南中六三期の皆さ ん、同窓会入会を心 から歓迎します。 昨二〇一五年、前年に続いて二人の 日本人がノーベル賞を授与されました が、私は大村智博士のことばと研究者 としての歩みに関心を抱きました。 授 賞 式の後「薬が実際に使えるよ うになるには何百人何千人が関わって いる。実際はみんなで表彰されなくて はいけないと思う。 」と話され、共同 で受賞したキャンベル博士も「我々の 仕事を、我々の生を価値あるものにし てくれた総ての人たちに感謝したい」 と話されています。 受賞の対象になった研究の経過につ いて簡単にまとめてみます。一九七四 年に大村さんが静岡県伊東のゴルフ場 近くで採 取した土から、放 線 菌とい う微生物の一種を見つけてそれを培養 し、共同研 究者と共に化学 構 造を改 良して家畜の寄生虫を抑えるイベルメ クチンという薬を一九八一年発売しま す。それが人にも効果のあることが分 かり、熱帯地方のオンコセルカ症(河 川盲目症)という風土病の薬として開 発が進み、現在WHOの主導などで年 間数億人以上に使われ,多くの人を失 明から救うことになりました。選考委 員長は「病気で苦しんでいた世界の貧 しい人々が救われた。 」と述べています。 大村さんの言葉「私の仕事は微生物の 力を借りているだけ。 」 研究グループでは年間約二千株の微 尾 弘 生物を調べているそうですが「繰り返 したって成果がいつ出るか分からない 仕事」とも。これまでに約四八〇種類 の化合物を発見し、その中から二五種 類ほどが医薬品などとして世界中で使 われているそうです。 大村さんのモットーは「人まねをし ない。 」 「人のまねをしていたら、その 人のレベル止まり。 」この考え方は学生 時代に打ち込んだスキーからだと。大 村さんは農家の生まれで田んぼの草を 取ったり、家畜の世話をしながら大学 進学をするのですが「国語や英語が苦 手で、消去法で理科が残った」のだそ うです。地元の山梨大学を卒業し、就 職したのが東京都墨田工高定時制の先 生。そこで熱心に勉学に励む生徒の姿 に打たれ、もう一度勉強し直そうと東 京教育大学(現筑波大学)の研 究生 となり、さらに高校の先生として働き ながら東京理科大学大学院を修了し ます。 「もし東京大学だったら弾き出 されてノーベル賞を貰えなかっただろ う」とも語っておられたそうです。 ですが、大村さんは北里大学などで 教授として教えておられ門下生から約 一二〇人の博士と三〇人以上の大学教 授が育っているということです。 最後に大村さんの言 葉をもうひと つ。 「若い人に『恕の心』が大 事だと 伝えたい。人を思いやる気持ちです。 常に思いやりを持って一生懸命やりな さいと。きっと誰かの目に留まるから。 」 同窓会会長 妹 大村 智博士のこと 発 行 秋田市南通宮田15番1号 秋田市立秋田南中学校同窓会 電話 018-833-8467 同窓会報編集委員会 www.edu.city.akita. akita.jp/˜akm-c/ 印 刷 三 浦 印 刷 4月の南棟校舎。この後、解体工事(2015.9.14〜12.8)で取り壊されました。 平成28年2月19日 報 会 窓 同 中 南 田 秋 (1) No.29 「 志 」 考 ある三年間に心より感謝申し上げま すとともに、多くのご支援を頂戴い たしましたことに深く感謝申し上げ ます。ありがとうございました。 市中総体開会式校長会会長席にて 27.6.20 60周年記念式典にて 25.10.6 ㈱ 相 場 商 店 常務取締役 相 場 宏 泰 (南中 期) 秋田市楢山登町1・ 電話 833︱8766 代表取締役 ㈱ 岩 田 写 真 岩 田 幸 久 社 長 秋田市中通1・3・ 電話 834︱5015 ㈲荻 原 鐡 工 所 専 務 小 松 貴 (南中 期) 秋田市楢山本町1・1 電話 833︱1274 ㈾ お 天 気 や 専務取締役 荻 原 万壽夫 (南中 期) 秋田市旭南三丁目9・2 電話 862︱5043 30 澤 喜 彦 AKAI PHARMACY 赤 井 保 廣 秋田市南通宮田 ・ 電話 8 2︱6565 代表取締役 薬 剤 師 20 30 鎌 田 正 一 秋田市広面字野添 ・1 電話 832︱5333 ㈱ 秋田ソニック 9 校 長 米 「志に生きる」 てほしいとも強く感じた次第です。 