平成27年北方領土返還要求全国大会

購読料1ヶ 月一部11 0円
主な記 事
﹁平成
年北方 領土返還要求全国大会﹂が2月 7日、東京の日比
谷公会堂で開催 され、安倍総理大臣、岸田外務 大臣、各政党代表
者や元島民など 約1600人が参加して行われ ました。全自父か
動の現状と北方 領土問題の解決を求めた決意表 明を行いました。
◇ 全 国 自衛 隊 父兄 会 は、 自 衛
自 衛隊 に 対す る 協力 を 通じ 、
り ます 。
わ が国 の 防衛 基 盤の 確 立に 寄
与 する 目 的で 活 動を 続 けて お
月社 団 法人 、 そし
◇ 防 衛情 報 紙﹁ お やば と ﹂は
広 く一 般 に配 布 、父 兄 会や 部
年
隊 員 を子 弟 に持 つ 父兄 を 中心
に 昭和 年 代各地 で結 成され 、
隊 の活 動 を紹 介 し、 架 け橋 と
昭和
て 平 成 年 4月 1 日に 公 益社
団 法人 に認 定され た団 体です 。
な って い ます 。
本年中のプーチン大統領
ソマリア沖の 海賊対処任
期生で、現在 、呉基地に所
カナダ、イギリス、フラン
多国籍部隊の トップに自
海軍 艦船が 参加し ていま す 。
ラリア、パキスタンなどの
数えており 、P3C哨戒機
による飛行 回数は、約12
00回で1 万件を超える不
審船の情報 を各国に提供し
ました。こ れらの海上自衛
隊の活動は 世界各国から大
きな評価を 受けています。
日に内閣
価を 受ける ことが できま した 。
な指摘事項もな く、良好の評
善事項はあった ものの、大き
の実行要領等に ついて一部改
でしたが、会の 運営及び業務
て認定されて以 来、初の検査
全自父が公益 社団法人とし
質疑応答が実施 されました。
午後からは関係 書類の検査、
佐田 事務局 長によ る状況 報告 、
しました。検査 は、午前中に
る関係役員、事 務局員が受検
伊藤全自父会長 をはじめとす
調査 官が全 自父事 務局に 訪れ 、
益法人行政担当 室から二人の
当日は、内閣 府大臣官房公
たものです。
という準拠に基 づき、行われ
類その他の物件 を検査する﹂
活動の状況若し くは帳簿、書
対し、その運営 組織及び事業
ました。これは ﹁公益法人に
による立ち入り 検査を受検し
府大臣官房公益 認定等委員会
全自父は、1 月
内閣府の検査受検
全 自父 事 務 局
◇ 会 員 の不 断 の研 鑚 を図 り つ
は、 8660万人にのぼっ
の訪日が話題となっていま
を重ねています。
てい ます。私たち自衛隊父
すが、ロシアはクリミア半
ロシア対応をしなければな
兄会 は北方四島が返還され
らない安倍政権にとって、
島の強制的な編入以来、米
北方領 土問題 に関し ては 、
るま で引き続き、どの様な
引き続き各 界各層代表の
安倍 総理がプーチン・ロシ
欧から経済制裁を受けると
決意表明に移 り、全自父か
北方領土問題を解決するに
困難 も克服して北方領土返
る元島民の声﹂と第二 部の
ら は 瀧 口 明 美理 事 が 北 方
回の首脳
ともに原油価格の下落によ
﹁北方 領土の 返還を 求め る ﹂
ア大 統領と過去
は、これから難しい舵取り
還を 求める署名活動を続け
で構成され、第一部で は元
領土返還要求 署名活動につ
会談 を行って個人的信頼関
り経済的な窮地に陥ってお
島民や二世の女性と三 世の
いて﹁自衛隊 父兄会の署名
て参 ります﹂と強い決意表
本年は北方領土が不法に
高校生が、返還運動の 灯を
が予想されます。
ります。西側の一員として
年を迎
係を 培い、その解決に努力
占拠されて以来、
年3月から
ソマリア沖 海賊対処多国籍部隊指揮官に
御高齢となら
務を遂行してい る多国籍部
在する第4護 衛隊群の司令
隊の伊藤弘海将 補が就任す
衛隊の指揮官が 就任するの
護衛回数護 衛は620回を
伊 藤 海 将補 が 就 任
れ、早急に北
隊﹁CTR15 1﹂の指揮
として勤務し ています。
自衛隊初
方領土問題の
官に、今年の5 月末から7
す。伊藤弘海 将補は防大
解決を図らな
いことを肝に
多 国籍部 隊には アメリ カ 、
月
銘じて対応し
ス、デンマーク、オースト
ロシアとの交
年7月施 行 ︶
を排除 しよう とする運 動には 反
在であ り、普 通のイス ラム教 徒
2月号に掲載した父兄会の﹁名 称﹂・﹁おやばと﹂読 者アンケート の締め切りは3月末日です。ご協力をお願いします
各 県・ 地区 父 兄会 長の ご協 力 をお 願い しま す
6 面に﹁ おや ばと﹂ 拡販 実態調 査
渉を進展させ
海上自衛隊は現在、海賊
対処 法︵平成
に基づき、護衛艦2隻とP
3C哨戒機2機を派遣し、
ソマリア沖のアデン湾で民
間船 舶の護 衛をし ていま す 。
ス ラム諸国 や中国 との衝 突は極
護衛艦によ る民間船舶の
め て深刻で ある﹂ と、特 に欧米
対であ る。
他 の文明に 寛容に なるこ とを強
調 している 。
