○ 主文 本件控訴を棄却する。 控訴費用は控訴人の負担とする。 ○ 事実 第一 当事者の求めた裁判 (控訴人) 原判決を取消す。 被控訴人の請求を棄却する。 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。 (被控訴人) 主文と同旨 第二 当事者の主張 次に付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。 (控訴人) 一 原判決は、「一〇年定年制は昭和四三年一〇月二一日実施の退職金規程におい て採用された」とし、これが就業規則にも規定されているとして、本件退職金の支 給の根拠を右就業規則、退職金規程に求めている。しかし、右規則、規程は、次の ように矛盾に満ちたものであり、およそ実効を有したものとはいえない。 l甲第二号証によると、本則である就業規則の実施日が昭和四五年一一月一六日で あるのに対し、その付属的なものである退職金規程の実施日は昭和四三年一〇月二 一日となつている。このように付随する規程が本則より二年も前に発効するという のは不合理である。なお、右退職金規程は、就業規則、給与規程、旅費規程等とと もに一括編綴され、昭和四五年一一月一六日天満労働基準監督署に届出がなされた ものである。 2 被控訴人の定年制は、一般に市販されている定形化された書式の就業規則に、 その二八条にただ一行「又は勤続満一〇年に達したもの。」とタイプで加筆された だけのものであり、原判決が認定しているような、労使が時間をかけて真剣に規則 改訂に取組んだ結果とはとうてい考えられない。 3 右退職金規程と同日に実施されたという給与規程(乙第三号証)が実施された のは、昭和四五年四月分以降である。 要するに、本件退職金規程は、昭和四五年一一月以前は、形式的にも実施しえなか つたものである。 二 原判決は、勤続一〇年定年制が就業規則に明記されている以上、再雇傭につい ては原則として会社に選択権がある、という。しかし、仮に右のような制度となつ ていても、勤続一〇年に達した従業員が再就職を希望した場合、特段の事情のない かぎり、会社は再雇傭を拒否できない、というのが現今の労働慣行である。 実際にも、被控訴人は、勤続一〇年に達した従業員について、ほとんどもとの身分 のままで雇傭を継続しており、本人が継続雇傭を希望しているのに拒否したという 例は全くない。 三 原判決は、被控訴人が再雇傭を拒否できるのに、実際には誰に対しても拒否し ていない理由として、「退職者にかわるべき若い労働力を確保できなかつたこと と、会社の主力になつて働くべき者が多く含まれていたこと」をあげる。しかし、 被控訴人が一〇年定年制を採用したのは昭和四三年一〇月であり、それに伴う大量 の「定年退職者」が出たのは翌四四年三月である。そして、昭和三〇年代のいわゆ る高度成長期に人つて後、慢性的な若年労働者の不足がとりわけ被控訴人のごとき 中小企業において常態化していたのである。その結果として、一〇年定年制を採用 しても、現実に一〇年勤続者を退職させえない状況にあることは、はじめから判つ ていたはずである。また、会社の主力になつて働くべき者が多く含まれていること も、はじめから明確に認識していたのである。そうだとすると、被控訴人は、一〇 年定年制を採用した当初から、一〇年ごとに従業員の意思如何にかかわらず現実に 退職させることなどは、全く考えていなかつたといわなければならない。原判決 は、一〇年定年制を採用した理由の一つに「被控訴人の業種がさほど熟練を要しな い職種であるから永年勤続者が退職しても会社運営に支障を来すおそれが少ないこ と」をあげるが、このことと右の「退職者に会社の主力になつて働くべき者が多く 含まれていたこと」とは明らかに矛盾する。 なお、被控訴会社は昭和四〇年に会社更生法が適用された由であるが、そうであれ ばそのころ退職希望者の大半は退職してしまつているはずであるから、さらに昭和 四三年になつて、多数の退職者が出ることを見込んだ一〇年定年制を採用するとい うのは不合理である。 四 原判決は、再雇傭時に新たに明示の雇傭契約はなされていないが、黙示の雇傭 契約が締結されたものと解しうるとし、その際、勤務条件等が変化していないこと については、一〇年定年制採用当初の事務的な不慣れが原因であると認定してい る。しかし、これらは、勤務条件等の切換基準が、労働慣行や労働協約によつて明 確に存在することを前提とするものであるところ、本件においてはそのような切換 の基準は存在しない。 五 原判決は、再雇傭時に勤務条件に変化がなかつたのは当初の事務的な不慣れが 原因であるとし、「その後は明確に区切りをつけている」と認定している。しか し、本件の退職金の支給を受けた従業員であるA、Bについてみるに、昭和四四年 三月三一日一〇年定年制により退職したとして右退職金を受領したうえ、同年四月 一日再雇傭され、同四六年七月一〇日付で被控訴会社の役員就任に伴い再度退職 し、退職金の支給を受けたものであるが、その際、退職金規程による退職金とは別 に慰労金なる名目で、Aには三〇万四〇〇〇円が、Bには二八万円が支給されてい る。