本校教育目標である に関連して、最近、改めて「志」と 二つ目は、先の「志高気清」とい いう言葉のもつ、すばらしさや意味 う言葉もそうですが、子どもたちに 合いについて共感する言葉や考えと だけではなく、私たち大人にも通じ 出会い、うれしい気持ちになった。 ることだと思った考えです。 一つ目は『志高気清』という言葉 「 自 分 の 人 生 を 意 義 あ る も の に す で す。 「志」という言葉が入ってい るため、何が大切か?」という問い るので目が留まったということもあ に対して、皆さんはどのように答え りますが、恥ずかしながら初めて聞 るでしょうか。もちろん、答えは人 く四字熟語でした。 様々だとは思います。 インターネットを使って調べていく が、 そ れ は、「 志 」 で あ る、 と 明 うちに、前文部大臣(当時)奥田幹生 言されると何か心地よい気分になり 先生の言葉と分かり、またまた、自分 ました。そして、その「志」とは、「夢」 の不勉強さにショックを受けました。 と「希望」と「目標」であると、続 奥田元大臣が青少年に願う言葉と きます。 して残されたこの『志高気清』とい 多くの人は自分の将来に対して夢 う言葉には、「高く大きな目標を決め、 と希望を抱く。しかし、それだけで その実現に向かって清らかな気持ち は目標は達成できない。夢と希望に で活動してください」という気持ち 加えて目標を設定しなければならな が込められているとのことでした。 い。この「夢」「希望」「目標」とい う三つの要素が統合されて、初めて 言葉のもつ意味を理解してから は、今の南中生とも照らし合わせな 「志」となり得る。 がら、 『清らかな気持ちで』 、という 今年で定年退職を迎える今、改め 部分に強く心を打たれました。それ てこれまでの人生を振り返るととも こそ、清らかな気持ちで、様々な活 に、この後の自身の「志」を考えて 動に取り組んでいる本校生徒にぴっ います。 たりの言葉であるし、そうあり続け 結びになりますが、南中での意義 南中竿燈20年目出竿式にて 26.8.3 26 7 58 19 34 (2) 報 会 窓 同 中 南 田 秋 平成28年2月19日 懐かしい響きとともに 沼 倫 子 校の歌声を聴いたかのように不思議 なくらい懐かしい気持ちになりまし た。同 時にそれぞれの地であの響き を心の支えにしているであろう 多く の卒 業生の存 在に気付きました。あ れから四十年の月日が流れても人々 の心に息づき、語 り 継がれる響きに 歴史の重さを感じざるを得ません。 さ て、 今 年 度 卒 業 を 迎 え る 生 徒 百四十 名は、一年 次に創立六十周 年 を祝いました。また今 年 度は、たく さんの生徒が暮らした校舎南棟解体 三年主任 長 秋田南中学校は、当時中学生の自 分 の 中 で とて も 大 き な 存 在 で し た。 『打 倒 南 中』 、県南地区で合唱部に所 属していた私にとってその壁は高く厚 く、悔しいけれども越えられない憧 れの響きとなっていました。その特別 な存 在であった学 校に赴任し、今こ こで教職生活を送っていることに不思 議な縁を感じます。 先日、当時の南中合唱部の歌声を で聴きました。まさに、あ You Tube の響きとの再会でした。その瞬間、母 原 宥 介 言葉を書き、掲示しました。たくさ んの温かい言葉が集まり、笑顔が生 まれました。また、南 中 祭のテーマ で あった「WA!」の よ う に 地 域の 方と私たちのつながりを深め、大き な輪を作り上げることができました。 五月に行われた「東北六魂祭」や 夏 の 風 物 詩、「 竿 燈 ま つ り 」 で は 好 天に恵まれ例年以上の多くの方々 が、私たちの演技を見てくださりま した。そして、竿燈まつりで毎年配っ ている、手作りの南中特製しおりも 好評で、感謝の言葉をいくつもいた の音を聞きながらこの冬を迎えまし た。様々な学習活動に「柔らかい心」 で取り組み多くを吸収する、力のあ る生徒たちと自 負しています。今年 度五月には、秋田のよさに触れた「ふ るさと探 究学習」の実施、東北の力 の結 集を肌で感じた東 北六魂 祭への 参 加、十 月には、地域の方々にお世 話になり 支えていただいた「地域 貢 献活動」への取組など、一つ一つが今 この時に、ここにいたからこそできた ものとその成果を振り返っています。 