世界 が参考 にすべき 自衛隊 の
諸 国が 傲 慢に なる こ とに 警 告し 、
他者 を理解 して共生 する
サム エル・ ハンチン トンは 、
こと が大切
二元論 はしばし ば人を 不寛容
派 など二 元論的な 見方が 充満し
に するし 、無慈悲 にする し、不
て いる。
医療な どの人 道支援 を更に拡 充
その名 著﹁文 明の衝突 ﹂の中 で
﹁日本 がテロ に屈す ることは 決
してま いりま す。テ ロと戦う 国
幸 にする 。ISI Lはそ の典型
して あ りま せん 。 中東 への 食 糧 、
際社会 におい て、日 本として の
ら 、 初 めて 海 外 で 実施 さ れ まし た 。
世界中 でISI L︵通 称﹁イ
世界 が参考 にすべき は自衛 隊
本訓 練の ほか、 海賊 対処行 動に
者 を認める 寛容さ ・度量 が求め
のイラ クでの 活動であ る。イ ラ
イラ クでの 活動
ら れる。視 野の狭 い独善 的なナ
我々には 、他者 への理 解、他
﹁文 明の衝 突は世界 平和の 最
シ ョナリズ ムや排 外主義 は紛争
以下の 様な指 摘をして いる。
大の脅 威であ り、文明 に依拠 し
この観 点からす ると、 テロリ
た国際 秩序こ そが世界 戦争を 防
クにお いて、 自衛隊は ﹁郷に 入
人が 殺害さ
っては 郷に従 え﹂を合 言葉に 、
ス トに攻 撃され、
れ たフラ ンスの風 刺週刊 誌シャ
の 原因であ り、避 けるべ きであ
あ る。
イラク 人の民 族・宗教 ・文化 ・
渡 部 悦和
日 付の現 地
の内に 、サマ ーワの人 々は彼 ら
自衛隊 が県内 に到着し て数週 間
サマー ワ新聞 は、﹁日 本国陸 上
20 04年 1月
値観を 押し付 けなかっ た。
風俗・ 習慣を 尊重し、 自らの 価
し 、共 生 する こと が 大切 で ある 。
る 。違いを 認め合 いなが ら協調
な 例であ る。
が、こ の姿勢 を今後 も堅持し て
もらい たい。
﹁二 元論﹂ が人を 不寛容・ 無
特にテ ロ攻撃を 受けた 後も、
た欧米 の文明 ︶の指導 者は、 他
ぐ最も 確実な 安全装置 だ﹂﹁ 西
責任を 毅然と して果 たしてま い
ISI Lの人質 になっ ていた
っ ている 。
2 人の日 本人が殺 害され 、多く
の 日本人 はその残 虐さに 衝撃を
慈悲 ・不幸 にする
欧文明 ︵キリ スト教を 中心と し
ります ﹂と力 強く宣 言してい る
症 に係 る人 道支援 ・災 害救援 を想
年 から﹁ コブ
定 し た 机上 演 習 等 を実 施 し まし た 。
自衛 隊は 、平成
全世界 の敬虔な イスラ ム教徒
受 けたと 思う。
に とって もISI Lは許 し難い
前 東部 方 面 総 監
I S I L 人 質事件 に接し思 うこと
存 在で、 ISIL をイス ラム教
徒 の組織 と認めて いない 。IS
I Lの様 な宗教を 隠れ蓑 にした
殺 人テロ 集団には 断固た る対応
が古き ニッポ ンの子孫 として 、
うとし てはい けない。 西欧文 明
の文明 を西欧 文明に染 め上げ よ
徹 底的に戦 わなけ ればな らない
ISIL の様な 殺人集 団とは
なる文 明を保 持すると ともに 他
ること を見出 した。彼 らは偉 大
愛情と 倫理に あふれた 人々で あ
イ スラム 教預言者 ムハン マドの
の国を 尊重し 、他国民 の家庭 や
︹執筆者 略歴︺︹わ たなべ・よし かず︺ 昭 和 生まれ 。愛媛県出 身。東京大 学︵電子工 学科︶卒。 第 普通 科
連隊長兼函館駐屯地司令、陸幕装備部長、第2師団長、陸上幕僚副長、東部方面総監を歴任し、20 13年退官。
現在、富士通システム統合研究所 の安全保障研究所長。
風 刺画を 掲載し、 世界各 地のイ
が 、危惧す るのは 世界の 国々に
じめ とする国 際社会 は
現在 、世界 の至る 所で紛争 が
の他の 文明へ の干渉が 最も危 険
が 不可欠 で、我が 国や米 国をは
発生し ている 。世界 の紛争の 原
ス ラム教 徒を激怒 させた ことは
その 壊滅を目 指して い
因を追 究して いくと 二元論的 な
るの である。
今回 の事 案に お いて 、
職業に 敬意を 払う立派 な伝統 を
この 自衛隊 の﹁他の 文明に 対
持っ て いた のだ ﹂ と伝 えて い る 。
する寛 容な態 度﹂は、 今後と も
お ける反イ スラム 運動の 高まり
れ る反イス ラム運 動は憂 慮すべ
で ある。特 に欧州 諸国に 吹き荒
き 現象であ る。敬 虔なイ スラム
な不安 定の要 因となり 、グロ ー
欧文明 が普遍 的なもの である と
バルな 紛争の 要因とな る﹂﹁ 西
主張す ると、 しだいに 他の文 明
不 適切で あると思 う。い くら表
西側 と東側 、敵と 味方、キ リ
て も、こ の種の挑 発行為 は絶対
現 の自由 があると 主張し たとし
