江陵船橋荘にまつわる物語 江陵の地は朝鮮王朝初期から景勝の地として知られ、 東を海、西には太白山脈、そして美しい鏡浦湖には丹頂鶴が ゆうゆうと舞い、夜ともなれば、海面や湖面に映る月を 愛でるという風雅な土地であった。 江陵の鏡浦台は朝鮮時代に、江原道の景勝地を集めた関東八景のひとつに選ばれ、当時の詩人 たちの間では、八景巡りをすることが粋であるとされていた。朝鮮中記の詩人松江鄭澈は、日が落 ち月がのぼれば、空・海・湖・杯・そして瞳に映る5つの美しい月が眺められると詠み、日本でも 人気の韓国酒、「鏡月」の名前の由来にもなっている。 船橋荘はもともと鏡浦湖のほとりに太宗につながる王家の一族が建て、朝鮮王朝時代の建築様 式を伝える建物としてNO1の評価を得ている。 当時、湖が建物のすぐ前まで迫っており、出入りに船を使用したことから「船橋荘」と呼ばれ るようになった。増築を重ね、3 万坪を越える邸宅「船橋荘」は、住居としては初めて国の重要 民俗資料第5号にも指定。現存する家屋としては韓国最大規模の韓屋(ハノッ・韓国の伝統家屋) のひとつである。 (ハングルの創製者、世宗大王の兄の子孫) 300年前太宗の次男の11台の孫である李乃番(草かんむり) イネボンは、江陵滞在中にイタチの群れを見つけ、追いかけた ところ、ついに見失った。帰宅後、母にこの話をしたところ、 それは、その地に建物を建てよとの神のお告げに違いないと 話した。母の命に従い、この地に移り住み、塩田で財をなし、 建て増しを行い、現在の姿に至った。子孫も代々来客をもてなし、 古来文人、賓客が続々と訪れ、文化が栄え、後代には学校もありました。風水に基づく設計は、左 側が青い松を配して龍を表し右手にはクリの花を配して白い虎を模している。門や窓のつくりにも 風水の気の流れがよくなる工夫が施され、さながらパワースポットである。 先祖を祭る庵は一段高い場所に作られ、貧しき民をおもいやる 藁葺きの屋根の建物もあり、儒教精神を体現している。嫁姑同 居の暮らしぶりなど、当時の様子もよくわかる。宿泊も可能、 一部屋、7万~50万ウォンまで様々な広さの部屋がある。食 事は別棟でとれる。(別料金)山の幸、海の幸を利用した郷土料 理を楽しめる。ベストシーズンは7月や8月の蓮の花が咲く時 期。活来亭で池の蓮の花を見ながらお茶を楽しむのは風雅であ る。 また、100名~120名で貸し切り、庭で仮面劇や古来の音楽を楽しみタイムスリップするもの 一興である。
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