提言者「島田裕巳さんに聞く」

散骨という選択肢
│ │火葬場との関係で、﹃O 葬﹄
には問題点があるのではないか
無 常﹄
体がなかったのです。仏教が ﹁
を 説 ︿ の で あ れ ば 、何も 残 ら な い
者に依頼したり、業者を使わない
場合は近親者らが自分の手でや っ
﹁い ま の 日 本 で は 、 火 葬 す れ ば 骨
が 必 ず 残 って し ま い 、 引 き 取 る の
O葬 の ほ う が 理 に か な う は ず で す﹂
ー
ハ
リ
葬
にならないか
、
でしょうか 。いま や 長 寿化 し別 代
いった供養が現代 に当てはまるの
﹁そ も そ も 。来世は極楽浄土へ。と
養 す る ケl スがあります。ならば
し た 寺 院 の 境内 や 墓地 に 埋 めて供
一般 的。処 理方 法 も 火 葬 場 が 契 約
部 分 収 骨﹂が
葬場などで処理する ﹁
うか。 ﹃
自 然 に 還 す﹄と い う 意 義 を
﹁賛否両論といったところでしょ
る会﹄内部の反響はどうか
が 原則 で す 。 で も 西 日 本 で は 焼 骨
ls現 在 の 葬 儀 に は 日 本 人 の 宗
たりしなければなりません。 O 葬
であれば、泊された者にかけてし
0葬 で は 火 葬 し た あ と 、 必 要 が
﹁
大 往 生﹂
側 代 で 亡 く な る人も多い ﹃
全 骨 を処理しても らうことも不可
教観の変化も反映されていると思
ω
あ れ ば追 悼 のための ﹃お 別 れ の 会﹄
の時 代。そ う し た 方 々 は 現 世 を 存
.
り先
や 追 善 供 養 を や れ ば い い の で す。
認める人たちからは批判 もありま
│ │仏 教 界 や 葬 儀 業 界 か ら の 反
能 ではないはずです﹂
~、 .の干、-
分に謡歌したといえるのではない
.
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し
遺 骨 を 引 き 取 って墓 地 に 埋 葬 す る
の 一部 だ け を 引 き 取 り 、 残 り は 火
f
Rき
で し ょ う か。苦 し み の 多 い 現 世 か
うが
語起
習慣は、火葬が普及した戦後にで
まうであろう負担を極力減らす
﹂
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豊吾
ら離れ、極楽浄土を求めようとは
と も で き ま す﹂
が
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﹁い ま の と こ ろ 反 発 は な い よ う で
ビ ス 提 供 を す で に 始 め た と ころも
│ │葬 送 の 簡 素 化 の 流 れ が 大 き
なうねりになってきたということ
に な り つ つ あ る ﹄と 認 識 さ れ 始 め
0葬といった流れ
葬送の現実が ﹃
思われているのかもしれませんね。
もう﹁抗議し て も し ょうがない ﹂と
そ。つるし上げ状 態 ψでしたのに。
ジばか りが独り歩きしている感じ
ミ ン グ か ら 世間 で は 極 端 な イ メ ー
あったほうが いい 。
0葬という、不 l
るからこそ。選択肢。もたくさん
り も 変 わ っ て 当 然 な の で す。変わ
﹁時 代 と と も に 死 者 を 悼 む し き た
τo
本における﹁散骨(自然葬)﹂をリl
はないのです﹂
務 に す べ き だ と言 って いる わ け で
も 受 け ま す が、み ん な が す べ
ドしてきた﹃葬送の自由をすすめ
│ │現在、自身が会長を務め、日
ている証拠では ないでしょうか﹂
抗 議 にあい 、はっきり言っ てそれこ
2010年刊)を出したときは猛
(
起 し た 前 者 の )﹃
葬式は、要らない﹄
あります﹂
0葬 プ ラ ン ﹄のサ l
社のなかには ﹃
す。
一 方で 、賛 同 す る 会 員 の 葬 儀 会
|
す。(葬 式 の 簡 素 化 や 不 要 論 を 提
応
は
││ 故 人 を ぞ ん ざ い に 扱 う こ と
一一一 入 議
か
必ず し も思 えないのでは ﹂
める J(
1
司)ほかベストセラー多数。
き あ が った も の。それ 以 前 の 時 代
は
、 逃 甘 と と も に 供 養 す る 習慣 自
しまだ・ひろみ 1
9
5
3年生まれ。東京都出身。東京
大学大学院修了。現在は東京女子大学非常勤前師、
NPO法人 r
葬送の自由をすすめる 会 J会長。著 l
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H
こ『葬
式は、要らない J (幻冬舎新宮)、 F戒名は、自分で決
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