人から学 び、人の心に触れ、人と共 に体験する一連の流れを通して、ふる さと秋田や地域に少しでも目を向け ることができたのではないかと思いま す。活 動にご協 力いただいた多くの 方々に感謝の気持ちで一杯です。 懐かしい響きとともに、生徒の取 組の一つ一つが新たな歴史を紡ぐこと を肝に銘じ、今 後も精 進していきた いと思うこの頃です。 だきました。まさにオール南中で秋 田の伝統を多方面に発信できたと思 います。 私たち三年生は、五月に「ふるさ と探求学習」を行い、さまざまな視 点から秋田の魅力を再発見すること ができました。十月には秋田の実情 を 一 人 ひ と り が 考 え、「 地 域 貢 献 活 動」を行いました。社会の一員とし て、ふるさと秋田のためにできるこ とは何かについて真剣に考えまし た。 一 人 ひ と り の 夢 は 違 い ま す が、 私たちの人生にとってこの活動はと てもよい経験になりました。これか ら夢の実現に向けて、新たな気持ち でより躍動していきます。 最後になりましたが、これからは 同窓生として、伝統の秋田南中学校 を築いていく在校生を、先輩方と共 に、精一杯応援していきます。 有限会社 ガレージ・ケイツー 代表取締役 太 田 清 志 (南中 期) 秋田市仁井田本町5丁目 ・ 秋田市中通六丁目 ・ 電話 832︱3352 ㈱ 光 月 堂 瀧 田 純 一 (南中 期) 秋田市旭南3丁目 ・ 電話 864︱0329 秋田南中学校PTA会長 電話 892︱7575 1 国際タクシー 株式会社 田 和 明 髙 橋 本 重 信 (南中 期) 秋田市御所野地蔵田 ・ ・ (イオンモール秋田1F) 代 表 コスメティックアトリエ ポポ 秋田市楢山本町3・3 電話 833︱5931 代表取締役 社 長 13 取締役 境 田 未 希 (南中 期) 秋 田 市 中 通二丁 目1・ 電話 834︱3604 ㈱ 境 田 商 事 電話 889︱6636 1 21 生徒会長 菅 今年の生徒会スローガンは「躍動 〜踏み出そう!夢に向かって〜」で した。南中をさらに躍動させるため に、全校生徒一人ひとりがそれぞれ の夢や目標を持ち、様々な活動に取 り組もうという思いが込められてい ました。どの活動においても、全員 がひたむきに全力で取り組むことが できたと思います。 毎年、多くの方に来ていただいて いる 南 中 祭では「ハッピー プロジェ クト」と題して、家族や地域の方に 普段は伝えることのできない感謝の 15 25 7 25 12 15 1 23 1 44 平成28年2月19日 報 会 窓 同 中 南 田 秋 (3) 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 酒 の 英 雄 常務取締役 冨 野 和 巳 (南中 期) 秋田市旭南三丁目2・ 電話 862︱5983 三栄機械器具 ㈱ 33 代表取締役 佐 社 長 藤 伸 (南中 期) 秋田市茨島二丁目9・ 電話 862︱3105 孝華書院主宰 (南中16期) 代表取締役 鈴 木 雅 人 (南中 期) 秋田市新屋鳥木町1・ (西部工業団地内) 電話 828︱3450 スズキテント㈲ 電話 代表取締役 進 藤 政 弘 秋田市中通4丁目7・ (秋田市民市場) 833︱1816 ㈱ 進 藤 水 産 (南中 期) 秋田市楢山南中町4・4 電話 834︱1413 全店炭酸シャンプー導入 35 35 シャトー’ s クラブ 36 96 美容室 復活みなよん会に八十人参加 近県等に在住する会員が日帰り出来 るよう考慮して昼間の開催とするこ ととした。 集合時間の午後一時半頃、出席者 全員が写真に収まった後、佐藤(柏) 美智子さん(十一組)と高畑重幸君 (十一組)のお二人の司会で開宴と なった。先立った友に黙祷、校歌斉 唱・拝聴後、発起人代表挨拶(河村) で は 開 催 に 至 っ た 経 過 説 明、 昭 和 三十二年三月卒業時六百八十四人で あった会員の現況等について、詳細 な報告がなされた。引き続き恩師の 先生方よりご挨拶をいただいた。乾 杯は、尼崎市から参加した安部正勝 君( 五 組 )、 日 進 市 在 住 の 菅 勝 重 君 (七組)、東京都世田谷区在住の湊典 子 さ ん( 十 一 組 )、 地 元 代 表 の 富 岡 重夫君(七組)の四人によって行わ れ、懇親会へと移った。