オークション・マーケットデザイン・実験経済学

オークション・マーケットデザイン・実験経済学
計盛英一郎
要約
限られた資源を、最も必要な人、最も能力のある人に効率的に配分することは
経済政策の重要な目的のひとつです。そのためには資源が配分される仕組みを
どのように整備していけばいいかという問題を考える必要があります。この問
題をマーケットデザインと呼びます。市場経済においては資源が配分される仕
組みのなかで最も基本的な仕組みはオークションですから、多くの場合この問
題はオークションをどのように設計すればよいかという問題と関係してきます。
この章ではオークションとマーケットデザイン、そして実験経済学がそこで果
たす役割を具体的に労働市場における研修医の割り当て問題と、2006 年の 8 月
から 9 月にかけてアメリカでおこなわれた高度無線サービス(Advanced
Wireless Service)オークションの例をもちいて説明します。
1. オークションとマーケットデザイン
A. 資源配分問題
人間は1人ではなく社会のなかで他の人々と関わりながら生活しています。経
済学において最も重要で基本的な問題はそのなかでの経済的な取引がどのよう
におこなわれるか、そしてそれをどのようにおこなっていけばよいかという問
題です。
ここで3つの例を考えてみましょう。第1の例は、あなたが古くなったノート
パソコンを誰かに買い取ってもらって、そのお金で新しいパソコンを買おうと
する場合です。最近のコンピュータ技術の発展は著しいですから、新しいコン
ピュータを使えばもっと今よりいろいろなことができるかもしれません。古い
コンピュー タを誰かに買い取ってもらえば、そのお金を新しいコンピュータを
買う代金の一部にあてることができます。そのためにはどのようにすればよい
でしょうか?
第2の問題は労働市場です。この社会で、人々は他の人や組織のために仕事を
し、そこから得られる給料で生活しています。そこでは求職者と企業が労働力
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と給与 を取引しています。その労働市場はどのように機能しているのでしょう
か? そしてどのようにすればその機能を向上させることができるでしょう
か?
第3の事例として、政府が公共資源をどのように配分していけばよいかという
問題を考えます。例えば油田の採掘権を誰に割り当てるべきかという問題があ
ります。ここでは、具体的な問題として携帯電話などの通信で使われる周波数
を電話会社の間でどのように割り当てるべきかという問題を考えます。
これらの問題は資源配分問題といわれ、経済学における最も基本的な問題です。
この資源配分問題は4つの要素からなります。
第1の要素は配分する財です。第1の例ではノートパソコン、第2の例では労
働者(労働力)、第3の例では周波数の帯域です。より一般的には財が可分であ
り、細かく分割できる場合(電気など)あるいは不可分であり分割できない場
合(ノートパソコンあるいは労働者など)があります。
第2の要素は財を配分しようとしている売り手です。ここではこの売り手が取
引のルールを設定しようとしていると考えます。第1の例ではノートパソコン
を売ろうとしているあなた、 第2の例では自分の労働サービスを提供しようと
している労働者、第3の例では周波数を配分しようとしている政府です。ノー
トパソコンの例は売り手が取引のルールを決めようとしている場合でした。け
れども逆に財を買おうとしている買い手が取引のルールを設定する場合もあり
ます。その例は政府の公共事業で、政府は企業から公共事業をおこなうサービ
スを購入すると考えることができます。そして政府はどのような入札ルールを
選択すればよいかを考えているということになります。
第3の要素は財を得ようとしている買い手です。第1の例ではノートパソコン
を手に入れたいと思っている人、第2の例では 労働者を必要としている企業、
第3の例では周波数に関心のある電気通信の企業です。一般的には資源が希少
でその財をほしいと思っている人が多く、需要量が供給量を上回っている場合
を考えます。ですから買い手がかならずその財を得ることができるとは限りま
せん。興味はあるのだけれど手に入れることができない人もいるでしょう。こ
こでの関心は誰にこの資源が配分されるのか、あるいは誰に配分していけばよ
いのかということです。また、ここではすでに決まった数の買い手がいると考
えますが、現実には買い手が取引のメカニズムを見てから参加するかどうかを
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考える場合もあります。例えば、ノートパソコンを売ろうとする場合に、誰が
買おうとするかはそれを友人の間で話を進めていくか、あるいはインターネッ
トで売ることにするかで違ってくるかもしれません。ですから、現実にはどの
ような買い手が現れるかを想定し、それにあった仕組みを選ぶことも重要とい
えるでしょう。
第4の要素はその買い手がどのような人たちかということです。経済学では買
い手がその財や配分にどのような関心を持つかを選好とよび、それを効用関数
として数学的に表現します。第1の例では、ある買い手はノートパソコンに 10
万円まで払っていいと思うかもしれません。第2の例では、企業はその労働者
のサービスにつき 100 万円の価値があると思っているかもしれませんし、労働
者はその仕事をするには月 30 万円は払ってもらう必要があると思っているかも
しれません。第3の例では、ある会社は東京23区内で の周波数をもちいて携
帯電話や関連したサービスをおこなうことには数千億円の価値があると算定し
ているかもしれません。さらに、買い手がどのような入札行動を取るかという
ことも重要です。経済学では買い手は期待利得を最大化することを基準に行動
