蕎 麦 - Japanology Museum

二
Number
す が
し げ
お
28
年以上蕎麦を打ち続け
までやってきましたが、蕎麦は本当
もらいたい。それだけの思いでこれ
をお客さん食べていただき、喜んで
か打てません。少しでも美味い蕎麦
らゆる点で満足できる蕎麦はなかな
く違うものになってしまいます。あ
ち手の体調や気力、気分で蕎麦は全
右されることはもちろんのこと、打
て来ましたが、湿気などの気候に左
ます。私は
「手打ち蕎麦は本当に難しいと思い
の蕎麦の味が左右される。
微妙な加減で、香り、のど越しなど
中でも手打ち蕎麦は、素材と技術の
他の料理に比べてシンプルそのもの。
ことほど、至福の時はない。蕎麦は
とって美味い蕎麦をズズッと手繰る
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様だったのだろう。聞けば、菅野さ
というよりも蕎麦打ちとしての生き
られたのは、手打ちの具体的な技術
時期はそわそわする。蕎麦っ喰いに
ば真っ先に手繰りに行き、新蕎麦の
つけ、東に新しい蕎麦屋が開店すれ
種改良された蕎麦の実を使って蕎麦
いくつかの蕎麦を掛け合わせた、品
これまではいろいろな研究がなされ、
中でも、目から鱗が落ちた年でした。
さんだ。菅野さんは手打ち名人とい
「 蕎 亭 大 黒 屋 」の ご 主 人 の 菅 野 成 雄
静かに語り始めたのは、蕎麦っ喰
いの間で、知る人ぞ知る存在である
に美味い蕎麦屋があると聞けば駆け
んは、江戸時代から戦前まで栄華を
を打ってきました。もちろんそれは
台を挽き分
け る な ど 聞 い た こ と が な い。 全 く
極めた、あの吉原の仲之町というど
ほとんどが1台だけ。
事し、その後独立して、手打ち蕎麦
もって半端な蕎麦屋ではない。
真ん中で下駄屋の息子として生まれ、 それで美味い蕎麦もできるのですが、
われた
「一茶庵」
の片倉康雄さんに師
の技を長年に渡って磨いてきた。蕎
「蕎麦は香りとのど越しといいます
ては、どんなことでも試してみない
「私は美味い蕎麦を打つことに関し
ているのだという。
大根などは何と畑で栽培まで行なっ
いる。さらに韃靼蕎麦や薬味の辛味
わりにこだわって徹底して行なって
蕎麦打ちのすべての行程を毎日こだ
を除いたり、石臼で細かい微粉と粗
り、磨きといって、ほこりや夾雑物
す。蕎麦の実の段階で粒揃えをした
どに徹底的にこだわっている理由で
両立させるか、それが素材や石臼な
りが立たない。相反するものをどう
くなるし、のど越しを良くすると香
す。香りを立たせるとのど越しは悪
粋な世界でしたね。門前の小僧じゃ
行きました。それはそれは華やかで
の本物の花魁道中が家の前を通って
た。小学校の頃に戦後、最初で最後
ら、当然花魁の下駄も作っていまし
「実家は吉原のナカの下駄屋ですか
りにして育った。
まるで違う。
の香りは衝撃的でした。味の深みも
ていきます。この在来種を挽いた粉
でゆっくり挽きながら殻も取り除い
て殻を剥けないので、手挽きの石臼
を知ってしまいました。実が小さく
ある出合いによって、在来種の蕎麦
まだまだもの足りなかった。それが
と気が済まないんです。現在は手挽
ないですが、今でも鼻緒をすげられ
いまは在来種の蕎麦と品種改良さ
ますよ。蕎麦打ちはもちろんですが、 れた蕎麦をどんな挽き方をして、ど
何でそんなに石臼がいるのかって思
ま す。 片 倉 康 雄 師 匠 の 座 右 の 銘 は、
麦打ちには大切なことなんだと思い
種類以上使い分けています。 れだけ活かすか、それが何よりも蕎
を張って滑らないようにしてみたり、 端 か ら 見 た ら 本 当 に 馬 鹿 な こ と を
めに柄の部分に穴を開けたり、鮫皮
うね。蕎麦庖丁のバランスを取るた
何かを作るのが心底好きなんでしょ
やっていると思うんでしょうが、私
汁も蕎麦に合わせて研究ですよ(笑)。
ら研究しています。当然そうなると
れだけの割合で混ぜるか、また一か
るいは
うでしょうが、すべて石臼の目立て
