 あ れ
に と っ て 必 要 か、 解 釈 で き な い ん で す。
で も 今 は、 な ぜ ラ イ ト ノ ベ ル が 我 々
君⋮⋮!﹂みたいな感じで緊張感が高ま
んです。それで﹁あ、課長⋮⋮!﹂
﹁何々
見つめ合う⋮⋮新入社員も課長も美形な
る。 ま る で﹁ ア ン ド レ!﹂
﹁ オ ス カ ル!﹂
れが起こっているのか﹂
﹁なぜ人間がこ
はけっこういいと思うんです。買いたく
。でもそれにつ
呼んでいるんだけど︵笑︶
っ て、 俺 は こ れ を 勝 手 に﹁ 宝 塚 効 果 ﹂と
なる要素もあって、何よりわかりやすい。 みたいな関係と同じなんじゃないかと思
でも、その﹁わかりやすさとは何なんだ﹂
は十分には語っていないのではないでし
と問われると、わからない。
ょうか。
かつて文芸批評はそこを語っていたん
です。しかし今は解釈ができない。もと
いては説明できないんですよ。ただ説明
きな特徴じゃないかなと思うんです。俺
涼宮ハルヒや初音ミクは、駄目な人は
らは、例えばドストエフスキーの作品で
もと人間とは何かという問題を前提に文
同じイラストでも、そうやって一般性に
それが、今のラノベ状況のひとつの大
しがたいものでしかない。
昔の青春小説や子ども向けの読み物は、 差があると思うけど、その一般性がなん
ころが現代のラノベでは、意味を考えな
意味論的なものを考え続けたんです。と
しドラ﹄はわりと一般性がありますよね。
なのかは、解説や解釈がされていないん
駄目かもしれない。それに比べると﹃も
です。つまりそこに合理性や論理はない
い。 考 え ら れ な い か ら 東 さ ん た ち に も
芸批評もあったわけですが、今は解釈が
んですよね。もっと感覚的なもの。もっ
できないんです。
﹁ な ぜ こ れ が 起 こ っ て い る か ﹂は、 解 説
できない。言語化できない時代にきてい
とがある﹂
﹁真面目にやればいいことが
﹁貧乏だけれど我慢すればいつかいいこ
とわかりやすくいうと、
﹁萌え﹂は言葉で
るんです。
ある﹂というのが前提だったわけ。落語
説明できないということです。
引いて寝てるところに課長がやってきて
長が家まで見舞いにくるんですよ。風邪
石坂 マンガだって最近はそれほど売れ
ているわけじゃないでしょう。一〇万い
大槻 売れ行きとしてはマンガの比じゃ
ないのでは?
シリーズで続くものがいいんですよね?
終わるものじゃなくて、マンガと一緒で
それからライトノベルは単純に一冊で
な ん か で も そ う で、 駄 目 な 亭 主 が い て、
あった。今でもあるんですか?
萌 え よ り 前 に﹁ や お い ﹂と い う も の が
仕事にもいかない。お金がないから奥さ
んが亭主のふんどしを仕立て直して着る
しかなくて、とか。その状況をどうにか
それが人間にとって必要だという前提が
するには、亭主が真面目に働くしかない。 福江 今はボーイズラブですね。
つまりそこには、真面目に努力して幸せ
石坂 俺が昔読んだのはマンガですけど、
になるという構造が物語の基本にあった。 ある若い新入社員が会社を休んだら、課
あるから、そういう物語が成り立った。
ライトノベルは文学か
027
いうマンガがけっこう好きなんですけど、
んかもありますし。俺は今、
﹃聲の形﹄と
石坂 でもやっぱりマンガと似ています
よね、状況は。マンガはファンタジーな
があるかもしれませんね。
ていましたが、現在ではそれ以上のもの
福 江 か つ て 神 坂 一 の﹃ ス レ イ ヤ ー ズ ﹄
は本巻一五巻で、二〇〇〇万部といわれ
ったらすごいくらいで。
なマンガを読むのは、なんとなく当然で、 けないけれど、
﹁字マンガ﹂は、絵が描け
説してこなかったじゃないですか。みん
ンガを読むのか﹂ということに関して解
る し。 で も、
﹁なぜみんながこんなにマ
おきく振りかぶって﹄みたいなものもあ
なものもあるし、純愛ものもあれば、﹃お
生獣﹄みたいものから﹃バカボン﹄みたい
い っ ぱ い 種 類 が あ る わ け じ ゃ な い。﹃ 寄
と、マンガと同じですよね。マンガにも
ど、 ひ と こ と で﹁ ラ ノ ベ ﹂に つ い て い う
たものがあるのかどうかわからないけ
ますね。マンガは絵が上手くなければ描
書かせた方が成功するという感じがし
アニメの勉強をしろといって、ラノベを
の書ける人に、お前マンガの勉強をしろ、
にはないと思います。むしろ、多少文章
次はラノベを書こうという発想は本来的
然多い。文学をやってきた人に、じゃあ
福江 ライトノベルにはマンガやアニメ
ーションから学んできたもののほうが断
読みたいわけですから。
藝大我樂多文庫 第七集
それはものすごくリアルな人間の機微
面白いからだよ、みたいな。
かという、ものすごく泣かせる話じゃな
ていくなかでどうやって通じ合っていく
るんですよね。人と人とが何光年と離れ
に残っている男の子との交信の問題があ
戦いがメインじゃなくて、地球のどこか
か。 た だ、 新 海 さ ん の 特 徴 と い う の は、
子が宇宙人と戦わなきゃいけないやつと
こえ﹄とか、セカイ系といわれる、女の
石坂 マンガだってシリーズ化した方が
いいわけですよ。一〇巻二〇巻と続いた
ますね。
とまったく同じ構造を持っていると思い
本的に、ラノベはなんでもありのマンガ
たのだろうと推測はできます。僕は、基
ぽ い 作 品 は﹁ マ ン ガ ﹂と し か 見 え な か っ
っては、ラノベの扱うスペースオペラっ
例えば本格的なSFを読んでいる人にと
福 江 ラ ノ ベ の 蔑 称 と し て、 か つ て は
﹁ 字 マ ン ガ ﹂と い わ れ て い た そ う で す。
けです。とにかく読んでいる人を飽きさ
にできる。技術的に取捨選択が可能なわ
学園もののなかに伝奇ものの要素を組み
も の に な る。 と に か く 流 行 に 敏 感 だ し、
組み合わせが流行れば、みんなそういう
ってくる。ダメな男の子と美少女戦士の
なのだと思います。
い る。 そ れ は 本 来 的 に﹁ マ ン ガ ﹂だ か ら
なくても書けますし。ライトノベルには、
騎士﹄という宇宙の向こう側の物語とか、
ひとつのパターンとか様式美というわ
いですか。
方が、売れ行きもいいし、みんなそれを
合わせるということが簡単にしかも上手
ジャンルクロスが簡単に起きる。例えば、
そして流行りがあるとみんなそれに乗
膨大な書き手もいれば、膨大な読み手も
け じ ゃ な い け れ ど も、 ラ ノ ベ に そ う し
少し前に流行った新海誠さんの﹃ほしの
が 描 か れ て い る。 一 方 で、
﹃シドニアの
028
せちゃ駄目なのです。純文学は途中で飽
大槻 産業構造からいうと、角川書店が
に対して眉をひそめている人たちに、﹁こ
メディアワークスを買ってしまって以降、 れにはこういう良さがあるんだ﹂ともっ
す。
トレーターを指定するのが一般的なよう
うです。だから現在では、作家がイラス
冊目からは内容で買うといわれているそ
れる場合、一冊目はイラストで買う、二
ですから。ライトノベルはシリーズ化さ
な い 者 の た め に﹁ 開 発 さ れ た ﹂ジ ャ ン ル
い ま で の﹁ ま と も な 読 書 ﹂な ん か 経 験 の
いけない。読者は中高生から大学生くら
福江 ライトノベルは﹁おもしろくねー
や、読むのやめちゃおう﹂と思わせちゃ
おこうという印象が、僕には強い。買収
らない。今面白いからとりあえず買って
を見据えて、どうしたいのかがよくわか
産業として、どのくらいのスパンで将来
るくらい積極的です。しかしコンテンツ
日本のエンタメ全般に対してびっくりす
福 江 角 川 書 店 は、 ラ ノ ベ を 支 配 す る
だけではなく、
﹁ニコ動﹂にまで手を出す。
と思ってしまいますね。
いるというのは、文化としてどうなのか
んです。一社があるジャンルを占有して
パーセント以上が角川グループのものな
いわゆるライトノベルというものの九〇
っちゃうよね、これって何だろう⁉
る?﹂と聞いたら、
﹁ない﹂と答えた。笑
スキーとか、
﹃赤と黒﹄とか読んだことあ
答えたんです。さらに彼に﹁ドストエフ
て る の?﹂と 聞 い た ら﹃ 次 郎 物 語 ﹄だ と
が﹁その文学って例えば何のことを指し
している親が
まないで、文学を読め﹂と大学の先生を
で す。﹃ G T O ﹄と い う マ ン ガ を 読 ん で
かには存在していないですよね。
まだライトノベルやマンガの愛好者のな
とちゃんと踏み込んで伝えていく行為は、
イトノベル愛好者たちが、ライトノベル
き さ せ て﹁ つ ま ん ね ー﹂と い わ せ て も い
です。しかしマンガによって人生が変わ
した部門が増え、あっというまに講談社
いのです。
ることもあるから、もちろんラノベを読
い た 子 ど も に、
﹁そんなものばっかり読
った。それに対して、俺
を愛好している人たちが、社会をどのよ
石坂 その問題もあるけど、少し古くさ
い大人の視線でいうと、マンガやラノベ
った。
い。けれども逆に、子どもが大人に﹁マ
確かにその心配はわからないわけじゃな
心配する。それが一般的だったわけです。
ばっかり読んでいると、大丈夫なのかと
かがあると、ステータス感があっていい
かつて大人たちは、家に文学全集なん
うに見て、現実をどのように解釈してい
石坂 意味があるからね。
んで人生が変わることもあり得ると思い
をはるかに超えた企業規模になってしま
うちの親戚でこういうことがあったん
ます。
石坂 マンガでもライトノベルでも、お
たく化されて、閉ざされた関係のなかで
るのか、その点がわからないんです。ラ
と思っていたわけ。で、子どもがマンガ
コミュニケーションが行われているだけ
ライトノベルのこれから
じゃないか、と危惧している面がありま
ライトノベルは文学か
029
えてほしいなとは思います。それが生き
なぜ自分がそれを好きか、その意味を伝
読んでもいいと思いますけど、やっぱり
俺は別にマンガ読んでもライトノベル
明してこなかった。
と普通のコミュニケーションのなかで説
ンガやラノベにはこういう良さがある﹂
する﹂って。その魅力を国境を越えてみ
それがマンガなんだ。だから世界を制覇
インドの人でもフランスの人でもわかる。
れを見れば何かを感じるだろう。つまり、
ないよ。でもラスコーの壁画を見ろ。あ
国境を越えられないし、時代も超えられ
ん で す。﹁ 文 学 は 言 葉 の 問 題 が あ る か ら
に、栗原さんという名物編集長がいった
感覚が違うんでしょうね。
絵は描けない。だから模倣するしかない。
彼らには日本の萌えの要素があるような
そ こ で 米 国 の 漫 画 家 と 会 っ た の だ け ど、
コンペティション﹂に行ってきたんです。
すね。一九九四年、九五年に﹁コミック
石坂 不思議なことに、日本の﹁可愛い
絵﹂というのは日本独特のものらしいで
藝大我樂多文庫 第七集
るためのひとつの重要なジャンルなのか、
の人も日本のおたくの格好をしたりする。
たのですが、その頃、アジアでも﹁可愛
家の担当になり、韓国にはずいぶん通っ
九五年頃のことですが、ある韓国の漫画
そ れ か ら も う ひ と つ。 や は り 九 四 年、
んなに知ってほしい、ということを彼は
そこには何かの癒やしや共通の良さがあ
出 て き て い て 違 う の か も し れ な い け ど、
これがいいんだよっていい合うだけじゃ
日本のオリジナリティーですよね。ただ、
なくて、外部の人間に﹁こういうことだ
のです。
これがなんで日本のオリジナリティーで
い絵﹂は日本の模倣のような感じがしま
福江 しかし、韓国や台湾ではラノベが
翻訳されて売られています。日本のラノ
あるのかは全然わからない。なぜ俺ら日
し た。 最 近 は ず い ぶ ん い ろ ん な 特 色 が
ベを学んで韓国や台湾にラノベ作家が登
本人がそういうことができるのかわから
るのは確かだろうけど、ではそれが何か
いとか、下のやつは理解できないという
場するのは自然な流れのような気もしま
ないんです。
ということについては説明されていない
ことが多く見られる。それはディスコミ
す。ラノベも、マンガやアニメとの連続
からこれがいいんだ﹂と説明できること
ュニケーションのひとつの現れだと思う
した流れのなかで理解されていると思い
この﹁萌え﹂とか﹁可愛い﹂という感じは、
のですが、ライトノベルに関する今まで
ます。日本の純文学の作品が翻訳される
日本には世代論というのが根強くあっ
に出てきたような問題を、我々は世代を
のとはまったく意味が違っているように
て、ある年齢より上のやつは理解できな
超えて語り合ったりもしていないわけで
俺 が﹁ モ ー ニ ン グ ﹂に 配 属 さ れ た と き
感じますね。
すよ。
が、俺は大事なことだと思います。
サークル活動的に愛好者だけが集まって、 いったのだと思います。確かに今や海外
た だ の 娯 楽 か は わ か ら な い で す け れ ど、
030
者にとっては、それは自分たちの共通理
石坂 さっきいったことに尽きるね。正
直にいえば、俺はやっぱりライトノベル
いくべきでしょうか。
どういう風にライトノベルと付き合って
学生 ライトノベルは、今どういう立ち
位置にあって、また、これから僕たちは
るボリュームゾーンのものでしかないと
世 代、 大 体 が﹁ 団 塊 ジ ュ ニ ア ﹂と 呼 ば れ
大 槻 こ れ は 暴 論 か も し れ な い け れ ど、
僕はライトノベルというのはある固有の
棄だと思うわけです。
のだと主張しないのは、やっぱり責任放
ちの愛好しているものはこんなにいいも
俺はやはり責任があると思うよ。自分た
任 が 君 ら に あ る か ど う か と 問 わ れ た ら、
の世代を刺激して語ってほしい。その責
の良さはこうだと、上の世代やこれから
だからあなた方の世代が、ライトノベル
も、ライトノベルという物語の形式は生
同様に、多少の浮き沈みはあったとして
ンルとして成立したからには、マンガと
福 江 君 た ち が 本 を 読 み 始 め た と き か
ら、ライトノベルは眼の前にあったわけ
作っていけばいいわけです。
あなたがたはあなたがたの世代の文学を
え﹂がわかる必要はまったくないと思う。
当 然 だ と 思 い ま す。 だ か ら 皆 が 皆、
﹁萌
まったく違ったリアリティを作り上げて
な現実を生きているあなたがたは、また、
質疑応答
解の世界で、そこから出てきてくれない
き続けると思います。マンガやアニメを
というのもライトノベルが共有してい
ャー﹂になりうる可能性もある。僕は大
文学の停滞状況への﹁カウンターカルチ
超えてどんどん高度化していけば、日本
ですよね。サブカルチャーの大きなジャ
というイメージがある。俺が一九九〇年
思っています。彼らももう四〇です。
はよくわからない。ライトノベルの愛好
におたくの集まりで話が合わないから帰
るデータベースというのは人間にとって
槻先生がいわれたように、
﹁萌え﹂は時代
ってくれっていわれたようにね。そうい
う面がまだ愛好者のなかにはあるのじゃ
団塊ジュニアが持っているデータベース
決 し て 普 遍 的 な も の で は な い か ら で す。
くなら、その良さを、人を選ばず共通の
義理はまったくない。もはや四〇代の団
をあなたたちが継承しなければならない
現在のAKB や初音ミクへの若い人た
とともに変わっていくと思います。僕は、
やっぱりライトノベルと付き合ってい
ないかな。
良さとしてみんなに語ってほしい。理解
は﹁ 純 文 学 ﹂を 失 っ て し ま っ た か ら、 意
もしれない。今となってはもはや、我々
ば、 そ れ が こ れ か ら の﹁ 文 学 ﹂に な る か
で き る か ど う か は 別 と し て。 そ う す れ
か メ イ ド 服 な ん て い っ て ら れ な い ほ ど、
けで、事実、現実を見ていれば、猫耳と
感覚がまったく違ってもおかしくないわ
塊ジュニアとあなたがた二〇代とは現実
に﹃ フ ィ ロ ソ フ ィ ア・ ロ ボ テ ィ カ ﹄と い
﹁攻殻機動隊﹂の脚本家の櫻井圭記さん
とは違った局面を感じます。
耳やメイド服といったデータベース消費
ちの関わりを見ていると、これまでの猫
48
味性を介してものをいえなくなっている。 よりシビアなっている。そういうシビア
ライトノベルは文学か
031
藝大我樂多文庫 第七集
もカードでほしい物を買うことが平気で
を 心 配 す る と い う 馬 鹿 世 代 で す。 し か
で き る 世 代 で す。 こ こ に 集 ま っ て い る
の 単 な る 二 次 元 の﹁ 萌 え ﹂対 象 を は る か
ら ﹂で、 そ れ を﹁ 俺 た ち ﹂が 楽 し み、
﹁彼
学生の大半は、
﹁嫌消費﹂です。つまりお
う 数 年 前 に 出 た 本 が あ り ま す。 サ ブ タ
ら﹂と﹁俺たち﹂は入れ替わりが可能な関
金を使い︵あるいはそれが﹁お金﹂とは限
し﹁消費﹂することの﹁快楽﹂は身に沁み
そ の な か で﹁ 四 人 称 ﹂に つ い て 触 れ ら れ
係です。初音ミク自体が﹁四人称的世界﹂
込んだままです。いまだにお金がなくて
て い ま す。
﹁一人称﹂
﹁二人称﹂
﹁三人称﹂
の象徴です。AKB というトータルな
に超えています。彼女に自在に歌を唄わ
は多くの言語に存在するものですが、四
く人間﹂というパラドキシカルなもので、 せているのは初音ミクの背後にいる﹁彼
人称はアイヌの言葉にあるそうです。四
イトルは﹁人間に近づくロボットに近づ
032
人称は、
﹁三人称複数+一人称複数﹂でで
の個別的な関係を統合する大きな運動体
存在は、
﹁推しメン﹂とファン︵オタク︶と
費﹂なんか願わない﹁賢い﹂世代です。大
﹁快楽﹂を感じない、身の丈を超えた﹁消
らなくとも︶、過剰に﹁消費﹂することに
と﹁ 貧 困 ﹂は 違 う と い い ま し た が、 景 気
で、これにも﹁四人称的世界﹂を感じます。
や株価が内需に連動しない状況がこのま
きたものです。つまり、
﹁彼らと私たち﹂
ま常態化すれば、格差はどんどん拡大し、
がひとまとまりになった人称です。これ
っ た と し て も、 フ ァ ン︵ オ タ ク ︶に と っ
内向きのベクトルが強まれば、ナショナ
槻先生がいわれたように、データベース
つまり自然界はカムイの仮象だと、アイ
資﹂と同じようなもので、単純な﹁消費﹂
ては、子どもの成功を願う親の﹁教育投
リズム的な言説が耳に心地よくなってき
消 費 は﹁ 団 塊 ジ ュ ニ ア ﹂で 終 わ り、 よ り
ヌの人たちは感じているわけです。しか
の意味をはるかに超えた行為です。すで
ます。
商法﹂が批判されていることは知ってい
もカムイは、ヤマトの八百万の神々とは
にデータベース消費の時代は終わってし
握手権や総選挙投票権をめぐり﹁AKB
異 な っ て、 人 間 に と っ て 超 越 的 で は な
まった。
こ れ を 個 人 に 置 き 換 え て い え ば、
﹁つ
ながり﹂つまり︿関係性﹀がテーマになっ
はカムイ︵=神︶とアイヌ︵=人間︶の関
く、すぐ隣にいて自分たちと並び立つ存
﹁消費﹂のことで付言すれば、僕らは高
係にもとづくものだそうです。カムイは
在だということから、
﹁彼らと私たち﹂と
度 経 済 成 長 の な か で 育 ち、 社 会 に 出 て
シ ビ ア に な っ て い る。 先 ほ ど も﹁ 貧 乏 ﹂
や初音ミクをめぐるフ
テクチャ﹂という視点で結びつけたのは、
ァン︵オタク︶たちのあり方とを﹁アーキ
の後のデフレでようやく目が覚め、老後
し か い え な い﹁ バ ブ ル 景 気 ﹂に 踊 り、 そ
し ば ら く す る と、 今 考 え れ ば﹁ ア ホ ﹂と
や反原発運動などを押し進め、他方では
ー ル の 進 化 が、 一 方 で は﹁ ア ラ ブ の 春 ﹂
ていると思う。コミュニケーション・ツ
世界﹂とAKB
いう人称世界が作られた。この﹁四人称
あらゆる動植物や自然現象に宿っている。 ますが、あえていえば、CDを何十枚買
48
濱野智史さんです。初音ミクはこれまで
48
欲望の形が変われば、ライトノベル自体
実に社会性を帯びたものです。君たちの
ます。そして君たちの欲求や欲望は、確
に裏打ちされた、大きな優位性でもあり
る サ ブ カ ル チ ャ ー の 持 つ﹁ メ デ ィ ア 性 ﹂
たちの欲求や欲望をダイレクトに反映す
す。 ラ イ ト ノ ベ ル の﹁ ラ イ ト さ ﹂は、 君
なかったものをもっていることは確かで
物語の形式は、近代日本文学がもってい
ものと直に連動するライトノベルという
せんが、マンガやアニメやオタクっぽい
悪い方に行っているのか、よくわかりま
・ 以降、やはり少しずつ世の中は
動 い て い る。 良 い 方 に 行 っ て い る の か、
若い人たちに僕はとても興味がある。
り 出 し て い る。
︿ 関 係 ﹀を め ぐ る 現 在 の
S N S 依 存 の﹁ み ん な ぼ っ ち ﹂状 態 を 作
です。しかしこうした視線は、
﹁文学﹂に
触れるという一方的な見方があったわけ
おたく的なものに対して、
﹁公序良俗﹂に
本を書いています。社会には、初期から
大 塚 英 志 さ ん た ち が﹃ M の 世 代 ﹄と い う
化 し ま し た。 こ の 社 会 的 風 潮 に 抗 し て、
き っ か け に﹁ お た く ﹂と い う 言 葉 が 一 般
石坂 かつて宮 勤という人が、連続幼
女誘拐殺人事件を起こして、この事件を
にはどうしたらいいでしょうか。
面もあると思います。それを変えていく
上の人たちが聞く耳を持たないという側
るっている部分もあると思いますが、良
ラノベ愛好者は確かに仲間内で引き込も
くあります。ある犯罪者がサブカル的な
ラノベに興味のある人は絶対いるはずだ
けじゃない、ジャーナリストのなかにも
員がひとつの方向性だけを持っているわ
の﹁ 仕 組 み ﹂に 過 ぎ な い。 そ こ に い る 全
いけれど、ジャーナリズムだってひとつ
を 担 っ て ほ し い。 そ ん な 声 は 届 か な い、
かがひとつひとつ根気よく発言する役割
ことを、全員じゃなくてもいいから、誰
要なんだよね。いわれのない批判に対し
まり、ラノベにも秋山駿みたいな人が必
ては一つ一つ克服していくほかない。つ
結び付けて、すぐにニュースとなります。 いぶんと書いている。社会的偏見に対し
ものを愛好していた場合、それを犯罪と
か ら、 と に か く 発 言 し て い く。
﹁表現と
ンガやラノベはそういうものだから﹂と、 て、ラノベの良さはこうなのだ、という
い と こ ろ を 伝 え た と し て も、
﹁どうせマ
れど、ただ待っていたら、誰かが認めて
は戦いである﹂といういい方もできるけ
や小松川女子高生殺人事件について、ず
題にこだわり、連続殺人事件の永山則夫
抹殺されるに違いないと思うかもしれな
ていく﹂ということに、僕は希望を託し
も変わっていくはずです。その﹁変わっ
たか﹂と思いました。そういう見方をし
最近もありましたね。倉敷の女子誘拐
対 し て も 昔 か ら あ っ た。﹁ 文 学 を や っ て
事件で、犯人の部屋にアニメのポスター
くれる、なんてことは絶対にない。
たいですね。
だ﹂と見なされてきた時代が長くあった
ライトノベルは文学か
033
秋山駿という批評家がいて、犯罪の問
いるようなやつは人間失格で、社会の屑
学生 石坂さんから、ラノベの良いとこ
ろを進んで伝えていく、というお話があ
が 貼 っ て あ っ た と い う 報 道、
﹁ あ あ、 ま
の批判には、犯罪と結びつける言説が多
わけです。
11
りましたが、アニメやマンガ、ラノベへ
3
こういう状況に僕たちはずっと置かれて
藝大我樂多文庫 第七集
て し ま う 構 造 の 奥 に は、
﹁ディスコミュ
る力﹂を信じてほしい。信じて、考えて、
ない世界に入っていった方が、気持ちよ
ライトノベルやゲームのような現実感の
る 時 間 が 苦 し い、 と い う 感 じ が あ っ て、
﹁ 死 ﹂に 対 し て、 人 間 は 絶 対 に 逆 ら え な
かというと、人間に﹁死﹂があるからです。
な ぜ﹁ 物 語 る 力 ﹂が 人 間 に 与 え ら れ た
ならない﹀ということです。
言葉は悪いけど、状況に対して︿奴隷に
対いいものになると思うよ。
く過ごせるのだと思う。
だから逆に、現実的なものに触れてい
きた。
学生 質問というか、僕の感想になりま
すが、先生方は、やはりライトノベルが
あ り ま せ ん か ら。 し か し、
﹁なぜ現実感
みたいという感覚は、僕自身にもあまり
なく、可愛い女の子が登場する物語を読
まりライトノベルを読んでいるわけでは
と思うんです。というのは、僕自身もあ
思うんですが、僕たちにはたぶんそれが
ある程度、実像のある憧れを持ち得たと
う 大 人 た ち を 見 て き た 子 ど も の 世 代 は、
長していける時代に生きた人や、そうい
高度経済成長期とか、上を目指して成
いう気持ちが実は俺のなかのどこかにあ
を交換し合うだけで本当にいいのか、と
られた状況のなかで、気持ちの良いもの
ことは、必要なことだと思う。ある与え
り﹁ 権 利 ﹂で す。だ か ら 主 体 的 に 物 語 る
な か で 生 き て い く た め の﹁ 方 法 論 ﹂で あ
と は﹁ 死 ﹂を は じ め と し た 過 酷 な 状 況 の
石坂 現実のつらさということでいえば、 る。でも、ライトノベルの良さを説明す
るときに初めてみんなが考え出す。その
近代以前、あるいは近代の初期にも、と
なかった。だから現実感のないものを好
ても、わかる気がします。僕たちの育っ
﹁ 考 え る ﹂と い う 契 機 が ま ず 必 要 だ と 思
んでしまうのではないかと思うんです。
てきた状況は、景気が悪くなってきたの
ても苛烈な労働や格差の問題など、いっ
います。
については、自分の経験と照らし合わせ
と同時に、やはり学歴社会が生き残って
ぱ い あ っ た ん で す。 そ こ か ら﹁ 民 話 ﹂も
︵構成/武田 悠・三浦かれん
写真/糸井桃子︶
出てきたのかもしれない。だから﹁物語
いた。とにかく勉強しなさいとか、現実
です。経済や社会的な影響を受けて生き
性のないものに憧れを持たされるような
ていくのは当然のことですが、せっかく
な 現 実 か ら 逃 げ る ひ と つ の﹁ 権 利 ﹂な ん
なりたい﹂とか、目標となるものがない
る﹂という行為は、俺の考えでは、過酷
状態で、とにかく勉強だけして、いざ大
文 芸 学 科 で 学 ん で い る の だ か ら、
﹁物語
ものがかっこいい﹂とか、
﹁こういう風に
学 入 っ て み た ら、 今 度 は 就 職 口 が な い。
感 じ が あ っ た。 そ う な る と、
﹁こういう
がないものに惹かれるのか﹂ということ
い 奴 隷 の 状 態 で す。﹁ 物 語 る ﹂と い う こ
世代的にもよくわからないのではないか
よね。それを表現してくれたら、俺は絶
ニケーション﹂の問題があると思うんだ
034
ノ
作ベ
ル
八薙玉造特別講義
二〇一四年一〇月一六日。ライトノベル作家による特
や なぎたまぞう
別講義が、我が文芸学科で初めて行われた。講師を勤め
る八薙玉造氏は一九九八年に大阪芸術大学文芸学科に入
学。出口ゼミに所属し、二〇〇二年に卒業。二〇〇七年
にスーパーダッシュ小説新人賞で大賞を受賞しデビュー。
こそ、私は今回の特別講義に特別な関心を寄せていた。
科の講師たちが向ける眼差しはいささか冷たい。だから
心として絶大な支持を集めるライトノベルだが、文芸学
書の楽しさを知ったという学生も少なくない。若者を中
ライトノベルは身近な存在だ。ライトノベルによって読
二〇〇〇年代以降に青春時代を送った私たちにとって、
だ。
今月刊行される単行本で二○作品目を迎える現役の作家
家
場
ライトノベル作家登場!
現役作家の話を聞く貴重な場としても勿論だが、これを
一つのきっかけとして文芸学科は変わっていくのではな
いか思ったからだ。
講義が行われたのは 号館の大教室。普段は初等教育
八薙玉造特別講義
語り始めた。
若干の緊張がうかがえる表情で自らの学生時代について
のチャイムが鳴り、八薙先生は教壇に立った。そして、
いたようだが、定刻までに席はほぼ埋まった。授業開始
学科が利用する棟でもあるため、教室を間違える学生も
13
イト
登
!
035
ラ
デビューまでの道のり
﹁僕はあまり真面目な学生ではありませんでした。留年
せずに卒業はできたけれど、朝がすごく弱くて、午前に
開講される授業の単位を落としまくっていたので、最後
まで単位が危なかった。一回生のときに︿TRPG サー
クル﹁遊﹂
﹀というサークルを立ち上げて、大学時代は概
ねこのサークルでゲームをしていました。TRPG と
は テ ー ブ ル ト ー クR P G の 略 省 で、 机 上 の 会 話 に よ っ
て展開されるアナログゲームです。参加プレイヤー同士
で物語を作りあげていくことを目的としているので、ゲ
ームを進めるため授業中にこっそり物語を作ったりして
いました。みんなは真似しないでくださいね﹂
私は少し驚いた。TRPG サークル﹁遊﹂の存在は以
前から知っていたが、彼がその創設者の一人だったとは。
八薙先生が次々と作品を発表し続けられるのは、このサ
ークルで培われた想像力が影響しているのかもしれない。
﹁小説は高校の頃から書いていたけど、その頃は長編を
書こうとしても途中で筆が止まってしまっていた。初め
て長編が書けたのは、大学二回生の終わり頃。小説賞の
応募規定内にギリギリ収まる、とても長い小説でした。
今日の特別講義が決まって、せっかくの機会だからと読
藝大我樂多文庫 第七集
ネスも身につけることができました︵笑︶
。執筆にあたり、
小説に対する厳しい評判を見てもあまり傷つかないタフ
知るきっかけになりましたし、プロになってから、僕の
﹁自分ではわかっていても、通じない表現があることを
内容だったのだろう。
作ってくれたと語る様子から察するに、とても充実した
る授業だ。ここで批評してもらった経験が、今の僕を形
どちらも学生が書いた作品を、先生や他の学生が合評す
なっている授業として、ゼミと創作演習の名前を挙げた。
そして彼は大学時代を振り返り、最も作家生活の糧と
ルを書く学生は何人かいたという。
いう言葉が定着し始めた頃だったそうだが、ライトノベ
薙先生が出口ゼミに所属していた当時はライトノベルと
レイヤーズ﹄を読んだことがきっかけだったそうだ。八
小学校高学年から中学生の頃、
﹃ロードス島戦記﹄や、
﹃ス
八薙先生がライトノベルにのめり込んでいったのは、
なる。
彼は様々な小説賞に投稿しながら大学生活を送るように
笑 い が 起 こ っ た。 長 編 小 説 が 書 け る よ う に な っ て 以 降 、
それは文芸学科生にはとても共感できる話で、教室に
した︵笑︶
﹂
み返してみたんですが、三行目くらいで死にたくなりま
036
ライトノベル作家登場!
ちゃんと受けておけば良かったと思っている授業もあり
ます。調べものをしているときに、これは大学時代だっ
たら質問に行けたのにな、と思うことが多いんです。大
学には様々な分野の専門家が講師として赴任されている
わけですからね﹂
卒業後もプロの作家となるため、小説賞に挑み続ける
ことを決めていた八薙先生は、就職活動を全くしなかっ
たそうだ。卒業後はアルバイトを掛け持ちし、作家デビ
ューを果たしてからも、アルバイトは先々月までは続け
ていたのだという。作家の道がいかに険しいかがうかが
ええる。原稿の執筆とアルバイトに追われる日々は、ど
れほど目まぐるしいことだろう。だが八薙先生の声は明
るい。アルバイト中は色々な人間を観察することができ
たので、キャラクター作りに生かされているのだと語る。
﹁二○○三年頃友達から同人誌に誘われたので、その執
筆もしていました。年に四回同人誌を出して、投稿も年
に二回はしていたかな。特に公募の種類にはこだわって
いなかったので、書けたタイミングや、規定の文字数な
どを参考にしながら投稿する賞を決めていました。あま
り に も 落 選 し す ぎ た せ い で、 賞 に 送 っ た 時 点 か ら そ の
作 品 の こ と は 考 え な い よ う に し て ま し た ね。 と に か く
八薙玉造特別講義
数 を 書 く よ う に 心 掛 け て い ま し た。 そ し て、 よ う や く
037
二〇〇七年に、第六回集英社スーパーダッシュ小説新人
賞で大賞を戴いてデビューしました。それからは同人誌
の活動も続けながら出版を重ね、今に至る、というよう
な感じですね﹂
八薙先生は、ここで一つの提案をする。
﹁ここからは、みなさんが僕に質問してください。聞き
たいことがあれば、遠慮なく﹂
これはライトノベル業界の生の声が聞けるまたとない
チャンスだ。受講生たちは次々に手を挙げ、質問を投げ
かけ始める。
知られざる業界の話
質問は多岐にわたったが、学生たちがまず関心を寄せ
たのは作家業の実態であった。漠然と作家の道を志す学
生も少なくない。かく言う私もその一人だ。けれど実際、
文章一本で食べていこうと考えたとき、どのような心構
えが必要なのだろうか。めでたく作家デビューできたと
して、二作目以降はどのような形でオファーがくるのだ
ろう。編集者とのやりとりは? 印税は? 受講生たち
は次々に、知られざるライトノベル業界への疑問をぶつ
ける。
藝大我樂多文庫 第七集
作家業を専業とするのは、やはりとても難しいことら
ことができるそうだ。それはいわゆる減税の一つの手段
のときに﹁資料費﹂として計上すれば、少し額を下げる
費用が出版社から出るという意味ではないらしい。納税
を購入する際、
﹁資料費﹂と銘打つ場合があるが、あれは
険﹂は割高なのだそうだ。また、作家が創作のために本
で は な い の で、 会 社 の 社 会 保 険 に 入 れ ず、
﹁国民健康保
作家業は平たく言えば自営業。会社に属しているわけ
いました﹂
ないと、副業が必要になってくるので、バイトを続けて
お金はあまり入ってきません。年に一冊二冊しか出して
基本的に巻数を重ねていくと初版部数も減っていくので、
買わないから。メディアミックスをすれば話は別ですが。
何故かというと、一冊目を読んだ人じゃないと二冊目を
﹁でも、シリーズを追うごとに出版数は減っていきます。
式を記しながら、彼は次のように補足する。
される量を仮に一五〇〇〇部とすると⋮⋮、黒板に計算
印税は本が印刷されるたびに入ってくるので、本の印刷
すると、これに対して印税はだいたい一〇パーセント。
印税について説明してくれた。本の価格が六〇〇円だと
説明していた言葉を借りてですが、と前置きしたうえで、
しい。ここで八薙先生は、生臭い話で、他の作家さんが
038
ライトノベル作家登場!
で、出版社からお金が出るみたいなファンタジーはあり
ません、とのこと。
編集者とのやりとりは基本的に電話やメールで行われ
ることが多く、首都圏で暮らさなければ執筆活動は成り
立たない、といったことはないそうだ。しかしほとんど
の連絡がメールや電話で済むとはいえ、やはり面と向か
っての打ち合わせは重要だ。そのため、担当編集者が所
要で近くに立ち寄る機会があれば、極力会うようにして
いるという。
打ち合わせは具体的にどのように進むのだろう。デビ
ュー作に関しては、応募原稿に改稿を重ねたものを出版、
という形になることが多いが、二作目以降はそうはいか
ないらしい。
﹁ライトノベルは極端な話をすると商品です。読者が求
めてるものを提供しなくてはなりません。だから編集者
と、売れるもの、読者がもとめるものを作るためにはど
うすればいいかを話し合うんです﹂
八薙玉造流、創作術!
ライトノベル業界は流行の移り変わりが激しい。つい
八薙玉造特別講義
この間まで表紙が文字で埋まるほどの長文タイトルが流
039
行っていたかと思えば、今では﹁戦乙女﹂に﹁ヴァルキュ
リア﹂
、といったようなルビをふるタイトルの本が書店
に並んでいる。トレンドに乗り遅れないよう、編集者か
らこういった作品を書いてほしい、と依頼されることも
あれば、作家から企画を提案することもあるそうだ。
タ イ ト ル の 付 け 方 に つ い て 話 が 及 ぶ と、 学 生 た ち は
徐々に、自らの創作活動における悩みを彼に打ち明けは
じめた。中でも最も多く寄せられたのが、どのようにし
て魅力的なキャラクターを生み出すか、だった。自分の
書いたキャラクターは、どれもどこかで見たことがある
ちで⋮⋮といった要素を加えてみる。今のは実際に僕の
り方で、物腰も柔らかい。ここに、おっさんで、腰痛持
奴。テンプレート的なイメージだと、美形で、丁寧な喋
クな話し方にしてみるとか。他にも、裏で糸を引く悪い
すよね。それなら逆に、和服を着せてみるとか、フラン
何だか理屈っぽいことをいう、そんなイメージがありま
藝大我樂多文庫 第七集
作品にも登場したキャラクターなんですけどね︵笑︶
﹂
けれど、読者から愛されるキャラクターを生みだすに
は、それだけでは充分ではない。八薙先生は、女性キャ
ラクターの描写に苦労したらしく、編集者からも、女の
子が可愛くないと指摘されたことがあるそうだ。そこで
考え、実際に可愛いと称されるキャラクターの共通点な
彼は、自分はどういったときに﹁可愛い﹂と感じるかを
どを研究することでその課題を克服したそうだ。人を惹
きつけるキャラクター造りには、実直な探究心が必要不
可欠なのかもしれない。
魅力的なキャラクターが出来上がれば、次は名前だ。
者の手腕が問われる。ライトノベルにはファンタジー作
品も多く存在する。架空の世界、架空の国で生きるキャ
ラクターたちに、どのような名前を付ければいいか悩む
また、コメディ色が強い作品の場合には、全体を通し
から引用するという。
ランス人の名前、というふうに決め、実名や実際の地名
この国の出身者はドイツ人の名前、この国の出身者はフ
をよく利用するそうだ。架空の国の物語を描くにせよ、
ネーミングで悩んだとき、八薙先生は外国の人名辞典
できるんです。例えば、魔法使い。三角帽子をかぶって、 学生も少なくないだろう。
っつけると、全く新しいキャラクターを生み出すことが
﹁テンプレート的なキャラクターに、正反対の要素をく
としたうえでこのように答えた。
い。様々な質問に対し、八薙先生はあくまで僕のやり方、 世界観を壊さず、いかに自然な名前をつけられるか、作
と言われてしまう。魅力的な女性キャラクターが書けな
040
の中からキャラクターを引用して解説してくれた。
ることが多いという。ここでも八薙先生は、自身の作品
てモチーフを決め、それに関連した言葉から名前をつけ
しての意識を感じた。
新たな表現を模索する八薙先生の姿勢に、プロの作家と
ているジャンルであることを強く感じた。そしてまた、
私はこの言葉を聞き、ライトノベルは今も進化し続け
となり、特別講義は幕を下ろした。八薙先生は、どんな
学生からの質問は尽きることがなかったが、終了時刻
たけはや
﹁
﹃ オ レ の リ ベ ン ジ が ヒ ロ イ ン を 全 員 倒 す!﹄に、 武 速
咲楽というキャラクターが出てきます。古代から続く身
質問にも真摯に対応し、様々なことを教えてくれた。作
さく ら
体能力の高い特殊な家系の子、という設定だったので、
家になることの険しさや、創作の楽しさ、そして困った
の おのみこと
日本神話の建速須佐之男命の名前を借りて、武速、と名
さ
づけました。作品やキャラクターの雰囲気にあうように、
時に役に立つちょっとしたテクニック。現役作家の生の
たけはや す
ネーミングにも色々な工夫をしてみると面白いかもしれ
声は、受講生たちの確かな刺激となったことだろう。そ
八薙玉造特別講義
︵文・写真/岡本 駿・武田 悠︶
もの、ライトノベルが書きたくてしかたがない。
してこれは余談だが、私はこの講義を受けてからという
ません﹂
特別講義も終盤にさしかかった頃、一人の学生が、ラ
イトノベルを書き続ける理由について尋ねた。八薙先生
は、好きが高じて文章がライトノベルに特化してしまっ
たことを挙げたうえで、次のように答えた。
﹁ライトノベルは様々な表現が許される媒体だからです。
ページ全体が大きな文字の羅列で埋まっていたり、文章
ではなく挿絵で状況説明がされていたり。こういった表
現は、バッシングの対象ともなりますが、僕はそういっ
た部分に魅力を感じているんです。これは今後の課題で
もありますが、挿絵をもっと上手く活用できたら、文章
と絵がコラボレーションされた新たな表現を生み出せる
かもしれない。その可能性が、ライトノベルの魅力です﹂
ライトノベル作家登場!