スト教 とイス ラム教 、イスラ ム
に 避ける べきであ る。
見方が その根 源にあ ると私に は
然た る姿勢は 適切で あ
世界の 模範と なるであ ろう。
思えて ならな い。
った 。安倍首 相は、 2
教の中 でもス ンニー 派とシー ア
教 徒とIS ILと は全く 違う存
身代 金の支払 いを断 固
月 1日 の声 明に お いて 、
と衝突 するよ うになる 。特に イ
拒否 した安倍 政権の 毅
﹁ AA V 7 ﹂は 米 国で 開 発さ れ 、
ま ま陸地 へ上陸 でき る水陸 両用の
両を
陸上自 衛隊は 20 17年 度末に
装 甲兵員 輸送車 です 。
新 編する ﹁水陸 機動 団﹂に
配 備する 計画で あり 、この 導入に
先 駆けて ﹁AA V7 ﹂の運 用など
に ついて のノウ ハウ を学ぶ 機会と
ル リ・エ ブドも反 省すべ き点が
ス ラム国 ﹂︶とそ の関連 組織や
適切だ った安倍 首相の 毅然と
ホームページアドレス
http://www.zenjihu.jp/
個 人によ るテロ行 為が問 題にな
が 在外 邦人 を救助 する ための 輸送
全国自衛隊父兄会
係 る計 画策 定、多 国籍 軍司令 部と
した態 度
と述べました。
が重要です﹂
取り組むこと
一丸となって
政府と国民が
るためには、
は初めてのケー スとなりま
てまいります。
ることになりま した。
日までの間 、海上自衛
ければならな
島民の皆様が
理大臣が﹁元
列した安倍総
第二部では来賓とし て参
と語りました。
日が訪れるまで訴え続 ける
活動は、昭和
明を 行いました。
始め られ、現在まで署名数
つ 、 防衛 意 識の 普 及高 揚 及び
10
○北方領土返還要求全国大会
︵1面︶
○シリーズ﹁自衛隊の海外活動﹂、﹁日本史の窓から﹂
﹁美佐の新国防論﹂、﹁きずな﹂
︵2面︶
○情報の知恵、 やたがらすの眼
︵3面︶
○自衛隊の現場
︵4面︶
○地本コーナー
︵5面︶
○父兄会コーナー、﹁おやばと﹂拡販実態調査︵6・7面︶
○歌壇・俳壇・健康の扉
︵8面︶
51
消さないように返還実 現の
え歴史の節目となる年とな
年北方領土返還を求め
全国大会は第一部の﹁戦
りました。
後
30
24
の 調整 要領 等の指 揮所 演習、 感染
を 陸上 でも できる よう になっ てか
会 場 に詰 めか けた 参 加 者
この訓 練に は、 現地に 駐在 する
日 本大使 館員 やそ の家族 らも 参加
し て、自 衛隊 が車 に乗せ て基 地ま
で 運 び 、 自 衛 隊 機 ︵C ︲1 3 0 H ︶
で 飛 び立 つまで の一 連の流 れで
行 われま した 。
今回の 訓練 は、 201 3年 1月
日に 、緊急 時に 自衛
の アルジ ェリ ア人 質事件 を踏 まえ
月
水 陸 両用 車 使 用
回 目の 参 加と な り まし た 。
ラ ・ゴ ール ド﹂に 参加 してお り、
本年は
米国で日米共同上陸訓練
衛 隊法が 改正 され 、海外 で自 衛隊
隊 による 陸上 輸送 を可能 にす る自
て 同年
発行の趣旨
海 上で船 舶のよ うに 航行し 、その
陸自の離 島防衛専門部 隊が参加
陸 上自衛 隊と米 海兵 隊は2 月
日︵ 日本時 間︶、 米国 のカリ フォ
ルニ ア州で 実施し てい る日米 共同
訓練 におい て、陸 上自 衛隊の 離島
防衛 の専門 部隊で ある 西部方 面普
通科 連隊の 隊員が 米軍 の水陸 両用
車﹁ AAV 7﹂に 乗り 込み、 米海
32
らは 瀧口 明 美 理事が初の女 性代表として北方領土返還要求 署名活
され まし た。
など 、在 外邦人 等輸 送訓 練が実 施
避に 至る までの 自衛 隊の 活動要 領
タイ で﹁コブラ・ ゴールド ﹂
海 外 初 の 在 外邦 人 等 輸 送 訓 練
日の 間、 米
女性 初 の 決意 表 明
全 自 父 瀧 口 理 事﹁ 返 還 実 現 ま で 署 名 活 動 を 継 続 ﹂
安倍総理 ﹁ 政 府 と 国 民 が 一 丸 と な っ て 取 り 組 む ﹂
東京都新宿区
市 谷 本 村町 5 − 1
兵隊 員と共 に敵に 奪わ れた離 島を
47
10
所
行
発
奪還 する実 戦的な 上陸 訓練を 行い
23
30
公益社団法人
全国自衛隊父兄会
〒162-0845
70
27
自 衛 隊 員約 百 人 が参 加
2 月9日 から 2月
国、 タイ王 国、 シンガ ポ
ール 、イン ドネ シア、 韓
国、 マレー シア 、中国 及
びイ ン ドな どが 参 加し て 、
タイ 王国 で実 施さ れた
﹂ に内 部部 局 、
﹁多 国 間共 同訓 練 コブ ラ ・
ゴー ルド
情報 本部、 統合 幕僚監 部
や陸 海空自 衛隊 から約 1
00 人が参 加し ました 。
本 訓練は 、大 地震の 発
生に より治 安が 悪化し 、
現地 の邦人 など に危険 が
差し 迫った ため 、安全 な
場所 に移動 させ るとい う
