歩きスマホ ひざ 松井淑子 わらじ にも届かない丈の短い着物に草鞋ばき 新聞の広告欄に二宮金次郎の銅像の写真が載っていた。膝 たきぎ かたど で、背に薪を背負い、本を読みながら歩いている姿を象ったもので、私が子供のころ、小学校で毎 日目 に し て い た 銅 像 で あ る 。 「お や 、 懐 か し い 」 と 思 っ た 。 広告主はどこかの銅像の製作会社で、ある年代以上の人なら抱くに違いないこの〝懐かしい〟と いう気持ちに訴えて、二宮金次郎像の売り込みをはかっているように思われた。銅像の大きさは、 もちろん室内に飾れる程度の小さなものであろうが。 近ごろはどうか知らないが、私が子供のころはほとんどどこの小学校でも、校舎の正面玄関の脇 あたりに、等身大のこの二宮金次郎像を飾っていたものである。そして先生方は新入学の児童たち に、二宮金次郎は寸暇を惜しんで歩きながらも勉強した偉い人であることを説明し、 「みなさんも ところが同じ学校に通っている、高学年になってそろそろ世の中を斜めに見ることを覚えはじめ 金次郎を見倣って一生懸命勉学に励むように」と大いにハッパをかけたものであった。 いとこ た従兄が、ある日私にこう言った。 「二宮金次郎の真似なんかしちゃだめだよ。歩きながら本を読んだりしたら電柱にぶつかるかもし れな い 。 危 な い じ ゃ な い か 」 もちろん私は、歩きながら教科書を読むつもりはなかったし、二宮金次郎の〝歩きながらの読書〟 たと は勤勉さの譬えであることぐらいは承知していたが、積極的に危険と結びつけてこう言われると、 なんとなく〝目からウロコ〟の気分がしなくもなかった。 そんなことを思い出しながら新聞広告の二宮金次郎像を眺めているうちに、ふと〝歩きスマホ〟 を連想した。歩きスマホ ── 歩きながらスマホことスマートフォンを見ることだ。夢中になって 見ているうちに周りに対する注意が散漫になり、何かにぶつかったり、ひどい場合には駅のホーム から転落したりして、最近、社会問題になりかけている。 二宮金次郎が手に持っている本をスマホに変えたら、まさに歩きスマホではないか。 (二宮金次郎さん、こんなことを言ってご免なさい) 二宮金次郎の偉さは別として、かつての従兄に倣って皮肉な見方をすれば、歩きスマホの元祖は 二宮 金 次 郎 、 と 言 え な い こ と も な い 。 ついでに、先年亡くなった、皮肉屋だった従兄の顔も思い出した。 26 展景 No. 77 展景 No. 77 27
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