新刊紹介 [PDF 942KB]

幻想と怪奇の英文学
しもくすまさ や
下楠昌哉︵大学文学部教授︶
他著
た め の 第 一 歩。本 書 は 間 違 い な
く、そ の メ ル ク マ ー ル に な る と
信ずる。それと同時に、﹁幻想﹂や
﹁怪奇﹂という言葉を躊躇うこと
な く 使 っ た 時、英 文 学 を 扱 っ た
硬めの内容であるはずの論文が
これほど面白く読めるようにな
る と 気 づ か さ れ た の は、本 書 の
た たか お
おさむ
紫式部集からの挑発
ぼ
ひろ た
く
よこ い
編集作業に際しての嬉しい発見
・
廣田收︵大学文学部教授︶
であった。
何も記録が残っていないために
不明である。その中で、彼女の
苦悩と思惟とをこれほど直截に
うかがわせる文献は他にない。
彼女の残したこの家集は、その
冒 頭 に、 再 会 し た 幼 馴 染 と の
寒々とした冬における別れを詠
んだ歌、あの﹃百人一首﹄の歌﹁め
ぐ り あ ひ て ﹂を 据 え る。 ま る で
この歌を詠むためにだけ、苦難
に満ちた彼女の人生があったと
いえるほどの歌と読める。いや
学 ﹂﹁ 怪 奇 文 学 ﹂と い っ た ジ ャ ン
で 市 民 権 を 得 た。反 面
﹁幻想文
す文学ジャンルは日本の出版界
ト た ち に よ っ て、こ の 言 葉 が 表
的翻訳家あるいはアンソロジス
郎、荒俣宏、東雅夫といった伝説
いられまい。平井呈一、紀田順一
このフレーズに蠱惑されずには
を お く っ た 人 々 で あ る な ら ば、
も、英 文 学 科 の 臼 井 雅 美 教 授・
教鞭を執っている教員諸氏の論
取 っ て い た だ き た い。同 志 社 で
と が あ る 方 は、ぜ ひ 本 書 を 手 に
若き日に手にして心躍らせたこ
集長であった雑誌﹃幻想文学﹄を
ス タ ー ト し た。東 氏 が か つ て 編
の協力を東氏に依頼することで
下楠が英文学評論集の出版企画
年度の大会準備委員長であった
で の ご 講 演 を き っ か け に、そ の
深さゆえである。紫式部は、い
くした彼女の背負った心の傷の
母と、結婚して間もなく夫を亡
る。それはおそらく、幼くして
は間違いなく最後の事例に属す
る人とがいるであろう。紫式部
かりの辛い人生だったと悲観す
と諦観する人と、すべて別れば
ら ︶し て み る と 差 引 ゼ ロ だ っ た
と、良いことも悪いことも均︵な
せなものだったと総括できる人
晩年にわが人生を振り返った
時、沢山の人たちと出会えた幸
本の論文と2回の鼎談でもって
キストであるということを、8
さに、私たちを挑発し続けるテ
ろうではないか、と。それはま
てくるのか耳を澄まして聞き取
集が、現代の私たちに何を訴え
いて等閑視されてきた彼女の家
家集編纂であった。研究史にお
物語作者である彼女ならではの
他の有名な歌人たちとは違い、
異例で破天荒な企てであった。
わざこそ、古代においては実に
たかし
久保田孝夫・横井孝著
ル だ て に、日 本 独 自 の 枠 組 み が
大沼由布准教授・金津和美准教
論じ尽くした挑発的な書である。
そのように読ませようとするし
出来上がってしまったのも確か
うまでもなく﹃源氏物語﹄の作者
﹃ 幽 ﹄編 集 長、
本書は怪談雑誌
東雅夫氏の同志社大学英文学会
で あ る。日 本 で
﹁ 幻 想 ﹂あ る い は
として知られている。ただ、彼
廣田收
授・金谷益道教授をはじめとし
女の人生の詳細については殆ど
﹁ 怪 奇 ﹂と 呼 ば れ て い る 作 品、あ
著者より
て、多数収録されている。
