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確固たる信頼を得た首席指揮者が
みせる、
さらなる飛躍
パーヴォ・ヤルヴィの活躍ぶりは今シーズン
もすでに目を見張るものとなっている。
2015年9月、NHK 交響楽団首席指揮者
就任の話題とともにシーズンは華やかに開
幕したが、そこに栄冠の報が飛び込んだ。イ
ギリスのクラシック音楽雑誌『グラモフォン』
が主催する音楽賞、
「グラモフォン・アワード
2015」の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」の受
賞だ。一般の投票で2015年を代表する「ク
ラシック界の顔」に選ばれたパーヴォ・ヤル
ヴィは、その授賞式で「大変に光栄です。さ
らなる情熱をもってレコーディングに取り組ん
でいきます」
と意欲を語った。また、R. シュ
トラウス・チクルスを N 響とともに開始し、昨
年 9月には第 1 弾として《英雄の生涯》
と《ド
ン・フアン》が発売された。10月には待望の
N 響首席指揮者就任記念公演が行われ、
N 響とともに大喝采と高い評価を獲得した。
2015/16シーズンはまた、パーヴォ・ヤル
ヴィにとってパリ管弦楽団の音楽監督として
の最後のシーズンでもある。同楽団を率い
てブダペスト、ウィーン、ベルリン、ブリュッセル
などへのツアーを行い、ラフマニノフの管弦
©Ixi Chen
文 ◎編 集 部
楽曲のレコーディングも実施した。また、ドイ
ツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の芸術
監督を務めるパーヴォは、ブラームスのチクル
スに取り組んでおり、昨年12月にウィーン・コ
ンツェルトハウスで演奏し、ブラームスとベー
トーヴェンを特集した演奏会を、アムステルダ
Paavo Järv
今月のマエストロ
パーヴォ・ヤルヴィ
Paavo Järvi
PROGRAM A/B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
3
ム、パリ、ベルリンなどで指揮した。
N 響との信頼関係に基づいた緊密な演奏
ヨーロッパでの多忙な活躍の後に、昨年
を聴かせて、首席指揮者就任記念コンサー
12月に N 響に戻ってきたパーヴォ・ヤルヴィ
トは大成功に終わった。
は、ベートーヴェン《第9》演奏会に登場。ド
イツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団との
ベートーヴェンのチクルスにおいて小編成の
潑 剌とした演奏で名を馳 せた彼は、N 響と
さらなる期待が高まる2月定期公演
は初となるベートーヴェン交響曲の演奏でも
就任記念公演と《第9》公演で大成功を
くっきりと彫りの深い音楽観を聴かせて喝采
収めたパーヴォ・ヤルヴィが、今月の N 響定
を浴び、2015年を八 面 六 臂 の活躍で締め
期公演に首席指揮者として2度目の登場を
括った。
果たす。A プログラムは、マーラー《亡き子を
しのぶ歌》
とブルックナー《交響曲第5番》
だ。
《交響曲第1番「巨人」》
《 第2番「復活」》に
N響首席指揮者としての成功
昨 年10月の首 席 指 揮 者 就 任 記 念 公 演
続いて取り上げるマーラーについて、彼はこ
のように紹介する。
「心惹 かれる歌曲集です。マーラーが驚
は、待望の瞬間を待ちのぞんだ音楽ファン
異的なのは、こうした絶望や悲しみ、孤独と
で会場は大いに沸いた。マーラー《交響曲
いった題材でさえもこの上なく美しく、温かく
第2番「復活」》は精 緻で明快な演奏に賞賛
表現できること。私たちには辛い思いを表現
の拍手が巻き起こり、R. シュトラウスのシリー
した音楽も時に必要であり、それで心を満た
ズとして演奏した《交響詩「ティル・オイレン
すこともできます」
(2015年10月のインタビューよ
シュピーゲルの愉快ないたずら」》
《 歌劇「ば
り。以下同様)
らの騎士」組曲》
などに対しては、N 響の音
またブルックナー《交響曲第5番》
について
楽性を存分に引き出す奥深い演奏に絶賛
は、
「重いというのは誤解です。最初の音か
が寄せられた。また、同郷エストニア出身
ら最後の音までがひとつの流れなので、それ
の作曲家トゥールの紹介に力を入れている
を明確に表現できれば、内容に魅了される
パーヴォは《アディトゥス》
を披露し、独特の
はずです」
と語り、どんな明 晰な音楽世界に
音楽観で会場を沸かせ、ショスタコーヴィチ
導いてくれるだろうかと胸が弾む。
《ヴァイオリン協奏曲第 1番》では五嶋みどリ
B プログラムは、N 響とのチクルスに取り組
Paavo Järv
の迫真の熱演を導き出してみせた。
4
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
んでいる R. シュトラウスで組まれているが、
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
vi
その第3弾は《変容》
と《交響詩「ツァラトゥス
と『交響曲全集』
(フランクフルト放送交響楽団 )
トラはこう語った」》だ。哲学的な内面世界
を昨年リリースし、その実力が高く評価され
を掘り下げるという共通テーマをもつ2つの
ている。
作品は、作曲年に50年もの隔たりがある。
「日本の皆さまにはあまりなじみはないか
最晩年に書かれた《変容》について、パー
もしれませんが、ニルセンは20世紀の交響
ヴォは R. シュトラウス作品のなかでもっとも
曲におけるもっとも独創的な作曲家で、独自
心が揺さぶられると明かしている。
の語法、和声進行が特徴です。ニルセンの
「過ぎ去りし日々、失われてしまった世界を
魅力の虜 になる体験をお届けできるでしょ
追悼する音楽です。第二次世界大戦による
う」
と自信を見せている。
破壊に対する葬送曲なのです。ベートーヴェ
N 響首席指揮者としてオーケストラとの信
ン《「英雄」交響曲》の〈葬送行進曲〉
を引用
頼関係を確固たるものに築き上げた今、冷
しているのはその意図からでしょう」。深淵な
静な分析力で緻 密な音楽づくりをおこなう
解釈が楽しみだ。
パーヴォ・ヤルヴィに、日本中いや世界中から
C プログラムでニルセンを取り上げる点に
期待は高まるばかりである。
もパーヴォ・ヤルヴィが自ら任じる北欧音楽紹
介者としての意欲が感じ取れる。デンマーク
の作曲家ニルセンに関しては、hr 交響楽団
* N 響ホームページでは、パーヴォ・ヤルヴィのインタ
ビュー動画などがご覧いただけます。
プロフィール
2015年9月に N 響の首席指揮者に就任したばかりのパーヴォ・ヤルヴィは、当時まだソ連に属していたエスト
ニア共和国の首都タリンで生まれた。父は N 響を振ったこともある名指揮者ネーメ・ヤルヴィである。タリンの音
楽学校で指揮と打楽器を学んだ後、渡米してカーティス音楽院で研鑽を積み、ロサンゼルス・フィルハーモニッ
クの指揮者コースではレナード・バーンスタインにも師事した。スウェーデンのマルメ交響楽団首席指揮者、ロイ
ヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者、シンシナティ交響楽団音楽監督(現名誉音楽監
督)
、hr 交響楽団
(フランクフルト放送交響楽団)
首席指揮者
(現桂冠指揮者)
などを歴任し、2016年2月現在、
パリ管弦楽団音楽監督、
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督、エストニア国立交響楽団の芸
術顧問を兼任、エストニア南海岸で毎年7月に開催されるパルヌ音楽祭とヤルヴィ・アカデミーの芸術顧問も務
めている。また、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルト
ヘボウ管弦楽団をはじめとする欧米の名門オーケストラへの客演を重ねるなど、現代を代表する指揮者として世
界を股にかけて活躍している。表現力豊かな音楽性と抜群の指揮テクニックの持ち主であり、特にそれぞれの
楽団の持ち味を生かした音楽作りに定評があることから、今後の N 響との活動に大きな期待が寄せられている。
PROGRAM A/B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
5
A
PROGRAM
第1829回 NHK ホール
土 6:00pm
2/6□
日 3:00pm
2/7□
Concert No.1829 NHK Hall
February
6 (Sat) 6:00pm
7 (Sun)3:00pm
[指揮]
パーヴォ・ヤルヴィ
[conductor]Paavo Järvi
[バリトン]
マティアス・ゲルネ *
[baritone]Matthias Goerne*
[コンサートマスター]篠崎史紀
[concertmaster]Fuminori Shinozaki
マーラー
)
亡き子をしのぶ歌 *(25′
Gustav Mahler (1860-1911)
Kindertotenlieder*
Ⅰ いま太陽は輝き昇る
n
Ⅰ Nun will die Sonn’so hell aufgeh’
Ⅱ Nun seh' ich wohl, warum so dunkle
Ⅱ なぜそのように暗いまなざしで
Ⅲ おまえのおかあさんがはいってくる時
Ⅳ こどもたちはちょっと出かけているだけだ
Ⅴ こんな嵐に
・・・・休憩・・・・
Flammen
Ⅲ Wenn dein Mütterlein tritt zur Tür herein
Ⅳ Oft denk ’ich, sie sind nur ausgegangen!
