早稲田大学 - 増田塾

2016 増田塾
入試解答速報
早稲田大学(2/13)国際教養学部
― 早稲田大学 ―
2 月 13 日
国際教養学部
国語
解 答
一
問一
1.エ
2.イ
問二
問三
オ
B.エ
C.オ
D.イ
問四
問五
X.エ
イ
Y.ア
Z.オ
問六
問七
ウ
ウ・エ
二
問八 1.イ
2.ア
問九 A.ア
B.イ
問十 エ
問十一 オ
問十二 エ
問十三 イ
問十四 イ・オ
C.オ
D.エ
三
問十五 エ
問十六 イ
問十七 ①ア ②オ
問十八 オ
問十九 イ・ウ
問二十 オ
問二十一 イ
問二十二 ア
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解 説
一
問一
1.「迎合」→ア.芸 イ.鯨 ウ.剛 エ.迎 オ.豪
2.「不協和音」→ア.興 イ.協 ウ.強 エ.競 オ.凶
問二
空欄それぞれの直後に「~ず」
「~ならない」
「~いけない」と筆者にとって否定的な見解が
取り上げられていることから、「むやみやたらに」という否定的な意味を持つ「みだりに」
が正解。
問三
B:空欄前後は「あることがらを一応認めたあとで,全面的には賛成できない」という内容に
なっている。以上の意味を持つ語句は「だからといって」。
C:8 段落全体を通じて「科学的な記述」と「擬人的な記述」が対比的に述べられており、空
欄 C はその間を繋ぐ部分。ここから「それに対して」が正解となる。
D:空欄直前に「一見~」とあるが、これは後者の表現の「第一印象」が述べられているとい
うこと。そして空欄直後ではその印象に対しての反論が続いている。ここから空欄直後では
「第一印象」ではなく「よく考察すると」わかることが指摘されていると判断できる。以上
により「よく考えると」が正解となる。
問四
X:「ダイナミズム」「ダイナミクス」は現代文では「個人や団体などがそれぞれ持っている
影響力のかかわりぐあい(力関係)」と理解しておくのがよい。空欄前後では猫を理解する
には構造や機能だけではなく、可愛らしさ・精悍さ・気高さなどの要素もすべて関連付けた
「全体」として捉える必要性があることが述べられている。ここから正解はエとなる。イ「キ
ャラクター」では構造・機能面に着目できておらず、ウ「メカニズム」では今度は構造・機
能面のみしか捉えていないことになる。
Y:10 段落 4~5 行目「次の段階への思いを抱かせられる」が根拠となり、正解は「思考」。
ここでの「思い」は 10 段落 3~4 行目のような「知的な思考」であり、エ.「想念」などは
不適切。またイ.「推論」は悩ましいが「推論」とは課題に対する「帰結」を推量するもので
あり、ここも 10 段落 3~4 行目「なぜ~?」
「どうなるの~?」というような純粋な疑問を
指して「推論」とは言わない。以上から見ても正解はア。
Z:空欄直前「呼び出す力」が根拠となり、正解は「啓発力」。
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問五
脱文補充は脱文内の「指示語・接続詞・キーワード」に注目することが鉄則。脱文「このよ
うに」から脱文直前で「複雑な現象」への「解釈や推測」での対応について述べられている
と判断できる。ここで 4~5 段落から「むずかしい(=複雑な)細胞について解釈・推論に
頼らざるを得ない」という内容と、さらに 6 段落から「複雑な細胞を科学的方法で扱うのは
間違い(つまり解釈・推論が必要)」という内容を掴めば、空欄Ⅱに脱文が入ると判断でき
る。空欄Ⅰの直前ではまだ解釈・推測の必要性が取り上げられてはいない。また 7 段落以降
で新たな話題へと展開しているため、空欄Ⅲ・Ⅳも脱文を入れるのにそぐわない。
問六
傍線「細胞そのもの」の適切な言い換えを探すことがポイント。問三 X でも確認したが、筆
者は猫も細胞も理解するには構造や機能だけではなく、可愛らしさ・精悍さ・気高さなどの
要素もすべて関連付けた「全体」として捉える必要性があると主張している。この「全体」