041
私を文芸学科に導いた一冊
心揺さぶる作品との出会いが、創作を志すきっかけと
なることがある。今回は、文芸学科一回生に、文芸に関
心をもつきっかけとなった作品についてエッセイを書い
てもらった。
それは書籍ばかりとは限らなかった。映画、音楽、私
たちの周りにある言葉。どれも、受け手によっては人生
を動かされるほどのエネルギーに満ちている。文芸学科
生のめばえ、それに大きく力を及ぼしたものたちを知る
ことで、文芸学科という場についても、分かることがあ
るのではないだろうか。
藝大我樂多文庫 第七集
『ノルウェイの森』 村上春樹
かのオスカー・ワイルド氏は﹃芸術家としての評論家﹄
れないであろう感動すら得ることができた。そしてその
れたものを発見することができたし、他の小説では得ら
らない。僕はその不完全さの中からいくつも美しく、優
ずれにせよ僕がこの小説を賞賛しようという考えは変わ
を抱いた人間はたくさんいたかもしれない。しかし、い
るというわけでもない。そういった不完全な文章に不満
しいものでもないし、レトリックもずば抜けて優れてい
いうわけではなかった。全体的なストーリーは別に目新
に、最初から最後までずっと完璧な文章が続いていると
﹃ノルウェイの森﹄は多くの文学作品がそうであるよう
った。
って、そういった志を胸に抱かないわけにはいかなくな
はその夏に読んだ村上春樹氏の﹃ノルウェイの森﹄によ
りはしなかったのかもしれない。しかし幸か不幸か、僕
小説を手にとることがなければ、僕は文学の道を志した
読んでいたわけではなかった。十六歳の夏に偶然一冊の
意見だと思う。考えてみれば、僕も昔から努めて文学を
ないものである﹂と語っている。確かにそれは的を射た
リズムは読んでも面白くないものであり、文学は読まれ
において﹁文学とジャーナリズムの違いとは、ジャーナ
042
だ。また、村上春樹氏の発言に﹁いつまでも自分の心を
﹃ ぎ ん ぎ つ ね ﹄が、 私 を 文 芸 学 科 へ 導 い た 作 品 で す。 そ
私 の 初 め て の 読 者 体 験 で あ り、 ス タ ー ト 地 点 で あ る
ました。
打ち続ける一冊の本を持っている人は幸福である﹂とい
して今までに読んできた全ての作品もまた、文芸学科へ
ような感動が僕を文学の道へと導き、励ましてくれたの
うものがある。氏の言うことが本当なら、僕はきっと幸
導いたきっかけです。
︵高橋佑季︶
時代設定は現代のはずなのに、語りが古風で、ユーモラ
です。私はこの作品に出会った時、衝撃を受けました。
『夜は短し歩けよ乙女』 森見登美彦
私 を 文 芸 学 科 に 導 い た 一 冊 は﹃ 夜 は 短 し 歩 け よ 乙 女 ﹄
︵白坂彩葉︶
福であるのかもしれない。その幸福は僕にとって励みに
なり、同時に僕自身の生命力になり、それは僕が文学を
『ぎんぎつねものがたり』 シートン原作
私 を 文 芸 学 科 へ 導 い た 作 品 は、 幼 い 頃 に 読 ん だ 絵 本
スな表現が各所にちりばめられていて、他にはない幻想
志すための原動力にだってなるのだ。
﹃ ぎ ん ぎ つ ね ﹄で す。 絵 本 な の で、 挿 絵 の 入 っ た 短 く 簡
的な魅力を持っている作品だと思いました。
この作品の語りは主人公とヒロインで交互に入れ替わ
潔な文体の作品でしたが、それは私が初めて自分で読ん
だ作品でした。幼いながらにも、物語の世界に強く魅か
それ以来、本への関心が高まり、様々な作品を読むよ
ためにあくせくする主人公と、どこまでもマイペースな
受けました。不器用ながらも、ヒロインに近づきたいが
登場人物の個性が強く、語りによって全く違った印象を
り、それぞれの視点で物語を追っていくことができます。
うになりました。読んだ本の全て、一冊一冊が違う面白
ヒロインのかけ合いに笑わされ、いつのまにか森見登美
れ、心を動かされました。
たくさんの本を読む内に、私も人の心を動かせる作品が
さ、表現の美しさがあり、本の世界に魅せられました。
い、趣味としてエッセイや短編小説を書き始めました。
涯を通して本に関わっていきたいと思うようになりまし
もっと多くの作品を読みたい。そう思うのと同時に生
彦の描く世界観に惹き込まれていきました。
家族や友人に﹁面白い﹂と言われる度、私の創作意欲は
た。
書きたい、読者の印象に残るような表現を作りたいと思
ますます増していきました。そうして私は文芸学科へ来
私を文芸学科に導いた一冊
043
私はこの作品に出会う前から趣味で小説を書いていま
した。しかし、それらは面白いといえるものではありま
せんでした。私は森見とは対照的にありきたりな表現し
か思いつきません。だからこそ、森見の独創的な表現に
惹かれたのかもしれません。
多くの人の表現に触れながら一つの作品を生み出して
いく課程に携わっていきたい。私は将来を具体的に考え
るようになり、いつしか編集の道を志すようになりまし
た。
︵浦 晶︶
『好き好き大好き超愛してる。
』 舞城王太郎
﹃ 好 き 好 き 大 好 き 超 愛 し て る。
﹄は、 ゼ ロ 年 代 作 家、 舞
城 王 太 郎 の 著 書 だ。
﹁ 愛 は 祈 り だ。 僕 は 祈 る ﹂と い う フ
レーズからはじまる。本作のこの強烈な一節が、私を文
学の世界に引きずり込んだ。
物語は人を愛する手段になり得るのではないか、そう
思わされたのである。
多 く の 物 語 は、 と き に 登 場 人 物 の 不 幸 な り 苦 悩 な
り を 動 力 源 に し て 機 能 す る。 作 家 は い わ ば、 人 間 の
不 幸 を 吸 収 し て 作 品 を 作 り 上 げ る の だ。 創 作 に は 多
か れ 少 な か れ、
﹁ 悪 意 ﹂と い う も が 付 き ま と う の で あ
る。私はそう考えている。作家とは人でなし、人非人の
藝大我樂多文庫 第七集
の水を
︵上田祥太︶
み、喉を潤しているところへ、外国人の女の子
この物語は、日本人の女の子七人が美しい銀の杯で泉
に収められており、巻頭の一編でした。
を集めた、広辞苑ほどに分厚い﹃百年小説﹄という一冊
の﹃杯﹄です。それはポプラ社出版の日本作家傑作短編
『杯』 森鷗外
私が文芸の道を志すきっかけとなった作品は、森鷗外
る。本作は今も私を導き続けている。
いう具合だ。今も時々読みかえし、そして打ちのめされ
り込むように読み、書いていた。まさに﹁導かれた﹂と
考えれば考えるほど深みにはまり、いつの間にかのめ
作家の愛は愛たりえるか。
齢だった私にも、この問題が痛烈に理解できた。
いって圧倒された。愛とか恋とかまだ小っ恥ずかしい年
をはじめて読んだのは中学生のときだったのだが、正直
も軽快でスピード感にあふれる文体で迫ってくる。本作
思いやるのか。そんな壮大なテーマと問いかけが、何と
か。﹁ 悪 意 ﹂を も ち あ わ せ た 人 間 が、 い か に し て 他 者 を
問いを投げかける。作家はどうやって人を愛せばいいの
本作はそんな残酷な真実を真正面から見据え、読者に
仕事なのだ。
044
それを断り自らの杯を使って水を飲むという十ページに
自分達の杯を貸してあげようとします。しかし、彼女は
が醜い杯を持って現れる。そして、七人はその女の子に
て、各キャラクターが作り出す理系独特の世界観に引き
いう人と話す機会がない。だから、登場人物たち、そし
には、理系の人物が沢山出てくるのだが、私は普段そう
を当たり前で終わらせず、その感情の正体を考えるきっ
込まれた。また、人が当たり前のように思っている感情
私はこの作品を読んでいる最中、目の前には青々とし
かけになる文章が書かれている。だから、読むだけでも
も満たない短い話です。
た山間の森がざっと広がり、艶かしい少女達が水と共に
勉強になるのだ。
た。ストーリーだけでなく、文章の表現や知識的要素が
私はこの作品に出会ってから、小説の読み方が変わっ
きらきらとしていました。まるで美術館で美しい絵画を
目の前にしているかのような気分にさせられたのです。
この時、文章が持つ力の無限の可能性を感じました。
またこの作品は、マジョリティーに屈せずに己を貫く
必要があり、読むことで学べることがたくさんあるとい
の作品を通して、小説を書くためには本をたくさん読む
そして、それを探求すべくこの文芸の道を志したのです。 あるかということも重視するようになった。私は森博嗣
美しさが描かれており、自身が芸術の道を進む上で大き
︵京極 萌︶
『翼はいつまでも』 川上健一
私は中学生の頃、特別勉学に勤しんだわけでもなく、
扉に向かって歩き出していた。
ための知識もない。そう気づいた時、私は、文芸学科の
せたいとも思った。しかし、文章の表現力も小説を書く
な心の支えにもなっています。周りに溶け込むことなく、 うことを知った。また、自分の書いた文章で人を感動さ
ただ一人でも輝き生きて行けるようにと。 ︵小野典秀︶
『すべてがFになる』 森博嗣
いつも通っている本屋で、
﹁すべてがFになる﹂という
タイトルが目についた。私はこのタイトルにとても魅力
を感じ、その本を手に取った。まさにこの時、私の中に
うな日々を送っていました。国語という科目も得意とは
部活動に精を出し、休日は睡眠か遊びに費やすというよ
森博嗣のこの小説は、大学の助教授とお嬢様育ちの女
いえず、活字を読むことすら苦手に感じていたと思いま
﹁文芸学科﹂という扉が出来たのではないだろうか。
子学生が事件を解決していく推理小説である。この作品
私を文芸学科に導いた一冊
045
す。ではなぜそのような私が文学の世界を志すようにな
ったのか。それは一冊の本との出会いでした。
その本というのが川上健一著の﹃翼はいつまでも﹄と
いう作品です。そもそも私が本を読み始めた理由と言う
ものはただの気まぐれでしかありませんでした。カバン
の中に本が入っていると優等生のようでかっこいいかも
なんて考えていたように思います。自分でも最後まで読
み切る自信など全くなかったし、しばらくはカバンの中
に放置していました。
けれどもやはりカバンを覗くときに目に入るとなに
か 気 に な る よ う で、 つ い に 空 い た 時 間 に 読 ん で み る こ
と に し ま し た。 正 直 続 い て も 数 十 ペ ー ジ ぐ ら い だ ろ う
と 思 っ て い た の で す が、 実 際 は ど う で し ょ う。 ペ ー
ジ を め く る 手 が 止 ま ら な い 止 ま ら な い。 物 語 が お も し
ろ く て 仕 方 が あ り ま せ ん で し た。 登 場 人 物 の 中 学 生
た ち が、 大 人 た ち や 社 会 に つ い て 理 不 尽 だ と 思 い な が
ら も 従 う し か な い こ と に 憤 り を 感 じ、 悩 み、 行 動 す
る と い う 青 春 小 説 に な っ て い て、 同 じ 年 齢 と い う こ
と も あ り 感 情 移 入 し や す く、 私 は 夢 中 に な っ て 読 ん
で い ま し た。 そ し て 読 み 終 え た と き の 達 成 感、 充 実
感、そして虚無感で私の胸はいっぱいになっていること
に気がつきました。私はこれが本のもつ力なのかと感心
藝大我樂多文庫 第七集
よれよれになっています。これが﹃アヒルと鴨のコイン
表紙は日に当たって変色し、ページもやわらかくなって
てしまったように崩れ、さらには所々が少しやぶれ、背
に一冊、異彩を放つ本があります。カバーは水で濡らし
その気持ち悪いほどきっちり整理整頓された本棚の中
新品のようにきれいなままなのです。
ょう。きっちり並べられた本の数々は、そのほとんどが
それらは、私の部屋の本棚を眺めてみれば一目瞭然でし
とによってよれてしまうのですら嫌で仕方がありません。
でもシワになるのだって嫌ですし、カバーが古くなるこ
のが、
﹁本﹂です。折れたりやぶれたりはもちろん、少し
ほど神経質な性格をしています。その性格が最も表れる
『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎
自分で言うのもおかしな話なのですが、私は鬱陶しい
︵勝 大輔︶
私をこの世界へと導いてくれたことを感謝したいです。
文学に触れられる場所にいることを喜ばしく思い、また
私の文学の始まりは﹃翼はいつまでも﹄でした。私は今、
魅せられ、文学の世界へ踏み出す決意をしたのです。
ふつふつと湧き上がってきました。こうして本の魔力に
するとともに、こんな文章を私も書きたいという思いが
046
なくページをめくり、読み終わったあとの愛しさとも切
屋を旅してきたような疲れ果てた姿になるまで、幾度と
ロッカー﹄です。私は、この本が、まるで数多くの古本
類に属しながらも情景描写と心理描写が丁寧に描かれて
になりやすい。だがこの作品は、ライトノベルという分
心となる。それゆえに、情景描写、心理描写がおざなり
ライトノベルは基本的に登場人物による掛け合いが中
いる。加えて、そのストーリーは風刺に富んでいて考え
なさともとれない気持ちを何度も嚙み締めたのです。
本が汚れるのを何よりも忌み嫌う私が、なぜこの本だ
ジをめくるたび、読み返すたび、読み終えるたび、表情
かる﹂と言ってしまう他ありません。この作品は、ペー
と て も ず る い 言 い 方 に な っ て し ま い ま す が、
﹁読めばわ
そ 少 な い が、 そ れ が 作 品 の さ ら な る 想 像 を 膨 ら ま せ る 。
いわけではなく、漫画と同じように見て想像する。絵こ
れ合いやすさは画期的であった。純文学のように堅苦し
ゲームや漫画で育ってきた私にとって、この作品の触
させられる内容となっている。
を変えるのです。ひとつの作品を何度も読み返す経験が
思春期の頭の中に渦巻くこの想像を文章という形で現実
けこれほどまでにくたびれた姿にさせたのか。それは、
なかった私にとって、この作品との出会いは、小説の可
︵井上勝司︶
にしたい。私はその欲望を実現するべく、想像された物
語を書いていく道を選んだのだ。
能性を考え直す実にいい機会になりました。
︵福田萌稀︶
私はこの一冊がこれ以上読み古された姿になる前に、
もう一冊買ってこようと考えています。
画化されていたのが出会いのきっかけでした。漫画を読
件﹄です。当時私が購読していた月刊誌にこの作品が漫
『春季限定いちごタルト事件』 米澤穂信
私 を 文 芸 に 導 い た 作 品 は、
﹃春季限定いちごタルト事
『キノの旅 ‐ the Beautiful World
‐』 時雨沢恵一
私 を 物 書 き の 世 界 へ 誘 っ た 作 品 は﹃ ダ レ ン・ シ ャ ン ﹄
んで面白いと思った私は、衝動的に原作である小説を購
﹃セブンス・タワー﹄
﹃怪盗ルパン﹄⋮⋮このように一冊
とは言えない。だが、私がライトノベル作家志望になっ
入しました。そこで何よりも惹かれたのは、じれったい
この作品は学園ミステリーです。ミステリーというジ
ような緊張感でした。
た作品となれば一つだけこれだ、と言える作品がある。
﹃キノの旅﹄
。この作品は私の中でくすぶっていた創作意
欲を刺激した一作である。
私を文芸学科に導いた一冊
047
ャンルは、本作の解説にも書かれているように必ず殺人
が起こり、次は自分が殺されるかもしれないという中か
ら緊張感が生まれ、ホラーめいた雰囲気を作り出してい
ます。しかし、この作品には主人公たちに命の危険はあ
りません。そのためホラーが苦手な私でも、とても読み
ですが、ミステリーに緊張感というのはとても重要な
やすくなっていました。
ものです。人が死なない、命の危険がない中で緊張感を
作り出すのは難しいのではないだろうか、という不安が
を解くのに躊躇
あります。しかし、この作品はまったくそんなことはあ
り ま せ ん。 主 人 公 は、 理 由 が あ っ て
す る 場 面 が 多 々 あ り ま す。 そ の く せ、
﹁自分は答えがわ
かっている﹂と言わんばかりの思わせぶりな台詞が多く
﹁早く を解いてくれ!﹂と直談判したくなります。でも、
主人公が を解かない理由も納得できるものだから、ハ
ラハラしながら主人公が を解いてくれるのを待つしか
ない⋮⋮そんな妙な緊張感が確かに存在しています。
人が死ぬ物語や、バットエンドがあまり好きではない
私はミステリーとは無縁だったのですが、この作品と出
会い、漠然とした苦手意識が緩和されました。また、自
分もこんなミステリーを書いてみたい、こんな表現を使
えるようになりたいという思いが生まれ、私を文芸学科
藝大我樂多文庫 第七集
︵猪子真央︶
きないような非現実的な世界を読むことができるからで
まったのか。それは、普通の日常を送っていれば体験で
しかし、なぜ私がそこまでライトノベルに惹かれてし
けったことを今でも覚えている。
えない世界の光景が脳内に広がり、時間を忘れて読みふ
ムスリップしてしまうというものだった。現実ではあり
は戦国ゲーム好きの主人公が、いきなり戦国時代にタイ
に勧めてきた﹃織田信奈の野望﹄という本だった。内容
初めての出会いは、高校に入学して間もない頃、母が私
のジャンルや年齢層は多岐にわたる。ライトノベルとの
が、中には大人向けのハードボイルドな作品もあり、そ
ライトノベルは主に中高生向けに書かれた娯楽小説だ
転換に手を伸ばしたのがライトノベルだった。
らでは遅い。どうすればいいのかわからなくなり、気分
それをやり続ける気はなかった。とは言え、就職も今か
いた。高校では商業デザインを学んでいたが、進学先で
なる夢を諦め、他に何かやりたいことがないか模索して
高校二年の終わりころである。この頃、アニメーターに
『織田信奈の野望』 春日みかげ
私が大阪芸術大学文芸学科に入学しようと思ったのは、
へ導いてくれました。
048
成長し、直面した問題に立ち向かっていくのかなどにも
ある。また本の中の主人公が私と同じ年頃でどのように
は表すことのできない﹁芸術﹂であり、
﹁美しさ﹂なので
私をも酔わせました。オザケンの描く歌詞は映像や絵で
せられるオザケンの多幸感
れる刹那主義な歌詞は男の
魅力を感じた。私はその魅力に取り付かれ﹃織田信奈の
す。そしてその歌詞は、しっかりと余韻を味合わせるよ
や﹁
野望﹄以降も様々なライトノベルを読むようになった。
はかけ離れたメッセージこそ、私が文芸学科を志したき
う に 胸 の 中 に 残 り ま す。 好 き な 曲 は﹁ 流 れ 星 ビ バ ッ プ ﹂
ぼろげながらライトノベルを書いてみたい、と心の隅に
っかけです。
やがて読む方から物語を創る方へと意識が移行し、お
思うようになった。そして、将来についてどうしようか
︵前田悠気︶
わたしは言葉が好きです。日常的に視たり聴いたり触
わけではありません。
わたしは、これという一冊によって文芸学科を選んだ
言葉
﹂などですが、それらに 感 じられる 暗 さと
LOVELY
と漠然と考えていたあの時手に取ったライトノベルをみ
て心の隅にあった思いが花開いた。
作家になろう。それが無理でも本や文章に関わる職業
に就こう、と。
そうして創作などを学べる進学先を探しているうちに、
大阪芸大文芸学科に り着いたのだった。 ︵森崎且大︶
れたりするもののなかで、特別にかがやいているように
健二ことオザケンはシンガーソングライターであり、今
私が文芸学科を志したきっかけは小沢健二です。小沢
好きな文章をくりかえし読んでいたことや、それを当時
が並んでいるのを、好きでよくみていた記憶があります。
幼いころから、ひらがな、カタカナ、漢字、ただ文字
感じます。
や使われる機会も少なくなった、渋谷系の第一人者でも
の自分なりのていねいな字で書き写して遊んでいたこと
小沢健二
あります。九〇年代に広末涼子似の甘いルックスからア
なども。
こかのページの一行にある、胸をつくような言葉に強く
小説を読むときは、物語そのものよりも、その本のど
イドル的人気を確立したオザケン。そんなオザケンの描
く曲の歌詞がとても良いのです。
ジャジーなメロディーに乗せられ、その甘い声から発
私を文芸学科に導いた一冊
049
惹かれて読んでいたりします。また、わたしの家庭では
だいたいいつも音楽がかかっていました。歌詞のついた
ごく大衆的なものです。そしてときどきたまらなく好き
な歌詞に出 うと、至純な光の波のようなものが心身を
満たす感じがして、曲節が頭の中で流れ続けて、体の動
きまでその言葉に影響されてしまっているというような
ことが、よくあります。
たったの五十音から集めた文字が言葉になって意味を
もつというのは、すごいことだなと思います。暮らしの
なかでつねにそばにある言葉が、燦然とかがやいている
ことを感じるたびに、わたしは言葉が好きなんだなあと、
︵吉田海琳︶
あらためてわかります。わたしを文芸学科に導いたのは、
そういう言葉たちにほかなりません。
050
藝大我樂多文庫 第七集
そして学生は
扉をたたく
─文芸ゼミ訪問─
そして学生は扉をたたく
051
文芸ゼミ訪問
大 阪 芸 術 大 学 の 文 芸 学 科 に は 現 在、
七つのゼミが存在する。三回生になる
と、 文 芸 学 科 生 は そ の 中 の ひ と つ を 選
び、 そ れ ぞ れ の 専 門 分 野 に 分 か れ て い
く。しかし、多くの学生が、自分の所
属するゼミのこと以外はほとんど知ら
ないというのが現状だ。同じ学科で学
んでいるのに、隣のゼミが何をしてい
るかまったく知らないというのは寂し
い。
そこで今回、私たちはその中から四
つのゼミを取材した。近くて遠かった
扉の向こうでは、どのような授業が展
開されているのだろうか。
掴め、
織田作之助賞!
玄月ゼミ
玄月(げんげつ)
大 阪 府 生 野 区 出 身。 大 阪 市 立 南 高 等 学 校 卒。
2000 年、
『蔭の棲みか』で第 122 回芥川賞受賞。ほ
かに『異境の落とし児』
(神戸ナビール文学賞)、
『舞台
役者の孤独』
(第 8 回小谷剛文学賞)など。大阪南船
場で文学カフェ&バー「リズール」を営む。
藝大我樂多文庫 第七集
は夏やのに、付き合って一年という
表現はおかしくないか?﹂
める。自分の作品が合評されるわけ
れ、教室にピンとした空気が張りつ
学生の作品がスクリーンに映し出さ
授業が始まると、今回合評される
るだけでは成長しない。課題を与え
るようだ、と思った。ただ座ってい
現を発見する。まるで花を育ててい
生が納得し、時には学生が新しい表
こだわりを説明していく。時には先
そ れ に 対 し て 学 生 も 自 分 の 意 見、
でもないのに、先生が手元の作品に
ばかりだと心が腐り、甘い言葉ばか
るだけでは意味がない。厳しい言葉
に長く感じた。
り だ と 傲 慢 に な る。 そ こ を 見 極 め、
成長を見守る先生の優しさが、言葉
ぼすシーンもあった。この和やかさ
むのは恥ずかしいな﹂と、笑みをこ
きことを用紙にびっしりと書いてき
想を述べるのだが、みんな伝えるべ
つ挙手をして作品について意見や感
それは学生同士も同じだ。一人ず
しと伝わってくる。
こそ、玄月ゼミ本来のものなのだろ
る意見こそ本人のためになると考え
て い る。 厳 し い 意 見 も 述 べ ら れ る。
今
う。気になった部分には赤で印を付
上辺だけの賞賛ではなく、中身のあ
﹁二人は秋に出会ったんやろ?
け、疑問や意見を投げかける。
う場面では、先生が﹁声に出して読
主人公が少し気取ったセリフを言
先生が一文一文、丁寧に追っていく。 とする学生の気持ちもまた、ひしひ
った。スクリーンに映された文章を、 から伝わってくる。想いに応えよう
先生のこの一言から、合評は始ま
﹁君、村上春樹好きやろ?﹂
視線を落とし、口を開くまでがやけ
目標である。
文学賞へ投稿する││これが今年
度新設された玄月ゼミに掲げられた
052
﹁文章がくどく、
説明的になりがち﹂
ているからだろう。
っているはず﹂
したらそれはもう全く違うものにな
らの持ち上がりだと聞いている。
からも、学生の半数が昨年の授業か
業で合評してもらえば、もっと質を
駆られていた。自分の作品もこの授
今すぐ何か書きたい、という衝動に
も嬉しいです。二回生までは実際に
的に創作について教えてもらえるの
﹁授業はすごく実践的ですね。具体
の印象についても聞いてみた。
みてどう感じているのか、玄月先生
では、学生は実際に授業を受けて
中には作中に登場するペペロンチ
高められるのではないか。取材中で
一時間半の授業を聞き終えた私は、
ー ノ の 材 料 や、 ワ イ ン の 保 存 方 法、
あることも忘れて、そんな文芸学科
﹁彼女の内面についての描写が少な
部屋の構造についての細かい指摘も
創作する授業って少なかったし﹂
く、共感しにくい﹂
あった。全員で話し合い、辞書など
生らしいことを思った。
﹁締め切りがあって、自分をとこと
で調べ、正しい知識やより良い表現
を導き出す。このようにして毎時間
学生全員が意見を述べた後は、先
魅力的でした。締め切りがある方が
﹁賞への投稿を目標にしているのが
を選んだのか、尋ねてみた。
人だと思いました。でも実際は面白
﹁初めて先生を見た時は、怖そうな
言えるので満足しています﹂
でも駄目なところは駄目とはっきり
ん追い込めるのがいいですね。合評
生がそれらをまとめる。細かな矛盾
﹁シラバスにあった短編の構造分析、 く、優しい先生でした﹂
書きやすいですから﹂
答えてくれた。作家としてはもちろ
授業後、学生たちになぜ玄月ゼミ
点の指摘、文章を洗練するためのア
というのが気になって﹂
確 実 に 力 を つ け て い る の だ ろ う と、
ドバイスなどをした後、それらをふ
﹁ 去 年、 玄 月 先 生 の 授 業 を 受 け て、
強く感じた。
まえて、もっと大胆に書いてもいい
また大阪南船場には、玄月先生が
力は私にも伝わってきた。
うだ。授業を見学してみて、その魅
学生はみんな、のびのびと笑顔で
のではないかと提案した。
ん、先生の人柄にも惹かれているよ
理由はそれぞれだったが、前年度
いい先生だなって思ったんです﹂
るような表現をするなら、もっと大
の﹁ ラ イ テ ィ ン グ 演 習 ﹂を 受 け た 結
﹁村上春樹が好きで彼を彷彿とさせ
胆にやったらいいと思うよ。これで
果、という学生が多いようだ。先生
文芸ゼミ訪問
もかってくらいオーバーに書く。そ
そして学生は扉をたたく
053
つこちらのお店は、壁一面に本が並
精読者、読書人という意味の名を持
﹁ リ ズ ー ル ﹂が あ る。 フ ラ ン ス 語 で
プロデュースする文学カフェ&バー
ていく。出版社の編集者と、役割と
僕は学生の作品を読んで、質を高め
う。どのように向き合うかってこと。
っていうのはある程度普遍的やと思
﹁小説を書く、創作をする時の姿勢
まない玄月先生自身にも話を伺った。
標を与えるのも、学生のやる気を出
い。文学賞への投稿という一つの目
がないとなかなか物事を進められな
含めて作品なのだろう。人間は目標
る。良い評価も悪い評価も、すべて
芸術とは人に見られてこそ完成す
藝大我樂多文庫 第七集
ぶ、文芸学科生にはたまらない場所
しては同じやな﹂
くさんの人に読んでもらえる。さら
この授業内だけではなく、もっとた
があるから。投稿して賞をとったら、
でもたくさんの人に見てもらう必要
は、小説に限らず、どんな芸術分野
﹁ゼミで賞への投稿を目指してるの
その目的についても聞いてみた。
ミ に は な い 目 標 を 掲 げ る 玄 月 ゼ ミ。
文学賞へ投稿するという、他のゼ
今後はそこに重点を置きたい。そし
﹁ 四 回 生 で は 卒 業 制 作 が あ る の で、
んでいく。
ったりしながら、一歩ずつ堅実に学
り、短編小説を使って構造分析を行
けると、投稿した作品を読み返した
向け、合評を繰り返す。夏休みが明
全員が投稿すること。前期はそれに
に締め切りを迎える織田作之助賞に
玄月ゼミの最初の目標は、八月末
このゼミから、文学賞受賞のニュ
に評価を与えてくれる、批評してく
励みになるし、駄目やったら駄目で
ースが飛び込んでくる日もそう遠く
て卒業制作も賞へ投稿したいね﹂
分析すればいい。たくさんの人の目
︵文・写真/鈴木歩実︶
ないかもしれない。
番﹂
に触れるには、賞へ投稿するのが一
れる。それは創作者にとって絶対に
させるのが目的だそうだ。
だ。お酒以外のメニューも豊富なの
そして、学生たちを惹きつけてや
生に会えるかもしれない。
う。運が良ければ、ここでも玄月先
で、ゼミの学生も時折利用するとい
054
奔放自在、
柔よく全を制す
出口逸平(でぐち・いつへい)
1987 年、 神 戸 大 学 大 学 院 文 化 学 研 究 科 修 了。
1995 年から 1996 年まで、英国オックスフォード
大学客員研究員。日本演劇学会、日本近世文学会会
員。文化庁芸術祭審査委員(演劇部門関西の部)。
緑が必ず目に入ると言ってもいい
材させていただいた日は、ある男子
授業にお邪魔させていただいた。取
授業内容を知るため、出口ゼミの
れる大阪芸術大学。山
ほど自然が
の一角に建てられているこの学校は、 生徒が卒業制作の原案を提出し、そ
見学していると、あることに気付
れを合評しているところだった。
ンパス内には自由な雰囲気が漂って
く。先生が常に笑顔なのである。し
良くも悪くもおおらかであり、キャ
いる。そんな大阪芸大の端、 号館
を書き出し、タイトルの意味から登
素直に聞き入れるだけではなく、﹁自
編集などに分かれており、学生たち
は少し違う。
分はなぜこう書いたのか、自分の伝
場人物の細かい設定まで、疑問に思
﹁どんな題材でも持ってきてもらっ
えたいことはこうだ﹂とはっきり発
は基本的に、ゼミに沿った内容で創
てOKという形で、かなり幅広くい
言する。そんな、先生と学生の会話
ったところを指摘していく。学生も
ろいろやってもらっている。好きな
るっていうのを決まりにしていま
一人一人が最低一言はコメントをす
﹁持ってきてもらった作品に対して、
だけではない。
いた。作品の指摘を行うのは、先生
のキャッチボールが頻繁に行われて
出口先生ご自身がこう語るように、
い﹂
ものを試してみるという場にした
作を行っている。しかし、出口ゼミ
文芸学科のゼミは、純文学、詩歌、 ホワイトボードに登場人物の関係図
の六階で出口ゼミが開講されている。 かし、学生に投げかける言葉は鋭い。
22
出口ゼミには作品制作にジャンルの
文芸ゼミ訪問
縛りがないのである。
そして学生は扉をたたく
055
出口ゼミ
す﹂
合評では、学生もバシバシとさま
からこそ、ゼミの雰囲気は悪くなら
ているのだろう。
の姿勢が、出口ゼミの雰囲気を作っ
藝大我樂多文庫 第七集
ないのだと私は感じた。
﹁主人公と登場人物Aの関わりにな
がいいのではないか﹂
この内容ならこういうタイトルの方
﹁ 内 容 と タ イ ト ル が 剝 離 し て い る、
論を行っていた。
が、学生は何度も発言し、活発な討
言、と出口先生はおっしゃっていた
﹁先生が合評中に分からないと思っ
いてくれる﹂
理解した上で自分の新しい技術を磨
で す。 な ん で も 言 え る っ て い う か、
れてくれる。そういう空気があるん
っているところを話したら、受け入
﹁柔らかい方です。自分が疑問に思
こう答えてくれた。
造 さ ん も、 先 日 大 阪 芸 大 で 行 わ れ
卒業生でライトノベル作家の八薙玉
なった方もいるほどだ。出口ゼミの
たり、ライトノベル作家、落語家に
籍していた卒業生の進路も多岐にわ
取材してみたかった。出口ゼミに在
漫才の台本を合評する様子は、是非
才・ ド ラ マ の 台 本 ま で あ る ら し い。
小 説 は も ち ろ ん の こ と、 落 語 、 漫
ゼ ミ で の 提 出 作 品 は 多 種 多 様 だ。
る因果関係がよく分からない﹂
たところも、切り捨てるのではなく、
た特別授業で﹁出口ゼミは風通しが
学生に出口先生について尋ねると、
﹁この表現だと状況が分かりづらい
一緒に悩んでくれる﹂
ギスしているわけではない。先生も
び交う。だが、ゼミの雰囲気がギス
しまいそうな厳しい言葉が幾度も飛
見つけてもらいたい。そのアドバイ
かくやりたいことをできるだけ早く
あるテーマや事柄、ジャンル、とに
﹁自分の好きなこと、自分の興味の
縛られなくて⋮⋮。オープンなスタ
﹁さまざまな科目があって、専門に
昔から変わっていないようである。
出 口 ゼ ミ の 和 気 藹 々 と し た 気 質 は、
良くて恵まれていた﹂と語っていた。
学生も真面目に作品を読み、批評す
スやサポートをできるようにしてい
先生も、自身の心がけをこう語る。
る。批評された学生も真面目に返す。
ます﹂
いう想い以外は存在していない。だ
そ こ に﹁ 作 品 を よ り 良 く し よ う ﹂と
サポートする。語られたとおりのそ
学生と真剣に向き合い、徹底的に
う語る出口先生。不満点についても
大阪芸大の文芸学科について、こ
イルが良いところじゃないかなぁ﹂
お 互 い が 一 〇 〇 パ ー セ ン ト 真 剣 で、
自分が言われたら顔が引きつって
ので、変えてはどうか﹂
ざまな箇所を指摘している。一人一
056
一年間という形で作られなければい
思っています。授業を開くとなれば、
業を行うことはできないのだろうか。
先生は現状に不満は感じていない
けない。学生は進級したり卒業した
聞 い て み た が、
﹁とくにはないです
様子。しかしゼミの学生は、文芸学
り、一年間が終わるとどんどん変わ
そう思い、出口先生に尋ねてみた。
科に必ずしも満足しているわけでは
ね﹂との答えだった。
ないようだ。
っていきますから⋮⋮。そう考える
﹁お互いの意欲が高まればできなく
﹁自由なところは、文芸学科の良い
と、不可能ではないが、厳しいでし
﹁文芸学科の理想形がこうだ、と決
点だと思います。いろいろな先生が
ょう。スケジュールが先に立ってし
はないですが、そう簡単ではないと
手助けしてくれるので、意欲的であ
まって、時間がないから次へ次へと
まっているものでもないので﹂
ればとても勉強ができるところだと
現状を改善するきっかけがあるので
他学科との関わりが薄い文芸学科。
を聞いているだけでは能力も上がら
では、小説家志望の多い文芸学科
しいようだ。
は、と思い伺ってみたが、現実は厳
学生の方がこの問題は敏感に感じる
出口先生は演劇、戯曲を専攻され
るのか。インタビューの最後に尋ね
の魅力を、出口先生はどう考えてい
ではあまり馴染みのない演劇、戯曲
ている。大阪芸大には舞台芸術学科
てみた。
のだろう。
があるが、そことタッグを組んで授
そして学生は扉をたたく
学生の意識低下が目立つ文芸学科。
ない﹂
ないとなにも身につかないし、授業
いう形になってしまう﹂
文芸ゼミ訪問
思っています。ただ、自分から動か
057
することだと思います。映画が言葉
﹁演劇の魅力は言葉を使って何かを
芸大文芸学科で重要な役割を担って
は、自由奔放な学生が多いこの大阪
た。書きたいものが書ける出口ゼミ
藝大我樂多文庫 第七集
と映像でできているように、演劇は
︵文/井上大貴 写真/三枝翔子︶
いるに違いない。
広げたい﹂という思いが伝わってき
じ て、
﹁学生自身の幅をできるだけ
か る。 出 口 先 生 と の や り と り を 通
生のことを考えてくれる先生だと分
た学生二人の話を聞いていても、学
授業後、インタビューに応じてくれ
ーに応じてくれた出口先生。ゼミの
ニコニコと終始笑顔でインタビュ
を書く! って、道を限定しなくて
もいいじゃないかと、そう思います﹂
学科だからって、全員が全員、小説
ばいいんじゃないでしょうか。文芸
言葉を何かに使うことを考えてみれ
んばらなければアカンって考えずに、
ます。そういう人は、言葉だけでが
に限界を感じている人がいると思い
何かが好きな人、言葉だけでの表現
芸学科の学生の中にも、言葉プラス
言葉と俳優の体でできています。文
058
山田兼士(やまだ・けんじ)
1953 年、岐阜県生まれ。関西学院大学文学部仏
文科卒。同大学院文学研究科博士課程満期退学。中
原中也の会、ボードレール研究会の会員。高階杞一、
四元康祐、細見和之らとともに季刊詩誌「びーぐる
─詩の海へ」編集同人。フランス近代詩を専門とす
るが、中原中也、福永武彦、小野十三郎、谷川俊太
郎など日本の近現代詩人も研究対象とする。
言葉で紡ぐ、
言葉で伝える
私もいくつか山田先生の授業を受け
成しており、合計三十篇を目指す。
け、詩集を制作中。現在十篇まで完
品を提出した学生は、卒業制作に向
たことがあるが、先生はかなり温厚
最初に合評されたのは、戦争を扱
山田ゼミは詩を学べる唯一のゼミ。
でのんびりとしていて、話し方は子
った作品。戦争から帰ってきて、ト
なった老人の姿が書かれており、短
守唄のように柔らかいという印象を
いがとても印象的な作品だった。
ランプの大富豪のことしか喋れなく
ゼミ室の空気もまた穏やかで、ピ
抱いていた。
ンと張りつめた堅苦しい雰囲気はま
朗読後は、まず先生が作品に対す
る意見を述べる。
るでなかった。みんな楽しそうに雑
談をしている。授業が始まると、そ
﹁具体的に時代や場所を決めた方が
モチーフになっているから、舞台を
れぞれが書いてきた作品を提出する。
アメリカにするのも面白い。舞台を
良いね。具体的な戦闘機の名前を出
私も作品を読んでみたが、やはり
日本に設定する場合は、花札やカル
和やかな空気を保ちながら、合評が
詩は面白い。何を題材にして書いて
タのような日本らしいモチーフを練
してもいいし、トランプの大富豪が
いるのか、どういう気持ちで書いた
り込むのもいい﹂
始まった。
のかは本人しか分からないことだが、
そして、先生のアドバイスを受け
読み手はそれを自分の頭の中でそれ
ぞれに想像し楽しむことができる。
た学生もそれに答える。
﹁ 作 中 に﹃ 革 命 を お こ し た い ﹄と い
合評で一つの作品にかけられる時
間は約二十分。提出された作品は先
う言葉を残したいのなら、カルタな
文芸ゼミ訪問
生が一つずつ朗読していく。今回作
そして学生は扉をたたく
059
山田ゼミ
ら、
﹃○○なる対話﹄のようなタイト
藝大我樂多文庫 第七集
どのモチーフと合わせるのは難しい
ルにするのもいいかもしれない﹂
それから話は、オーブンと冷蔵庫
無機物における性別のイメージを決
授業後、学生にゼミの魅力を尋ね
てみた。
﹁先生の私物である詩集がとても多
いから、参考図書が充実しているの
は魅力ですね。気になる詩人がいた
が良い。あとはもっと状線が欲しい
う。もう少しスピード感があった方
﹁もっと短くしてみては? 饒舌す
ぎるとこの詩は白々しくなってしま
合評も非常に活発だった。
説のような面白い試みで、朗読後の
ったと明らかになる。まるで掌編小
話していたのが冷蔵庫とオーブンだ
ら れ て い た。 一 口 に 詩 と い っ て も、
のにするヒントがたくさんちりばめ
いようにする﹂など、作品を良いも
決定をする﹂、
﹁詩は声に出しても良
たせる﹂
、
﹁言葉を変えることで意思
トを入れる﹂、
﹁タイトルに含みを持
業 の 中 に、
﹁作中の三分の一でヒン
意見をまとめてくれる。三時間の授
授業の最後には、先生がすべての
思うんですよね。もちろん最終的に
切にするお手伝い。それができると
﹁作品の推敲を合理的に素早く、適
る上で心がけていることを尋ねた。
続いて山田先生に、学生を指導す
も好きですね﹂
せず、結構気楽に合評できるところ
絶対に楽しいゼミです。気負ったり
が で き る の で、 詩 が 好 き な 人 な ら、
詩というものに積極的に触れること
らすぐに勉強ができるし、先生が参
ね。冷蔵庫とオーブンの性別は、逆
いろいろな書き方や形式がある。先
判断するのは本人だから。アドバイ
能動性、受動性など、話はさまざま
の方が良いかも﹂
生からのアドバイスはもちろん、学
スですよ。あくまでも学生主体です
単なる男女の会話が描かれた作品に
﹁作中の﹃人﹄という言葉を、
﹃ヒト﹄
生 間 で の 意 見 の や り と り も 新 鮮 で、
ね﹂
考 に 貸 し て く れ る こ と も 多 い で す。
に変えてみるのは?﹂
お互いに良い刺激になるのではない
な方向に展開していった。
﹁ タ イ ト ル が﹃ 対 話 篇 ﹄な ら、 連 作
かと感じた。
また、授業の一環としてやってみ
の方が良いのでは。もし一篇だけな
思 え る の だ が、 読 み 進 め て い く と、
人の対話形式で書かれていた。一見、 め る も の は 何 か、 そ の 使 用 方 法 や、
次に合評された作品は、全編が二
つ学生の悩みや躓きを解消していく。 の 持 つ 男 性 性、 女 性 性 に も 及 ん だ。
しばらくやりとりが続き、一つず
のでは?﹂
060
かね﹂
たとえばみんなでアンソロジー集と
よ。詩集まではいかなくていいから、
﹁詩を書いて、その発見を載せよう
たいことも尋ねてみた。
書 く 人 も 戯 曲 を 書 く 人 も、 最 低 限、
﹁これはよく言うんだけど、小説を
で尋ねてみた。
ういったものなのか、一歩踏み込ん
詩が果たすことのできる役割とはど
あ と、 み ん な で 作 品 を 持 ち 寄 っ て、
手。宮沢賢治ゆかりの地に行きたい。
かに行くとか。私が行きたいのは岩
﹁やってみたいかも。みんなでどこ
する。
ってことが、言葉を使うあらゆる仕
優れた詩を読んで言葉の感覚を磨く
習 慣 の 問 題 で も あ る し ね。 だ か ら、
すから。丁寧に言葉を扱うっていう
ろんなところに繫がっていく基本で
るのね。詩の言語っていうのは、い
詩は読んで欲しいといつも思ってい
ひとつのものを作るっていうのはし
事において必ず有意義になると思い
そんな先生の提案に、学生も賛同
てみたいですね。とりあえずみんな
読んで欲しいなと思います。そうい
だけじゃなくてね、いろんなところ
周りにいた学生たちも頷く。やは
ところで詩といえば、小説に比べ
で詩に触れて欲しい。それで質問と
う機会をできるだけ広く持ちたいと
て馴染みのない人が多いのではない
か、書いてみたから読んでほしいと
り誰かと共同で作品を作ってみたい
だろうか。小説家志望の学生は多い
か、そういうことがあればいつでも
思っているし、授業で取り扱うもの
が、詩人志望というのはなかなか耳
対応します﹂
そして学生は扉をたたく
にしない。そんな大阪芸大において、
と思っている学生は多いようだ。
ます。だから、今のうちに徹底して
文芸ゼミ訪問
で作品を作りたいです﹂
061
調子で応じてくれた山田先生。先生
インタビュー中も終始、穏やかな
れた。最後まで和やかな雰囲気を持
微笑みながら先生はそう答えてく
だけ親密にやっていきたいですね﹂
藝大我樂多文庫 第七集
は﹁ 山 田 兼 士 の 研 究 室 ﹂と い う ホ ー
︵文・写真/吉田菜生︶
ったゼミであった。
推敲のお手伝いというのを、できる
バイザーというか、具体的に言えば、
そのためのサポーターというかアド
仕 上 げ て ほ し い と 思 い ま す。 私 は、
夫、って自信を持てるようなものを
れだけのものを書けたんだから大丈
もの、卒業後も時々振り返って、こ
れはいい作品になったな、と思える
だから。自分で読み返してみて、こ
今、そのための努力をしているわけ
を仕上げてほしいですね。それぞれ
きるような、自分の納得できる作品
﹁まずは、ある程度の目標を達成で
ねてみた。
最後に、ゼミでの今後の目標を尋
すすめしたい。
いるのだが、すごく癒されるのでお
トも持っている。私もフォローして
ムページや、ツイッターのアカウン
062
宮内勝典(みやうち・かつすけ)
1944 年、ハルビン生まれ。1979 年、
『南風』で
文藝賞受賞。1981 年、
『金色の象』で野間文芸新人
賞受賞。2006 年、
『焼身』で読売文芸賞、芸術選奨
文部科学大臣賞受賞。2011 年、
『魔王の愛』で伊藤
整文学賞受賞。ほかに『グリニッジの光りを離れて』
『ぼくは始祖鳥になりたい』など。ニューヨークを中
心にアメリカで 13 年間暮らし、世界 70 か国以上
を歩いた。
ペンは強し、
大芸小説道場
﹁これだけでは主人公の心情が分か
は﹂
いていたので、授業前の和やかな様
りにくい。もっと主人公の人柄につ
宮内ゼミは厳しい。事前にそう聞
子に胸を撫で下ろした。学生たちは
もちろん中には賞賛や感嘆の言葉
いて踏み込んだ描写が欲しい﹂
咲かせている。教室に入ってきた宮
もあったが、改善を促す指摘の方が
至って穏やかな雰囲気で雑談に花を
内先生も、授業の始めに軽い雑談を
の合評作品の一部が作者自身によっ
は一変する。宮内ゼミでは、その日
いつかなかった。ゼミの学生は事前
りで、指摘する箇所などほとんど思
いる間、巧みな文章に感心するばか
正直なところ、私は朗読を聞いて
圧倒的に多い。
て朗読されるのだが、朗読が始まっ
に配られた作品を読み込んできてい
しかし、合評が始まるとその空気
して場を和ませた。
た瞬間、教室に漂う空気が一気に引
鋭さには驚かされた。他の授業で行
き締まった。凜とした静けさからは、 るとはいえ、その指摘の細やかさや
文章への意気込みがひしひしと伝わ
しかしこの日の合評は、普段と比
う短時間の合評とは明らかに違う。
作品の朗読が終わると、今度は活
べればかなり穏やかな方だったらし
ってくる。
気のある合評が始まった。先生に指
学生からの指摘の方が厳しいことも
名された学生が、順に意見を述べる。 い。なんでも、先生からの指摘より
﹁回りくどい表現や、説明的な部分
あるそうだ。
ほとんどが作家志望である宮内ゼ
が気になる﹂
﹁この一文は誰でも書けそう。もっ
ミの学生は、文章の細部に至るまで
文芸ゼミ訪問
と突き詰めた表現の方がいいので
そして学生は扉をたたく
063
宮内ゼミ
魅力が宿っているのだろう。
箇所にこそ、純文学ならではの深い
一切の妥協を許さない。そういった
に見えない熱いものを摑み、それを
なものを書いておいた方がいい。目
るのは簡単だから、今のうちに強烈
を出してもいい。強烈なものを薄め
﹁このゼミでは、どんな強烈な作品
ゼミでは歓迎される。
密な時間を過ごすことができた。
に自ずと背筋が伸びる、なんとも濃
なっていた。見学していただけなの
私もすっかり授業に参加した気分に
藝大我樂多文庫 第七集
宮内先生がそれらを総括する。一文
文章の中に下ろすことが大切﹂
い合評が行われている。
を求めて、宮内ゼミではいつも厳し
には摑めない。真の熱を持った言葉
触れると熱い文学の言葉は、簡単
﹁宮内先生は、もちろん文章に関し
な様子で答えてくれた。
んでいた学生たちは、とても穏やか
と、先ほどまで真剣な顔で合評に臨
ミはどんなゼミか尋ねてみた。する
授業を終えた学生たちに、宮内ゼ
三時間の授業見学を終える頃には、
目の入り方、舞台や時間経過の設定、
旅してきたことや、その中でさまざ
﹁まず小説の言葉としてなっていな
ては厳しいけど、すごく優しいです。
言がなされ、作品のテーマに即した
まな体験をしてきたことは文芸学科
い。文章に対する考え方を、根本か
批判される時も、
生の話に感銘を受けたという学生も
は強い刺激になっている。実際、先
先生が語る壮絶なノンフィクション
フィクションを書く学生にとっても、
﹁でも、このゼミの人はみんな通っ
葉はこう続く。
ぱりとそう言った。しかし、その言
生の作品に対して、宮内先生はきっ
取材の日、初めて合評を受けた学
を
では、宮内先生は学生たちをどう
の優しさがある。学生たちはそう口
宮内先生が若い頃から世界各国を
先生の体験談なども語られた。
生の間でもよく知られている。また、
ら変えなきゃいけない﹂
多く、涙ながらに話を聞いた学生も
てきた道。ここで腐らず、謙虚に他
見ているのだろうか。文章を磨くコ
えた。
宮内先生の言葉には、厳しさ以上
親身になって話をしてくれます﹂
り は 諭 さ れ る と い っ た 感 じ で す し、
いるという。
人の意見を受け止めれば、必ず伸び
ーチとしてこれまで多くの学生を指
や深刻な題材を扱った作品も、この
だからこそ、実話を元にした作品
るから。がんばれ!﹂
られるというよ
それらの話は先生の著書にも詳しい。
学生の意見が一通り出たところで、
タイトルについてなど、具体的な助
064
﹁大学ののんびりした四年間ってい
す四年間の価値をこう語る。
導してきた宮内先生は、大学で過ご
危機感に欠けている。しかし、そう
のんびりしていて、あらゆる意味で
ば、やはり山の上にある大阪芸大は
そして過去には宮内ゼミから、す
そうに話してくれた。
内先生の大ファンだったのだと嬉し
上げる学生も生まれている。そうい
ばる文学賞、新潮新人賞、SF評論
った教え子たちの活躍を見ることは、
いう穏やかな時間や空間こそが文学
宮内先生は長年、文芸復興への思
指導者としての宮内先生にとって最
うのは、いわば永遠性のある時間で
いを掲げ、大阪芸大を含む多くの大
部門の新人賞など、輝かしい成果を
や哲学的なことを考えたり、恋愛を
学で若い世代を指導してきた。執筆
も喜ばしい瞬間だ。
を育むこともある。
したり、そういう時間が人生には必
という孤独な作業の合間、学生と触
﹁学生たちには、卒業後も十年は書
しょう。本を読んだり、生きる意味
要なんだよね﹂
れ合うことは、先生にとっても貴重
き続ける意欲を持ってほしいです﹂
都会の真ん中にある大学と比べれ
な刺激だ。また、若い世代と関わる
その力強いエールは、学生たちに
もきっと届いている。
中で、現代の若者の間に漂う闇にも
気付かされたという。若者を見つめ
卒業生の女性が一人、授業に参加し
続けている学生がいる。取材の日も、
挑む学生はもちろん、卒業後も書き
宮内ゼミには、在学中から公募に
大阪芸大が誇る小説道場、宮内ゼ
ち、言葉と真摯に向き合うからだ。
さないのは、文学への深い敬意を持
優しさと表裏一体である。妥協を許
違いはない。しかし、その厳しさは
宮内ゼミは厳しい。その言葉に間
ていた。その方は、就職後も忙しい
ミ。文学の未来を創る文芸復興の種
る宮内先生の目は鋭く、暖かい。
仕事の合間に書き続け、休日などに
は、ここから芽吹く。
︵文・写真/三浦かれん︶
時折、大阪芸大まで足を運んでいる
文芸ゼミ訪問
という。話を伺うと、在学中から宮
そして学生は扉をたたく
065
!