ところで、この慰労金の性格、支給基準は不明確であり(退職金規程にも給与 規程にも明記されていない)、再雇傭後の勤続年数、他の一般従業員に対する支給 状況からみて高額にすぎ、一〇年定年制による退職前の勤務も配慮されているとい わざるをえない。これを要するに、被控訴人の一〇年定年制の運用は極めて曖昧で ある。 六 原判決は、一〇年定年制が租税回避の目的を有するものでないことを強調して いるが、問題は、租税回避の目的の有無ではなくて、社会通念上「退職」に該当す る事実があつたか否かである。そして、既述のように、被控訴人が一〇年定年制を 採用した理由として原判決のあげるところは首肯し難く、従業員の側でも、その意 思に反して退職させられることはないとの経営者の言質があつたればこそ、一〇年 ごとの賞与の支給と区別のつかない意識状態でこの制度に同意したものである。 ちなみに、被控訴会社代表者は、被控訴人が倒産状態から離脱し、営業成績が順調 になつた昨今においても、一〇年定年制をやめる意思が全くないという(原審供 述)。そうすると、原判決のように、再建時の事情に基づいてこの制度の合理性を 論ずるのは的はずれである。そして、この制度の現時点における合理性は全然立証 されていないから、一〇年定年制は実態のないものであり、租税対策以外の何もの でもない。 七 所得税基本通達(昭和四五年七月一日直審(所)三〇)三〇-二は、原判決の 説示するように、退職の事実がないのに支給される金員を一定の条件のもとに退職 手当として取扱うことを認めている。これは、同一の雇い主との間で雇傭関係が存 続するという観点からすれば、たしかに退職の事実はない場合であるけれども、社 会通念上退職に準ずる事実すなわち身分、地位、職務内容に激変があつたときに退 職一時金が打切り支給されることが世上往々にしてあることに鑑み、そのような場 合のみその実体からみて退職所得としての性質を有するものと認めるのであつて、 本件のような、退職またはそれに準ずる事実が全く認めれらない場合にまで退職手 当と扱うことを認めているものではない。 社会一般通念としての退職金とは、五〇才、六〇才というような労働力が相当程度 衰退したと想定される年令を前提とし、定年後の生活保障を目的としたものである から、一般給与所得に比し軽課する措置をとつているのであつて、右基本通達は、 五年、一〇年といつた短期間の定年制による退職を予想して出されたものではな い。換言すれば、同一労働者が同一企業から三度も四度も退職するなどという事態 は全く予定していないのである。実質的にみても、なんらの身分の変動もなく雇傭 関係が継続している本件の場合において、老後の保障とか失業時における生活維持 といつた社会政策的配慮は全く無用である。 八 企業の倒産に対する不安から、将来の退職金支給を確実ならしめるために、税 法は、退職給与引当金の引当を認め、これを損金に計上することを認めている(所 得税法五四条、法人税法五五条)。もつとも、これは企業内の引当であるから、従 業員からみれば、倒産の不安を回避できない。そこで、ことに中小企業の退職金の 原資を企業外に積立てる方策として、昭和三四年に制定された中小企業退職金共済 法に基づき、中小企業退職金共済事業団等が行なう退職金共済制度あるいは企業が 信託会社等と締結する「適格退職年金契約」があり、税法においても所要の規定 (所得税法施行令七〇条、法人税法施行令一三五条)を設け、退職金の支払いを確 実にしようとしている。このような退職金の確保と企業の負担軽減のため多くの企 業が利用し税法上も容認されている制度を、被控訴人は採用せず、会社が再建途上 にあり、将来に不安があるという事情だけから、一〇年定年制を採用したのであつ て、このような制度によつて支給された金員について退職所得として優遇軽課する というようなことは、税法上認められないところである。 (被控訴人) 一 被控訴人は、鉱石ラジオの製造販売等を業とする、いわゆる中小企業であると ころ、昭和四三年に問題の退職金規程が明文化されるまでは、社内の取決めとし て、勤続年数が一〇年を越えても、退職金は基本給の一〇か月分と定められてい た。これは、勤続一〇年以上になる従業員に対して、暗に退職を勧告するという趣 旨のものであり、しかも、被控訴人の業種の性質上従業員に熟練労働者を必要とし ないため高令の従業員を優遇するということもなかつたので、従来から、会社の幹 部になる者以外は、一〇年前後の勤務で退職する例が多かつた。本件一〇年定年制 採用の背景には、このような事情があり、この制度は従来の慣行をとり入れたもの に過ぎない。 二 被控訴人は、昭和四〇年一一月に会社更生手続開始決定を受け、爾来、再建の 途を歩んだわけであるが、その更生の途上で本件一〇年定年制を採用したわけは、 一面では、会社再建の意欲のない従業員を整理する必要があるということと、他面 では再建に必要な人材は確保したいという点にあつた。