を決めていると考えます。しかし、現実には心理的な反応や社会的な慣習とい
ったものに影響されるかもしれません。ですからどのように買い手が反応する
かも取引の仕組みを選ぶ上では重要な判断材料になります。
これらを踏まえた上で売り手が何を目的とするかが問題になります。第1の例
ではコンピュータを下取りしてもらった場合の価格を最大化することが目的か
もしれません。第2や第3の例では、政府の目的は社会厚生の最大化、つまり、
最も能力のある労働者が最もそれを生かすことのできる企業に勤めること、あ
るいは最も有効に周波数をもちいるアイディアを持っている企業に周波数を割
り当てることが目的かもしれません。このように売り手の収入の最大化と社会
の効率性が基本的な2つのゴールで、その間をどのように調整するかも 1 つの
問題となります。
B. Walras のオークション
この問題を扱う上で、経済学において最も基本となるのがワルラスのオークシ
ョンモデルです。このモデルではせり人が価格を調整する場合を考えています。
具体的にはまず、せり人が価格を提示します。その価格に応じてその価格が安
いと思った人は買い注文を、高いと思った人は売り注文を出します。そして全
体として超過需要が正の場合には価格が増加します。逆に超過需要が負の場合
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には価格が減少します。ワルラスの均衡のアイディアとは、価格は超過需要が
ゼロになる点で決まるというものです。このモデルは第1の例でノートパソコ
ンをイーベイでオークションにかけ、売り手が1人の場合の拡張になっていま
す。つまり、そのオークションでは買い手がたくさんいた場合には価格が上昇
していきます。そして価格が上がるにつれて買い手は1人ずつ減っていきます。
そして価格は超過需要がゼロになった点で決まっています。
経済学の最も基本的な結果はこのワルラスのオークションモデルに関するもの
です。ここでは、取引をする人が多数いる大きな市場を考えます。この場合、
各人は売り注文や買い注文は価格に影響をもたらすことはないと考えます。そ
の例として、株式市場が考えられます。それぞれの株を取引する人は売り注文、
買い注文を出しますが、その注文自体が価格を動かすとまでは考えず、その価
格で売り買いをすると考えられます。このときにワルラスの均衡価格とは、そ
の価格で各人が取引からの効用を最大化し、さらに市場の売りと買いが均衡し
ているような価格を言います。このとき、この価格のもとで取引をした場合経
済はパレート効率的な状態にあるというのが厚生経済学の基本定理です。ここ
でパレート効率的であるというのは、この状態から全員の効用を増やすことは
できないことをいいます。言い換えると、誰かの効用を増やすためには誰かの
効用を低くする必要があるということです。第1の例で、売り手が1人、買い
手が2人の場合を考えます。売り手がノートパソコンに持っている価値はゼロ
とします。それに対して、買い手1が持っている価値は 10 万円、買い手2が持
っている価値は9万円としましょう。このとき、買い手1が売り手に9万円払
ってパソコンを買い受ける場合を考えます。このとき、売り手は9万円、買い
手1は1万円、そして買い手2はゼロの価値を得ています。この状態は効率的
でしょうか。例えば売り手の価値をあげることができるかを考えます。このと
きは買い手からよりお金を受け取るしかありませんが、そうすると買い手の効
用は下がってしまいます。同様に、買い手が価値をあげるには売り手からより
低い価格で買い取るか、他の買い手が買うのをやめさせるしかありません。ど
ちらの場合も他人の効用は下がってしまいます。ですからこの状態は効率的で
す。この厚生経済学の基本定理はオークションをおこなうことが経済にとって
原則的に望ましい結果をもたらすことを示しています。
この議論の 1 つの応用が第二次世界大戦後におこなわれた市場経済と社会主義
計画経済との論争です。戦後すぐには、ソ連や当時の中国のように社会主義に
おいて計画的に資源を配分していくことが市場経済をもちいていくよりもよい
経済の運営方法ではないかと考えられたことがありました。しかしながら、こ
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の基本定理はむしろ市場経済をもちいていくことが効率的な結果につながるこ
とを示しています。それでは社会主義計画経済のどこに問題があるのでしょう
か。それは、計画当局が経済の現状を見失うところにあると考えられます。す
なわち、計画当局が計画を立てる際には、実際の経済の現場で仕事をしている
人々の要求や状況を必ずしも反映せず、官僚的な考え方から資源の配分を決定
しがちです。このときは、資源配分は効率的ではなく、ゆがみが存在します。
このゆがみが長期的には経済に非効率性をもたらし、社会主義経済の経済成長
を損なったのではないかと考えられます。
C. 戦略的モデル
以上で見たように、ワルラスのオークションモデルは市場経済の基本的なモデ
ルとしてその重要性を示しました。しかしながら、現実の経済活動にはワルラ
スのモデルでは扱っていないさまざまな摩擦があります。そして経済活動の機
能を考えていく上ではそれらの摩擦がもたらす役割を明示的に考えていく必要
があります。具体的にそれらの摩擦とは、情報の非対称性、取引費用、在庫費
用、探索費用などです。
ここで、情報の非対称性とは売り手や買い手が取引相手の持つ価値について完
全には分からない状況をいいます。つまり、あなたがそのパソコンを売ろうと
しているとき、買おうとしている人たちが、そのパソコンにいくらまで支払っ
ていいと思っているかは必ずしも分からないということです。そのためある意
味で手探りで入札したり、買い手と交渉したりしなければならないのが普通で
す。けれども、このような情報の非対称性が取引に大きな影響をもたらすので
しょうか?