撃
突
業
授
の
るあ
大阪芸術大学文芸学科の授業カ
リキュラムは、当然のこと文学に
関 わ る も の が ほ と ん ど を 占 め る。
その中には、文芸ではない他の学
科から担当教員を招いて開講され
ている授業や実習もいくつか存在
する。総合芸術大学ならではの特
色だ。今回我々は、そんな授業の
中から三つをピックアップし、潜
入取材を試みた。
気にな
藝大我樂多文庫 第七集
ブックデザイン 駒原稔子先生
大阪芸術大学文芸学科には、一年をかけて絵本を作る
本作りに不安を感じる人もいるだろう。しかし駒原先生
科の学生と違って、文芸学科生の中には絵が苦手で、絵
ればならない。駒原先生が普段指導しているデザイン学
ラストを描き、製本や装丁の作業まですべてを行わなけ
絵本を仕上げるためには、文章を書くだけでなく、イ
上げる。
ットを使って、世界に一冊だけのオリジナル絵本を作り
や花布の色は自由に選ぶことができる。受講生はこのキ
まる。大きさは基本的にB5で統一されているが、表紙
この授業はまず、絵本キットを購入するところから始
るデザイン学科の駒原稔子先生にお話を伺った。
今回はブックデザインの授業を見学し、講義を担当す
の人にとって、絵本は言葉に触れた原体験となっている。
いという学生も多いのではないだろうか。しかし、多く
うに思われる。幼少期以来、ほとんど絵本に触れていな
はいたってシンプルで、一見、文芸との関わりは薄いよ
ブックデザインという授業がある。絵本で使われる言葉
066
と朗らかに告げた。
は、
﹁絵が下手だと気にする必要はまったくありません﹂
ことができる。
ていた。絵の技術がなくても、充分に絵本を作り上げる
貼り合わせた小さな紙に、いくつかの丸が描かれただけ
の﹁丸だけの絵本﹂というトレーニング課題だ。折って
えった文芸学科生たちがどのような絵本を作り上げるの
大人になって聞くと新鮮な響きを持っている。童心にか
絵本を読み聞かせてくれる。懐かしい絵本の言葉たちは、
そして授業の冒頭では毎回、駒原先生が選りすぐった
の本を作り、そこに物語や文章をつけていく。なんだか
か、完成が楽しみである。
そ の 言 葉 を 裏 付 け る の が、 本 番 の 絵 本 作 り に 入 る 前
難しそうに思えるが、そこは想像力が武器の文芸学科生。
▪駒原先生インタビュー
丸を擬人化したり、詩的な言葉を添えたり、黒丸をパン
ダの模様に見立てたり、単なる丸に各々のストーリーが
﹁読み手の視点に立ち言葉を選ぶ﹂
はいけません。
せん。時には﹁死﹂のような怖いものだって見せなくて
しいことばかり与えられて成長していくものではありま
中には、怖いテーマを扱う絵本もあります。人間は楽
子どもにとって遊びのひとつです。
使ったボードブック。これはめくるという行為自体が、
かもしれません。たとえば、ボード紙という分厚い紙を
きやすい内容かな、とは思います。遊び道具に近いもの
の関わりを持たないから、家族との関わりが一番とっつ
││子どもはどんな絵本を好みますか? 子どもは知らないものは理解できません。まだ世間と
与えられていく。どれも個性的で面白い作品に仕上がっ
突撃! 気になるあの授業
067
││絵はなるべく子どもの目線で描かれているのです
か?
子どもの視点で描くことは必要ですね。大人になって
から、子どもの視点に戻るというのは難しいでしょうが、
子どもの背丈になって一日を過ごしてみると色々見えて
││子どもを惹きつける絵本を作るには、どうすれば
くるのかもしれません。
いいですか? 物語の中で、起承転結の転の部分に予想外の展開を作
るなど、意外性が大事です。キャラクターや設定に意外
性があるのも面白いですが、それをどういう風に持って
行くのかがポイントです。
藝大我樂多文庫 第七集
││擬音語や擬態語が多く使われていますが理由はあ
るのですか? たとえば、
﹁食べているよ﹂と言うよりも﹁もぐもぐ﹂と
り持つことも重要ですね。あとは行動力も大切です。た
文章を真似するのもいいですが、自分のテーマをしっか
うか?
まず、たくさん本を読むこと。それから好きな作家の
││文章力を向上させるにはどうしたらいいのでしょ
私も以前これを読んだときは、勇気をもらいました。
ーエバー・ヤング﹄を元に作られた絵本﹃はじまりの日﹄。
しんでほしいです。あとはボブ・ディランの名曲﹃フォ
これは読む時々で違った捉え方が出来るので、それを楽
││学生に読んでもらいたい絵本はありますか? シェル・シルヴァスタインの﹃ぼくを探しに﹄ですね。
独創的かつやさしい文章を書けるんだと思います。
境で育った方で、たくさんの苦悩があった。だからこそ、
ン﹄や﹃うそつきのつき﹄を書いておられます。過酷な環
││尊敬している方はいますか?
内 田 麟 太 郎 さ ん で す。 童 話 作 家 で、
﹃さかさまライオ
味では、語彙力のある文芸学生は強いと思います。
その場面にいちばん的確な言葉があります。そういう意
言う方が、子どもには伝わりやすいです。絵本に限らず、
068
とえば絵本作家のなかには、ライオンを描くためにアフ
リカまで本物を見に行く人もいます。これは文章におい
ても同じで、本物を見ようとする努力は重要だと思いま
す。
シナリオ制作 西岡琢也先生
シナリオ制作は木曜日の一限目、三十人前後で授業が
行われる。ドラマや映画に欠かせないシナリオを、映像
り上げる。文芸学科生にとって、書くという行為は慣れ
シナリオは映像の分野でありながら、言葉を紡いで作
学科の西岡琢也先生に教わるのだ。
これまでは、絵本は子どもが読むもの、というイメー
▪あとがき
ジがどうしても拭えなかった。しかし、取材をしている
品を書く上でも大切なことである。もし創作で悩むこと
読者のことを考え、丁寧に言葉を選ぶことは、どんな作
言われることはない。授業ではシナリオの書き方を学ん
ぶ。演習だからといって、いきなり﹁はい、書いて﹂と
前期では全体授業が中心となり、シナリオの基礎を学
と、我々が絵本から学ぶことの多さに驚かされた。特に、 親しんだものではあるが、小説や詩とは勝手が違う。
があったら、もう一度初心にかえって、大好きだったあ
だり、優れたシナリオを読む。
転結をしっかりつけ、大胆な見せ場や疾走感なども盛り
くので、題材選びは重要だ。限られた文字数の中で起承
となっているのだ。約三十分程度のドラマを想定して書
してシナリオを一本完成させることが、単位取得の条件
同時に作品の題材選びも行う。この授業では、一年を通
ながらシナリオとはなにか、理解を深めていく。それと
先生が積極的に質問し、学生が答える。言葉を交わし
﹁どのシナリオが良いと思った?﹂
﹁このシナリオ、読んでみてどうやった?﹂
の絵本を開いてみるのもいいかもしれない。
駒原稔子──一九五八年生まれ。京都府出身。成安
女子短期大学意匠科(現・造形芸術科)イラスト専
攻卒業。イズミデザイン(現・株式会社妖精村)を
経 て、 ス タ ジ オ・ オ コ マ を 主 催。 幼 児 教 育 編 集 ア
ド バ イ ザ ー、 大 阪 芸 術 大 学 デ ザ イ ン 学 科 非 常 勤 講
師、KIP(関西イラストレーターズポイント)代
表。
『半月劇場』
『ほらふきだんしゃく』他、数多く
の作品の挿絵を担当している。
︵文/阪上万月・三浦かれん 写真/吉田菜生︶
突撃! 気になるあの授業
069
込む必要がある。
全体授業終了後、プロットを書きはじめる。面談を行
い、通ればいよいよシナリオに⋮⋮となるのだが、そう
うまくはいかない。
﹁これだと二時間ものになるよ。もっと削らないと﹂
﹁主人公の気持ちが、君にわかるか? 深く感情移入で
きないなら、書き上げるのは無理だと思うよ﹂
一切妥協は許されず、厳しい意見をもらう。プロット
がなかなか通らず、単位取得を諦める学生が多いのも事
実。だがその悔しさをバネに﹁何が何でも最後まで書き
藝大我樂多文庫 第七集
作品制作に大いに活かされるだろう。
シナリオ制作は厳しい。だがその厳しさは、その後の
の底からほっとするはずだ。
最終日。先生の﹁うん、これでいいよ﹂という言葉に心
無事シナリオが完成するのは、ほとんどの学生が授業
いながらも楽しくなってくるのではないだろうか。
する、カメラが動く、映像が作られる。そう思うと、辛
と向かっていく。自分のシナリオをもとに俳優が演技を
毎時間具体的なアドバイスをもらい、だんだん完成へ
て﹂
﹁せっかくのシナリオやから、もう少し広い世界を書い
﹁風景描写が甘い﹂
を繰り返す。
シナリオを書き始めてからは、完成まで書いては面談
となる。
奮起する学生もいる。後期からはそういった学生の戦い
上げたい﹂
﹁一度くらい先生に認めてもらいたい﹂と思い、
070
﹁文芸生、本読みや!﹂
▪西岡先生インタビュー
している。それで毎年思うのは、文芸って極端にバラン
地味やな。まず俺は七年程、シナリオ制作という授業
に話さない。去年は元気のいい子がいたから授業は進め
ス悪い子がいるよね。それが割と印象的。それと、本当
││まず、先生は何故シナリオの道にすすまれたので
ても黙っている。それと一人ずつが孤立している。たと
やすかったけど、今年はまったく。なんか質問、と言う
すか? それは古い話で⋮⋮。井筒和幸さんって監督は知って
えば授業前は雑談していてもいいでしょう? でも、誰
出資で、徳間文庫からノベライズを出すことになってね。
作ったんだ。それだけではなく、徳間さんというかたの
な時に僕がシナリオを書いて、井筒さんが監督で映画を
っぱり監督になりたい気持ちのほうが大きかった。そん
勉強していたけれど、助監督として現場にいたぶん、や
ん書いたな。でも僕は監督になりたかった。シナリオも
き過ぎているんじゃないかな? ものを書くことって、
シナリオに限らず小説の世界も一緒で、外に関心がない
業だから、非常に楽ではある。でも、あまりにも内に向
課題を出しても持ってくるし。映像学科はそうはいか
ない。その点に関してはシナリオも一緒。ものを書く作
文芸はやりやすい。君達は書くことは苦ではないやろ?
まったく違う。シナリオを教える、書いてもらうには
││やはり映像学科の学生の雰囲気とは違いますか。
も何も話さない。それを咎める気はないけどね。文芸学
井筒さんとは君達くらいのときに知り合った。
井筒さんが監督、僕が助監督でね。ある日、井筒さんに
科に来た人たち共通のものなのかな。
それを書き上げたのもきっかけの一つではある。その頃
と書けないよ。外に色々落ちているから。外に出て行こ
いる?
﹁ お 前 も シ ナ リ オ も 書 け ﹂と 言 わ れ て、 そ こ か ら た く さ
からシナリオでも注文が来るようになっていたというの
に特徴や違いはありますか?
特にはないよ。でも文芸の子のほうがネタを持ってい
││では、映像学科と文芸学科の学生が書くシナリオ
うというのが感じられないな。
もあるね。それで、ずるずるっとそのまま。
││そうしていま、こうしてお話が伺えているんです
ね。
それで、地味な文芸学科について話せばいいの?
││やっぱり地味ですか、文芸学科生。
突撃! 気になるあの授業
071
るかな。自分が小説で書いているものをシナリオにしま
すって言う子が結構いる。だから書くものがありません、
っていうのは映像学科よりは少ないね。それは日々創作
というものを考えているからかな。でも映像学科は、シ
ナリオだけではなくてカメラ・監督・美術・特撮とか、
色々なパートに分かれている。それでも火曜日はシナリ
オしかほとんど授業がないので、取らざるを得ないよう
になっている。エントリーはするけど、最後までいく人
は非常に少ないね。映像は書きなれてない。物語をどう
作っていいかわからないのかな。その差はあるよ。
││文芸生ならではの強みですね。
書くことに関してはね。決してうまくはないけど、そ
たら駄目。文芸生、本読みや!
学映像学科教授。
︵文・写真/鈴木歩実︶
ビュー。日本シナリオ作家協会理事長、大阪芸術大
大学法学部卒。助監督を経て、一九七九年に脚本デ
西岡琢也──一九五六年生まれ。京都府出身。関西
ほんの一部から選んだものや。そんなことで満足してい
藝大我樂多文庫 第七集
エディトリアル演習Ⅱ 福江泰太先生
雑 誌 が 二 つ あ る。 ま ず は 本 誌﹁ 我 樂 多 文 庫 ﹂。 そ し て
もう一つが現役の編集者でもある福江先生が受け持つ授
業、エディトリアル演習Ⅱの中で制作される﹁藝大びよ
り﹂だ。
﹁藝大びより﹂はエンターテインメント性・サブカルチ
ャー性に長けた雑誌であり、ページ数は少なめだが、全
頁カラー印刷の意欲作だ。自主性の高い授業だからこそ、
学生たちの個性や嗜好が色濃く出ているのも特徴である。
今回はそのエディトリアル演習Ⅱの授業を見学し、また
担当の福江先生にお話を聞いてきた。
図鑑﹂班。大阪芸大内では奇抜なデザインのリュックを
さて、その二つの企画のうち一つは﹁リュックサック
のぶん学生一人一人の責任も大きくなる。
て学生の自主性に委ねられている。自由度も高いが、そ
福江先生の助言は最低限にとどめられており、あとは全
その企画ごとに分かれ、それぞれで作業を進めていく。
今年度は大きく二つの企画が誌面を飾る。学生たちは
読んでいるか? 好きな本はあるか? もし好きな本が
あったとしても、それは限りなくたくさんある本の中の、 ▪ひとりひとりのやる気がカギ
れはあとからついてくるから。それよりも、君達は本を
072
背負っている人が多い。その調査を徹底的にやってみよ
得意とするキャラクター造形学科生も受講している。学
ないが、エディトリアル演習Ⅱはイラストやデザインを
まだ記事になる前のラフ画段階だが既にクオリティは
う、というわけだ。夏休みに入る前はスナップ撮影の進
夏休み明けの授業ではかなり企画が練りこまれていた。
高い。実際に発行された際のデザインはさらに洗練され
生それぞれの強みを発揮できる絶好の機会だ。
統計担当や実際に外に出て取材する担当など、仕事はし
たものになるだろう。完成が楽しみだ。
行などおおまかな予定しか決まっていなかったようだが、
っかり振り分けられ、分かりやすく効率がよい。
もう一つのグループは、大幅な企画の練り直しの最中
もうそろそろ記事の執筆に入る頃であろうが、この段
階になっても﹁こうすれば楽しいんじゃないか﹂と、あ
として何を取りあげた
であった。福江先生が﹁みんなは今、何が気になってい
た面白いコーディネート
いのか、ではなく個人
ちこちから斬新な意見が飛びかう。
﹁リュックサックそ
を考えてみたい﹂などと
として何が気になって
るのか﹂と学生たちに質問する。なるほど、雑誌の記事
アイデアは尽きないよう
いるのかを聞くことで、
のものの歴史について調べてみたい﹂
、
﹁リュックを使っ
で、学生たちの楽しそう
もっとも素直な学生の
しいレイアウトにするこ
く、しかも読んでいて楽
訳ではない。雑誌であ
がそのまま企画になる
意見を言い合い、それ
もちろん好き放題に
るのかもしれない。
意志を知ることができ
な顔が印象的だった。
カラー印刷であること
とが必至だ。文芸学科生
る以上は常に読者を想
を活かし、目に入りやす
だけでは難しいかもしれ
突撃! 気になるあの授業
073
定 し な け れ ば な ら な い。
﹁ 藝 大 び よ り ﹂は 実 際 に 出 版 さ
れ本屋に並ぶわけではないが、そこに妥協はしない。一
人一人が出した意見を取り上げ、そこから話を発展させ
雑誌らしいテーマに結び付けていく。どのようなテーマ
で取材をしていくのか、この日のうちには決まらなかっ
ひととおり授業を見学した後は、担当の福江先生に更
たが、それは完成までのお楽しみとしておこう。
に詳しくお話を伺った。
▪福江先生インタビュー
「自分たちでつくる、ということ」
││エディトリアル演習Ⅱ︵以下エディⅡ︶とはどん
な授業ですか?
﹁藝大びより﹂という雑誌を一年間かけて作ります。で
も、これは選択の演習だから、学生がこの授業を受ける
動機はまちまちなんですよ。雑誌を本当に作ってみたい
という学生ばかりではありません。ですから、できるだ
け学生の興味を生かしたい。芸大生らしいユーモアやウ
ィットに富んだ部分が出ればいいなと思っています。
││先生はいつごろからこの授業を担当されているん
ですか?
藝大我樂多文庫 第七集
七年前からです。一番最初の号は発行までいかなかっ
時 に は 僕 が 驚 く よ う な も の を 作 っ て き て く れ る と こ ろ。
良い所は、それぞれのグループがうまく機能している
メリットや課題は何だと思いますか?
││エディⅡのように学生の自主性を尊重する授業の
くたって構わないわけです。
﹁結果﹂より﹁過程﹂が重要なので、雑誌として完成しな
したり、そういうグループワークがこの演習の目的です。
イデアを出しそれを形にするため、討論したり、取材を
す。雑誌を出すことは﹁結果﹂であって、自分たちでア
たんです。でも、刊行できない年があったっていいんで
074
積極的に舞台芸術学科や映像学科の授業へも参加すべき
しかし現在の文芸学科は選択肢が少なすぎる。創作を
悪いのは、手を抜いたり、サボる学生がいることです。
ープワークの場合はみんなの足を引っ張り、グループ全
志す学生にとっても、エンタメ系、ライトノベル系、純
です。学生自身が意欲的ではない面も感じますが。
体の意欲をそぐことになる。それは絶対に許せないので、
文学系、あるいは軽い文章を書くライター系といったよ
個人参加の通常授業なら自分だけの責任だけれど、グル
履修前に十分説明しますが、それでもサボる学生が出る
うにもう少し細かくジャンル分けをして、その道の専門
か?
とにかく楽しくやってもらって、達成感を持ってくれ
ような希望はありますか?
││授業を通して生徒にはこうなってほしい、という
家に教えてもらう方がいい。
のは残念です。
││文芸学科に、実習の授業は増えるべきだと思いま
どんどん増えるべきです。以前、学生を連れて東京の
れば嬉しいです。自分たちで一冊作ったことが自信に繫
す か? ま た ど ん な 授 業 が 増 え る べ き だ と 思 い ま す
出版社数社を訪問し、さまざまな現場の編集者に話をし
││先生ご自身の雑誌編集に対する想いを聞かせてく
がるわけですから。
印刷や製本、製紙を知るために工場見学を含めた実習は
ださい。
ていただいたこともありました。実際に今行われている
実現したいですね。知識を深めるだけでなく、将来への
僕は本来、書籍の編集者なので、まだまだ雑誌につい
て勉強しなくてはいけないと思っています。みんなが雑
ヴィジョンにも繫がる可能性があります。
また、総合芸術大学なので、他学科とのコラボを模索
││先生は﹁若者文化の世界﹂という授業で現代のエ
誌作りに取り組む姿を見ながら、僕も一緒に勉強してい
やってみたいですね。写真学科や映像学科とともに﹁視
ンタメ文化について詳しくお話をされていますが、そ
る、という感じですね。
覚イメージ﹂に﹁言葉﹂をそえる実習などは、広告表現に
れが出来るのは編集者として勉強してきたからです
デザイン学科のシルクスクリーンを組み合わせる演習も
は必須です。コピーライターやWebライターの養成は
か?
したい。文芸学科にある活版印刷機と美術学科の版画、
文芸学科でも十分可能です。シナリオを書きたい学生は、
突撃! 気になるあの授業
075
その授業では、サブカルチャーの登場した一九八〇年
代から現在までを対象としていますが、その時期は僕自
身の編集者としての歩みと一致していますので、ある程
度の文化史的な俯瞰は可能だとは思っています。僕には
君たちとほぼ同世代の娘がいます。娘が観ていたアニメ
や読んでいた漫画や小説なども、授業のネタにはなりま
すが、これらは﹁一個人としての体験﹂に過ぎないわけ
です。
だから毎週かなりの量の読書をし、新しい動向を知る
ための努力もしています。若者文化は生き物ですから、
常に動いています。その動きを読み解くに相応しいテー
マの立て方や切り口を見つけ、それを裏付けるためのデ
ータも探しています。また同時に、近世やそれより前の
時代、明治・大正・昭和期との対比も行っています。受
講生には、今自分が立っている﹁現在﹂がいったいどう
いう歴史的過程を経て生み出されてきたのか知ってもら
いたい。批評性をもって﹁自分の立ち位置﹂を知ることが、
あらゆる創作の基礎だと僕は考えています。
││では文芸学科生がもっと勉強すべきこと、努力す
べきことは何だと思いますか?
やはり日本語を大切にすることではないでしょうか。
文学を志すなら、言葉に対して繊細であってほしいと思
藝大我樂多文庫 第七集
い。
︵文/阪上万月︶
大阪芸術大学客員教授、法政大学兼任講師。
争×文学』
(全二十巻+別巻一)などの刊行に携わる。
を主宰。講談社文芸文庫、集英社『コレクション 戦
者。出版社勤務を経て、文学に特化した編集事務所
福江泰太──一九五七年生まれ。山口県出身。編集
ろうが、この体験は必ずどこかで活きてくるにちがいな
の感覚を研ぎ澄ましている。それぞれ進む道は違うのだ
由に作ることで、学生たちは他の授業では補えない自ら
る好奇心。エンターテインメント性に特化した雑誌を自
一瞬も留まることを知らない現代の状勢そのものに対す
文学の研究は欠かせない。だが、同じように大切なのは、
を志すうえで、かつての文壇に関する知識、あるいは純
文学とは、回顧する気持ちが重要な学問だ。文学の道
▪あとがき
います。
076
文芸学科生への手紙
文芸学科生への手紙
077
自分たちの居場所を見つめな
お す 今 号 の 総 特 集。
「文芸学科
とは?」漠然とした疑問を探る
べく、今回は長年教鞭をとられ
ている二人の先生に、先生方か
ら見た文芸学科そして私たち文
芸学科生とはどういうものかを
伺ってみた。文芸学科生に宛て
られたメッセージとは。
大阪芸術大学 芸術学部文芸学科 教授
美術史研究の道を志されたきっかけについて教え
笹谷純雄 先生 どんなに稚拙でも、
自分の文章は自分にしか書けない。
│
てください。
昔から、絵や彫刻を見るのが好きでした。けれど、そ
れを研究することが仕事に出来るとは思わなかった。最
初は趣味でした。理学部に入って、そのあと就職したん
ですが⋮⋮。忙しいんですよ、会社って。定年の六十歳
まで働いていたら、自分の好きなことが出来るのか? どうせなら好きなことをしようかな、そう思って会社を
理系から文系に変わることで、戸惑いはなかった
辞めて、文学部に入り直しました。
│
ですか? あまり戸惑いというか、違和感はなかったです。理学
部で最終的に選択したのが、動物学科で、先生は日高敏
隆という動物行動学の専門家でした。動物行動学にはヒ
トがどのような行動をするかを理解する為に、そのモデ
ルとして動物の行動を研究するっていう面があるんです
藝大我樂多文庫 第七集
に有名な作品も来たけど、僕はこの作品を見てびっくり
とかいう展覧会で、日本に来たことがあったんです。他
れ が、 僕 が 理 学 部 の 時 に た し か﹁ ヨ ー ロ ッ パ の 名 作 展 ﹂
一風変わった彫刻。ポガニーという女性の肖像です。こ
もうひとつは、ブランクーシの﹁ポガニー嬢﹂という
は思いますが、
﹁ミロのヴィーナス﹂は確かにそうですね。
の記憶だから、変形して、自分の中で美化されていると
れが彫刻に惹かれたきっかけかもしれないですね。過去
﹁ ミ ロ の ヴ ィ ー ナ ス ﹂を 見 て 不 思 議 に 思 っ た ん で す。 そ
だ小学校の低学年とか、もっと小さかったかもしれない。
ったんですよ。行列に並んで見たんです。たぶん僕がま
のヴィーナス﹂でした。昔、それが日本に来たことがあ
そ う い う の が や っ ぱ り 僕 に も あ っ て、 最 初 は、
﹁ミロ
な。
う本があるでしょう? その時に出会ったから、みたい
命的な出会いっていうのはあります。きみ達にもそうい
芸術分野で特に好きな作品などありますか? 難しいですね。ただ、好きというか、自分にとって運
│
いものがありました。
たんです。少なくとも、動物行動学と文系とは非常に近
な数学だとか物理だとか、そういうものとはだいぶ違っ
ね。もちろん、それだけではないですが。だから、純粋
078
した。
﹁なんか、わけがわかんない﹂って。でも、もの
ばきちんと調べようと思っていました。
くまで趣味の範囲で調べていて、時間にゆとりができれ
ところが、さっき言ったとおり、会社に入ってしまう
すごく惹かれた。恥ずかしいけれども、その時は、作者
のブランクーシのことも知らなかった。興味はあるけれ
と そ ん な 時 間 な い で し ょ う。 い つ ま で も﹁ ポ ガ ニ ー 嬢 ﹂
研究についての魅力はどのようなものがあります
決する、あるいは結論を導くために、いろんな資料を集
対象を明確に見定めて、問題を設定して、その問題を解
現在のように、自分に興味のあるものが出てきたら、
か? 研究についての魅力は、ふたつあります。
│
会わなかったら、たぶんこの道には入らなかったと思う。
の﹁ポガニー嬢﹂を取り上げました。もしこの作品に出
うと決めていた。それで修士論文で、このブランクーシ
ちんと勉強して、必要な文献をきちんと読んだ上で書こ
それでいこうと。大学院に入ったら、ルーマニア語をき
本の文献ってあまりないからね。とりあえず卒業の時は、
余裕はなくて、英語とか、フランス語で手いっぱい。日
ちゃならない。だけども、卒論の段階ではとてもそんな
きちんと研究するためには、ルーマニア語を理解しなく
ました。ブランクーシは、ルーマニア人なんですけど、
に編入学しました。卒論にはブランクーシの作品を選び
が気になっていて、結局、会社を辞めて文学部の三年次
ど、理学部だからきちんとした調査はできなかった。あ
略歴
一九八六年京都大学大学院美学美術史学専攻修士課
程修了。文学修士(京都大学)
一 九 八 六 年 か ら 八 八 年 福 井 県 立 美 術 館 勤 務。 そ の
後一九八九年から九〇年まで京都大学文学部助手。
一九九〇年から大阪芸術大学 芸術学部文芸学科 教
員を務める。
文芸学科生への手紙
079
めて、それを読んで、解釈して、自分の意見を書く。そ
してひとつの論文にまとめる。自分の立てた計画を実行
していく。それができあがっていくのは、魅力ですね。
みなさんが小説を書きたいと思って、構想を練って、迷
いながらも作品を仕上げ、っていうのに近いです。
もうひとつの魅力は、どんどん寄り道をしていくこと
です。つまり、興味あるものについての研究をやりはじ
めると、研究対象とは違った、他の道に逸れていくんで
す。時間的な制約があったりして、逸れた方にいけない
場合だってある。場合によっては諦めなきゃいけなくな
ったりするかもしれないけれど、余裕ができたらどんど
ん逸れた方へいってみる。そしたら全く違うものが見え
てくるかもしれないですね。
研究は、むしろそっちの方が魅力的かもしれない。若
いうちは、それなりにきちんとした論文を書いて、成果
を出して、っていうことがあるでしょう。でも、ある年
になったら、もう⋮⋮︵笑︶
。だから、好きなこと、昔の
自分が思いもしなかったことをやってみる。そして、迷
い込んでみる。元に戻るかどうかは分からないけれど、
それならそれでいいだろう。それが、研究の一番の魅力
大阪芸大で教鞭をとられて何年になりますか? ですね。
│
藝大我樂多文庫 第七集
平成二年からですから、二十四年くらいになりますね。
長くお勤めですね。大阪芸大の環境についてはい
先生からご覧になって、昔と今の学生の違いまた
がみんな本を拾ってくれた。これは別に文芸学科の学生
してしまったんです。そしたら、親切に周りの学生たち
行って、帰りにたくさん本を抱えてきたんだけど、落と
僕が最初に文芸学科に来た時に、図書館に本を借りに
ね。
でも、昔の方が、かなりいい加減な学生が多かったです
違うからね。まあ今も昔もいろんな人がいた、というか。
は文芸学科そのものの変化はありますか?
一概には言えないですけど⋮⋮学生一人一人の個性が
│
で、それは不便かなと思いますけどね︵笑︶
。
だから、僕は好きですよ。通勤には二時間弱かかるの
ないから。
がいいですね。都心でこんなに広々としているところは
屈に感じます。ここは田舎だから、広々としていて気分
会だったら、あんまりないですよね。都会はちょっと窮
です。雲があったり、山があったり、緑があったり。都
外の景色を見ながら話した方が、よく言葉が出てくるん
かがですか? 僕は授業をする時でも、カーテンと窓を開け放して、
│
080
ぎていったりとかね。だけど、大阪芸大では、周りの人
り気にしないで、落としたってほったらかして、通り過
大学ではなかったんですよ。みんな、他人のことはあま
だけじゃないけどね。そんなことは、今まで僕らがいた
たのかな。ある意味、吹き溜まりみたいな。そういう子
文章力からいうと、あまり高くない方の人たちが来てい
ころに来る学生っていうのは、独特だった。文芸全体の
は、文芸にあんまり関係ないでしょう。だから、僕のと
ない。一概には言えないけどね。今、文章の表現を担当
たちがみんな拾ってくれた。ある意味人なつっこくてね、 たちの書く文章だから、はちゃめちゃだったのかもしれ
親切で。なんて良いところだ、って思いました。
らないけれど、自転車を持ったまま教室の中に入ってき
えながら入ってきた。盗まれたら困るからかどうかは知
学生が遅刻して入ってきた。驚いたことに、自転車を抱
ね。
ては昔に比べて、学力が低下したという実感はないです
の余地はあったりするんでしょうけれど。でも、僕とし
いですよ。もちろん、個性はあるし、もっと改善や推敲
ところが、同じ一年目だったかな。授業をしていたら、 しているけど、そんなめちゃくちゃな文章書く人はいな
て、授業を受け始めた。それって、あまりにも常識はず
れじゃない? それが昔はまかり通っていた。
親切で人なつっこい、それと同時に、常識はずれ、常
て、学生の私たちもそう思うのですが、実感されるこ
が増えてきたっていうのはいろんな先生が仰ってい
したことはないでしょうけど、だからといって、それを
したら学生たちの関心も変わってくる。知っているに越
ね。僕が来て、四半世紀も経っているわけでしょう。そ
たとえば芥川を読まないとか、本を読まない学生
識知らずな学生が昔は多かった。今の学生はみんな比較
│
的まじめですよ。昔に比べるとね。
とはありますか? それはあるかもしれないです。でも、仕方がないです
ただ、文章を書く力、基本的な力は、今の学生のほう
昔はとんでもない文章を書く人が入ってきていたんで
があるかもしれないですね。
すよ。
いいわけですから。こういう作家知らない、となれば、
非難することもできない。知らなければ大学で教えれば
昔は、文章の表現︵一回生向けの基礎演習︶がなかったん
じゃあこの機会に知ればいいっていうことです。
たぶん、接する学生によっても違うのかもしれない。
です。ゼミは三回生から受け持っていた。僕の専門分野
文芸学科生への手紙
081
│
他学科の学生と文芸学科生の違いについて、感じ
ることはありますか? 逆説的だけど、文芸の学生は、無口で口下手な人が多
い。基本的に、言葉はコミュニケーションでしょう? 話し言葉と書き言葉があって、ふつうの人だったら、だ
いたい話し言葉で意志疎通をする。だから、他の学科の
学生たちは、授業中でも注意しなければおしゃべりで意
志疎通するわけね︵笑︶
。だけど、文芸の学生は、なにか
言葉を発しようとすると、その言葉をいったん飲み込ん
で、というのかな。その言葉を使っていいのか、考えて
いるのかな。どうなんでしょうね。それとも、授業中だ
と思うところもあり
け無口な人が多いのかな?
文芸の学生は個人作業が多いから、コミュニケー
│
ション能力が足りないのかな?