したがつて、右の狙いを達 成するためには、残留組の従業員にも一応退職金を払つて将来退職金の支給を受け られなくなるという不安を解消するとともに、その人達を整理される従業員よりも 退職金の面で優遇する必要があつた。 本件一〇年定年制が、右のような二面をもつている以上、その後の経済状況や労働 市場の変動により、そのいずれかの一面だけが目立つような形で、運用がなされた としても(実際には、その後の若年労働者の不足のため、再雇傭する事例が多くな つた)、そのことをとらえて、本件一〇年定年制が有名無実であるというのは、誤 りである。被控訴人はあくまでも再雇傭について諾否の自由を有しているし、昭和 四七年以降の退職者の動向をみても再雇傭が原則とはなつていない。 第三 証拠(省略) ○ 理由 一 当裁判所も、被控訴人の本訴請求は正当であつて、これを認容すべきものと考 える。その理由は、以下に付加するほか、原判決理由説示と同一であるから、これ を引用する。 1 控訴人の主張について 被控訴人の一〇年定年制は、原判決認定のとおり労使双方の合致した意向を退職金 規程(昭和四三年一〇月二一日実施)に表現したものであつて、右規程自体を就業 規則とみることができるから、本件退職金支給に根拠がないという非難はあたらな い。 2 控訴人の主張二ないし四について 右の定年制が就業規則に明記されている以上、一〇年を経過した時点において法律 上雇傭契約は一旦終了するものといわなければならない。もつとも、原判決認定の とおり定年者の殆んどは勤続一〇年後も引き続き被控訴会社に勤務しており、会社 との間に明示の再雇傭契約を締結した事跡は認められないけれども、それは雇傭契 約が更新され、会社との間に黙示の再雇傭契約を締結したものと理解されないわけ ではなく、法律上の退職を認めることの妨げとはならない。 3 控訴人の主張五について 被控訴会社代表者の原審供述により成立を認めうる甲第三号証及び同代表者の原・ 当審供述並びに弁論の全趣旨によれば、被控訴会社は、Aに対し、同人の二回目の 退職に際し、退職金規程により算定された退職金のほかに慰労金なる名目で二二万 八〇〇〇円を支払つたこと、同様に、Bに対しては二一万円を、Cに対しては二万 四〇〇〇円を、Dに対しては三万二〇〇〇円をそれぞれ慰労金の名目で支払つたこ とが窺われるが、成立に争いがない甲第二号証及び被控訴会社代表者の当審供述に よると、これらの金員の支払いは、退職金とは別に会社への貢献度に応じて被控訴 人がとくに支給したものであつて、後の退職金の計算において一〇年定年制による 退職前の一〇年間が加味されたわけのものではないことが認められ、必ずしも一〇 年定年制による運用が曖昧であるとはいえない。 4 控訴人の主張六について 本件が租税回避の目的の有無によつて決せられるわけのものでないことは、そのと おりであるが、租税回避の目的がないことは、本件金員を退職所得と認定すること の一事情として斟酌するに値いする。また、被控訴人の一〇年定年制は、被控訴会 社の倒産から再建にかけての事情だけに基づくものではなく、被控訴会社のいわゆ る中小企業としての特殊事情をも背景として定められ、それなりに合理性を認めう るものであるから、法律上実態のないものであるということはできない。 5 控訴人の主張七について 所得税基本通達は、行政内部における法規運用の指示を与えるものにすぎず、法規 範たる性質をもつものではないが、税法の解釈についての重要な資料と解されると ころ、原判決説示の右通達(昭和四五年七月一日直審(所)三〇)三〇-二の (4)の、いわゆる定年退職後の再雇傭の例は、その趣旨において本件の場合に推 し及ばざるべきものと考えられる。なお、原判決説示のように、退職手当軽課の立 法趣旨の一つに、退職一時金が在職中の労働力提供の対価としての給与の性質をも もつているのに、それが退職時に一時に実現するために、累進税率を適用すると一 般の給与として支給された場合に比して不公平となる点があるところ、被控訴会社 のような業種の中小企業において勤続年限一〇年は、労働者が同一の使用者に雇傭 される期間として必ずしも短いものではなく、本件退職金は右期間の労働の対価と しての一時金という趣旨があるから、これを優遇軽課しても右立法趣旨に背くもの とはいえず、またその額も大阪商工会議所管内における同程度の企業従業員が一〇 年で退職する場合の平均値を採用したものであること(このことは被控訴会社代表 者の当審供述により認められる)をも考えあわせると、これを退職金と取扱つても 社会通念上不合理ということはできない。 6 控訴人の主張八について 被控訴人が退職給与引当金とか退職金共済制度等を選択しなかつたからといつて、 本件退職金の退職所得性が否定されるわけのものではない。 二 そうすると、原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却 することとし、控訴費用の負担について民訴法八九条を適用したうえ、主文のとお り判決する。 (裁判官 今中道信 志水義文 林 泰民)
© Copyright 2025 ExpyDoc