が「そのもの」。続いて傍線「分解してはならない」についてだが、3 段落 1~2 行目「その
毛の成分を〜目の構造を観察」がまさに「分解」であり、それでは「全体」としての猫を理
解できないと述べられている。ここが「分解してはならない」の理由だと考えれば「分解は
全体性を失うから」としているウが正解となる。イ・エ・オは素過程・構造や機能という「一
部分」にのみ注目しているため誤り。アは「複雑さ」が説明不足。またアとウを比較した時
に、アには「ではなぜ分解は細胞理解に繋がらないのか」という疑問が残る内容になってい
る。その疑問を解決しているのがウの「分解は全体性を失う」だとすれば、やはり最適解は
ウということになる。
問七
各選択肢の正誤判定基準は以下の通り。
ア:1 段落 1~2 行目で客観的な方法は間違ってはいないと認められている。
イ:「俯瞰的に見れば」が細胞をどのように見るべきか、についての説明として不充分。確
かに 3 段落で全体を捉える重要性について触れてはいるが、それは「行動」を理解するため
ではなく、細胞・猫・人間「そのもの」を理解するために述べられたもの。
ウ:8~11 段落の内容に合致。「メリット」も擬人的な記述を肯定的に捉えていることから
妥当な表現と判断できる。
エ:9~11 段落の内容に合致。「第一歩」は 11 段落 3~4 行目「創意のみなもと」の言い換
え。
オ:11 段落を確認すると共感力は「脳の中の同じような領域の記憶や考え方を呼び出す力」
をもたらすとされている。オのように「思い込む」ために必要なものとは述べられていない。
カ:
「再構成すればよい」という主張は課題文に記載なし。また「まず分解すること」は 3 段
落 4~5 行目などで否定されている。
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二
問八
1.「姿態」→ア.四 イ.姿 ウ.詩 エ.視(斯・死) オ.始
2.「凝らす」→ア.凝 イ.個(戸) ウ.呼(誇) エ.疑 オ.懲
問九
A:空欄直前「日神と結婚」から「田に降り立つ」ことによりもたらされる、「祈願」される
ようなもの、とすれば「豊穣」が正解。「祝福」では「田に降り立つ」ことでもたらされる
内容が含まれておらず、不充分。
B:空欄直前「消滅し」と直後「哀悼」「無惨な現場」などから正解は「殺害」。
C:5 段落 1~3 行目で滑らかな快適さが「ある→建売住宅/ない→バラック」であり、そし
てむしろバラックのほうが存在感(これが空欄直前「生きた経験」)を獲得する、とあるこ
とから正解は「反比例」。
D:批評のあるべき姿は 1 段落で提案されており、そこで批評=哀悼行為とあることから正
解は「哀悼」。
問十
「蛇神」
「雷神」はそれぞれ「河水」
「稲妻」の象徴であり、これが傍線「対応物」と合致す
る。「ミクマリ」のみが「問題」とされており、これは「物」ではない抽象的な概念。以上
から正解はエ。
問十一
ポイントは「物/人間」をそれぞれ傍線「対象/主体」のどちらととるか。ここで傍線部「物
を生産する=主体を生産する」とあることから、まず「物=主体」と仮定する。すると「人
間=対象」として傍線全体の意味を掴んでいくことになるが、ここで 4 段落 4~6 行目に注
目すると物が商品や製品の形態に変化すると人間はそれに馴染んでしまうことが指摘され、
さらに「物の変形が人間自身の変形を促す」とまとめられている。すると傍線の内容は「商
品・製品という形態に変化して生産された物(これが主体)が、その変化に馴染むよう人間
(これが対象)を変化させる」と言い換えられる。以上からやはり「物=主体/対象=人間」
という解釈で間違いない。これらを踏まえると、ウ・エは「物=対象」としている点で誤り。
イは「人=対象」は意識できているが、イの「人間のためのもの」はむしろ「人間=主/物
=従」と捉えているような表現であるため不適切。あくまで主は物にあり、そこに人間が合
わせる形で変化する、という内容でないといけない。アは 4 段落 1 行目などを踏まえると
「倒錯」を誤用している。また「どのような」倒錯なのかが説明不充分。