その問題を調べたのがアカロフの中古自動車取引の問題です。 これをノートパ
ソコンの例で考えてみましょう。売り手がノートパソコンを売ろうとするとき、
買い手はなぜ売り手が売ろうとするのか考えます。もしノートパソコンの品質
がよければ、なぜ売り手はわざわざ売ろうとするのでしょうか? 売り手が売
ろうとするのは、パソコンの品質が悪いからだと買い手は考えるかもしれませ
ん。そのとき、買い手はパソコンの品質がたぶん悪いだろうから、低い価格で
しか買おうとしないのではないのでしょうか。それなら売り手は どうすればよ
いのでしょうか?売り手は、価格を下げて買い手に何とか買ってもらおうとす
るのではないでしょうか。そのとき、買い手はどのように思うでしょうか。買
い手は、売り手がさらに価格を下げたのをみて、これはそれほど品質が低いの
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で価格をそこまで下げなければならないのだろう、つまり品質が非常に低いと
思うでしょう。そのため、買い手はさらに価格を下げます。このようにしてい
くと、取引が成立する可能は低くなり、成立しない可能性すらあります。現実
には売り手のパソコンの品質はそれほど悪くなく、買い手はそれなりの価格を
払っていいと思っている、つまり取引が成立するのが効率的であるかも知れな
いのにです。つまりこの情報の非対称性は取引の効率性に大きな影響をもたら
す場合があるということです。
ここではそのほかの摩擦について細かく調べていく枚数がありませんが、簡単
に触れておきましょう。まず、取引費用とは、取引をする際に、その価格に加
えてその他の費用を支払う必要があるというものです。その例は、税金である
とか、取引を仲介してもらう人に支払う手数料であるとかです。例えば、第1
の例でノートパソコンをインターネットオークションで売ろうとするならば、
そのオークションサイトに手数料を支払う必要があります。第2の例で、人材
派遣会社を通じて仕事を見つけようとするには、その派遣会社に給料の一部が
手数料として渡るのが普通です。
さらに、在庫費用とは、取引が成立しなかった場合には売り手や買い手はその
財の保管費用を支払わなければならないというものです。例えば、第2の例で、
すぐに仕事が決まらなかった場合には、失業してしまいます。けれどもその間
も生活していかなければなりませんし、スキルをあげるために勉強を続けなけ
ればいけないかもしれません。またポジションを補充できなかった会社はその
間利益を上げる機会を逃してしまうかもしれません。
第3の探索費用とは、取引相手を探す必要があるというものです。例えば、ノ
ートパソコンを買ってくれる人はすぐには見つからないかもしれません。友人
に声をかけても、その友人がノートパソコンを買いたがっているわけではない
かもしれません。そのような場合、いろいろな友人に声をかけて関心をもって
いる人がいるか調べる必要があります、また、労働市場においても、仕事を探
している人のスキルにマッチした仕事の空きがある会社はすぐには見つからな
いかもしれません。そのような場合はいろいろな会社に履歴書を送り、また会
社の説明会に出てそのような会社を見つける必要があります。会社の場合にも
求人広告をいろいろ出してその会社の求人にマッチした人材を捜す必要があり
ます。
そこでこれらの摩擦の要素を組み込んだ取引のモデルを考えていく必要があり
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ます。それはゲーム理論のモデルとして考えることができます。そして具体的
にはモデルは大きく3種類に分けることができます。第1のものはオークショ
ン、第2はバーゲニング、第3のものはマッチングです。これらは以下で中心
的に述べていくものですから、まずは簡単にふれておきましょう。
ワルラスのオークションにおいては具体的にどのように入札者が行動するのか、
需要と供給が調整される際に何が起こるのか、取引が起こるのかなどが明らか
ではありませんでした。したがって、現実的なモデルではこれらの点をよりこ
まかく考えていく必要があります。例えば、ノートパソコンのオークションを
考えて見ましょう。そこでは、落札した人がどのくらいの価格を支払うのかは
いろいろな決め方があります。例えば、入札額を支払うのでしょうか?あるい
はオークションが終わった際の価格を支払うのでしょうか?