ますが⋮⋮。
それはあるかもしれないね。でも、言葉に対する感覚
が違うっていう面もあるんじゃないですか。やっぱり文
芸の人たちは、言葉を大事にする。話し言葉にしても、
書き言葉にしてもね。
だって、言葉で自己表現しようとするわけでしょう。
他の学科の学生たちは、絵を描いたり、音楽を演奏した
りして自己表現しているわけですよね。だから、気楽に
藝大我樂多文庫 第七集
文芸学科はおとなしすぎて、なにを考えているか
う。もちろん、厳密に言えば違うわけですけどね。鑑賞
も物理的な刺激としてはほぼ同じものが入るわけでしょ
はない。絵だったら、なにか描いてあったら、少なくと
とを、読み手が必ずしもその通り理解してくれるわけで
だから、書き手にとって当たり前だなと思っているこ
なきゃいけないわけでしょう? 書き手と読み手が同じ
イメージを思い浮かべるとは限らないよね。
章で書かれたら読み手は自分の中でイメージを再構成し
現するじゃないですか。ところが言葉っていうのは、文
たちは、一目見たり聴いたりすれば解る作品で自分を表
ているか分からない。さっき言った通り、他学科の学生
おとなしいことはおとなしいし、たしかになにを考え
しいです。
には文芸学科を好意的に見ていただけているようで嬉
分からない、という意見もあったんですが、笹谷先生
│
ういうのがあるのかもしれないですね。
てしまいますよね。それと同じように、文芸の学生もそ
ら歩くわけにはいかないだろうし。歌うとなると、構え
まう。たとえば、音楽学科の学生が気軽に歌を歌いなが
う目で見ているのかもしれないけど、やっぱり構えてし
言葉を使えますよね。文芸の子たちは、こっちがそうい
082
つ書かれた言葉でも、それが喚起するイメージは一人一
者が何に目をつけるかとか。でも、文章の場合は、ひと
深みというのは、だんだん上がってきています。四回生
にレポートを書いてもらうと、確実に文章の力、言葉の
どを読ませていただくと、﹁ああ、やっぱりさすが四年間、
になれば、私はゼミを担当していませんが、卒業制作な
先生は専門からして、文芸学科ではなく、美術学
人全て違う。だから面白いんですけどね。
│
やってきたんだな﹂と思いますね。それは文章を読んだ
で教えている造形原理でも西洋美術史でも、彫刻概論で
教えているのは美術関係の学生の方が多いですよ。教養
じみ出てくるものがある。もちろん技術的な問題もある
クニックとかそういう問題じゃなくて、文章を読むとに
文章力っていうのは、総合的なものですよね。ただテ
らはっきりと分かります。
も、それから大学院でも、受講している学生は美術やデ
けども、やはり内容というか、作者の考え方っていうの
科を教えたいとは思わないですか? 実技は無理だけどね。でも文芸学科にいても、実際に
ザインといった、視覚的な芸術をやっている学生たちの
が深まってくるんでしょうね。四年間で、いい体験もあ
ると、文章に深みが出てくる。
れば悪い体験もあるかもしれない。それを乗り越えてく
方が多い。
ただ、文芸学科の授業みたいに少人数じゃないから、
あまり一人一人とゆっくり話す機会はない。でも大学院
│
生になれば、それなりに緊張も解けていって、周りも見
手く書けるんじゃないかって焦ったりもするけど、二回
だよく分からないわけだし、自分よりもみんな文章を上
やはり学年ごとに文章力は違いますか? やっぱり一回生の時は、もちろん人によるけれど、ま
でもそこで、もう一度目を閉じて、記憶をたどる。最初
って書いていた。過去を思い出すために、目を閉じる。
る学生は、
﹁目を閉じて、そしてもう一度目を閉じると﹂
ください﹂というテーマで課題を出した。そしたら、あ
今 年 の 文 章 の 表 現 の 授 業 で、
﹁昔のことを思い出して
ただ、大人っていってもね。自分をよく見つめるって
人間性が大人になった、という感じですかね。
だと少人数の授業もあって、そのときは直接美術学科の
いうのかな。
えてくるというか。それが言葉にも反映される。言葉に
に目を閉じるのは、いわば、外界と自分との間に、幕を
学生と接しますね。
│
は体験も必要だしね。三回生頃には、講義の終わりとか
文芸学科生への手紙
083
下ろして、外を見ないということ。もう一度目を閉じて
っていうのは、自分の視線を外側に向けるのをやめてか
ら、内側に持ってくるっていうことなんでしょうね。
そういう意味で自分の内面を深く見つめるっていうこ
とが多いんじゃないのかな。これは確かに他学科に比べ
ると、文芸の方がそういう学生は多いかもしれない。自
分の世界に閉じこもりがちというかね。それは外界から
自分を守る為でもあるんだろうけど。最初はそれだけで
今号の企画を立てる際、ライトノベルについての
を与えて無理に書いてもらったりするわけだから、気の
でしょう。文章の表現という授業なんて、こっちが課題
たければ書けばいいというお考えですか? とにかく書きたいものを書かなければ、しょうがない
話もよく上がっていたのですが、先生としては、書き
│
書く文章はやっぱり深まっていくんですよね。
の積み重ねになるじゃないかな。経験によって、彼らの
ら、ずっと部屋の中に閉じこもっていたとしても、経験
しで、言葉はどんどん深まっていく気がしますよ。だか
出て行く。その言葉をまた、内側に戻す、という繰り返
それをなんとか言葉に表すことによって、言葉は外側に
藝大我樂多文庫 第七集
毒って言えば気の毒なんですよ。書きたいものを書きな
さいって言ったって、なかなか書けるものじゃない。だ
では、あまり文芸学科生に、こうあって欲しいと
からそういう点では、難しいところはありますけどね。
│
いうものもないのでしょうか? 僕自身は、実際に創作をしているわけじゃないですか
らね。自分の創作体験に基づいて具体的なアドバイスは
できないです。ただ少なくとも文章に関しては、好意的
な読者として感想を言わせてもらえればとは思います。
ふつうの人は、いわば、与えられたものを素直に受け取
にはそれなりの、間違う理由があるわけじゃないですか。
を重ねても、間違う人だっているんですよね。でもそれ
日本語はやっかいな言葉で、面倒なきまりがある。歳
え思うんですよ。
本語としての文法がなってないとか、それでもいいとさ
自分の言葉で書けばいい。だから、
﹁てにをは﹂とか、日
関係ないんじゃないですかね。自分が書きたいことを、
よ。稚拙だろうが、稚拙じゃなかろうが、そんなことは
ような文章を書けるかって言ったら、書けないわけです
て言われようとも、じゃあそう言っている人が私の書く
自分にしか書けないわけです。人から文章力がないなん
を見つめる。見つめているだけだと、やっぱりまだまだ。 ﹁まあ、焦らずに﹂ってことでしょうね。自分の文章は、
精一杯なのかもしれない。でも、そこから、自分の内側
084
って、まともな日本語が書けるようになっちゃったわけ
そこでいう基礎的なものって、なんなのかな? とい
う 気 が し な い で も な い で す ね。 幼 い 頃 か ら、
﹁こういう
んか? 未だに上手な日本語が書けないってことは、これは素
ついていくものなんでしょう。日本人に生まれたって、
も人間は言語を自然に習得するものですから自然に身に
です。ある意味で気の毒なことかもって、そう思いませ
晴らしいことだと思う。稚拙な日本語しか書けないって
子どもの頃に外国で暮らしていれば、英語圏では英語で
言葉遣いをしなさい﹂
﹁文法はこうだ﹂って教えなくて
いうのは、むしろ褒め言葉ですよ。他の人たちが上手な
言葉を話せる。日本語で育てばもちろん日本語で話す。
絵を描く人もいれば、わけのわかんない絵を、描かずに
も音楽でもそうなんですよ。信じられないくらい細密な
界が見えているような気がするんですよね。それは絵で
世界や言葉の世界で生きていくには、きちんと身につけ
それはそれで必要なことだし、恐らくみなさんが文学の
だ り し て い ろ ん な 語 彙 や 言 い ま わ し を 身 に つ け て い く。
ちゃんと話せるわけじゃないですか。あとは、本を読ん
だから、機会が与えられれば、学校で習わなくたって、
日本語を書けるのは、もういわば、
﹁染まっている﹂とい
はいられない人だっている。なかには、ハンディキャッ
ていった方がいい。けれど、いろんな事情でそうできな
うことだから。稚拙な文章を書く人は、僕らとは違う世
プを持った人たちの描く絵だってある。彼らには、ふつ
い人もやっぱりいるわけですよね。今の日本なら大学生
るのが当たり前なんですよね。だけど、そうじゃない人
うの人には見えないものが見えていたり、聞こえていた
たちがいる。文芸学科に入ってきたりする。そういう人
になるくらいの年までには、ふつうの文章が書けたりす
同じように、文章だって、上手な文章を書くのは難し
たちがすごく貴重ですよ。
りしている。
いけれど、上手な文章を書く人はいくらでもいるじゃな
にすることが出来るわけじゃないですか。そういう学生
い学生が入ってくるようなもの。それを我々は間近で目
か。それをかいくぐって、ふつうの絵がぜんぜん描けな
たとえば絵画で、デッサンの試験受けるじゃないです
いですか。そういうのを読むのもいいけども、むしろわ
けのわからない文章を書く人の方が、僕は面白いと思い
基礎的な文章力がなっていない、という指摘を受
ます。
│
けることの方が多いので、貴重なご意見でした。
文芸学科生への手紙
085
は他学科にはあまりいないですけど、時々、文芸には入
ってくる。
そう考えると、すごいですね。
それは文芸学科の価値にも通じることかもしれな
ちこぼれたものを拾い上げるっていうマイナスイメージ
そうかもしれないね。受け皿っていう言い方だと、落
せん。
学科はその受け皿になれる可能性があるのかもしれま
学部などでは選別されてしまうと思うのですが、文芸
いですね。そういった人たちは、一般の試験がある文
│
けないと困るけどね︵笑︶
。
かに面白い。ただ、就職試験の時にはふつうの文章が書
わからない、読み手を混乱させるような文章の方が、遙
当たり障りのない文章を読むくらいだったら、わけの
ないことだけれど、そういうのは、つまらないですね。
けじゃないですか。それは、生きていく上ではしょうが
でも無理矢理、同じような形の枠にはめられちゃうわ
の世界とは違うんですよ。
ん一人一人の言葉の世界と、僕の言葉の世界、イメージ
言っても、もともと我々は一人一人違うんです。みなさ
そしてイメージの世界がある。でも、我々とは違うって
藝大我樂多文庫 第七集
になりそうだけど、そうじゃなくてね。むしろ、他の大
学では理解してもらえないような、わからないような、
とんでもない学生たちが入ってくる。でも本当は、ほと
︵文/三枝翔子 写真/三浦かれん︶
にできたらと思いますね。
もこういう人たちが過ごす何年間かが居心地のいいよう
大事にしたいっていうのもおこがましいけど、少なくと
難しいことだけど、大事にしたいなと思うんですよね。
生たちの書いた文章なんです。僕はそういう人たちを、
ている学生たちの作品っていうのは、メンタルの弱い学
僕が今まで二十何年間、教えてきて、一番記憶に残っ
われても、その弱いところが、強みですよね。
ないですか︵笑︶
。メンタル面で弱いところがあるって言
わけですからね。そういう点では、ユニークでいいじゃ
を書けるようにって。でも、ここにはそういうのがない
ちいち添削されるわけですよ。いわゆる、まともな文章
業論文も、
﹁こんな書き方おかしい﹂とか言われてね、い
﹁ き ち ん と し た レ ポ ー ト 書 き な さ い ﹂と か 言 わ れ る。 卒
すよ。ふつうの学校に入ったら、ふつうの授業を受けて、
すごいでしょう。彼らには我々とは違う、言葉の世界、 んどの人がそんなとんでもない素質を持っているわけで
│
086
大阪芸術大学芸術学部文芸学科教授
たくさんの機会を捕えて
知識の幅を広げて欲しい
西岡陽子先生 │
お祭りの目的とはどんなものでしょうか? 祇園祭は夏祭りなので、山鉾に乗せて夏に集中する災
害・疫病を祓うのが目的です。
室 町 初 頭 に は 毎 年 ど う い う 作 り 物 を 作 る か を 考 え て、
新しいものを作る。そして祭りが終われば川へ流すか、
燃やしてしまうか、なにもなくしてしまうというのが、
り変えるわけにはいかない。そこで人々をどのように驚
でも上等な作り物を使っている最近の祭りでは毎年作
本来的なあり方なんです。
しょうか? 授業でしゃべっていることとは全く違うジャンルの学
かせるか、という方向に切り替わったわけです。その驚
先生の専門分野は﹁都市祭礼﹂でお間違いないで
問を専門にしているので、文芸学科で勉強している人に
かせ方がどうなるのか。それが地方によって個性が出て
│
は説明しづらいんです。都市祭礼の中でも特に祇園祭を
違うし、時代によっても変わるんです。
せようという方向にいっているわけです。
その中で祇園祭はものすごくお金をかけて、人を驚か
専門としています。
し
たとえば大阪だと天神祭りとかっていうことになるの
だ
│
祇園祭りはとても古くて、ひょっとしたら室町時代初
十メートルぐらいあるものなんです。明治になって電気
なことをやってるけども、山笠も本来はすごく背の高い
っ
かな。天神祭りとか岸和田祭りとか、山車や屋台が出る
祭りを大きく都市型祭礼と言います。あれらの元を
頭からあるんです。祇園祭の鉾にはお囃子がのって、山
が通ると、電線が走って山笠を動かせなくなって低くな
他にはどのようなものがあるのですか? やまかさ
たとえば、博多の山笠。近頃は何秒で走れるかみたい
には人形が乗ります。今の祇園祭の人形や段通︵手織り
りました。なので趣向としては早く走るしかなくなった
ていくと京都の祇園祭なんです。
の カ ー ペ ッ ト ︶は、 も の に よ っ て は 数 百 年 経 っ た ベ ル ギ
んです。でも大きなものも動かさないけれど、作るのは
はや し
ー段通をかけてあったり、人形も非常に上等なもので、
作るんです。それは毎回新しく作るんですけど、一台当
ほこ
中には江戸時代初頭に作られたものもあります。
文芸学科生への手紙
087
たり一千万円はする。それを毎年作るんです。
青森のねぶたも毎年作ります。多分山笠と同じぐらい
かかってるんじゃないかな。これも昔は青森川に流して
たんですけど、このごろは廃棄物ということでなかなか
海には流せなくなったんですけどね。
そういうものがどう展開していくのか、追いかけてま
した。そこで今私が興味を持っているものは、一式飾り
についてです。今はこれを研究しています。
│
一式飾りとはどういったものなんですか? 一式飾りとは、山車などに乗せるのではなく、街中の
表座敷を開け放って飾る民俗芸術の一つです。これは、
家庭にあるような道具を組み合わせて作るんですね。た
とえば、ある地方では、陶器だけを組み合わせて作りま
す。それも、穴を開けたり壊したりしないで、陶器に針
金を絡め、針金同士を結び合わせることで組み上げてい
くんです。本来は﹁ぜんぜん違う世界のものでも組み合
わせると違うものに見えるよね﹂という発想で生まれた
ものなんですが、材料は主に日常的に使えるものなので、
祭りが終わったら解体して、お皿ならお皿としてまた使
えます。
裏が田んぼや畑だったりするような地方だと、場合に
よっては農作物を使ったりもします。自分たちが普段使
藝大我樂多文庫 第七集
こういったものもお祭りの一部なんでしょうか?
お祭りに興味を持たれたのはいつごろからです
することになって。その時のメンバーが建築とか美術史
所属していたんですが、そのメンバーが祇園祭の調査を
か? 実は、興味はなかった。祇園祭の文献を読む研究会に
│
ので、足で歩くしかないんですけどね。
ただ、こういったものは情報がなかなか入ってこない
そういう意味でもすごく面白い。
れることが多いんです。庶民が考え出す一種の芸術品、
だから一式飾りは、たいていは小さな祭りで大事にさ
まり目立たない。
一式飾りも町並みに飾ってあることが多いんだけど、あ
だと、一式飾りとは別に、だんじりとか山車が出ます。
一部というより、全部ですね。大きな町の大きな祭り
│
ています。
ういうものが祭りの中でどう展開しているのかを研究し
こういう文化に注目している人がまだいないので、そ
それがすごく興味深い。
ものを使って、すごくいろんな工夫をして作るんです。
よねっていうことで、それぞれの場所で手に入りやすい
っているものを持ち寄れば、そんなにお金はかからない
088
の専門家ばかりだったんで、民族の分野からやれって言
すると、それぞれの山や町に最低でも十人は張り付いて
加する町が、十とか二十あるということですよね。そう
調査をしないといけないんです。それは大学で民俗学の
われたんです。
通常、こういう都市型祭礼というものは規模が大きい
専門コースがあって、先生も複数いて、それを専門にし
それなのに研究を今まで続けているのはなぜです
なのでまだまだ調査のされていない祭りがたくさんあ
なったのはごく最近なんです。
たんです。つまり街の祭りに民族学の調査が入ることに
いうものをはじめたころは農山漁村というのが前提だっ
か? やっぱりそれなりに面白いから。柳田國夫が民俗学と
│
というスタンスで見ています。
十年、二十年と見続けることでなにか分かればいいな、
ないんです。なので、あまり人がやっていない角度から、
祇園祭というのは、総合調査を恐ろしくて誰もしてい
家だと思われるようになっていました。
と思ってました。でも、いつの間にか都市型祭礼の専門
わけなきゃいけない祇園祭の調査なんて、絶対するまい
かないな、と。だいたい人ごみが嫌いだから、人をかき
都市型祭礼という大規模なものは私のテーマとしては向
とであって、一人ではとても出来ないんです。だから、
ている学生もいて、というような体制で初めて出来るこ
んです。山車や山が、十とか二十とか出る。つまり、参
略歴
一九八〇年関西学院大学大学院文学研究科博士課程修了。
日 本 民 俗 学 会 会 員、 芸 能 史 学 会 員 を 務 め る ほ か、
一九九九年には建築史学会賞を受賞。著書に岩間香氏と
の共著『祭りのしつらい』があげられる。
文芸学科生への手紙
089
都市祭礼の前はどんな研究をされていたんです
る。やるべきことはたくさんあるんです。
│
か? 元は琵琶法師の研究をしてたの。琵琶法師っていうの
は琵琶を伴奏に語り物を語るとか、お経をあげるとかい
方にずっとついていけば出来る話だったので、その研究
ったような人たちのこと。それだったら 一 対 一 で そ の
民俗学という大きなジャンルに惹かれたのはいつ
をしていました。
│
からですか?
私が行ってた大学では民俗学という専門授業はなかっ
たんです。ただ夏に集中講義で五日間ほどいらした先生
が柳田國男の直伝のお弟子さんで、もう中年の方だった
と思うんですけれど、紺のかすみのお着物を着て、テク
ストを風呂敷に包んで教壇にあがって、懐中時計を教壇
において、授業を始められて、それがすごくかっこよか
ったの︵笑︶
。
もちろん話も面白かったの。それで民俗学って面白い
大学生のときに惹かれたということでしょうか?
なあと思ったんです。
│
そう。大学に入ったときは考古学をやりたいと思って
いたの。大学の二回生までは大学の考古学研究会で授業
藝大我樂多文庫 第七集
毎週末お祭りに行かれているとお聞きしたんです
としてどういう位置づけにあるのか分からない。
調査している祭り、そこに出てくる出し物などが、全体
ような芸能があるとなると一度は見ておかないと自分が
見物というのは趣味ということでしょうか? 類例調査と言って、似たような祭りがあるとか、似た
│
調査となると近畿圏か岐阜県ぐらいかな。
全国各地行かれるんですか? 見物には全国行くんですけど、調査、何年かかけての
│
でした。
休みがなかったです。授業以外は現場か会議という状況
が、本当でしょうか?
それはやや大げさだけど、祭りの季節、四月・五月は
│
ら女性でも出来るかなと思ったの。
ころにかすみのお着物の先生に出会って、民俗学だった
を専門的にやるには限界があるなと思っていたの。その
ったから、そういうものかと思っていたんだけど、これ
です。そのころは私もまだフェミニズムなんて知らなか
ど、女性はその実測の機械に触らせてもらえなかったん
卑な時代で、埋蔵物が出てくると地形を実測するんだけ
私がやってたころの考古学っていうのはかなり男尊女
のない日はひたすら発掘現場で過ごしてました。
090
民俗学の大変なところはそれなんです。一つだけ見て
いても何も分からないの。舞台芸能と違って、しっかり
風に作り上げ祭り。
つまり、街の構成員しか参加出来ないってのが伝統的
れたりするので、いろいろ変化するんです。
いる人が、祭りのときだけ、お囃子をやったり踊りをさ
立ってるんじゃない。村の中で普段は普通の仕事をして
の法被着とかんと跳ねだされるで﹂と言われる場合。そ
われて。それには二つあって、あくまで見物の立場でつ
ださい﹂と仁義を切る。﹁まあどうぞいらっしゃい﹂と言
祭りに参加するには、まず町へ行って﹁調査させてく
な祭りのあり方なんです。
もともと一つの芸能があるとするじゃない? この町
ではその芸能の五十パーセントを継承している、でもあ
の場合は法被を着ることもあります。なので本当の意味
したお師匠さんがいて、それを弟子に厳しく教えて成り
っちの町では同じ芸能でも反対側の五十パーセントを継
で参加してしまうと調査にはならない。第三者的立場で
観察してないと、なにも分からない。
いて歩く場合、もう一つは﹁ついて歩くんやったらうち
承していたり。また別の町だと、同じ芸能の真ん中部分
をやってるよね、外側だけをやってるところもあるよね、
参加型になっていくに連れ、消えてしまった文化
もあると思うのですが、それについてはどう思われま
│
ズルのピースみたいにあわせていかないと分からないん
と。元の芸能がどうだったのかっていうのはジグソーパ
です。それは直接見ないと全然分からない。なので、あ
│
こういったことを研究されだしたのは二十年前と
ながら見ているものもあります。
れば終わり。一体いつまでこれが継承されるのかと思い
っぱいあるんです。そういうところは村の人がいなくな
奥の村でほそぼそと、ようやく継承しているところがい
でしょう。それは主として過疎化が原因。古い芸能は山
ここ十年か二十年の間にもっとたくさん消えてなくなる
すか? 消えてしまった部分はいっぱいあるでしょう。また、
ちこち行かざるを得ないんです。
│
先生はお祭りに参加されるんでしょうか? たと
はっ ぴ
えば法被を着たりされますか?
参加型というものもあるんだけど、祭りって本質的に
は排他的なんです。
それをそうじゃなくて誰でもいらっしゃいというのは、
近代以降の観光対策とかで出来上がっているの。たとえ
ば高知のよさこいソーランは、新しく最初からそういう
文芸学科生への手紙
091
いうことですが、大阪芸大にいらっしゃったのもそれ
ぐらいでしょうか? 少なくとも文芸学科では私が一番古いです。おそらく
三十年前と今とで学生に違いを感じることはあり
三十年は超えたでしょう。
│
ますか? それはもう全然違います。十年で変わってます。
でも基本的なカラーは変わってないです。お行儀よく
なりましたね。それは多分よその大学でも同じことだと
最近はライトノベルを書きたくて入学してくる学
思いますけど。
│
生が多いですが、そういった学生に民俗学の観点から
アドバイスはありますか?
ライトノベルというものがどういうものなのか実は分
からないんだけど、たとえばファンタジーとか書きたい
という子がいて、
﹁
﹃ロード・オブ・ザ・リング﹄のよう
なものが書きたいんです﹂と言われれば、民俗学的にい
うと昔話とか伝説とか神話とかみたいなものの枠組みで
分析はできます。なのでそういうスタンスで話は出来る
と思う。それをヒントにしてライトノベルを書きたいと
学生に期待していることはありますか? いう人たちがいるならば、書けばいいと思います。
│
藝大我樂多文庫 第七集
出来るだけ知識の幅を広げて欲しいとは思ってます。
私の授業で習うことを専門的にやって貰うというより
︵文・写真/一村歩郁︶
のが、私が授業で一番伝えたいことです。
を捕まえて、いろんな物を見たり読んだりしてねという
って、アプローチの入り口も違うので、たくさんの機会
ものごとにはいろんな面があって、見方や考え方もあ
習ったんだっけとなっているかも知れないんだけど︵笑︶
。
生は混乱しているかもしれない。一貫性がなくてなにを
げて欲しいと思うの。だからいろんな話をするので、学
は、小説を書きたいんだったら出来るだけ知識の幅を広
092
、
き !
好
本 まれ
集
オーキャン
実行委員会
奮 闘 記
大学に入学してから、オープンキャンパスに参加したことのある学
夏期、七月下旬に開催されるオープンキャンパス。今回は、取材班も
本好き、集まれ!
汚れちまったTシャツ
その前日、学内はすでに慌ただしかった。 号館の五
いのTシ
そこでは補佐役として、男子学生ふたりが福江先生の
りまわる先生。お疲れさまです。
た。当日、誰よりも先に出勤し、早くも大汗を流して走
パスの目玉である﹁活版印刷体験﹂の準備に追われてい
れた三台の活版印刷機にはりつき、文芸オープンキャン
指揮を取る福江先生はというと、506教室に設置さ
つぎは夏目か、芥川かと一同は早くも盛り上がっていた。
恒例行事にしたいね﹂と発案者である長谷川先生は話す。
ャ ツ を 着 用 し て 活 動 す る の は 今 回 が は じ め て。
﹁今後は
芸 好 き の 心 を 摑 ま な い わ け が な い 一 枚 だ。
は、かの中原中也の顔写真が全面にプリントされた、文
この日のために自らデザインし発注されたそのTシャツ
そこではスタッフ証と、Tシャツが全員に配布される。
として学生十名と、副手、教員が集まっていた。
ンパスの初日、午前九時。合同研究室には文芸スタッフ
七月二十六日。二日間に渡って行われるオープンキャ
たちのかけ声が響いた。
階では、窓の外に向け﹁文芸学科﹂の幕を張る男子学生
22
オーキャン実行委員会奮闘記
指示を仰いでいた。彼らは普段から授業の合間をぬって
093
生はどのくらいいるだろうか。一年のうちでもっとも来場者数の多い、
スタッフに加わり、われらが文芸学科の取り組みを追った。
活版印刷機に触れ、かつオープ
ンキャンパススタッフを何度も
経験している。
﹁インキは﹂
﹁組
同士の打ち合わせを済ませる。
を迎え入れる準備と、スタッフ
が午前十時頃。それまでに人々
一般客が出入りをはじめるの
慣れた様子だ。
版はどうしますか﹂と、さすが
文芸棟に活気が足りない
﹁文芸学科のオープンキャンパスをもっと盛り上げよ
う!﹂そ う 意 気 込 み、 よ う や く 改 革 に 漕 ぎ 出 し た の は、
じつはここ一年の話である。 号館の五階という立地の
なった。そもそも他学科では当然のようになされてきた
しかし今年度に入り、学生スタッフを多く募るように
たのが実情だ。
も、昨年度までは申し訳程度に、ひっそりと行われてき
た学生の協力も少なく、唯一の売りである活版印刷体験
分野であることから、目立った催しを持てずにいた。ま
不利さに加え、文芸という視覚的なアピールをしづらい
22
藝大我樂多文庫 第七集
後の希望を語ったりしていた。
り、在校生に質問したり、入学
場者は興味津々 で雑誌を手に取
て 二 日 間 参 加 し て も ら っ た。 来
発 行 物 を 設 置、 そ の 説 明 役 と し
に協力を依頼し、各サークルの
ま た 今 回 は、 文 芸 系 サ ー ク ル
もはるかにハードである。
取材班も負けじと来場者のもとへ。この仕事、想像より
にさせないよう、笑顔で教室内をかけまわる。慣れない
雑談を交えながら、スタッフは来場者を手持ち無沙汰
﹁今日はどちらから来られたんですか?﹂
﹁これは卒業生の作品で⋮⋮﹂
いね﹂
﹁お昼から模擬授業が行われます、ぜひ参加してくださ
﹁活版印刷、やってみませんか?﹂
なった。
熟達していった。文芸棟の五階は見違えるように明るく
た。学生スタッフは、回数を重ねるごとに立ち回り方を
等、副手の尽力もあり、呼び込みにはもっとも力を入れ
こと。学科名入りの垂れ幕もはじめて制作し、ポスター
094
なにもかも特別な一日
活版印刷体験は盛況。来場者は、自分で活字をひろい、
一日限りの特別講義
一日目、団野先生の授業テーマは「ハリー・ポッターと魔法の世
エリアが新設されたばかりということもあって、教室はすぐに満員
界」。大阪のユニバーサルスタジオジャパンにハリー・ポッターの
となった。図やイラストが豊富なプリントや映画のワンシーンを使
自分の手で印刷した名刺をうれしそうに眺める。しかし
機械を扱えるスタッフがわずかなため、エプロンをつけ
いながら、作品にちりばめられた謎に迫る。ケンブリッジ大学で先
オーキャン実行委員会奮闘記
(文・写真/三浦かれん)
学後に堪能して頂きたい。
それぞれの特別講義の続きは、是非、入
白熱した話は、非常に聞き応えがあった。
りを考える。授業時間が足りなくなるほど
テキストの抜粋を元に、視覚と心像の繋が
ヴ ァ ー・ サ ッ ク ス に よ る「 心 の 目 」と い う
切な要素の一つだ。脳神経科の医師、オリ
しかし、言葉で情景をイメージさせることは小説を書く上で最も大
聞くととても難しそうで、一見、文芸と関係のない講義にも思える。
視覚心像について~言葉による情景描写と関連して~」。それだけ
ないですよ」という冗談から始まった。テーマは「失明者における
二日目、笹谷先生の授業は、
「今日の授業は昨日と違って面白く
たちも、楽しげに一足早い大学生気分を味わっていた。
時間はあっという間に過ぎていく。家族と一緒にやってきた子ども
ど、受講生を魔法の世界へ誘う小道具もたくさん飛び出し、魔法の
生が実際に使っていたマスターガウンや、作中に出てくるお菓子な
た数名の学生は対応に必死だ。インキで汚れた手がいさ
カチを片手につぶやく。
本好き、集まれ!
ま し い。
﹁ も っ と 職 人 を 育 て な い と ね ﹂福 江 先 生 は ハ ン
095
さて、この日の模擬授業を
担当するのは団野先生。イギ
リスの文化を、映画﹁ハリー・
藝大我樂多文庫 第七集
学内をもっとオープンな場に
﹁活版体験、まだやってますか?﹂ようやく人の数も落
ち着きはじめた頃、506教室に珍しいお客さんが現れ
た。聞けば、同じく 号館で活動している、ガラス工芸
うくたくたであった。と思いきや、これを何度も経験し
ンキャンパス初日が無事終了する。スタッフはみな、も
午後四時。最後のお客さんを見送り、文芸学科オープ
次回は他学科にも足をのばしてみようと決心する。
連帯感。残念ながら今回は時間が作れなかったのだが、
オープンキャンパスのスタッフ同士であるからこその
﹁吹きガラス体験です。ぜひ遊びにきてください﹂
﹁ガラスさんは今日どんなことを?﹂
れるのはこの日くらいなのだ。
生にとっては、いうなれば敵陣へ、気軽に出入りが許さ
人々にアピールできるチャンスは、実際は少ない。在学
う。 全 学 科 が こ う し て 門 戸 を 開 き、 自 分 た ち の 活 動 を
科の学生が何をしているのか、知らない学生は多いだろ
ということを改めて知る。普段、近くにいながらも他学
オープンキャンパスにはこういう使い方もあるのだ、
﹁ずっとやってみたくて。合間を縫って来ました﹂
の学生二人組であった。
22
ポッター﹂の内容を引用しつ
つ、ビジュアル面の豊富な資
して高校生たちは、大学の講
料を使い講義を進める。はた
義にどんな印象を持ったのだ
ろうか。
授 業 終 了 後、 同 教 室 で は
﹁ことのはあそび﹂と銘打つ、
大阪芸大河南短歌会によるワ
ークショップが行われた。大
量に撒かれた〝言の葉カード〟には、五文字、七文字そ
れぞれのワードが記され、これを自由に組み合わせて短
歌をつくるというもの。初日の参加者は、男子高校生た
っ た 二 名。
﹁ 思 っ た よ り さ み し い ね ⋮⋮﹂と は こ ぼ し て
しまうものの、親しげに会話しながらまっすぐに言葉に
向き合う参加者の姿は、見ているこちらもうれしい。最
後には、できあがった短歌の発表会が行われた。
096
話題がもう上るほど、彼らはこの日のために一所懸命な
こなして。ましてや﹁次回はこうしてみようか﹂なんて
ましょう﹂と帰っていく、中也Tシャツをさわやかに着
ている学生は、案外けろりとした顔で﹁明日もがんばり
いている。現在の学生スタッフは二、三回生が中心。そ
﹁活版職人の後継者、探してきてよ﹂福江先生はまだ嘆
れに気付くきっかけとなった。
したとはいえ、現状はまだまだもったいない。今回はそ
する。今後の
ろそろ﹁この人たちの顔は見飽きたよ﹂と高校生たちの
ていくべきだ。
オーキャン実行委員会奮闘記
︵文・写真/糸井桃子︶
文芸学科オープンキャンパスの発展は、学科全体で支え
声が聞こえてきそうだ、と本人たちも自
のだ。
みんな学科の一員として
多くの学生は知らないだろう。いざ自分の学科を紹介
するとき、
﹁この先生、どんな凄い人だっけ﹂
﹁カリキュ
ラムってどう説明すればいいんだろう﹂
﹁この学科の魅
力ってなに?﹂と、さまざまな疑問に改めて向き合わさ
れること。また、あらゆる期待を抱いていた入学前の自
分が、やって来る高校生たちの姿に重なり、まぶしく見
えること。学生スタッフとしての仕事は、思ったよりも
達成感がある。
わたしたち取材班が驚かされたのは、たったこれだけ
の人数で、毎度の文芸学科オープンキャンパスが実施さ
れているという事実だ。これが本来、学科をあげて行わ
れるものならば、教員、学生スタッフ、もっと多くの力
とアイデアを総動員して、より強力な文芸学科のアピー
ルの場として活用できるはずなのだ。以前に比べて改善
本好き、集まれ!
097
はじめまして、
大芸生です。
ライバル
~有力大学探訪記~
われわれ大阪芸術大学文芸学
科を見つめ直すには、内だけで
はなく外にも目を向けなくては
ならない。文章創作を学ぶこと
が で き る 大 学 は そ う 多 く な い。
そもそも創作を学ぶとはどうい
うことか。私たちの抱える理想
や不安を、他大学の学生はどう
考 え る だ ろ う か。 本 企 画 で は、
専修・早稲田・法政・日芸・京
都造形・近大と、東西の様々な
大学を訪ね、取材を行った。
藝大我樂多文庫 第七集
専修大学 日本文学文化学科
題からか、多くの学生が南口から徒歩で大学へ向かう。
前に行き着く路線バスも走っているが、費用や混雑の問
の駅から徒歩十五分程度の場所にある。北口からは大学
しい店舗が競うように立ち並んでいた。専修大学は、こ
カフェ、レンタルビデオショップに古本屋と、学生に優
ストフードや居酒屋、二十四時間営業のインターネット
を出た駅前には、さすが東京近隣と言うべきか、ファー
専修大学最寄りの駅は、小田急線の向ヶ丘遊園。南口
■登校=登山? 駅前から専大への道
制作を行っている。今回はその編集会議を取材した。
生が自主的に行うサブゼミで「SHOW」という学生雑誌の
化 を 専 門 に 学 ぶ 川 上 ゼ ミ で は、 ゼ ミ の 活 動 と 並 行 し て、 学
文 学 文 化 学 科、 通 称・ 日 文 の 川 上 ゼ ミ。 日 本 文 化、 社 会 文
つ に 分 か れ て い る。 今 回 取 材 さ せ て 頂 く の は、 文 学 部 日 本
歴 史 学 科、 環 境 地 理 学 科、 人 文・ ジ ャ ー ナ リ ズ ム 学 科 の 七
日本語学科、日本文学文化学科、英語英米文学科、哲学科、
専 修 大 学 は、 明 治 十 三 年 に 創 立、 七 学 部 十 七 学 科 を 擁 す
る 総 合 大 学。 文 学 部 は 昭 和 四 十 一 年 に 設 置 さ れ、 現 在 は、
098
た。今回、案内役をお願いした専修大学文学部の四年生、
今回はそれに倣って、私も徒歩で大学へ向かうことにし
く歩くと、徐々に学生たちの賑やかな声が聞こえてきた。
まには動かしてみるものである。汗を拭いながらしばら
た。家で創作活動ばかりして運動不足になった体も、た
せっかくなのでゼミにお邪魔する前に、少し校内を案
■校内散歩
山道の洗礼を終えて、無事、専修大学の門を潜る。
山崎航さんに先導されて、専大への道を歩き出した。
これだけ多くの学生が毎日歩く道だ、さぞ駅前に負け
ず劣らず道中も栄えているのだろうと思いきや、小田急
の線路沿いを五分も歩いた頃には、さっきまでの都会ら
しさは一気に消え失せていた。上り坂の両脇には、落ち
校 の こ と を﹁ 下 山 ﹂な
の こ と を﹁ 登 山 ﹂、 下
に差し掛かる。なんでも、専大生は冗談めかして、登校
閑静な住宅街を抜けると、今度はひたすら延びる山道
えてくれる。このセンディくんは、大学公式グッズとし
生えたライオンのゆるキャラ、専大のマスコットが出迎
ルなホテルを思わせるお洒落な造り。中に入ると、翼の
ンスの役割を持つのが、九号館だ。入り口は、クラシカ
全部で十一号館まである校舎の中で、メインエントラ
着いた雰囲気の家々が立ち並び、都会らしい雑踏もない。 内してもらった。
んて呼ぶのだとか。同
学内は広々としていて、至るところに学生が集うラウ
て、ステッカーやマグカップにもなっている。
スが走っている分、大
ンジやフリースペースが設けられている。特にこの日は
じ山でも、スクールバ
阪芸大の方がずいぶん
よく晴れていたこともあって、天井の高いアトリウム内
しかし当然ながら、学生数も大阪芸大とは桁違いだ。
に光が差し込む様子が実に爽快だった。
ながら立ち止まった
生田キャンパスに通う生徒は、文学部だけで優に三千人
楽だ。しかし、坂道の
時、吹き抜けるような
以上。そこに経済学部、経営学部、商学部などが加わる
途中、高い樹木を仰ぎ
風を感じることができ
と、これだけ広いスペースも結構な人口密度になる。四
有力大学探訪記
ライバル
て、とても心地よかっ
はじめまして、大芸生です。
099
つもある食堂の席は、昼休みになるとどこもすぐに埋ま
ってしまうそうだ。そのせいか校内にお弁当の販売所も
多く、それを利用している学生も多く見られた。
文芸学科生として無視できない大学の設備と言えば、
やはり図書館である。九号館にある専修大学図書館︵本
館︶は、四つのフロアで構成されている。約百二十万冊
の蔵書に加え、マイクロ資料約八万リール、視聴覚資料
約一万点、雑誌約一万六千誌を所蔵。また、和図書、洋
図書が集まる二階の書庫を含め、ほとんどの蔵書が開架
式になっているのも特徴的だ。館内には八百の閲覧席に
加え、個人閲覧室、ゼミの打ち合わせや勉強会に使える
グループ閲覧室も完備されている。静かで広い図書館は、
穏やかな活気に満ちていた。学生数や敷地面積を考える
と納得の規模だが、公立図書館顔負けの設備にはさすが
に圧倒された。さらに、同じ生田キャンパス内には、新
刊や旅のガイドブック、美術書などを えた分館まであ
るというのだから、もうお手上げである。
■川上ゼミの研究室
川上隆志先生は、岩波書店の元編集者である。ゼミに
は当然、編集者や記者を目指す学生が多く集まる。また、
先生の研究分野が文化人類学や民族学でもある為、ゼミ
藝大我樂多文庫 第七集
生の中にはそういった
問題に興味を持つ学生
も多い。
研究室を見学してま
ず驚いたのが、学生が
いつでも研究室に出入
りできるということだ
った。鍵の保管された
ロッカーの番号さえ知
っていれば、いつでも
自由にゼミ室を使うこ
とができるのである。
研究室には、DTP系のソフトが導入された学生用の
ある。
川上ゼミの最大の特徴は、その多様性と自由度の高さに
は、
﹁なんでもありの詰め合わせみたいな場所﹂だそうだ。
ルは多岐に渡る。案内役の山崎さんによれば、川上ゼミ
本文化に関するもの、論理学、詩や小説と、そのジャン
おり、出版編集に関わる書籍はもちろん、海外文化や日
のスペースなのである。壁の本棚には様々な本が並んで
る資料などが置かれている。研究室の半分ほどは、学生
パソコンが一台。部屋の中央にある机には、ゼミに関す
100
研究、発表することになっている。そこで、過去に卒論
では日本文化、社会文化に関するテーマを各自設定し、
までもサブゼミで行われている活動で、本来、川上ゼミ
前述の通り、今回取材させてもらう雑誌作りは、あく
いを元に三年生の中から選出される。
生。編集長も、前号が発行されてすぐの段階で、話し合
集長が指揮を執る。このサブゼミで主体となるのは三年
の字状になった机を囲み、ホワイトボードの前に立つ編
今年の編集長、五十嵐藍美さんが司会をつとめながら、
編集会議が始まった。この日は、今年の雑誌で大特集と
としてまとめられたテーマを見せて頂いた。するとそこ
には、
﹁ハンカチ王子フィーバーとメディア﹂
﹁日本のエ
図で企画をしたのか、前回のゼミでの審問を経て企画を
なる企画を決める重要な会議。まずは、予め出されてい
における女性像﹂等々、それぞれ個性的で全くジャンル
どのように改善したかなど、順番に補足説明を加えてい
た十四の候補について、立案者がそれぞれどのような意
の異なったテーマがずらりと並んでいた。確かに一見す
く。本来のゼミで社会問題を扱っていることもあって、
ら考える︱﹂
﹁ディズニー映画らしさとは何か?﹂
﹁家族
ると、同じゼミから生まれた研究テーマだとは思えない。
デリケートな問題に切り込む企画、社会に対して警鐘を
イズの現状と問題﹂
﹁俳句の親しみやすさ︱坪内稔典か
しかし、これら全ての研究の中心にあるのは﹁社会に何
鳴らすような企画も多い。
をいただきます﹂。和歌山県太地町で行われているイル
例えば、昨年の雑誌のトップ記事の見出しは﹁イルカ
かを訴える﹂
﹁問題意識に切り込む﹂というこのゼミ共通
の思想だ。社会への鋭い眼差しをあらゆる方向に向けた
結果、これらの研究が生まれたのだろう。
カ漁にスポットを当て、綿密な取材と調査を元に、食べ
校内をざっと散策して、午後一時。ついに今回の主目
性、実食レポートなどの娯楽性、どれをとっても高水準
ーページで映える豊富な写真、分かりやすいメッセージ
る為に殺すことの意義を問う。言葉のインパクト、カラ
的である編集会議の場に足を踏み入れた。授業開始時刻
なトップ記事だった。今年の雑誌もそれに負けない企画
■書きたければ喋れ、書きたければ生き残れ
の少し前に伺ったのだが、私が部屋に入った時には、既
でトップを飾れるか、緊張と期待が高まる。
有力大学探訪記
ライバル
授業開始からしばらく経った頃、川上先生がやってき
にほとんどのゼミ生が集まっていた。
二年生から四年生まで、合わせて三十人近い学生がコ
はじめまして、大芸生です。
101
た。先生は今後の予定や合宿についてなど、一通りの事
務連絡を終えると、あとは小一時間ほど黙って会議の進
行を見守っていた。そして定刻になると、一切会議内容
に口を挟むことなく、静かに教室を後にした。まさに学
生主体の場。事前に、川上ゼミでは能動的な行動が不可
さて。しばらく編集会議を見学していて、ふと気付い
欠なのだとは聞いていたが、その理由がよく分かった。
たことがある。
潰す。生き残る。勝ち取る。
言葉だけ聞くとなんだか物騒にも思えるが、白熱する
編集会議では、和気藹々とした話し合いの合間、当たり
前のようにこれらの言葉が飛び交う。大阪芸大ではなか
なか耳にすることのない言葉だ。
なんせこの大人数での雑誌作り、出された企画の全て
が通るわけではない。あくまでサブゼミということもあ
って、いくらやる気があっても、必ず全員が記事を書か
せてもらえるわけではないのである。自分の企画が没に
なれば、写真撮影やデータ整理、誰かの補佐しかできな
藝大我樂多文庫 第七集
無論、上級生だからといって無条件に勝ち残れるわけ
ではない。実際、この日並んだ大特集候補の十四の企画
のうち、三分の一は二年生が提案したものだった。しか
し、二年生は、ゼミに入ってすぐ企画を考え、編集会議
に参加しなければならない。当然、上級生から鋭い指摘
目で盗め、という方針で二年生は徐々に成長していく。
も受ける。右も左も分からないまま、習うより慣れろ、
そして一年後にはゼミの中心、雑誌作りの柱となるので
ある。
この日、鋭い発言を投げかけていた三年生も、決して
一年前から雄弁だったわけではなかったそうだ。喋らな
ければ自分の企画を生き残らせることができないという
緊迫した状況が、学生を徐々に編集者にしていく。ハー
る中、四年生から﹁結局、各企画
ドな分だけ強く成長していく、熱い体育会系の編集会議
各意見が平行線を
の姿がそこにあった。
の中で訴えたいことは何なのか。単に調べたことを発表
するのが雑誌ではない﹂という意見が出た。記事で社会
に何を訴えていくか。それは、川上ゼミ全体の大きなテ
そこからまた討論は、各企画のメッセージ性を改めて
年問わず、頼れる仲間は同時に強力なライバルでもある。 問う形で、静かに熱を帯びていく。時には冗談が飛び、
上手く喋って賛同者を得られなければ消えてしまう。学
ち残らねばならない。どんなに良いコンセプトの企画も、 ーマでもある。
いこともあり得る。記事を書くためには、プレゼンで勝
102
ととなった。
ま会議は進行し、やがて一人三票を持って投票を行うこ
笑いも起こる。しかし、あくまで真剣な空気を保ったま
る結果となった。これによってまた意見は割れ、会議は
なる・MADE IN JAPAN﹂が多くの票数を集め
ど二位、三位だった﹁揺れる孤島﹂と﹁後継者不足でなく
美味しんぼの風評被害問題などを受けて、漫画の価値を
漫画は低俗なのか﹂
。近年起こったはだしのゲン騒動や、
否定派がいれば、可能な限り意見をすり合わせ、納得い
い。それがこの編集会議の暗黙の掟だ。少数でも肯定派、
多数が支持したからといって、安易に決定したりはしな
多数決ではあるが、決して数の暴力にはしない。一度
困難を極めていく。
考え直し、これからの日本文化の発信を考える、親しみ