想定 で行わ れ、 在外邦 人
等の 在外公 館か らの引 継
16
15
70
な りまし た。
28
17
署 名 活 動 に つ い て 決 意 表 明 す る瀧 口 明 美 全 自 父 理 事
15
21
題字・依田名誉会長書
まし た。
52
30
11
11
12
(TEL)03-5227-2468
(FAX)03-5227-2473
22
20
ぎか ら、航 空機 による 退
訓 練 で 自 衛 隊 機 (C − 13 0 H ) に 乗 り 込 む 現 地 邦 人
平成27年北方領土返還要求全国大会
15
(昭和58年8月5日第三種郵便物認可)
第411号
毎月1回15日発行
と
ば
や
お
平成27年(2015年)3月15日
(1)
これまでの 憲法解釈の 範囲
月 号で、﹁これ までの
が緩和される
昨年
るこ とは 言う まで もあ りませ ん 。
るイス ラム教国家のヨルダンは 、 される範 囲の活動に 留まってい
おりました。 今後は、﹁ 現に戦
﹁地域﹂の解 釈が議論を 呼んで
﹁駆 け付け警護﹂ や﹁任務遂 行
ず﹁PK O協力法﹂については 、
限定しな いことから、 ﹁周辺事
そして 支援地域も日 本周辺に
の平和と安定 へ貢献する ため、
国の防衛﹂と ともに、国 際社会
自衛隊の主 任務である ﹁我が
直 ちに報復処置 としてISI L
態法﹂と いう名称その ものも改
具体的 には、憲法 9条第1項
闘行為を行っていない地域﹂ と、 のた めの武器使用 ﹂など﹁武 器
が 釈放要求して いた女性死刑 囚
の責任を全う するための ﹁自衛
国際社会の一 員としての 我が国
使用 ﹂のあり方を 検討すると の
これら から、防衛省 設置法を
正すると言われて おります。
の﹁国権 の発動たる 戦争と、武
こと です。国際平 和維持活動 へ
隊の海外活動 ﹂を拡大す ること
流動 的では あり ます が、 ﹁地 域 ﹂
を 処刑したばか りか航空攻撃 を
力による威嚇又は 武力の行使は 、 の範囲を広げ る方向で見 直すと
改 正 し 、 防 衛 省の 所 掌 事 務 に
﹁国際協 力﹂を追加す る方向で
敢 行しました。 同様に、リビ ア
の参 加にあたって の基本方針 で
ある ﹁PKO参加 5原則﹂は 基
も検討しているとの ことですが 、 はないですが 、自衛隊の 任務・
しております。
同様に、﹁ 武力の行使 ﹂に抵
本的 に維持します が、武器使 用
国際紛争 を解決する 手段として
は、永久 にこれを放 棄する﹂と
触するとの観 点から正当 防衛な
役割 そし て権 限 の拡 大と と もに 、
自体について はいささか の疑問
の条文に 照らして合 憲か否かの
総じて、 自衛隊の海外 活動の任
で 人質を殺害さ れたエジプト も
航空 攻撃を実施しました。
このように中 東以外、フラ ン
の変 更に伴う修正 はあり得る よ
解釈です。
容していなか った﹁武器 使用﹂
こ れによって、 これまで不 可
ど極めて限定 的な範囲で しか許
この条 文によって 、我が国は
についても、 離隔した場 所に所
能で あった﹁住民 保護などの 治
ス やデンマーク など欧州列国 で
も 発生し続けて いるテロのよ う
戦後、い わゆる﹁海 外派兵﹂を
在している他 国軍や民間 人が危
安維 持﹂、つまり PKF任務 も
相応のリスク が増大する ことも
な 国際社会の脅 威の顕在化に 加
禁止して ﹁専守防衛 ﹂に徹する
険にさらされ た時に武器 を使っ
法制上 は可能となります。
ので、与 党内の調整を はじめ、
いつ、どこ に、いかな る任務
務や活動 地域の拡大、 中でも武
え 、ウ クラ イナ問 題や 中国 の南 ・
とともに 、防衛出動 以外の﹁武
て助けること ができる﹁ 駆け付
次 に、国際社会 の平和と安 定
国会審議 段階で修正さ れること
のために自衛 隊が海外に 派遣さ
うです 。
東 シナ海におけ る活発な活動 な
力の行使 ﹂を禁止、 さらには国
け警護﹂を認 め、さらに これま
のた めに、これま でテロ対策 や
も考えら れますが、こ のような
また事実であろうと考えます 。
ど 、我が国の平 和と安全、そ し
連憲章で も認められ ている﹁自
で禁止してき た﹁任務遂 行のた
イラ ク復興支援時 など、その 都
器使用権 限が大幅に拡 大される
て 国民の生命・ 財産の確保に 直
衛権﹂に ついて、特 に﹁集団的
めの武器使用 ﹂、中でも 人質事
遣され た指
動きは 、派
そのための人 材育成・教 育訓練
する とは 言え 、 陸海 空自 衛 隊は 、
れるかは、時 の政府が総 合判断
やケアを
揮官が 遠慮
然として 様々な意見が あります
憲法解 釈などを巡っ ては、依
ようです。
接 重大な影響を 及ぼす内外の 情
自衛権﹂ については ﹁権利はあ
隊員の負担 に応ずる処 遇改善
勢 がにわかに混 迷を深めつつ あ
りま す。