Ⅴ In diesem Wetter!
・・・・intermission・・・・
ブルックナー
Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲 第5番 変ロ長調(ノヴァーク版) Symphony No.5 B-flat major
(Edition by Nowak)
)
(70′
Ⅰ 序奏:アダージョ ― アレグロ
Ⅰ Introduction: Adagio–Allegro
Ⅱ アダージョ
:非常にゆっくりと
Ⅱ Adagio: Sehr langsam
Ⅲ スケルツォ
:モルト・ヴィヴァーチェ
(急速に)
Ⅲ Scherzo: Molto vivace (Schnell)
Ⅳ 終曲:アダージョ― アレグロ・モデラート
Ⅳ Finale: Adagio–Allegro moderato
6
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
Program A|SOLOIST
マティアス・ゲルネ
(バリトン)
ドイツ歌曲とドイツ・オペラの両方で、いま最も高く評価されているバリト
ンが、マティアス・ゲルネだ。美声にも、表現の深さにも定評がある。ゲル
ネは1967 年、当時は東ドイツに属していたワイマールに生まれている。ラ
©Marco Borggreve
イプツィヒの音楽学校で学び、エリーザベト・シュワルツコップやディートリ
ヒ・フィッシャー・ディースカウにも師事した。ゲルネはまずドイツ歌曲の歌手
として評判になった。ロンドンのウィグモア・ホールやニューヨークのカーネ
ギー・ホールでのコンサートが認められ、すぐにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィル
ハーモニー管弦楽団など一流オーケストラに独唱者として招かれている。1997 年ザルツブルク音楽
祭で《魔笛》のパパゲーノを歌ってオペラにデビューして以来、オペラの歌手としても世界的に活躍し
ている。日本でもこれまで歌曲とオペラの両方を歌ってきた。 NHK 交響楽団とは2014 年 5月に初
めて共演していて、今回が2 度目となる。
[堀内 修/音楽評論家]
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
7
Program A
マーラー
亡き子をしのぶ歌
19世紀末のマーラー(1860∼1911)の創作の源泉は伝承文学にあった。大規模な交響
曲であれ短い民謡調の歌曲であれ、その音楽には自然への畏敬の念と人間の生死に対す
る寓 話 的なユーモアとアイロニーが見え隠れする。しかし20世紀に入ると、マーラーの創作
スタイルは大きく転換する。それまでの生と死、自然と人間などの対比的な音楽表現も、厭
世観に満ちた「暗」の部分が優勢となる。そのような時期にマーラーが選んだのは、フリード
リヒ・リュッケルト
(1788∼1866)の詩であった。
2人のこどもを相次いで失ったリュッケルトは435編もの慟 哭 の詩を書いた。彼の死後
1872年に出版された詩集の中からマーラーは5つの詩を選び、1901年、
《リュッケルトによ
る5つの歌》
と並行して本作の作曲を始める。いずれも各楽器は独立性をもって旋律を歌い、
叙情性豊かで室内楽的な流れが生み出されている。
第1曲〈いま太陽は輝き昇る〉 ニ短調、4/4拍子。こどもを失った父親の悲嘆と昇りゆく
太陽の対照。2行ごとに付された音楽は反復構造を基本に変容する。
第2曲〈なぜそのように暗いまなざしで〉 ハ短調、4/4拍子。こどものまなざしに死の予兆。
第3曲〈おまえのおかあさんがはいってくる時〉 ハ短調、4/4拍子と3/2拍子の交替。マー
ラーは2節の詩に手を加え、こどもの姿を思い浮かべる父親の姿を際立たせている。
第4曲〈こどもたちはちょっと出かけているだけだ〉 変ホ長調、2/2拍子。自分を納得さ
せようとする父親の気持ちが、反復を基本としながら変化する音楽で表される。
第5曲
〈こんな嵐に〉
ニ短調─ニ長調、
4/4拍子。荒天の後こどもたちの安らぐ世界で終わる。
[山本まり子]
作曲年代
1901 年夏に第 1 、3 、4 曲が、1904 年夏に第 2 、5 曲が完成
初演
1905年1月29日、ウィーン楽友協会小ホールにて。フリードリヒ・ヴァイデマンの独唱、マーラーの指揮、
ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団
楽器編成
フルート2 、
ピッコロ1 、
オーボエ2 、
イングリッシュ・ホルン1 、
クラリネット2 、バス・クラリネット1 、
ファゴッ
ト2 、コントラファゴット1 、ホルン4 、ティンパニ1 、グロッケンシュピール、鐘、タムタム、ハープ1 、チェ
レスタ1 、弦楽、バリトン・ソロ
8
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
マーラー 亡き子をしのぶ歌 歌詞対訳
Mahler Kindertotenlieder
訳◎山本まり子| Translation: Mariko Yamamoto
1. Nun will die Sonn’ so
hell aufgeh’n
第1曲|いま太陽は輝き昇る
Nun will die Sonn’ so hell aufgeh’n,
als sei kein Unglück,
kein Unglück die Nacht gescheh’n!
いま太陽は輝き昇ろうとしている
Das Unglück geschah nur mir allein!
Die Sonne, die Sonne,
sie scheinet allgemein!
不幸は私だけに起きてしまった!
Du mußt nicht die Nacht in dir
verschränken,
mußt sie ins ew’ge Licht,
ins ew’ge Licht versenken!
おまえは夜を自分のうちだけに
Ein Lämplein verlosch in meinem Zelt!
Heil! Heil sei dem Freudenlicht der Welt,
dem Freudenlicht der Welt!
小さな灯が私の天幕の中で消えた!
2. Nun seh’ ich wohl, warum so
dunkle Flammen
第2曲|なぜそのように暗いまなざしで
Nun seh’ ich wohl,
warum so dunkle Flammen
ihr sprühtet mir
in manchem Augenblicke.
私にはよくわかる、
PROGRAM A
夜に何の不幸も
起きなかったかのように!
太陽はあまねく
輝いている!
閉じ込めてはならない
永遠の光の中へと
夜を沈めなければならないのだ!
幸いあれ! この世の喜びの
光に幸いあれ!
なぜそんなに暗い炎を
おまえたちが折にふれて
私に放っていたのかが。
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
9
O Augen! O Augen!
Gleichsam, um voll in einem Blicke
zu drängen eure ganze
Macht zusammen.
Dort ahnt’ ich nicht,
weil Nebel mich umschwammen,
gewoben vom verblendenden
Geschicke,
daß sich der Strahl bereits
zur Heimkehr schicke,
dorthin, dorthin, von wannen
alle Strahlen stammen.
Ihr wolltet mir
mit eurem Leuchten sagen:
Wir möchten nah dir bleiben gerne,
doch ist uns das vom Schicksal
abgeschlagen.
Sieh’ uns nur an,
denn bald sind wir dir ferne!
Was dir nur Augen sind in diesen Tagen:
in künft’gen Nächten
sind es dir nur Sterne.
おお、瞳たちよ!
あたかもまなざしいっぱいに
おまえたちのすべての力を
集め尽くしたかのように。
そこで私は想像さえしなかった。
霧に包まれ
目も眩むような運命に
織り込まれてしまったので
まなざしの光が
もう家路につこうとしているなんて
あちらへ、あらゆる光の源へと
向かっているなんて気がつかなかった。
おまえたちはその光で
私にこう言いたかったのだろう。
私たちはずっとあなたのおそばにいたいのに
運命がそうさせては
くれません。
私たちをよく見ていてね、だって
じきに遠くへ行ってしまうのですもの!
今まであなたが瞳だと思っていたものは
これからは夜ごと輝く
ただの星になってしまうでしょう。
3. Wenn dein Mütterlein tritt zur
Tür herein
第3曲|おまえのおかあさんが
はいってくる時
Wenn dein Mütterlein
tritt zur Tür herein,
und den Kopf ich drehe,
ihr entgegensehe,
fällt auf ihr Gesicht
erst der Blick mir nicht,
sondern auf die Stelle,
näher, näher nach der Schwelle,
dort, dort, wo würde dein
lieb’ Gesichtchen sein,
wenn du freudenhelle
おまえのおかあさんが
10
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
戸口からはいってくる時、
私が頭をそちらへ向けて
おかあさんのほうを見る時、
まず視線を向けるのは
おかあさんの顔ではないのだよ。
そこだよ、
もっと敷居の近くなんだ。
あそこだよ、おまえの
愛らしい顔があるはずのところ。
おまえは嬉しそうに目を輝かせて
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
trätest mit herein, trätest mit herein
おかあさんといっしょにはいってくるはずなのに
wie sonst, mein Töchterlein.