こ の 投 票 で、 最 多 の 十 二 票 を 集 め た の が、
﹁果たして
やすくメッセージ性の高い企画だ。
そこからさらに話は広がり、やがて﹁大特集に最も求
くまで議論を続ける。肯定にも否定にも、自分なりの考
が消えた時に失われる文化や問題点を探るという企画。
められる要素とはなにか﹂という問いにまで及んだ。イ
次点は十一票で、
﹁揺れる孤島﹂と﹁後継者不足でなく
後者は日本の産業の現状を知ることで、高い技術力を持
ンパクトや意外性、テーマや具体性、トレンドやタイム
えや理由付けが要求される会議スタイルに、妥協しない
つ中小企業の立場が弱いという問題点を浮き彫りにする
リーさ。議論された様々な条件を考慮し、三度目の投票
な る・ M A D E I N J A P A N ﹂
。前者は日本の孤島
FASH
物作りへの熱意を感じた。
企画。その他にも、
﹁職としての農業﹂
﹁社会
を行った時、最も多くの票数を集めたのは、じりじりと
における人口減少、高齢化にスポットを当て、島から人
ION﹂
﹁深海魚から見える地球﹂など、個性的な企画が
就職難の時代においても、職としての農業に対する世
頭角を現していた﹁職としての農業﹂という企画だった。
しかし、このまま票数一位の企画に決定するわけでは
比較的多くの支持を集めた。
今度は一人一票で投票を行う。すると意外にも、先ほど
とんどない。その問題点と共に、女子の為の農業を広め
は高く、若者、特に女性が農業を進路に考えることはほ
ない。この時点で全く票が入らなかったものだけを消し、 間のイメージは良くない。農業に従事する人の平均年齢
最多の支持を集めた﹁果たして漫画は低俗なのか﹂の票
るべく活動している団体などを取り上げる。漫画やメデ
有力大学探訪記
ライバル
数が、一気に二票まで減ってしまった。代わりに、先ほ
はじめまして、大芸生です。
103
藝大我樂多文庫 第七集
ンタビューをするよりも、授業後も会議が延長された事
しく話を聞けなかったのは残念だが、短時間で無理にイ
れず、取材のお礼だけ告げてそそくさと教室を出た。詳
も討論を続ける姿を見ていたらとても邪魔する気にはな
ミ生のみなさんの話を聞くつもりだったのだが、授業後
見学を終え、私は専修大学を後にした。本当は最後にゼ
一時間半ほどの校内散策と、三時間以上にも及ぶ授業
■大芸生が山を下りて
ことを期待している。
かった企画たちも、また誌面で強く生まれ変わってくる
に楽しみに思う。そして惜しくも生き残ることができな
終的にどの企画がトップ記事の座を勝ち取るのか、非常
その顛末を最後まで見届けることができなかったが、最
決定はまた次回のゼミに持ち越される。残念ながら私は
られ、この後も一時間半以上の混戦状態となった。最終
会議は授業終了後も、予定のないメンバーによって続け
しかし、まだ最終決定というわけではない。この日の
力の高い企画であると評価された。
てこれからの未来への視点を兼ね備えており、最も総合
職としての農業が抱える不安や問題の深刻な側面、そし
ィアで取り上げられることも増えた農業の明るい側面と、
104
む姿は、どんな上辺の言葉よりも確かな説得力を持って
う。長い時間をかけて、悪戦苦闘しながら会議に打ち込
実を記す方が、より鮮明に川上ゼミの実態を表せるだろ
たらしい。恐らく今年の雑誌も、去年に負けない力作に
十四ページ分の記事と、九ページ分のコラムを勝ち取っ
に決定したとの連絡を受けた。あの後、二年生も奮闘し、
大阪芸大に帰ってしばらく、今年の特集が﹁農業と職﹂
ライバル
有力大学探訪記
︵文・写真/三浦かれん︶
西を結ぶ縁に感謝しつつ、思いも新たに原稿に向かう。
なることだろう。我樂多文庫も負けてはいられない。東
いた。
登りは辛かった専大前の坂道をすいすいと下りながら、
もとい下山しながら、ぼんやりと今回の訪問を振り返っ
川上ゼミは、とても自由で行動的だ。問題意識と好奇
てみる。
心の土壌に根を張り、太い幹から社会に向かって枝を伸
ばす。さながら、厳しい環境でこそ屈強に育つ大樹のよ
うである。もちろん中には、家と学校、バイト先を往復
するだけの受動的なサイクルに陥ってしまう学生もいる
が、そんな学生は、
﹁専大生は山を下りろ﹂と揶揄される
らしい。きっとその言葉は、そのまま大芸生にも当ては
まる。自分の世界を外に向けて広げることは、記者や編
集者はもちろん、全ての芸術家、創作者にも求められて
いることではないだろうか。私は今回、いわば初めて山
を下りた。大学関連の活動で初めて関西を出て、自分自
身の意思で関東まで足を運んだ。もちろん、ただ行った
だけで十分な仕事ができたとは思わないし、後悔や反省
点も多いが、今回の取材を通じて、私の枝も少しは伸び
たはずだ。
はじめまして、大芸生です。
105
早稲田大学 文芸・ ジャーナリズム論系
■田舎学生、都会へ行く
大阪芸大は、学歴で見てしまうと限りなく下になる。
実際、他大学を見てコンプレックスを抱いている学生も
多い。早稲田大学︵以下早大︶と大阪芸大は、学歴だけで
比べてしまうと、まさに月とすっぽんである。早大へ向
かう私達の心持は、さながらアポロ十一号に乗った宇宙
飛行士のように緊張し、期待と不安が入り混じっていた。
新幹線から山手線に乗り継ぎ高田馬場駅で降りると学
生街が広がる。早大周辺は、大阪芸大とは比べ物になら
なかった。高田馬場という、全国屈指の学生街に心が躍
った。人の数が多く、賑わっている。閑散とした我らが
喜志駅周辺はなんだったのだろうか。JR山手線、西武
新宿線、東京メトロ東西線に乗り継ぐことができるので、
交通の点でも便利だ。
高田馬場には早大を含むいくつかの大学、専門学校、
予備校などが集中しているため、大規模な学生街が形成
された。スターバックスコーヒーはもちろん、学生向け
の安い飲食店も数え切れないほどある。大学四年間をか
けても全ての店舗を回るのは難しいだろう。留学生も多
藝大我樂多文庫 第七集
れている。羨ましい限りである。
妄想は加速していくばかりだった。
えてある
学ぶと、一体どのような人間になるのだろう。私たちの
た特設コーナーなども作られている。このような環境で
文庫や新書なども数多くあった。卒業生作家の本を集め
はもちろんのこと、小説も幅広く取り扱っていた。岩波
大阪芸大に比べ、早大にはそれがほとんどない。話題書
芸術大学という特色から、漫画もかなり多く
キャンパス内を少し歩く。まず、本屋が違った。総合
たちに対して失礼な話である。
れおののいていた。考えてみれば、会ったこともない人
ンを始める。そのような勝手なイメージを作り出し、恐
を考え、友達と顔を合わせればすぐさまディスカッショ
大の学生は皆インテリで、頭の中では常に純文学のこと
早大を目の前にし、私達はますます緊張していた。早
うだった。
用される記念会堂もあるらしく、学生の出入りも多いよ
クル活動の拠点である学生会館や、卒業式・入学式で使
学部がメインの戸山キャンパス、通称文キャンだ。サー
今回、取材及び座談会を行うのは、文学部、文化構想
活力に
見かけた。多国籍な学生街はとにかくエネルギッシュで
いのか、英語やハングルで書かれた飲食店の看板も多数
106
れた。
ちょうど今回の座談会に参加してくれる学生が迎えてく
り、取材班同士でなんとか励まし合った。扉が開くと、
夫、化け物が出てくるわけじゃない﹂エレベーターに乗
座談会が迫ると同時に、心臓の鼓動も早まる。
﹁大丈
文学部である。
問の枠が決まっている、はっきりとした基盤があるのが
スを選択する。その後はコース毎に、専門的に学ぶ。学
史系が大きな柱だ。一年次で基礎を学び、二年次でコー
や、英文学などの文学系、美術史や考古学といった文化
知的な風貌をしていると勝手に想像していたが、そんな
人間論系、社会構築論系の六つの論系に分けられている。
表象・メディア論系、文芸・ジャーナリズム論系、現代
対して文化構想学部は多元文化論系、複合文化論系、
ことは全然なかった。少なくとも風貌だけを見れば、私
文学部と同じく、二年次に論系を選択する。文学部と大
彼らは拍子抜けするくらい普通だった。天下の早大だ。
たちと何一つ変わらない。
きく異なるのは、専門領域が限られていないという所に
早稲田大学の前身は、明治十五年に大隈重信が創立し
ト論系、通称文ジャの学生に集まってもらった。﹃桐島
文化構想学部である。今回はその中の文芸ジャーナリス
ある。さまざまな分野を横断して学ぶことができるのが
た東京専門学校である。その後明治三十五年に早稲田大
部活やめるってよ﹄で有名な朝井リョウも文ジャの卒業
■早稲田大学文化構想学部とは
学と改名した。政治経済学部を中心とした十三学部を設
生である。
座談会では、英文学の研究をされている梅宮創造先生
置している。政界・財界を始め、マスコミ関係や芸能関
係者も多く輩出する。
有力大学探訪記
ライバル
まず初めに、なぜ早大の文化構想学部を選んだのか、
■小心者、早大生と相まみえる
太先生、我樂多文庫編集部から三人が参加した。
てくれた。大阪芸大からは、編集者で客員教授の福江泰
今回訪れた文化構想学部は、平成十九年に新設された。 と、梅宮ゼミの学生が二人、学部卒の院生三人が参加し
以 前 よ り あ っ た 第 一 文 学 部 と 第 二 文 学 部 を 解 体 し、 新
﹁文学部﹂と、
﹁文化構想学部﹂とに分けられた。この二つ
は似ているようで全く別物である。
第一文学部の流れを引き継ぐ文学部は、十七のコース
で構成されている。哲学をはじめとする人文、社会学系
はじめまして、大芸生です。
107
志望動機を聞いた。具体的なイメージを抱いて入学した
のかと思っていたが、
﹁文芸と言えば早稲田だと思った﹂
﹁ か っ こ い い か ら ﹂と、 意 外 に も 曖 昧 な 答 え が 飛 び 出 し
てきた。志望動機も、私たちとあまり変わらない。談笑
混じりのやり取りに、私たちの緊張も解けてくる。想像
大阪芸大の文芸学科は、ライトノベルの人気が高い傾
していた堅いイメージも、綺麗に払拭された。
向にある。一年生を対象にしたアンケートでは、ライト
ノベルが文芸に触れる原体験となった学生が多いようで
あった。早大ではどう
な の か。
﹁私自身は読
まないが、好きな人は
いる思う﹂
﹁色々なも
のの一つとして、ライ
トノベルをやりたい人
は多いのではないか﹂。
集まってもらった学生
の中には、文芸に触れ
る原体験としてライト
ノベルがある人はあま
りいないらしい。ライ
トノベルはアニメ化の
藝大我樂多文庫 第七集
た、コアなもので観世流の能サークルに所属している学
生は、読書会、バンドサークルなどに所属していた。ま
る。何を取っても規模が違う。今回集まってもらった学
れない﹂。学部生だけでも四万人以上在籍する早大であ
サ ー ク ル の こ と に つ い て 聞 く と、
﹁多すぎて把握しき
話は早大生の学生生活へと移っていく。
って文芸の道を進んだようだ。
これといった特定のものはなく、個人的な原体験に従
いと思った﹂
現代アメリカの児童文学作品を読んで、この道に進みた
た﹂
﹁フィリッパ・ピアス﹃トムは真夜中の庭で﹄などの
ズといった現代アメリカ文学から興味が広がっていっ
と思った﹂
﹁ ポ ー ル・ オ ー ス タ ー や リ チ ャ ー ド・ パ ワ ー
読んだことがきっかけ。大学ではドイツ文学をやりたい
話に惹かれていた﹂
﹁高校生の時カフカセレクションを
せんか?﹄や、三島由紀夫﹃潮騒﹄など。小さい頃から神
にどっぷり浸かった﹂
﹁村山早紀﹃魔女の友だちになりま
﹁国語の教科書を読むのが好きで、中学高校は坂口安吾
た。
集まってくれた早大生に、文芸に触れる原体験を聞い
偏差値は関係ないのだろう。
流れも多く、若年層に幅広く人気があるようだ。そこに
108
一年次からレポートなどを通して身に着けてきたような
もやを言葉にするってことじゃないですか。その基本を、
我 樂 多 文 庫 を 手 に 取 っ て い た 早 大 生 か ら、
﹁僕たちが
イメージです﹂という言葉だ。基礎を大事にする姿勢が
生もいた。
サークルでやってることを、芸大では授業として扱って
見えた。梅宮先生は言う。﹁前提条件として読むことを
教えている。良い本に出会い、時にそれに抵抗、反発す
いるイメージがある﹂という言葉が出てきた。
芸術大学という特性上、創るということが学問として
はいくつかあり、所属する学生も数多くいる。とはいえ、
は書くことをメインに展開している。作家が出ることが
一方、大阪芸大の文芸学科は専ら創作が中心だ。ゼミ
ることで良い文章が生まれると思うんですね﹂
やはりその道のプロを目指しているのは学科に所属する
全てではない。しかし、文芸という名前を冠している以
成り立っている。大阪芸大にも、音楽系のサークルなど
学生だという印象を受ける。早大と同じように、趣味と
上、作家が出てこないのは少し寂しい。文芸学科では、
だが、授業を受け持った先生によると、彼は大阪芸大の
﹁ 介 護 入 門 ﹂で 芥 川 賞 を 受 賞 し た モ ブ・ ノ リ オ は 卒 業 生
してサークル活動をしている学生がほとんどだろう。
文化構想学部の授業はどのようになっているのかを聞
いた。
集 の 三 本 柱。 そ れ ぞ れ に 複 数 の ゼ ミ、 演 習 が つ い て い
研究で卒業する人は学年で十人もいない。創作をしなけ
卒業制作を見ても、大阪芸大は創作が大半を占める。
環境を﹁ぬるい﹂と一蹴していたそうだ。
る。創作関連の授業について質問すると、一人二編ずつ
ればという強迫観念が、悪い点として出てしまっている。
梅 宮 先 生 に よ る と、 学 部 は 創 作 系 統、 批 評 系 統、 編
作品を出し、合評する形式のものがあるという。しかし、
創作という点で、早大と大阪芸大では大きな違いが出
た。とことん書くことを重視する創作中心主義の芸大。
早大生から見ても、
﹁創作をしている印象は薄い﹂そうだ。
早大では、創作を指導する授業であっても、読解を教え
あくまでも読書を基本とする読解中心主義の早大。
有力大学探訪記
ライバル
ある。読解が土台で、その発展として創作がある。書く
文章における基礎をおろそかにしてしまっている部分が
大阪芸大には読解の授業が少ない。読書、読解という、
ている。創作の前提として読書があり、批評に繫がって
いる。あくまで批評に重きを置いているようである。そ
れを、学生たち自身も自覚しているようだ。
学 生 の 口 か ら 出 て き た の が、
﹁ 批 評 と い う の は、 も や
はじめまして、大芸生です。
109
ことも大切だろうが、読むことはそれ以上に大事だと、
今回は改めて思い知らされた。出版業界を見ても、早大
には多くの著名人がいる。それは、基礎を大事にする姿
勢があってこそだろう。
ただ、有名人が多いからプロというわけではない。名
は知られていなくとも、その道で活躍する人もいる。大
阪芸大の他学科では、その方面に特化した卒業生が多い
と聞く。デザイン学科や映像学科、写真学科など、業界
に多数の卒業生がいて、門戸を開いている。文芸学科も
今後、そのような将来の道を開いていければ理想ではな
いだろうか。
最近では大阪芸大に、声優コースや、フィギュアアー
ツコースが設立された。プロの門は狭いだろうが、最先
端で面白い。これも大阪芸大の特色の一つだろう。﹁四
年間、好きなことをひたすらやれたらそれで良い﹂我樂
多文庫編集室生から出てきた言葉だ。この一言が、案外
大阪芸大の学生を象徴しているようにも思える。確かに
ぬるい環境かもしれないが、のびのびとした自由な環境
が必ずしも悪いとは言えないだろう。
福江先生は言う。
﹁大芸生は挫折しないよね。こいつ
には勝てないな、ダメだなって感じることが成熟に繫が
る。挫折して、そこから自分に何ができるかというステ
藝大我樂多文庫 第七集
など広いジャンルを吸収しているようだ。知性を漂わせ
文化に対する受け皿も広い。文学だけでなく音楽、映画
早大生は分かりやすく、簡潔な話し方をしていた。また
その後の飲み会は五∼六時間に及んだ。主観となるが、
激になり、距離も縮まった。
ような感想もあり、素直に嬉しかった。互いに大きな刺
知らない。もっと大学のことを知ろうと思った﹂という
座 談 会 後 に は、 早 大 側 か ら、
﹁案外自分の大学のことを
時折笑みもこぼれる、和やかな雰囲気のものとなった。
東京に着くまでに想像していた殺伐な座談会とは違って、
恐る参加したが、正直そこまで怖がる必要もなかった。
早稲田という名前に対するプレッシャーもあり、恐る
■座談会を終えて
同じ。怖がっていては成長しない。
た方がためになるんだと思います﹂挫折するのは早大も
のダメな部分を教えて貰っている。やっぱり一度失敗し
それは頭ごなしに悪口を言われるわけではなくて、自分
﹁たとえば、批評文を書いてこてんぱんにされる。でも
これに対し、早大生側からこのような言葉が出てきた。
書きになれると思ってる﹂
ップを踏まない。永遠に挫折しない。どこかで本気で物
110
ているような印象を受けた。しかし、たとえ偏差値が違
っていても分かり合える。月と地球は、思っていたより
もはるかに近かったようである。
︵文/中村光兵 写真/三浦かれん︶
はじめまして、大芸生です。
映画と古書の街早稲田大学学生街
七月五日。取材当日はあいにくの雨だった。どんより
とした天気のなか、高田馬場駅に降りた一同であったが、
折角ここまで来たのだからと取材を敢行することにした。
駅前には書店やドン・キホーテ、英会話教室やレストラ
ン、パチンコ店。とにかく何でも揃いそうだ。高田馬場
駅から早稲田キャンパスまでは約二キロの道のり。日本
屈指と称される早稲田大学の学生街とは一体どんなとこ
いわゆる名画座である。二本
画を二本立てで上映している、
りだ。この映画館は過去の映
が既に終了している作品ばか
が並ぶ。どれもロードショー
映されている映画のポスター
プと書かれた看板の下に、上
を見つけた。豪華ラインナッ
松竹」と大きく記された建物
し ば ら く 歩 く と、
「早稲田
ろなのだろうか。期待に胸を膨らませつつ、大通りを進
ライバル
有力大学探訪記
む。
111
立てで一一〇〇円というリーズナブルさに加えて、著名
な監督の作品を集めた特集が組まれることもあり、早大
生も数多く利用しているようだ。学生街に映画館なんて、
大阪芸大の最寄り駅・喜志の街では考えられないことだ。
「 早 稲 田 松 竹 」と い う 名 前 も 良 い。 い か に も 早 大 生 御 用
次に目にとまったのは画材額縁の看板であった。早稲
達といった雰囲気ではないか。
田大学と画材屋というワードが結びつかず首を傾げなが
ら、ひとまず入店してみる。店内には絵の具だけでなく
数点の絵画も売られていて、昔ながらの画材屋らしい雰
囲気がただよう。店の人の話によれば、以前、高田馬場
には芸術家のアトリエが軒を連ねていたという。この地
と芸術との意外な関係を興味深く感じつつ、活気ある学
生街と画家のアトリエが目と鼻の先にある当時の学生生
活を羨ましく思い、画材屋を後にした。学生街の中心へ
向かうにつれ、雨脚が強まり、父から借りた一眼レフに
容赦なく雨が降りつけた。コンビニで傘を買い、取材を
続ける。徐々に大阪でも馴染みのあるチェーン店の看板
があらわれ、それと共に、古本屋や書店の看板も軒を連
ねはじめた。
天候のためかシャッターの下りている店も多い中、新
宿区の文化遺産にも登録されている子育地蔵尊のわきに、
藝大我樂多文庫 第七集
合点がいった。取材を終えてからも私たちは本棚の前か
その言葉を聞き、多種多様な本がならぶ店内の様相に
「何でも扱うけど選んでいないわけじゃないよ」
要がある。
と同じにはならないように、絶妙なラインで本を選ぶ必
ジャンルは問わず、しかしブックオフなどのチェーン店
を ど う 活 か し て ゆ く か が 今 後 の 課 題 だ、 と 店 主 は 語 る 。
るようだ。オールジャンルの店が多いからこそ、地域性
が多い。訪れる人も、街全体で一件の古本屋と捉えてい
舗を目当てに来るというよりも街全体の古書店を巡る人
生街は神保町のような専門古書店は少なく、どこか一店
を訪れる学生の数は増えているそうだ。早稲田大学の学
屋の特集が組まれることもあり、九〇年代に比べ古書店
店主の方に話を伺ったところ、最近では雑誌等で古本
うである。
社章図鑑、妖怪なんでも入門……探せば何でもでてきそ
り、取材も忘れて本を漁った。毛皮のマリー、全国商標
がおおい、様々なジャンルの本が並ぶ店内に興奮のあま
入口からレジまで一直線に伸びる通路を壁一面の本棚
書現世」に入店した。
る店」看板に書かれた謳い文句に胸を躍らせながら、
「古
開店している古書店を見つける。「珍しい本が安く買え
112
ら中々離れられず、しばらく古本を手に取り続けた。店
行き交う早大生を眺めながら、私は小さな違和感を覚
目指して足を進めると、漱石と名の付く看板がいくつか
衝撃にどぎまぎしながらも、早稲田大学のキャンパスを
街は、意外とへんてこな物が多いんだな……。あまりの
目の当たりにし、思わず息を飲んだ。早稲田大学の学生
中、レプリカの銃がディスプレイにずらりと並ぶ光景を
には早大生とおぼしき学生の姿が見受けられた。そんな
クな店も現れはじめる。早稲田大学も近いらしい。辺り
学生街を更に進むと、赤本専門の古書店など、ユニー
といったら、大学構内への潜入取材を試みるも、ことあ
母校の居心地の良さに気付かされたのだ。それ以降の私
ましいと喚いてきた学生街取材であったが、ここへ来て
となると、それはそれで寂しい。再三、早稲田大学が羨
い込んでいた。普段はさして気にもとめないが、いない
大学にも一定の比率で、ああいった人はいるものだと思
かもわからない奇抜な装いは見当たらない。私はどこの
しても、大阪芸大でたまに見かける、どこで売ってるの
勿論のこと、金髪さえそこには存在しなかった。服装に
えた。金髪が見当たらないのだ。緑や紫、赤や青の髪は
目にとまった。余談ではあるが、この地は夏目漱石ゆか
る毎に、大阪芸大に帰りたいと、うわ言のように繰り返
内は掘り出し物で溢れている。
りの地でもあるそうだ。キャンパスが目と鼻の先まで迫
限定の非公開バイトあり」流
庭教師・試験監督、早稲田生
広 告 が 吊 る さ れ 始 め る。「 家
なり、計四冊をお買い上げ。帰りの切符代が危うくなる
預けた重たい荷物のことも忘れて、お宝さがしに躍起に
一同、古書店で本を漁った。私も駅のコインロッカーに
き返した。取材が一通り終わったということもあって、
その後は、学生街で簡単に昼食を済ませ、来た道を引
し、共に取材をしていたチームメイトを困らせた。
石は早稲田大学、限定バイト
ってくると、街灯にはこんな
の斡旋もあるのか。関心する
︵文・写真/武田 悠︶
ほど見事に散財したのであった。
ライバル
有力大学探訪記
反面、限定の文字に少しばか
りムスっとしつつ、とうとう
早稲田大学キャンパスの門の
前に到着した。
はじめまして、大芸生です。
113
法政大学 文芸コース
法政大学は十四の学部を持つ総
合大学である。六学科を持つ文学
部 の 中 で 日 本 文 学 科 は 文 学 研 究、
言語学研究、文芸創作研究の三コ
ース制をとっている。この文芸創
作コースの方針が我々の通う大阪
芸術大学文芸学科と近く、現役で
活 躍 す る 作 家 や 文 芸 評 論 家 を 教 員 に 迎 え、 小 説 を 書 こ う と
す る 若 者 の 学 び 舎 の ひ と つ と な っ て い る。 ま た、 国 文 学 会
が発行する文芸誌「法政文芸」の編集作業を文学科の有志学
生 が 行 っ て い る。 今 回 は 作 家 で あ り、 両 大 学 の 教 員 も 務 め
る 中 沢 け い 先 生 と、 そ の ゼ ミ 生 の 協 力 の も と 法 政 大 学 の 一
日に密着した。
■天まで届きそうなビル、そして志
日本の首都・東京。面積では北海道の四十分の一にし
か 満 た な い そ の 小 さ な 土 地 に は、 現 在 約 千 三 百 万 も の
人々が集まっている。そして、その人口に対する土地の
狭さを補うように、都心には高層ビルがひしめくように
藝大我樂多文庫 第七集
面白いものは出来ない。学生たちはそういう部分をしっ
ではなく、他人の意見を聞き、文学と向き合わなくては、
というものはただ机に向かってペンを走らせているだけ
生 た ち は 真 剣 に 話 し 合 い、 意 見 を 交 わ し て い た。 創 作
まうようなテーマが次々と提示される。それに対し、学
﹁ 日 記 文 学 と は?﹂と、 こ ち ら ま で 思 わ ず 考 え 込 ん で し
研 究 発 表 を 行 い、 そ こ か ら﹁ ノ ン フ ィ ク シ ョ ン と は?﹂
な授業だった。ある学生が﹃アンネの日記﹄についての
が主なのかと考えていたのだが、予想以上にアクティブ
芸大と少し似ていた。創作ゼミということで、実作指導
少人数ならではの、和気あいあいとした雰囲気は大阪
だき、ゼミの授業を見学した。
到着後、さっそく中沢先生の教室にお邪魔させていた
わらずどこか楽しげな雰囲気を感じさせる日だ。
告げるちょうちんが夏の香りを増幅させ、悪天候にも関
七月上旬。町に吊るされた靖国神社の祭りの知らせを
通う最先端のキャンパスだ。
営学部、キャリアデザイン学部など、たくさんの学生が
法政大学・市ヶ谷校地である。文学部の他、法学部や経
ヶ谷も、やはり背の高い建物が多い。その中のひとつが
建っており、思わず目がくらみそうだ。我々が訪れた市
114
見える。曇天で視界が悪くなければ、もっと遠くまで見
ちにとって、この景色はなかなか刺激的であった。その
かり意識しているのだと感じた。
授業後は、中沢先生のご厚意で、市ヶ谷キャンパス・
後は、校舎の地下階を探索し、シンプルだが利用しやす
えそうだ。東京自体に来る機会がそれほどなかった私た
ボアソナードタワーの二十六階ラウンジに案内してもら
そうな書店や、楽しそうに学生たちが集う食堂を見て回
授業後、事前に先生が声をかけてくれていた学生が集
■法政大生インタビュー
った。
った。
法 政 大 学 は 能 楽 研 究 も 盛 ん で、
﹁野上記念法政大学研
究所﹂が設置されている。また、能楽のサークルも存在
がつくられている。今回、中に入ることは叶わなかった
まってくれた。急な話ではあったが、法政大学での生活
し、二十六階スカイホールには精巧な組立て式の能舞台
が、立派なホールで行われる能はさぞ迫力に満ちている
について我々の質問に答えることを快諾してくれたのだ。
文芸コースについて、詳しく教えてください。
夏休み中の編纂となると、結構期間が短いですよ
有力大学探訪記
ライバル
半かけてじっくりと作るので、雑誌の趣旨は違うにし
ね。私たちのゼミ雑誌︵我樂多文庫︶は構想から約一年
│
間中に冊子にまとめ、後期はそれを合評します。
ょうど今は作品執筆の期間ですね。その作品を夏休み期
沢先生がゼミ生に対し課題を出したりします。そしてち
べて発表したり︵この日のゼミ授業でも行われていた︶
、中
中沢先生の研究室では前期に各々が興味のある分野を調
文芸コースには三人の教員によるゼミがありますが、
│
のだろう。少し羨ましくなる。
また、このラウンジから見える景色も素晴らしい。真
下に伸びる堀、靖国神社、そして遠目には東京タワーも
はじめまして、大芸生です。
115
ても、すごいことだと思います。作った雑誌のダイレ
クトな反応は、卒業してしまっている私たちには届か
ないので羨ましいです。
主に学内だけでの配布が現状ですね。学外にもど
文学フリマなどで売ったりしていないのですか?
│
﹁法政文芸﹂の有志委員は具体的にどのように決
有志ですから、単位には絡んでこないですよね。
いう感じでお知らせがありました。
まるのですか? 入学時のガイダンスの際に﹁興味がある方は⋮⋮﹂と
│
すね。個性的な先生も多いので、楽しいです。
特に面白かった授業とかありますか? 洛中洛外図の授業や、沖縄文芸の授業は面白かったで
│
いです。
授業が変わるくらいで、授業の幅、ジャンルは非常に広
自由度は高いですね。コースにより必修に当てはまる
ね。
芸の授業の特色などありますか? シラバスを見たり
話を聞いた感じでは、かなり多様な授業がありますよ
う広めるか、課題のひとつではあります。その他、文
│
藝大我樂多文庫 第七集
それなのに忙しく活動されることは、辛くありません
か?
自主的にやっているものですから。編集をやりたい人
たちが集まっていて、実際忙しいことは忙しいのですが、
最後の質問になりますが、なぜ法政大学の文芸コ
思う気持ちで、忙しい日々を楽しんでいるのではないだ
法政の学生も、出来るだけたくさん何かを吸収したいと
学科にいながら、違う分野の授業を受けることができる。
なく、幅広く学ぼうと意識していること。私たちも文芸
私たちに共通しているのは文学に関することだけでは
■あとがき
激になります。
学について話してくれる友達もいるので、とてもいい刺
いことに気付いた部分の方が大きいですね。真面目に文
ら文学に興味があった訳ではなく、入学してからやりた
を選んだ理由のひとつです。でも自分の場合は、初めか
ースを選んだのですか?
文学だけではない勉強も出来るというのが、この大学
│
自分で取りに行くんですよ。
作の編集は勿論ですが、掲載するインタビューのアポも
写真が入っていて、作りこまれているのが分かりますね。 それよりもやりがいや楽しさの方が強いですね。卒業制
そうですね。でも我樂多文庫も時間をかけている分、
116
ろうか。
当初は、有志や各ゼミの活
持つ、同じ文芸を学ぶ学生で
は彼らで私たちと同じ悩みを
のを抱いていたのだが、彼ら
の発想からこのグルメリポートが出来上がった。
の美味しいものをたくさん食べたい。そんな食いしん坊
取材だけではもったいない。食べることが大好き、東京
め東京へと向かった。気軽に行ける距離ではないので、
七月某日。台風の接近する中、法政大学を取材するた
東京を食す ~法政大学訪問グルメリポート~
あったのだ。法政大生は幅広
動の活発さに畏怖のようなも
い 授 業 選 択 の 余 地 を 生 か し、
自らの興味関心をグングン広
法政大学で授業を見学したあと、大学内を探索するこ
◎法政大学第二食堂
訳ではないらしいが、そういう人が今まで実際に書いた
と が で き た。 校 舎 や 書 店、 そ し て 学 食。 迷 い な が ら も
げていく。必ずしも小説家希望で創作ゼミに入るという
ことのない小説あるいは詩の分野に挑戦するためには、
様々な施設を見て回った。食堂で実食はできなかったの
夕方だったが、座っている学生の数は少なくない。食
やはり惜しみない努力が不可欠で、みんな苦労して勉強
堂はそこまで広くなく、これでは昼食時、席が足りず大
で、ここは見学した感想のみ。
にスゴイという訳じゃない﹂という言葉が耳に残ってい
変ではないだろか。そう
するのだという。忙しく活動する学生の﹁私たちは特別
る。余所の大学の取材であるから緊張もしたが、俯瞰で
思ったが、大学の外に食
メニューをざっと数え
幅が広く、うらやましい。
とを思い出した。選択の
べに行くことも可能なこ
見ることではじめて気付くことがたくさんあり、とても
ライバル
有力大学探訪記
有意義な時間だった。
法政大学の皆さん、そして私たちの夢に向かう道が明
るいことを祈るばかりだ。
︵文/阪上万月 写真/糸井桃子︶
はじめまして、大芸生です。
117
たところ約六十種類。特に一品物の小鉢が充実している。
フェアの商品も充実していて、私たちが訪れたときはア
ジアンフェアの真っ最中だった。
「豆乳冷やしうどん(韓
ユーリンチー
国風)
」
「油淋鶏」
「バターチキンカレー」といったメニュ
ーが一〇〇円から四〇〇円で食べられるのは魅力的だ。
◎CANALCAFÉ
アルコール(白ワイン・赤ワイン)
前菜盛り合わせ(サザエの香草焼き・キッシュ・マグロ
のマリネ等)
パスタ(じゃがいものニョッキ・イカのクリームパスタ)
ピザ(マルゲリータ・クワトロフォルマッジ・ナポリピザ)
焼き物
デザート
中沢先生や法政大学のみなさんとの食事会。取材を終
えたあと、夕食をごちそうになった。ここは神楽坂のお
堀に面している、洒落た店。ドラマの撮影にもよく使わ
れる有名店だそうで、台風が近づいている今回のような
天気でない限り、飛び込みで大人数はまず入れないとの
こと。階段を下りると、デッキサイドとレストランサイ
ドに分かれている。台風接近中ということでデッキサイ
ドは閉められ、レストランサイドは満席状態。運よく空
藝大我樂多文庫 第七集
っていてボリューム満点。イカのクリームパスタはさら
スでいただく。大きめにカットされたトマトと牛肉が入
赤ワインを追加。
)じゃがいものニョッキは、トマトソー
れてきた。(そのときには空のグラスも目立ってきたので、
は見た目と味のギャップが面白い。続いてパスタが運ば
酸味が強く食べ応えのあるパプリカとトマトのジュース
と甘みが閉じ込められスイーツのような茄子のトマト煮、
前菜が、プレートに一口分ずつ乗せられている。ぎゅっ
ょう? 私のお気に入りなの」という会話を交わしてい
ると、前菜の盛り合わせが運ばれてきた。八種類ほどの
る。中沢先生と「このパン、美味しいですね」
「そうでし
うな軽い食感で、ほんのり塩気がありサクサク食べられ
長いスティック状のパン)が気に入った。クラッカーのよ
う。中でも私は、中沢先生オススメのグリッシーニ(細
だ く。 四 種 類 の パ ン が 出 さ れ、 ど れ も ワ イ ン と よ く 合
ま ず は 白 ワ イ ン で 乾 杯 し、 ア ミ ュ ー ズ( 先 附 )を い た
笑顔で生演奏を聞かせてくれる。
リンを弾いており、時折各テーブルを回り、とびきりの
だというのも納得である。店内では外国人男性がバイオ
う。春にはお花見、夏にはビアガーデンとして人気の席
き、もし明るい時間なら最高のロケーションだっただろ
いていた窓際の広い席に案内してもらうとお堀が一望で
118
のでちょうどよかった。
取材のため、神保町を探索中、歩き疲れたので、一度
ティースカッシュ/六四〇円
◎ギャラリー珈琲店古瀬戸
「 こ の あ と は み な さ ん 大 阪 に 帰 る の?」
「 い え、 明 日 も
休憩しようと店を探す。するとなにやら楽しそうな店が
さらとしたソースで軽く、これまで濃い味が続いていた
東京にいます。遊ぶ予定です」
「台風が心配ですね」と赤
ォルマッジへ。チーズの風味と赤ワインの濃さがよく合
シンプルなマルゲリータをぺろりとたいらげクワトロフ
たちが訪れたときは画家でありオブジェ作家である宮本
カフェスペース、右側がギャラリーの展示スペース。私
店内にはギャラリーが併設されている。入って左側が
ワインを飲みながら待っていると、ピザが運ばれてきた。 ……。
う。ナポリピザは生クリームをベースにしたソースで甘
みが強い。次の焼き物は豪快に鶏が丸ごと使われており、 泰治さんの個展 「 Inner Space of Love
~深淵のかけら
~」が開催されていた。またカフェスペースには城戸真
切れるほどやわらかいが、弾力はしっかり残っていて、
ルな味付けでじっくりと焼かれている。ナイフで簡単に
という壁画が描かれ、店そのもの
世さん作「神保町グローバリズム」
亜子さん作の壁画、屋外は大絵晃
じゃがいも、茄子、椎茸とともに塩と香草というシンプ
ちょうどいい焼き加減。
からカラメル・プリン・生クリームと三層になっており、
類の中から好きなものを選べ、私はプリンを選んだ。下
だが、一口飲んでみると、想像し
見た目はストレートティーのよう
オーダーしたものが運ばれてきた。
ギ ャ ラ リ ー を 見 て い る う ち に、
が小さな美術館のようだった。
上には赤い木の実とチョコレート、横にはマカロンがト
料理が終わると、最後にお楽しみのデザートだ。九種
ッピングされていて可愛らしい。滑らかな舌触りで、口
ていた味とまったく違う。口に入
味が口いっぱいに広がる。飲んで
次の瞬間にはもう炭酸とレモンの
に入れるとすぐに溶ける。お腹がいっぱいでも、無理な
ライバル
有力大学探訪記
れた一瞬だけ茶葉の香りがするが、
はじめまして、大芸生です。
く食べられた。
119
いくと、グラスの底に大きくカットされたレモンが沈ん
でいる。暑さでぼんやりしていた頭には十分すぎる刺激
だった。
コーヒーがオススメのようで、飲んでみたかったが今
日は断念。豆も販売していたので、お土産にいいかもし
れない。
◎ランチョン
日 替 わ り 定 食( ハ ン バ ー グ・ 白 身 魚 の フ ラ イ ) /
一〇〇〇円
神保町での取材が一段落し、お腹が空いてきた。事前
に神保町に詳しい先生にオススメの店を聞いていたので、
慣れない道に迷いながらもそこを目指す。生ビールの形
をした看板が目印とのこと。店の前で本日の日替わりラ
ンチが紹介されていて、私たちは顔を見合わせ「これに
ビアレストランということで、店内は賑やか。ここは
しよう」と言った。
建物の二階に店を構えており、一面ガラス張りの開放的
な空間だ。平日の昼間とは思えない快適な時間を過ごせ
る。ランチタイムも三種類のビールを低価格で販売して
おり、注文する人も多い様子だ。
濃厚なソースと黄色が鮮やかなスクランブルエッグが
フワの身が、なんともいえない食感を
かに。魚フライはサクサクの衣にフワ
に口に入れると濃厚なソースがまろや
ランブルエッグの相性も抜群で、一緒
ジュワッと溢れてくる。ソースとスク
ハンバーグをナイフで切ると、肉汁が
イ ス が つ い て こ の 値 段。 か な り 安 い。
せられた魚フライ、それにサラダとラ
かかったハンバーグ、貝殻型の皿にの
藝大我樂多文庫 第七集
に行くしかない。
︵文・写真/鈴木歩実︶
た焼肉屋など、食べてみたい店もある。これはまた東京
とがある。神保町のカレー屋や、若者が行列を作ってい
にお菓子を買って帰った洋菓子店。まだまだ書きたいこ
ーヒーを飲んだ喫茶店や、パフェを食べた青果店、土産
東京には美味しい店がたくさんあった。モーニングコ
前のため我慢した、ビールと一緒に……。
など他のフライ系を食べてみたい。飲みたかったが取材
どれも美味しかったが、次の機会があれば、カツレツ
めの魚だったがあっさりと食べられた。
作り出している。ソースがさっぱりしていたので、大き
120
■江古田という街
日本大学芸術学部には二つのキャンパスがある。今回
日 本 大 学 芸 術 学 部 は、 九 十 年 以 上 の 歴 史 を も ち、
﹁日
のキャンパスほか、複数の学校が立地しており、駅構内
は西武鉄道池袋線の江古田駅。近隣には武蔵野音楽大学
お邪魔した江古田校舎は、東京都練馬区にあり、最寄り
芸 ﹂と い う 通 称 で 親 し ま れ て き た。 写 真、 映 画、 美 術、
にも各大学の広報誌などが並べられていた。大阪芸大最
日本大学 文芸学科
音楽、演劇、放送、デザイン、そして文芸の八学科で構
寄り駅である近鉄喜志駅にはそれらしきものが何もない
発行所をもつ﹁江古田文学﹂など、作品を発表する機会
に取り組める場として、各ゼミで制作する雑誌や学内に
ムまで広い領域を学ぶことができる。実践的な創作活動
七月上旬、暑さに負けじ
いたが、思った以上に選択肢があって困ってしまった。
印象だった。取材に向かう前にどこかで昼食をと考えて
周辺には十を越える商店街が連なっていて、賑やかな
ことを思い出し、取材班で顔を見合わせて苦笑する。
も多い。在籍学生数は一学年に百五十名程度、取材当時
と巡り歩いて
文芸学科では小説や詩、戯曲、批評からジャーナリズ
成されている。
は四学年あわせて六百を超えていた。おおよそ大阪芸大
イ タ リ ア ン の お 店 で は、
らしき六人組が
ってパ
私たちの他にも女子大生
り着いた
文芸学科の倍の数字である。
そんな日芸文芸学科から、今回は江古田校舎に通う谷
村ゼミの四年生を取材した。
担 当 さ れ て い る。
﹁ 地 方 へ 取 材 に 行 き 雑 誌 を 作 る ﹂と い
ランチに迷うキャンパス
は田園が広がる大阪芸大、
スタを食べていた。周囲
う目標を提示されて集まった谷村ゼミでは、取材活動を
ライフというのも、今更
講師である谷村順一先生は、DTP編集などの授業を
メインに行っている。五名の学生に取材に応じてもらっ
ながら少し羨ましい。
有力大学探訪記
ライバル
たが、みな和気藹々としていて、伺った私たちのほうが
質問責めにされるほど積極的な方々だった。
はじめまして、大芸生です。
121
本題である日本大学芸
術学部江古田校舎はとい
えば、江古田駅北口から
徒歩一分。まず目に飛び
込んできたのは、全面ガ
ラス張りのギャラリーで
あった。学内を散策した
い気持ちもあったものの、
まっすぐに西棟五階にあ
る研究室へ。谷村先生に
笑顔で迎えられ、集まっ
てくれた学生たちのフレンドリーな雰囲気にやや緊張が
ほぐれる。シュークリームをご馳走になりつつ、雑談も
交えながらの取材が始まった。
まず気になっていたのは、二つのキャンパスの違いで
ある。文芸学科の場合、一、
二年の間は所沢校舎に通い、
三年以降は江古田校舎に通うという。
﹁一、二年の間に所沢校舎でしか取れない授業があるの
で、三年になっても単位が取れないと所沢に通うことに
なるんです﹂
なお、現三年生からは江古田校舎でも教養科目は受講
できるよう改定されているそうだ。通うはめになる、と
藝大我樂多文庫 第七集
各ゼミごとに毎年一冊、学生の手で雑誌を作るのであ
ムがある。
日芸文芸学科の特徴の一つに、ゼミ雑誌というシステ
■ゼミ雑誌は力の見せどころ
があれば、隅々まで注目したいところである。
芸の学生が絵を描いていたりするそうだ。また行く機会
また、店舗のシャッターや飲食店のメニュー表にも日
化にもつながってほしいですね﹂
できないかと思って学生に提案しました。商店街の活性
パン屋さんがすごく有名な店なので、おもしろいことが
ろだし、なんとかならないかな、と。友人がやっている
ったりするんですよね。朝まで飲めるような楽しいとこ
歩くようなことがないと、江古田の街に愛着が持てなか
四年間ずっと通うわけではないので、部活の先輩と飲み
﹁僕が通っていたころもキャンパスは二つありました。
上げ、取り組んでいる最中であった。
田の商店街にある先生の知人の店とのコラボ企画を立ち
谷村先生も日芸出身である。ゼミでは、ちょうど江古
た。
か聞くと、江古田に比べれば何もないかも、と苦笑され
いう表現に引っかかったが、所沢のほうはどんなところ
122
合は一年次からゼミがあり、三年までは毎年雑誌を作成
る。大阪芸大ではゼミは三年次からとなるが、日芸の場
活動以外にも過疎化が進む十日町峠地区で運動会を開催
皮する家﹂
﹁コロッケハウス﹂という作品を制作し、創作
もともと美術学科の鞍掛先生と彫刻コース有志で﹁脱
一環として芸術学部の複数の学科がNAP︵日芸アート
する。四年次では卒業制作や就職活動に専念するという
プロジェクト︶として﹁コロッケハウス﹂に設置したステ
するなど、地域活性化運動を十年近く続けている。その
一学年につき十四から十七ほどのゼミが開講され、一
ージでパフォーマンスを行ったりもする。今回、瀬戸内
ことだった。
年次は学籍番号で振り分けられるが、二年次からは好き
芸術祭では、鞍掛先生と彫刻コースがバングラデシュ人
の芸術家たちによる集落である﹁ベンガル島﹂で﹁チャー
なゼミを選択できる。人数は多くて十五名程度、受講生
雑誌制作のための予算は学費から出され、学生たちが
ドルポン﹂という作品を夏の会期中いっぱいをかけて制
一人のゼミも存在する。
みずから使用する紙や発行部数を検討し、制作の計画を
﹁バングラデシュについて知る為に、大使館に取材の申
作し、閉会式において洋舞コースが彫刻コースの学生と
し込みをしたりしましたね。芸術祭自体は一か月くらい
立てていく。ときには業者に対し、値切り交渉をするこ
谷村ゼミでは昨年、香川県で開催された瀬戸内国際芸
あったんですが、出展するまでの準備期間も密着取材さ
ともにパフォーマンスを披露した。この模様を谷村ゼミ
術祭を取材し、雑誌を作っていた。実際に制作した雑誌
せていただいて、会場の一部を作るのを手伝ったり、彫
ともあるという。雑誌制作がきっかけで印刷会社や紙問
を広げつつ、ちょうど去年の今頃だったと懐かしそうに
刻コースの学生を招いてうどんパーティを開催したりし
で密着取材したということである。
語ってくれた。
屋に就職した学生もいるそうだ。
﹁日芸の美術学科の彫刻コースと演劇学科の洋舞コース
谷 村 先 生 の ゼ ミ で は﹁ 実 際 の 雑 誌 制 作 を 通 し て、 コ
ました﹂
した。密着取材を兼ねて、ゼミ合宿として香川県に行っ
ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に つ い て 学 ぶ ﹂と い う こ と を 重 視 し、
が芸術祭に参加していて、それを追うっていうテーマで
て⋮⋮一週間くらい滞在したチームもあったかな。お祭
様々なところに取材を行ってきたそうだ。香川県への取
有力大学探訪記
ライバル
りの模様を取材したり、県庁を訪ねたりしました﹂
はじめまして、大芸生です。
123
材の際には、飛行機を逃
藝大我樂多文庫 第七集
という形に限らず、ウェブページやスマートフォンアプ
アート、一つのハート﹂というキャッチフレーズを掲げ
て で な い と 難 し い よ う だ。 八 つ の 学 科 が あ り、
﹁八つの
学科間、また学年同士のつながりは、部活などを通し
よるものですが﹂
コラボはありました。どちらにしろ、個人のつながりに
たり、詩や小説を演劇学科の学生が朗読したりっていう
﹁ゼミ雑誌を作るときに写真学科の学生に撮影を依頼し
が挙げられた。
さらに日芸の魅力について尋ねると、他学科との交流
■八つのアート、一つのハート?