このような点から、オークションを以下の点で分類することができます。第1
は売り手が1人か複数かです。例えば第1のノートパソコンのオークションで
は売り手は1人です。しかし、例えば株式市場では売り手は複数いるのは普通
です。第2は売るものが1個か複数かです。ノートパソコンのオークションで
は売るものは 1 つでした。けれども例えば株式市場のオークションでは株式は
たくさんの株数があります。また周波数のオークションでは政府は大きな領域
を全国の各地に分けて配分します。このとき、株式のそれぞれは同一の配当が
あるわけですから、同質の財とみなすことができます。けれども周波数のオー
クションではそれぞれの地域のそれぞれの帯域は違う価値を持っているわけで
すから、異質な財とみなすことができます。第3は支払いのルールです。例え
ばインターネットオークションではオークションが終わった場合の価格を支払
います。したがって、買い手が入札した価格をそのまま支払うわけではないの
です。例えば、買い手が10万円を入札して、その次の買い手が9万円を入札
した場合、買い手は 9 万円を支払います。このようなオークションを2位価格
オークションを言います。もちろん買い手が入札額を支払う場合もあります。
例えば公共事業の入札がその例です。これらは1位価格オークションといいま
す。また、買い手全員が入札額を支払う場合もあります。例えば企業の間の競
争では、競争に敗れてもそれまでの投資は支払わなければなりません。このよ
うな状況も全員支払いオークションとしてモデル化することができます。
枚数の関係でその他のすべてのモデルに触れることはできませんが、バーゲニ
ングとマッチングも重要なモデルです。バーゲニングにおいては、売り手と買
い手が交互に買い注文と売り注文を出し合います。そして、売り手は買い手の
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価格が受け入れられると思った場合にはそれを受け入れますが、そうでない場
合はそれを断ります。そのようにして、交渉を続け、両者の取引が成立します。
このモデルはオークションと異なり、買い手が1人の場合と考えることができ
ます。そして、オークションは通常1回だけの入札で取引が成立しますが、こ
のバーゲニングのモデルでは何回も交渉を続けることで価格が成立します。ノ
ートパソコンの例では、買い手を何人も探すのではなく、1人の買い手と時間
をかけて交渉していく場合と考えることができます。
また第3のモデルがマッチングです。普通のモデルではマッチングには価格は
存在せず、また多くの買い手と売り手がいます。その際にどの売り手と買い手
のマッチングが成立するのかが問題となります。マッチングを考える上で基本
となる仕組みが ゲ-ル・シャプレーが考案したマッチングの仕組みです。この
マッチングでは、一方の側が他方に申し込みをします。そして他方はその申し
込みのうちで 最も好ましいものをとりあえずキープしておき、そして残りを断
ります。そして、断られた側は残りの候補のうちで最も好ましいものにまた申
し込みをします。 そして、他方はその新しい申し込みをみて、これまでで最も
好ましいものをキープしてそれ以外を断ります。これを繰り返して新たな申し
込みがなくなった時点で取引が成立するというものです。その 1 つの例が労働
市場です。労働者が会社に申し込みをします。会社はその申し込みの中から会
社に最も適した 人をとりあえず内定します。内定が得られなかった人はまた別
の会社に申し込みをします。そして会社はその新しい応募者を見て内定者のリ
ストを更新します。 内定が得られなかった人が応募をあきらめた時点で求人の
市場は終わるというものです。これはオークションのモデルのうち、売り手お
よび買い手が複数いる場合と考えることができます。
そこでこれまでに考えた資源配分問題と戦略的なモデルがどのように関連する
のかを整理してみましょう。この戦略的なモデルを考えた場合、売り手が考え
ることは買い手の戦略的な行動を考慮した上でその目的を達成するような取引
の仕組みを考えることだといえます。この問題を マーケットデザインと呼びま
す。これがこれまでの経済政策をある意味で一般化したモデルだと考えること
ができます。そこでは幅広い論点を売り手は考えなければなりません。
そのいくつかの例を挙げてみましょう。第1の点は買い手をどうやって集める
かということです。どのような買い手に買ってほしいでしょうか。またそのた
めには友人に聞くべきでしょうか?それともインターネットで集めるべきでし
ょうか?どのような人に入札を認めるべきでしょうか?
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第2の点は買い手からどのような情報を集めるかということです。支払いたい
値段を聞くほかに、何か聞くことはあるでしょうか?例えば、ノートパソコン
をいくらで買いたいかということ以外にも、取りに来てくれるか、あるいは壊
れた場合の扱いなどもあるかもしれません。雇う場合では、その人のスキルと
か前職の経験なども聞いておきたいところではないでしょうか。
第3の点はどのように配分を選ぶかということです。おそらく一番高い金額を
支払う人に売ると思いますが、入札額が思っていたより低かった場合には、そ
れでも売るべきでしょうか。それとも次回まで待つべきでしょうか。それは次
回にどのような買い手が 現れるかにもよります。またそれまで待つ在庫費用が
いくらかにもよるでしょう。
第 4 の点は支払額です。これは以前すでに触れたように、1位価格でしょうか、
2位価格でしょうか、それとも全員が入札額を支払うべきでしょうか。あるい
は何か別に支払い方式を考えるべきでしょうか?それぞれの論点を考え、そし
て何が良い取引のシステムかを考えるのがマーケットデザインであるといえま
す。
2. 実験経済学
前の節ではこの論文で扱うマーケットデザインの問題を定義しました。この節
では、この論文のテーマである実験経済学がそのマーケットデザインとどのよ
うに関連するかを説明します。
A.