我が 国は 、
自衛隊の海外 活動﹂を総 括致し
ました。少し 間が開いて しまい
米 国を はじ め
などの諸準備 や即応態勢 維持に
この度の海 賊対処多国 籍部隊
気味に 本音
器使用﹂ の問題が一挙 に解決さ
指揮官に海上 自衛官が派 遣され
向けてこれま で以上に努 力する
度時 限立法として 制定した﹁ 特
れるなど 、﹁現場﹂サ イドから
るように、先 進国並の﹁ 要員派
を披露 して
件以降話題に なっている ﹁邦人
別措 置法﹂を﹁恒 久法﹂とし て
歓迎され ていることは 間違いな
任務・活動地域・武器使用など拡大の方向
﹁ 自衛隊 の海外 活動 ﹂の展 望
ましたが、今 回は、﹁自 衛隊の
国 際社 会と 連
携 しつ つ、 こ
海外活動の展 望﹂につい て総括
したいと思います。
れども行 使せず﹂の ような奇妙
救出﹂のため の﹁武器使 用﹂な
制定 し、PKO参 加5原則の よ
必要があるでしょう。
処 のため、これ まで以上に相 応
な解釈の まま今日に 至っており
どについて、 様々な条件 を加味
くれた ﹁武
派過激組織I SIL︵通 称﹁イ
の 役割を果たす ことが求めら れ
ます。
れ らの 事態 対
スラム国﹂︶ などが引き 起こす
て来 ることでしょう。
さて昨今、 イスラム教 スンニ
残忍なテロが 国際社会を 震撼さ
ますが、改め て、このよ うなリ
スクを伴う自 衛隊の負荷 や隊員
澤 元 陸 上 幕 僚 長が 指 摘 さ れ た
さらに 将来、本紙1 月号で冨
私たち父兄 会が現在推 進して
えます。
を含めたケア を実行すべ きと考
衛隊員の更な る処遇改善 や家族
の負担を考慮 して、政府 は、自
﹁集団安 全保障措置﹂ の容認、
いる﹁家族支 援﹂もその 一環と
将来は列国並み の可能性も
遣﹂を増加す るとの動き もあり
そのよ うな中、話 題になった
限定 的行使容認に よって﹁周 辺
いと思われます。
昨年7月 の閣議決定 は、﹁集団
﹁PKO協力法﹂の改定 や
うに 、﹁派遣基準 ﹂を策定す る
このような情 勢を踏まえ、 将
的自衛権 行使﹂の解 釈変更、武
しつつ緩和し ようとして おりま
来 の﹁自衛隊の 海外活動﹂は こ
力攻撃に 至らない﹁ グレーゾー
せております。
れ までとは何が 変わり、また 何
ようで す。
2人 の日本 人人質 も
が 変わらないの かを考えてみ た
事態 法﹂なども改 正されよう と
す。
殺害さ れ、﹁ 許せな い
﹁恒久法﹂の制定
ま ず、これまで 日本周辺で の
そして本 格的な議論が 開始され
層の貢献 ﹂について も大きな一
備に向けて与 党内調整の 段階で
な隊員家族の ケアの﹁隙 間を埋
して、政府や 自衛隊が実 施困難
してい ます。
この閣議決 定に基づき 、2月
ようとし ている﹁憲法 ﹂そのも
さ らに、﹁集団 的自衛権﹂ の
蛮行﹂ として 日本中 に
ン事態﹂ への切れ目 のない対処
に加え、 安部政権が 推し進める
いと 思います。
﹁自衛隊の海 外活動﹂は、 こ
﹁積極的 平和主義﹂ に基づき、
衝撃が走りました。
事件 後、安 倍首相 の
年間 で大き く変 化し ました 。
米国 支援に限定さ れていたも の
自 衛隊も様々な 経験を重ね、 そ
のの改正 によって、我 が国が国
の
を、 米国以外の諸 外国軍も支 援
の 度に国際社会 から高い評価 を
際社会の 一員として列 国並みの
﹁罪を 償わせ る﹂と の
日現在、 今通常国会で の法整
強い口 調によ る談話 が
対象 にするととも に、支援内 容
﹁国際社 会の平和と 安定への一
日本の 首相に しては 異
もこ れまで集団的 自衛権に抵 触
める﹂活動でもあります。
あり、その全 容は明らか になっ
責任を全 うする体制が 確立する
予見される ﹁自衛隊の 海外活
ていませんが 、報道によ ると、
まず、 これまで多 国籍軍など
す ると され てきた ﹁弾 薬の 提供 ﹂
ようなこ とがあれば、 ﹁自衛隊
歩を踏み出しま した。
﹁自 衛隊海 外派 遣法 制﹂ ︵仮 称 ︶
や﹁ 発進準備中の 航空機に対 す
受 けるなど、ま さに﹁若葉マ ー
の﹁後方 支援﹂につ いては﹁武
は次のような 骨格になっ ている
例の表 現であ ると話 題
段で 紹介したとおりです。
になりまし たが、当然 、 ク が外れた﹂状 態にあるのは 前
具体的 な行動 はあり ま
力の行使 ﹂には当た らないとし
動﹂の将来の 変化を考え 、﹁家
しかしながら、これまでの
せんでした。
の海外活 動﹂は現状と 様変わり
て、﹁後 方地域﹂や ﹁非戦闘地
っております。
る給 油及び整備﹂ も可能とな る
﹁ 自衛隊の海外 活動﹂は、あ く
代には盗掘がされていました。
◇
ようです。
これ に対し て、﹁ 目
後円部に露出していた石棺は既
族支援﹂につ いての更な るご理
状や、円筒形の埴輪︵はにわ︶
に破られていたと記録されてい
する可能性もあり ます。
