卒業論文講評と要旨(PDF版);pdf

秋吉美都ゼミ卒業論文講評
コミュニケーション研究を中心とするゼミナール
担当
秋吉
美都
2014 年度の秋吉ゼミでは 10 点の卒業論文が
化する、優れた研究であった。また統計的な分
提出された。通常のゼミでは 3 年と 4 年の 2 年
析も、学部の論文として十分な水準に達してい
間、同じ教員に指導を受けることになるが、2014
ると認められる。論文の完成には、複数の課題
年度の 4 年生については、担当者の在外研究の
がある。文献レビュー、アンケートの準備、執
ため、途中で教員が交代することとなった。担
筆など、さまざまな課題に真剣に取り組んだこ
当者の交代がどのように影響したのか、ほんと
とがうかがえる佳作である。
うのところはわからないが、ふりかえってみる
戸田尚太郎「階層差がしつけに及ぼす影響―
と、複数の教員の指導を受けるメリットもあっ
―『児童中心主義』教育の再考」は、日本にお
たのではないかと感じられる。
ける児童中心主義の広がりを考察した論文であ
まず、ゼミの全員が無事卒業論文を提出でき
る。階層と育児の関連を探る論文であり、渡邉
たことはすばらしいと思う。また、代表論文と
論文と対をなす論文ともいえる。渡邉氏と戸田
なり、高く評価された論文も提出された。規定
氏は調査も共同で進めていたし、執筆の際にも
により、各ゼミから代表論文に推薦する論文は
いろいろと助け合っていたようである。私のゼ
1点のみであるため、代表論文候補とはしなか
ミは、グループでの活動を義務づけることはな
ったものの、推薦できそうな論文も複数あった。
いのだが、テーマが近い学生同士、協力して高
総じて参加者一同のたゆまぬ努力によって、
い成果を挙げることがしばしばある。この論文
水準の高いゼミとなったが、課題もいくつか浮
も、著者本人が努力すると同時に、ゼミの参加
き彫りになった。全員に共通する課題として、
者とうまく連携したことによって成功している
表現と語彙の問題があるという印象を受けた。
と思う。通常、権威主義的なしつけは労働者階
学術論文固有の決まりごとなどはゼミで指導す
級に典型的なものとされる。こうしたスタイル
るにしても、その前提として、達意の文章を書
のコミュニケーションに慣れた子どもは、学校
ける力が必須である。しかし、その基本的な力
の要求するコミュニケーションのスタイルにな
が不十分な場合が多かった。大学全体で、専門
じめず、学業成績がふるわないという指摘もあ
を問わず、アカデミック・ライティングのサポ
る。しかし、
「子どもに考えさせる」という、一
ートをしている学校も多い。専修大学でもアカ
見先進的なしつけも、子どもを混乱させるとい
デミック・ライティングのサポートをするプロ
うジレンマをはらむ。本論文は J. デューイの
グラムが必要かもしれない。学生が必要として
教育観の日本での受容過程をはじめ、文献を丹
いるタイプのトレーニングと、ゼミの担当者が
念に検討することで、研究に値する「ディベー
専門家として提供できる知識のあいだに、ミス
ト」の設定に成功している。また、データ分析
マッチがあると思われる。
も手堅く行われている。高く評価できる論文で
渡邉祥吾「崩壊する名づけ――『きらきらネ
ある。
ーム』に顕在化する階層の再生産」は代表論文
上柿篤司「パフォーマンスとしてのオタクア
となった。巷間でしばしば話題となる奇抜な名
イデンティティ――オタク大学生を対象とし
前をテーマとして、名づけを社会的な現象とし
たインタビューから」は理論的考察およびイン
て分析した。ブルデューの文化資本概念を参照
タビュー調査に秀でた研究である。ゴッフマン
して、人々の名前に対する好みや違和感を可視
の理論を援用し、オタクというものの自己呈示
1
秋吉美都ゼミ
を探った。論文の中には、研究対象に対する「愛」
ように充足され、子の成長に影響するか、とい
や「情熱」ともいうべき情緒が支えになってい
う問題を扱った。フォーカス・グループで収集
る論文がある。本論文もオタク文化に関与する
したデータを用いて考察を行っている。著者は
著者の、対象に対するある種の「愛」が結実し
早い段階から承認欲求の研究をしたいと考えて
た論文といえるだろう。この論文のすばらしい
いたのだが、具体的にどういう研究をするのか、
ところは多々あるが、とくに特筆すべきは、凡
研究計画を立てる段階で相当迷っていたようで
