ふるさと鞍居 文化財散策マップ(PDF形式

ふるさと鞍居 文化財散策マップ
〈上郡町教育委員会〉
☆ はじめに ☆
鞍居地区は、鞍居神社や富満寺万勝院などの古社寺がのこり、東の山越しに三濃山求福教
寺とつながるなど、多くの石造物を含めて古くからの信仰に由来する文化財がのこります。
ほかにも太古の自然が造形した碁石山、国史跡・白旗城跡や明治の治水記念碑などが、地
域の歴史を物語ります。
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だい
じょう
しゃ
1.大 重 社 ◆ ✪ から南西約 3.9km ◆
そうじり
惣 尻 の山裾に高さ約 3mの巨岩がのこり、周りで出土した石器をご神体に社が祀られています。小
字名の「大将軍」は牛頭天王眷属の八将神に由来し、岩の上に五輪塔の一部が置かれていることな
どから、古くから磐坐(いわくら)などの信仰の場であったとおもわれます。
巨岩「大重さん」
白水寺の加持水
2.白 水 寺 ◆ ✪ から南西約 3.3km ◆
奈良時代の僧・行基が開いた寺と伝えられ、弘法大師伝説に因む池・加持水がのこります。和泉式
部幽居の伝説から、旧寺名を「和泉寺」と称していたのを白水寺に改めたともいわれています。
3.白 旗 城 跡 ◆ ✪ から西約 2.9km ◆ 【国指定史跡】
建武 3 年(1336)、赤松円心が築いた山城で、
平成 8 年(1996)に国の史跡に指定されていま
す。南側・野桑の谷筋には、「侍屋敷」など、
くる わ
石積を配した多くの曲輪がのこります。
白旗城跡遠望(南東・野桑から)
白旗城内「侍屋敷」伝承地
※ 井戸か園池跡らしき石組(右)と
庭園跡らしき立石群(左奥)
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4.野桑の五輪塔 ◆ ✪ から西約 2.9km ◆
野桑からの白旗城登山道途中には、赤松一族の墓
と伝えられる五輪塔が置かれています。
「水輪」と呼ばれる五輪塔の中央部分を3基分
重ね、その上に「火輪」と「空輪」の一部を置
いて、元は3基以上あった五輪塔を合体させて
います。
野桑の五輪塔
5.国玉神社の石造物 ◆ ✪ から北西約 2.0km ◆
神社参道脇に、五輪塔などの石塔や地蔵など、
多くの石仏が祀られています。
中央には明和 2 年(1765)、「南無大師遍照金剛」
の百万遍読誦を記念して造立された弘法大師供
養塔が置かれています。
弘法大師供養塔(中央)
6.富満寺万勝院 ◆ ✪ から北約 3.7km ◆
ぎょうき
奈良時代の僧・行基が開いた寺と伝
えられ、かつては山上に多くの坊院
が営まれていました。現在は万勝院
のみがのこり、
「ボタン寺」として春
には多くの人々でにぎわいます。本
堂周辺の叢林は、兵庫県の環境緑地
保全地域に指定されています。
万勝院本堂(右)と開山堂
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7.治 水 記 念 碑 ◆ ✪ から北東約 350m ◆
明治 23・25 年(1890・92)の鞍居川の洪水による被害を受け、5 年に及んだ堤防の復旧を記念して明
治 28 年(1895)に建てられました。
治水記念碑(知尾井)
旌 徳 碑(上 川)
しょう と く ひ
8.中田不卜翁・金田暁山翁 旌 徳碑 ◆ ✪ から北東約 1.8km ◆
多くのため池を築き、鞍居村を干ばつから救った初代村長・中田九兵衛、三代村長・金田喜平治の
両名を顕彰し、明治 43 年(1910)に建てられました。
9.鞍 居 神 社 ◆ ✪ から北東約 3.2km ◆
平安時代の『延喜式』に記される「式
内社」と呼ばれる古社と伝えられます。
神社裏の叢林は、兵庫県の環境緑地保
全地域に指定されています。
鞍 居 神 社
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10.碁石山の三日月礫層 ◆ ✪ から北東 3.2km ◆
富満の南東尾根上にある碁石山は、約 2,000~1,500 万年前の河川の堆積作用で形成された「三日
月礫層」が分布しています。大小の川原石が散布し、碁石のようにみえることから、山名の由来と
なっています。
白旗山からみた碁石山とSPring-8
11.国光の大塔さん
✪ から北東約 3.3km ◆
集落裏に五輪塔など9基の中世石造物が祀られています。中央の宝篋印塔は「オオトウさん」と呼
ばれ、室町時代前期の作とおもわれます。
「オオトウさん」(五輪塔群の中央)
本金出地の宝篋印塔
12.本金出地の宝篋印塔 ◆ ✪ から北東約 3.3km ◆
三濃山への登山道の右に見える墓地裏の山林内に置かれています。南北朝~室町時代の頃の作とみ
られ、塚の上にほぼ完形でのこっています。山岳寺院の地・三濃山との関わりが指摘されます。
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13.三濃山求福教寺 ※相生市矢野町 ◆ ✪ から東約 4.4km ◆
平安時代の創建と伝えられる山岳寺院です。観音堂・山王社・弁天社などがのこり、山頂からの瀬
戸内海方面への眺望も良好です。山頂には経塚とも塔跡ともいわれる集石遺構がのこされています。
金出地との関わりが深く、かつては谷ごとに参道が通じていました。
観音堂(右)と弁天社
三濃山頂の集石遺構
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