暫し歓談後 に各組スピーチ前半(一組〜六組)、 相川美智子さん(三組)による欠席 者からの盛会を祈るメッセージの紹 介、各組スピーチ後半(七組〜十二 組)へと進行した。各組のスピーチ では、クラスごとに全員が登壇して 自 己 紹 介 と 近 況 報 告 等 が 行 わ れ た。 裕策 代表 菅 原 23 秋田市牛島西一丁目9・22 電話 867−2331 11 25 余興の部では軽快で流暢な伊藤義宣 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 蠍蠍蠍蠍蠍蠍 君(十二組)の司会のもと、磯崎憲 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 蠍蠍蠍蠍蠍蠍 一君(一組)による「マイウエイ」や、 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 穂積(北村)美智子さん(六組)と 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 蠍作蠍 蠍十蠍 角蠍 田耕 君( 二蠍 組)の演歌の美声 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 に 聴 き 惚 れ た 。 最 後に全員で「故郷」 第蠍 4期 生蠍 河 村蠍蠍鴻 允蠍蠍蠍 蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍蠍 蠍 蠍蠍蠍 蠍蠍蠍 蠍ら蠍 蠍合蠍 を蠍 声高 かに 唱蠍 した後、三浦隆一 君(二組)の音頭で締めの乾杯を行 い、二年後の「喜寿を祝う会」での 再会を期して閉会となった。 母校からは、校歌の歌詞と「南中・ イッツナウ」のカラー印刷物を九十 部ご提供いただいた。後輩の活躍と 母校の現況を垣間見ることができま した。ご尽力下さった若狭良博教頭 先生に心より御礼を申し上げる次第 である。 「平成二十七年十二月吉日記」 「第十一回みなよん会総会」が平 成二十七年十月二十一日イヤタカで 開催された。恩師の伊藤一先生(二 組 担 任・ 理 科 ) 、 小 林 孝 哉 先 生( 三 組 担 任・ 英 語 ) 、 渡 辺 昭 次 先 生( 四 組 担 任・ 美 術 ) を 始 め、 女 性 会 員 三十八人、男性会員三十七人、同伴 二人を含めた八十人が参加した。会 の名称「みなよん」は、 母校「南中」 の「みなみ」と「第四期生」の「よ ん」 を採って付けられたものである。 「 み な よ ん 会 」 は、 五 年 七 ヶ 月 前 の 平成二十二年五月十四日に「第十回 みなよん会総会・古稀を祝う会」を 開催し、その回をもって「みなよん 会総会」の終焉とした。しかし、数 年前から「みなよん会」を再会して 欲しいとの声が多数寄せられるよう になった。そこで会員諸氏の「みな よん会」 に寄せる熱意と情熱に鑑み、 秋田市内及び市内近隣の町に住まい する会員十五人に発起人になってい た だ き、 「 復 活 み な よ ん 会・ 喜 寿 ま で待てない人達の会」をキャッチフ レーズとした「第十二回みなよん会 総会」を開催する運びになった。今 回も前回と同様に、首都圏や秋田市 おのばマルダイ店1F 八橋マルダイ店1F ブロッセ市民市場2F bellezzaドンキ2F (4) 報 会 窓 同 中 南 田 秋 平成28年2月19日 本 番 五 秒 前 崎 宗 雄 せん。 さて、今年から選挙権の年齢が引 き下 げられ、十八歳から投票できる ようになります。中学生にとっては選 挙なんて遠い先の事のように思われ るかもしれませんが、高 校三年 生に なればほとんどの人が選挙権を得ま その時に困らないように、ぜひ今 から新聞を読んだりテレビのニュース 山 切な仕事は、今起こっていることを情 を見る習 慣をつけて、社 会の動きに す。 報としてお伝えすることだけではな 南中の先輩のコメントにも耳を傾けて 興味を持ってください。そして時には からは今の自分の姿は想像もできま ください。 く、それが過去のどんな事 実に起因 をして原稿を書くという生活をして を過ぎた現在まで、四十五年も取材 大学時代は出版社でアルバイトを し、考えてみれば高校時代から還暦 と思うようになりました。 