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問十二
6 段落 5 行目「存在と非存在」がポイント。まず 5 段落 1 行目「廃物」は 6 段落 2 行目など
で「死に瀕した物たち」と言い換えられる。これを「非存在」と仮定し、さらに 5 段落 1~
2 行目で「廃物」が「存在感」を獲得するという指摘に注目すれば、
「物の二重性」とは「非
存在でありながら存在感を得るもの」ということになる。以上から正解はエ。アは「物が人
間にもたらすもの」として二重性を説明しているが、これは「物自体の性質に二重性がある」
という説明ではないため誤り。イは、確かにバラックは「非存在」と言えるが、
「建売住宅」
はあくまでバラックと比較した時の「存在感のないもの」のたとえだから「二重性」の説明
としては誤り。ウはたしかに 5 段落 4~5 行目で「商品世界からの疎外物」が「私たちの生
の疎外態を認識させる」とあり一見良さそうだが、「認識させる」ということはすでに疎外
されている人間の状態を疎外物によって改めて気付かせるということ。つまり物が人間を直
接「疎外する」わけではないのであり、以上からウは誤り。オは「変形」は課題文では「商
品・製品という形態に変える」という意味であり、廃物=非存在を指すものではない点が誤
り。
問十三
まず傍線「物化した世界」は「世界の万物が物のように変化した」ということだから 4 段落
4~6 行目で「物が商品や製品の形態に変化する→それが人間自身の変形を促す」と述べら
れている箇所に対応していると判断できる。また 5 段落 4 行目「商品世界」にも対応してい
るとわかる。さらに 5 段落 4~5 行目「商品世界からの〜それを切開しうる」が傍線「自己
切開」と対応し、また 5 段落 4~5 行目と 6 段落 2~3 行目が同内容であることなども踏ま
える。以上をまとめると傍線は「疎外物(死に瀕したもの)が私たちの生の現状(疎外態)
を自覚させ、その状態を打開しようとすること」であると伺える。さらに「私たちの生の現
状」については 2〜3 段落で「(物との)生きた相互交渉は終わった(だから私たちも「生き
ている」状態とは言えない)」とあり、さらに「打開」策については 6 段落で「考える」と
提案されていることも踏まえると、正解はイ。ア・ウ・オは 6 段落 1~2 行目での筆者の意
図を誤解している。筆者は世界の再生のために努力したり、企図すること自体「間違ってい
ない」としながらも、そのための手段は「魂振り」ではないとし、より具体的な提案を行っ
ている(それがイの内容)。ア・ウ・オはそれぞれ再生のための手段の内容が間違っていた
り、そもそも内容が具体的でない(オなどがそう)ためすべて誤り。エは「切り込んでいく」
対象が「物的世界」である点が誤り。あくまで「切開」するのは「人間自身の性の現状」。
問十四
各選択肢の正誤判定基準は以下の通り。
ア:5 段落の内容と対応。「商品として流通できない欠陥品」が「廃物=非存在」であり、
「自分たちの<生>に問題がある」は「私たちの生の疎外態を認識させる」。
イ:
「天災を甘んじて受けとめる」は 2 段落 3~4 行目と合致しない。蛇神において「洪水そ
の他の災厄」は「避けたいもの(その上で河水を活かしたい)」とされている。
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ウ:<物の死>を<生>に反映させるというのはアの 1 行目と同内容で正しい。「<人間の消滅
>を回避する希望が生じる」が悩ましいが、5 段落「私たちの生の疎外態」や 6 段落 2 行目
「肝心の「魂」が行方不明になりつつある状態」などは人間の「消滅」と解釈できる。そし
てその消滅を「再生」「蘇生」しようとするための手段が 6 段落全体で述べられているとす
れば、ウは正しいと判断できる。
エ:「本来あった~とみなされ」は 3 段落 4~5 行目と対応。また「<物>を消費するのみ」
も 4 段落 4~5 行目と対応。