一 九 七 〇・八
﹁ 幻 想 と 怪 奇 ﹂。
〇年代に本の虫として青春時代
笠間書院
5,940円(税込)
るいは日本における
﹁幻想と怪
18
し、現在の大阪あるいは関西の
ブレーンセンター
2,160円
(税込)
奇 ﹂の 研 究 を 外 国 語 で 発 信 す る
11
13
旧石器が語る
﹁砂原遺跡﹂
まつふじかず と
│遥かなる人類の足跡を
もとめて
なる せ としろう
松藤和人︵大学文学部教授︶
・
成 瀬敏 郎著
2
新刊紹介
マンガ出版の状況をみると、か
本書はこの画期的な発見・調
査の経緯を一般の読者にもわか
つてのような勢いがない。
りやすく書き下したもので、特
﹃再び大阪がま
今回出版した
に地形学や火山灰層序学の成果
ん が 大 国 に 甦 る 日 ﹄と い う 本 は、
から砂原遺跡の下層の石器が約
そうしたマンガの過去と今を再
万年前、上層が約 万年前と
考しようとする試みにほかなら
推定できることを平易に説明し
ない。現状は打破できるのか。
ている。
再び大阪が
復興のために、今後どういった
著者らのその後の努力で、松
手だてが考えられるのか。そう
まんが大国に甦る日
江市板津遺跡からは ∼ 万年
した問いを、これまで大阪のマ
たけうち
前の地層に包含されていたと考
竹内オサム︵大学社会学部教授︶
他著
ンガ出版に関わった編集者、マ
えられる石器が発見され、雲南
ンガ家、評論家、研究者に問う
市掛合遺跡からもほぼ同時期の
という企画となっている。
戦後、物語性の強いマンガ、
石器が採集されている。砂原遺 いわゆる〝ストーリー・マンガ〟 すべて描き下ろしではない。
跡が日本列島で孤立していない
本の内容は、2013年秋に大
が大流行する。その普及に大き
ことも明かになった。
阪府立大学で、5回に渡って開
な役割を果たしたのが、手塚治
本書には古代探究に燃えた
催された﹁新なにわ塾﹂
の記録に
虫であった。その手塚はもとも
人の学者の衰えぬ情熱があふれ
基づく。それをベースに各講演
と大阪の出版社で4、5年のあ
ている。本書を手に取った中・
者が加筆して本書が成り立って
いだ、マンガの単行本を描き下
高生の中から未来の成瀬、松藤
いる。筆者は、手塚治虫の関西
ろして生活していた。
が生まれることを期待したい。
での活躍について執筆した。も
さらに手塚がデビューして十
今、出雲から目を離すことが ともと関西は、絵本や漫画新聞
数年ののち、今度は手塚カラー
できない。故森浩一同志社大学
とは異なるマンガが流行を生む。 などの出版が盛んであった土地
名誉教授は
﹁考古学は地域に勇
気 を 与 え る ﹂と い う 名 言 を 発 し
柄であり、その土壌のなかにマ
〝劇画〟である。実はその劇画の
たが、本書を読み終え、森先生
ンガ文化が花開いたという経緯
拠点も大阪だった。
のこの言葉が思い浮かんだ。
を記している。
このように、大阪はマンガの
ま がらひと し
魚津埋没林博物館長・︶
麻柄一志︵魚
著者より
発展と大きく関わり合う。しか
津市史編纂室長
12
92
93
春風社
2,916円(税込)
ハーベスト出版
1,296円
(税込)
島根県松江市砂原遺跡の発見
とその後の発掘調査は、日本の
旧石器文化研究の転機となった
といってよい。
旧石器遺跡発掘捏造事件のあ
おりで、 万年を超えるとされ
た遺跡が懐疑の目で見られてい
たさなか、地質学、自然地理学
などの関連分野の研究者を含め
た学術調査で丁寧に発掘された
砂原遺跡は、最古の日本列島の
住人に対する関心を再び呼び起
こし、東アジアにおける前・中
