世界のあんな旅・こんな旅;pdf

中華の玉手箱|アユタヤ、夢の王朝
世紀に王朝が置かれ、
400年もの間繁栄してきた街、
アユタヤ。
この街の栄枯盛衰を見守る巨大な寝釈迦像は、
どんな夢を見るのか。
に旅行した。我が夫は若いころにタイに駐
ろ、水上の交通と物流を握っている都市や
と な っ た、と い う こ と は、川 に し ろ 海 に し
界各国との交流も盛んで、国際的な大都市
生ぐらいの子供が帰ってくるのが見えたり
り出した家に洗濯物が干してあるし、小学
合いバスのような船。水辺のギリギリに張
のは、お客がびっしり乗っている水上乗り
あったり。私たちの船を追い越して行った
のあたり独特の形をしたタイの仏教寺院が
在していたことがあり、その時にお世話に
国が栄えるのはいずこも同じなんだなと思
に囲まれたアユタヤの街は、 世紀には世
なった方に結婚した報告をしに行こう、と
う。が、その後はビルマ
(今はミャンマーで
年前の2004年、我が家はタイ
いうことになって、私にとって初のタイ旅
今から
行となった。海外に行くといえば私の場合
して、ここが人の住む場所であるあたたか
後で知ったのだが、アユタヤにも歴史資
すが)
の攻撃を受け、
アユタヤ王朝は歴史の
料館や博物館があり、中には船の博物館な
は中華圏が多く、それ以外の東南アジアは
なお釈迦さまの涅槃像が横たわるワット・
んてのもあるそうじゃないの。
俄然、
行く気
さを感じながら、大都市バンコクへと戻っ
ロカヤスタなどを巡る。
南国の花に囲まれ、
がわいてきた。
半日のバスツアーでは、
案内
幕を下ろすことになる、
といった、
ことを夫
最初の2日ほどは、夫がお世話になった
はどんな夢を見ておられるのかしら?この
穏やかな陽射しを浴びながら、お釈迦さま
興味はあるけれどもなんとなく縁がなかっ
方に会いに行き、私一人で出かけることに
される観光地も限られているし、
ううむ、
こ
てきた。
な っ た の で、週 末 だ け 賑 わ う と い う マ ー
お釈迦さまは、寝ておられるところに黄色
れはまたアユタヤ行きを計画しなくては。
から聞きながら、王家の夏の離宮であるバ
ケットに行ってみたりしたが、夫が2日目
い布がかけてあるので、頭と足以外はどん
で、
それもいいなあ。
乗り物好きの私として
バンコクからは列車でも行けるそうなの
ンパイン宮殿や寺院の建物もない中に巨大
の夕方に
「 じ ゃ あ、明 日 は ア ユ タ ヤ に 行 こ
様はみなウエストが細く、すらりとしたナ
からないのでそれは冒険すぎる。
線バスも…タイ語で書かれた行先表示がわ
はそれも目標の一つにしておこうっと。路
な姿なのかわからないが、このあたりの仏
ヤ 川 ク ル ー ズ。川 面 を 渡 る 風 は 爽 や か で、
帰りは昼食をとりながらのチャオプラ
イスバディ系。
羨ましい。
う 」と 言 い 出 し て、私 た ち は マ ン ダ リ ン ホ
か回ってツアー客をピックアップし、アユ
タ ヤ ま で の 高 速 道 路 を ひ た 走 り、1 時 間
ながら、穏やかに時間
現在は漢方スクール勤務の
傍ら、中医学普及のために
活動中。
ちょっとで到着。
アユタヤというと私は教科書で習った
にはタイの有名なシ
が流れる。川の向こう
地元の短大を卒業後、建材
商社勤務、北京留学、安徽
省の日中 IT 合弁企業勤務
を 経 て、2003 年 に 駐 在 員
家族として上海へ。9 年半
の上海滞在中、上海中医薬
大学で 7 年間中医学と鍼灸
推拿学を学ぶ。修士号(中
医学)を取得して卒業、中
医 師 の 資 格 取 得 後、2013
年帰国。
静かな波の音を聞き
けで、実は世界遺産だったのも知らなかっ
「 山 田 長 政 」や
「 日 本 人 街 」が 思 い 浮 か ぶ だ
ンハービールの工場
うな中華的な建物が
た。アユタヤは1350 年にウートン王に
あったり、もちろんこ
があったり、寺院のよ
用して417 年栄えてきた街。近代タイ王
よって開かれ、チャオプラヤ川の水運を利
朝の国家基盤を形成した都市でもあり、川
1963 年 宮 城 県 生 ま れ。 ア
ジアにこだわるチャイナ
ウォッチャー、作家、中医
師。
約に行った。翌日、バスは、ホテルをいくつ
テルの中にある旅行社にバスツアーの予
か、
タイ 。
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た。
よし、
意を決して行ってみようじゃない
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ともざきなお
文・写真
亜細亜の
あんな旅
こんな旅
●第132回
around the world
Traveling
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