Zakkaya Weekly No.984 Ryo Onishi 雑貨屋のひとりごと 先週は暖かい日が続き春を感じました。暖かいと服 装も軽く身体の緊張が緩んでとても楽ですね。今週 はじめは冬の寒さに戻りそうですが、この寒さを乗 り越えたら本格的な春ですので楽しみにしたいと思 います。鼻がムズムズするのだけが憂鬱ですがこれ は仕方ないですね。 先日、ワイフの靴を買いにあるデパートの婦人靴売 り場に行きました。そこにはシューフィッターの資 格を持った人がいるので、その人にアドバイスを受 けて買おうと思ったからです。靴のかかとや底が片 減りしているのは歩き方もそうですが、身体の歪が そこに出てきていることがあります。足にうまくフ ィットしていない靴を履いていると足だけでなく腰 にも影響が出てくるようです。シューフィッターの 方に靴の選び方、履き方、補正の仕方など細かなア ドバイスを受けピッタリの靴を選ぶことができまし た。私も、次に靴を買う時はシューフィッターの方 がいるところで買おうと思いました。≪R.O.≫ 短 歌 当地ロサンゼルスで発刊されている日英バイリンガル 新聞に「羅府新報」という日刊紙(現実には週5日発行) があります。この「羅府新報」は 1903 年創刊で、今では 海外の日系新聞で最も歴史ある新聞といわれています。 3/22/2015 先日、短歌のコーナーを見ていたら、作者の中に私の知 ったお名前を見つけました。この方に私はまだお目にか かったことがなく、E-メールのやり取りだけなのですが、 最初に E-メールを受信したのは私が消化器癌の手術を 受けた時にいただいた見舞い文でしたので 4 年前になり ます。 それ以降、私の原稿が『磁針』に掲載されるたびに感想 をおくってくださっています。ご自身も戦火を潜り抜けた 時はまだ 10 代の学生だったそうで、前回の私の『磁針』 の文章は、感極まる思いだったそうです。今回新聞に掲 載された彼女の短歌は次のようなものでした。 ☆歳重ね 細かな活字の 和英辞典 老眼鏡かけても 尚読みにくし 彼女は現在、ロサンゼルスに住み、ニューヨークに滞在 する娘さんと行き来しながら悠々自適の人生を過ごされ ているようで、そんな思いがこの短歌からにじみでてくる ようです。 今回、新聞紙上に発表されたのは28首でしたが、どの 作品も心に残るものばかりでした。以下はそれらの中か らいくつかご紹介いたします。作者のご了解もなしにとり あげることをどうかご容赦ください。 私は 1997 年からこの新聞の日本語第 1 面にある『磁針』 というコラムに寄稿を続け、前回で 229 回となりました。 ☆初咲きの 水仙二本 寄り添いて 香り放ちぬ 一人住む庭 羅府新報は世界、アメリカ、日本の一般ニュースに加え、 地元の日系コミュニティに関する動向も取り上げていま す。日系各県人会の行事や、趣味の同好会をレポートし たりしてくれます。私たちの詩吟の会も春と秋の定期吟 詠大会には取材に来てくれ、写真入りで大きく取り上げ てもらっています。 ☆春に咲き 夏に栄えて 秋実る 後を託して 冬土になる この新聞には地域の皆さんの趣味のコーナーもあり、俳 句、短歌、詩、川柳などの同好会員の作品が掲載され、 このコーナーは私の楽しみの一つです。これら作品の作 者の中には、戦前に日系移民として渡米し、多くの苦難 の道を歩まれた方々も多く含まれ、作品の中にそんな想 いが封じこめられているものを感じたりします。 ☆ささやかな 老後を願い 働きて 神の褒美の 八十路を歩む ☆疼痛を 伝える単語 探しおり 電子辞書引く 待合室に ☆六年後 さして先には 聞こえねど 米寿の身には オリンピック遠し 河合 将介([email protected]) 川柳 & コント (東京・成近) 1 ( 川 柳 ) 少年倶楽部世代にはいた火星人 生涯の友大喧嘩したあの日から あの丘も今何丁目何番地 傷口の奥であの日がまだ疼き 交差点夢と現実すれ違い ( ニュースやぶにらみ ) 「地価 17%上昇」 加賀百十七万石 -金沢駅西口前 「8の次は 10」 ウインドウズに先を越された -消費税 「オープン戦」 本物かメッキか試されている -金の卵 龍翁余話 龍翁余話(36 7)「春彼岸」 翁たち 4 人のゴルフ仲間は(雨天を除いてほとんど)毎週 土曜日、揃って成田のゴルフ場に出かける。横浜市港北 区日吉在住のT君、I君 2 人が(T君の車で)中原街道を 走り、朝 6 時頃、翁のマンション前で翁を拾い、もう 1 人の 仲間・M君をJR五反田駅前で乗せ、目黒インター(IC) から首都高速~湾岸線~東関道を走って成田インター へ。