[食はすべてそのもとをあきらかに
とにかく自分で試行錯誤して作るの
自身はもう楽しくて仕方がない。ま
を養い 病をもいやし よく人をつ
くる]
でした。いまこの言葉の重みを
香りやのど越しを調整します。通常
合 わ せ て 挽 き 分 け て ブ レ ン ド し て、
妙に変えてある。産地や湿度などに
台それぞれ目が微
が 好 き な ん で す。 銅 で 天 ぷ ら 鍋 を
あ楽しいから続けられるんでしょう
を自分でやり、
し 調理をあやまたず そこのうこ
となければ 味はいすぐれ からだ
作ったり、箸置きに漆を塗ったり、出
ね。
の石臼の速い回転では、熱を持って
つくづく感じています」
来合いのものを買ってくるのではな
香りが飛んでしまうので、ベルトで
く、何でも自分で工夫してやってみ
ま だ ま だ 美 味 い 蕎 麦 の た め な ら、
どんなことでもやって行きますよ」
新たな蕎麦品種で
さらなる挑戦欲が
菅野さんが片倉師匠から一番教え
「昨年は
年以上の蕎麦打ち人生の
ほしいものだ。
麦をこれからも細く長く打ち続けて
たくなります」
1 分 間 5 回 転 に 減 速 し て 使 い ま す。
台が毎日フル
ゆっくりなので挽くのにとても時間
がかかりますから、
稼働しているんですよ」
手 打 ち を 謳 う 蕎 麦 屋 で も 石 臼 は、
いっても過言ではない。
た か が 蕎 麦、 さ れ ど 蕎 麦! 蕎
麦っ喰いの幸せのために、美味い蕎
きと電動の石臼を合わせて
挽きを混ぜたり、とにかく素材をど
子供の頃から職人の仕事を目の当た
麦の実の選別から始まって石臼から
の
菅野成雄
1943年(昭和 )台東区新吉原揚屋町、吉原のど真ん中で生まれる。実家は「大黒屋」と
いう屋号の下駄屋。子供の頃から職人仕事を目の当たりにして育つ。 歳の時に蕎麦屋に勤め、
その後、蕎麦名人といわれた「一茶庵」の片倉康雄氏に師事。昭和 年に浅草柳通りにて「大
黒屋」として独立。その後現在地に移り「蕎亭 大黒屋」の主人として手打ち蕎麦を打ち続ける。
年を超える
蕎麦打ち人生の気概
〽信州信濃の蕎麦よりも
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に奥が深い。究めようと追いかけて
あたしゃあなたのそばがいい!
も追いかけても、切りがありません
こんな粋な都々逸が謡われるほど、
ね。まだまだ日々研鑽ですよ」
昔から蕎麦は愛され続けてきた。西
本物の蕎麦の旨さが舌を離れない。
日本の伝統文化
追駆考
日本人の味「蕎麦」
石臼 台を
フル稼働して
粉を挽き、
香りやのど越しを
極める蕎麦の道
その味を一度でも知ったら、
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台。ふ
ふるい、そして練りから手打ちまで、 が、技術的には相反するものなので
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菅野さんは根っからの職人。まさ
に職人になるために生まれてきたと
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文・写真=山縣基与志
東京都台東区浅草 4 -3 9 -2 ☎ 0 3 -3 8 74 -2 9 8 6
蕎亭 大黒屋
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日本人であれば、たいがい「蕎麦好き」であろう。
何ともいえない香り、麺の腰、汁の旨さ……
そんな蕎麦を手繰る時、
しみじみ日本人に生まれてきて
良かったと思う一瞬だ。
今月号で登場していただいたのは、
あの伝説の「一茶庵」片倉康雄さんに師事し、
独自の蕎麦を追求している蕎麦職人だ。
浅草は「蕎亭 大黒屋」亭主・菅野成雄さん。
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