期旧石器時代の研究に日本列島
を加えることを可能とした。
4
介
紹
刊
新
介
紹
刊
新
トランスナショナル
高等教育の国際比較
やま だ れい こ
山田礼子︵大学社会学部教授︶
他著
教育として定義し、その展開に
ついて提供国、受容国の双方の
ケースから提示し、効用、課題、
章で
しない留学を通じて費用の軽減
や学位の輸出、あるいは留学を
様な形態が含まれている。教育
分校での学び、遠隔教育など多
その方法には学生の留学、海外
されることと定義されており、
または教材が国境を越えて提供
学生、プログラム、教育機関、
る。こうした高等教育は、教員、
等教育の国際化政策が展開しつ
ーバル大学の選定など新たな高
能となる。政府のスーパーグロ
これからは共同学位の提供も可
の高等教育においても進展し、
他国の大学との
れにも属していない。しかし、
扱う提供国および受容国のいず
とんどが撤退し、日本は本書で
た日本であるが、現在はそのほ
著者より
18
6
問題点を明らかにしている。
章から成り立つ本書の第
は、トランスナショナル教育の
概念について理論的なアプロー
チから明確にした上で、前半
章は受容国の側に焦点
章は提供国の側に焦点を当て、
後半の
を当てている。
が可能になるなど、提供国およ
つある現在、本書は日本の高等
かつて多くの海外大学のブラ
ンチ・キャンパスが存在してい
び受容国の双方に利益がある新
教育政策の世界展開を検討する
重学位が日本
たな留学の形態が誕生している。
近年、国境を越えて提供され
る高等教育が急速に進展してい
1
上で、貴重な文献と位置づけら
れよう。
メディアリテラシーと
デモクラシー
わたなべたけさと
渡辺武達︵大学社会学部教授︶
著
を批判した。
﹃メディアへの希
本書は前著
望﹄とのペアで、ハッチンス報告
書﹃自由で責任あるメディア﹄の
精 神 を 受 け 継 ぎ、情 報 の 自 由 と
デ モ ク ラ シ ー の 枠 組 み を 提 示、
具体例としてメディアが誤報し
た﹁STAP細胞﹂作成や特定秘
密 保 護 法 な ど を 論 評、東 日 本 大
震災報道を例にメディアと防
災・減災情報提供のあり方や社
会のもう一つの災禍である
﹁戦
争﹂報道について、P・アーネッ
1 9 8 0 年 代 初 め、文 部 科 学 省
る。コ ン ピ ュ ー タ が 一 般 化 し た
る権利と義務と能力のことであ
ク ラ シ ー﹂強 化 の た め に 発 信 す
か せ な い。最 低 で も ジ ャ ー ナ リ
いことや過去の社会的失敗は生
後が弱ければ個人が体験できな
涯社会学習︶の3つになるが、最
的国民学習︶
、メ デ ィ ア 接 触
︵生
人間の学習過程は個人の家庭
環境︵直接体験︶、学校教育︵制度
トとの対話を収めた。
のメディアリテラシー教育の中
ズムは
﹁日々の出来ごとの意味
﹁メディアリテラシー﹂とはメ
ディアの提供情報を正しく読み
心はパソコンの使い方について
解いて社会参加し、自らも﹁デモ
年に
﹃メディ
ア・リテラシー﹄︵ダイヤモンド
に 忠 実 で、総 合 的 か つ 理 知 的 に
な か で 理 解 で き る よ う に、事 実
に つ い て、他 の 事 象 と の 関 連 の
だ っ た。筆 者 は
社刊︶を出し、メディアの基本活
実定法一元論と
著者より
るメディア﹄︶を求められている。
説 明 す る こ と ﹂︵
﹃自由で責任あ
動原理として提唱してきた
﹁積
極 的 公 正 中 立 主 義︵ Proactive
Principle of Media Fairness and