将来はジャーナリズムの道に進みたい 版委員 会)に入り、卒業する頃には 趣味の写真を活かそうと新聞部(出 と思っていました。南高校に進んで、 将来は科学者かカメラマンになりたい 法で食品添加物を分析していました。 中学時代、僕は科学部に所属して、 ペーパークロマトグラフィーという手 います。 ジャーナリストの仕事だと僕は思って はコメンテーターというのは、まさに することだと思います。その意 味で どういう影 響をあたえるのかを予測 しているのかを見極め、そして将来に 第 期生 やかだったスタッフに緊張感が漂いま 本番五秒前! スタジオにAD(アシスタントディ レクター)の声が響くと、それまで和 す。カメラに赤いタリーランプが点り、 パーJチャンネルあきた・トレタテ」 。 16 いることになります。中 学 時 代の僕 仕出し 田 中 屋 合同会社シダシックス 代表社員 田 中 浩 行 (南中 期) 秋田市楢山南中町 ・ 電話 832︱2767 チ ー ム ワ ー ク ボ ス 永 沢 昌 憲 (南中 期) 秋田市大町六丁目 ・ 電話 824︱4237 澤 正 弘 (南中 期) 藤 千 代 田 興 業㈱ 専務取締役 秋田市川尻町大川反 ・ 代表取締役 社 長 の 代表取締役 深 澤 功 (南中 期) 秋田市広面碇 ・1 電話 825︱0030 東 北 物 産 ㈱ 電話 862︱8686 秋田市川尻町字大川反 澤 口 康 孝 (南中 期) 東京電装工業 ㈱ 代表取締役 小野地 慎 一 秋田市東通六丁目4・5 電話 833︱5451 千代田電気工業 ㈱ 電話 864︱6200 49 高橋アナウンサーの「こんばんは」と いう挨拶から番組が始まります。 県内で起こったニュースを毎日県民の 月曜から金曜の夕方六時十五分か ら七時まで放送している「AABスー 皆さんにお届けしています。 この時間帯は各局が視聴率競争で しの ぎ を 削 る 地 方 局の 激 戦 区で す。 僕は、この「トレタテ」でニュースの コメンテーターを務めています。コメ ンテーターというのは、ニュースの背 景や問題点を解説したり論評するの が仕事です。 僕は大学を卒業して社会人になっ てから、還 暦で定 年になるまで、新 聞記者や雑誌の編集者、番組ディレ クターとして現場で取材活動をして きました。ジャーナリストにとって大 6 31 16 2 23 13 117 南 170 36 233 12 28 88 平成28年2月19日 報 会 窓 同 田 中 秋 (5) 川 有 信 南中ソーラン…踊ってみませんか? 期生 富 そして平成九年に秋田で生まれた ヤートセ。皆様がよさこいでイメー ジされる作品ですとドラマでも取 り 上 げ ら れ た「 南 中 ソ ー ラ ン 」 伊 藤 多 喜 雄 の ソ ー ラ ン 節。 こ ち ら 平 成五年に北海道稚内市立稚内南中 学 校 の 生 徒 の た め に 制 作 さ れ、 群 舞の教材にと全国的ブームへ。 私達の練習においても重要な演 目 と し て 考 え 勉 強 中 で す。「 南 中 ソーラン」という響きが我が母校 を連想しやすく秋田南中を知る皆 様にも親しみを感じていただける でしょうか。 南 中 ソ ー ラ ン 等、 踊 り の ご 相 談 あ り ま し た ら 是 非「 秋 田 ま る ま る 愛好会」でネット検索をしてみて くださいね。 新しいことチャレンジしてみま せんか? ㈱ 日東施設工業所 代表取締役 新 泉 博 智 社 長 秋田市楢山登町 ・ 電話 834︱6371 東京海上日動 秋田代理店 代表取締役 小 林 周 平 (南中 期) 秋田市広面字野添 ・ 電話 88 ︱5988 ハートデザインプロデュース ㈲ 40 ㈱ 長 谷 駒 組 代表取締役 畠 山 佳 男 (南中 期) 秋田市川尻大川町 ・ 電話 862︱4858 ㈱畠 山 製 粉 所 代表取締役 長 谷 川 尚 造 社 長 (南中 期) 秋田市南通築地8・ 電話 834︱5445 1 10 フォルムズ建築事務所 伊 藤 徹 (南中 期) 電話 839︱5012 秋田市仁井田中谷地 ・1 代表取締役 ㈲富 士 工 務 店 電話 874︱8140 秋田市仁井田福島1・5・ 一級建築士 小 野 紅 児 (南中 期) 58 35 39 たとえばよさこい団体の依頼を 受け振付制作や振付指導をおこな う 活 動 の ほ か に も、 秋 田 出 身 歌 手 の方々の作品のなかから振付を制 作 し「 ダ ン ス で 秋 田 を 面 白 く 元 気 に 」 し た く、 歌 手 の 方 と の 共 演 や 作品のPR活動の実現につなげる 活動をしています。 