オ:現在に「<物>との相互交渉の痕跡はある」としている点が誤り。エで確認した通り、物
との交渉は「終わった」とみなされている。
カ:2 段落 1~2 行目と対応。「精神的豊かさ」は傍線 a の言い換え。
三
無名抄は、鴨長明の手になる鎌倉時代の歌論書。和歌の技術論のほか、先人の逸話や同時代
の歌人に対する論評など、多岐にわたる内容を持つ。出題部分は「井手款冬蛙事」
問十五
a は、下に「を」が続くため、連体形。b は、終止形。c には、已然形が入り、すぐ下の「ば」
とあわせて順接確定条件となる。d は、途中に「なむ」があることから連体形が入る。
問十六
全文訳も参照のこと。「なほざり」とは「いい加減」なことを表す。
問十七
①このセリフを言っている人(筆者の知り合いである「ア ある人」)が「井出の山吹を(ま
だ)見ていない(ので、見たい)」というのである。
②「堂前の山吹が見える」のは「井出の地に住む人々や、この地を訪れる人々全体」という
ような解釈もできようが、これを表すのに、選択肢にある「エ 世の人」では、適切でない。
文中では、14 行目に「世の人」があるが、ここでの使い方は「(井出の地とは全く関係ない
人々をも含む)世間の人々(全体)」である。したがって、②の主体として選ぶには不適切。
残る選択肢の中では、今まさにこの場面で「堂前の山吹が群生する様子」を「ある人」に向
かって語り聞かせている「オ 古老」その人、だけが該当する。また、直接体験過去の助動
詞「き」が用いられている点も、
「(セリフを言っている)私(=古老)自身が見た」という
個人的経験であったことの傍証となる。
問十八・問十九
ともに以下の全文訳を参照。
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問二十
きわめて微妙な出題である。
「やうあること」の訳し方としては、
「エ
風流なこと」、
「オ
理
由があること」の両方があり得る。
そこで、
「古老」のセリフのうち、傍線 D に続く部分から、
「古老」の前提としている見方・
考え方や、「古老」が「ある人」に何を伝えようとしているのかなどについて、以下に整理
してみる。
①(世間の人が「井出のかはづ」以外の蛙をも全部ひっくるめて「かはづ」と呼んでしまっ
ていることに対し「それも間違いではない」と一応の断りを入れてはいるものの)
「本来『か
はづ』と呼んでいいのは「井出川にいる種類の蛙だけだ」と、古老は考えている。
②そうだとすれば、古老にとって、
「井出川以外の蛙」は、本来は「かはづ」ではない。
「井
出川の蛙」を「かはづ」と呼ぶのは、他と区別する意味合いがある(つまり他と区別して「か
はづ」と呼ぶだけの「理由」がある)ことになる。ここから、オには積極的に正解としてよ
い理由が生じる。
③逆に、エの選択肢が正解だと仮定して、傍線 D の時点で、古老が単に「『井出川のかはづ』
は、
『(他よりも)風流な、かはづ』だ」と言いたかっただけ…という場合を考えてみる。そ
の場合、
「(井出川にいる)風流な、かはづ」の比較対象である「井出川以外の××」もまた、
全て「かはづ」であることが前提されてしまう。なぜなら「風流な、かはづ」の比較対象は
「かへる」ではなく「風流でない、かはづ」だからである。これだと、古老が、傍線 D を言
った後に、上記のような説明をつけ足した意味が、ほとんどなくなってしまう。そのように
考えれば、エの選択肢は、積極的には選びにくいことになる。
④やはり、古老の言いたかったことは「(井出川にいるのを)
『かはづ』と申す『こと』は(特
別の理由があってそうしている)『こと』なのだ」という意味なのであろう。
「申すもの」
「やうあるもの」
(この言い方であれば「生物そのもの」を指すことになる)で
はなく「申すこと」「やうあること」という言い方である点も、オの方が、辻褄があうと言
える。「もの」ではなく「こと」なのだから、「そのように呼んでいる」という「事実」「事
情」「背景」「謂れ」「由来」etc.を示していると考えた方が、自然であろう。