いつものようにね、私の愛しい娘よ。
Wenn dein Mütterlein
おまえのおかあさんが
tritt zur Tür herein,
mit der Kerze Schimmer,
ist es mir, als immer,
kämst du mit
herein,
huschtest hinterdrein,
als wie sonst
ins Zimmer!
O du, o du, des Vaters Zelle,
ach, zu schnelle, zu schnelle
erlosch’ner Freudenschein,
erlosch’ner Freudenschein!
戸口からはいってくる時、
薄暗い蠟 燭 の灯を手にしてはいってくる時、
私には、いつものように おまえがおかあさんと一緒に
はいってくるような気がする。
後ろからくっついて小走りに
いつものように
部屋へとはいってくるような気がするよ!
おお、とうさんの体の一部だったおまえ、
ああ、なんて早くに
消え失せてしまった
喜びの光よ!
4. Oft denk’ ich, sie sind nur
ausgegangen!
第4曲|こどもたちは
ちょっと出かけているだけだ
Oft denk’ ich, sie sind nur
ausgegangen!
Bald werden sie wieder
nach Hause gelangen!
Der Tag ist schön! O, sei nicht bang!
Sie machen nur einen weiten Gang.
こどもたちはちょっと
出かけただけなんだとよく思う!
じきにまた
家に着くだろう!
天気はいい! おお、心配はいらない!
ちょっと遠出をしているだけなのさ。
Jawohl, sie sind nur
ausgegangen
und werden jetzt nach Hause gelangen!
O, sei nicht bang, der Tag ist schön!
Sie machen nur den Gang
zu jenen Höh’n!
そうだ、こどもたちはちょっと
Sie sind uns nur vorausgegangen
und werden nicht wieder
nach Haus verlangen!
Wir holen sie ein
auf jenen Höh’n
こどもたちはひと足先にいってしまったんだ
PROGRAM A
出かけているだけなんだ
そしてすぐにも家へ着くだろう!
おお、心配などいらない、天気はいいのだから。
あの高いところへ足を延ばして
いるだけなのさ!
だから、二度とこの家へは
戻ろうとしないだろう!
私たちもあの高いところでこどもたちに
追いつくよ
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
11
im Sonnenschein! Der Tag ist schön
auf jenen Höh’n!
太陽の光を浴びて! あの高いところでは
天気がいいのさ!
5. In diesem Wetter!
第5曲|こんな嵐に
In diesem Wetter, in diesem Braus,
nie hätt’ ich gesendet die Kinder hinaus;
man hat sie getragen, getragen hinaus;
ich durfte nichts dazu sagen.
こんな天気に、こんな嵐が吹きすさぶ中を
In diesem Wetter, in diesem Saus,
nie hätt’ ich gelassen die Kinder hinaus,
ich fürchtete, sie erkranken;
das sind nun eitle Gedanken.
こんな天気に、こんなに轟々いっているのに
In diesem Wetter, in diesem Graus,
hätt’ ich gelassen die Kinder hinaus,
ich sorgte, sie stürben morgen,
das ist nun nicht zu besorgen.
こんな天気に、こんな恐ろしい嵐の中を
In diesem Wetter, in diesem Graus!
nie hätt’ ich gesendet die Kinder hinaus;
man hat sie hinausgetragen,
ich durfte nichts dazu sagen!
こんな天気に、こんな恐ろしい嵐の中を!
In diesem Wetter, in diesem Saus,
in diesem Braus,
sie ruh’n, sie ruh’n als wie in der Mutter,
der Mutter Haus,
von keinem Sturm erschrecket,
von Gottes Hand bedecket,
sie ruh’n, sie ruh’n wie in der Mutter
Haus, wie in der Mutter Haus.
こんな天気に、こんなに轟々いっているのに、
こどもたちを送り出さなければよかった
こどもたちは誰かに連れ出されたのだ
なのに、私は何も言えなかった。
こどもたちを外へやらなければよかった
こどもたちは病気になりやしないだろうか
そんな思いも今となっては、空しいだけ
こどもたちを外へやらなければよかった
明日にも死んでしまわないかと心配になった
今となっては、もうその心配もいらない。
こどもたちを送り出さなければよかった
こどもたちは誰かに連れ出されたのだ
なのに、私は何も言えなかった!
こんな恐ろしい嵐の中を
こどもたちはまるで母の家にいるかのように
安らいでいる
嵐などには脅かされず
神の御手に包まれて
安らいでいる。まるで母の家に
いるかのように。
マーラーはリュッケルトの詩集 Kindertotenlieder ( J. D.
Sauerländer, 1872年 )
から5編選び、自ら改変したテキスト
を用いて作曲した。上記のドイツ語テキストは国際グスタ
フ・マーラー協会による全集版楽譜( C. F. Kahnt, 1979
年)
に掲載された歌詞であり、日本語訳もそれに対応して
いる。
12
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
Program A
ブルックナー
交響曲 第5番 変ロ長調(ノヴァーク版)
《交響曲第 5 番》は、ブルックナー( 1824 ∼ 1896 )にとって苦難の時代の作品である。
「す
べては遅かった。たくさんの借金をして、借金の山の中で自分の勤勉の果実を味わい、
ウィーン移住という愚行をその地で謳ったことは、私の最後の運命かもしれない」。1875
年 2月13日、友人のモーリツ・フォン・マイフェルトにこう書き送った彼は、その翌日、
《交響
曲第 5 番》のアダージョ( 第 2 楽章 )の作曲をはじめている。人生における絶体絶命の危機
は、だからこそブルックナーを高い芸術的集中へと押し上げたのである。
ブルックナーは当時、ウィーン音楽院教授を務めていたが、薄給だったため、さらにウィー
ン大学講師の地位をめざしていた。ウィーン大学には有名な音楽批評家ハンスリックが
教授を務めていたが、ワーグナー崇拝を隠そうともしないブルックナーにとっては、大きな
抵抗勢力でもあった。しかしブルックナーは、文化教育大臣シュトレーマイヤーの援助もあ
り、同年秋には講師の職を得、1876 年 4月には就任公開講義も行うが、なんと当面は無
給のままであり、仕事ばかり増えて経済状態の改善には結びつかなかった。
《交響曲第 5
番》は、1876 年 5月16日に第 1 稿が完成している。その夏、バイロイトに赴き、
《ニーベルン
グの指環》初演に参加したブルックナーは、翌年にかけて《交響曲第 3 番》の改訂や《第 1
番》の見直しなどを行っていたが、ふたたび《第 5 番》の改訂に着手した。1877 年 5月18
日には終楽章の見直しが終わり、5月19日には第 1 楽章に着手、8月11日にはアダージョ
の改訂をはじめ、全曲の改訂が終わったのは 1878 年 1月4日のことであった。
《交響曲第
5 番》は、大学講師就任の際に後援してくれた感謝のしるしとしてシュトレーマイヤーに献
呈されている。
ブルックナー独自の対位法の粋を尽くした至高の作品となった《第 5 番》は、作曲者自身
にとっては不遇な経緯をとることとなる。1887 年、ヨーゼフ・シャルクとフランツ・ツォットマ
ンによって2 台のピアノで初演されたほか、誰も上演を試みず、完成後 16 年経った1894
年に、ようやくフランツ・シャルクによってグラーツで初演されている。しかしブルックナーは
病気のために初演に同席することもかなわず、彼自身「ファンタスティッシュ(すばらしい、幻
想的 )
」
と呼んでいたこの傑作のオーケストラによる演奏を、生涯耳にすることはなかったの
である。
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
13
第1楽章は、長い序奏とコーダを持った3主題に基づくソナタ形式で書かれている。アダー
ジョの序奏は、バロックの通奏低音を想わせる神秘的な冒頭部から突然、金管のコラール
が出現する。第1主題(主要主題)
はヴィオラとチェロによる流動的な楽想で、しだいに盛り上