域﹂に限 り認めてい ましたが、
近くの親しまれた地名をとって
それによると、造営された時
の様式を調べて考えるのです。
ようで す。
ま で我が国の憲 法の解釈上、 許
の祭祀も行われているので考古
後世の人々は、そこに葬られ
﹁岩 戸山古 墳﹂と されて います 。
少しわかり にくいです が、ま
には目 を﹂を 教えと す
学的な調査が入っていません。
さて、﹁回 想
◇
自衛隊 の海外
◇
解とご支援を いただきた いと願
陵が最大︶。墳丘の 全長480
学問的にはここに葬られた方が
き ま せ ん で し た 。 その 代 わ り に 、 ﹁ 大 山 古 墳 ﹂ 、 そ し て ﹁ 田 出 井
短甲︵たんこう・鎧︶やガラス
式の石室が見つかり、そこから
72︶に発掘調査があり、竪穴
また明治初めの混乱期︵18
でお届け致し ます。どう ぞご期
﹁災害派遣﹂ についてシ リーズ
し 、4 月 号 か ら は 、 自 衛 隊 の
活動﹂は今月 号でひとま ず終了
山︵たでいやま︶古墳﹂という
製の椀や皿が発見されました。
代順では、最古のものは﹁上石
順が確定しています。宮内庁の
ているのは誰かということにつ
親しまれている地名などをつけ
指定では、それぞれ﹁履中︵り
仁徳天皇であるとは確定できま
て、それぞれの古墳に名前を付
ます。
㍍、前方部の幅30 5㍍、後円
㍍﹂
部の長径245㍍、 後円部の高
さ約
を表して﹁現仁徳天皇陵﹂など
けてきました。
津 ミ サ ンザ イ 遺 跡 ﹂ 、続 い て
と表現しているのです。学界で
いて、伝説的な言い伝えをして
は普通、﹁大仙古墳﹂、﹁大山
せん。
平成の教科書では 、﹁空から
禁止したのは戦後、占領下
や事故や政治の大きな動き
その日は日本国内で事件
います。
もあり、私がニュースデス
こ れ ら は 基 本中 の 基 本 で 、 に お け る 統 制 で し た 。 そ う
﹁ およそ﹂に言 い換えます 。
クをしていてもとてもニュ
いう意味で、メディアでは
アナウンサーは例え原稿に
ていると言ってもいいのか
ースのラインナップに外信
そ の よ う に 書 いて な く て も 、 今 な お 占 領 政 策 が 継 続 さ れ
その場で全て言い換えてい
もしれません。
て聞き取りにくいかな?﹂
語です。直接、身体的なこ
うのは﹁差別﹂に関する用
そのほか、最も神経を使
どうしても外国の事案は後
優先順位を決めていくと、
めて限られていますので、
りませんでした。時間は極
モノを入れられる余裕はあ
このような﹁え?それっ
るのです。
という程度の単語でさえ使
ても﹁片手落ちだ﹂などと
用 さ れ な い く らい で す か ら 、 と を 言 っ て い る も の で な く
スラム国﹂という表
国﹂﹁過激派組織イ
﹁メディアではいつまでも
確認されていないの
ます。歴史的事実が
いるほうが気になり
を皮切りに﹂も使用さ
インドタッチ﹂や﹁∼
問です。最近は﹁ブラ
んでいるかどうかは疑
ことをそれほど強く望
﹁理髪店﹂と呼ばれる
皆さんが﹁青果店﹂や
いませんが、当事者の
とされていますので使
則として不適切ワード
﹁八百屋﹂﹁床屋﹂も原
れていること、世の中の全
側のニーズを考えて構成さ
ではないのですが、受け手
の情報価値からすれば適切
優先されるのは確かに本来
が海外の大きな動きよりも
めるために国内の交通事故
数分内にニュースをまと
うのが正直なところです。
て、全て伝えられないとい
や紛争が頻繁に発生してい
それと、諸外国では暴動
﹁あいしる﹂などという名
前回はいわゆる﹁イスラ
現をして、国と認め
イスラム国と呼んでいる﹂
ですから、﹁いわゆ
放送業界には﹁聞
てがそこで報じられている
回しになってしまいます。
ム国﹂事案を受けて日本の
ているわけではない
﹁肩を持っているんじゃな
る 従軍 慰安婦 ﹂か
き取りにくい﹂カテ
れなくなっているよう
言うのもアウトです。
テロ対策について書きまし
ことを示していまし
いか﹂といった批判の声が
﹁慰安婦﹂とするべ
私はこの動きをちょっと
ゴリーに加え、﹁不
です。
称を、しかも急に使い出す
かしくはありません 。
ことに二の足を踏んでもお
そもそも各局は、
たが、そんな中、自民党で
たので⋮。
﹁いわゆるイスラム
は﹁イスラム国﹂の呼称を
むしろ、いまだに
﹁ISIL︵アイシル︶﹂
か﹁いわゆるイスラム国﹂
﹁従軍慰安婦﹂と平
あがったようで、呼び方を
す る と ネッ ト 上 な ど で は 、 気 で 言 っ て い る 人 が
にする と申し合わせ ました 。
改めるよう抗議もなされた
冷めて 目で眺めてい ました 。
適切﹂に相当する言
きでしょう。
というのは、私自身、放送
ようです。
局でニュースを書く仕事も
して、 ﹁台湾政府 ﹂
引き起こしかねないと
国や宗教上の問題を
思います。
頂くことをお勧めしたいと
ニュース番組と付き合って
わけではないという前提で
︵さ くらばや し みさ︶
