郷土資料 あれこれ 39

まなびのひろば
無 料
一般
200 円
[ 2 月の休館日]
毎週月曜日
〒 949 - 6611 南魚沼市坂戸 372 ディスポート南魚沼内
ディスポート☎ 773 - 6620 スポパラ☎ 773 - 3210
郷土資料
あれこれ
参加料
ま し た。
「 西 部 開 田 」 は、 旧 六 日 農地開発営団が設置され、西部耕
町の余川・美佐島付近から旧大和 地整理組合の事業は、昭和 年に
町の一村尾まで続く西山地区一帯 農地開発営団に移されました。開
の土地を、水田にするために行わ 発着工の準備が進められましたが、
【問合せ】社会教育課
次第に激戦となる戦争に労務や食
れた開墾事業です。
郷土史編さん係
糧物資がつぎ込まれ、開発は用地
大正時代、人口増加から食糧不
☎773 2197
足が問題となり、政府は食料増産 買収や資材搬入路など、わずかな
今回から市内にある石碑を紹介 を目的に全国的な開墾計画を立て 工事が行われただけにすぎなかっ
し て い き ま す。 紹 介 す る 石 碑 は、 ました。魚野川左岸の西山地区一 たそうです。
設置地区、建立時期、種類などは 帯も、この計画に含まれていまし
昭和 年、農地開発営団は閉鎖
さまざまとなりますが、一基でも た。当時の六日町長は、西山地区 となり、事業は国営事業として引
多くを取り上げていく予定です。 の耕地の少ない農家の経営を安定 き継がれ、六日町開墾事業所が開
みなさんの地域に残る石碑があり させるには開田こそが唯一の施策 設されました。昭和 年に南魚沼
ましたらお知らせください。
であるとし、近隣の村長や農家と 郡土地改良区が発足し、本格的に
南魚沼市の石碑①
協 力 し な が ら 活 動 を 始 め ま し た。 工事がはじまりました。
昭和7年に西部耕地整理組合の設 最初に用水確保のために、頭首
西部開田顕彰碑 〔大杉新田〕
建立 昭 和 年 8 月 明 治 1 0 0 立が認可され、昭和9年には水路 工、逆サイフォン、揚水・導水・
や700ヘクタール程度の測量が 幹 線 水 路 な ど が 整 備 さ れ ま し た。
年記念事業
完了しました。この開墾には新潟 開墾には、この地域ではじめてブ
発起人 六日町・大和町
き ごう
県からの協力もあり、政府も前向 ルドーザーが使われ、その威力に
揮毫 田中角栄
誰もが驚いたそうです。
きな姿勢であったそうです。
昭和 年、 年余りの年月をか
昭和8年、日本は国際連盟を脱 退したため、外交的に軍備拡充が けて、580ヘクタールの水田が
重要事項となり、開墾などの多額 完成しました。水田内の耕土や石
の 費 用 負 担 が 難 し く な り ま し た。 の取り除きは各農家が行わなけれ
さらに同年はかつてないほどの大 ばならず、大変な作業だったそう
豊作で、余剰米が増加し、食糧増 です。
産を目的とした開墾計画は保留と 〈参考資料〉
なりました。その後、戦争状態が 『 西 部 開 田 史 』 南 魚 沼 郡 中 央 土 地
改良区
強まると、国策として食糧増産施
策が強められ、これを担うために、『南魚沼郡誌』続編上巻
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魚野川左岸は河岸段丘で、用水
の確保が難しく、耕地のほとんど
が桑畑や荒地でした。農家の経営
は 苦 し く、 こ れ を 改 善 す る た め、
古くから農地の開墾が望まれてき
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会員
◦日 時 2 月 21 日㈰ 12:00 ~ 13:30
◦定 員 6 人(事前申込みが必要)
◦会 場 ディスポート南魚沼 1 階 トレーニングルーム
◦対 象 中学生以上 ◦申込み ディスポート南魚沼
※施設利用料 300 円が別途必要です(定期券可)
運動着、室内用シューズ、タオル、水分補給飲料を用意ください
ディスポート南魚沼
公益財団法人 南魚沼市文化スポーツ振興公社 スポーツ振興係
南魚スポーツパラダイス トレーニングルーム マシン使用法講習会
ランニングマシン・エアロバイク・油圧式筋力アップマシンの使用法の講習会です。
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市報 みなみ魚沼 平成28年2月1日発行