がって最高潮に達するが、突然弱まるとピチカートによる第2主題がはじまり、さらに歌謡的
な楽想が重ねられる。木管による伸びやかな変ニ長調の楽想がはじまるとそれが第3主題
で、シンコペーションのリズムが安らぎのないブルックナーの心境を表すかのようだ。
第 2 楽章は「非常にゆっくりと」
と表示された2/2 拍子の楽章だが、2 主題による自由な
ソナタ形式を基盤としている。3 連符の弦のピチカートではじまり、すぐにオーボエの第 1 主
題が加わるが、両者の間に生じるリズムのずれが独特の効果を生み出す。突然フォルテ
で奏される弦のコラールが第 2 主題。それは憂愁か諦 観か。この世ならぬ世界が描かれ
てゆく様は、まさにブルックナーの真骨頂である。神秘的な高揚が収まるとすでに第 2 部で、
展開部的な再現部として天国的な高みへと高揚する。
第 3 楽章はスケルツォだが、通例の複合 3 部形式ではなく、主要部とトリオのそれぞれが
ソナタ形式という複雑な構造からなっている。ゆったりとしたテンポの民謡的な第 2 主題
が魅力的だ。2/4 拍子のトリオ主題は、バッハの《ゴールトベルク変奏曲》第 30 変奏に登場
するクォドリベットと酷似している。
第 4 楽章は 3 主題からなる大規模なソナタ形式。アダージョの序奏は、第 1 楽章の序奏
と第 1 主題( 主要主題 )の回想からはじまり、さらに第 2 楽章の第 2 主題も短く引用される。
変ロ長調の第 1 主題は、チェロとコントラバスによって示され、さらに弦の各声部に模倣さ
れてフガートを形成する。変ニ長調の優雅な第 2 主題部の後、突然の管の咆 哮を伴う第
3 主題が、圧倒的に襲いかかる。金管のコラールによるエピローグも素晴らしい。展開部
はエピローグ主題と第 1 主題による壮大な2 重フーガで、
そのまま圧倒的な再現部へと入っ
てゆく。第 3 主題によるコーダは、金管の荘厳なコラールを再現しつつ登り詰め、主要主
題の斉奏によって決然と終わる。
今回の演奏は、
レオポルト・ノヴァーク校訂による
『ブルックナー全集』、いわゆる
「ノヴァー
ク版」
を使用して行われる。
[
口
一]
作曲年代
1875 年 2月14日∼1876 年 5月16日。改訂は1877 年に着手、1878 年 1月4日に完成
初演
1894年4月8日、グラーツにてフランツ・シャルクの指揮で
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット3 、
トロンボーン3 、テューバ1 、
ティンパニ1 、弦楽
14
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
B
PROGRAM
第1831回 サントリーホール
水 7:00pm
2/17 □
木 7:00pm
2/18 □
Concert No.1831 Suntory Hall
February
17 (Wed)7:00pm
18 (Thu) 7:00pm
[指揮]
パーヴォ・ヤルヴィ
[conductor]Paavo Järvi
[ピアノ]
カティア・ブニアティシュヴィリ
[piano]Khatia Buniatishvili
[ゲスト・コンサートマスター]
ヴェスコ・エシュケナージ
◆
R. シュトラウス
)
変容(30′
[guest concertmaster]Vesko Eschkenazy
Richard Strauss (1864-1949)
“Metamorphosen”
, Studie für 23
Solostreicher
シューマン
)
ピアノ協奏曲 イ短調 作品54(30′
Robert Schumann (1810-1856)
Piano Concerto a minor op.54
Ⅰ アレグロ・アフェットゥオーソ
Ⅱ 間奏曲:アンダンティーノ・グラチオーソ
Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ
Ⅰ Allegro affettuoso
Ⅱ Intermezzo: Andantino grazioso
Ⅲ Allegro vivace
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
R. シュトラウス
Richard Strauss
,
交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 “Also sprach Zarathustra”
作品30(33′
)
Tondichtung frei nach Nietzsche
op.30
(序奏)
Ⅰ 背後の世界の住人について
Ⅱ 大いなるあこがれについて
Ⅲ 歓喜と情熱について
Ⅳ 墓場の歌
Ⅴ 科学について
Ⅵ 病いが癒えつつある者
Ⅶ 踊りの歌
Ⅷ 夢遊病者の歌
(Einleitung)
Ⅰ Von den Hinterweltern
Ⅱ Von der grossen Sehnsucht
Ⅲ Von der Freuden und Leidenschaften
Ⅳ Grablied
Ⅴ Von der Wissenschaft
Ⅵ Der Genesende
Ⅶ Tanzlied
Ⅷ Nachtwanderlied
◆ヴェスコ・エシュケナージ:1970年、ブルガリア生まれ。ロンドンのギルドホール音楽院を1992年に修了。2000年よりロイ
ヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターに就任。リュドミル・アンゲロフ(ピアノ)
とのデュオでも活躍する。 N 響で
は2011年11月に初めてゲスト・コンサートマスターを務め、今回が5度目の共演。
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
15
Program B|SOLOIST
カティア・ブニアティシュヴィリ
(ピアノ)
ジョージア(旧名グルジア)
のトビリシ生まれ。激しい情熱と神秘的な詩
性を抱くピアニスト。姉とともに早くからピアノに触れ、6 歳でオーケストラ
と共演した。トビリシ国立音楽院在籍中の、2003 年にキエフのホロヴィッ
ツ記念国際ピアノ・コンクールで特別賞を受賞、2005 年には第 3 回トビリ
シ国際ピアノ・コンクールに入賞。このときの審査員オレク・マイセンベル
クの薦めで、ウィーン国立音楽大学に転入し、彼のもとで学んだ。2008
年のルビンシュタイン国際ピアノ・コンクールでは第 3 位と最優秀ショパン演奏賞、聴衆賞を併せて受
賞した。
ウラディーミル・アシュケナージ、チョン・ミョンフン、ミハイル・プレトニョフ、ケント・ナガノらの指揮者
と共演。ギドン・クレーメル、ルノー・カプソンらとの室内楽にも積極的で、敬愛するマルタ・アルゲリッ
チのプロジェクトを含め各地の音楽祭に招かれている。 N 響とは今回が初共演だが、パーヴォ・ヤル
ヴィとの共演は多く、パリ管弦楽団とのショパン録音もある。パリに在住し、5か国語を話すというが、
ジョージアの民俗音楽への敬愛も色濃い。
[青澤隆明/音楽評論家]
16
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
Program B
R. シュトラウス
変容
この作品には「 23のソロ弦楽器のための習作」
という副タイトルが付けられている通り、
弦楽合奏は通常の弦楽 5 部で書かれているのではなく、23パートで書かれ、全員ほぼソ
ロ楽器として動くことで独特な音色感を披 瀝している( 通常は23人で演奏することが多いが、
本公演では指揮者の意向により、部分的に各パート2 名ずつで演奏する)
。シュトラウス( 1864∼
1949)
は、代表作となった数々の交響詩やオペラなどで、すでに弦楽器を、全員のユニゾ
ンから一人一人をソロとして扱うという両極端のあいだで幅広く探究していた。そこでは弦
楽の管弦楽的書法、室内楽的書法、そのいずれの魅力も十二分に引き出していたわけだ
から、あえてこの作品を
「習作」
と名付けるにはあたらないのではないだろうか。事実、ここ
にはシュトラウスが長年にわたって追究してきた色彩感と動機作法が見事な一致を見なが
ら展開されている。作曲されたのはシュトラウス80 歳、1944 ∼ 1945 年のことであるが、手
慣れた容易さなど何ひとつなく、すべての瞬間が創作の厳しさに突き動かされた、年齢を
感じさせない瑞々しさに満ちあふれている。
第二次世界大戦末期、戦争による祖国の崩壊、文化財の消失を嘆き悲しんでいるとこ
ろから発想されていることが、この作品のトーンを決定づけている。またシュトラウスの今
までのすべての歩みの反映、全過去を追憶する側面もあわせ持つ作品でもある。ドイツが
これまで培ってきた音楽の偉大なる遺産をも擁護しようとした作品であり、
ベートーヴェンの
をはじめとして、ワーグナーの《トリスタンとイゾル
《英雄交響曲》の第 2 楽章〈葬送行進曲〉
デ》、また数々の自作、
《ナクソス島のアリアドネ》
《ツァラトゥストラはこう語った》
などが引用、
展開されているが、こうした作品がシュトラウスの表現に何と自然に同化していることだろう。
もはやシュトラウスには4 年の生涯しか残されていないわけだが、この後の《オーボエ協
とともに、真に美しい最後の輝きのひとつとなった。
奏曲》
《4つの最後の歌》
[野平一郎]
作曲年代
1944∼1945 年
初演
1946年、パウル・ザッハー指揮、チューリヒ・コレギウム・ムジクム
楽器編成