秋 田 出 身 歌 手 つ ば さ「 つ ば さ の ド ン パ ン 節 」、 渡 部 絢 也「 秋 田 ハ タ ハ タ ロ ッ ク & サ ン バ 」「 ち ん あ な ご の う た 」「 C o u n t U p 」、 あ ず さ 愛「 冗 談 じ ゃ な い よ 」 等 た く さんの方々と共演させていただき ました。 なおこのたび平成二十六年の秋 田県での行事国民文化祭あきた 2 0 1 4 よ さ こ い 総 踊 り 曲「 い や さかAKITA」の振付制作も行 い、 県 内 外 に も 好 評 を 頂 き ま し て ヤ ー ト セ 秋 田 祭 の 他 に も、 各 団 体 様の演目としても用いられ振付指 導の依頼も頂くようになりました。 昭和二十五年に高知県で生まれ た よ さ こ い、 平 成 四 年 に 北 海 道 で 生 ま れ た Y O S A K O I ソ ー ラ ン、 7 第 昔はダンスといえば様々な舞台 や余興の為の練習で踊ったり、様々 なスクールで学んだりダンスは特 別な時にしか踊る機会がなかった 気 が し ま す。( 人 前 で 踊 る の 恥 ず か しい?) 昨今はダンスが学校の授業でも 行われる時代となり、テレビやネッ トでも踊り動画投稿等人気上昇中 で す ね。 私 は ダ ン ス ユ ニ ッ ト「 秋 田まるまる愛好会」を平成二十四 年一月一日より主催しはじめ、様々 な 芸 能( ダ ン ス・ よ さ こ い ) を 皆 で学ぶ学校のようなサークルを目 指し活動中です。 構 成 メ ン バ ー は〝 生 徒 会 長 〟 と 称 す る 私 と、 我 が 妹 の 二 人 を 中 心 に 金 曜 日 夜 楢 山 コ ミ セ ン( 元 南 中 の円形校舎跡地)を利用して様々 な 方 々 と 共 に 熱 心 に 踊 り を 学 び、 時には習いに時にはイベントやお 祭 り 出 演、 施 設 慰 問 活 動 も お こ な います。 実は私達兄妹は秋田で活躍する 方 々 の 応 援 に 振 付 を 創 作 し、 共 演 等も行っております。 11 129 28 33 12 27 23 53 25 (6) 報 会 窓 同 中 南 田 秋 平成28年2月19日 幾つかの思い出と若い皆さんへ 株式会社 北 勢 工 業 代表取締役 太 田 博 之 (南中 期) 秋田市仁井田本町五丁目1・ 電話 839︱6516 ㈲ 三 浦 印 刷 代表取締役 三 浦 聡 (南中 期) 秋田市旭南三丁目7・5 電話 862︱2792 ㈱ メガネの平川 代表取締役 平 川 英 男 (南中 期) 秋田市仁井田栄町2・ 電話 829︱0880 安田のつくだ煮本舗 ㈱ や す だ 代表取締役 吉 川 隆 三 (南中 期) 秋田市牛島東 ・ ・ 電話 83 ︱2210 ㈱ リューワ建設 秋田市中通六丁目 ・ 電話 834︱5118 36 17 ことが求められている。何となく学 校を出れば一生無事に送れるという これまでの世代の常識は徐々に非常 識になりつつある。大企業もこれか ら は ど う な る か 分 か ら な い。 従 っ て、学歴はともかく、それぞれが学 力・技能を身につけてそれを武器に して、ある時はこちらの職場で、あ る時はあちらの職場で力を発揮する ことが求められよう。若さには物凄 いエネルギーが秘められている。そ れを眠らせず、解き放つ気迫こそが 各人の明日への希望と社会の将来へ の希望につながる。大切なのはこう した「目に見えないもの」を大切に し、育む努力である。 62 25 31 28 15 代表取締役 寳 社 長 田 謙 一 (南中 期) 秋田市旭北寺町1・2 電話 862︱5511 菱明三菱電機機器販売㈱ 2 10 9 (五十音順) 32 々木 毅 には十分な刺激があった。また、自 然に高校や大学の話が耳に入り、将 来について幅広く考える環境が出来 て い た よ う に 記 憶 し て い る。 