︶﹂の 立 場 か ら そ れ
Impartiality
証主義は、
﹁法と道徳分離論﹂を主張する。
・ハートおよびその理論
H
たい。
・ドゥオーキンのあ
新刊紹介
著者より
を通じて学生たちに伝えていき
る。今後、その﹁試み﹂を、講義
と す る 試 み ﹂を 念 頭 に 置 い て い
的で批判的な姿勢を吹き込もう
検討する際に、﹁法に対して合理
本書で取り上げる法実証主義
者たちは、以上の論題について
て検討している。
的 法 理 論 の 擁 護 可 能 性 ﹂に つ い
るか﹂という問題、および﹁記述
﹁立法と司法の関係をどう捉え
﹁司法的裁量論の擁護可能性﹂、
ているけれども、本書では特に、
の論争は、多岐の論題に関係し
る論文集である。両者のあいだ
開 ﹂の 一 端 を 描 き 出 そ う と 試 み
じ て、﹁ 法 実 証 主 義 の 現 代 的 展
いだの論争を検討することを通
批判的な
的継承者たちと、法実証主義に
・
本書は、 世紀を代表する法
実証主義者の一人である ・
20
R
本書は、今までの留学のパラ
ダイムを転換する新たな留学の
法実証主義の
現代的展開
A
2
変 化 し、 米 中 間 を 中 心 に﹁ パ ワ
ー・ シ フ ト ﹂が 進 ん で い る と 見
られていたことがある。
この紹介を書いている筆者も、
2004年から研究会議に参加
した。各分野の第一人者の中に
混じっての議論は刺激的で、発
表への批判は辛辣極まりなく、
自信たっぷりの態度でも実際に
は論理が混乱し、資料の信頼性
はましんいちろう
濱真一郎︵大学法学部教授︶
著
のチェックもないような発表者
は論外であった。
法哲学は、今日の法、法学、
本書は、時事問題の説明では
および法実践が抱えている基本
なく、国際関係理論を批判しつ
的問題を、様々な角度から掘り
つ使う長期的な立場の分析が多
下げて考えることを目的として
い。しかも、提言を急ぐ前にま
いる。法哲学の中心的問題とし
ず冷静な分析を十分に行うとい
ては、﹁法とは何か﹂﹁正義とは何
う鉄則が守られている。当然だ
か﹂﹁法的思考の特質は何である
が、本書は、問題の設定そのも
か﹂という三つがある。
のを徹底的に吟味している。問
題設定を間違ったら、どんなに ﹁法とは何か﹂という問いは法
哲学上の難問である。法実証主
努力しても成果は上がらない。
義は、その難問に答えようと試
この点はビジネスにも通じるの
みる立場の一つである。法実証
で、そのような見地から読むこ
主義の基本的主張は、自然法論
ともできるだろう。終章の渡邉
論文はまさに名人による読み応
との対比において示すことがで
えのある分析である。ぜひ読ん
きる。自然法論は 自然法と実
でほしい。
定法の二元論と ﹁法と道徳融
著者より
合 論 ﹂を 主 張 す る。 対 す る 法 実
L
11
論創社
1,944円(税込)
成文堂
4,536円
(税込)
概念をトランスナショナル高等
りょう
日本をめぐる安全保障
これから 年の
パワー・シフト
あさ の
浅野亮︵大学法学部教授︶
他著
この本は、2013年に防衛
戦略研究会議が発表したレポー
ト﹁ 2 0 1 0 年 代 の 国 際 環 境 と
日 本 の 安 全 保 障 ﹂を 基 に、 改 め
て編集されたものである。3部
に分かれ、日本、アジア、そし
て 新 し い 安 全 保 障 問 題︵ 海 洋、
宇 宙、 サ イ バ ー な ど ︶を 扱 っ て
いる。
防衛戦略研究会議は、199
9年に防衛研究所に設立された。
国家安全保障会議のような政府
機関の設立が望まれたが、まず