百の「オタク評論」を尻目に、インタビューに
ある。私もとくにこれという案があったわけで
もとづいた徹底的な実証分析を行っている点で
はないが、やや苦し紛れに「とりあえず3年生
ある。社会科学の分析手続きを学んだ者は、
「ち
のゼミに来て、関心について話してみれば」と
ゃんとした分析」と「なんとなく気の利いたこ
勧めてみた。結果としては、ゼミでの会話があ
とをいってみただけの評論」との違いに対して
る種のブレークスルーとなって、構想がまとま
敏感になっているだろう。この論文は先行研究
っていった。じつはゼミに招いた段階では私も
や調査データにもとづいて議論を展開しており、
どうしたらいいのかわからなかったのだが、関
社会科学を専攻した学生らしい鋭い考察が段落
心を説明する様子を見ていて「フォーカス・グ
のいたるところに光る。また、文章や段落構成
ループ」の案が浮かんだ。手法を説明した後は、
も整っている。
本人が自発的に取り組んで完成まで進んだ。著
宮城果朋「学生生活の充実への通学時間の関
者は完成まで苦労したと思うが、概念から調査
与――学生の学びへのまなざし」は、ワークラ
の分析に至る過程を考え抜いた、その努力が光
イフ・バランスの観点を、学生生活に応用する
る論文になったと思う。
論文である。学生の本業は仕事、とはよくいわ
鳥海彩夏「鮨屋から学ぶ労働者意識――鮨屋
れることだが、仕事と学業のアナロジーに注目
A のエスノグラフィ」は、レストランのオーナ
して学生の生活の質を分析するという着眼点は
ーシェフの仕事に関する意識を分析した論文で
斬新である。考えてみると、多くの学生は、学
ある。G. A. ファインの『キッチン』に触発さ
業に勤しみ、アルバイトや課外活動に取り組み、
れて書かれた、参与観察に基づく研究である。
将来へのさまざまな投資を行うという多様な活
レストランや美容院の仕事は、たんにサービス
動に日々携わっている。学生には社会人とは異
を提供するだけでなく、
「美」にかかわる仕事で、
なるある種独特の「忙しさ」があるのかもしれ
芸術的な要素もある、ということがファインの
ない。本論文は生活時間の既存研究をレビュー
アイディアの一つであった。この論文では、フ
した上で、アンケート調査とインタビュー調査
ァインの研究を受けて、著者が働いたレストラ
の分析を行っている。分析結果は仮説を支持し
ンのシェフにインタビューして、その美意識を
ないという結果になった。シナリオどおりにま
分析している。調理に関する技術だけではなく
とまったわけではないが、意外な発見も多々あ
インテリアに関しても、オーナーシェフが細心
り、興味深い論文となった。また、大学教育の
の注意を払っていることが明らかになった。こ
質に関する政策的議論にも一石を投じる考察と
の論文は、テーマはよいのだが、議論の展開の
なったといえるだろう。本論文は、通学時間や
しかたに問題があったと思う。論文については
アルバイト、学習意欲、カリキュラムなど、現
ファイン以外のレビューが不十分であり、調査
代の大学が抱える構造的な問題を総合的に分析
についても、調査で明らかにしたいことと調査
している。
の設計がかみ合っていない側面が見受けられた。
安部詩織「『認められたい』の活かし方――
また、進捗管理に問題があり、書き直しに十分
インタビュー調査からみる親子関係」は、親子
な時間をとることができなかった。体系的に文
間の承認欲求に関する研究である。
「認められた
献を読み、構想を練る作業が必要だったと思う。
い」
、
「受け容れられたい」という、だれもがも
浅間千里「女性の幸福はどこにあるのか――
つ欲求―承認欲求―が欲求―が、親子間でどの
現代女性の生活実態調査から」は、結婚や子供
2
2014 年度
卒業論文講評
の有無など、ライフスタイルと幸福度の関連を
をどうしよう、ということを考えるのに時間が
探った研究である。データ分析の準備が十分で
かかった。既存の大規模調査や文献をみながら、
なく、一時期は完成が危ぶまれたが、最終的に
あれこれ考えたのが功を奏したのだと思う。結
はよい論文に仕上がったと思う。とくにこの論
局、環境教育の有用性を訴える見解に対して、
文は、主要な研究を綿密にレビューしている点
問題提起する考察となった。ダイバーと非ダイ
が評価できる。先行研究を把握しているため、
バーの双方にインタビューした上で提示される
データを分析するときにも、方針がみきわめや