以上のことから、エ・オの比較では、やはり、オの方にのみ、積極的に正解とすべき理由が
あると言えよう。エの選択肢が、厳密な意味での間違いとまで断じることはできないが、飽
くまでも、入試問題としての正解は、オである。
問二十一
以下の全文訳も参照。筆者の心の中を述べている地の文であり、ここで比較しているのは「登
蓮」と「自分(筆者)」である。また「聞いていない(確認していない)」対象が、
「かはづ」
なのか「山吹」なのか…という点については、傍線 E と同じ行に「かの声」とあり、ここか
ら「かはづ」と確定できる。
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問二十二
全文訳も参照のこと。まず、イ・ウ・エの各選択肢を消去する理由を以下に記す。
イ→「身分の低い者」とは、文中の「下郎」を指すであろう。「下郎」が「無風流にも山吹
を刈り取ってしまう」という描写はあるが、
「(何かを)言い伝えている」という記述は文中
にはない。
ウ→「井出のかはづ」が「蛙以外の別種の生物」と断じるだけの根拠は文中にはない。(参
考までに、「井出のかはづ」とは、実際に「蛙の一種」―カジカガエル―である)
エ→「風流を愛する心が、どこから生まれるか」について、文中には触れられている箇所が
ない。
次に、残るアとオのうち、本文末尾の一文をより正確に反映しているのはどちらか、と言う
点を考えてみる。「人の数寄と情とは年月に添へて衰えゆくゆゑなり」は「ゆゑ」という言
葉を含んでいる。
「ゆゑ」は「理由」であるから、末尾の一文は、その一つ前の文の「理由」
になっているはずである(言い換えると、末尾の一文と、その一つ前の文には、因果関係が
ある、ということである)。なお、一つ前の文は「後の時代には、たとえ、その地(かはづ
の声などのような風流なものがある地)に行く機会があっても、わざわざ心を留めて聞こう
と思う人も少ないであろう」といった内容である。
この基準で、まずアの選択肢を考えると、「理由」として、たしかにつながる。同じ基準で
オの選択肢を見た場合、まず、後の時代の「社会全体」の問題に「年齢を重ねる」という「個
人」の事情は、直接の因果関係があるとまでは言えないであろう(もし、直接つながるとし
たら、後の時代が「高齢化社会」になると予測した文章だった場合、だけである)。この比
較からアが正解。もう 1 点、そもそも、オの「年齢を重ねると風流が薄れてしまう」という
記述が、実際に本文にあったかどうかも疑わしい。筆者が井出の地を訪れていないのは、直
接的には「老齢のため歩行困難だから」である。「年齢のせいで風流心が薄れ」てしまうも
のなのかどうかは、本文では判断する根拠がない。むしろ「(『ある人』の言葉が)心にしみ
て、いみじく覚え侍りしかど」や「(『井出のかはず』の声を聞きたいと)思ひながら」など、
アとは真逆の解釈(=年老いても、風流心そのものは薄れない!)を、しようと思えばでき
るような材料が、いくつかあったとすら言える。
(全文訳)
ある人が語っていうことには
(以下「ある人」が筆者に向かって語ったセリフ)「もののついでがあって、井出という場
所に行き、一泊いたしたことがございました。あたりの雰囲気といい、井手川の流れている
様子といい(その趣の深さは、私―ある人―の)想像の及びもつかないほど(素晴らしいも
の)でした。かの(有名な)井手の大臣(=橘諸兄のこと)の邸(別荘)の跡なので当然で
すが、川に(沿って)立ち並んでいる石なども十余町(1km 以上)くらい(あり)、それだ
け遠く(の昔から、石が)立て置いてあったのだろうか、どの石もただいい加減な並びには
見えず、わざわざ(計算の上で、そこに)立て(て置い)たようでございました。そこにお
りました古老の者に話しかけて、昔の故事などを尋ねましたついでに、『井手の山吹といっ
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て名声が知れ渡っている(ものががあるはずだ)が、(それが)まるっきり見つからないの