実験経済学の定義
実験経済学とは何でしょうか。詳細な定義についてはこの本の他の章を参照し
ていただければとおもいますが、ここでは以上のマーケットデザインの問題を
実験をもちいて調べることと考えます。このマーケットデザインの問題の研究
にはもちろんいろいろなアプローチがあります。
第1のものは理論的な研究です。理論的な研究では、このマーケットデザイン
の問題をゲームとして考え、そのプレイヤーの戦略的な行動を考えた上での均
衡をもとめます。そして、その均衡がどのような性質を持つか、そしてそれが
取引の仕組みやさまざまなパラメーターの変化とともにどのように変化するか
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を調べます。
第2のものは実証的な研究です。実証的な研究では、現実の取引のデータを調
べます。そこでは、理論的なモデルが現実のデータと一致しているかどうか、
また理論的なモデルを当てはめた場合、個人の私的な情報はどのように推定さ
れるか、そしてその場合に異なった取引の仕組みをもちいた場合にどのように
結果が変化するだろうかを調べます。
これらと実験的な研究はどのように異なるのでしょうか?実験的な研究では、
その取引システムのミニアチュアを実際に作って、実験の参加者に取引のシミ
ュレーションをしてもらいます。そしてその実験のデータをもとに、どのよう
な結果が得られるかを調べます。
実験経済学の歴史は古く、第二次世界大戦後にさかのぼります。初期の実験の 1
つはチェンバレン教授とその学生のバーノン・スミスおよびによるもので、最
初に述べたワルラスのオークションのモデルを実際に調べるというものでした。
スミスはこの取引のシステムを再現し、実際に参加者が入札していく上で価格
が理論的な需要と供給を一致させる価格と等しくなるかどうかを調べました。
その結果は取引をする人の数が増えるにしたがって、実験上の価格と理論上の
価格は急速に一致するというものでした。したがって、彼らの実験はワルラス
のモデルが現実的にも妥当なものである一つの証拠を示したことになります。
B.
ラボでの実験とフィールド実験
実験には大きく分けてラボ(研究室)でおこなう実験と、研究室の外でおこな
うフィールド実験があります。ラボでの実験の例は、例えば、ラボに取引のシ
ステムを作り、そこに集まってきた参加者に取引をしてもらってその結果を記
録するというものです。フィールド実験の例は、例えば、インターネットのオ
ークションに実際に出品して、それに入札する人たちの反応を調べるというも
のです。
それでは、このような実験経済学の目指すものは何でしょうか。一言で言うと、
それは仮説の因果関係を頑健な形で示すということであると思います。ここで
の仮説は、マーケットデザインの場合はこのような取引の仕組みをもちいると
結果はこのように代わるというものである場合が多いと思われます。そのほか
にも、買い手のこのような行動がどのように取引の仕組みに影響するかという
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こともあると思います。また、売り手がどのような行動を取ればどのように取
引の結果に影響をもたらすかということも調べるに値する問題です。
C. 他分野における実験の例
それでは、実際に実験はどのようにもちいられているのでしょうか。それをま
ず、経済学以外の医療と政治の点から調べてみましょう。実験が最も有効にも
ちいられている例の1つに新薬の検査があります。新薬が開発された場合、そ
れを実際に病床で適用するまでにはいくつかの臨床試験をおこなう必要があり
ます。動物実験の後で、実際に被験者を集めて新薬の実験をおこない、その有
効性を確認することが規制により決められています。そこでは、ラボの実験と
同様に、被験者のさまざまな状況をコントロールした上で投薬した場合と投薬
しなかった場合について、結果を比較しその有効性を統計的に検査するのが普
通です。
第2の例としては、政策の決定過程があります。例えば、次の選挙で外交問題
を主な論点にするべきでしょうか?それとも財政問題を主な論点にするべきで
しょうか?もちろんその際には有権者の反応についてのモデルを考えて、有権
者の反応を予測することが有用です。また過去の投票データに基 づいて、その
モデルを検証することも有用です。さらに一般には有権者の一部を実際に招い
てさまざまな政策の選択肢についてその反応を調べることが最近では 広くお
こなわれています。その際にも、有権者の性別、経済状況、政治的な選好など
に応じたサンプルを選んできて、そのサンプルがどのように反応するかを調べ
ます。
3.労働市場におけるマッチングについての Kagel-Roth の実験
A. メディカル・インターンの労働市場
ここまでは、経済学以外の例を考えてきました。次に、マーケットデザインに
おいて実験がもちいられた例を調べてみましょう。ここでまず調べるのはメデ
ィカルスクールを卒業した学生のインターンの労働市場です。ここではどのよ
うなデザインが市場の成功に結びつくかを調べるために実験経済学がもちいら
れました。
アメリカにおいては、メディカルスクールを卒業した学生が研修医として大学
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病院などで経験をつむことになっています。このとき学生と病院をどのように
組み合わせる仕組みを作ればよいかが問題になります。2006 年では 33534 人の
学生がインターンに応募し、病院側では 24085 のポジションを提供しました。
この労働市場が成立したのは 1900 年ごろといわれています。マッチングのメカ
ニズムが導入されるまでは、特に規制はなく、学生と病院の自由な競争により
学生とインターンの組み合わせが決められていました。しかしながら、この仕
組みは十分に機能しませんでした。その弊害としてあげられたのが、組み合わ