本を作るというのは、大きな魅力であるだろう。
芸学科に進んだという人がいた。学生たちの手で一冊の
生のなかにも、実務的なスキルを習得したくて日芸の文
んでいるようだという谷村先生。取材を受けてくれた学
業用の実習室などもあり、関心のある学生は自主的に学
スキルを学ぶことができる。学生が自由に使える編集作
実習や編集演習など実習授業を受講したりすることで、
雑誌制作委員として編集実務にあたったり、またDTP
創作のゼミに所属しても、編集に関心のある学生は、
すなどトラブルも経験し、 リなどを作成するゼミもあるとのことだった。
そういった面も含めて行
動力や積極性が身につい
たと語っていた。ゼミ合
宿はどのゼミも行ってい
るのか、と聞くと、希望
するゼミのみということ
だった。合宿の費用も申
請すれば補助金がおりる
そうだが、香川県まで行
くには厳しいものがあったようである。
さて、どのゼミでも雑誌の制作を行うとはいえ、シラ
バス上で編集の分野を中心としているゼミは全学年でも
二、三ほどである。ほとんどが小説など創作を主として
いるのだ。
﹁みんなで作品を出し合って、合評して、っていう内容
のゼミが一般的なんです。うちのゼミはあんまり文芸っ
説や短歌の作品集など、様々なものが見受けられた。本
他のゼミで作られた雑誌もお土産にいただいたが、小
ぽいことしてないかな﹂
124
も﹁文芸学科は何をやっているかわからない﹂とよく言
ト、一つの文芸﹂と称されることもあるらしい。本校で
る日本大学芸術学部において、文芸学科は﹁七つのアー
そういうところで頑張っている人が多いですね﹂
イターみたいな仕事をしていたり。必修が少ないぶん、
プやアルバイトをしている人が多いかな。編集とか、ラ
も少ないと思います。そのぶん、企業のインターンシッ
イブを充実させるという。
院に進むか、あるいは一般企業に就職してアフターファ
する人が多いそうだ。創作に取り組みたい学生は、大学
強みだろう。卒業後もそういった分野で働くことを志望
出版社などが身近にあるところは、東京に在る大学の
われるものだが、日芸でも同じ印象を持たれがちのよう
である。
文芸学科としての特徴については、必修授業の少なさ
選択科目としては、純文学に限らずSF小説やミステ
による自由度の高さが挙がった。
リー、漫画についての講義も開講されており、学生の多
座談会後に案内していただいた文芸学科のフロアには、
前述のとおり出版編集室やDTP室、文芸学科の資料室
様な関心に応えているようだ。他学科公開科目も、文芸
学科がいちばん多く開講されている。
があり、設備も充実している。資料室前にはラウンジも
有力大学探訪記
ライバル
った。それでも、両大学ともに学科間のつながりは薄い
である。それは日芸でも大阪芸大でも変わらない認識だ
様々な芸術分野について学べるのは、芸術学部の魅力
■チャンスは自ら作るもの
学生同士で大いに刺激し合えることだろうと感じた。
でいる人が作った本がいつでも目に入るという環境は、
業で作成された実習誌がずらりと並ぶ。同じ場所で学ん
ことだった。ラウンジ脇のラックには、ゼミ雑誌や各授
あり、そこで雑誌制作の企画会議を行うこともあるとの
﹁授業の取り方にもよりますが、他学科に比べれば課題
はじめまして、大芸生です。
125
と感じられているようである。今回取材に応じてくれた
学生たちは、文芸だけでできることは限られている、学
科外にも積極的に関わっていかないと何も始まらない、
と話してくれた。学科全体では内にこもっている学生も
多くいるということだ。
また、ゼミ雑誌に限らず、講義での実習誌など﹁自ら
作り発表する場﹂が多くあるというのは、日芸文芸学科
の大きな魅力である。自分たちの手でいちから雑誌を作
り上げていく経験ができること、また学生が作った本が
常に身近にあるということは、創作へのモチベーション
に繫がるだろう。出版・編集の講義は大阪芸大でも開講
されているが、企画から取材、記事作成、レイアウト、
校正などの編集実務を経験できるチャンスは非常に少な
い。創作分野でも、作品を発表する機会はどれだけある
だろうか。自ら学び、行動していくことの重要さを改め
学科内でさえ、互いのゼミが何をしているのかも見え
て考えさせられた。
にくい大阪芸大文芸学科。のどかな環境もこの大学の長
所であろうが、一歩でも外へ向かう気持ちを持てば、世
界はぐんと広がるのではないだろうか。
︵文/秋田理絵 写真/鈴木歩実︶
藝大我樂多文庫 第七集
江古田の学生街とファッション
七 月 中 旬。 日 本 大 学 の 芸 術 学 部 文 芸 学 科 を 訪 問 取 材
た。案の定、同じ江古田駅で降車し、北口からキャンパ
人は、きっと日芸の学生だ!」と思う男子学生を見かけ
西武池袋線に乗り、江古田へと向かう電車内で「この
かった。
いて、期待と不安を胸に、芸術学部のキャンパスへと向
色と白色の細いストライプが入ったキャリーケースを引
付いたフラットなサンダルを履き、黒色の布地にこげ茶
めた。そうして新調したネイビーカラーのストラップが
訳をして、出発前日に、財布の紐をこれ以上ないほど緩
したくない。せっかくの機会だから――そう自分に言い
学の文芸学科生の服装が見たい! と意気込んではいた
のだが、訪問取材をするのに、あまり気の抜けた恰好は
学探訪では、関東と関西のファッションの違いや、他大
私は、幼い頃からファッションが好きで、今回の他大
べて、湿度が少なく涼しいと感じた。
天気のせいかはわからないが、その日の東京は大阪に比
取材に行くことに緊張しているせいか、薄雲がかかった
するため、約十年ぶりに東京駅に降り立った。他大学へ
126
スニーカーといったベーシックな服装だったが、革ベル
白色のTシャツに、濃い色のダメージジーンズと茶色の
をしていたわけではない。大きく英字がプリントされた
スのある方面へ歩いて行く。その学生は特に奇抜な格好
まった。
顔を見合わせ、笑ってし
い出して、取材チームで
らしい。ふと、大芸を思
は、いかにも芸術大学生
さらに、キャンパスに
トの腕時計と、細身のシルバーアクセサリーを重ね着け
していた。シンプルな中にも、アクセントを上手く活用
芸大に通学する際の近鉄線でも起こる。近鉄の沿線には
うな」という、なんとなくの感覚でわかる現象は、大阪
とにしよう。ちなみに、この「きっと芸術系の学生だろ
うなときには、このベーシックな彼の装いを思い出すこ
ものが多い。トレンドものをたくさん手にしてしまいそ
一瞬の煌めきを見せ、ひとシーズンで燃え尽きてしまう
なってしまったが、衣類の他にも、タイツやストッキン
にはあまりにも大荷物なので、外から店内を覗くだけに
掘り出し物を探しに立ち寄りたくなる。今回は入店する
ンピース一枚千円! 用
事がなくても、ついつい
プも数店並んでいた。ワ
ス向けのアパレルショッ
したコーディネートだ。今やトレンドと呼ばれるものは、 向かう道には、レディー
大学が数校あるが、だいたいの大芸生は、大芸の人間か
大阪芸大は緑の多い風光明媚なところにある。のんび
グが種類豊富に陳列されていた。
りとしていて良いところだが、学生街らしい場所がない
そうでないかを、雰囲気で察することができる、と口を
揃えて言う。取材中、日芸の学生たちも「芸術系の独特
ので少し羨ましい。しかし、ただでさえ大阪は緑が少な
いところだ。繁華街や高層ビルの建ち並ぶ都会にキャン
な雰囲気はあると思います」と話していたので、なんだ
キャンパスまでの道のりを歩いていると、ビックサイ
パスがあれば、緑がほしいと思うのだろう。単なるない
か親近感を抱いた。
ズのTシャツと細身のサルエルパンツ(※)を身に纏い、
ものねだりなのかもしれない。
有力大学探訪記
ライバル
キ ャ ン パ ス に 到 着 し、
「文芸学科生の服装に特徴はあ
上下を黒と白のストライプでまとめたボブカットの男子
学生が歩いていた。遠目からでも目立つコーディネート
はじめまして、大芸生です。
127
りますか?」と尋ねてみると女子学生から「女の子はレ
ースやフリルといったメルヘンチックな服を着ている人
が多い」との返答が。必ずしも可愛らしいものを着てい
る人ばかりではないが、たしかに大阪芸大でも思い当た
る! と頷きながら聞いていた。芸術学部の文芸学科同
士、探せば良い意味でも悪い意味でも似ているところが
あるのかもしれない。
今回、取材を含め東京に三日間滞在したが、関東のフ
ァッションはすっきりとしていてスタイリッシュな印象
を受けた。また実際に関西を出て「外」から見てみると、
関西の女性は可愛らしい装いが多い事に気付いた。何故
だろう? 日本の中枢で
ある東京は、国内外問わ
ず、最新のトレンドに敏
感なのだろうか。文化と
い え ば、 関 西 に は「 神 戸
系ファッション」という
ひとつの着こなしが確立
されている。エレガント
で保守的なお嬢様風、と
いった特徴が、関西の女
性たちに広く支持されて
藝大我樂多文庫 第七集
となった。
半からのエスニックファッションの流行で、ポピュラーなもの
もとはイスラム文化圏の民族衣装であり、日本では九〇年代後
いるボトム。膝下から足首にかけて細く絞られているのが特徴。
※サルエルパンツ……股下がわかれておらず、ゆったりとして
︵文・写真/三枝翔子︶
るからこそ、ファッションは楽しいのだ。
だに明確な答えは出ない。しかし、こういった発見があ
いるのだろうか。東京から帰って来て二ヶ月経つが、未
128
京都造形芸術大学 文芸表現学科
やかではないが情緒ただよ
う店が多い。十分ほど歩い
ていると、大型のスーパー
に文芸学科をもつ。近畿圏の芸術大学ということもあっ
術大学は、私たちが通う大阪芸大と同じく芸術学部の中
くの大学を抱える学生の街としても有名だ。京都造形芸
人が訪れる国内屈指の観光地である。それと同時に、多
京都といえば、千年以上の歴史を持ち、年間約五千万
宅 街 と は う っ て 変 わ っ て、
にでてきたのだ。閑静な住
りのひとつである、白河通
めた。京都の主要な南北通
うが⋮⋮﹂という認識を改
私は先ほどの﹁喜志駅のほ
と大きな通りが見えてきた。
て、取材に訪れる前から少し親近感を抱いていた。今回、
沿道には有名飲食チェーン
■同じ芸術大学のなかの文芸学科
京都造形芸術大学・文芸表現学科長である校 條 剛先生
店やコンビニ、ギャラリーが併設されたおしゃれなカフ
めん じょう
と、二回生から四回生までの文芸学科生五人にご協力い
ェなどが建ち並ぶ。昼食を選ぶのも楽しいだろうな、と
とよく冗談半分で言っているが、茶山駅に降り立った瞬
な学舎があり、その階段︵五十九段︶をのぼったところの、
にお伺いする前、校條先生から﹁パルテノン神殿のよう
しばらく沿道を歩いていると学舎が見えてきた。取材
■自然との既存共栄
街路樹が多く、景観がとても美しかった。
横目で眺めながら通りすぎた。さすが京都というべきか、
ただき取材を行った。
■情緒ある学生街
京都造形芸術大学の最寄り駅は、叡山電鉄・叡山本線
の茶山駅。私たちが通学に利用する近鉄南大阪線の喜志
間﹁喜志駅のほうが賑やかかもしれない﹂と感じた。閑
左手にあるカフェで待ち合わせしましょう﹂という旨の
駅を、大学があるとは信じられないくらい寂れた駅だ、
静な住宅街と、緑に囲まれた通学路を歩く。ところどこ
ご連絡をいただいていたので、実際に階段数を数えなが
有力大学探訪記
ライバル
ろに京町屋を改装したアンティークショップがあり、賑
はじめまして、大芸生です。
129
ら、のぼっていく。五十九
段のぼりきる頃には、額に
汗がじんわりとにじんでい
た。
約束の時間には少し早か
ったので、学内を散策する
ことにした。大小さまざま
な学舎が、迷路のようにひ
しめき合っている。案内板
を見ると、屋上庭園という
気になるスポットを発見し
たので足を運んだのだが、これがとても大変だった。
京都造形芸術大学は、東山三十六峰のひとつ瓜生山の
すそ野に建てられている。その瓜生山に沿うように、と
にかく階段が続く。移動というより、軽く登山をしてい
る気持ちになった。よく周りを見てみると、ヒールのあ
る靴を履いている学生がほとんどいない。私たちが通う
大阪芸大も、小高い丘の上にあるので自然と共存してい
る面では同じなのだが、大阪芸大には階段があまりない。
そのかわりに、坂道が多い。良く言えば、両大学とも運
動不足になりにくい良いキャンパスだろう。慣れていな
い階段をのぼりきり、頂上から広がる景色を眺めたとき
藝大我樂多文庫 第七集
さな墓地を見ながら、カレーを頰張る。ピリっと辛めだ
サラダを注文した。四角い小窓から、大学の隣にある小
先生おすすめの豆類がたくさん入ったインドカレーと
出たりしているから席に困ることがないとのことだった。
お弁当を持参して研究室で食べたり、職員は外に食べに
少なくない。お話を伺ってみると、学生は学食ではなく
ャラリー前の芝生や学科棟の教室などで昼食をとる人も
所、喫茶店が二か所あるが、常に満席状態で、体育館ギ
ということ。大阪芸大には第一、第二食堂と学食が二ヶ
いだろう。なにより驚いたことは、席に困ることがない、
子も販売されていて、甘いもの好きな人には、たまらな
ずかに安かった。京都らしく、わらびもちといった和菓
芸術大学の学食は種類豊富で、大阪芸大よりもほんのわ
校條先生とお会いし、学食で昼食をとった。京都造形
きる。
ファッション誌が並べられていて、気軽に読むことがで
の横に設置されたマガジンラックには、最新の文芸誌や
気の良い日にぴったりなテラス席もあった。テーブル席
れた。広々としたカフェにはコーヒーの香りが漂い、天
階段を下りて、待ち合わせをしているカフェで一息入
だが、確実にカロリーは消費しているから良いのだ。
には、痩せた気がした。気だけではどうにもならないの
130
るための演習授業だ。お伺いした日は、学生自身がおす
せていただいた。アーティクル・ライティングがテーマ
すめする本を一冊選び、その書評を八百字にまとめ、合
が美味しい。他大学の学食を食す機会がなかなかないの
文芸学科のあるフロアへと先導していただく途中、階
評するという講義が行われていた。本のラインナップは
で、新聞や雑誌の記事になるような文章を書く練習をす
段の頭上に紙貼りの人形やオブジェが飾られていた。そ
の作文を集めた文集など個性豊かなものだった。まず、
で、今企画のひっそりとした楽しみのひとつだ。
ういえば、美術学科ならともかく、なぜここにあるのだ
執筆者が書評を音読し、学生同士で意見を言い合う。そ
の後、河田先生からの批評が入る。﹁誰か意見あります
海外小説、絵本、エッセイ、ライトノベル、子どもたち
ャッフルして約二十のクラスに分け、ねぶたを制作する
ろう? 疑問に思い、先生にお伺いしてみた。京都造形
芸術大学では一回生の前期 毎週月曜日に全学科生をシ
と授業があるそうだ。迫力あるねぶた作品の数々に、あ
りきたりな言葉だが﹁すごい﹂の一言しか出てこなかった。 か?﹂と問いかければ、すぐに手が挙がった。一回生と
は 思 え な い 積 極 的 な 姿 勢 で、
﹁この文脈の前後の主語が
が約三十五人ということもあってか、共同スペースで作
昼食のあと、文芸学科の研究室にお邪魔した。一学年
は大阪芸大の文芸学科も見
重ね、切磋琢磨する。これ
など、どんどん意見交換を
違う﹂
﹁内容紹介が上手い﹂
業している学科生たちは、和気あいあいとしている。副
習わなければならない。文
■「制作基礎Ⅱ」スタイリッシュな講義風景
手や事務員の方にご挨拶すると﹁大阪芸大さんは、いつ
芸の学生は、消極的であま
摘は常々されている。ひと
り意見を言わないという指
と名前が貼り出されていて、学生間だけではなく、先生
たび考え込んでしまうと黙
まじりに迎えいれてくださった。壁には学科生の顔写真
をはじめ副手と学生間の親密さを感じることができた。
ってしまい、合評が終わる
も追いつけ追い越せと、お世話になっています﹂と冗談
三限目のチャイムが鳴り、河田学先生が担当されてい
まで言葉を発することのな
有力大学探訪記
ライバル
る﹁制作基礎Ⅱ﹂という、一回生が主体の講義を見学さ
はじめまして、大芸生です。
131
い学生もいる。考えることは大切だが、せっかく誰かと
意見交換ができるのだから、有効に利用していきたいと
ころだ。
出席していた学生のなかには﹁この書評を読んで、取
り上げられた本に興味を持った﹂という意見もあり、自
分が普段選ぶことのない本に出会うチャンスなのかもし
れない。
■一回生必須! ねぶた制作と百讀! みた。するとやはり﹁京都
だのか、志望動機を伺って
なぜ京都造形の文芸を選ん
ところで、さっそく学生に、
はありがたい。落ち着いた
動きっぱなしの体に、糖分
ただくことにした。朝から
いたので、好意に甘えてい
菓子を用意してくださって
らった。ご親切にお茶やお
計五名の学生に集まっても
藝大我樂多文庫 第七集
は 学 生 の 街 だ か ら ﹂と の 声 が 多 か っ た。﹁ 京 造 の 自 由 で
面白い校風に魅かれて入学を決めました﹂や﹁芸術大学
という環境がよかった﹂という意見もあった。
そして先程見かけたねぶたについて、実際に授業を体
験した学生に詳しく話を聞いてみた。前期は先生指導の
もとワークショップを行い、そのあと集大成として、夏
季休暇に二週間かけてねぶたを制作するそうだ。朝の九
時から夕方四時十分までだそうだが、ほとんどの学生が
時間を延長して作業するという。文芸学科生は、美術学
科やデザイン学科生のように、立体作品を制作すること
えて﹁百讀
ちで読んで読了した本の要約を八百字でまとめる。その
毎週一冊を取り上げて読書会をする。その他は、自分た
六 十 冊 を 選 ん で 読 む と い う ス タ イ ル で、 授 業 の 際 に は 、
当である、千野帽子先生がセレクトした作品リストから
はラスボス﹂だと言っていたのが印象強い。﹁百讀﹂の担
目玉授業として﹁百讀﹂がある。学生が口を
ひゃくどく
そしてもうひとつ、京都造形芸術大学の一回生必須の
る。総合芸術大学ならではの悩みなのかもしれない。
そうだ。このあたりは大阪芸大と似ているような気がす
り合っても文芸学科と他学科のコラボはなかなか難しい
持つきっかけにはなっている。しかし実際のところ、知
交流の場をもうけていただいた。四回生から二回生まで、 が得意というわけではないが、同期生と横のつながりを
講義見学のあと、京都造形芸術大学の文芸学科生と、
132
うち、六百五十字は本編の要約で残り百五十字は自分の
意見・感想等に割りふられる。課題はメールで提出し、
週に二、三冊ペースで進んでいくという。これはかなり
だった。
■純文学とライトノベルは言語が違う
号の企画でも一回生へのアンケートでそれが浮き彫りに
大阪芸大ではライトノベルといったエンタメ系をあつ
なっている。純文学が主としているせいか、学科内でな
の構成力を要する。大阪芸大にも一回生の必須授業とし
さらに、
﹁百讀﹂では課題の出来が悪いと再提出の場合
かう演習授業がほとんどない。しかし、カリキュラムに
もあるそうで、十回以上先生とやりとりをする学生もい
んとなくタブー視されているラノベ問題。京都造形芸術
て、古典作品を読むという授業があるが、ここまでのハ
るそうだ。
﹁くじけそうになる時もあるほど大変ですが、
大学では、ライトノベルがどのような立ち位置なのか、
反して、学生内でのライトノベル人気は高いようだ。今
出来の良い課題には先生からコメントが書かれていたり
校條先生にお伺いしてみた。
イペースではない。
するので、やりがいがあります﹂とのこと。面白い授業
ができる。自分が手に取らないような本を受け入れるこ
バラバラなので、今までと違う考え方を身に着けること
んですよね。でも、百讀の授業で扱う作品は年代も国も
が多い。自分の好みで偏った本しか読まなかったりする
たと言っても、趣味の範囲内で留まってしまっている人
﹁大学に入った当初は、高校の頃に文芸部に所属してい
いや、エンターテインメント全体に対して同じ考えを持
トノベルは教養ではないっていう考え方なんですよね。
学部そのままの体質を残している大学からすると、ライ
の要求に対応しきれていないと感じていました。昔の文
るんですよ。けれど、一般的にどの大学でもそういう層
ライトノベルが書きたくなって入学してきた子は結構い
﹁我々の学科でもアニメの次に原作を読んで、自分でも
について聞いてみても、やはり﹁百讀﹂が挙がる。
とで、そこから新たな発見がどんどん積み重なっていく
っているのですね。そういった通俗ものは自宅で楽しん
有力大学探訪記
ライバル
大学では、純文学や批評を勉強するべきである、と。た
でいればいいのであって、大学で学ぶべきものではない、
ので、面白い授業だと思いますね﹂
やはりこれだけ厳しい授業を乗り越えると自信につな
が る の だ ろ う か。﹁ 百 讀 ﹂に つ い て 話 す 学 生 の 顔 は 快 活
はじめまして、大芸生です。
133
しかに純文学の頭の使
い方のほうが、人生へ
の思考が深くなる可能
性はあります。
ただ、ミステリー始
め、すべてのエンタメ
に当てはまる理屈なん
ですが、子どもの時からラノベだとかを読んでいる人は
一種のテンプレートと言うか、脳内にエンタメのシステ
ムを構築する基盤が植えつけられるんですよ。若い時か
らテンプレートを会得した人とそうでない人とでは、か
なり成長が違ってきます。編集者時代に担当していた作
家ではありませんが、
﹃グイン・サーガ﹄
︵※1︶を書いた
栗本薫さんとかは、極端に言うと頭ではなく手が物語を
紡いでいたと思うんです。いわゆる自動書記です。一体、
あのシリーズは何冊あるんでしょうか。途中で作者が亡
くなっちゃったので中断しましたが、いくらでもまだ生
産できたと推測しています。頭の中にテンプレートが何
千枚と重なって保存されているから、流れるようにプロ
ットが湧きだしてくるのだと思うんです。伝統的な私小
説作品や芥川賞系の作家のものばかり読んでいては、あ
る日突然ファンタジーを書こうと思い立っても書けるも
藝大我樂多文庫 第七集
した。百のうち半分くらいをキャラクターの面白さに重
通の小説におけるキャラクターと同じ意味で捉えていま
キャラクター小説って言われますが、僕は文字通り、普
ャラクター﹂っていう言葉の意味。よくライトノベルは
す が ⋮⋮。 あ と、 ず っ と 勘 違 い し て い た の で す が、
﹁キ
が あ る ん で す が、 学 生 の 皆 さ ん は 知 っ て ま す よ ね?
﹁ぼっち﹂とか﹁属性﹂とか、その程度は知っていたんで
て京造に来て知った言葉で﹁中二病﹂
︵※2︶っていうの
を理解しようたって難しい。言語が違うんですよ。初め
もっとも、僕のように若くない身には、ライトノベル
いてあげたいのです。
エンタメ志向の強い学生には大学の時からその方向に導
ライトノベルには簡単に乗り移れないでしょう。だから、
ょうが、ミステリーやファンタジー、それからもちろん
とかポルノグラフィ方面なんかには進むことは可能でし
か難しいのではないでしょうか。いわゆる、恋愛ものだ
かってから、エンタメに転じるっていうことも、なかな
勉強していて、将来純文学では食っていけないことが分
考えるわけです。大学に在学しているときには純文学を
大学の時からそれについて勉強していないといけないと
そういう意味で、将来エンタメを書きたいという人は
のではありません。
134
きを置いている、そういう要素が強い小説をキャラクタ
オリジナルなストーリーを創造できるかどうか、そこに
りと勉強ができたりっていう、そういう意味だったので
ったり、オッドアイだったり、眼鏡をかけている子はわ
ラノベにおけるキャラクターっていうのは髪の毛が紫だ
すが、それが難しいということも分かっています。
文芸の多ジャンルに対応しなければならない時代なんで
と評価ができないということになります。教師が一人で、
も、こちらがファンタジーを多少とも読み込んでいない
ー小説だと思っていたのです。しかし、そうではなくて、 レヴェルの差異を見分けるポイントがあるはずです。で
す。完全なお約束の記号の組み合わせがキャラクターな
名になったラノベは読んでいます。
﹃ソードアート・オ
て批評なんか出来ないわけです。もちろん僕も多少は有
特有のシステムが機能していて、純文学の物差しを当て
ないことになります。ラノベにはラノベというジャンル
だから学生が書いたものを読んでも、うまく批評でき
が多いからだと思うのです。純文学とラノベが若者の特
どうしてかというとミステリーは現実を描いていること
んでいないし、興味を持っている子が多くないようです。
ミステリーに馴染まない子が多かったりする。あまり読
生は、現実に触れたがらない人が多いからです。意外と
のかな、という疑問も持っています。そういう趣味の学
ただ、ラノベやファンタジーに染まってばかりでいい
ンライン﹄
︵※3︶や﹃とある魔術の禁書目録﹄
︵※4︶など
権だとすると、ミステリーは大人の世界なんですね。現
んですね。
は読みやすいし面白かった。でも、兵器の説明ばかり出
界からは逃れていたいんでしょうね。現在、テレビから
実の辛い状況や社会問題を描いていたりするから、目を
小説から、警察を題材にした作品の多さはすごいでしょ
てくるような趣味性の強いラノベは全然ダメだったりし
ライトノベルとファンタジーが好きな子で学科の学生
逸らしたいのではないでしょうか。ざらざらした現実世
の半分くらいを占めているのではないですかね。卒業制
う。それを見たり読んだりしているのは、学生ではなく
ます。
作でも異世界ファンタジーがとても多いです。学生たち
て、勤め人や主婦層なんですね。
有力大学探訪記
ライバル
たちは、しっかり自分の世界を持っている、特別な存在
でも、アニメから始まってラノベに移行してきた学生
は、
﹃ロード・オブ・ザ・リング﹄みたいな伝奇冒険ファ
ンタジーに浸かって育ってきてますからね。でも、そう
いうのってどうしてもパターンが似てきてしまうので、
はじめまして、大芸生です。
135
なのかもしれないですね。ネットやテレビで見て映像だ
けで満足するだけじゃなくて、言語を使って小説を書こ
うと思ってきてくれたわけだから。アニメを観ているだ
けで、その先に行こうとしない子供たちのほうが圧倒的
に多いと思いますよ。
ただ、さっきも言った通り、純文学とライトノベルは
もうとことん言語が違う。どんどんラノベ志望の子たち
を受け入れて、うちの学科の魅力のひとつにしたいとは
思うのですが、今述べてきたように教師が対応できるか
という心配が残ります。来年は集中講義という形でライ
トノベルに対応した講義を予定していますが、ゆくゆく
は通年週一コマでもそういう授業ができればいいなと思
っています。ラノベの最前線で頑張っている作家が講師
に欲しいのですが、そういう奇特な御仁はなかなか見つ
かりません。そういうこともあって指導するうえで難し
い問題はたくさんありますけど、出来る限り学生の要望
に対応していきたいと思いますね。
『 グ イ ン・ サ ー ガ 』故 栗 本 薫 原 作 の 大 河 小 説。
( ※ 1)
一九七九年五月に「SFマガジン」にて初掲載。九月に早川書
房より文庫版第一巻が発刊された。二〇〇九年には生誕三〇周
年を迎える日本ファンタジー小説の金字塔。単一作家として世
界最長の作品と言われており、累計発行部数は三〇〇〇万部を
136
藝大我樂多文庫 第七集
超える大ベストセラー。世界各国でも翻訳版が発行されている。
「中二病」中学二年生頃から始まる思春期に見られる、
(※2)
背伸びしがちな言動を自虐する言葉。転じて、現在では思春期
にありがちな、自己愛に満ちた空想や思考などを揶揄したネッ
トスラングとして定着している。実際に治療が必要な肉体的あ
るいは精神的な病とは無関係である。
『ソードアート・オンライン』川原礫原作のオンライ
(※3)
ン小説およびライトノベル。二〇〇二年の電撃ゲーム小説大賞
用に執筆した長編小説を、自身のウェブサイトで掲載していた。
二〇〇四年ごろにはオンライン小説として高い評価と知名度を
得ている。その後、電撃小説大賞で大賞を受賞。電撃文庫から
商業作品として刊行される。現在では全世界一四〇〇万部を超
える大ベストセラー。ゲームやアニメを始め、様々な形でメデ
ィアミックスされている。
『とある魔術の禁書目録』鎌池和馬原作のライトノベ
(※4)
ル。イラスト担当は灰村キヨタカ。鎌池和馬のデビュー作にし
て出世作となった。SFやファンタジー要素を取り入れ超能力
や兵器といった科学サイドと、聖書や魔術といったオカルト要
素を盛り込んだ魔術サイドという、相反する設定の陣営が対立
する世界観を描いたバトルアクションもの。アニメや漫画など
様々な形でメディアミックスされている。コミックやスピンオ
フなどの関連書籍を含めた発行部数は二四〇〇万部を突破して
いる大ベストセラー作品。
■取材を終えて
近畿にある芸術大学のなかの文芸学科という、最も共
通点の多い大学ということもあって、どのようなスタイ
ルで文章を学び、創作しているのか気になっていた。学
科の設備や授業の雰囲気など違いはあるが、好きなこと
で自己表現をしようと努力する学科生の姿勢は同じだっ
た。それと同時に、将来に対する漠然とした不安やライ
トノベル問題など、近い悩みを持っていたようにも思う。
私たちの居場所を見つめなおすのにふさわしい、とても
貴重な時間だった。
︵文/三枝翔子 写真/武田 悠︶
はじめまして、大芸生です。
137
ライバル
有力大学探訪記
近畿大学 創作・評論コース
関西に住む学生に、近畿大学を知らない人はまずいない。
近 畿 大 学 は そ の 名 の 通 り、 関 西 を 代 表 す る 総 合 私 立 大 学 で
あ る。 全 国 で 初 め て 出 願 を 完 全 に イ ン タ ー ネ ッ ト 化 し た エ
コ 出 願 の シ ス テ ム や、 水 産 研 究 所 に よ る 完 全 養 殖 の 近 大 マ
グ ロ な ど、 メ デ ィ ア で 取 り 上 げ ら れ る こ と も 多 く、 関 西 屈
指のマンモス大学としても知られている。
今回は、そんな近畿大学へ赴き、福江泰太先生の紹介で、
文芸学部の奥泉ゼミを取材させてもらった。
■学生と連携する街
鶴橋駅から近鉄大阪線・普通電車に乗り込み、四つ目
の駅。長瀬駅は、近畿大学東大阪キャンパスの最寄り駅
だ。多くの学生が利用することから、一日の乗降者数は
約三万人、普通電車のみ停車する近鉄線全駅のなかで第
一位を誇るという。
長瀬駅に電車が到着すると、大学へ向かう学生の群れ
が片側の改札へ向かって一気に流れ出た。彼らのあとを
追っていけば間違いなく目的地へ りつける。そんな安
心感とともに、はじめての土地へ降り立った。
藝大我樂多文庫 第七集
人の流れがわかりやすいだけでない。改札を出ると、
っていることに驚く。徒歩十分ほどのあいだに、コ
近大生をターゲットにした商法で売り込んでいた。道端
店頭の文句には﹁学生限定﹂
﹁学生割引﹂と、多くの店が
幅広く、しかも複数あるから毎日の選択肢は尽きない。
飲食店は、喫茶店からラーメン屋、居酒屋、バーまで
いサービスも充実している。
ンビニは三軒。銀行、薬局、美容院など、あるとうれし
も
どんなお店があるのかと期待しつつ歩いていけば、何で
まなびや通りは、近畿大学西門の直前まで続く。一体
けられた。
だけではない何か、土地との深い結びつきの差を見せつ
ら、その歴史の差ははっきりとしている。しかし、それ
大阪芸術大学が南河内に置かれてから約五十年であるか
り。いまや近畿地方屈指のマンモス校として知られる。
近畿大学がここ東大阪に根をおろしてから九十年あま
生としての歓迎のされ方が、まったく違う。
方向がわからず、慌てた記憶がふいによみがえった。学
大阪芸大に入学した当初、喜志駅からバス乗り場までの
が近大生のための学生街だということが一目でわかる。
たカラフルなアーチが建っていた。学び舎、つまりここ
すぐ向かいの駅前商店街には﹁まなびや通り﹂と記され
138
い通学路だろうかと、いちいち足を止めながら進んだ。
にはクレープ屋などの屋台も出ており、なんと誘惑の多
くまで学内に残っていた学生が、ひとりの夜道を安心し
店が明るく並んでいて、人通りのにぎやかな場所だ。遅
どれだけの店が営業しているのか、また学生が利用する
ように感じた。時代によっては繁盛したのだろう。現在
っては五十メートルに一店舗くらいの間隔で並んでいる
受ける。カラオケ店、ビリヤード場、そして麻雀荘に至
も 積 極 的 な よ う だ。 そ れ を 考 え る と、 大 芸 生 に と っ て
学行事への協力や、大学共同のイベント、地域の防犯に
連携が大きく打ち立てられている。ポスター配布等の大
ムページを確認すると、その方針のひとつに、大学との
ま な び や 通 り を 運 営 す る の は﹁ 近 大 前 商 店 会 ﹂。 ホ ー
て帰路につける。このことは大きい。
ことはあるのかはわからないが、やはり衝撃的であった。
﹁繫がる街﹂とは一体どこにあたるのだろうか。そもそも、
遊技場の多さには、いかにも古い学生街という印象を
学生にとっては、日々の憩いの場。ひとりで時間を潰
くらでもコマーシャルの手
客が見込めるのだから、い
いて、かつ毎日一定の通行
ない。また商店会にとっても、そもそも客層がわかって
そらく当日には学内だけでなく、ここまなびや通りも巻
らこのときにはまだ感じ取ることができなかったが、お
阪キャンパスの学園祭である。その雰囲気は、残念なが
も立てられていた。十一月に開催される、近畿大学東大
取材に訪れた日、通りには﹁生駒祭﹂の看板がいくつ
存在するのだろうか。
法がある。学生街という場
き込んでのお祭りになるだろう。近畿大学と商店会との、
すにも、放課後に友人同士で立ち寄るにも、悩む必要が
所は、需要と供給がこんな
︵文・写真/糸井桃子︶
日々の結束の成果である。
有力大学探訪記
ライバル
活気ある学生街を抜けると、近畿大学東大阪キャンパ
■近畿大学を歩く
にも簡単に成り立ってしま
う。実際、私たちが取材に
利用した居酒屋は、入店か
ら退店まで、店内はつねに
学生の客であふれていた。
何より、これだけ多くの
はじめまして、大芸生です。
139
スが見えてくる。遠目にもはっきり分かる煉瓦作りの西
門は、これぞ近大と思わせる大学のシンボルである。
大学に足を踏み入れた瞬間、思わず﹁おぉ﹂と声が漏
れた。まず、すれ違う学生の数が違う。さすが関西最大
規模は伊達じゃない。学生の多さに田舎者のような戸惑
いを感じつつも、校内を少し散策させてもらうことにし
た。
売店や食堂を見学しながらしばらく歩いていくと、気
になる場所を見つけた。
近畿大学英語村。二〇〇六年にオープンしたというこ
の施設は、要するにイベントスペースを備えた広いカフ
藝大我樂多文庫 第七集
なる。出てすぐの横断歩道を渡ると再び大学校内となり、
進んでいくと、一度、東正門から大学の外へ出ることに
カフェや学食、ホールを横目に見ながら、校内を東へ
だ。
かえば、学生はすぐにでも海外へ飛び立てるというわけ
は、本屋で旅行用の本を購入し、トラベルセンターへ向
ラベルセンターがある。英語村で生きた英語を学んだ後
な海外旅行用の本が充実していたし、近大の学内にはト
ンター梅の木﹂という書店には、
﹃地球の歩き方﹄のよう
いだろうか。そういえば、西門手前にあった﹁ブックセ
近にあれば、英語への苦手意識も自然と薄れるのではな
あったり、見るからに楽しそうだ。こういった場所が身
ューが期間限定で提供されていたり、季節のイベントが
イラストで内容はだいたい理解できる。世界各国のメニ
トカレンダーも全て英語で書かれていたが、添えられた
うは多くの学生で賑わっていた。掲示されているイベン
ら店内に入ることは叶わなかったが、ガラス張りの向こ
学の学生か教員、またその同伴者に限るため、残念なが
ィアでも盛んに報じられている。利用できるのは近畿大
本の大学では初となるユニークな試みとして、各種メデ
行われる。いわば、学内にある小さな外国だ。これは日
ェのような場所なのだが、中でのやりとりが全て英語で
140
その奥に文芸学部の建物がある。
部というのは、言うなれば文学部と芸術学部を兼ね備え
ルや会議室。自由時間を過ごせる場所が一カ所に集約さ
ンビニ、二階にはゆったりしたラウンジ、三階にはホー
階建ての学生ホールがある。一階にはフードコートとコ
東正門から入ってすぐ、文芸学部の建物の近くには、三
つまり文芸学部の中には、文学を学ぶ学生だけではなく、
立する芸術学科には舞台芸術専攻や造形芸術専攻がある。
していくのだ。今回取材させて頂くのは文学科だが、並
そしてその先でさらに細かい専攻、コースへと枝分かれ
史学科、英語コミュニケーション学科の四つに分かれる。
文芸学部はまず大きく、文学科、芸術学科、文化・歴
た学部なのである。
れていてとても便利そうだ。強いて不便さを挙げるとす
西門から遠くて不便かと思いきや、そんなことはない。
れば図書館が遠いことくらいかと思ったが、そちらも問
大阪芸大にも様々な芸術分野を学ぶ学科があり、学内
演技や戯曲、ガラス造形や立体造形、油彩画や版画、空
で制作に励む学生の姿もよく見かける。芸術学部のみの
題はない。文芸学部が使うA館の中には、図書館文芸分
また、文芸学部が使う設備の中には、アート館やガラ
牧歌的な大阪芸術大学と、関西屈指の規模を持つ先進的
間デザインを学ぶ学生もいる。だから近大は一般大学で
ス館といった少し変わったものが含まれている。アート
な近畿大学。共通点なんてまるでない正反対な場所だと
館がある。分館にも、文学や言語、芸術関連分野などを
館は、演劇や舞踊が上演出来る、照明や音響機器を備え
勝手に思いこんでいたが、様々な芸術分野を学ぶ人のと
ありながら、まるで芸術大学のような設備を持っている
たホール。ガラス館は、原料を炉で溶かすスペースと加
なりで文章を学んでいるという点では、似た部分もある
中心とした二万三千冊の図書と、四十誌以上の雑誌、映
工や造形を行うスペースが設けられた制作室。芸大生と
のである。
してはとても親近感を覚える設備だが、なぜ近大は芸術
のかもしれない。相違点と類似点、両方に面白さを感じ
像資料や語学教材が っている。
大学ではないのにこんな設備まで持っているのか。その
ながら、広い学内の散策を終えた。
有力大学探訪記
ライバル
私たちが取材させて頂くのは、近畿大学文芸学部文学
■書き方なんて教えられない
理由は、文芸学部の構造にある。
取材前、私は近大の文芸学部というのは、いわゆる文
学部に近い学部だと思っていた。しかし、近大の文芸学
はじめまして、大芸生です。
141
科日本文学専攻創作・評論
コース、奥泉光ゼミ。今回
は、その飲み会の席にお邪
魔した。
奥泉光先生は、一九八六
群﹂を﹁すばる﹂に発表して
年、処女作﹁地の鳥天の魚
以来、野間文芸新人賞や芥
川賞など、数々の高名な文
学賞を受賞してきた。そし
て 二 〇 一 四 年 に は、
﹃東京
自叙伝﹄で谷崎潤一郎賞を受賞したばかり。すばる新人
賞や群像新人賞、芥川賞の選考員としても名高く、私た
ち文芸学科生からすれば、まさに雲の上の存在である。
そんな奥泉先生は、近畿大学でもう十五年近く教鞭を
執られている。現在はゼミをメインに、隔週で創作に関
する授業を受け持つ。取材の日は、奥泉先生のゼミの三
回生、四回生、大学院生、合わせて六人の学生が集まっ
てくれた。
奥泉先生の研究室前で挨拶だけ済ませ、学生街にある
洒落た飲み屋に移動する。二階の席でテーブルを囲み、
和やかな雰囲気の中、取材を兼ねた飲み会が始まった。
藝大我樂多文庫 第七集
どのようにしてその課題を乗り越えたか、学生たちは
マンションだけをひたすら描写する﹂
﹁マンションという言葉を使わずに、原稿用紙十枚分、
ゼミで出された風景描写の課題のことなのだという。
業で取り上げた作品名かと思ったが、それは過去に奥泉
生から﹁マンション﹂という言葉が出てきた。最初は授
学生たちにゼミの授業内容を尋ねてみると、何人かの学
では、奥泉先生はどのような授業を行っているのか。
ごいじゃん﹂
知らないものも探してきてほしい。それができたら、す
たら、面白い本を探してこいって。極端に言えば、僕の
てところから言ってるね。授業なんか聞いてる暇があっ
﹁僕はまず、
﹃何をどう読むか﹄の、
﹃何﹄を探してこいっ
っさり提示してみせた。
﹁ 創 作 を 教 え る こ と は 不 可 能 ﹂と い う 明 快 な 答 え を、 あ
という根本的な疑問があったからだ。しかし奥泉先生は
っ た の も、 私 た ち に﹁ 創 作 を 学 ぶ と は ど う い う こ と か ﹂
そもそも、こうして創作を学んでいる大学に取材に伺
な言葉が飛び出した。
自己紹介と乾杯の後、奥泉先生の口からいきなりそん
えるってことは、できないから﹂
﹁僕は、創作の書き方を教えてはいないね。書き方を教
142
﹁実際に行って壁の質感を見たり、とりあえずマンショ
思い出話をするように盛り上がる。
の人数は少ないんだけどね﹂
﹁ただ、英語でやるというと敷居が高くなるのか、ゼミ
見直す必要はあるのかもしれない。
苦労話にもそれぞれの個性が滲む。各人が提出した課
﹁後半になると、もう書くことがなくなってきて困った﹂
を覚えていることがよく分かる。そして何より、先生と
を語る時、とても楽しげだった。ゼミでの勉強に充実感
しかし、取材に応じてくれた学生たちは、ゼミのこと
科内では厳しいゼミとの評判もあるらしい。
奥泉先生が苦笑したように、奥泉ゼミは少数精鋭。学
ンの写真を撮りまくったり﹂
﹁普段は見ないマンションの排水溝とか花壇の花とかを、
題は、同じマンションを書いていても、全く違った視点
学生の距離が近い。先生が親しげに学生と話す様子は、
ずっと見て﹂
から描写されており、他人の描写を読むことも大きな刺
ほどだった。実はその和やかな空気に便乗して、私たち
一瞬、奥泉先生が文学界の権威であることを忘れさせる
また、奥泉ゼミでは翻訳にも力を入れている。授業で
も奥泉先生にサインを頂いた。束の間、取材中であるこ
激になったそうだ。
は長い時間をかけて翻訳に取り組んだこともあるらしい。
とも忘れて真新しいサインを眺めていた。
基礎﹂、
﹁創作技法﹂、
﹁比較文学﹂など、授業名を聞くだけ
論コースのカリキュラムにも、
﹁推理小説論﹂、
﹁歴史小説
近畿大学の授業はバラエティに富んでいる。創作・評
■学生に添うカリキュラム
﹁日本語を磨くには、翻訳が一番いいからね﹂
現在、日本で活躍する作家の中にも翻訳を手掛けてい