民間の専門家や学者を中心に発
足した。設立の背景には、経済
と安全保障の国際環境が大きく
97
東信堂
3,888円(税込)
亜紀書房
2,700円
(税込)
94
95
10
介
紹
刊
新
介
紹
刊
新
おさむ
みな い まさひろ
南井正廣
他著
大学グローバル・コミュ︶
︵ニ
ケーション学部教授
本書は、日本英文学会第 回
大会︵2013年︶でのシンポジ
ウム﹁近現代小説と所有﹂に基づ
いている。まず、南井正廣がヘ
ンリー・フィールディングの全
小説と、治安判事として執筆し
た論文を合わせて分析し、土地
所有や財産所有の問題と法との
関係を論じている。次に高桑晴
子︵お茶の水女子大学︶がアイル
ランドの﹁ビッグハウス小説﹂に
おける土地へのこだわりや所有
の正当性への不安に言及してい
世紀の小説に描か
る。 続 い て、 三 宅 敦 子︵ 西 南 学
院 大 学 ︶が
れたインテリアや収集品を当時
世紀小説に描かれ
従来、シンポジウムをまとめ
た本は、パネラーの発表原稿を
スを指摘している。
される者なるというパラドック
合、所有する者が、同時に所有
析し、ヒトがヒトを所有する場
る﹁愛﹂を﹁所有欲﹂の観点から分
京 大 学 ︶が
て い る。 最 後 に、 山 本 史 郎︵ 東
ンティティとの結びつきを述べ
し、﹁ 所 有 ﹂と 中 産 階 級 の ア イ デ
の文化的な背景に照らして分析
3
地方自治を問いなおす
いまがわ
︱住民自治の実践がひらく
新地平
あきら
今川晃︵大学政策学部教授︶
編著
すべての個人が、人格のある
人間として尊重されるべきこと
は言うまでもない。しかしなが
ら、このことを前提にこの国の
あり方を問い直すことは未だな
されていない。本書では、憲法
で規定する﹁地方自治の本旨﹂に
ついて、地方自治の実態の分析
を通じて、根本的なパラダイム
の転換の必要性を説こうとする
ものである。
﹁住民自治﹂が﹁団体自治﹂のあ
り方を規定すると認識しない限
り、個人の人格の尊重を起点と
した、改善・改革はなされない
が、このような憲法解釈は広く
受け入れられることはなかった。
日本の資本主義と
会社法
ところが、この国の過去を振り
返ってみれば、高度経済成長の
ひずみである公害や自然環境破
壊の反省、あるいは文化や歴史
の観点も含めて﹁豊かさ﹂
を問い
直すことにより、私たちの生活
を起点として、法律の改正や行
政運営の改善にまで導いた事例
は少なくない。
地方分権時代にあっても、﹁地
方 自 治 の 本 旨 ﹂の 解 釈 で も、 実
際の行政運営においても、住民
によるコントロールの推進や価
値基準の転換という点では、依
然として厚い壁が立ちはだかっ
ている。この障壁に立ち向かっ
ていくためには、地方自治の研
究姿勢や価値観も問われるとこ
ろである。さらには、グローバ
ルな時代に生きるには、地方自
治の領域でもパラダイムの転換
が必要である。したがって、広
く世に問うために、ひとつの
﹁学
派 ﹂の 形 成 の 必 要 性 を 感 じ つ つ、
同志である編者の門下の研究者
を中心に本書の構成を行ったの
である。
著者より
を日常的に監査する監査役制度
によって達成されてきた。そこ
で、わが国の監査役制度が、グ
ローバルな機関投資家にも理解
してもらえるように広報してい
くことが必要となる。さらに、
強調したのは、憲法改正の際に
は国家との関係で﹁営業の自由﹂
という概念を憲法に明文規定を
定めることである。営業の自由
に対する国家の不当な干渉に対
は?﹂と い う 諸 問 題 を 縦 横 に 論