結論はおもしろく、説得力に富む。ダイビング
すかったのではないかと思われる。分析結果の
経験は人の行動を劇的に変化させるわけではな
提示も、図表がよく整理されていた。結婚はお
いが、意識を変える契機になる可能性は高いよ
おむね幸福度の向上に貢献するが、30 代女性に
うである。一方、学校のカリキュラムの一環と
限ると負の影響も認められるなど、興味深い知
して行われる環境教育は、
「やらされ感」が強く
見が得られた。
一時的な効果しかないのではないか、という知
井上直樹「日本人が恋愛に消極的なのは本当
見も、データを見ると頷けるものである。テー
か――インタビューから見る恋愛の儀礼」は、
マ設定も、苦労した分だけ、独創性のあるもの
若者の恋愛離れに関する考察である。交際する
になっている。著者の努力がうかがわれるすば
異性がいない若者の割合が増えるなど、若者が
らしい論文である。
恋愛に消極的である傾向が認められるが、それ
厚芝麻里「現代農村の過疎・少子高齢化に対
はほんとうか、またほんとうならどのような要
する住民意識――山梨県南アルプス市秋山地
因が寄与するのか、ということを研究課題とし
区における事例研究」は、日本社会が直面して
ている。ゼミでは、著者が欠席することが多く、
いる重要な社会問題に取り組む論文である。過
実質的な指導はほとんどできなかった。教員の
疎化が進む地域についてはいろいろな議論がな
指導が受けられないことは損失だが、それ以上
されているが、当の住民はどのような考えを抱
に大きな損失は、ゼミの参加者のフィードバッ
いているのか、ということを探るのが本論文の
クを得られないことだろう。事実、今年度のゼ
目的である。本論文の完成度は高く、評価でき
ミでもインフォーマルな会話の中から参加者が
る点は多い。第一に、着眼点がよい。過疎地域
ひらめきを得るという瞬間が何度もあったよう
の住民を論文の主役として、住民はどう感じて
に思う。私のゼミではああでもないこうでもな
いるのか、またどのような対策を考えているの
いと話している時間が多いのだが、それは、話
か、インタビューを通じて明らかにしようとす
しているうちに考えがまとまるきっかけをつく
る着想は新鮮である。第二に、インタビューを
るために意図的にしていることであり、ある意
丁寧に行っていて、さまざまな立場、属性の人々
味「とてもだいじな雑談」である。教員の役割
の意見を収集している。第三に、構成がしっか
以上に、ゼミにおける peer の存在は重要であ
りしていて、文章が読みやすい。このテーマや、
ろう。欠席が続くことによって、peer との生産
論文が扱った地域になじみのない読み手をも、
的な対話の機会を逃すことは、もったいないと
引きつけるおもしろさがある論文である。いろ
思う。この論文は、議論を彫琢する機会に恵ま
いろな立場の読者にとって、読んで「得をした」
れず、文献レビューやインタビューを行ったが、
と思わせる論文ではないだろうか。また、論文
検証や考察はなおざりになった面がある。
を書きあげたあと、皆で感想を話しているとき
小泉真照「スクーバダイビングは環境に配慮
に、いかに著者が客観的な分析と記述を心がけ
できる個人を育てるのか」は安部論文と同様、
ていたかがわかり、感銘を受けた。対象とした
途中までどうまとめるかかなりの試行錯誤があ
地域社会をよく知るだけに、客観的に資料やデ
ったが、
「正しい」迷い方をした論文だと思う。
ータを見ることは容易ではない部分もあったと
スクーバダイビングや環境問題について書きた
思う。政策的な示唆も得られる論文である。
い、ということははっきりしていたが、では何
3
2014 年度
卒業論文要旨
階層差がしつけに及ぼす影響
パフォーマンスとしての
オタクアイデンティティ
―「児童中心主義」教育の再考―
―オタク大学生を対象とした
インタビューから―
HS23-0019E
戸田
尚太郎
HS23-0021F
20 世紀後半から 21 世前半の日本社会におい
て,子供のしつけは「児童中心主義」という考
えにもとづいていることが多いと考えられてい
る.これはアメリカの教育学者ジョン・デューイ
によって提唱されたもので,子供の「個性を伸
ばす」ことを目的としている.つまり,しつけ手
が「どのような段階を踏んで,どのような基準
で」育てるかといったことが重要視されず,親
はあくまで子供のあらゆる行動を見守ることを
要求される.