ヴァイオリン10 、ヴィオラ5 、チェロ5 、コントラバス3( 指揮者の意向により部分的に各パート2 名)
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
17
Program B
シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
シューマン(1810∼1856)
にとって、ピアノはいつも重要な表現手段だった。もともとはピア
ニスト志望だったし、指の故障でその夢をあきらめ、作曲家として世に出てからも、ピアノの
独奏曲を書き続けていた。転機になったのは、1840年である。この年はシューマンにとって
の
「歌曲の年」。この年に書かれた歌曲では、ピアノは伴奏という役割を超え、彼が捉えた詩
のエッセンスを描いていた。そしてその翌年が「交響曲の年」。管弦楽作品への意欲が高まり、
などを完成させた。こうした管弦楽へ
《交響曲第1番「春」》や《序曲、スケルツォとフィナーレ》
の情熱と、彼にとって親しみのあるピアノの世界とが融合して、本作が誕生した。
シューマンがこの作品で目指したのは、ピアノをメインにし、オーケストラを従属的に扱う、
当時の協奏曲のスタイルではなかった。両者が引きたて合いながらも、音色的に溶け合う
ことが重要だった。作品の独自性をいち早く認めたのが、ピアニストでもあったシューマン
の妻クララである。彼女は、みずからのピアノで試演をした後、
「極めて繊細な方法で、ピア
ノがオーケストラに編み込まれている」
と言い、作品を高く評価したのだった。
第1 楽章 アレグロ・アフェットゥオーソ、イ短調、4/4 拍子。ソナタ形式。最初にオーボエ
( A )― ラ
(A)
という旋律は「クララの主題」。音名はシューマ
が奏でるド
( C )― シ( H )― ラ
に由来するが、この人物のモデル
ンの音楽評論に登場する架空の女性「キアラ( Chiara)」
が妻クララなのだ。なお、この楽章は当初「幻想曲」
と命名されていた。
第 2 楽章 間奏曲:アンダンティーノ・グラチオーソ、ヘ長調、2/4 拍子。3 部形式。第 2 楽
「クララの主題」が登場する。
章と第 3 楽章は続けて演奏される。この移行部に、
第 3 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ、イ長調、3/4 拍子。ソナタ形式。ピアノとオーケストラ
の掛け合いがある冒頭の華麗な序奏は、たび重なる推 敲の過程で加えられた。
[佐藤 英]
作曲年代
1841 年(第 1 楽章)、1845 年(第 2∼3 楽章)
初演
1845年12月4日、
ドレスデンにて、フェルディナント・ヒラー指揮、クララ・シューマンの独奏
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン2 、
トランペット2 、ティンパニ1 、弦楽、ピア
ノ・ソロ
18
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
Program B
R. シュトラウス
交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30
1880 年代後半から1890 年代にかけて作曲した交響詩の数々によって、
リヒャルト・シュ
トラウス( 1864 ∼ 1949 )は管弦楽曲の世界に新たな可能性をもたらした。このジャンルを
創始したフランツ・リストは、単一楽章という制約の中で交響曲の4 つの楽章に見られる
起承転結を閉じ込めるような作曲法を志したが、シュトラウスはむしろ曲の標題性にもっ
とも寄り添うような楽曲形式を選ぶことによって、音楽そのものが描く物語性と楽曲として
の自律性を見事に両立させる。
《交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」》
《交響詩「ドン・キホーテ」》
( 1898 年、変奏曲形式 )な
( 1895 年、ロンドとソナタ形式の融合 )、
どは、その融合がもっとも成功した例として数えられよう。
19 世紀後半に活躍した哲学家フリードリヒ・ニーチェ( 1844 ∼ 1900 )はその著書におい
を扱っ
て、西洋哲学のすべては人間の意識の中にしか存在しない「形 而 上 学 的なもの」
ており、生きることの意味を失わせるような「ニヒリズム」に支配されていると嘆く。ニーチェ
はこのニヒリズムを克服する「永遠回帰」
と呼ばれる考え方へたどり着く。人生の目的や
究極の価値などはなく、世界はただ同じことを繰り返すだけではあるが、だからこそ現在
を大切にし、力強く生き続けることこそが重要なのである、と。主著『ツァラトゥストラはこう
語った』のなかでは、この生き続ける行為は「力への意思」
と名づけられ、それを達成しニ
ヒリズムを超えた人間を「超人」
と呼ぶ。ニーチェは、人間の意志とは無関係に移り行く自
然の中で、人間がいかに主体的にかかわっていくことができるかを説いた。
かつてミュンヘン大学に一時期だけとはいえ在籍し( 当時の音楽家としては異例 )、哲学
の授業にも出席したシュトラウスは、このニーチェに深く傾倒し、みずからの無神論的思想
を養った。ベルリンでの初演を指揮したアルトゥール・ニキシュ( 1855 ∼ 1922 )への手紙か
らは、哲学作品を音楽化するということに対して、その可能性と限界をシュトラウスも見極
「この作品では哲学的な音楽を書こうとしたわけでも、ニーチェ
めていたことが窺われる。
の偉大な著作をそのまま音楽で描こうとしたわけでもありません。人類の発生からその発
展にいたるさまざまな段階を経た、ニーチェの『超人』の概念を宗教的、科学的に描こうと
したものです。この交響詩全体は、ニーチェという天才にささげられた私のオマージュなの
です」。作曲された1896 年には、フランクフルトで自身の指揮による初演が行われている。
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
19
シュトラウスがこの作品の音楽化に際して採った手法は、みずからも語るとおり全 4 部に
分かれる著作をひとつの物語としてその流れを追うのではなく、印象的な場面を任意に抜
き出しつつ、曲全体を自然と人間の対立、という二項対立の図式に落とし込むことで、2
つの主題・調性が対立するソナタ形式の枠組みへとあてはめることだった。とはいえ、全
体は大きく2 つの部分に分かれ、前半が提示部、後半が展開部+再現部を欠く終結部、
という様式をとっているため、本当の意味でのソナタ形式とは呼びづらい部分も残る。曲
の各所には、作品の章立てに従って次のような標題が与えられた。
「序奏→( 前半・提示
部 )背後の世界の住人について→大いなるあこがれについて→歓喜と情熱について→
墓場の歌→科学について→( 後半・展開部 )病いが癒えつつある者→踊りの歌→夢遊病
者の歌( 終結部 )」
シュトラウスは自然と人間の対立というテーマを、音としては隣り合いながらも調性的に
もっともかけ離れているハ調とロ調に託し、人類の発展の「さまざまな段階」
をあらわす音
楽の中で、この2 つの調を鋭く対立させる。ハ調で自然を表す冒頭の有名な上行主題「ド
を避けることによって、長調・短調の境をあいまい
― ソ―ド」
でも、注意深く第 3 音の「ミ」
にする効果を狙っている
(この部分はスタンリー・キューブリック監督の映画『 2001 年宇宙の旅』で
も用いられ、その無限の広がりを持つ宇宙のさまと結びつけられた)
。
また「科学について」では、人間の営為が 1オクターブの中に含まれる12 音すべてを用
いるフーガで描かれる。後年の十二音音楽の先駆け、とまでは言えないものの、このよう
な不自然な音型でもフーガを作ることができる、というシュトラウスの自負の念をこそ読み
取るべきだろう(ブルックナーの《交響曲第5番》終楽章のフーガ主題も想起される)。終結部では
自然の力の前に屈した人間が哀れみを請う
(ロ長調の主和音)が、自然( 低音のハ音)はこれ
を拒む。アルプスの麓の町ガルミッシュで後半生を送った作曲家が示した自然への憧 憬の
念、そして無神論的思想は、後にニーチェ的主題を扱った続編《アルプス交響曲》
でも示さ
れるが、2 つの調性が溶け合うことなく並置されたこの曲では、両者はより厳しく対 峙して
おり、和解の余地はない。
[広瀬大介]
作曲年代
スケッチは1894 年 2月から、オーケストレーションは1896 年 2∼8月
初演
1896年11月27日、フランクフルト・アム・マインにて、指揮リヒャルト・シュトラウス
楽器編成
フルート3(ピッコロ1 )、ピッコロ1 、オーボエ3 、イングリッシュ・ホルン1 、Es クラリネット1 、クラリネッ
トランペット4 、
トロンボーン3 、
ト2 、バス・クラリネット1 、ファゴット3 、コントラファゴット1 、ホルン6 、
ティンパニ1 、大太鼓、
シンバル、
サスペンデッド・
シンバル、
トライアングル、
グロッケンシュ
テューバ2 、
ピール、鐘、ハープ 2 、オルガン1 、弦楽
20
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
C
PROGRAM
第1830回 NHKホール
金 7:00pm
2/12□
土 3:00pm
2/13□
Concert No.1830 NHK Hall
February
12(Fri) 7:00pm
13 (Sat )3:00pm
[指揮]
パーヴォ・ヤルヴィ