桜林 美佐
︹執筆者プロフィール︺
︵中国が認めていない
ため︶や ﹁∼のメッカ ﹂
などもあります。
また、﹁将棋倒し﹂
は将棋連盟からの申し
東京生 まれ。 日本大学 芸術
してテレ ビ番組制 作に携わ っ
学部卒。 ディレ クター などと
入れにより、﹁折り重
なるように倒れる﹂と
著書に﹁ 奇跡の 船﹃宗谷 ﹄﹂
た後 、 防 衛ジ ャ ー ナリ ス ト に 。
いう表現 になりました 。
以上の、ちょっと神
経質すぎるのではないかと
葉も決められていま
海部隊﹂ ﹁誰も 語らなか った
﹁海を ひらく、 知られざ る掃
﹁終わ らないラ ブレター
祖
はダメで﹁太平洋戦争﹂と
例えば、﹁大東亜戦争﹂
観て、﹁チベットでも暴動
以前、知人がニュースを
クス︶ 、﹁ 武 器輸 出 だけ で
小さな自 衛隊員﹂ ︵ワニ ブッ
す。といっても、法律など
いうルールの下でテレビも
しているため、局としての
で定められているわけでは
ラジオも放送されているの
考え方も想像できるからで
なく、あくまでも自主規制
です。さらにニュースには
の戦争体 験﹄﹂ ︵PH P研究
父母たち が語る﹃ もうひ とつ
めに実際、様々な新聞・雑
呼ぶとか、﹁支那事変﹂も
が起きているのに報じてな
す。
放送において最も優先さ
としてガイダンスが作られ
防衛産業﹂︵並木書房︶、
れるのはとにかく﹁聞き取
ています。
﹁時間﹂という大きな制約
りやすいこと﹂で、そのた
誌など紙面媒体との違いが
﹁日中戦争﹂と言いなさい
い!中国への配慮からでは
自衛隊 の東日本 大震
例えば、ニュースの中で
といった具合です。言うま
ないか?﹂と怒っていたこ
星にな った
ると いう 状況に なっ ていま
体化 し、し いて は自 衛隊の
我が 国も﹁ 開国 ﹂し なけれ
本質 を踏ま えた 上で すが、
木 書 房 ︶ など 多 数 。
﹁自 衛 隊 と防 衛 産 業﹂ ︵並
は防衛 産業 は守 れない ﹂
りがとう 金剛丸
災﹂︵ 産経新聞 出版︶ 、﹁あ
かった
は﹁首相﹂とは言わずに
でもなく、当時、閣議決定
とがあったのですが、実際
所︶﹁ 日本に自 衛隊がい てよ
﹁総理﹂と言い、当然﹁首
された正式な名称は﹁大東
にはそんな意図はないと思
があります。
相官邸 ﹂も﹁総理大 臣官邸 ﹂
亜戦争﹂で、この呼び方を
﹁例 外﹂ に問題 意識 を持っ
す。
任務 遂行に も禍 根を 残すこ
あります。
です。﹁約﹂という言葉は
てい ました 。﹁慎 む﹂は
りで す。 新三原 則は 国際社
とに なりま す。 新三 原則は
︵﹁おやばと﹂編集委員 ︶
﹁等 ﹂で ありま すが 、実質
会に おけ る我が 国の 信頼を
そしてアメリカのボストン美術
そ の後 、1 976 年に 三
禁輸 原則 として 運用 されて
高め る一 つの契 機に なり得
ちゅう︶天皇陵﹂、﹁仁徳天皇
木内 閣が 、そ れ以外 の国 に
来ま した 。やは り国 家の政
埼玉県の稲荷山古墳︵いなり
そこで学界では宮内庁に敬意
見た大仙陵古墳︵現 、仁徳天皇
古墳﹂、﹁大仙陵古墳﹂などと
も輸 出を ﹁慎 む﹂こ とを 政
策運 営上 問題で はな いでし
応神天皇陵︶
万もの古墳があ
荒木
古墳についてはずっと大山︵だ
全自父理 事
肇
堺 市の ﹁前 方 後円 墳 ﹂は 仁徳 天 皇陵 か?
全国には約
輸国を定めまし た。
府統 一見 解と しまし た。 こ
館には、仁徳天皇陵から出土し
一昨年 暮れ から昨 年に か
の﹁ 慎む ﹂は 法的拘 束力 が
この 面でも 契機 にな り得る
陵﹂そして﹁反正︵はんぜい︶
け て、安 保戦 略の策 定等 我
るのではないでしょ うか。
やまこふん︶、東京都港区芝に
明治の初めには、興福寺の五
が 国の安 全保 障政策 に大 き
ょう か。 ﹁例外 ﹂も 同様で
一 方、 旧三原 則等 により
ついてはいるものの、本文では、 呼んでいます。
重塔が売りに出されたり、全国
ない もの の、 事後現 実的 に
す。 物事 に例外 を積 み重ね
防衛 装備 品は所 謂﹁ 鎖国﹂
防衛装備移転三原則について
のではないでしょうか 。
ま た、防 衛省 は、 安保戦
略、 新大綱 に基 づき 、そし
まと
て新 三原則 に連 動し て、防
衛生 産・技 術基 盤戦 略を纏
この三 原則 は従来 の武 器
たいと思いま す。
い て、若 干私 見を述 べて み
た。 しか し実 情に沿 わな い
諸器 材ま で武 器とさ れま し
れ、 人道 支援 に活用 され る
極め て抑 制的 な解釈 がな さ
定義 にお いて も実態 とし て
見る と、 大量破 壊兵 器、テ
ま た、 現下の 国際 環境を
来ないと思います 。
部分 で信 頼を得 るこ とは出
これ では 諸外国 から 本音の
な いが しろ にす るも の です 。
いう 国家 の政策 運営 意思を
り国 際共 同開発 の傾 向にあ
の高 度化 、経費 の高 騰によ
