夜間救急診療所移設について 当院に併設されていた尾道市立夜間救急診療所が門田町に移転してもう少しで一年にな ります。開所後問題なく運営されているとのことで、宮野尾道市医師会長から、医師会の 先生方が「オール尾道」の体制でやっていることが他地区からも「尾道は凄い」と賞賛さ れているとお聞きして一安心しています。ただ移転に際し、また移転後、 「市民病院は救急 医療をやりたくないから夜間救急診療所を手放した」 「市民病院は救急患者は診てくれない ことになった」などと実情と異なる噂が広がっていると仄聞しますので、誤解が無いよう 移転の経緯など記させていただきます。 尾道市立夜間救急診療所は、昭和 51 年に当時東久保町にあった市民病院敷地内に設置さ れたのを嚆矢として、昭和 58 年に病院が現在地に新築移転する際、病院建物内に併設され ました。20 時より翌朝 7 時まで内科、外科、小児科を標榜して一日も欠かさず運営して来 ました。当時の新聞記事を見ると、当直は当初は医師会が週のうち何日か担当するという 方向での議論もあったようですが、翌朝から診療があるのに当直することは無理だという 意見が強く、最終的に病院医師だけで運営することになったようです。やがて市立夜間救 急診療所と市民病院とは別の組織であるのに併設されているためその区別がつかなくなり、 市民病院がやるのが当たり前だという風潮になって行きました。結局病院の常勤、非常勤 の医師で当直医を何とかやりくりして来ました。やがて夜間救急診療所は尾道市に定着し、 市民の皆様からはいつでも市民病院を受診すればなんとかなると思われるようになり、四 六時中一次救急の患者さんが受診される中で救急車を始めとした二次救急患者もすべて受 け入れていたため、特に内科の当直医は夜眠れないのが普通でそのまま翌日も勤務すると いう過酷な状況が常態化して行きました。 大きな転機になったのが平成 16 年に施行された新臨床研修医制度です。それまでは岡山 大学に潤沢に入局する研修医が当院にも十分数派遣され、当直にも入ってくれていました し、大学からの非常勤医の当直も来てもらえて常勤医の過重負担にならない程度に当直は 回せていました。しかし周知のごとく臨床研修制度の改変のため大学への入局は激減、そ の結果当院から大学への医師の引き上げ、研修医の派遣の中止などが行われ、特に内科の 当直をする人間が激減して常勤内科医の疲弊を招き、夜間救急診療所の運営が危殆に瀕す ることになりました。コンビニ受診をやめるよう市民啓発を行うなどの努力も続けてきま したが、次第に袋小路に追い込まれて行きました。平成 20 年、当時の院長が尾道市医師会 長と交渉し尾道市医師会、福山市の松永・沼隈地区医師会、因島医師会の有志の先生が夜 間救急診療所(20 時から 23 時まで)と、病院の休日日直の支援に来ていただけることにな り、一息つける状態となりました。しかしそれで十分とまでは行かず常勤内科医の疲弊感 は続いていました。 短期間という約束で始められた医師会の先生方の支援もそろそろ限界に近づき、当院内 科は救急当直が大変だという噂が広がり、大学から当院に赴任を希望する人が少ないとい う話もあり、大学に引き上げられた内科医の増員もありませんでした。内科医師の負担軽 減のため私まで休日の日直に入らざるを得ない状態になっており、抜本的な対策を立てな いとどうにもならないところまで追い込まれていました。また、本来別の組織である夜間 救急診所を病院から切り離して欲しいという当院医師たちの要望も強く、そういう窮状に 危機感を抱いていただいた市長、副市長そして尾道市医師会の先生方が立ち上がってくだ さり、平成 25 年 4 月より夜間救急診療所問題を解決するため、 「尾道地区救急医療検討委 員会」が立ち上げられました。そして行政、医師会、当院および尾道総合病院、みつぎ総 合病院から委員が出て今後の夜間救急診療所のあり方が討議されました。 会議の結論として当院に併設されている限り当院医師の負担は軽減しないであろうとい うことになり、夜間救急診療所を病院から分離させることとなりました。また他の地域の 夜間救急診療所もオールナイトでやっているところはほとんどないことから、診療時間も 患者が最も多い 20 時から 23 時とすることが決定されました。出務医師をめぐっては喧々 諤々で議論され、委員会では「オール尾道」で行うということが決決定しました。ただ尾 道総合病院の医師は有志のみの参加で、かわりに休日の一次救急は自分の病院で受けると いうことになり、結局診療所は当座は平日のみ開所ということになりました。また小児科 一次救急は医師の確保が難しく、尾道総合病院が県の小児救急医療拠点病院であることか らそちらにお願いすることでご了解いただき解決しました。 平成 25 年 9 月に開催された市民向けの救急のシンポジウムで市長自ら市民へ移設理由が 説明され、紆余曲折はあったものの昨年 4 月より移設し診療開始することが同年 9 月に市 議会で議決されました。そのあと夜間救急診療所の建設が大急ぎで行われ翌年 4 月の開所 となった訳です。 当院の時間外 walk-in 患者は夜間救急診療所開所中の時間帯は明らかに減ったようでそ れなりに移設の効果は出ているようです。ただ市民病院である以上、救急はすべて受ける、 受診した患者はすべて断らずに診るという方針は変えていません。移設した目的はあくま で当院常勤医の負担軽減で、働きやすい病院、働きたい病院になること、そしてそれが医 師確保につながることが目的です。このたびの経緯でありがたかったことは、市長を始め 行政が地域医療を守るため当院を全面支援して下さったこと、そして医師会の先生方がこ の地域での当院の役割と当院医師の窮状をよく理解してくださり全面協力してくださった ことです。出務医師も 70 歳以下の開業医は内科系、外科系と分けて原則全員出務というこ とが決められましたが大きな反対はありませんでした。もちろん当院医師も出務しており 私も時々勤務させていただいております。 崩壊しそうになった地域医療を救うべく行政と医師会が立ち上がり協力して成果を上げ た一つの貴重な例と言えるかもしれません。あとは長期的効果として当院の常勤医師が増 え、この地域の医療が強化されて行くことを祈るのみです。
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