[conductor]Paavo Järvi
[ヴァイオリン]
ジャニーヌ・ヤンセン
[violin]Janine Jansen
[コンサートマスター]伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
(40′
)
Ⅰ アレグロ・ノン・
トロッポ
Ⅱ アダージョ
Ⅲ アレグロ・ジョコーソ、
マ・ノン・
トロッポ・ヴィヴァーチェ
・・・・休憩・・・・
Johannes Brahms (1833-1897)
Violin Concerto D major op.77
Ⅰ Allegro non troppo
Ⅱ Adagio
Ⅲ Allegro giocoso, ma non troppo vivace
・・・・intermission・・・・
ニルセン
)
交響曲 第5番 作品50(35′
Carl Nielsen (1865-1931)
Symphony No.5 op.50
Ⅰ テンポ・ジュスト― アダージョ
Ⅰ Tempo giusto–Adagio
Ⅱ アレグロ―プレスト― アンダンテ・ポーコ・トラ
ンクイロ― アレグロ
(テンポ・プリーモ)
Ⅱ Allegro–Presto–Andante poco
tranquillo–Allegro (TempoⅠ)
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
21
Program C|SOLOIST
ジャニーヌ・ヤンセン
(ヴァイオリン)
©Harald Hoffmann / Decca
欧米でもっとも華やかに活躍しているヴァイオリニストのひとり。オラン
ダ生まれ。世界各地で演奏活動を行っており、今シーズンはミュンヘン・
フィルハーモニー管弦楽団のアーティスト・イン・レジデンスである。
また、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジャナ
ンドレア・ノセダ指揮ロンドン交響楽団、デーヴィッド・ジンマン指揮ウィーン
交響楽団、セミョーン・ビシュコフ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、
そして深い関係を持つロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とはアンドリス・ネルソンス指揮で共演する。
名門レーベルの専属アーティストとして録音も数多い。使用楽器はアントニオ・ストラディヴァリ作「バ
である。 NHK 交響楽団とは、2005 年 1月、2009 年 4月、2012 年
ロン・
ドゥルブルック」
( 1727 年)
11月に続き、4 回目の共演となる。
[片桐卓也/音楽評論家]
22
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
Program C
ブラームス
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
ブラームス
( 1833∼1897)が《ヴァイオリン協奏曲》の構想をもつのは1878 年 8月で、同年
8月21日付けのヨアヒム宛ての手紙のなかで「 4楽章」の構想が述べられ、独奏声部の一
の作曲を中断して
《ヴァイオリン協奏
部がヨアヒムに送付される。彼は《ピアノ協奏曲第 2 番》
曲》の創作に専念し、同年の秋にアダージョ楽章とスケルツォ楽章を書き進める。4 楽章構
成の協奏曲の構想は変更され、スケルツォ楽章は破棄されたが、4 楽章の協奏曲の構想
は同時に進めていた《ピアノ協奏曲》
で実現することになる。作品は同年の12月下旬には
一応の完成を見、1879 年元日にブラームスの指揮で初演された。
作曲の最初の段階からブラームスはヨアヒムにさまざまな指示を仰ぎ、スコアの完成後も
独奏パートについて彼の添削を受けている。自筆譜のヴァイオリン独奏パートにはヨアヒム
の筆跡で、赤インクで細かに添削が施されている。作品はヨアヒムに捧げられた。
トロッポ、ニ長調、3/4 拍子。牧歌風の主題がオーケストラによっ
第 1 楽章 アレグロ・ノン・
て提示され、その後独奏ヴァイオリンが分散和音を華麗に奏し、のびやかに主題を再提示
する。なおブラームス自身はカデンツァを作曲しておらず、ヨアヒム他がこれを手掛けている。
第2 楽章 アダージョ、ヘ長調、2/4 拍子。オーボエが奏する物悲しい主題で開始し、独
奏ヴァイオリンがその主題を受け継ぐ。3 部形式で構成され、中間部はコロラトゥーラを思わ
せる独奏ヴァイオリンが美しい。
第 3 楽章 アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ、ニ長調、2/4 拍子。独
奏ヴァイオリンがハンガリー舞曲を思わせるエネルギッシュな主題で開始する。この楽想は
ブルッフの《ヴァイオリン協奏曲第 1 番ト短調》からの影響が指摘されている。
[西原 稔]
作曲年代
1878 年 8∼12月
初演
1879年1月1日、ライプツィヒ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団第11回予約演奏会にて、作曲
者自身の指揮、ヨーゼフ・ヨアヒムの独奏
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、ティンパニ1 、弦楽、ヴァ
イオリン・ソロ
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
23
Program C
ニルセン
交響曲 第5番 作品50
カール・ニルセン( 1865 ∼ 1931 )はデンマークを代表する20 世紀の作曲家である。オペ
ラをはじめ、協奏曲や室内楽、歌曲、ピアノ曲など、あらゆるジャンルに手を染めたニルセ
《第 1 番》
( 1892 年 )から《第 6 番「素
ンだったが、もっとも重要なのは 6 つの交響曲だろう。
までの創作期間は、同年生まれのフィンランドの作曲家ジャン・シ
朴な交響曲」》
( 1925 年 )
ベリウスのそれとほぼ重なることから、両シンフォニストが比較されることも少なくない。
だが幽 遠なシベリウスの音楽とは異なり、ニルセンの作風はウィットとユーモアに満ちあ
ふれ、響きもシャープで大陸的な大らかさ、人間臭さがある。その一方、複雑な転調や手
の込んだ対位法、打楽器を主軸としたオーケストレーション等にはニルセン特有の現代
的感覚を垣間見ることができ、前述のユニークな作風とあいまって、この作曲家の個性を
際立たせる要素となっている。
《 第 1 番 》と《 第 5 番 》
ニルセンの6 つの 交 響 曲 のうち4 つに標 題が 付されているが、
( 1922 年 )に限っては音楽外的想念の手がかりとなるタイトルがない。そのためポピュラリ
( 1912 年 )や《第 4 番「不滅」》
( 1916 年 )に一歩譲るとみる
ティの点では、
《第 3 番「広がり」》
向きもある。しかし初期の《第 1 番》はともかく、56 歳の時に発表された《交響曲第 5 番》は
ニルセン円熟期に手がけられていることもあり、作品の表現世界をイメージさせるタイトル
がなくても、
この作曲家の精神性を十分に味わうことのできる傑作に仕上がっている。
《第
5 番》の世界観は有名な《第 4 番「不滅」》の延長線上に位置付けることができるが、前作
をはるかに上回る完成度と大胆な書法には、目を見張るものがあろう。
《交響曲第 5 番》にニルセンが着手したのは 1921 年の春頃であったと考えられている。
その後、カンタータ《フューン島の春》作曲のためいったん創作が中断するものの、1922
年 1月15日には書き終えて( 完成日がスコアに記載されている)、すぐにコペンハーゲンでの
初演となった。
初演の新聞評はおおむね好評だったと伝えられている。もっとも、評論家たちの語り口
には手厳しいものもみられ、
「本当の音楽芸術は楽曲後半にこそ真価が問われるべきな
と述
のに、この作品はまさにその部分が崩壊してしまっている」
(アウグスト・フェルシング評 )
べる者もいた。しかし現在では、その後半部分こそニルセン芸術の真骨頂とする見解が
24
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
定着しており、20 世紀を代表する傑作交響曲としての高い評価を得ている。
《交響曲第 5 番》のデザインは非常にユニークであり、古典的な4 楽章制を取らず、大き
な2 つの楽章からなる。第 1 楽章と第 2 楽章の規模( 演奏時間 )はほぼ同じであるが、それ
ぞれの構成はまったく異なり、テンポや曲想に着目すると第 1 楽章はさらに2 つの部分、第
2 楽章は 4つの部分に分けることができる。ただし楽想同士が非常に有機的に連関してい
るため、
「エピソードの連続」
という散漫な印象はまったく受けない。
第 1 楽章は、まず繊細なヴィオラの律動で静かにはじまる。それを背景にほかの楽器も
加わってくると、上記の律動が少しずつ旋律の輪郭を描くようになる。そしてさまざまなフ
レーズが複雑に絡み合い、多彩な音響世界が生みだされていくのである。しかし小太鼓
の突然の導入とともに、軍楽的な音調へと変 貌を遂げてしまう。続いて古典的な交響曲
の緩徐楽章に相当する部分へと一気に場面転換し、霧が晴れるように明るくなって、壮麗
な世界が目の前に広がる。伸びやかな弦楽器が主導するこの場面でも、やがて小太鼓
と指示 )
してきて精神的な
が執 拗に介入(「オーケストラの進行を止めるように」