ですが(それは)はどこにあるのか』と(私―ある人―が)訊ねましたところ、
(ここからは「古老」が「ある人」に向かって言ったセリフ)
『そのことでございますが…、
かの井手の大臣の堂は、先年焼失してしまいました。その(堂の)前に、おびただしく大き
な山吹(実際には、款冬―かんとう―、フキのこと)が、群生して見えておりました。その
花の差し渡しは、小ぶりの盃くらいの大きさで、幾重ともなく重なって(咲いて)おりまし
た。それ(=堂の前の山吹)をそのように(『井出の山吹』と)申していたのでしょうか。
また(それとは別に)井手川の水際に沿って、隙間もなく(山吹が生えて)おりましたので、
花盛り(の頃)には(まるで、川に沿って)金の堤防などを築きわたしたかのよう(になっ
たの)で、他の(山吹が咲くような)場所よりは優れた景色でございました。そういうわけ
で(「井出のお堂の前の山吹」と「井出川沿いの山吹」のうち)どちらのことを(指して「井
出の山吹」)と申していたのか、今となっては、はっきりとはいたしません。ただし、下郎
(身分の卑しい連中、の意)が風流を解さずにしておりますことは、このように名高い草だ
からといって、何も遠慮することなく(下郎のセリフ)
『田を作る時には、草(山吹のこと)
を刈って(田に、肥料として)入れると(稲が)よく実る』と申して、分別なく(山吹を)
刈り取りましたので、今は跡形もなくなっております。それにつけても『井出のかはず』と
申すことには(きちんとした)理由があることでございます。世間の人の思っていますのは、
ただ(どんな)蛙を(も)皆(区別せずにひっくるめて)『かはず』と言うものと思ってい
るようです。それも(必ずしも)間違いではございません。けれども(古老たちが言う意味
での)『かはず』と申す蛙は(この地以外の)他(の場所)には、全くおりませんで、ただ
井手川(の周囲)にだけにいるそうです。色は黒っぽくて、そんなに大きくもなく、(他の
種類の)ふつうの蛙のようには目立つ感じに跳ね回ったりするようなことも、まずしません。
通常は、水(のあるところ)にだけ棲んで、夜が更けるころにそれ(古老たちが『かはず』
と呼んでいる、他の蛙とは違う種類の蛙。カジカガエルのこと)が鳴いているのは、たいそ
う心が澄むような、実にしみじみと心に染み渡る情趣のある声なのでございます。春とか夏
とかの頃、必ず(この地に再び)おいでになって(かはずの声を)お聞きなさいませ』(←
ここまでが古老のセリフ。問十八。)
と(古老が)申しましたが、その後、何やかやと(忙しさに)まぎれて、いまだに(再度、
井出を)訪ねてはいないのです」(←ここまでが「ある人」が筆者に語っていたセリフ)
(それを聞いたので、私―筆者・鴨長明―は)この話が、心にしみわたって、たいそうすば
らしいと思いましたが(その地に赴くこともなく)無益に時を過ごして三年にはなりました
(=つまり、筆者が「ある人」から「この話」を聞いたのは、もう三年以上も前ということ)。
(私―筆者・鴨長明―は)老齢になっており、歩くのも困難で(話に聞いたかはずの声を聞
きたいと)望みながらも、いまだその声を聞いていない(=井出の地に一度も行けていない)。
登蓮法師が雨もまったく(気にかけない)というかのように(ますほの薄について、遠くに
調べに)急いで出て行ったという故事とは、比べようもない(くらい、井出のかはずの声を
聞いていない自分―筆者・鴨長明―は、ふがいない、という意味)
これを思うと、今(筆者が生きた時代)より後(になればなるほど、そ)の時代の人は、た
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とえ、たまたま何かの機会があって、その地に赴き(風流な物に)出会ったりしても、心を
留めて聞こうと思う人も少ないであろう。(そのような状態になってしまうのは)人の風流
心と情趣を解する心(というもの)は年月が経つにつれて衰えてゆくものだからである。
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