せが決まるのが非常に早い時期になってしまうという点でした。そこでは病院
間で学生の競争があった場合には、病院は他の病院よりも早くその学生にオフ
ァーを出してその学生を雇おうとしました。それに対して、他の病院はその病
院より早くオファーを出すということでそれに対抗しようとします。その結果、
学生と病院の組み合わせが 成立するのは学生が卒業するよりずっと前に起こ
ることになりました。例えば、1944 年の時点では、卒業の2年前にすでに学生
は働く病院を決めていたといわれています。
しかし、これでは学生が十分に教育を受ける前に仕事を探さざるを得ないこと
となり、また病院もその学生の適性を見極めずに雇うかどうかを決めなければ
なりません。したがってこの労働市場に仕組みは十分に効率的ではないという
ように考えられました。
1945 年にはこのようなことが起こらないようにするために、学校側が病院に推
薦状を出す期日を前もって決めることにしました。しかしながら、今度は、病
院がオファーを出す際に学生にわずかな考慮期間しか与えなくなるということ
が起こり、学生が病院間のオファーを比べて一番学生に有益な選択をすること
ができなくなりました。
これらの現象はこの研修医のマッチングだけではなく他の市場でも観察される
現象です。その他の市場としては、プロスポーツ選手とプロチーム、司法修習
生と法律事務所、ビジネススクールの MBA と企業、専門医、大学卒業生の就職
があげられます。
それではこのような状況で、どのようにしてこの労働市場をデザインすればよ
いのでしょうか? アメリカの研修医の市場で導入されたのは NRMP というマッ
チングのシステムです。このシステムは基本的に以前に触れたゲ-ル・シャプレ
ーのメカニズムをもちいています。具体的には、病院が NRMP に研修プログラム
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を登録します。一方で研修志望者は NRMP に登録した後で希望順位表を作成して
NRMP に送ります。研修施設側も同様に NRMP に病院の希望順位表を作成して送付
します。そして以前述べたアルゴリズムに従ってマッチングが作られます。
しかしながら、もちいられたマッチングのメカニズムはこれだけではありませ
んでした。そのほかにもちいられた仕組みには学生の志望順位と病院の志望順
位の積を取り、その積の小さい順番に組み合わせをおこなうというものがあり
ました。このメカニズムはイギリスのエディンバラ・ニューキャッスルでもち
いられました。しかしながらこれらのメカニズムは成功せず、数年で使用が取
りやめられました。
B. Kagel-Roth の実験
ここで、John Kagel と Alvin Roth はメカニズムが成功するかどうかはそのメカ
ニズムが安定的な結果をもたらすかどうかによるという仮説を立てました。こ
こで結果が安定的とは、参加者のなかにメカニズムの結果とは別の組み合わせ
を好む人たちがいないことを意味します。理論的な分析の結果はゲ-ル・シャプ
レーのメカニズムの結果は安定的ですが、イギリスで用いられたメカニズムは
安定的でないというものでした。
しかしこの理論は現実に意味があるものでしょうか?この仮説をどのようにし
て検証すればよいでしょうか?例えば、アメリカとイギリスのデータを直接比
べてアメリカでマッチングが成功してイギリスでは失敗したからこの仮説はた
だしいと結論付けることができるでしょうか?ここで注意しないといけないの
は、アメリカとイギリスの間にはメカニズム以外にも相違点がたくさん存在す
るということです。単にデータを比べただけでは、仮説とは別に、これらのメ
カニズム以外の相違点がメカニズムの成功と失敗に影響しているという議論を
排除できません。したがって、実験を用いて、それらの相違点をコントロール
した上で、この仮説をテストするのが 1 つの方法として考えられます。
具体的には Kagel と Roth は 以下のような実験をおこないました。ひとつの市
場には企業6社、労働者6人がいます。3 社の生産性は高く、残りの3社の生産
性は低いとします。労働者3人の生産性は高く、残りの3人は低いとします。
そして企業は生産性の高い労働者を雇った場合の平均収益は15ドルであり、
そうでない労働者を雇った場合の平均収益は5ドルと仮定します。このように、
企業の収益は労働者の生産性により異なります。労働者は雇われた場合には賃
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金として1ドルを得ます。企業は労働者を雇えないと収益をあげることはでき
ません。このとき、生産性の高い企業が生産性の高い労働者を雇うのが安定的
な結果になります。なぜなら、生産性の高い企業が生産性の低い労働者を雇っ
ても収益を今以上に増やすことができないからです。
この市場は3回開かれます。これらの時期を時期-2,-1,0 とします。例えば、時
期-2 は、非常に早い時期を意味します。企業は1人の労働者しか雇うことはで
きず、労働者は1つの企業にしか働くことができないとします。労働者は複数
の企業から申し込みを受ける ことがありますが、その場合には最も賃金の高い
企業で働きます。一度契約が成立すると、労働者は転職できず、同様に、企業
はその労働者を解雇して、別の労働者を雇うことはできません。契約が決まる
時期が早すぎると非効率性が生じるのではないかというのが、40 年代の労働市
場の経験から得られた結論でした。このことを時期-2 で契約が成立した場合に
は、企業と労働者の収益は2ドル減少し、-1で成立した場合には収益は1ド
ル減少するという仮定で表します。この場合、早く契約を結んでも労働者の生
産性が同じなら利益にはなりませんが、もし生産性が高い労働者を雇うことが
できるのなら、早く契約を結んでも利益になります。