藤が繰り広げ
られるが、最後は巨大なクライマックスを迎えて収束する。
第 2 楽章はスケルツォ的な要素や緩やかな部分を含んでいるため、それ自体が「単一楽
章の交響曲」のような構成を有している。加えて、多様な曲想のうちに精妙なフーガが織り
( 1924
込まれるなど、きわめて緻 密に設計されたデザインは、シベリウスの《交響曲第 7 番》
年)
にも匹敵するほどの密度の高さを誇っている。
「人間の精神的な闘争」
(ロバート・
《交響曲第 5 番》の独創性あふれる表現に関しては、
シンプソン評 )
とみる評論家もいるが、いずれにせよ円熟期ニルセンの世界観がもっとも純
粋な形であらわれた音楽、といってよいだろう。
[神部 智]
作曲年代
1921 年春∼1922 年1月
初演
1922年1月24日、カール・ニルセン指揮、コペンハーゲン音楽協会にて
楽器編成
フルート3(ピッコロ1 )、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット3 、
トロンボーン3 、
トライアングル、タンブリン、小太鼓、チェレスタ1 、
テューバ1 、ティンパニ1 、サスペンデッド・シンバル、
弦楽
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
25
短期連載(全3回)
バッハと
20世紀の音楽
樋口隆一
音 楽 学 の 第 一 線 で 活 躍 する 研 究 者 が 、交 響 曲 や オーケストラを 入り口 に 自 由 な
テ ーマで 執 筆 する 短 期 連 載 シリーズ 。
前 号 に ひきつ づ き、J . S . バッハを 中 心とするドイツ 音 楽 の 研 究 で 知ら れ る 樋 口
一 さん が 、バッハ の 音 楽と 2 0 世 紀 の 作 曲 家 たち の 関 係 を 探ります。
第2回
シェーンベルクとその楽派
19世紀後半のウィーンの音楽界では、ブラームス派対ワーグナー
派の激しい対立が強い原動力となって音楽史を発展させていた。
当の作曲家同士はお互いに認め合っていたのだが、両者の取り巻
きと、さらには物見高い聴衆がそうした対立を煽り立てた。ウィーン
大学の音楽史の教授で批評家としても圧倒的な影響力を持ってい
たエドゥアルト・ハンスリック( 1825∼1904)
も、ワーグナーに《ニュルン
ベルクのマイスタージンガー》の中で、
「伝統、伝統」
とわめき立てる
ベックメッサーのモデルにされた恨 みも重なり、反ワーグナー派の側
に回ったから、対立はさらに激しいものとなった。交響曲作曲家だっ
たアントン・ブルックナー(1824∼1896)がなかなか認められなかった
のも、グスタフ・マーラー(1860∼1911)が指揮者としては大成功しな
がらも作曲家としての成功は未来に託さざるを得なかったのも、それ
ぞれワーグナー崇拝に基づく先進性が障害となったのである。
アルノルト・シェーンベルク( 1874 ∼ 1951 )は、そうした激しい対立
が渦 巻く世紀末のウィーンに、ユダヤ人の靴職人の息子として生ま
れた。学歴は実業中学中退。幸か不幸かブラームス派の牙 城だっ
たウィーン楽友協会音楽院で学ぶ機会すらなかった彼は、ひたすら
独学によって作曲を続け、そのため両派の良いところを取り入れる
26
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
自由に恵まれた。最初の出世作となる《弦楽六重奏曲「浄められた
夜」》
(1899年)
にしても、ブラームスの影響を受けた室内楽というジャ
ンルにもかかわらず、ワーグナーばりの半音階技法に基づく無調への
志向とデーメルの詩に基づく標題性が、独自の世界を形成している。
シェーンベルクにとって J. S. バッハは、ドイツの音楽伝統の根源
であり、同時に先進性のよりどころでもあった。1931 年に完成させた
「国民的音楽」
という論考の中で、彼は「私の教師であったのはま
ず第 1にバッハとモーツァルト、第 2にベートーヴェン、
ブラームス、
ワー
グナーなのである」
と言っている。要するに、
「我こそはドイツの音楽
伝統の継承者である」
という宣言にほかならない。当時の彼は、ベ
シェーンベルクの自画像
(1908年)
ルリンのプロイセン芸術アカデミーの作曲科教授として、名実共にド
イツ作曲界の頂点にいたわけだが、ナチスに代表される反ユダヤ
主義の勃 興とともに、ほかならぬドイツ音楽界からその地位を脅か
されつつあった。すでに彼がフェルッチョ・ブゾーニ( 1866 ∼ 1924 )の
後任としてこの名誉ある地位に就任したとき、まさにバッハの町ライ
プツィヒで発行されていた『音楽雑誌』の編集主幹だったアルフレー
ト・ホイス( 1877 ∼ 1934 )は、ユダヤ人の彼を「ドイツ音楽の公的な教
育者として最も顕著な地位に据えること」は「大きな過ち」だと攻撃
している。
「手前味 噌で、いかなる地域にも属さず、意識的に伝統を
否定するユダヤ人が狂信的な指導者となる――これは堕落への道
を意味する以外の何物でもない」
というのである。
シェーンベルクの生涯をたどると、彼のバッハ崇拝が決して付け焼
き刃ではなかったことがわかる。1895 年、21 歳の彼は銀行を退職
して作曲家を志すが、その頃、指導していたアマチュア合唱団のプロ
グラムにも、バッハの《モテット
「イエスよ、来てください」BWV229 》
がある。これは世紀末ウィーンの情況を考えると、かなり先進的なこ
とであった。
ヨーロッパ屈指の学歴社会だったウィーンという町で、実業中学
中退、しかもユダヤ人にすぎないシェーンベルクが作曲家として名を
成すのは至難の業だった。1898 年、彼はユダヤ教からルター派プ
ロテスタントに改宗しているが、同じユダヤ人でもマーラーのようにカ
トリックではなく、あえてルター派に改宗した理由のひとつは、バッハ
との関係にあったのではないかとも思われる。
ウィーン音楽界においてシェーンベルクが最初に名声を確立し
たのは、1911 年に出版された『和声学』にほかならないが、そこで
も上述のモテットや《マタイ受難曲》からのコラールが例として用い
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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られている。この浩 瀚な理論書は、教育者としてのシェーンベルク
の経験に裏打ちされているが、すでに彼は 1904 年秋から、
「シュ
1… 教 育 家オイゲーニエ・
ワルツワルト学園[ 1 ]」の教室を借りて「作曲ゼミナール」
を開いてお
シュワルツワルト(1872∼
り、そこには若きアルバン・ベルク( 1885 ∼ 1935 )やアントン・ウェーベ
1940)が、M. モンテッソー
ルン( 1883 ∼ 1945 )
といった才能豊かな弟子たちが集まり、後年の
リの教育思想の影響のもと
に設立した女学校。シェー
ンベルクの他、画家 O.ココ
シュカ、建築家 A. ロースなど
が授業をおこなった。
「シェーンベルク楽派」の基礎が築かれたのである。
作曲家としてのシェーンベルクの名声を確立したのは、ストラヴィ
ンスキーが「 20 世紀音楽の〈みぞおち〉
であり精神」
とまで称えた《月
に憑かれたピエロ》
( 1912 年 )の成功である。第 18 曲〈月の斑 点 〉で
用いられた多彩なカノン技法、第 1 曲〈月に酔う〉や第 15 曲〈郷愁〉
にみられる
「ため息」の音型の多用、第 6 曲〈マドンナ〉の背景をなす
バッハの《モテット
「イエスはわが喜び」BWV227 》の第 9 曲〈さよう
なら、俗世が選んだもの〉の存在など、
この先進的名作の基礎には、
彼の周到なバッハ研究が隠れている。筆者自身、2001 年のシェー
ンベルク没後 50 周年記念演奏会でこの名作を指揮したことがある
が(ソプラノ・佐々木典子、ピアノ・小山実稚恵ほか )、そもそもこの作品の構
想自体が、バッハの独唱カンタータに基づいていると感じたものであ
る。彼の蔵書には、当時わずか 350セットしか存在しなかった『旧
2…J. S. バッハ没後100年
にあたる1850年にメンデル
スゾーン、シューマン、リスト
などの協力によって設立さ
れたバッハ協会が編集・出
版した全 集。2000年に完
成した『新バッハ全集』
に対
して『旧バッハ全集』
と呼ば
れる。
バッハ全集』
[ 2 ]があり、しかもかなりの「書き込み」が、彼の勉強ぶ
りを物語っている。
1921 年夏、トラウン湖畔を散歩中のシェーンベルクは、弟子の
ヨーゼフ・ルーファー( 1893 ∼ 1985 )に「ドイツ音楽の優位を今後 100
年保証する発見をした」
と語ったという。
「 12の互いに関係する音
による作曲法」いわゆる「十二音技法」の発見である。その体系化
の試 みは、
《ピアノ組 曲 作 品 25 》
( 1921 年 )の作 曲 草 稿の中に跡
づけられるが、この作品の基礎となる音列の最後が BACH( 変ロ
─イ─ハ─ロ)
の逆行型であるロ─ハ─イ─変ロからなっていること
も興味深い。十二音技法による最初の大規模作品となった《管弦
楽のための変奏曲 作品 31 》
( 1926 ∼ 28 年 )の中にしばしば登場す
る BACH 音型とともに、バッハに寄せた彼の尊敬と感謝のしるし
と考えてよい。そして未完の代表作となった《オペラ「モーゼとアロ
ン」》
( 1928 年∼ )の第 1 幕第 1 場、第 81 小節では、ソプラノ声部が H