近 年主 要装備 品は 、技術
基盤は脆弱化しまし た。
力の 基盤 である 生産 ・技術
の悪 化も あり、 我が 国防衛
状態 であ り続け 、財 政状況
一員 として は、 政策 の変化
り、 自衛隊 を支 える 組織の
事し ている 隊員 の方 々もお
い ずれに して も父 兄会員
込ん で頂 き たい と思 いま す 。
強化 の為、 戦略 に魂 を吹き
めま した。 是非 、基 盤維持
輸 出三原 則に 代わる もの で
状況 等も 生起 し、官 房長 官
龍夫
す 。正確 に言 うと武 器輸 出
談話 の形 で﹁ 例外﹂ 規定 を
全 自父 運 営 委員 山川
三 原則﹁ 等﹂ に代わ るも の
国際 社会 が協力 して 対処す
ロな どの 脅威に 対し て益々
国防 衛力 の維持 強化 という
りま す。 勿論の こと 、我が
ことではないでしょう か。
に関 心を持 つこ とも 大切な
のご 子息に は関 連業 務に従
で す。武 器輸 出三原 則は 1
筆 者は、 この﹁ 慎む ﹂
設けて来ました 。
し 、共産 圏な ど三形 態の 禁
9 67年 に佐 藤内閣 が表 明
た 。今回 はこ の三原 則に つ
ば生 産・技 術基 盤は 益々弱
ところが、
の城郭が薪にされたりといった
な 重要な 変化 が見ら れま し
は全 面禁 輸と して運 用さ れ
て処 置す ること は、 原則と
は大山古墳=仁徳天皇陵とはで
きないわけです。
盗掘品がボストン美術館に
実は大山古墳はすでに江戸時
防 衛装 備品に つい ても然
文書史料であ
た 。この 中で 、マス コミ の
て来 まし た。 また、 武器 の
た鏡や環頭太刀とされる遺品が
︵712年︶ 、 混乱期でした。誰かが外国人に
る﹁古事記﹂
売ってしまったのでしょうか。
取 り上げ 方が 他と比 較し 小
そして、この堺市にある巨大
などととも
︵ 7 2 0年 ︶ 、 法 令 集で あ る
さ かった もの の、や はり 重
我が国の古墳の呼び方
に5世紀の
﹁延喜式﹂︵927年︶による
要 なもの に防 衛装備 移転 三
田 御廟山 ︵こん だごび ょうや ま ︶
民の竃︵かまど︶から立ち上
ヤマト政権
いせん︶と呼んできました。山
と、各墳墓の造営順が違ってい
さらに中学校の教 科書になる
百舌︵もず︶古墳群の中心的
した。
世界最大級の
る炊飯の煙の少なさをご覧にな
の盟主、すなわち大 王︵おおき
ります。その中には横穴墓︵お
の代わりに仙を使うこともあっ
ます。仁徳、反正、履中の順で
古墳︵現、
って、減税を行った仁愛深い仁
み︶の墓と考えられ る﹂としか
うけつぼ︶と言って墳丘を持た
たのです。仁徳陵に指定されて
﹁大仙︵だいせん︶古墳﹂
徳天皇。その陵︵みささぎ︶は
書かれず、仁徳天皇 の御陵とは
ないものもあるのですが、学問
造ら れたと 書かれ ている のです 。
な存在で、わが国最大規模の前
その一つである 福岡県八女市
他の陵墓も確定できない
きみ・いわい︶の 墓として確定
代わりにどんな手段を使うので
﹁日本書紀﹂
大阪府堺市にあるとされてきま
明記していません。
いると言っても科学的な調査を
これでは﹁皇統譜﹂の順番と
と、﹁大仙︵仁徳陵 ︶古墳︵大
日本最大の古墳であ る﹂と仁徳
にある前方後円墳 は、6世紀の
かになっているのは、わずか
方後円墳です。昭和時代の高校
阪府堺市︶全長約468㍍あり、 基くらいに過ぎません。
天皇陵はカッコ書き には入るも
前半に大和政権と 大きな戦争を
そうなったわけは 、この古墳
しています。しか し、この墳墓
しょうか。それは古墳全体の形
大阪府堺市の
のの、大仙、または 大山と表記
起こした筑紫君磐 井︵つくしの
ちでも、面積の最大のも
を宮内庁が﹁仁徳天 皇陵﹂とし
を ﹁磐井古 墳﹂と は言 いませ ん 。
では、考古学者は発掘調査の
のとして有名である︵盛
て管理しているから です。皇室
﹁仁徳天皇陵
いわゆる百舌古墳群の中
されることもありま す。
20
にあり、前方後円墳のう
に説明されています。
教科書の航空写真には次のよう
15
り土の体積では応神天皇
原 則の閣 議決 定があ りま し
的な証拠によって被葬者が明ら
していないので、余分な先入観
収蔵されているそうです。
4 8
考古学的な研究の成果が食い違
天皇陵﹂となっている古墳群で
美佐の
を与えないために教科書では大
す。
待ください。
陵︶﹂と写真にキャ プションが
大 仙古 墳全 景(大 阪府 堺市 )
ニュースの裏側!?
第 30回
ってしまい、そこで考古学的に
ある丸山古墳など皆そうです。
―
24
﹁第2位の規模を持 つ大阪府誉
―
20
表現が後退した平成の教科書
35
―
12
山古墳の名称を使うのです。
自衛 隊 の海 外活 動[総括 ]( 後 段)
第 11 回
(2)
(昭和58年8月5日第三種郵便物認可)
第411号
毎月1回15日発行
と
ば
や
お
平成27年(2015年)3月15日