この教育哲学に警鐘を鳴らす者もいる .イギ
リスの社会学者バーンスタインは,子供の自立
を優先するあまりしつけ手は自身のしつけに常
に不安を覚えてしまい,子供も明確な価値基準
が伝達されないために彼らもまた不安感に苛ま
れてしまうと指摘している.
また,この児童中心の教育には階層差がある
ことも研究されており,その差が学力の不均衡
を生んでいるという説もみられる .そこで本稿
では,
「学歴や家庭水準が高い家庭ほど,子供を
受容する態度や子供に訴えかけるしつけ方法を
取る」という仮説を立て,その検証を試みた .
使用データは著者と同ゼミナールの 2 人が共同
で行った「社会人の生活意識に関するアンケー
ト」の回答を用いた.分析手法は,カイ二乗検定
と回帰分析である.
分析結果としては,従属変数にした「子供を
信頼すべき」という考え方と,
「静かに言って聞
かせる」という声かけについて有意な階層差を
みることができた.前者の考え方は,主に家庭水
準が低い層より中間層において受容されていた.
また,後者の声掛けについては学歴と家庭水準
が高い層との間に有意な関連性があった .この
ことから「児童中心」的なしつけの浸透度は階
層によって異なるという結論を出すに至った .
しつけとは本来その社会の価値基準を次世代へ
と伝達する役目がある.子供の個性を伸ばした
いあまりに,親や教師が言いたいことを明確に
伝えることが避けられている現状を,もう一度
皆で考えるべきであろう.
上柿
篤司
オタク研究において前例があまり見られなか
ったオタクのオタクアイデンティティの自己呈
示に対する思考について、オタクを自称する大
学生を対象としたインタビュー調査によって得
られたデータをもとに分析・考察をおこなった。
第 1 章ではアニメなどをはじめとするオタク
市場の規模拡大によるオタクを取り巻く環境の
変化やそれに伴うオタク人口の増加、そしてオ
タクの条件・定義のあいまいさについて述べた。
第 2 章では過去のオタク論およびオタク研究
において説明されているオタクの持つ能力や生
まれた年代ごとの特徴について触れたうえで、
2014 年現在のオタクには既存の研究ではみら
れなかった特徴がみられる可能性を示した。
第 3 章で本稿における定義の確認をおこなっ
たうえで、第 4 章ではインタビューに対する回
答のうちオタクの自己イメージおよび社会的イ
メージについて、
「オタクは気持ち悪い」といっ
た大衆の持つマイナスイメージを受け入れなが
らもオタクであること自体には恥を感じていな
いことを示した。
第 5 章ではオタクが自身のオタクアイデンテ
ィティを呈示する際に、大衆のなかにオタクを
よく思わない人が少なからず存在すること、あ
るいはオタクでない人に迷惑をかけないことを
考慮して周囲の状況に応じた自己呈示を心がけ
ていることを示した。
本稿ではオタクを自称する大学生という非常
に限定された調査対象ではあるが、オタクが周
囲の人間の視線に敏感に反応し行動しておりい
わゆる「空気を読む」存在であることを示した。
本稿をきっかけに変化ゆえにあいまいな存在で
ある「オタク」に関心を持ってもらえれば幸い
である。
4
秋吉美都ゼミ
学生生活の充実への通学時間の関与
「認められたい」の活かし方
―学生の学びへのまなざし―
―インタビュー調査からみる親子関係―
HS23-0039H 宮城
HS23-0050G
果朋
本論文は学生生活を学生にとっての「仕事」
とし、通学時間の長さが学生のワークライフバ
ランスを崩壊させるのではないかと仮説を立て、
学生生活の充実へ通学時間が関与するか否かの
分析を試みたものである。問題意識は日本の労
働者の通勤もようが劣悪な環境にあることに起
因する。第1章で日本は国の憲章として「ワー
クライフバランス」を掲げていることを取り上
げているが、筆者はこの問題を考えるうえで「通
勤時間」を考慮すべきであると指摘した。第2
章で日本の労働者は労働時間のみならず通勤時
間も先進諸外国のそれより長時間を費やしてい
ることを取り上げ、通勤時間の労働者への悪影
響は、学生も同様に受けるであろうとした。第
3章から分析に入り、量的調査によって学生生