(ロ)─ C( ハ)─ A(イ)─ B( 変ロ)、アルト声部が S( = Es /変ホ)─
B( 変ロ)─ A(イ)─ C(ハ)─ H(ロ)
という動きを取り、セバスティアン
( Sebastian )・バッハを暗示するが、その歌詞はと言うと、なんと「模
範( ein Vorbild )」
なのである。
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NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
シェーンベルクによるバッハ作品の管弦楽編曲が、十二音技法の
発見とその応用の時期と一致している点も興味深い。
《コラール前
奏曲「おいでください、創り主、聖霊である神」BWV667》
と《コラー
ル前奏曲「愛する魂よ、美しく装え」BWV654》の編曲がそれぞれ
1918∼1922年、
『クラヴィーア・ユーブング( 練習曲集 )』第3部に含ま
れる《前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552》の編曲は1928年に行
われているのである。後者はまた、ベルリンのプロイセン芸術アカデ
ミーにおける作曲授業における分析の教材としても用いられていた。
人種差別主義者の非難をよそに、シェーンベルクは「現代のバッハ」
と
して、
ドイツ音楽の王道を若い作曲家たちに教えていたのである。
シェーンベルクのふたりの弟子たち、ベルクとウェーベルンにとって
もバッハは作曲の模範であった。ベルクは1930 年、ベルリンで発行
された雑誌『音楽』のバッハ特集に、
「クレド(われ信ず )」
と題した文
章を寄稿し、バッハとシェーンベルクを比較し、音楽史の重要な転
換期を形成するという意味で両者は同じであると喝 破している。
バッハの《音楽のささげもの》の〈 6 声のリチェルカーレ〉に基づく
ウェーベルンの管弦楽編曲《リチェルカータ 作品 26 》
( 1934 ∼ 1935
年)
、ベルクの最後の作品となった《ヴァイオリン協奏曲》
( 1935 年 )に
おけるバッハの死のコラール《十分です、神の御心にかなうなら》の
引用は、ふたりのバッハ崇拝の美しい記念碑として歴史に残ること
となったのである。
樋口
一(ひぐち りゅういち)
明治学院大学名誉教授、国際音楽学会副会長。著書に『カラー版作曲家の生
涯 バッハ』
『バッハ カンタータ研究』
『バッハから広がる世界』ほか。
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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ディは弦楽群が流 麗に綾をなすなど、各自の
4月定期公演の
聴きどころ
指揮の特徴を反映した編曲が興味深いし、
これらの後に有名なストコフスキー編の《トッ
カータとフーガ》
を聴くと、
それも彼らしいゴー
ジャスな編曲であることを改めて実感させら
れる。
後半のプロコフィエフ《交響曲第 5番》は、
ロシアの民族的な明快さと作曲者特有のモ
ダニズムが最高の形で融合した、20世紀
屈指の傑作。セントルイス交響楽団時代に
名盤を残したスラットキン得意の作品でもあ
4月の定期公演は、アメリカの名匠レナー
り、曲の構造を解きほぐしながらダイナミック
ド・スラットキンが 登 場 する。1979年 から
に響かせる彼の美点が、存分に発揮される。
1996年まで音楽監督を務めたセントルイス
またこの曲は、N 響が誇る木管楽器──特
交響楽団の技量を大幅に上昇させ、その後
にクラリネット──のソロも聴きどころ。
も各地の楽団で敏腕を発揮している彼は、
N 響にも1984年以来たびたび客演。緻 密
かつ生彩に富んだ演奏を聴かせ、高い支持
バーンスタインの舞台音楽と、
彼が普及に寄与したマーラー
を得てきた。今回は、
「前半=自身にゆかり
の深い作品、後半=ロマン派以降の名交
B プロは、20世紀アメリカの才人バーンス
響曲」の形で、それぞれ趣向を凝らした3つ
タインの舞台音楽と、バーンスタインが指揮
のプログラムを披露。70歳を超えて円熟味
者として普及に寄与したマーラーの交響曲
も増したハイクオリティな音楽を満喫させる。
という、意味深い構成。スラットキンは、アメ
リカ音楽を積極的に録音するなどの業績が
往年の名指揮者が編曲した
バッハの作品に注目
評価され、アメリカ・オーケストラ連盟からゴー
ルド・バトンを授与されている。今回はその
代表的作曲家の作品のなかでも躍動感に
A プロはまず、往年の名指揮者が編曲し
あふ
れた音楽が並ぶ。おなじみ《「キャンディー
たバッハの作品に注目したい。スラットキン
ド」序曲》
と『ウェストサイド物語』の《シンフォ
は、バッハ作品のオーケストラ編曲版の CD
ニック・ダンス》の弾んだリズムや名旋律は
を2点リリースするなど、その演奏に力を注い
文句なしの聴きもの。華麗でノリの良い『オ
でいる。今回のプログラムの中心をなすの
ン・ザ・タウン』の《 3つのダンス・エピソード》
は『バッハ・コンダクターズ・トランスクリプショ
を、N 響の生演奏で耳にできるのも貴重だ。
ンズ』にも収められたレアな編曲。ウッド( 名
マーラーもスラットキンの十 八 番 ゆえに、
物の「プロムス」
を初回から振った英国の指揮者 )
は
天上的で幸福感に充ちた《交響曲第4番》
ノーブルで、バルビローリは優しく、オーマン
を見通しよく聴かせてくれるに違いない。ま
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NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | FEBRUARY 2016
た超高音で知られるモーツァルト
《魔笛》の
楽協会(ニューヨーク・フィルハーモニック)の創立
夜の女王役で評価を上げた安井陽子の清
150周年を記念して委嘱され、1995年に初
澄な独唱と、ホルンをはじめとする N 響の
演されている。曲は、谷川俊太郎の詩に拠る
名手のソロも注目される。
家族の情景を、少女の朗読と抒 情 味漂う調
性的な音楽で描いた、最晩年の名作。この
ベルリオーズ、武満徹、ブラームスという
スラットキンの名刺代わり的内容
心に染みる作品を、武満没後20年の年に初
演者の指揮で味わえば、感銘もひとしおだ。
後半のブラームス
《交響曲第1番》は、リヨ
C プロは、
スラットキンの名刺代わりともい
ンともうひとつの手兵デトロイト交響楽団の
える内容。まずベルリオーズの《歌劇「ベアト
両方で同作曲家の交響曲全曲演奏を行っ
リスとベネディクト」序曲》は、フランス国立リ
ているスラットキンの、現在の主軸を示す演
ヨン管弦楽団の音楽監督を務める彼の、現
目。ドイツ音楽の演奏の伝統が身についた
在のポジションを示 唆しており、ウィットと爽
N 響を指揮して、王道の人気作にどうアプ
快 感を湛えた曲も持ち味に相 応しい。武満
ローチするのか ? 興味は尽きない。
徹の《系図》
は、ほかならぬスラットキンが世
界初演を指揮した作品。ニューヨーク交響
[柴田克彦/音楽評論家]
4月の定期公演
A
土 6:00pm
4/16 □
日 3:00pm
4/17 □
NHK ホール
バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006 ― 前奏曲
バッハ/カンタータ
「神よ、あなたに感謝をささげます」BWV29 ― シンフォニア
/組曲 第6番―終曲
(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ― 前奏曲)
バッハ
(ウッド編)
/カンタータ
「狩りだけが私の喜び」BWV208
バッハ
(バルビローリ編)
バッハ
(バルビローリ編)
/―「羊は安らかに草を食み」
/カンタータ
「心と口と行ないと命」BWV147
バッハ
(オーマンディ編)
バッハ
(オーマンディ編)
/―「主よ、人の望みの喜びよ」
/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
バッハ
(ストコフスキー編)
プロコフィエフ/交響曲 第5番 変ロ長調 作品100
指揮:レナード・スラットキン
B
バーンスタイン/「キャンディード」序曲
バーンスタイン/「オン・ザ・タウン」―「3つのダンス・エピソード」
バーンスタイン/「ウェストサイド物語」―「シンフォニック・ダンス」
マーラー/交響曲 第4番ト長調 *
サントリーホール
指揮:レナード・スラットキン ソプラノ:安井陽子 *
水 7:00pm
4/27□
木 7:00pm
4/28□
C
金 7:00pm
4/22□
土
4/23□ 3:00pm
NHK ホール
ベルリオーズ/歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲
*
(ファミリー・トゥリー)
― 若い人たちのための音楽詩
(1992)
武満 徹/系図
ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68
指揮:レナード・スラットキン
語り:山口まゆ
(女優)*
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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