春はセンバツから 見出しは時代とともに

春はセンバツから
■新編集講座 ウェブ版
見出しは時代とともに
第24号
2015/3/15
毎日新聞大阪本社 代表室長(元編集制作センター室長)
三宅
直人
選抜高校野球大会 (毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞
(
左
)
①
9
5
/
3
/
2
5
社後援、阪神甲子園球場特別協力) が 2 1日に開幕します。「春はセン
バツから」 と言われるように、この大会とともに関西は春本番を迎えます。
開幕の日にどんな紙面を作り、どんな見出しを付けてきたのか。甲子園の
地元である大阪本社発行紙面(1 面)の過去 20 年を振り返りました。
夕
刊
■ 阪神大震災、復興へのエール
ちょうど 20 年前の 1995 年のセンバツは、1 月 17 日に発生した阪神
大震災の直後に行われました。甲子園の地元兵庫県が大きな被害を受け、
(上)②96/3/26 夕刊 (下)③97/3/26 夕刊
大会は中止論も出たのです。
紆余(うよ)曲折の末に開催が決まった大会は、『復興センバツ』の
見出しとともに開幕しました =右図①。地元兵庫県勢が3校出場したこ
ともあり、球児の活躍が見る人の心を打ちました。
この流れを受け、翌 96 年が『希望の春
翌々年の 97 年が『新生の春
センバツ開幕』=右図②=、
センバツ開幕』=右図③=と、いずれも、
復興へ歩む神戸や西宮の街に激励を送る見出しになりました。
(上)④98/3/25 夕刊
(左)⑤99/3/25 夕刊
■ 21 世紀、理念を前面に
(上)⑥00/3/25 夕刊
98 年、センバツは 70 回記念大会を迎え、選手宣誓が手話付きで行わ
(左)⑦01/3/26 朝刊=
れたり、高校生が司会をしたり、新たな工夫が盛り込まれました。1 面
日曜開幕、夕刊なし
の見出し『君が主役』=右図④=は、そんな事情を表現しています。
99 年は、開幕が NATO 軍のユーゴ空爆と重なり、1面のセンバツは
例年より地味な扱い。見出しは『春集うセンバツ開幕』でした=右図⑤。
翌 2000 年。20 世紀最後のため『2000 年センバツ』とうたいました
=右図⑥。続く
2001 年は新世紀。21 世紀枠の創設を受け、
『勝敗よりも
(上)⑧
大切なこと』と、センバツの理念を前面に出しています=右図⑦。
2002 年は「春」
「球児」
「夢舞台」と何でもあり=右図⑧。2003 年は、
米英軍のイラク空爆と重なり、
「平和」を見出しにしました=右図⑨。
右は、私がデスクの時代、
2002 年 3 月 27 日の夕刊に
書いたコラム「憂楽帳」です。
センバツを取り上げているの
で転載しました。新天地へと
向かう方に贈る言葉です。
02/3/25 夕刊
(㊨)⑨03/3/22 夕刊
■ 行進曲で迎える開幕
(左)⑩04/3/23 夕刊
理念を前面に出す見出しが硬い印象を与えたせいか、2004 年からは
(下)⑪05/3/23 夕刊
トーンが変わります。開会式の行進曲を見出しに取り、柔らかい感じ
になりました。
2004 年は『輝け
オンリーワンの春』=右図⑩。言うまでもなく、
(右)⑫
行進曲である SMAP「世界に一つだけの花」から取りました。
06/3/23 夕刊
続く 2005 年は折衷型というべきか。
「戦後 60 年」や「震災 10 年」
を押さえつつ、メーンは『一人一人がスター』=右図⑪。これは、やは
(左)⑬
り入場行進曲のサザン「君こそスターだ」にちなみました。
07/3/23 夕刊
そして 2006 年は、修二と彰「青春アミーゴ」が行進曲に選ばれた
ので、見出しも『青春満開』に =右図⑫。ただ、今からすれば、『オン
(下)⑭
リーワンの春』以外は、印象が薄れたかもしれません。
08/3/22 夕刊
■ 見出しにニュース性
見出しの基調が 2007 年から再び変わります。ニュース性が出てき
(上)⑮09/3/21 夕刊
ました。
2007 年の開幕見出しは、
『平成球児だけの春』=右図⑬。出場選手が
(下、右)⑯10/3/22 朝刊 =日曜開幕
全員平成生まれになったことを伝えました。
「へー」とは思います。
2008 年は、『仰ぐ銀傘
センバツ傘寿』=右図⑭。80 回の記念大会
■ 主見出しに欲しい「センバツ」
を迎えた(傘寿)ことと、甲子園球場の第1期改修が終了し、銀傘の
上図の「My Best」のように、横に添える小さ
ある内野部分が新しくなったことを伝え、傘寿と銀傘を掛け言葉にし
な見出しに「センバツ」と入れると、メーン見出
ています。考え落ちと言うか、見出しの切れは今一つです。
しに使える文字数が増えます。でも、前ペー
2009 年は球場改修が完成したことを「新生甲子園」とうたう一方、
ジの「希望の春、センバツ開幕」のように、主
入場行進曲「キセキ」にちなみ、32 校を『輝石』と表現しました=右
見出しに「センバツ」を入れてこそ、力強く、心
図⑮。まあ、だじゃれです。
に残る表現が生まれます。短い言葉に思いを
凝縮できてこそ、編集者として一人前です。
■ 被災地への祈り再び
だじゃれから離れ、2010 年は行進曲に戻りました。
「My Best of My
Life」にちなみ、
『My Best(花)咲く時』と決め、
「初の沖縄 2 校」
というニュース要素も盛り込みました=右図⑯。しかしこの路線も、翌
年 3 月 11 日の東日本大震災で一変します。
震災直後に開幕した 2011 年の大会は、
『祈りの春』の見出しと黙と
うの写真を大きく扱い、被災地への祈りを込めました=右図⑰。
翌 12 年も被災地へエールを送る見出しです。
『勇気の春
センバツ
(
下
左
)
⑲
1
3
/
3
/
2
2
(
下
)
⑱
1
2
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3
/
2
1
夕
刊
(
右
)
⑰
1
1
/
3
/
2
3
夕
刊
夕
刊
開幕』と構え、『苦難の先に幸せ、底力、絆を』と、被災地から出場
した石巻工主将の選手宣誓から印象的な言葉を抜き出しました =右図
⑱。13
年も、
『東北へ希望届ける』と被災地への思いを表現しました=
右図⑲。阪神大震災の時と、同じ気持ちです。
昨年は甲子園球場開設 90 年で、見出しは「卒寿」でした=右図⑳。
こうして見ると、センバツ開幕見出しは、単なる野球大会ではなく、
「時代の心」を色濃く反映しているのが分かります。
(右)⑳14/3/22 朝刊=祝日開幕