丁 度、 日本も高度成長が始まりかけていた 頃でもあり、社会が新たな段階に入 る こ と を 予 感 さ せ る 活 気 が あ っ た。 卒業後、秋高に入学することになる が、秋田市で過ごした四年間は私の 青春の貴重な思い出の時期である。 一九六一年に秋田を離れ、東京に 住むようになり、秋田を東京から見 る よ う に な っ て 五 十 五 年 が 経 っ た。 私の世代は集団就職という形で故郷 を離れた人々も多いが、いつの間に か日本は人口減少社会に入り、今や 秋田も人手不足とのことである。東 京圏とその他の地域との不均衡はま すます重大問題になっているが、こ のままでは自治体の消滅も免れない という議論もある。地方創生もいよ いよ土俵際に追い詰められた感があ る。 こうした中で若い世代には世界を 股にかけて活躍する道がある一方 で、地域の活性化に大きく貢献する 1 1 第5期生 佐 私 が 南 中 に 在 籍 し た の は、 一九五七年四月から翌年の三月まで の 一 年 間 で あ る。 そ れ ま で は 千 屋 中(現美郷町)に在籍していた。千 屋中では一学年が四クラスであった が、南中では十三クラスもあり、そ の規模の大きさに何よりもびっくり した思い出がある。田舎から出て来 たこともあってびくびくしていた が、先生も生徒もみんな親切で本当 にありがたかった。もう一つびっく りしたのが、中間試験や期末試験の 個人の結果を廊下に貼りだすこと で、ずらりと書き出されたリストに 自分の名前を探した記憶がある。千 屋中と比べて授業の内容が難しい科 目もあったが、余り変わらない科目 もあった。そして一学期が終る頃に は、すっかり慣れることが出来た。 当時の秋田市は古い街並みが残 り、 今 よ り は 遥 か に 風 情 が あ っ た。 昼も夜も今よりはずっと賑やかで あったのではないか。私のように農 村地帯から出て来た中学生には秋田 市 の 明 る さ が 本 当 に ま ぶ し か っ た。 映画館にせよ、書店にせよ、中学生 文化功労者お祝い会での佐々木氏 2016.1.18 平成28年2月19日 報 会 窓 同 中 南 田 秋 (7) 野谷 憲司 私にとっての南棟校舎 第 期生 幸 くと思います。しかし、諸 先 輩 方が 築いてくださった南中の歴史と伝統、 そして南中生の〝志〟は変わりません。 またそうあるように、私自身、一職員 として微力を尽くしていきます。 各種大会及びコンクールでの活躍 ◇市春季大会 優 勝 バレーボール男子 準優勝 陸上競技 女子総合 第三位 女子卓球 陸上競技 女子共通八〇〇m 第一位 伊藤杏優 女子共通一〇〇mH 第一位 大野真実子 女子共通砲丸投 第一位 伊藤朱里 女子共通砲丸投 第三位 千葉桃香 女子共通走高跳 第三位 坂本香哉 男子共通砲丸投 第三位 吉田仁哉 ◇ 第四二回秋田マーチングフェスティバル秋田大会 優秀賞 バトン部 ◇第二八回秋田県中学生テニス選手権大会 男子シングルス 優勝 菅原宥介 ◇第二七回秋田県春季テニス選手権大会 一般男子Bシングルス 優勝 菅原宥介 ◇第二八回秋田県ジュニアテニス選手権大会 準優勝 十六歳以下男子シングルス 菅原宥介 水泳競技 四〇〇m個人メドレー 第一位 大和茉里亜 二〇〇〇m個人メドレー 第一位 大和茉里亜 ◇第五十七回秋田県中央地区大会 小編成 金賞 吹奏楽 ◇第六四回秋田県中学校総合体育大会 水泳競技 四〇〇m個人メドレー 準優勝 大和茉里亜 二〇〇m個人メドレー 優勝 大和茉里亜 陸上競技 第五位 女子総合 女子共通八〇〇m 大野真実子 女子共通四種競技 第一位 大野真実子 女子共通四種競技 第四位 伊藤朱里 女子共通八〇〇m 第一位 伊藤杏優 ◇第三六回東北中学校陸上競技大会 第六位 女子総合 女子共通四種競技 第三位 大野真実子 女子共通八〇〇m 第四位 伊藤杏優 ◇ 全日本吹奏楽コンクール第五七回秋田県大会 小編成 金賞 吹奏楽 ◇第六八回秋田市中学校英語暗唱弁論大会 暗唱の部 第一位 菊池風花 ◇ 第六五回社会を明るくする運動作文コンテスト 優秀賞 佐藤歌純 佳作 上平彩乃 ◇県秋季大会 優勝 男子バスケットボール ◇第五七回秋田市席書会 半紙の部 金賞 石田芽衣 ◇ 第六二回秋田市小・中学校児童生徒朗読弁論大会 最優秀 松本倖実 ◇第五六回秋田県児童生徒美術展 