は?﹂、﹁ 所 有 の パ ラ ド ッ ク ス と
﹁ヒトを所有することの意味と
有 と 階 級 問 題 の 関 わ り と は?﹂、
よ っ て 益 す る の は 誰 か?﹂、﹁ 所
﹁所有の正当性とは?﹂、﹁所有に
究対象の異なる4人の研究者が
ン ﹂と い う 最 終 章 を 付 け て、 研
が、 本 書 で は﹁ シ ュ ン ポ シ ュ オ
文集にとどまることが多いのだ
に向かうことには限界がある。
な伝統から、株主利益の最大化
とを指摘した。わが国の文化的
社法改正が喫緊の課題であるこ
ラが必要であり、そのための会
テイクできるような法的インフ
発展のためには、企業がリスク
いう現象に直面しており、その
主義は、経済のグローバル化と
にまとめてあるが、日本の資本
コーポレートガバナンスを中心
本書は、これまで約 年の研
究成果を集大成したものである。
自由を確保することによって、
れを廃止すべきである。営業の
しく問う現行法制は、直ちにこ
てもその責任を会社経営者に厳
イクの経営判断が失敗したとし
り、他方でそのようなリスクテ
発な経済活動に尽力すべきであ
障された営業の自由によって活
なる。会社は、憲法によって保
資本主義の根本が危ういことに
に基づく株主権も怪しくなり、
産権がおろそかであってはこれ
べきであろう。憲法上の私有財
あきら
じ て い る。﹁ イ ギ リ ス 小 説 と 所
このような特色を機能させるコ
著者より
資本効率の追求が可能となる。
もり た
森田章︵大学司法研究科教授︶
著
して、被害者からの差止請求や、
有 ﹂と い う テ ー マ の 持 つ 可 能 性
ーポレートガバナンスは、財務
国家賠償法による救済を認める
や深さを感じ取っていただけれ
情報の信頼性の確保や法令遵守
著者より
新刊紹介
ば幸いである。
加筆修正したものを併載する論
法律文化社
2,700円(税込)
中央経済社
3,456円
(税込)
ろが、このような経済ニュース
は断片的で、経済全体の枠組み
の中で相互に関連づけられなけ
れば一過性になってしまう。そ
こで、統計資料を引用しつつ経
済理論をベースに日本経済の特
徴を理解しやすいように解説し
おさえておこう
た。それ以外に本書の特色とし
て、多くの標準的な教科書は数
現代日本経済の基礎
式やモデルで記述されているた
にしむら
め初学者には理解しがたい面が
西村理︵大学経済学部教授︶
・
か とうかずせい
ある。それを解消するため出来
加藤一誠著
るだけ言葉で記述するように心
掛けた。したがって、まず経済
日本経済に関する私たちの最
初の書物は、1991年に刊行
学の入門書として読むことがで
された西村理﹃日本経済の公式﹄
きる。さらに、数式やモデルで
︵こう書房︶であった。その後、
記述された教科書を読む際、サ
加藤一誠氏が筆者に加わり
﹃デ
イド・ブックとして活用するこ
ッサン日本経済﹄︵サイテック、
とで経済理論をより深く理解で
1995・ 年︶、続いて﹃アウ
きるだろう。
トルック日本経済﹄︵萌書房、2
本書は 部構成で、第Ⅰ部で
0 0 8 年 ︶を 出 版 し た。 本 書 は
はGDPなどマクロ経済学の概
数えて 冊目である。およそ
念が説明されている。そして、
年の間に日本経済が大きく様変
第Ⅱ部では日本経済の需要サイ
わりしたため、書き換える必要
ド、第Ⅲ部では供給サイドの現
が生じ執筆を重ねてきた。
状が平明に解説されている。学
経済は生き物であるがゆえに、 生のみならず社会人にも紐解い
毎日様々な経済ニュースを新聞
て欲しいと願っている。
やTVなどで見聞きする。とこ
西村理
!!