冬季は東関道の四街道ICあたりで(6 時 40 分頃)や っと白んでくるのだが、3 月に入ると 6 時頃に出会う“ゴル フ仲間たち”の笑顔が薄ぼんやり見えるようになる。“朝 ぼらけ”(夜がほのぼのと明けるさま)の時刻だが、彼岸 に入ってからの“朝ぼらけ”は、もう少し早まる。そう言え ば、彼岸の頃は(春・秋彼岸とも)昼と夜の長さが、ほぼ 同じになるそうだ(実際には昼間の方が少し長い、とのこ と)。彼岸と言えば【暑さ寒さも彼岸まで】と言う慣用句が ある。冬の寒さは春分頃まで、夏の暑さ(残暑)は秋分頃 まで。この慣用句が転じて「辛いことも、いずれ時期が来 れば去って行くので、諦めずに頑張ろうよ」と言う意味の 諺に用いられることもある。 『彼岸』については以前にも(『余話』で)書いたことがある。 人間の生死の境を河や海に喩え、今、我々が生きている (欲や煩悩にまみれた)世界を河のこちら側、つまり『此 岸』(しがん)と言い、煩悩を克服して悟りの境地に達して 渡る向こう岸の極楽浄土(死後の世界)を『彼岸』と言う (との説明が圧倒的に多い)。難しい仏教的説明は出来 ないが、とにかく今を生きている(生かされている)我々は、 すでに彼の岸に渡った人たちを偲び、供養する時期(そ れが年 2 回、春と秋にある)と言う程度の解釈でいいと思 う。 ご承知のように『彼岸』の中日(ちゅうにち)を春は『春分 の日』、秋は『秋分の日』と言う。今年の『春分の日』は 3 月 21 日(土)だった。この『春分の日』は(『秋分の日』同 様)少しずれる年もある。国立天文台が発表している今 後 5 か年の『春分の日』を調べてみると、2016 年と 2017 年が 3 月 20 日、2018 年と 2019 年が 3 月 21 日、そして 東京五輪の 2020 年は 3 月 20 日と予測されている。『春 分の日』『秋分の日』は(戦後間もなくの)1948 年(昭和 23 年)に『国民の祝日』と定められた。『春分の日』の主旨は 「厳しい冬を耐えてきた生き物が、前向きに、やる気に満 ち溢れると共に、草木が芽吹き、春の訪れを感じる時期、 すなわち“自然を讃え、生物を慈しむ日”とされている。 ゴルフの話に置き換えると、寒さで体が回らなくて、いい スイングが出来なかった冬季と違って、これからは“厳し い冬を耐えてきた体がようやくラクに動くようになり、やる 気に満ち溢れる季節になった”、と言うところか(やる気は 年中同じだが・・・)。 『春分の日』とは、もともと 1878 年(明治 11 年)に制定さ れた『春季皇霊祭』(『秋分の日』は『秋季皇霊祭』)に始 まる。皇霊祭とは、歴代の天皇・皇后・皇族の霊を祀る儀 式を言い“皇霊殿で行なわれる皇室のご先祖様まつり” のことだ。1944 年(昭和 23 年)に『春分の日・秋分の日』 が制定された以後も、宮中では従来通り春季・秋季の皇 霊祭が行なわれている。なお、皇霊殿とは歴代天皇およ び皇族の霊が祀られている宮中三殿(賢所・神殿・皇霊 殿)の 1 つ。天皇や皇族の霊は(お亡くなりになって)1 年 してからこの皇霊殿に合祀されるそうだ。一般的には現 在の『春分の日』は(前述の)祝日の主旨を特別に意識 することもなく、ましてや宮中祭祀(皇霊祭)とは全く関係 なく休日を楽しんでいるだけだが、全国神社界において は春季・秋季共に“皇霊祭”を執り行なっている。翁もこ れまでに幾度も靖国神社の皇霊祭(神殿祭)に出向き拝 殿から皇室の弥栄(いやさか)を祈願し、併せて戦没者 に対し慰霊と感謝のまことを捧げたものだ。今年の『春分 の日』は 21 日の土曜日、通常、土曜日はゴルフ・デーだ が、恩人の三十三回忌法要のためゴルフと靖国参拝は 中止、マンションのベランダに日の丸を掲げ、国家の平 和と繁栄、東北被災地の早期復興を祈念した。 2 甘党、特に“小豆餡(あずきあん)”が好きな翁、『彼岸』の 時期でなくても、時々“ぼたもち”を買って食べる。最近 は小豆餡だけでなく、きな粉をまぶした“ぼたもち”もある。 先日(彼岸の入りに)スーパーで買った“ぼたもち”には (商品名)“おはぎ”のシールが貼ってあった。え?違うだ ろう?春は牡丹をイメージして“牡丹餅”すなわち“ぼたも ち”、秋は萩をイメージして“ 萩餅”すなわち“おはぎ”、 翁は、これが定説だと思い込んでいるのだが・・・それに しても最近の“ぼたもち”、甘味が抑えられていて翁には 物足りない。