平面の部 優良賞 佐藤薫野 木村琴音 福田育也 立体の部 優良賞 乾真緒 ◇全日本アンサンブルコンテスト第三八回 秋田県大会中央地区予選 打楽器四重奏 銀賞 木管八重奏 銀賞 ◇税についての中学生作文コンクール 優秀作品賞 髙畑辰彦 青木樹生 ◇秋田県バスケットボール協会 優秀選手奨励賞 関 海空 ◇秋田市中学校体育連盟 栄光章 陸上競技 大野真実子 陸上競技 伊藤杏優 水泳競技 大和茉里亜 ◇ 平成二十七年度秋田市民憲章児童生徒作品コンクール 図画の部 佳作 館岡ひな 受章おめでとうございます 本校関係者の中から各章を受章 された皆様を紹介いたします。 平成二十七年度 文化功労者顕彰 佐々木 毅 氏(三期) Tel.018-833-8467 第二位 陸上競技 女子二年一五〇〇m 伊藤杏優 準優勝 女子駅伝 伊藤杏優 長谷川歌音 桂田夢彩 渡部綾夏 区間賞 伊藤杏優 第三位 男子バスケットボール ◇市秋季大会 優 勝 男子バスケットボール 準優勝 男子バレーボール 準優勝 女子駅伝 第三位 女子卓球 第三位 陸上競技 女子総合 第三位 水泳競技 女子一年一〇〇m平泳ぎ 遠藤樹梨 陸上競技 女子共通八〇〇m 第一位 伊藤杏優 女子二年一五〇〇m 第一位 伊藤杏優 女子共通一〇〇m H 第二位 加賀谷朱夏 女子共通砲丸投 第三位 保坂陽々姫 男子共通砲丸投 第二位 吉田仁哉 男子1年一〇〇m 第二位 髙橋敦洋 ◇ 第三八回秋田マーチングフェスティバル美郷大会 優秀賞 バトン部 ◇ bjリーグジュニアユースバスケットボールカップ お問い合せ先:秋田南中学校同窓会事務局 優勝 十六歳以下男子ダブルス 菅原宥介 ◇第六四回秋田市中学校総合体育大会 優 勝 男子バレーボール 準優勝 男子バスケットボール 準優勝 陸上競技 女子総合 第三位 女子バレーボール 第三位 女子卓球 第三位 男子ソフトテニス 陸上競技 男子一年一〇〇m 第三位 髙橋敦洋 男子共通砲丸投 第二位 吉田仁哉 女子二年一〇〇m 第五位 加賀谷朱夏 女子共通八〇〇m 第一位 伊藤杏優 女子共通砲丸投 第一位 伊藤朱里 女子共通砲丸投 第六位 千葉桃香 女子共通走高跳 第二位 坂本香哉 女子共通四種競技 第一位 大野真実子 女子共通四種競技 第四位 伊藤朱里 三年一五〇〇m 第二位 伊藤杏優 女子二、 女子一〇〇mH 第一位 大野真実子 女子奨励走幅跳 第三位 木村愛理 平成28年7月28日(木) 午後6時30分 参加を イヤタカ 会員多数のごります。 してお 5,500円 お待ち 期日 時間 場所 会費 32 今年度、南棟校 舎は 解 体 され、つ いにその姿 を 消し ました。大 型重機 がうなるごとに小 さく、そして跡 形 もなくなるまでを毎日校 内から見て いて、 様々な記憶がよみがえりました。 南中入学当時、私にとっての南棟 は「みだりに立ち入ってはならない エリア」でした。最上級生だけが入 れる場所、という印象が強かったか ら だ と 思 い ま す。 二 年 生 の 時 に は、 日本海中部地震がありました。私自 身 は 北 棟 に い ま し た が、 先 輩 か ら、 南棟はすさまじい揺れだったと聞き ました。そして三年生の頃には既に 傷みが激しくなっており、隣室との 壁(パーティション)を友人とぐら ぐら揺らし合って遊んだ記憶があり ます。今考えると、非常に危険な状 態だったのかもしれません。 三年前に本校に赴任した時は、余 りにも昔そのままのアンティークさ に、感激したものでした。創立六十 周年を境に教室としては使わなくな り、ついに今年度、その役割を終え ることになりました。 最初は生徒として、次に講師とし て、 そ し て 現 在 と、 私 は 計 三 度 も、 南棟にお世話になったのだな、と今 更ながら感慨深いです。今は更地と なり姿は消えてしまったけれど、生 徒でびっしりと埋まった教室の熱気 や休み時間の廊下の喧騒などは、今 でもはっきりと思い出すことができ ます。そして、決して忘れることは ありません。 これからの南中は、校 舎の改 築も 含めて、新たなステージに向かってい 総会のご案内 (8) 報 会 窓 同 中 南 田 秋 平成28年2月19日
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