活の充実への通学時間の関与を分析した。本学
の講義等で実施したアンケートによると、学生
生活の充実に通学は関与しておらず、仮説は棄
却された。続いて第4章で質的調査として学生
へのインタビューを通して学生が通学時間をど
のように感じているのかを詳しく探ったところ、
長時間通学の学生が疲労や寝不足など何かしら
の影響を受けていることが明らかになった。
第5章では調査によってその他に分かったこ
とから学生生活について論じた。まず、文系の
多くの学生が自身の学部学科での学問を通じて
視野の広がりや物事の多面的な捉え方を得るこ
とに喜びを感じていることがあり、それを伸ば
す教育が求められていると指摘した。また、大
学生とアルバイトの結びつきを緩和させるべき
だと指摘した。調査では家庭水準に関係なく経
済活動を求められている三割程度の学生や、時
間に融通の効かないアルバイトの経験者の存在
が明らかになった。時世によるアルバイト市場
の変化に気づかないまま学生に経済活動を強い
続けると、学生アルバイトも多大な労働量が求
められ、決定的に学生が勉学に勤しまなくなる
懸念がある。
5
安部
詩織
人間は潜在的に「認められたい」という承認
欲求を持っている。どこかで他人の反応を気に
していたり、口には出さなくとも「認められた
い」と思っていたりするのである。そこで本稿
では、誰もが身近に感じられる家庭内、特に親
子関係においての承認欲求にスポットを当てて
考えていく。
第 1 章では、心理学者のマズローの言葉を用
いて、すべての人々が他者からの承認などに対
する欲求や願望を持っていることを述べている。
第 2 章では、そもそもの「承認」という概念
やその種類について先行研究を踏まえて述べて
いる。さらに、
「 承認」の概念や種類に触れた後、
職場における承認と家庭における承認それぞれ
の扱われ方や、
「やる気」と承認の関係について
考えている。
第 3 章では、第 2 章での先行研究を踏まえて
2 つの仮説を立てている。一つ目は、親子関係
の良否または親子間の会話量と、子どもの承認
欲求の満足度は直接関係するというものである。
二つ目は、「ほめる」「認める」ことで子どもの
「やる気」につながるというものである。
第 4 章では、第 3 章で立てた 2 つの仮説につ
いて、今回実施したインタビュー調査やフォー
カス・グループの結果をもとに分析・検証した。
その結果、親子関係の良好さと親子間の会話の
多さは比例すること、親子関係の良否や親子間
の会話量と承認欲求の満足度は直接関係しない
こと、「ほめる」「認める」ことは子どもの「や
る気」につながるという 3 点が確認できた。
第 5 章では、第 4 章での結果に基づき「ほめ
る」こと「認める」ことの重要性を述べ、子育
てにおいて子どもの承認欲求を満たすことは極
めて重要な要素であるという結論を下す。
本稿では承認欲求を通して子育てについて触
れてきた。子育てにおいて最も大切なことは、
普段から子どもをよく観察することで子どもの
性格や考え方を理解し、信頼関係を構築してい
くことだといえるだろう。
2014 年度
卒業論文要旨
鮨屋から学ぶ労働者意識
女性の幸福はどこにあるのか
―鮨屋 A のエスノグラフィ―
HS23-0081D
鳥海
-現代女性の生活実態調査から-
彩夏
HS23-0086E
働く人のセンスを要する仕事を通して芸術と
いうラベル付けされていないが感覚的、そして
表現的関心と関連している職業の労働者意識を
分析した。調査方法はわたしがアルバイトして
いる鮨屋(以下、鮨屋 A と表記する)の店主へ
のインタビュー調査である。
第 1 章では鮨屋 A がどのような店であるか、
店主の経歴、などについて述べた。
第 2 章では食べることについての研究を通し
て我々は食べることによって無意識に自己を表
現しているということがわかった。また職業意
識についても述べている。職業生活において分
類として内在的報酬思考の人間と外在的報酬思
考の人間がいることが研究によって明らかにな
った。さらに調理という行為についても述べて
いる。調理という行為は感覚的なものを実際に
形に表しているということがわかった。
第 3 章では食と美的感覚の関連性と課題設定