それに小さ過ぎる。部屋の飾り棚の母・兄・ 叔母の遺影に朝(3 個)お供えしてから昼には“お下げ “して 2 個、ペロッと平らげる。そして夕方、また買いに行 く。もしかして彼岸の間、かなりの”ぼたもち“を食べるの ではあるまいか。食べるたびに、翁が子どもの頃の(田舎 の)大きくて小豆餡がいっぱい乗っかった甘い“ぼたも ち”が思い出される。 田舎の思い出は“ぼたもち”ばかりではない、思い出の花 に牡丹がある。牡丹は亡き母と翁の絆の花だ。30 数年前 (母のために)購入した“故郷の我が家”の庭に(兄が植 えてくれたのだろう)背丈が 150cm もある牡丹が、6 本植 えられていた。4 月下旬から 5 月にかけて、それはそれは 美しい大輪の花を咲かせた。牡丹の花の咲く頃、愛する 息子が(東京から)帰って来る――「そろそろ牡丹の花が 咲くよ、楽しみだね」母の電話の声が今も耳に残る。翁は、 母が存命中は、必ず年に 2 回、GW(ゴールデンウイー ク)とお盆に帰省していた。GWとお盆の間は短いが、お 盆から翌年のGWまでが長かったのだろう、母は、庭の 葉牡丹を眺めては指折り数えて息子との再会を待ちわ びていたのだろう。 近くの花屋には、あいにく(冬)牡丹は無かったので、艶 やかなカーネーションを牡丹花に見立て、母・兄・叔母の 遺影に供え、1 句を短冊にしたためた【在りし日の 母を 偲びつ 牡丹花】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 茶子のスパイス研究 穏やかな時間 “今回のクライアントさんは貴方にとても合ってい る人達だと思うわ”そうオフィスのスタッフの人に ガーデン 窓からの景色 言われて訪れた L さんの家の庭は素晴らしかった。 今までいろんな自家菜園をやっている庭を見てきた がバナナやマンゴやパイナップルやキューイまで育 てている所はお目にかからなかった。聞くと自宅の フルーツだけでも50種類以上はあると言う。野菜 もケールからリーフレタスからブロッコリー、キャ ベツ、玉ねぎ、長ネギなど料理に使いたい野菜をリ クエスとすれば殆どのものが出てくるのだ。庭を案 内された時、カラフルな不思議な木を見つけた。そ の木はオレンジとレモンとライムが同じ1本の木に 成っていて、まるで絵本の中から飛び出してきたよ うな楽しい木だった。これは挿し木をしたのだと言 っていたが初めて見る木に目が釘付になってしまっ た。温室の中にはこれ カラフルフルーツ パイナップル パパイヤ 温室 から芽を出そうとしている鉢の中の植物もたくさん 並んでいた。趣味でも、ここまで徹底してやってい る人はそういないと思う。” I am crazy “ (私 はバカなんだよ)珍しい種を見るとすぐに買ってし まうんだ ”そう、この家のご主人は言っていた。 彼も奥さんもハワイ生まれ、ご主人が21歳の時に 19歳の H さんと結婚し仕事を求めて2人で196 0年にアメリカ本土カリフォルニアに渡った。 仕事を始めて数年後に自立し会社を作り45歳で引 退し息子さんがそのビジネスを継いでいる。ご主人 の方は早朝、ジムに行き汗を流し午前中は庭仕事、 時々池の鯉にも餌をやる。お昼は友人たちとランチ をしたりショッピングをしたり引退してもいつも何 かをして体を動かしている。奥さんの H さんは数年 前から病気が悪化して殆ど外出しなくなった。歩く 時は歩行機でゆっくり歩く。外との接触が無いため、 いつも TV を見て暮らしていたらしい。週末は娘さ んがやってきて家族と一緒に過ごすのだそうだ。 そして週3回私はこの H さんと一緒に過ごす時間が 私にとって穏やかで静かな癒しの時間になった。初 めてこの家を尋ねた時に窓際につるしてあるハミン グバードフィーダーが目に付いた。そろそろハミン 3 フルーツ 朝摘みベジタブル ハミングバード フードマガジン グバードが来る頃だからと言うと早速、ご主人は赤 い色のジュースを入れてくれた。その途端、どこか ら嗅ぎつけたのかハミングバードがどんどん来るよ うになった。食卓テーブルの窓からいつも、このハ ミングバードがジュースを飲みに来るのを H さんと 眺めるのがとても楽しかった。朝は大抵キッチンに 旦那さんが朝摘みしたフレッシュな野菜と果物を用 意してくれている。それらを使って今日は何を作ろ うか考える。その日の気温や体調を考えながら料理 するのも楽しかった。 キッチンの窓から見える庭の景色も気持ちが和む景 色だった。太陽の光をサンサンと浴びた野菜たちや 果物はいつも元気で見ていて気持ちが良かった。