る人は多い。奥泉先生が語ったように、英語を日本語に
するという不可能に挑む中で、自身の言葉が深まってい
大阪芸大で英語に触れる機会と言えば、必修授業の簡
くのだろう。
また、サブカルチャーやエンターテイメント系の授業
で興味が湧くものがたくさんある。
め、英語を身近に感じることが出来る環境がある。もち
も充実しているという。モノクロの作品から最新の作品
単な英語くらいだ。その点、近大には前述の英語村を始
ろん大阪芸大が英語にばかり力を入れるのは本末転倒だ
まで幅広く扱う﹁映像芸術論﹂などは、学生からの人気
有力大学探訪記
ライバル
も高いそうだ。他にも、筆ペンだけを使って古文書の読
が、私たちも言葉を学ぶ者として、一度語学のあり方を
はじめまして、大芸生です。
143
み方を学ぶ授業や、半分以上が手話と板書のみで行われ
る授業など、印象的な授業の話も伺った。
演習形式の授業が多いのも特徴的だ。例えば、創作評
論コース二年次には、必修の﹁編集企画﹂という授業が
ある。ランダムに分かれた班ごとに、フリーペーパーの
制作を行う。定められたターゲット層に向けて、企画か
ら取材、執筆まで全てを行い、最終的には、各班が作っ
た作品を比較し、論評をし合う。
大阪芸大では、編集を演習形式で学ぶことができるの
は三回生になってからだ。それに比べて近大には、演習
系の授業が、種類、数、共に充実している。演習に関し
ては、奥泉先生もこう語ってくれた。
﹁基本的には、講義ってつまんないよね。自分が大学生
だった頃、演習がいちばん勉強になったっていうのがあ
るから、僕もなるべく演習をやってあげたいなって思う
取材を進めるうちに、この自由度の高さと柔軟性が近
んだよね﹂
大文芸学部の大きな特徴の一つであることが分かってき
た。近大の文芸学部では、大阪芸大でいう専門関連科目
と同じように他の学科の授業を受講することが可能で、
相互に単位認定されるものも多い。また、単位認定こそ
されないが、複数のゼミに出入りすることも可能で、ゼ
藝大我樂多文庫 第七集
りつつ、今
同じ関西にありながら、近大と大阪芸大、何がここま
回の大学取材を振り返る。
大阪芸大からの帰り道とは全く違う道を
える楽しげな学生の笑い声も、なんだか新鮮だった。
番だと言わんばかりに明るい光を放っている。漏れ聞こ
ちた暗い中、両側に並ぶ飲食店は、むしろこれからが本
よりも活気づいていることに気付いた。日もすっかり落
飲み会を終えて長瀬駅へ歩いていると、学生街が昼間
応じてくれた。
か、奥泉先生も学生たちも、終始親しげな様子で取材に
会を続けた。同じ関西の大学生同士ということもあって
和やかな空気のまま、二時間半ほど取材を兼ねた飲み
■隣の芝は
に対応できる環境を羨ましく感じた。
欲的な姿勢に驚かされると共に、多岐に渡る学生の興味
いずれにせよ近大を見習いたいものである。近大生の意
の低さにあるのか、受け皿の狭さにあるのかは不明だが、
が、その人数は決して多くない。その理由が学生の意識
大阪芸大でも所属ゼミ以外に出入りすることは可能だ
だ。
ミを掛け持ちしている学生がなんと半数近くもいるそう
144
はいつでも青く、羨
とても多い。隣の芝
から学ぶべきことは
ある。私たちが近大
の答えはいくらでも
ム、学生の意識、そ
地条件、カリキュラ
だろう。学生数、立
の違いだけではない
一般大学と芸術大学
間にあるのは、単に
で違うのか。両者の
していつか、今回取材させて頂いた皆さんと共に文学の
科を、他大学に負けない魅力的な場所にしていける。そ
紙とペンさえあれば、私たちはきっと大阪芸大の文芸学
葉によっていくらでも変わっていける。その強い意志と
皆さんと言葉で繫がることができたように、私たちは言
とができると信じている。今回、取材に協力してくれた
かし私は、大阪芸大の文芸学科は、すぐにでも変わるこ
上の学科だ。足りないものは数え切れないほどある。し
大阪芸大の文芸学科は今、問題点や不満も多い発展途
ない。これは、どこの大学で学んでも同じことである。
野では、必ず最後は自分一人で言葉と向き合わねばなら
葉と向き合うことだけではないだろうか。文芸という分
︵文・写真/三浦かれん︶
未来を築いていけることを、心から願っている。
ライバル
有力大学探訪記
んで卑屈になること
はとても簡単だ。特
に近畿大学は距離が近い分、私たちにはずいぶんと眩し
く見えてしまう。しかし、大阪芸大には大阪芸大の色が
ある。私たちは今、ないものをねだるのではなく、ある
ものを見つめ直すことで、芸術大学に在籍することの意
味を考えていかねばならない。
そして、もし大阪芸大の文芸学科が今すぐにでも他大
学に追いつけることがあるとすれば、それはただ一つ、
一人一人の学生が、他大学の学生以上に真摯になって言
はじめまして、大芸生です。
145
藝大我樂多文庫 第七集
こ の 企 画 は、
「文豪の足跡を辿る」
織田作之助は大阪の人である。大
阪に生れ、大阪で育ち、大阪で書き、
しかし東京で死に、その墓は大阪に
ある。生まれ育った風景や人を、愛
情と共に作品へ注ぎ込んだ。
大阪出身の作家は多いが、その土
地を前向きに解釈して書いた作家は
そう多くない。川端康成は、次々と
肉親をなくした後は寄り付かず、梶
井 基 次 郎 の 代 表 作﹁ 檸 檬 ﹂も 舞 台 は
京都で、育った町などに関しては全
く描いていない。これらの大作家に
対して、オダサクは大阪に腰を据え、
地元を徹底的に描き、若くして死ん
でいったのである。
阪 府 立 高 津 中 学 校︵ 現 府 立 高 津 高 等
大 正 十 五 年 四 月、 オ ダ サ ク は 大
信するのだから誰よりも大阪を愛し
町内があっと驚いた。
出るとは思われていなかったらしく、
地裏の魚屋から進学校への合格者が
学 校 ︶に 入 学 す る。 当 時、 貧 し い 路
界隈を歩いた。
婦 善 哉 』の 舞 台 と な っ た 地、 な ん ば
彼 の 生 ま れ 育 っ た 町 や、 代 表 作『 夫
親しまれている織田作之助を選んだ。
た 作 家 が 良 い と、 オ ダ サ ク の 名 称 で
と い う 案 か ら 出 発 し た。 大 阪 か ら 発
オダサクの青春を歩く
146
オ ダ サ ク の 青 春 時 代 を 感 じ つ つ、
を合わせ、何を言えばいいかわから
いくのは仕方がないだろう。墓に手
られたそうだ。オダサクが生まれて
千日前の道を西へ下ってなんば界
なかったが、行ってきますと伝えた。
高︵現京都大学︶に入学したのだ。た
隈で遊ぶことを、オダサクは﹁下に
寺を横目に見ながら、千日前通り
から百年が経つ。町、人が変わって
行 く ﹂と 言 っ て い た ら し い。﹁ 木 の
を進む。オダサクが生まれた上汐町
だの不良ではない。
都﹂にそう記されている。私もそれ
は、ちょうど上町筋と谷町筋に挟ま
四天王寺周辺から千日前界隈を歩い
天王寺区 差町にある。近鉄大阪上
に則って、高津高校の校門から道頓
た。
本町駅改札口から、千日前通りに出
堀に出る西へ足を踏み出した。
織 田 作 之 助 が 通 っ た 高 津 高 校 は、
る。上本町東六丁目交差点を直進し、
れている。その近くにある誓願寺に
小橋町交差点を左折、北に進む。信
辺り一帯には、天王寺という地名
の通り、寺が各所に門を構えている。 は、オダサクに影響を与えた井原西
号を越えて真っ直ぐに進むとスクラ
ンブル交差点と出会う。そこを斜め
鶴が眠る。日本最古の大衆小説を生
は、少し異様だ。なんでもこの辺は、 な目線で作品を残した。その感覚を、
住宅やマンション、店舗に混じって
オダサクが受け継ぐことになる。二
に横断すれば、高津高校の校門だ。
に、当時のオダサクの姿を思い浮か
日本最古の寺院である四天王寺を中
人がこれほど近くに眠っているのは
んだ西鶴は、大阪に生まれ、庶民的
べ る。
﹃ 青 春 の 逆 説 ﹄の 主 人 公・ 豹
心に町が形成されていた。度々戦場
偶 然 で は な い。 他 に も、
﹃曽根崎心
寺が平気な顔をして並んでいる光景
一は、物事を斜めから見る、一見不
となったが、今なお風情を残してい
下校途中の高校生の楽しげな顔
真面目な不良学生だ。自分の学生時
中﹄を描いた劇作家、近松門西衛門
が 眠 っ て い る 寺 楞 厳 寺 が あ る。 住
国魂神社が圧倒的な存在感を顕にし
谷町筋と松屋町筋に挟まれて、生
もこの土地に眠る。
る。
高津高校のすぐ近くに、オダサク
代を落とし込んでいるのだろう。オ
南側、千日前や法善寺あたりでぶら
職の田尻玄龍さんは、オダサクの同
ている。ここがオダサク少年の遊び
ダサクは学校が終わると、日本橋の
ぶら遊んでいた。しかし、いくら不
級生だったという。ぜひ話を聞けれ
場だった。
りょう ごん じ
良のレッテルを貼られようが、その
ばと思っていたが、五年前に亡くな
た じりげんりゅう
高校から三人しか合格しなかった三
オダサクの青春を歩く
147
残された風景と、現代の風景が隣接
い路地や商店街が佇む。時代に取り
を逸れると、人気の少ない古めかし
は人が れ賑わっているが、少し道
地下街が広がる。なんばの街の中心
っ て お り、 地 下 に は 近 鉄 千 日 前 線、
本橋駅がある。上には阪神高速が走
楽劇場を過ぎて真っ直ぐ行くと、日
そのまま松屋町筋を越え、国立文
れる。その横には、
真が額縁で飾ら
握るオダサクの写
とともに、ペンを
こ す ﹂と い う 言 葉
す 織田作死んで
カレーライスをの
は死んで皮をのこ
い が 違 う。
﹁トラ
ダサクの写真は扱
千日前商店街に入ると、自由軒と
い う 洋 食 屋 が あ る。
﹃ 夫 婦 善 哉 ﹄に
藝大我樂多文庫 第七集
り始めた時間だった。店内には客が
いう。着いたのは丁度辺りが暗くな
ように食べ、小説の構想を練ったと
で味を調節して食べる。大阪らしい
ている。卓上にあるウスターソース
カレーライスの上に、生卵が乗った
名物カレーにはあらかじめ混ぜた
戎橋筋商店街の北側アーケードに
民の好物だ。
物カレーは、まごうことなき大阪市
が通い詰めたというのも頷けた。名
しにお水をついでくれる。オダサク
席をすれば人の温もりが伝わる。お
ひしめき合い、割烹着のおばちゃん
濃いカレーの味付けが、卵の優しさ
入ると、法善寺水掛不動尊表参道と
と、自由軒が掲げている。当時の東
た ち も 慌 た だ し く 動 き 回 っ て い る。
に包まれ、それがなんとも下町風味
交差する。そこを右折、直進すると、
もこの店のカレーが登場する。オダ
他の客と相席で、名物カレーを注文
で風情があるのだ。六百八十円を払
法善寺が見えてくる。今では観光ス
ばちゃんも、せかせかとひっきりな
する。見渡すと有名人のサインが多
う価値はある。喋りはせずとも、相
京への対抗心が見て取れる。
く飾られているが、その中でも、オ
サク自身、自由軒のカレーを毎日の
﹁東京にない味
大阪市民の好物﹂
する不思議な街だ。
148
押し合うように立ち並ぶ飲食店。そ
は感じられる。きらりと光る石畳に、
繕された姿であるが、それでも風情
影響で昔のままとはいかず、一部修
も多く見かける。生憎、火事による
ポットとして賑わっており、外国人
私も水を掛け、少し良い企業に就職
自 分 の 行 動 次 第 と い う の が 面 白 い。
後押ししてくれるそうだ。あくまで
っ た 地 蔵 が、 何 で も 願 い を 手 助 け、
掛けてお参りする。苔を全身にまと
水掛不動は、名の通り地蔵に水を
な遊び心をオダサクは愛したのだろ
とも大阪らしい。そういう、大阪的
を、夫婦に見立ててしまうのがなん
しい。少ない量をかさ増しする工夫
るように見えるやろ﹂ということら
つ二杯にする方がたくさんはいって
一杯山盛りにするより、ちょっとず
オダサクは東京に出て大阪のこと
う。甘いぜんざいをすすると、包ま
できるように祈っておいた。
こ こ か ら 来 て い る。 店 内 に 入 る と、
に思いを巡らせる時、まっさきに法
水掛不動さんのすぐ隣には﹁夫婦
の中に佇む法善寺は、オダサクの言
う通り、大阪のシンボルに思える。
オダサクの写真や、
﹃夫婦善哉﹄の初
善寺が頭に浮かんだそうだ。この場
れるような、安心した気持ちになっ
版本などが壁に飾られている。他に
所が最も大阪的であると、そう言っ
善哉﹂と書かれた大きな提灯がぶら
も、映画のポスターや俳優のサイン
ている。確かに、夜にひっそり辺り
た。
などでぎっしりだった。少し高いよ
を照らすろうそくや線香の匂い、優
さ が る。 オ ダ サ ク の﹃ 夫 婦 善 哉 ﹄も
うにも思いつつも、八百円の夫婦善
しく光る石畳、法善寺の地蔵たちが、
な気がする。
︵文・写真/中村光兵︶
一人前でお碗二つに盛られるのが、 大阪を、私たちを見守っているよう
哉を注文した。
この店のぜんざいが普通のものと違
うところだ。作中に出てくる柳吉い
わ く、
﹁こら昔何とか太夫ちゅう浄
瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、
オダサクの青春を歩く
149
西へ東へ!
古書店入門
人の手から手へ本が渡っていくあたたか
さ。本が持つ個性を引き出してくれる場所。
古 書 店 に、 気 難 し く 近 寄 り が た い イ メ ー ジ
は も う 不 要 だ。 そ こ に し か な い 一 冊 を 探 し
に、西は大阪、東は東京へ、今も多くの人々
に親しまれ続ける古書店街を訪ねた。
藝大我樂多文庫 第七集
結ぶ、神保町交差点のそばに神保町駅が座す。さてどち
この街のメインストリートである。そして二つの通りを
東西にはしる靖国通りと、南北にはしる白山通りが、
時間の流れ方をしている。
では、人々の行き先に摑みどころがなく、どこか独特な
のどちらでもなく、手ぶらで散歩中のおじさん。この街
いた。出勤前のサラリーマン、いかにも軽装な学生、そ
町はすでにゆったりとした昼前のような空気に包まれて
地上へ出てみると、まだ早い時間ではあったが、神保
店街、
﹁本のまち﹂としてである。
とも認知されているわけは、やはり世界最大規模の古書
れ、学生街としても発展してきた。しかしその名がもっ
明治大、法政大、日本大、専修大などの有名大学に囲ま
神保町駅は、専修大学前の副駅名をもつ。その周辺を、
十分間、満員電車に揺られた。
り、都営地下鉄新宿線をめざす。五駅先の目的地まで約
圧しても退いてくれないスーツの群れを必死にかいくぐ
ッシュのさなかだった。案内表示のやさしくない構内、
午前八時。東京・新宿駅に降り立つと、すでに出勤ラ
東
神保町みちくさ案内
150
旅の目的である書店の多くにはまだシャッターが下ろさ
らへ進もうかと考えながら、あたりを見回すと、今回の
いく。
この街。年齢層も目的もまばらに、人々は四方へ散って
やかになっていた。出版社や問屋などのオフィスも集う
まずめざしたのは、交差点を北へ五分ほど歩いたとこ
れていた。開店は午前十時あるいは十一時の店がほとん
どだ。
ろ に あ る﹁ 誠 心 堂 書 店 ﹂。 金 字 で 大 き く 記 さ れ た 店 名 が
目をひく。ガラス張りからのぞく店内には、古書の高級
時間を潰しがてら、まずは本日の計画を立てるため、
雰囲気のよさそうな喫茶店を探すことにする。本のまち
な匂いが漂っていた。
交差点を南にすこし下り、細い路地へ入ったところに
でも老舗の古書店だ。いかにも﹁古書慣れ﹂していない
このお店は、映画のロケにも使われたことがある、一帯
千代田区の景観まちづくり重要物件に指定されている
に喫茶店は必要不可欠な存在。ここ神保町にも、本好き
喫茶﹁さぼうる﹂がある。レトロなレンガ造りに、手書
あやしい客であったが、店主さんは快く撮影を許可して
が集まるスポットが点々と隠されている。
きの看板、店内はあたたかな木製のテーブル。ほの暗い
くれた。
常を想像しながら、モーニング
やって来るのだ。そんな街の日
んだ本を片手に、腰を下ろしに
は一日中、人々がその日買い込
おそらくこの界隈の喫茶店に
に焼けた表紙、色とりどりの浮
見える。時代を感じさせる褐色
ならべるなど、店主の心配りが
装丁にこだわった和本を前面に
タ イ ト ル が 丁 寧 に 貼 り 出 さ れ、
るという。書棚には一冊ごとの
和書本が充実し、寛永時代からの作品は千点にものぼ
照明の下、白い文字でびっしりと落書きされた壁がこの
店の名物らしい。
セットで優雅に腹ごしらえをす
世挿絵。おそるおそる手に取り
し怖いが⋮⋮。知識はなくとも、
つつ、値札を確認するのがすこ
る。
午前十時、ふたたび交差点へ
出ると、人通りがすっかりにぎ
西へ東へ! 古書店入門
151
眺めるだけでも古書の魅力を存
分に楽しめる。
つぎに向かうのは、他の古書
店とは一風趣きの異なるお店
﹁m a g n i f ﹂
。神保町交差
点を東へすすみ、路地を南へ下
ると、神田すずらん通りにぶつ
かる。立ち並ぶ店々の中で、赤
と黄に外枠をふちどられた現代
的な外観がひときわ目立っていた。
店頭にならぶのは、日本はもちろん欧米のアート誌、
カルチャー誌など、ビジュアルにこだわった古雑誌が主。
これなら若者も足を止めやすい。また棚の引き出しを開
けてみると、レトロなステッカーやバッジなどの雑貨も
ならび、まるで宝探しのような店内である。しばし取材
このように、店舗によって扱う古本の傾向がはっきり
であることを忘れ、じっくりと掘出し物を探す。
と分かれているため、古書街散策の際にはぜひ前もって
下調べをしてみて欲しい。また穴場スポットを探すなら
﹁ 本 と 街 の 案 内 所 ﹂が 交 差 点 か ら す ぐ 東、 靖 国 通 り に 面
した場所に設置されており、古書探しのお手伝いをして
くれる。神保町初心者にとってはありがたい。
藝大我樂多文庫 第七集
最後に向かったのは、神保町で唯一、豆本を専門に扱
めかずにはいられない。
店主ならではの趣味がつまった品
えに、いちいちとき
ほかにも、挿絵本や蔵書票、ポストカードなど、女性
出会いがおもしろい。
れて一冊の豆本を購入した。古書店はこういった偶然の
の私も、ろくに内容も確認せずに、ただただ装丁に惹か
丁寧さや細部へのこだわりにどれも驚かされる。取材中
ている。手に取ってみるとわかるが、豆本はその装丁の
イズの本、豆本豆本、豆本⋮⋮が、ぎっしりと棚を埋め
店内撮影禁止なのがくやしいが、所狭しと手のひらサ
東へ。ビルの四階に店舗を構える。
う お 店﹁ 呂 古 書 房 ﹂。 さ き ほ ど の す ず ら ん 通 り を さ ら に
152
﹁学生さん? 神保町はいいお
店がたくさんありますよ、頑張
ってくださいね﹂と、店主から
エールをもらう。本当に、時間
さえ許せばもっとゆっくり滞在
西
大阪ぐるっと古書街さんぽ
﹁古書店街をつくって欲しい﹂阪急の創設者・小林一三
古書店トンネル
や、多くの街の人の願いが形となり、現在も存在し続け
いちぞう
場所がこの街にはまだまだ残っ
したかったもの。見ておくべき
ているはずである。
ってはこのように、いつでも本や文化に触れられる場所
店の通りと言うと、薄暗く、少し入りづらい場所をイメ
かっぱ横丁は阪急梅田駅高架下にある。高架下の古書
ている阪急古書のまち、かっぱ横丁。
が付近にあることは、とても豊かで幸運なことだ。神保
ージしてしまいがちだが、そんなことはない。駅のすぐ
本のまち、神保町。学生にと
町に限らず、古書街という空間は、私たちが感じている
よりもずっと、若者を受け入れる心の広さを持っている。 近くであるということもあり、誰でも気軽に立ち寄るこ
通路の両側には、個人経営の
とができる通りだ。
出会いを求めなければ無いものと同じだ。いわゆる学生
古書店が軒を連ねており、本好
出会いのチャンスは多いほうがいい。だが、みずから
街をもたない大阪芸大の学生。ほんのすこし足を伸ばせ
史を感じた。
書きの本などが並び、書物の歴
や昔の映画のパンフレット、手
ショーウィンドウには美術書
るだけでも十分に楽しめる。
きにとっては何気なく見てまわ
西へ東へ! 古書店入門
︵文・写真/糸井桃子︶
ば、新しいものとの出会いがいくらでも待っている。
153
一軒一軒をのぞいてみると、店内はどこも本特有の紙
が日に焼けたようなにおいがし、古きよき佇まいを残し
ている。小説ももちろん扱っているが、なかでも私の目
を引いたのは美術や音楽など、専門的な資料の豊富さで
ある。チェーン店の古本屋では、まず見かける事はない
であろう本がびっしりと並べられている。自分だけの掘
り出し物を探すにはぴったりの場所だ。 書物のユートピア 北大阪急行電鉄緑地公園駅から徒歩十分。住宅が建ち
並ぶ通りに店を構えているのが、天牛書店である。店の
まわりは人通りが少なく、店を知らなければまず訪れる
ことは難しいだろう。
店内は二階まであり、広々としていて清潔感がある。
各スペース綺麗に本が陳列されている。
歴史書や画集などもあれば、文庫本や雑誌、漫画とい
藝大我樂多文庫 第七集
すことができそうだ。
く金額で求めている本を探し出
ちろんのこと、学生でも手の届
が分かる。古書コレクターはも
高い本も扱っているということ
る本があることから希少価値の
方、ガラスケースに飾られてい
く手に入れることができる。一
文庫本は五〇円のものからあり、珍しい本も比較的安
多くの人が楽しめ、店内に一日中いても飽きないだろう。
しい雰囲気はなく、ゆったりとした時間が流れている。
ったジャンルのものもある。古書店から連想される堅苦
154
本と、人と、ふれあう
直線距離では日本一の長さを誇る天神橋筋商店街の一
角に矢野書房はある。広いとは言えない店内だが、店員
と客との距離が近く、会話が弾む。ちょっと買い物をし
たついでにでも気兼ねなく立ち寄り、本を売り買いしや
店頭には、純文学からライトノベルまで、幅広い分野
すい。
を手に取りじっくりと選ぶことができる。
︵文/浦 晶 写真/浦 晶・糸井桃子︶
古書店について
大 阪 は 天 神 橋 商 店 街 に あ る 矢 野 書 房。 店 主 を 務 め る 矢 野
さ ん は 大 阪 芸 術 大 学 文 芸 学 科 の 卒 業 生 だ。 今 回 は 普 段 知 る
の本が置かれている。店の奥には表紙のデザインがレト
ロ調で、現在ではなかなか見ることのできない雑誌や詩
こ と の 出 来 な い 古 書 業 界 の こ と や、 矢 野 さ ん 自 身 が 文 学 に
古本屋を営むうえで、大変なことはありますか?
矢野書房では、どのような仕入れ作業を行ってい
フとかもそうですね。一昔前は、電話帳に載せて宣伝し
にある要らない本を売るのが一般的なんです。ブックオ
最近では、インターネットの買い取り広告を見て、家
るのですか?
│
ですが、難しいのはやはり仕入れです。
ビ取材が来たことを思い出しました︵笑︶
。気は楽な商売
古本屋の経営はどう維持されているのか、というテレ
│
対しどんな価値観を持っているのか、お話を伺った。
集のようなものもあった。
商店街の本屋さんらしい親しみやすい空気感や比較的
新しい本を扱っていることもあって、気楽な気持ちで本
西へ東へ! 古書店入門
155
ていました。僕たち古本屋が、どこに一番お金をかける
のかというと、その広告費・宣伝費です。僕のお店でも
出しているのですが、自店のカタログを作成すると、取
り扱っている本の種類や傾向がお客さんに伝わりやすく
なり、本が集まるようになります。あと、古本業界にも
市会︵業者間のオーディション︶というものがあります。
谷町四丁目にある古書会館で、週に一度本の売り買いが
行われます。例えば、お客さんから買い取った本が自分
の店では専門外だった場合、その本を市へ出して、必要
としているお店に買ってもらいます。その代わり、他の
店が出している本から、必要な本を買ったりする、言わ
その市は一般人も参加できるのですか?
ば古書の〝交換会〟のようなものです。
│
古書市は大阪古書商業組合が経営していて、普段は関
係者のみの参加ですが、月に一回ほど一般の方も参加で
│
古本の流通に関して教えてください。
きる即売会が開かれています。
作家研究ジャンルの本が全然売れなくなりましたね。
作家が書いたものはそうでもないんですが、研究者が書
いたものは全然ダメ。いっときの流行りであるベストセ
ラーも古本屋では全く売れません。ライトノベルも今は
普通の本屋では売れているけど、売れているぶん希少価
藝大我樂多文庫 第七集
大阪には﹁天牛﹂と名のつく本屋さんがたくさん
長く古書業界に身を置く矢野さんですが、文学に
通われていた当時の文芸学科はどんな様子でした
どういった経緯で古本業界に足を踏み入れること
になったのですか?
│
かったです。芝生のところにマムシが出ました︵笑︶
。
構内は今でも自然がいっぱいですが、当時はもっとすご
ゃんと大学にも通いたい子が多く来ていました。芸大の
和気あいあいとしていましたね。創作志望だけど、ち
か?
│
にすら行っていなかったかもしれない。
てきたから。その友達のきっかけが無ければ、僕は大学
興味を持ったのも、福永さんの本の中に古本屋の話が出
永武彦さんの本が面白かったんです。僕が古書の世界に
高校三年生くらいですかね。友達に教えてもらった福
興味を持ち始めたのはいつごろですか?
│
あるんです。その影響ですね。
独立するときに、そのお店の名前の一部を貰うケースが
古書店業界では、たとえばあるお店に勤めていた人が
ありますが、何か理由があるんですか?
│
もしれませんね。
値もないから、五十年経っても古本屋での需要はないか
156
時から阪急梅田駅の古書店街でアルバイトをするように
るうちに古本屋に出入りするようになり、大学一回生の
福永武彦さんの本が好きで、色んな文献を集めたりす
ット販売だけやっていた人も、人との触れ合いに憧れて、
手に融合してやっていければいいと思います。最初はネ
タルか、どちらかに凝り固まらずとも、良いところを上
販売もどちらも大事だと思っています。アナログかデジ
店を構えるケースも結構ありますから。
なりました。卒業後、店長から正式に働きに来てはどう
かというお話をいただいたのですが、やはり個人のお店
ことになりました。洋書は苦手分野だったので、どうし
間働きました。それからそこが洋書の古書を主体に扱う
古書業を兼ねた出版社が京都にあると聞き、そこで九年
す。必要なときにババッと出せる電子書籍はやはり便利
ルの本、どっちもうまく活用していければいいと思いま
さっきの古本屋の経営の話と一緒で、紙の本とデジタ
か?
電 子 書 籍 も 流 行 っ て い ま す が、 ど う お 考 え で す
ようかなぁと考えていたところ、大阪で近代文学を主に
ですし。世の中の物がデジタル化すればするほど、アナ
│
取り扱っている浪速書林さんから声をかけてもらって。
ログの良さが受け入れられたりしますしね。どんなジャ
となると社会的保障が受けにくい。そんな折、人づてに
僕は近代文学が好きだし、学者や趣味家の方々も懇意に
ンルでも、古いものを愛してくれる人が絶対にいます。
私たちは古書店に行くのを、何だか敷居が高いと
いうか、若者が入っていいのかどうかとためらいもす
│
だからそれはそれ、これはこれ、って感じです。
しておられる有名な本屋さんだし、僕自身、会社組織と
いうものが合わなくなっていた時期だったので、丁度い
いなと思いましてね。そこで十四年間勉強させていただ
いた後に、独立して今のお店を持つようになりました。
なっていますね。消費者にとって、読みたい本欲しい本
最近はやっぱりインターネットに移行するお店も多く
や す い お 店 も 多 く な り ま し た よ。 若 い 店 員 さ ん も た く
番 で す。 最 初 は 文 庫 だ け 見 て い け ば い い し。 今 は 入 り
いやいや。何も考えずにフラッと寄ってもらうのが一
るのですが⋮⋮。
がハッキリ決まっている場合はネット検索が便利ですか
さ ん い ま す し。 昔 は 気 難 し そ う な お 爺 さ ん が 多 か っ た
今現在の古書店の傾向について教えてください。
ら。でも、その周辺資料などを探す場合には、やはり店
んですけどね︵笑︶
。商品の値札もついていなかったんで
│
頭販売が便利なんです。だから僕は、ネット販売も店頭
西へ東へ! 古書店入門
157
す。
﹁これが欲しいんですけど﹂ってレジに持っていく
と、番頭さんが客の風体を見て値段を即席で決めるんで
す。骨董店みたいな感じです。でも最近になって、古本
屋を舞台にしたテレビドラマが放映されるなど、古本屋
に対するイメージが開放的になりました。
矢野さん自身も古書が好きですよね。好きな本を
手放す際に寂しさは感じますか?
│
昔は少しありました。でも、好きな本を自分だけのも
のにするより、みんなに見せて喜んでもらう方が、僕と
し て も 嬉 し い ん で す。
不思議なもので、本が
人を選んでいく、と感
古書店の魅力とは
じたりもします。
│
何でしょうか?
商売ということに限
らず、人間関係が本に
よって作られていく面
白さが魅力ですね。そ
れから、商品の回転と
いうのは本来目まぐる
しいものですが、古本
藝大我樂多文庫 第七集
︵文/阪上万月 写真/糸井桃子︶
価値があるのかもしれない。
その本たちが繫いでくれる﹁絆﹂にこそ、隠れた本当の
さんのお話にもあったとおり、本自体の魅力も大きいが、
の店主たちは皆あたたかく私たちを迎えてくれた。矢野
ビューに応じてくれた矢野さんをはじめ、大阪の古本屋
のではないか、という想いは杞憂に終わり、今回インタ
ことのない世界。まだ青い私たちは冷たくあしらわれる
古本屋という仕事。知ろうという意志がなくては知る
い発見があるかもしれないですけど。
はまだ現役ですから、もう少し齢をとった時にまた新し
屋にはゆっくりした時間が流れていることですかね。僕
158
私の本棚
大 阪 芸 術 大 学 文 芸 学 科。 目 指 す 道 は 異 な れ
ど、 そ れ ぞ れ の 礎 に は﹁ 本 ﹂が あ る は ず。 私 た ち
の相棒であり親であり、もしかすると恋人でもあ
る。数えきれないほど存在する本の中から、私た
ちは常にどれかを選び取ってきた訳だが、何を選
んだのかは、もちろん個人によって異なる。その
ラインナップも当然人それぞれ、何万通りもある
わけだが、想い出や希望が凝縮されている本棚に
は、その人の生き様も少なからず反映されている
ものではないだろうか。よく﹁部屋はその人の脳
内を表している﹂と言うけれど、本棚もまた然り。
そこで今回、文芸学科生の本棚を覗かせてもらい、
そこから垣間見えた学生諸君の個性あふれる価値
観を紹介していこうと思う。
︵文/阪上万月︶
私の本棚
はるか
■四回生 武田悠さん
﹁つい毎年、新潮や角川から出る限定カバーバージョン
を買ってしまいます﹂と本人コメント。確かに、その気
持ちはとても良く分かる。装丁が良いと既に持っている
本でもつい買ってしまうのは我々読書家の性かもしれな
い。フワッと全体的に見た感じだと、耽美というか、ど
こかしら色気を感じる。とても女性らしい本棚だ。日本
の三大奇書である夢野久作著﹃ドグラ・マグラ﹄も見える。
ということは、少々クセのある本でも十分受け入れるこ
とができそうだ。という訳で武田さんには独特なフェテ
ィシズムを感じる物語、小川洋子著﹃薬指の標本﹄をオ
ススメしたい。
159
し もん
■三回生 佐藤史門さん
かなりバラエティに飛んでいる。海外の古典文学から、
日本の近代文学まで、幅広く嗜んでいるようだ。先ほど
の武田さんの本棚にもあったのだが、新潮﹁江戸川乱歩
傑作選﹂は、乱歩作品への入門としてはかなりオススメ。
あまりにもミステリーを意識して読むと、少し拍子抜け
いところ。
ないが、三崎亜記著﹃バスジャック﹄を是非読んでほし
がありそうな佐藤くんなら既に手にとっているかも知れ
であんなに泣くとは思わなかった。さて、かなり読書量
収録されている短編﹃芋虫﹄は至高だ。自分が本を読ん
また、ミステリーでは無いが、
﹃江戸川乱歩傑作選﹄にも
しゅん
藝大我樂多文庫 第七集
■四回生 岡本駿さん
ライトノベルから少しビターな内容の小説まで色々な
らんでいて、夢見がちではない﹁大人の漢﹂の香りが漂
っている。筆者の本棚とラインナップが似ていて、何だ
か嬉しい。この中ではやはり目立つのは村上春樹だろう
か。直接文芸に携わっていない人にもファンは多いのだ
が、やはり文芸学生にはとりわけ人気があるようだ。ス
めかもしれない。そこが魅力なのだ。
がかなり読み応えはある。読みやすい文体だがクセは強
ス メ し た い の は、 中 村 文 則 著﹃ 遮 光 ﹄。 短 め の 小 説 で す
いた。さて、そんな多趣味な岡本くんに恐縮ながらオス
係の本、シナリオライター木皿泉さんの本などが並んで
一枚写真を送ってくれていて、そちらには新書や映像関
確な動機、或いはトリックが存在するわけではないのだ。 ペース上やむなく割愛させてもらったのだが、実はもう
するかもしれない。名探偵コナンのように、必ずしも明
160
はの雰囲気、或いは妖怪話が好みだと聞いたので、この
彦作品、万城目学作品が目立つ。彼女は古い日本ならで
てしまうのだ⋮⋮。さて、ラインナップだが、森見登美
らない。ついついテトリスみたいに本をギチギチに詰め
体に工夫が施されていて、筆者の私も見習わなくてはな
後ろの本も見えやすいように段差をつけてある。本棚自
と本人コメント。まさに嗜好の爆発といったところか。
■四回生 一村歩郁さん
﹁特にこだわりはなく、とにかくお気に入りは前に!﹂
グを書籍化した﹃すべてがEになる﹄などの通称﹃日記シ
たことは確かなのだろう。そんな彼には森博嗣氏のブロ
える機会も多かったようなので、実際に力になってくれ
は文芸サークルに所属し、ページ全体のレイアウトを考
ント。そんな茶目っ気あふれることを言っているが、彼
ンの本でクリエイティブな一面をアピール﹂と本人コメ
をきちんと読んでいるタイプかも。﹁後ろにあるデザイ
のをベースに、様々なジャンルの本が並んでいる。新聞
■四回生 中村光兵さん
中村くんの本棚は新書がメイン。社会問題を扱ったも
ふうか
並びも十分頷ける。そんな彼女にオススメしたいのは京
リーズ﹄を推したい。日記と言うよりは大半は趣味であ
くどくなく読みやすい。
る模型の話だが、小説作品と同じで淡々とした語り口は
極夏彦著﹃百鬼夜行﹄シリーズ、泉鏡花著﹃夜叉ヶ池﹄。
私の本棚
161
■四回生 三枝翔子さん
三枝さんはファッションやデザインに興味があるよう
だ。 並 べ ら れ て い る﹁ V O G U E︵ヴォーグ︶
﹂は ア メ リ
カ発のハイファッション雑誌。掲載されているモデルも
有名な方ばかりで、海外らしい奇抜なヘアメイクやコー
ディネイトなど見ているだけで楽しめる。そして天野喜
孝氏のタロットカード、これを持っているのはうらやま
ているが、はてさてどうなのだろう?
い絵が特徴。巷では﹁三回見たら死ぬ絵﹂なんて言われ
る﹃ベクシンスキー﹄はどうだろうか。恐ろしくも美し
ワフ・ベクシンスキーの画集。河出書房新社から出てい
そんなハイセンスな三枝さんにオススメするのはズジス
な
藝大我樂多文庫 第七集
お
■二回生 岩本菜桜さん
文庫の解説目録がある。これらは大きい本屋さんにて
無料で頂けるものなのだが、これがまた結構便利。私は
新調されるたびに持って帰ってしまう。決して貧乏性で
はない。その他、詩集や句集が多く見える。詩や句は限
られた文字数の中で言葉を厳選して表現するので、おの
ずと研ぎ澄まされたセンスたちの宝庫になっている。私
も何かの参考になればと読み漁っていた時期があった。
写真も入っていて、何度読んでも飽きない。
キフライが無いなら来なかった﹄。哀愁漂うエッセイや
ビ・ピース又吉直樹、せきしろ共著の自由律俳句集﹃カ
ャラクターデザインで有名な方で、私も大好きだ。さて、 さて、そんな岩本さんにオススメしたいのはお笑いコン
しい。ゲーム﹁ファイナルファンタジー﹂シリーズのキ
162
充実した大学生活に欠かせないの
が、サークル活動である。文芸学科
ンターテイメント雑誌﹂制作サークルだ。企画ページと
﹁
Telopworks
定期のコラムが半々の割合で作られている。部員の主な
には、授業の他にサークルでも創作
に励んでいる学生たちがいる。今回
所属学科は文芸、デザイン。私自身も大学入学直後から
︵以下テロップ︶は、
﹂
﹁TVを中心としたエ
Telopworks
は、 Telopworks
、創作考房、白地図、
大阪芸大河南短歌会という四つのサ
所属している。
今回は現部員の三人に集まってもらった。
ークルを取材し、そこで活動する学
をしているのだろうか、また彼らは
生に話を聞いた。彼らはどんな活動
文芸学科をどのように見ているのだ
ろうか。
テロップを選んだ理由を教えてください。
こんなに面白い雑誌と関わっていかないのは損だと思っ
藤本 大学入学前から雑誌のコラムが好きでした。入学
後、テロップを読んでレベルが高いなと驚いたんですよ。
いかと思って入部しました。
ジュアルなので、より多くの人に見てもらえるのではな
ないというか。その点、テロップはイラストもあってカ
小林 他の文芸サークルも考えましたが、なんとなく堅
いイメージがありました。紙面自体を手に取ってもらえ
│
デザイン三年 編集長 加藤琴美
文芸二年編集・コラム担当 小林聖弥
文芸二年コラム担当 藤本直哉
磨け、
コトバの原石
磨け、コトバの原石
163
企画から製本まで全て自分たちで行う。部員は、イラスト・コラム・編集の
いずれかを担当。編集がページをレイアウトし、イラストやコラムを担当部
員に発注。ページを作り、印刷、製本を行い完成させる。
藝大我樂多文庫 第七集
入部前と入部後で、印象にギャップはありました
自分の世界を持ってる人たちが所属しているテロ
ップワークスの強み、魅力はどのあたりにあると思い
│
が正しいかもね。
加藤 うん、私編集長だけど観てないよ。﹁TVを中心
とした﹂というよりは、今は﹁アニメを中心とした﹂の方
ってことです。部員自体がTVを観てない。ですよね?
加藤
過干渉は許されないみたいな所はあるかもね。
藤 本 僕 が 思 う の は、
﹁TVを中心とした﹂って噓だろ
小林 皆自分のテリトリーを持ちながら他の人と交流し
ていますね。
ャラい人は逆に馴染めないかもしれないです。
加藤 ここ数年の紙面内容の傾向的に、テロップ部員の
オタク化が進んでる感は否めないですからね。だからチ
楽で僕は良かったです。
藤本 正直、僕はもっとチャラいと思ってました。案外
オタクというか、真面目な人が多くて。でもその方が気
か?
│
たし、特に難しいことは考えずに入部しましたね。
加藤 私は、仲が良い友達ができたらと思っていました。
色々なサークルを見た中で、テロップは紙面も面白かっ
て、勢いで入部しました。
164
ますか?
小林 昼休みの部会とかは特に、クラスの休み時間的な
雰囲気があります。自分の世界を持ってると言っても、
気が合えば心は開いてくれますし。面白い人も多いし、
誰かと話したい時は気軽に部会にいけるので、それも魅
力の一つだと思いますね。
藤本 毎月定期のコラムを書かないといけないところで
すかね。テーマがあって、締切もある。発行されてしま
えば永遠に取り消せないわけですよね。その中で、責任
を持って文章を書くということが、案外力になってるの
他の文芸サークルと違う部分はどこにあると思い
かなと思ってます。
│
ますか?
画内容を自由に考えられるのも楽しいです。あと、流行
りが紙面に反映されるのも面白いですね。
テロップワークスだから出来たこと、得たものは
小林 テロップを手に取ってる人が自分の作ったページ
で笑ってるのを見ると、作りがいがあるなと思います。
│
ありますか?
藤本 やっぱり居場所ですかね。人の目に触れるものを
作る以上、手抜きできません。そういう緊張感のある発
表の場は貴重だと思います。
紙面を作る時に、つらいことはなかったですか?
│
学科について質問します。文芸学科に思うところ
どいです。
デザイン学科は課題が多いので、発行時期と被るとしん
加藤 編集長の立場から言うと、一人一人悪気があるわ
けでなくても、非協力的な時とか、つらいですね。あと、
│
藤本 自分の興味がないものを知る機会があることです。
やりたいことだけじゃやっていけない。
加藤 確かに世界は広がるよね。私が思う強みは、イラ
ストを描く人と、コラムを書く人が集まる所です。色々
これはこれで良いかなと。
りがちなんだと思います。
なら技術がモロに出てきます。やっぱり文章は地味にな
ますよね。技術を磨いても、ある程度のレベルを越えた
小林 僕も企画のコラムを書く為に落語を観てる時、何
はありますか?
でだろうと思ったりしました。でも案外面白かったので、 小林 正直文芸とは言っても、文章なんて誰にでも書け
な学科の人が一緒になって一つのものを作れるサークル
藤本 自分も偉そうなことは言えませんが、学生は内に
ら個人の好みが大きくなってきたり。その点、音楽や絵
は少ないと思います。大学内だけで配るものなので、企
磨け、コトバの原石
165
こもり過ぎかなと思いますね。皆何をしてるかわかりま
せんから。
その地味な文芸学科に、尊敬できる先輩や理想像
加藤 卒業制作展を見ても、文芸はどうしても地味とい
うイメージがありますね。
│
みたいなものはありますか?
藤本 僕が所属している落語研究会のOBにいますよ。
疋田龍之介という方がいて。
﹃歯車VS丙午﹄ってタイ
トルの詩集を出して、落語家になったんですよ。本もた
くさん読むし、映画も観る。僕にとっては、文芸学科の
理想像かなと思います。
加藤 でも、デザイン学科の理想像も、やっぱり好奇心
旺盛で貪欲に吸収する人だと思います。そういう意味で
文芸の悪い部分は色々出てきそうですが、何か思
は、どの学科も理想は似てるのかもしれません。
│
い当たるようなことはありますか?
小林 あんまり動かないところですかね。大きな催し物
がない時は全く動きません。個人による部分はあるでし
ょうが。講演等、もっと興味持っても良いと思います。
文芸学科の環境に目を向けるとどうですか?
加藤 でも、それはデザインも変わらないような。結局
やる気のある人は何かしら行動してると思うんですよ。
│
藝大我樂多文庫 第七集
どうすれば改善できるでしょうか。
章を書く。それでお金を貰う。そうすれば責任感なくし
かの雑誌と連携して、グルメでもなんでも、商業的な文
藤本 それ良いかもしれませんね。文芸学科の出口みた
いなの作れないかなって、僕は思います。例えば、どこ
いですかね?
