横浜志帥塾について 作家 神渡良平 そもそもの始まりは『安岡正篤の世界』の出版 やすおか まさひろ 私が処女作『安岡正篤の世界』 (同文 舘出版)を出版したのは平成3年(1 991)2月の ことでした。それからしばらくして横浜市民大学講座に講演に呼ばれて行きました。その 時、同講座の理事をされていた林田隆昭和炭酸(株)会長(当時)が講演を聴かれたことがき っかけとなって交流するようになりました。 はじめ 林田会長は評論家の伊藤 肇 さん(1926~1980。新聞記者を経て、㈱財界研究者副 主幹。雑誌「財界」編集長) とは満州の建国大学の同窓生で、一緒に席を並べて講義を受け た間柄だそうです。満州から帰国後も親交が続き、林田会長は経済界で、伊藤さんは経営 評論家として重きをなすようになりました。 伊藤さんは中国古典の知識が深く、幅広い人脈に基づく豊富なエピソードを織り交ぜた 人物論に定評があり、経営者層に幅広い支持がありました。また安岡正篤先生の高弟でも あり、伊藤さんの文章にも安岡先生のことがしばしば取り上げられました。安岡先生自身 は人前に出ることを好まれず、政財界の一部の人しか知りませんでしたが、伊藤さんが安 岡先生のことを採り上げるようになってから、一般にも次第に知られるようになっていき ました。従って伊藤さんは世の中に安岡先生のことを知らしめた人だとも言えます。 代表的な著書に『現代の帝王学』(講談社)、『十八史略の人間学』(プレジデント社)、 『人 間的魅力の研究』 (日本経済新聞社)があります。残念ながら伊藤さんは55歳で亡くなり ました。 会の名称の意味 そんなところに私が『安岡正篤の世界』を出版したので、林田会長は「伊藤さんの再来 だ」と喜び、以来横浜に何度も講演に呼んでくださいました。そうこうするうちに、私を もう 講師として定期的な勉強会を始めようということになりました。そこで私は会の名称を『孟 し こうそんちゅうじょう すい し すい 子』公孫 丑 上 の「志は気の帥なり」から採って「横浜志帥会」としました。 すい ひき 志とは目標、夢、ビジョンのことです。帥は訓読みでは「帥いる」と読むように、人々 を率いる人、つまり隊長、部長、あるいは将軍を指します。したがってこの文章の意味は、 「目標、夢、ビジョンなどと言い換えることができる志こそは、気力、やる気、気骨、元 しょうすい 気など、一切の活力の将 帥 である」となります。知識教養をつける学問はもう止めにして、 せ っ さ たく ま 切磋琢磨して志を磨く集まりにしようという願いを込めました。 学びを通して志を磨く 平成4年(1992)4月、初代会長を林田会長として、毎月1回横浜志帥会が始まり ました。会員は30名から50名ぐらいで、毎月集まっていましたが、そのうちに2カ月 に1度に変り、現在に続いています。平成19年(2007)4月、林田会長が高齢にな られたので、二代目会長を池本助夫池本ガス社長が受け継がれました。さらに平成25年(2 はま だ 013)4 月、第三代会長を瀬戸山秀樹(株) ナショナルトラスト社長、副会長を濵田総一 郎(株)パスポート社長が引き継がれました。また瀬戸山会長になってから、毎年8月には 1泊か2泊の夏期研修をやるようになりました。 さらには平成27年(2015)10月、良知活動振興財団の支援を受けるようになり、 いっそう活発になっていきました。 教育者の森信三先生は、志についてこう述べておられます。 「そもそも人間が志を立てるということは、いわばローソクに火を点ずるようなものです。 ローソクは火を点けられて初めて光を放ちます。同様にまた人間は、志を立てて初めてそ の人の真価が現れるのです。志を立てない人間というものは、いかに才能がある人でも、 やから 結局は酔生夢死の 輩 に過ぎないといえます」 こうぞう また明治維新の三傑の一人、勝海舟は「行蔵は吾に在り」と述べております。行動する かどうかを決めるのは自分自身だというのです。行動する主体は自分である、泣きごとは 一切言わない――その覚悟さえあれば、どんな難題も解決していきます。そういう自分を 創ろうというのが、横浜志帥会の趣旨です。 ささやかな集まりですが、ただ1回かぎりの人生を充実させたいと思っている者たちの 集まりです。同じ波動の方々はどうぞ振るってご参加ください。 平成28年(2016)1月
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