阿納坂越え復元の集い

車も通れない陸の孤島に
トンネルが出来て本年 50 年を迎えます。
毎日のように通った峠道も
枯れ木が倒れ、落ち葉に埋もれてはいますが、
踏み固めた道はくっきりと残っています。
峠の地蔵堂もタモの巨木の枝に押し潰されたように
なっていますが、今なら復元可能です。
4月19日㊐
8:30 ∼
正午頃まで
阿納坂越え 復元の集い
タモの巨木
旧阿納坂隧道
162
地蔵堂
阿納展望台
あずま屋
(阿納展望台)
から
内外海方面を望む
アケビや椎の木
近畿自然歩道
(広域基幹林道)
自然歩道から
阿納方面を望む
●トンネル入口付近から古道を整備します。
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倒木をチェーンソーで切断、除却、堆積した落ち葉や崩れた土砂を取り除きます。
地蔵堂からあずま屋(阿納展望台)まで 20 段くらいの階段を設けます。
棟木の落ちた地蔵堂は、瓦、柱、板等を分類し、空き地に移します(後に再建)
。
作業終了後、あずま屋付近で全員で昼食をとります。
阿納坂越え 同窓会 4月19日㊐ 18:00 ∼ いたや にて
●
峠越えを経験した区の出身者全員にお声かけして同窓会とします。
●
復元作業参加の有無にかかわらずご出席下さい。
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会費は 3,000 円とします。
宿泊希望の方はお申し出ください(5,000 円)。
みんなで雑魚寝して語り明かしましょう。
●
● お問い合わせ先
TEL.0770- 54-3001 ㈹
懐かしい
ひとコマ
阿納坂隧道托鉢
昭和 41 年、陸の孤島と言われたこの
地にトンネルが開 通し、観 光 客が訪
れる民 宿 村に大きく変 容 致しました。
子 供 達は険しい山 道を学 校に通い、
病人が出ると戸板の担架で山越えを
します。
「ぜひともトンネルを」と托鉢を
思い立ち、酷暑厳寒もいとわず、浄財
を集めに歩いたのが、当時の蓮性寺
住職、笠井昭道和尚です。悲願 10 年、
地道な活動が実っての開通でした。
柿売り
笠井和尚の托鉢姿
鯖を背負った犬熊の婦人
潮風をたっぷり吸い込んだ「阿納の富有柿」は甘さで
定評があり、収穫した柿を「でんご」に詰め、天秤棒で
担いで阿納坂を越えました。リヤカーやオート三輪で市
内を中心に小売りしましたが、
「他の柿は食べられない」
と多くのファンが、時季が来るのを待ち望んでいました。
鯖街道の 阿納坂越え
かって鯖がたくさん獲れた頃の阿納は陸の要衝で、
湾内はもちろん、三方町の常神半島からも鯖を満
載した船が寄港し、険しい「阿納坂越え」をして
柿売りのオート三輪
市場へ運んだそうです。京へと続く鯖街道。基点
がいづみ町商店街なら原点は内外海半島です。
集団登校の様子
思い出に残る
集団登校
阿 納 尻 小 学 校へは険しい山
道を歩いて3 キロ、雨の日も風
の日も欠かすことなく毎日通いま
した。特に雪が積もった早 朝
阿納の里山や渚の風景、
変わりゆく集落の様子など、
トンネルが出来る前後の
懐かしい写真をお寄せください。
写真集として
後世に残したいと
思います。
には、父 兄が出て「足 踏み」
をして子どもたちの登校を助け
ました。開通間際の集団登校
お問い合わせ先
の写真です。6 年生が先頭と
平成 27 年度 阿納区長
末尾で低学年を守ります。
板谷 清隆
TEL.0770-54-3001