をおこなった。
第 4 章では店主へのインタビューを通して分
析を行った。まず店主の労働意識については内
在的報酬思考の人間であるということが明らか
になった。これは店主が仕事をする上で面白味
を見出すことが大きな意味をなしていることか
ら見て取れた。二つ目に他の店との差異を生み
出す上で一番大切にしていることは店の雰囲気
作りであるということがわかった。
第 5 章ではこれまでの分析を通して鮨屋と美
的センスの関係について述べた。
本稿では鮨屋 A の店主へのインタビューを通
してしか分析をすることができなかったが、長
年続いてきた店の理由が明らかになった。仕事
そのもの以外にも気を配ることが大切なのだと
いうことをこの研究から学ぶことができた。
浅間
千里
女性の幸福はメディアなどで一般的に言われ
ているものは結婚である。しかし、結婚だけで
幸福が決まるとは言い難い。本稿では女性の幸
福の要因となるものをアンケートの結果を利用
し分析を行い研究していく。
第 1 章では、幸福の捉われ方をはじめとし、
21 世紀初頭に起きている晩婚化・未婚化が社会
に及ぼす影響を述べている。
第 2 章では、幸福が何であるか、結婚が幸福
につながるということ、未婚化の原因、未婚で
いつことの幸せ、幸福感の判断材料となるもの
を先行研究として述べている。
第 3 章では、先行研究から結婚は幸福に関係
があり、既婚者は未婚者よりも幸福度が高いと
いう仮説を立てた。その他にも子どもの有無、
健康状況、世帯年収は幸福に関係があるという
仮説を挙げた。
第 4 章では、従属変数「幸福度」と独立変数
「結婚状況」
「子どもの有無」
「健康状態」
「世帯
年収」の記述統計を行った、その後 2 変数の関
連性をカイ二乗検定を用いて分析し、すべての
項目に有意な関連がみられた。
第 5 章では年齢層ごとに順序回帰分析を行い、
各独立変数が幸福度にどの程度影響を与えるか
を分析した。年代があがると結婚していること
と世帯年収の多さで得る幸福度は低くなる傾向
があり、健康状態の良さで得る幸福度は高くな
る傾向がみられた。
第 6 章では、結婚が幸福と関係あるが、結婚
で得た幸福度の高さを持続させるためには、衣
食住健康が整っていることも必要であるという
ことを分析結果とした。子どもの有無に関して
は、子どもがいない方が幸福度が高いという結
果がみられ、少子化問題を後押しする結果とも
なった。出産による幸福度増加がみられれば、
この問題の解決の兆しもみえてくるのではない
だろうか。
6
秋吉美都ゼミ
スクーバダイビングは環境に
配慮できる個人を育てるのか
日本人が恋愛に消極的なのは本当か
-インタビューから見る恋愛の儀礼-
HS23-0119K
井上
HS23-0127K
直樹
小泉
真照
18 世紀後半の産業革命以降、環境問題は世界
的に注目されるようになり、原因究明、現状改
善に向けた研究がすすめられた。改善するため
には個人の意識が重要だと論じる先行研究が発
表され、学校教育で環境に配慮できる個人を育
てようという論説が多くみられた。
しかし、2014 年現在メディアでも報じられて
いるように、環境問題が改善されているとは言
い難い状況にある。また、筆者のインタビュー
によって学校教育では個人の環境意識の改善に
は効果があまり見られないことが判明した。よ
って、趣味として行う自然体験であれば、個人
の環境意識と環境配慮行動を改善するのに有効
である、という仮説を立て、研究を行った。ス
クーバダイビングに的を絞り、ダイバーとノン
ダイバーへのインタビューから考察した。
第 1 章では、環境問題の歴史と、本稿で扱う
「環境問題」、「環境意識」等の言葉の定義を行
った。
第 2 章では、環境問題の解決には個人の意識
改善が重要であることと、その方法として教育
を挙げている先行研究と、環境問題が経済活動
と大きく関係していることから R・イングルハ
ートの世界価値観調査を紹介した。
第 3 章では、仮説と今回の調査方法であるイ
ンタビュー調査の概要を詳述し、第 4 章で調査
結果を述べた。結果としては対象の 2 つのグル
ープに大きな差はみられなかったが、募金とい
