モーツァルト/ピアノ協奏曲第 27 番変ロ 調 K.595 モーツァルトが第 27

■モーツァルト/ピアノ協奏曲第 27 番変ロ⻑調 K.595
モーツァルトが第 27 番のピアノ協奏曲を書き上げたのは 1791 年の 1 月 5 日、亡くな
る年のはじめだった。この日付は彼自身の作った作品目録に記されているのでまちがいな
い。実際、この協奏曲は同年 3 月 4 日に宮廷調理師の館で開かれたコンサートでモーツァ
ルト自身の独奏により初演され、これが演奏家としてモーツァルトが公式に登場した最後
の機会となった。
しかし、モーツァルト研究家アラン・タイソンは 1987 年に出版した著作で、この曲の第
1 楽章から第 3 楽章の 39 小節までを書いた自筆譜の紙が、1787 年 12 月から 1789 年 2
月までに使用していたものと同じであることを明らかにした。つまり、この協奏曲の 3 分
の 2 がすでに 3 年ほど前、
「ジュピター」交響曲と同じ時期に書き始められた可能性がある
としたのである。その後、第 1 楽章の 300 小節、第 2 楽章、フィナーレの初めまでのすべ
てが 89 年 2 月までに書かれたとするのは⼤胆だという意⾒があり、懐疑的な学者もいる
が、先ごろ翻訳が出版されたクリストフ・ヴォルフの『モーツァルト 最後の四年――栄光
への門出』
(礒山雅訳)でも、
「K595 の枢要な部分が、1791 年 1 月 5 日の完成に少なくと
も 2 年先んじていることは確実である」としている。
いずれにせよ、⼒みのない自然でデリケートな陰影に富む⾳楽の性格は、ぎらぎらした自
意識から解き放たれた作曲家の内⾯を感じさせる。ここにモーツァルトの静かな諦念を感
じるとすれば、
「モーツァルトが晩秋の空を、死期が近づくまで覗いたことがなかったとい
うのは、われわれの側の、うかつな思いこみかもしれない」
(礒山)となるが、リチャード・
J・ウィンジェルに⾔わせれば、
「私たちが知る限り、モーツァルトは自分の死期を「⻩昏の
淡い光」のような諦念をもって迎えるよう⼈物ではなかった」
(
『⾳楽の⽂章術 レポートの
作成から表現の技法まで』宮沢淳一、小倉真理訳)となる。つまり、若すぎる死という事実
を悲劇として強調しすぎているというわけだ。先に触れたヴォルフの著作はモーツァルト
の晩年を「⼤志を膨らませて門出する若者」として描き、まっすぐな単純さと優美さをもつ
第 1 楽章のカンタービレな主要主題が以前の協奏曲にはなかったことを指摘している。今
日の演奏を聴きながら、晩年のモーツァルトの⼼情を想像してみるのもおもしろいかもし
れない。
第 1 楽章アレグロはソナタ形式で、対照的な 2 つの主題と 2 つの副主題から構成されて
いる。展開部でたえず転調を繰り返しながら、ピアノと木管、弦の 3 者が協奏的に対話し、
やがてなめらかに再現部へと移⾏する。じつに洗練された書法だ。第 2 楽章ラルゲットは
3 部形式で、静かに流れる⾳楽が時折、鋭い不協和⾳で乱される。中間部は幾分、リズミカ
ルな楽想をもつ。第 3 楽章アレグロは第 1 楽章に似た性格をもち、ロンド形式とソナタ形
式の特徴が混合された形態。
「春への憧れ」という歌曲でも用いられた冒頭主題が愛らしく、
全体に軽やかなメロディが特徴。第 1 主題を使ったコーダで締めくくられる。
白石美雪
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