そ してその向こうに連なって見えると遠くの山々は小 雨や寒いの翌日は雪がかぶったのが見えた。 2人でゆっくり食事をしながら H さんは徐々にいろ んな話をしてくれるようになった。私は何の宗教に も属していないが信心深い H さんが食事をする前に 神様にお祈りを捧げるのも好きだった。“ 準備は いい?”と聞くと目を閉じてお祈りを捧げる。食事 の前のお祈りは幼稚園の頃やった記憶がある。その 時の言葉を今も覚えている。“お父さん、お母さん、 お百姓さん、美味しいお弁当ありがとう ” そう 言って食べたのだ。そこにはお百姓さんに対する感 謝の気持ちも忘れなかったのだな~と今更ながらそ ういう習慣がとても大事な事だったのに気が付いた。 食事をとりながら H さんがハミングバードを見つめ る眼差しはとても優しい眼差しだった。“ほら、あ んなに小さいのがいるわ。まだ生まれたばかりかし ら” “ あら、あの大きいのは他のを蹴散らして 喧嘩をしているわ。”と…いつも熱心に見ていた。 もうすぐお誕生日を迎える H さんの為に何かデザー トを用意しようと思っていたらご主人が何冊かクッ キングマガジンをくれた。その中から何か作ろうと 考えていた矢先、突然彼女は旅立って行ってしまっ た。本当に急な事で私も驚いた。お悔やみの言葉を 送って一週間後、躊躇しながら花だけでも届けよう か考えていた時にご主人からいつでも電話をくださ いと連絡が入った。折り返し電話をしたのが、家族 が埋葬に向かう45分前、花だけでもと車を飛ばし て H さんの家にたどり着いたのは、その約15分前 初めて会う娘さんから“お母さんは貴方の事がとて も好きだったのよ”とお礼を言われた。私も彼女と 過ごした穏やかな時間はけして忘れない。本当に、 こちらこそありがとう、と初めて会う彼女とハグを して別れた。 そろそろ日本は桜の咲くシーズン、春到来だ。そし て私も渡り鳥のようにまた日本に 飛んでいく、、、、 茶子 スパイス研究家 Jazz を楽しむ-今週のアルバム 今回はこのコーナーで初めて紹介するアーティスト です。Thelonious Monk は 1940 年代からジャズピ アニストとして 活動を始めたジ ャズ界最大の異 端児として知ら れています。ち ょっと風変わり なジャズなので どのように紹介 したらいいのか わからず、ずっ と前から紹介を ためらっていま した。1956 年に録音された Brilliant Corners は初 めて聴くと「なんだこのジャズは?」と思うような ところがたくさんあります。独特なジャズです。で も何度も聴いていると慣れてきます。 “Brilliant Corners" Thelonious Monk 01-Brilliant Corners 02-Ba-Lue Bolivar Ba-Lues Are 03-Pannonica 04-I Surrender, Dear 05-Bemsha Swing ジャズアルバム紹介リスト http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm <R.O.> 編集後記 2月にインターネットのプロバイダーを変えました。変 4 えた時に新しいプロバイダーからモデムが提供される ので古いモデムを返却する必要があります。変えてから だいぶ時間が経つのにこれまで使っていたプロバイダ ーからモデムの返却要領の連絡がなく、どうしたらいい のかわかりませんでした。仕方なくフリーコールで問い 合わせると、自分で梱包して差出人払いで送ってくれと のことでした。そのプロバイダーはテレビでコマーシャ ルをしている有名な会社です。加入時は親切でさっさと やってくれたのですが、やめた時の対応はとても不親切 でした。サービスというのは最後まできっちりするのが 本物だと思うのですがそうはなっていないですね。 雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLで ご覧いただけます。 http://www.zakkayanews.com/zwback.htm Zakkaya Weekly No.984 雑貨屋 店主 大西良衛 [email protected] 雑貨屋ホームページ http://www.zakkayanews.com/index.htm 5
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