ここでの取引の仕組みとしては分散的市場、ゲ-ル・シャプレー、そして イギ
リス式のマッチング市場の3つを考えます。分散的市場では、企業が各期ごと
にオファーを繰り返し、労働者が受け入れるかどうかを決めます。この分散的
市場はこれらのマッチングメカニズムが採用される 前の市場をモデル化した
ものです。ゲ-ル・シャプレーにおいては、企業がー2、-1期にオファーを出
した後に、以前に説明したゲ-ル・シャプレーのメカニズムに基づいてマッチン
グがおこなわれます。これはアメリカのメカニズムをモデル化したものです。
イギリスのメカニズムでは以前に説明したエジンバラなどで採用された方式で
マッチングがおこなわれます。
実験はピッツバーグ大学でおこなわれました。大学の学部生・大学院生・スタ
ッフが実験に参加しました。まず、実験の内容が説明された後で、参加者は分
散的市場で10回実験をおこないました。その後で参加者はマッチングの説明
を受け、その後15回マッチングの市場に参加しました。その後、分散的市場
およびマッチング市場のうちから無差別に選ばれた1つの市場の結果について
支払いがおこなわれました。
C. 実験結果
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前に述べたインターンの労働市場の政策の上で契約が早く決まりすぎることと
失業が起こることを防ぎたいというのが問題になっていました。また、これら
の労働市場で生産性の高い労働者と低い労働者がどのように振舞うかも興味あ
るところです。ここではそれら3点に絞って実験結果を説明します。
第1に、初期の分散的市場では契約が早く決まりすぎるという問題がありまし
た。以前にモデルを説明した際に、早すぎる契約では、学生が十分勉強する前
に進路を決めないといけないので非効率性が起こると仮定したことをおもいだ
してください。この非効率性は早すぎる契約からのコストとして表現されてい
ました。この実験の最初の 5 回での早期の契約からの非効率性の平均額は 5.46
ドルで次の 5 回での平均額は 7.74 ドルでした。そしてこの傾向はその後 NRMP
が取り入れられた市場とイギリス式が取り入れられた市場の間では違いがあり
ませんでした。このコストは主に生産性の高い労働者の争奪戦から起こったも
ので、具体的には、最初の 5 回で生産性の高い労働者の場合に起こった非効率
性は 4.5 ド ルで生産性の低い労働者からの費用は 0.86 ドルでした。
第2の点は NRMP を採用した市場ではこの非効率性が減少している点です。NRMP
をもちいた市場では参加者が市場の経験をつむとともにこの非効率性は減少し
ましたが、一方でイギリス式のメカニズムをもちいた市場ではそのコストは減
少しませんでした
最も大きい影響は生産性の低い労働者を雇う際の非効率性が減少したことです。
最後の 5 回の実験での生産性の低い労働者からの非効率性は分散的市場での2.
5ドルから0.38ドルにまで減少しました。これは、マッチングのある市場
においては生産性の低い労働者はマッチングを通して申し込みができるので、
失業の心配をする必要がへり、初期に契約をするよう急ぐ必要がなくなったこ
とを示しています。さらに、NRMP を用いた市場においては生産性の高い労働者
のコストも大きく減少しました。これに対して、イギリス式のメカニズムもち
いた市場ではコストは逆に増加しています。したがって、NRMP のメカニズムは
生産性の高い・低いにかかわらず平均費用を減少させましたが、イギリス式の
メカニズムでは生産性の高い労働者の平均費用は減少させなかったということ
ができます。
さらに、NRMP を採用した結果、企業が労働者を雇うことができなかった場合は
大きく減少しました。その結果、労働者の失業率もマッチングの採用とともに
15
減少し、そのうちでも、ゲ-ル・シャプレーのメカニズムを採用した場合により
低くなりました。以前定義した不安定性が起こる確率も有意に減少し、生産性
の高い労働者はマッチングを通じて雇用を求めていくようになりました。
D. 結論
これらの実験の結果とこれまでの実証的なデータから労働市場のマッチングの
メカニズムについて何が言えるでしょうか? 第1に、これらの実験の結果は
ゲ-ル・シャプレーのメカニズムのイギリス型メカニズムに対する優位性を示し
ているという点で、現実のアメリカやイギリスの例と整合的です。したがって、
この実験結果はゲ-ル・シャプレーのメカニズムの優位性が規模の小さいラボで
の実験でも成り立つことを示しており、優位性の頑健性を示すものといえます。
さらに、以前にあげたように、アメリカとイギリスのマッチングの成否がマッ
チング以外の政治・社会的要因によるものではなく、マッチングのシステムの
違いによることであることを示しているといえます。さらに、実証のデータで
は得ることのできなかった労働生産性の違いがどのように労働市場での行動の
違いに結びつくかについてのデータも提供しているといえます。この実験で分
かったのは、マッチングの導入後も、生産性の高い労働者については unraveling
が依然として続くということでした。このことは、例えばアメリカの司法修習
生の任官などでも見られる現象でした。
最後に、この実験はマーケットデザインにおける実験の役割について何を示し
ているでしょうか? 第 1 に、ラボの実験は現実に起こっている現象の原因を
同定する上で、現実に影響しているさまざまな要因をコントロールして、制度
と結果の関係を明らかにするのに役に立つということです。特に、ラボの実験
は現実のデータからは得られない、より詳細な個人行動のデータを通じてマー
ケットデザインの成功および失敗の要因を明らかにするという点が挙げられま
す。第2に、ラボの実験は現実に起こっている現象が実際に他の状況でも起こ
りうるのかということを考える上でのケーススタディとなることを示していま
す。
4. 周波数政策の形成過程におけるオークションの実験