加藤 WEBで簡単な文章でも小説でも載せるとか、ど
うですか? 人の目に触れる機会さえ作れれば、意識も
変わるかもしれませんし。 ※OUATVみたいにできな
│
いです。
い分、誇りを持てない環境に思えてしまうのかもしれな
藤本 そういう、文芸=地味っていうセルフイメージが、
なんとなく大芸生の中にある気がしますね。派手さがな
す。視覚的に作品の善し悪しを判断できませんから。
も、どうしても文芸学科は地味という印象になりがちで
いうのもあるかもしれませんね。作品だけを抜き出して
ことが決まってきますから、失敗して傷つくのが怖いと
加藤 音楽で言う楽器みたいに、道具が関係ないからこ
そ誤魔化しも効きませんしね。本人の実力次第でできる
特別な機材が欲しいです。
小林 何もないですよね。パソコンがあれば小説は書け
ますけど、ちょっと寂しい。文芸しか扱えないような、
166
小林 そこから仕事に繫がったりすれば、学生間の刺激
になるでしょうし、良いですね。
ことに挑戦することもあるだろうし。
そ れ が﹁ 文 芸 サ ロ ン 創 作 考 房 ﹂だ。 そ の 歴 史 の 中 に は、
大阪芸術大学内で最も長い歴史を持つ文芸サークル、
文芸サロン創作考房
て書けないですし。緊張感もあるし、無理やり知らない
実現するのは難しいですが、一度試してみて欲し
│
作家デビューを果たした部員まで在籍していたという。
になると思うんですよ。だからサークルに入らないのは
と緊張感を持って何かに取り組むって、ダイレクトに力
る他の文芸サークルとの共通点でもありますよね。責任
藤本 流石にお金は難しいですけど、テロップならそう
いうのも疑似体験できる。それは同じく文章を発信して
本に、何度も合評を重ね、洗練された部員たちの小説が
来栄えなのである。印刷所で印刷された本格的な装丁の
というのが、書店に並んでいてもおかしくないほどの出
このサークルの大きな目標の一つなのだが、この文芸誌
う文芸誌を販売している。﹁
いです。
勿体無い。僕はサークルに所属してて良かったと本気で
掲載されており、有名作家へのインタビュー記事が載る
﹁文芸サロン創作考房﹂は毎年学園祭で﹁ ORgate
﹂とい
﹂を発行することが
ORgate
思ってます。その中でも、テロップはおすすめのサーク
こともある。
﹂を 作 り 上 げ
ORgate
行った。
二人にインタビューを
部室に招かれ、部員の
かりだという小奇麗な
か。最近掃除をしたば
ていっているのだろう
彼 ら は 普 段 い か に し て 活 動 し、
﹁
ルです。
︵文・写真/中村光兵︶
※大阪芸術大学グループの広報を目的として設置され
た情報発信ステーション。学生たちによる舞台や演
奏会、展覧会などのイベントや、学生が制作した映
像作品を情報番組形式で紹介する。スタッフは全て
卒業生。番組スタッフには学生も参加している。番
組は地上波テレビ放送で放送中。
磨け、コトバの原石
167
まず文芸学科についておうかがいいします。文芸
文芸四回 前部長 鍛冶実緒
文芸三回 現部長 柳田正典
│
学科の魅力とはなんだと思いますか?
柳田 課題の少ない学科なので、時間がある分好きなだ
け自分のやりたいことができるところです。
逆にダメなところはなんだと思いますか?
文芸学科とはなんだと思いますか?
鍛冶 色んな人に反感を買いそうですけど、なかなか普
通の世間になじめない人が集まってくるところなんじゃ
す。
の集まりだと思います。悪く言うと、ろくでなしの塊で
柳田 良く言えば、好きなことを好きなだけやる、何事
にもとらわれない、ある意味羨ましい、そういう人たち
│
鍛冶 二年生からでもゼミを作ればいいのにとは思いま
すね。あと、ゼミの選択肢をもっと増やしてほしい。
ない。そのせいで学校に来なくなる人もいるみたいです。
があればいいんじゃないかと。あとは創作系の授業が少
なのでもうちょっと社会で役に立つ能力が得られる授業
藝大我樂多文庫 第七集
サークルの特徴、魅力を教えてください。
ないかと思います。
│
柳田 ﹁ ORgate
﹂っていう文芸雑誌を作ってるのがうち
の大きな特徴です。それが魅力にもなってるんですけど、
これをやると編集作業のやり方が頭に入るので、卒業制
作を作る時にかなり役立ちます。雰囲気としては、普段
印象に残っているエピソードを教えてください。
はアットホームですけど、合評のときは厳しくなります。
│
文芸サークルに入るメリットはなんだと思います
に入るメリットはそこにあると思いますね。ただ、合評
スの先生は合評すらしないこともあって。文芸サークル
柳 田 や っ ぱ り 合 評 で す ね。﹃ 文 章 の 表 現 ﹄ っ て い う、
ゼミ形式の一回生演習授業があるんですけど、僕のクラ
思います。
鍛冶 意外と合評する授業が少ないので、自分の作品を
他の人に読んでもらえるというのが一番のメリットだと
か?
│
深めあったことですね。
思い出が出来上がるので。それ以外だと、合宿で親睦を
だ﹂っていう。特に十月末は大変です。徹夜で作業する
柳田 好きなことばかりしてしまって、何の能力も持っ
柳 田 毎 年 の 恒 例 行 事 と し て は、
﹁ ORgate
﹂制 作 前 後 の
てない状況で卒業されている方が多いと思うんですよね。 阿鼻叫喚ですかね︵笑︶
。﹁締切間に合わねえ、どうすん
│
168
ら。でも、創作系のゼミに行ったら、そこでもボロクソ
っときつく言われただけで逃げ出しちゃう人もいますか
鍛冶 今苦労しているのは、編集やビジュアル面を仕上
げてくれていた人たちがほとんどいなくなってしまった
作にあたって苦労されているのはどの部分でしょう。
﹁ ORgate
﹂について質問させていただきます。製
に言われるはずなんですよ。それでまいってたら授業に
ことですね。
│
なりませんからね。それの予習という意味でも、色んな
がタメになるかというと人それぞれだと思います。ちょ
考え方に触れるという意味でも、サークルでの合評は大
﹁ ORgate
﹂には有名作家へのインタビューが載る
し込んでいるのでしょうか。
ことがありますが、インタビューはどのようにして申
│
柳田 やり方をあまり学べないうちに卒業されたんで、
技術が上手く継承されなかったんですよね。
事なポイントだと思います。ゼミだと二年間しかありま
せんけど、ここだと四年間ありますし。
あと、これは個人的に考えてることなんですけど、今
の合評会がどこかしら間違い探しになっているので、﹁こ
鍛冶 インタビューを依頼する旨の手紙を書いて、前年
に作った雑誌と共に出版社へ送っています。それからは
こが良かったからここを
伸ばした方がいいよ﹂と
担当の方とのやり取りです。
インタビューの際に印象残っていることはありま
す。間違い探しも重要な
ったら、実は熱海だったということがありました。私が
鍛冶 私のときではないんですが、インタビューを行う
場所に作家さんの自宅を指定されて、東京だと思って行
すか?
│
か、
﹁こうした方が面白
くなるんじゃないか﹂み
たいな、そういう指摘を
んですけど、それはあく
行ったときの印象としては、作家さんは優しく、意外と
する合評会がやりたいで
まで校正なので。もっと
何でも話してくれた、ということです。
﹁ ORgate
﹂を作る上で心掛けている、ポリシーみ
たいなものはありますか?
│
作品全体を見て欲しいで
す。そういう方向に進め
たらいいなと思います。
磨け、コトバの原石
169
柳田 他の文芸サークルと違って、お金を払って買って
頂いてるんで、それなりのものをキチンと出す、適当な
ものを出さないっていうことです。そういう作品を部員
が提出してきた場合には、切る、っていう決断もしなく
ちゃいけない。なので、心を鬼にして真面目にやるのが
ポリシーですかね。
こ の イ ン タ ビ ュ ー を 行 っ た の は、
﹁ ORgate
﹂に 掲 載 す
る作品の合評が始まった時期であり、二人とも忙しい身
であったことだと思うが、急なインタビューの申し出に
も真摯に対応してくれた。
朗らかで優しい雰囲気の二人。しかし、会話の端々か
らは、
﹁ ORgate
﹂製作への熱い思いがうかがえた。
﹁ ORgate
﹂が楽しみである。
︵文・写真/岡本 駿︶
そ の 先 に こ そ 成 長 が あ る と 考 え て い る か ら だ。 今 年 の
藝大我樂多文庫 第七集
フリーペーパーサーク「
ル 白地図」
﹁白地図﹂って聞いても、何のサークルか分からへんよ
な。地図サークルやと思う人もいるかも。
これはインタビューの合間に﹁白地図﹂の部長がこぼ
した言葉である。
確かに分かりにくい名称だが、
﹁白地図﹂は文芸サーク
ル で あ る。﹁ 白 地 図 ﹂は 部 員 た ち の 制 作 し た 文 芸 作 品 や
InDesign
イラストを載せたフリーペーパーを、毎月一〇〇部ほど
発行し、大阪芸術大学内で無料配布している。
﹁白地図﹂が制作しているフリーペーパーは、
等のDTPソフトが使われていない簡易なものだ。しか
しそれは、編集作業のやり方が分からなくても、サーク
ューを行った。
今回はそんな﹁白地図﹂の部員である二人にインタビ
なのだという。
っては厳しい指摘も多く飛び交うという。しかしそれは、 ルに入部すればすぐに作品が発表できる環境を作るため
﹁文芸サロン創作考房﹂の合評は常に真剣で、場合によ
170
文芸三回 部長 四宮広視
文芸二回 副部長 田中有匡
の家に泊まりに行って、みんなで鍋をしたことです。す
冊子を作る上で、どんな苦労がありますか?
ごく楽しかった。
│
四宮 それぞれの部員にあまり主体性はないのですが、
やる気はあるので、密かな活気に れたサークルだと思
純作業の繰り返しで、腰も痛くなります。その代わり、
もの。参加人数が少ないとかなり時間がかかります。単
っていって、表紙で包んでホッチキスでとめる、という
サークルの魅力、特徴を教えてください。
っています。落ち着いてるんですけど、いざというとき
│
にはしっかり動いてくれる。常に眠れる獅子状態という
作業中は部員同士でずっと会話をしているので、交流の
四宮 一番苦労しているのは製本作業です。僕たちが行
っている製本作業は、机に並べた印刷用紙を一枚ずつ取
イメージです。
│
文芸サークルに入るメリットはなんだと思います
四宮 書く機会が増えることだと思います。書きたくな
いなって思ってるときでも、みんなが書いてるから僕も
か?
場にはなってると思います。
田中 何においても﹁白地図﹂は自由度が高い。好きな
ことをしていいサークル。どんな人が部員になっても受
﹁白地図﹂での印象に残っているエピソードを教
け入れる許容力があります。
│
えてください。
の高い先輩方がいるので、自分では気づかなかった部分
田中 あとはやっぱり、自分の作品を読んでもらえるっ
ていうのが良いですよね。サークルには自分よりレベル
書かなきゃ、ってなるので。
したんですけど、そんな僕を受け入れて製本作業に参加
四宮 印象に残ってるのは、大学入学前の僕を先輩方が
受け入れてくれたこと。僕は入学前に﹁白地図﹂に入部
させてくれたんです。入学してからの思い出で言えば、
を指摘してもらえます。
すから、誰も読んでないだろうなっていう本を見せても、
四宮 好きな本について語り合えるのも良いところです
よね。色んなものを読んでる人が文芸サークルにはいま
﹁ 白 地 図 ﹂は カ ラ オ ケ 好 き な 人 ば か り な の で、 カ ラ オ ケ
に行くといつも盛り上がりますね。先輩がいつも歌って
る歌にみんなで乗っかったり︵笑︶
。
田中 僕も先輩関係の話なんですけど、学祭前後に先輩
磨け、コトバの原石
171
います。
藝大我樂多文庫 第七集
文芸学科についておうかがいいします。文芸学科
いという危機感はあります。課題をこなすだけでは成長
四宮 課題が少ないので自分の時間を多く持てるところ
ですね。でも、だからこそ自力で頑張らなくてはいけな
の魅力とはなんだと思いますか?
│
れます。
ますし、こういうふうに見るのか、っていう着眼点も知
合評を普段からやっていると、意見を言えるようになり
何か反応を返してくれる。 ってるだけあって合評慣れしてるね、と言われました。
そ う い う こ と が あ る と、
もっと本を読まないとな、
っていう気持ちになりま
す。
サークル活動で得た
ものはありますか?
│
田中 部員との会話の中
で、今まで気づかなかっ
か?
│
今後サークルでどんなことをしていきたいです
四宮 僕は正直に言って、文芸学科出身だってことをあ
まり他人に言いたくないし、誇りを持てません。
田中 座学が多くて創作などの実践的な講義が少ないの
も問題の一つですかね。
業スタイルなので、寝ちゃうんですよね。 ったプリントを読むだけっていうのが文芸学科の主な授
四宮 魅力的な先生がいないと思いますね。何回休んで
いいかな、って考え始めてしまうような先生ばかり。配
│
できないと思うので。
たような考え方に触れさ
せてもらったことですね。 田中 能動的にならないといけませんよね。
ダメなところはなんだと思いますか?
人間的に成長できたと思
四宮 僕は授業で合評をするときに実感します。文芸サ
ークルに入って合評を何度もしてる人と、したことがな
い人とでは差が出るんですよ。初めのうちは僕も、自分
が頑張って書いた作品なのになんで批判されるんだ、っ
ていう悔しさとか、反発心しかなかったんですけど、回
を重ねていくうちに、他人の意見を上手く自分の中に受
け入れられるっていう、社会に出ても必要な力が備わっ
僕も授業での合評のときに、さすがサークルでや
てきたかなと思ってます。
田中
172
ていくことと、もっと部員の勧誘活動をしていくことで
子をもっと手に取ってもらえるように宣伝活動を頑張っ
も合評ができるような環境を作りたいです。あとは、冊
四 宮 ﹁ 白 地 図 ﹂は ま だ 部 室 が も ら え て い な い の で、 後
の世代のためにも部室を用意して、部室に来ればいつで
四宮 確かに、学外にも目を向けていけば、
﹁白地図﹂は
もっと活発化するかもしれませんね。
か。
っていう気持ちはあります。同人誌即売会に参加すると
るというか。だから学外に向けて、何かをしていきたい
じゃないかと思ってます。荒波にもまれてこそ強くなれ
すね。
田中 他には読者アンケートの設置とかホームページを
作ったりとか。でも当面の目標は、部室の獲得ですかね。
︵文・写真/岡本 駿︶
可欠なものなのではないだろうか。
かって作品を発表しづらい文芸学科生にとって、必要不
発表ができる。そういう場所の存在は、なかなか外に向
﹁白地図﹂はどんな人でも受け入れるし、手軽に作品の
ために骨身を惜しまないのだ。
サークルなのだろう。だから彼らは﹁白地図﹂の発展の
について議論を続けていた。きっと本当に居心地の良い
イ ン タ ビ ュ ー が 終 わ っ て も、 二 人 は 今 後 の﹁ 白 地 図 ﹂
田中 僕は﹁白地図﹂って学内では有名だと勝手に思っ
てるんですけど、学内でくすぶってるだけではダメなん
磨け、コトバの原石
173
かなたん (大阪芸大河南短歌会)
全国の大学短歌会が盛り上がりをみせる昨今。大阪芸
さ れ た。
﹁ も っ と 文 芸 ら し い 活 動 が し た い ﹂と い う 意 気
大にも昨年大阪芸大河南短歌会 通称﹁かなたん﹂が発足
込みから活動をスタート。二〇一三年の五月発足時点で
は会員は四名ほどだったが、現在は一回生から四回生、
卒業生を合わせ、十名が所属している。現在のところ、
所属メンバーは全員が文芸学科生。他のサークルとかけ
もちしている学生もいるそうだ。
恥ずかしながら、私は現代短歌にあまり明るくない。
俵万智や枡野浩一といった有名な歌人の、代表作を読ん
だことがある、といった程度のものだ。こんな私が短歌
会へ取材に行っても大丈夫だろうか。ドキドキしながら、
﹁ か な た ん ﹂に つ い て、 発 足 時 メ ン バ ー で も あ る、 現 三
回生の佐藤史門さん・糸井桃子さんにお話を伺ってみた。
サークルの活動、魅力について尋ねてみる。
﹁普段は、隔週で土曜日に集まって歌会をします。大学
内に部室がないので市民会館をお借りするなど、学外で
の活動がメインになります。所属メンバーが順番で司会
藝大我樂多文庫 第七集
の魅力のひとつですね。他のサークルに比べると、大学
方を、ゲストとして歌会に呼んだりできる。それも活動
脈が広がっていって、他大学の短歌会員やプロの歌人の
きな会場を借りて歌会をしました。こういうところで人
日本にある大学短歌会が、一堂に集まり、京都市内の大
多い。京大短歌会が主催した合宿にも参加しました。西
学外の活動がメインだからこそ、外部の人との交流が
ています。これは今年も現在進行形で制作活動中です。
術学科や工芸学科の学生とのコラボレーションを企画し
ですが、これが結構ドキドキします。あと学内では、美
ち寄って合評します。最後に制作者の名前を発表するの
役を担当。基本的に全員参加です。無記名で二、三首持
174
ができ、作品の批評も細部までやりこみやすいです。い
っと活発になる。短歌は小説とちがって素早く読むこと
が少ないと思います。こういう場があれば自己表現がも
ころがあるということですが⋮⋮。授業だけでは創作量
﹁雰囲気は良くいえば自由。悪くいえば、少し適当なと
所属という意識は薄いかもしれない﹂
で、コミュニケーション能力もついたと思います﹂
遂行していく行動力。他学科、他大学との交流もあるの
忍耐力や、無の状態から企画を立て、自分たちでそれを
﹁短歌会の活動を通じて得たものは、たくさんあります。
味のある雰囲気を醸しだしている。
和綴じ本になっていて、つづられている短歌と相まって、
大学は、短歌実作の授業を設けているところが多い。し
学生は内にこもりがち、というイメージを、変えてくれ
自己表現の場を求めて行動する会の存在は、文芸学科の
輩後輩からの勧誘がほとんどだそうだ。だが、こうして
﹁かなたん﹂に入ったきっかけは人それぞれ。友人や先
かし残念ながら、大阪芸大にはない。いわば、下地が全
るのではないだろうか。他学科と異なり、個人作業が多
早稲田大学や京都大学など、学生短歌会を開いている
ち文芸学科生としてはそういうところも魅力ですね﹂
くない状態から、学生が自主的に行動し、居場所をつく
っていったのだ。仲の良い学科生同士だが、活動のメイ
ンである歌会では、各々普段と違った厳しい一面をみせ
る。
﹁年に一度刊行している機関誌には、推敲の甘いものは
載せられない。互いに厳しく批評をします。企画会議は
九月からはじまり、機関誌の制作時には、通常の活動で
ある歌会はお休み。完成には半年ほどかかります﹂
﹁必ずしも全員がプロの歌人になりたいわけではなく、
趣味としてやっている人もいるので、新人賞にはまだ挑
戦していませんが、本気で作品制作を楽しんでいます﹂
実際に、昨年刊行された機関誌を見せていただいた。
磨け、コトバの原石
175
藝大我樂多文庫 第七集
う。
︵文・写真/三枝翔子︶
は、きっと文芸学科に新しい風をもたらしてくれるだろ
ま だ ま だ 走 り 出 し た ば か り の﹁ か な た ん ﹂。 そ の 活 動
もっと文芸から外への繫がりを広げていきたいですね﹂
科とのコラボ企画を恒例にできれば、と思っています。
リットもあります。短歌会としては、今行っている他学
コラボしやすい。特に、短歌は展示がしやすいというメ
﹁文芸学科はいちばん柔軟性があると思います。文字は
すね﹂
自分たちが面白いと思うことをもっとやっていきたいで
他大学にはないような⋮⋮。とにかくやりたいことを、
﹁今後は、機関誌の内容充実に力を入れていきたいです。
らないための、自己意識の重要性をあらためて感じた。
すぎる空気は、学科生内でもよく話題にあがる。蛙にな
ちなのも、また事実。学生の意識レベルの差や、穏やか
い。しかし、ひとたび油断すると、井の中の蛙になりが
い文芸学科。自らの内側にこもることが悪いことではな
176
在校生インタビュー
学生作家みうらかれん
作家を志す人、編集の道に進みたい人。
文 芸 学 科 生 の 中 に は、 自 分 の 作 品 を 形 に
したいと思っている学生も多い。
そ ん な 中、 文 芸 学 科 に は、 す で に 児 童
文学作家として活動している学生がいる。
彼女はどのようにしてデビューを果たし
た の か。 ま た、 学 生 作 家 の 目 に 文 芸 学 科
はどのように映っているのか。
在校生インタビュー
作家を志した経緯を教えてください。
デビュー作について
│
物語を作ること自体は物心のついた頃からずっとやっ
ていたので、特別なきっかけというのはありません。ぬ
いぐるみやおもちゃに設定をつけて遊ぶのがすごく好き
でした。でも子どもの頃は絵を描くことが好きだったの
その夢が小説という形に変わっていったのは中学生の
で、夢は小説家ではなく、漫画家でした。
時です。学校って、マンガを持ってきてはいけない、と
いうルールがありますよね。私は﹁なんでマンガはダメ
で、本ならいいんだ?﹂と思っていて、それで半ば逆ギ
レみたいに、休み時間に本を読み始めたんです。父の趣
味が読書だったのもあって、本には困らなかったんです。
そ れ で あ れ こ れ 読 ん で い る う ち に、
﹁文章だけで書い
た物語もこんなに面白いんだ﹂と思い始めて、自然と小
説の方に惹かれていきました。
それで、公募を経てプロになったんですね。
そうですね。高校生くらいの時から、ずっと書いては
│
いたんですが、賞にバンバン応募していたわけではあり
ませんでした。たまに短い作品を送るくらいで。高校三
年生の終わりに気まぐれで講談社児童文学新人賞に応募
学生作家みうらかれん
したら、運良く佳作をもらってしまって、あとはもう、
177
1993 生まれ。2011 年、大阪
芸術大学入学。同年、
『夜明けの
落語』で第 52 回講談社児童文学
新人賞佳作を受賞。同作は進学
教室SAPIX小学部の 2013
年読書感想文コンクール課題図
書 に も 選 ば れ る。2013 年 に は
2 作目となる『なんちゃってヒー
ロー』を発表。
デビューが決まった時の周りの反応はいかがでし
気づいたらデビューしてたっていう感じですね。
│
たか?
受賞の電話がかかってきた時に、たまたま父が早く帰
宅していたこともあって、家族は大騒ぎしていました。
でも私自身は、
﹁あ、あぁ⋮⋮﹂という感じで、なにも言
えないような状態でしたね。嬉しかったのは確かなんで
すが。
その後、受賞から一年ほどで出版に至って、周りの友
達に本の写真とデビューの報告を送った時に、みんなか
デビュー作である﹃夜明けの落語﹄では、なぜ落
ら﹁おめでとう﹂って言われて、やっと実感した感じで
した。
│
語という題材を扱おうと思ったのですか?
父親の影響です。父は多趣味な人で、ある時、落語に
も手を出し始めたんで
す。落語のCDを片っ
端から聴いたり、独演
会 に も 行 っ て み た り。
そんなに面白いのかと
思 っ て、 C D を 借 り
て 聴 い て み た ら、
﹁ あ、
藝大我樂多文庫 第七集
文章がとても読みやすいと感じたのですが、文章
という感じで。私が物語を引っ張っているというよりは、
生まれてしまえば、後はあの子たちについていくだけ、
ター小説のようなところがあるので、キャラクターさえ
特に二作目の﹃なんちゃってヒーロー﹄は、キャラク
いたらああなっていたとしか言えないです︵笑︶
。
あまり深く考えて書いているわけではないので、気づ
を書く際に気をつけていることはありますか?
│
のが、落語を扱った一番の理由です。
く笑える雰囲気を、子どもに知ってもらいたいと思った
間抜けな人や粗忽者を見て﹁仕方ないなぁ﹂って暖か
ているわけですから。
無﹂の長い名前にも、長命を願う親の気持ちがこめられ
な 心 理 が 絡 む 噺 も た く さ ん あ る ん で す。 例 え ば 、
﹁寿限
らね。でも、そのバカな笑いの中に、人情や人間の複雑
んじゅう怖い﹂なんて、子どもでも分かるバカ話ですか
噺や怪談噺なんかは難しいですけど、
﹁寿限無﹂とか﹁ま
が、現代に通じるバカな部分がたくさんあるなと。長い
もちろん、すべての落語がというわけではありません
だ、ただのバカじゃないか﹂って︵笑︶
。
っ て す ご く 難 し い イ メ ー ジ が あ っ た ん で す け ど、
﹁なん
落語って意外と分かるな﹂って思ったんです。古典落語
178
イメージです。それは、書いているのが子どもだからと
ひたすら﹁待って待って﹂と言いながら追いかけている
あの子たちが﹁わー﹂って後先考えずに走っていくのを、
て こ う い う 特 殊 な 場 所 に 行 く こ と で、
﹁もう本気で物書
道を考えてしまう小心者の自分が目に見えていて。あえ
大学生活を送って、無難に就職して、っていう安定した
たのもありますが、一般大学に行ってしまうと、無難に
では、そうして入学した大阪芸術大学文芸学科の
ヴィンチを探せ﹂というコンペティションで佳作をもら
高校三年生の夏に、大阪芸大がやっている﹁世紀のダ・
高校まで、不登校とまでは言いませんが、極力学校とい
んだで通えちゃう﹂、でしょうか︵笑︶
。私は小学校から
な か な か 具 体 的 に は 言 い づ ら い ん で す が、
﹁なんだか
魅力、あれば教えてください。
│
たっていうのはあるかもしれません。
きを目指していくしかないぞ﹂って、自分に言い聞かせ
いうのも大きいのかもしれません。
文芸学科について
大阪芸術大学文芸学科に入学した理由を教えてく
って、その時に初めて大阪芸大に来たんですが、敷地が
う空間から遠ざかろうとしてきました。友達や先生は好
ださい。
│
広くて自由そうだなというのが第一印象でした。
んです。それなのに、高校より遙かに遠い大阪芸大には、
きでしたが、学校のシステム自体は基本的に嫌いだった
には有名大学を目指している人もたくさんいました。そ
文句を言いつつもほとんどサボらずに通えているんです。
私の通っていた高校は、一応進学校だったので、周り
んな中、私の進路は本当にこれでいいのか、と正直迷っ
では逆に、文芸学科のダメだと思う部分、改善し
た方がいいと思う部分はありますか?
│
あえず、この自由な雰囲気は心地いいですね。
大阪芸大以外でもそうだったかもしれないですが、とり
他の大学のことは考えていなかったんですか?
てもいたんですが、最終的には直感に従う形で決めまし
│
た。
他の大学は受けなかったです。周りからは﹁本当にそ
に も 言 え る こ と で す が、
﹁月に何冊くらい本を読むの?﹂
もっと本を読まなきゃいけないとは思います。私自身
れでいいの? 後悔しない?﹂みたいな空気を醸し出さ
れていましたけど︵笑︶
。
って言われた時、相手に﹁おぉ、そんなに読んでるのか﹂
学生作家みうらかれん
もちろん、単に一般の難関大学を目指す学力がなかっ
在校生インタビュー
179
って言わせられる人は、今の大阪芸大にはほとんどいな
いと思います。別に純文学だけじゃなくて、ライトノベ
ルでもなんでもいいんですが、たくさん読めば比較した
り、時代の傾向を摑んだりも出来ると思うので、文芸学
│
文芸学科に入れば小説を書く力は身につくと思い
ますか?
思わないです。と言ってしまうと、文芸学科の存在意
義がないみたいですが︵笑︶
。小説は最終的には個人で書
くものなので、人に教わることではないのかなと思って
います。ただ、その土台となるものは、作家の先生や編
集者の先生から学べますし、どんな授業や課題でも、真
剣に取り組めば、その中で身につくものは必ずあると思
います。ただ、
﹁書く力﹂ということになると、最後は自
では、文芸学科とは何だと思いますか?
分次第なのかなと。
│
特に﹁こうだ﹂という答えはありませんね。ただ、授
藝大我樂多文庫 第七集
業中に先生が﹁文芸学科は、一般大学でいう哲学科のよ
うなものだ﹂と仰っていたことがあって、それにはなん
だかすごく納得しました。
自分のいる学科がなにを学ぶところかなんて、きっと
医学部や法学部の人は考えませんよね。答えは明確なわ
ということが大事なのかもしれないと思うようになりま
した。
ちょっと曖昧な言い方ですが、文芸学科は常に考える
今後はどういった作品を作っていきたいですか?
今後も児童文学を専門に書いていくおつもりです
どんな作品でも書いてみたいという思いはあります。で
と思っていたわけじゃないんです。なので、書けるなら
童文学の賞に送っただけで、絶対に児童文学でやりたい
実は、たまたま書いた話の主役が子どもだったから児
か?
│
いう感じです。
が楽しんで、後は生まれたキャラクターたちに任せると
うーん、気の向くまま、ですね︵笑︶
。とにかく私自身
│
今後の展望
科とのコラボが活発になればいいのに、とは思いますね。 学科であればいいなと思います。
のですが、もうちょっと授業選択の幅を広げたり、他学
っと種類が少ない。学生数が違うので仕方ない面はある
創作を教えている他大学のカリキュラムと比べるとちょ
﹁どういう学科か分からない﹂、
授業に関して言えば、やはり幅の狭さは多少感じます。 けですから。なので逆に、
科生はとにかく読書量を増やすべきですよね。
180
もとりあえず今は、自分の年齢が比較的子どもに近いの
ていきたいし、いろんなことを知りたいと思っています。
人のことは分かりませんが、私は好きなことは増やし
とにかく楽しんでいけるのが理想ですね。
日々楽しく勉強⋮⋮、いや、勉強を勉強とも思わずに、
もあって、もっと児童文学をやりたいと思っています。
小説家志望の人へ
ンテナを張ることが大切、ということでしょうか。
好きなことやそれ以外にも、いろんなところにア
世界は意外と面白い、というのは、物語を書き始めて
│
ます。
からよく思うことです。本当にどんなものでも話のネタ
小説家を目指している人にアドバイスをお願いし
こ れ は 本 当 に な い と い う か、 む し ろ 私 が 知 り た い く
│
ら い で す︵笑︶
。 い ざ 本 を 出 し て み て も、
﹁本さえ出した
になるんですよね。
学生作家みうらかれん
︵文/岡本 駿 写真/三枝翔子︶
事かは、これからずっと考えていきたいと思っています。
私の方が教えてほしいです。物書きとしてなにが一番大
でもやっぱり、本当に作家になる方法っていうのは、
ら本当に作家なのか﹂と言われたら自信はありませんし、
では、デビュー作はなにが評価されたのだと思い
私もまだまだ作家を目指しているつもりです。
│
ますか?
落語という題材が大きかったと思います。謙遜でもな
んでもなく、文章や構成が特別上手かったとは思ってい
ません。ですが不思議と、落語を扱った児童書を、最近
よく見る気がしますね。話す、聴く、というコミュニケ
ーションだったり、笑いだったり、落語には子どもたち
にとっての大きなテーマとマッチする部分があったんだ
と思います。私が落語を扱ったのは偶然でしたが、そう
勉強や読書はたくさんした方がいいと思います
いう題材を選べたことは、受賞の一因だと思いますね。
│
か?
在校生インタビュー
181
我樂多文庫編集後記
▼この雑誌を作るこのゼミに入るのが目
たのは僕の文章力の無さでした。恥ずか
と意気込んでいましが、浮き彫りになっ
大 の 改 善 点 を 浮 き 彫 り に し て や る ぞ!
藝大我樂多文庫 第七集
夢持ってました。夢叶いました。やりま
識で制作を行ってきました。編集会議で
自分たちで考え行動していこうという意
感じです。わたしは不器用なので好きな
ってます。でも楽しいのでなんだか良い
してなにがなんやら分からないことにな
なことなのかを学ばせて頂きました。テ
誌を作りあげていくことがどれほど大変
▼我樂多文庫の制作を通して、一冊の雑
ていきたいと思っています。かしこ
︵貴︶
杯恥ずかしい思いをしながら記事を書い
▼文芸学科とはどういう場か、そこで何
持ち上がった様々な問題について、ひと
ことしか出来ないんですが、このゼミも
しかったです。ですが、自身の文章力は
つでも答えを示せたのだろうかと自問自
なんだかんだ好きだったので、最後まで
鍛えられたと感じています。来年も目一
答しつつも、一方で純粋に﹁書くこと﹂
筋 縄 で は い き ま せ ん で し た。 個 人 的 に
ーマ決め、記事の作成、校正、どれも一
らぬところに向かってます。卒業を前に
に向き合えたことは、良い経験になった
居ることが出来ました。本当にありがと
ュー記事を担当できたので満足していま
は、当初からやってみたかったインタビ
うございました。ゼミのみんなとは年賀
す。あと十年に一回とか二十年に一回会
バーにも様々な面で世話をかけましたが、 状送りあう関係でいたいなって思ってま
なたも親切で本当に助かりました。ただ、
たりで挑戦していくなかで、ゼミのメン
取材やアンケートなど、沢山の方にご協
▼今回、初めて﹁藝大我樂多文庫﹂に参
いましょう。
す。インタビューさせて頂いた方々はど
力いただきました。本当にありがとうご
︵郁︶
ざいました。あまり交流することのない
インタビュー記事のことも含めて、自分
みるきっかけにもなりました。
ころ﹄を読み返してみたりと、自らを省
自身を導いた一冊である夏目漱石の﹃こ
が﹁文芸学科大解剖﹂に決まり、大芸大
初体験をさして頂きました。記事の方向
では合評、編集、マナーなど全て貴重な
五分﹄です。それもまた青春です。ゼミ
あの頃は若かったのです。ゆずの﹃四時
なさん、本当にありがとうございました。
で一緒に頑張ってきたゼミメンバーのみ
をくださった長谷川先生、そしてここま
有意義な二年間でした。たくさんの助言
という心残りもあります。しかしとても
した。もっと雑誌作りに貢献したかった
いくことを願っています。
︵秋︶
変化の兆しは確かに感じました。文芸
学科がこの先、より良い場所に変わって
が変わればいいなという気持ちで、大芸
きたのは、大変ながら嬉しいことでした。 て呆れられてた気がします。すいません。 の未熟さを痛感することが何度もありま
一回生の皆とも一緒に原稿づくりがで
加させて頂きました。間抜けな言動をし
と 思 い ま す。 慣 れ な い 編 集 実 務 に 体 当
を学ぶか。大学側に委ねるばかりにせず、 した。夢叶った今、人生の方向性が見知
的でこの大阪芸術大学に入学しました。
182
が、改めてその苦労が身に染みました。
は甘いものではない﹂と重々承知でした
させていただきました。以前より﹁編集
▼今回、初めて我樂多文庫の編集に参加
た、法政大学と日本大学のみなさん。ま
ました。そして取材をとおして知り合え
いです。至らぬ点ばかりで、迷惑をかけ
ミの皆さんには、感謝の気持ちでいっぱ
何度も力になってくれた長谷川先生とゼ
▼自分の原稿が知らない人の目に触れら
す。
文芸学科の新な一歩になれたなら幸いで
の想いがつまった本誌が、大阪芸術大学
科を変えるために何ができるか、私たち
われたことを、誇りに思います。文芸学
られたのは、私だけの力ではありません。 どまでにアクティブな第七集の制作に関
私たち自身の提案で記事を作り上げてい
たお会いできることを楽しみにしてい
れるのが恥ずかしくて仕方ありません。
︵駿︶
く こ と は 自 由 で あ る 反 面、 責 任 は 大 き
ます。取材の合間に遊んだ東京駅で、美
︵悠︶
く、失敗したときの辛さは全て自分に降
とはありませんでした。ですが、それ以
問題が浮き上がり、完全に心が休まるこ
ひとつ問題を解決すれば更にまたひとつ
とかと思いました。昨年度も我樂多文庫
▼編集長に任命された時は、どうなるこ
嬉しいです。
グルメリポート、楽しんでいただければ
いい思い出。そんな食いしん坊が書いた
完成の目処が立ってくるとゼミも和やか
でゲームをしていたこともありました。
正直毎週ゼミを休みたかったです。ここ
のもはばかられ、コピーするのも嫌で、
りかかります。誰のせいにも出来ません。 味しいパフェを食べることができたのも、 なんとか書き上げた原稿をもう一度読む
上にみんなで取材に出かけたり、書き上
な雰囲気で楽しかったです。
だけの話ですが、たまに憂鬱な時は休ん
げた記事を褒めてもらったりした喜びが
の制作に携わりましたが、やはり下級生
︵歩︶
大きく、また苦労したぶん達成感もあり
誌作りは面白かったです。特にオダサク
色
々な障害もあったと思いますが、雑
雑誌を作り上げていくのには、天と地ほ
ました。辛い部分も楽しい部分も含めて、 と し て お 手 伝 い す る の と、 自 分 た ち で
貴重な経験が出来たことを光栄に思いま
とは良い出会いでした。初めはあまり乗
当に好きです。そして、卒制やもろもろ
り気ではありませんでしたが、今では本
のことが全て片付いたら、何よりもゲー
どの差があったのです。時には胃を痛め
協力いただき、何とか雑誌を完成させる
ることもありましたが、沢山の方々にご
ことができました。この場をかりて厚く
ちの活動をサポートしてくれた方々にこ
の場を借りてお礼を申し上げます。最後
す。 取 材 に 協 力 し て く れ た 方 々、 私 た
に、苦楽を共にしたゼミメンバーの皆も
▼約一年前の編集会議で、何気なく﹁他
いです。
ム廃人として残りの大学生活を過ごした
様々な大学を訪ね、学生街や古書店街に
︵光︶
も足を運び、取材を重ねました。これほ
本当にお疲れ様です。そしてありがとう。 御礼申し上げます。今号は関東・関西の
︵万︶
▼はじめての雑誌作り。記事を書き上げ
編集後記
183
の大学に取材に行ってみたい﹂と口にし
実現するとは思っていませんでした。日
だろう﹂こう提案したときには、まさか
直すための総特集に﹁他大学訪問はどう
完成を目標に走り続け、そのおかげで皆
しく切磋琢磨しながら﹁我樂多文庫﹂の
いに協力しあい、時には楽しく時には厳
藝大我樂多文庫 第七集
た時は、まさかこんなに多くの方々にご
︵菜︶
は最大限に活かしていきたいと思います。
さんと以前よりはるかに仲良くなれたこ
ならない積極性を、取材を通じて体感す
▼ゼミの聴講生として誌面づくりに参加
とに感謝しています。これから私は、雑
ることができました。制作は難航しまし
するのは三年目になります。取材のため
藝・京造とお伺いしました。両校ともご
だ雑誌作りでしたが、未だ明確な答えは
たが、なんとかこうして編集後記を書け
西へ東へ先輩のあとをついて走り、相変
多忙のところ取材を快諾して頂き、本当
見つかっていません。しかし、自分の在
ることに、ひとまず安 しています。ま
わらずめまぐるしい日々でしたが、一年
んの方のお力添えがあって、はじめて成
籍する学科が、悩み、考え、行動できる
とまりのない編集部でしたが 咤激励し
を通じてまた多くのことを学ぶことが出
でした。今回の雑誌は、学内外、たくさ
場所であったこと、またその時に手を差
来ました。わからずやの後輩がいつも生
誌編集とは少し違った分野の仕事をする
し伸べてくださる先生方がたくさんいて
き、良い一冊ができたと思います。大変
合い、また、長谷川先生に助言をいただ
意気を言いご迷惑をおかけしました。支
つもりですが、この二年間で学んだこと
くれたことは、本当に誇らしく思ってい
貴重な経験をさせて頂きました。他大学
した文芸学科の魅力と、見習わなければ
ます。今なら、この場所で学ぶことがで
の先生方を始め、ご協力くださった皆様
にありがとうございました。四年間過ご
きてよかったと自信を持って言える気が
また取材に協力して下さった方々にこの
いうあまりにも大きな問いを持って臨ん
します。最後になりましたが、今回の雑
に厚くお礼申し上げます。
場で感謝を申し上げます。今回の企画に
▼﹁我樂多文庫﹂制作への参加も二度目
起こし、記事作成、インタビュー、編集
を思い知らされました。企画書、テープ
作成することがとても大変だということ
すので、楽しみです。
なりました。来年はやっと単位が貰えま
を、また自分自身を振り返るきっかけと
携わったことで、改めて文芸学科の実情
えてくださった先生や編集部のみなさん、
▼今回初めて雑誌編集というものをやっ
となりました。ただ先輩方の真似をする
会議等すべてが同ゼミ生の皆さんの協力
︵翔︶
誌に関わってくださった全ての方に心よ
てみて、学生だけで作る小さな雑誌でも
ことに必死だった昨年をふまえ、今年は
▼私は聴講生として、四回生のゼミに参
︵三︶
私たちが頑張っていこうと意気込んで挑
無しでは出来なかったと思います。お互
︵桃︶
んだ第七集。自分たちの居場所を見つめ
ございました。
り御礼申し上げます。本当にありがとう
り立っています。文芸学科とは何か、と
協力いただけるなんて思ってもみません
184
でガチガチでしたが、先輩たちに優しく
加させていただきました。はじめは緊張
▼私にとってゼミの活動は初めてのこと
ラスになったと思います。
受講できたことは、私にとって大きなプ
材に同行させていただいたりと他の授業
になって真剣に考えていただいたり、取
ですが、企画会議で私の発言も同じ立場
きました。そして、記事は書いていない
り、とてもいい経験ができました。記事
に行ったり、先輩方と記事の推敲をした
とができました。大阪の古書店街の取材
バイスのおかげで、記事を書きあげるこ
かし、長谷川先生や先輩方の適切なアド
ばかりで、戸惑うこともありました。し
︵啓︶
サポートしていただき緊張が和らいでい
ではできない貴重な経験ができ、少しず
の書き方や文章の表現方法など、多くの
てすぐ、ゼミに参加する機会を与えてく
ことを教えてくださった先輩方。入学し
編集者への背伸びをしているようでワク
ワクしました。この一年間、先輩たちを
つできていく記事を見ていると、大人、
見て学んできたことを来年度のゼミで生
ございました。
点を問い直そうと企画したものです。m
︵晶︶
▼今回出版・編集の授業ということで聴
▼﹁ 我 楽 多 文 庫 ﹂第 七 集 が 出 来 ま し た。
ださった長谷川先生。本当にありがとう
講させてもらい、右も左もわからない状
私の教室に集う学生たちが、自らの立脚
今回のテーマは大阪芸術大学文芸学科。
︵史︶
態での授業でしたが、四回生の先輩方が
かしたいです。
わからないことは、質問すればすぐ答え
てくれる良い雰囲気でした。また出版・
のでとても刺激的でよい経験でした。そ
っている中自分にはない考えが出てくる
編集会議では、それぞれの意見を言い合
申し上げます。
ご協力いただいた皆様にこころより御礼
京都造形、近畿大学の関係各位をはじめ、
願います。専修、日大、法政、早稲田、
にしたいという意欲を評価して欲しいと
編集については、全くわからなかったが、 文芸学科をより活動的で魅力 れる学科
して原稿の赤入れ等も授業で学んでいる
︵長谷川︶
ものを実践できたのでこの授業を一年間
編集後記
185
藝大我樂多文庫第七集
2015 年 3 月 20 日発行
編集
大阪芸術大学文芸学科
長谷川郁夫研究室
【文芸と創作Ⅲ】
秋田理絵
一村歩郁
井上大貴
岡本 駿
阪上万月
鈴木歩実
武田 悠(編集代表)
中村光兵
三浦かれん
三枝翔子
吉田菜生
【文芸と創作Ⅱ】
糸井桃子
佐藤史門
【二回生】
山口啓二郎
【一回生】
浦 晶
表紙イラスト
キャラクター造形学科 吉原乃亜
印刷所
株式会社エーヴィスシステムズ
大阪芸術大学
〒 585 ­ 8555
大阪府南河内郡河南町東山 469
本好き、
集まれ!
読む・書く
・作る
大阪芸術大学文芸学科
http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/departments/literaryarts/