85
20
萌書房
1,944円(税込)
25
英宝社
2,160円
(税込)
近現代イギリス小説
と﹁所有﹂
5
96
97
40
97
19
介
紹
刊
新
介
紹
刊
新
美の中断
﹁見かけ﹂を意味する﹁仮象﹂とい
う概念です。ベンヤミンはこの
仮象概念を用いてゲーテの小説
﹃親和力﹄に登場する3人の娘に
ついて論じています。彼女たち
は美に対するそれぞれ違った立
場を代表しているのであり、本
書はそのような美の区分を、カ
に活気や潤いを与えてくれます。
い風景や芸術作品は日々の生活
私たちの生活にとって、美は
欠かすことができません。美し
いったメディアをどのようにと
ったのか、そして写真や映画と
ンヤミンがどのような立場を取
た、当時の社会状況に対してベ
むらかみまさ き
ント、ヘーゲル、ニーチェとい
そして私たちは、外見的にも内
らえていたのかを明らかにする
村上真樹︵大学高等研究教育機構助手︶
著
った他の哲学者との比較を通し
面的にも、できることならば美
ための作業でもあります。
て紐解いてゆきます。それはま
しくありたいと願っています。
しかしその一方で、美は時とし
志を継ぐ
︱新島襄を語る
︵十︶
もと い やすひろ
本井康博︵元大学神学部教授︶
著
ていることを見られたら、どう
思われるだろう、と常に考える
のであります﹂
と安部は書き残す。
安部の言葉は、新島と同時代
を生きた﹁同志﹂たちに共有され
た思いでもある。著者によれば、
新島は﹁同志﹂に特別の意味を込
めた。﹁同志社﹂という名も、我々
はすでにできあがった固有名詞、
法人名として使うことに慣れき
っ て い る が、 同 志 社 は﹁ 新 島 の
志 を 継 ぐ 同 志 ﹂が い な け れ ば、
本来成り立ち得ないという。
性の絶妙なバランスである。
者一人ひとりが、新たな語り手
りかけに耳を傾けてみよう。読
ある。類い希なストリーテラー
建学の精神を看板とするだけ
では、同志社は同志社であり続
﹁新島襄を語る﹂シリーズの最
終巻である。 年の間に 巻が
﹃志を継ぐ﹄は、シリーズを締
めくくるのにふさわしいタイト
となり、志を継ぐ者となるため
けられない。今を生きる力とし
ルである。シリーズ全体の中心
の豊富な素材を、本書およびシ
刊行された。その間、新島八重
主題は新島襄であるが、新島の
リーズ全体がふんだんに提供し
て精神や理念を取り戻すために
りません。しかしながら彼は、
志を継いだ者たちについても、
てくれていることに気づかされ
について語った別巻も、4冊刊
瞬間的な美の中断にこそ、救済
幅広く扱われてきた。本書では、
は、それらを語り続ける必要が
家ヴァルター・ベンヤミンによ
の可能性を見出しました。本書
徳富蘇峰、安部磯雄らが取り上
行された。全巻を貫くのは、わ
って成された美に対する批判を
が美という価値観について立ち
かりやすさ︵読みやすさ︶と専門
検討することによって、﹁否定美
止まって考えるための一つのき
小原克博︵大学神学部教授︶
こ はらかつひろ
として語り続けてきた著者の語
学 ﹂と も﹁ 救 済 の 美 学 ﹂と も 呼 ば
ベンヤミンにおいても、美が
人間にとって必要不可欠なもの
れる彼の美学を明らかにするこ
れたら、どうだろう?
私のし
るだろう。
とを試みています。
その際に手がかりとなるのは
著者より
げられている。﹁今、先生が居ら
て私たちを強迫観念的に呪縛し
思文閣出版
2,052円
(税込)
っかけになればと思います。
であるということには変わりあ
10
晃洋書房
3,024円
(税込)
ます。本書では、ドイツの批評
10
介
紹
刊
新
98