う形で環境配慮行動を起こしている者がダイバ
ーで数人いた。ノンダイバーでは一人もいなか
ったことなどから、本研究において非常に重要
な結果である。
第 5 章では、調査結果を踏まえて、今後、環
境問題を改善するためにすべきことの考察をし
た。趣味として行う自然体験であるスクーバダ
イビングが自然に配慮できる個人を育てる、と
いいきることはできなかったが、環境問題解決
の一端を担えるような研究になったと考えられ
る。
「交際している異性がいない男女の割合が増
加している」という 2010 年の第 14 回出生動向
基本調査のデータなどから、2014 年現在「日本
人の若者の恋愛離れ」という問題が、新聞など
で取り上げられている。しかし、2011 年の内閣
府の調査では、約 7 割の男女が「恋人がほしい」
と答えたというデータもある。本論文では、
「日
本人が恋愛に消極的なのは本当か」を問題とし、
日本人の恋愛について調査を行った。
本論文の構成を示すと、第 1 章では、本論文
の問題は、最近認識されたものであり、言及し
ている研究があまり行われていないことなど、
本論文のイントロダクションを述べている。第
2 章では、恋愛の定義・歴史など、恋愛に関す
る先行研究をまとめている。第 3 章では、先行
研究でまとめたことを参考に、(1)「異性との
食事など交流の場を持っている人たちほど、恋
愛経験が多く、恋愛に対して不安はない傾向に
ある」とし、(2)「外見やふるまいなどを準備
してからデートに向かう人たちほど、恋愛に対
して不安はある傾向にある」と設定した。第 4
章では、専修大学の大学生 20 名を対象とした
インタビュー調査の分析を行い、第 5 章では、
仮説の考察を行った。第 6 章で、本論文の結論
を述べている。
本論文の結果として、恋愛に対し不安はある
傾向が見られた。また、ゴフマンの相互行為の
概念を用いて考察したところ、日本人の恋愛は、
様々な儀礼を無意識に行わなくてはならないこ
となどが判明した。これらの結果をまとめ、本
論文の結論を、恋愛という相互行為の負担が大
きくなったため、恋愛に対する不安につながり、
恋愛に対し消極的な人が増えたのではないかと
結論づけた。
7
2014 年度
卒業論文要旨
現代農村の過疎・少子高齢化に対す
る住民意識
-山梨県南アルプス市秋山地区における事例研究-
HS23-0130J
厚芝
麻里
21 世紀初頭、過疎化による農村地域の存立が
危ぶまれている。第 2 次安倍内閣は平成 26 年
に「まち・ひと・しごと創生本部事務局」を発
足し、行政も本格的に地域の政策に取り組んで
いる中で、実際に現代農村地域の住民は地域活
性化のための過疎化対策について考えているの
だろうか。この問題を検討するにあたり本稿で
は、山梨県南アルプス市秋山地区の住民たちに
よる、農村地域である秋山地区の過疎化に対す
る意識と住民活動を調査した。
第一章では農林水産省のデータ等を例にあげ、
現在の農村の過疎・少子高齢化について述べた。
第二章では、調査対象地の概要、これまでの
事例研究を述べ、特に限界集落論の消滅モデル
に着目している。
第三章では、第二章をふまえて 2 つの仮説を
立て、第四章で分析をおこなった。地域住民活
動の動向や、過疎・少子高齢化に対する住民の
意識を調査し、(1)地域住民活動、(2)人口
減少の現状、
(3)秋山地区の過疎。少子高齢化
のプロセス、
(4)過疎・少子高齢化に対する意
識、(5)過疎・少子高齢化の具体策の 5 つの
視点から考察している。
第五章では 2 つの仮説について検証した。結
果、秋山地区の住民は、若い世代の減少をふま
え新しい世帯を増やすというより、地区の住民
で存 続し て いこ うと いう 傾 向が みら れ た。 過
疎・少子高齢化をなんとかしなくてはと対策を
考える人は少ないという結果だったが、ほとん
どの人が過疎・少子高齢化に危機意識を持って
おり、その要因を考えている。したがって、地
区住民は今より人口流出を防止していきたいと
いう意識があるという結果を得た。
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