前章の労働市場の問題では、マーケットデザインの成功と失敗の要因を探る手
段の一つとしての実験の例を紹介しました。この章では、新たなマーケットを
デザインしていく過程において実験経済学がパイロットスタディとしての役割
16
を果たしてきた例を周波数の配分問題から紹介します。
A. 2006 年の高度無線サービス用周波数オークション
ここではまず実例として 2006 年の 8 月 9 日から 9 月 18 日にかけてアメリカで
おこなわれた高度無線サービス用周波数オークション(Auction 66, AWS-1)を紹
介します。
電波はその特性に応じてさまざまな通信の用途にもちいられています。このな
かでも、通信にもちいられるのは 30MHZ-30GHZ の帯域で、TV 放送、ラジオ・デ
ジタル TV・携帯電話・衛星放送などにもちいられています。オークションは UHF
帯の 0-1755,2110-2155MHz の高度無線サービス(AWS–Band plan1 帯域の周波数
の割り当てに関しておこなわれました。
これらの周波数をさらにアメリカ国内の各地域に分けてオークションをおこな
うという形式が取られました。まず帯域を 6 つのブロックに分けます。 そして
それぞれの帯域を地域別に分けます。そのわけ方は CMA,EA,REAG の3つの方法
があります。例えば EA では全米を 176 の地域に分割します。全部で 1122 件の
免許がこのオークションで配分されました。
このオークションに参加するのは電気通信事業に関心を持つ企業です。参加を
希望する企業は 4 月 24 日までに申し込む必要があります。しかしながら、申し
込んだからといって直ちにすべての免許について入札ができるわけではなく、
入札をおこなうためには供託金を支払う必要があります。供託金の額が多いほ
ど多くの免許に入札ができます。6 月1日の締め切りまでには、168の企業が
平均2500万ドルの供託金を支払いました。
アメリカの連邦通信委員会(FCC)が採用したのは同時複数回競り上げ式オーク
ション(simultaneous multi-round auction)といわれます。このオークショ
ンでは、すべての免許が同時にオークションされます。そして、それぞれのオ
ークションは複数回のラウンドを 経ておこなわれます。オークションの回数は
事前に決まっておらず、新しい入札がなくなるまで続きます。このオークショ
ンの特徴に入札資格と入札実績という概念を取り入れたことがあります。
それぞれの免許には点数がついており、買い手は当初の供託金から得られた入
札資格の点数を越えた数の免許に入札をすることはできません。しかし、点数
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を満たしている限りどの免許に入札することもできます。
また入札実績ルールはオークションの各ラウンドで最初に得た入札資格の点数
の一定割合以上で入札をしていなければならないというものです。具体的には
第1ステージでは 80%、第二ステージでは95%以上の入札資格をもちいな
ければなりません。それに達しなかった場合には原則としてその後の 入札資格
が削減されます。
ラウンドごとに前回のラウンドの勝者は改めて入札する必要はありません。前
回のラウンドの敗者はそのラウンドでの価格より高い額の入札をする必要があ
ります。各回の入札後、最高額の入札者がその時点での勝者となります。入札
が終わった時点での勝者が免許 を交付され、その時点での入札額を支払います。
入札は FCC のサーバ上でおこなわれました。
実際のオークションは 8 月 9 日から始まり、28 日間にわたり 161 のラウンドで
おこなわれました。オークションからの政府の収入は 1.4 兆円程度の規模にな
りました。
以上では今年の 9 月におこなわれた AWS オークションについて紹介しましたが、
これまでに FCC は50回以上のオークションをおこない、10 兆円以上の収益を
得ています。
B. 周波数オークションの成立過程における実験の利用
これほどに大きな存在となった周波数オークションですが、そのシステムはど
のように形成されてきたのでしょうか。そしてそこで実験経済学はどのような
役割をはたしたのでしょうか。この節ではオークションが始まった 1984 年にさ
かのぼってその点を調べます。
B.1. 1984 年以前の周波数管理政策
1984 年以前には FCC はオークションではなく比較聴聞あるいは抽選により
周波数を分配していました。1982 年に議会決定を受けて周波数の抽選をおこな
った時には数万の応募者が殺到しました。そのため、FCC 内部ではオークション
をおこなうことの是非が検討されました。政府はそれ以前にも油田の採掘権の
配分などにおいてオークションを用いたことがありました。結果的に、抽選を
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おこなった場合でも最終的には転売がおこなわれて効率的な結果が実現される
可能性が大きいので、効率的なオークションをおこなった場合と配分は同じで
あると考えられました。さらに、オークションをおこなったほうが FCC の事務
的な負担は 減少し、さらにオークションからの収入が見込まれることから、オ
ークションのほうが優れた方法であると考えられました。最終的には包括的財
政調整法による 1934 年通信法の 309 条 j 項の改正により、議会が FCC にオーク
ションをもちいて周波数を配分する権限を与えました。
FCC は 1993 年に議会から権限の付与を得て、1994 年の 7 月に最初の FCC オーク
ションをおこなうまでにオークションのデザインをおこなう必要がありました。
このデザインの過程で 実験経済学はさまざまなデザインの比較をおこなうと
ともに、そのデザインの細部の詰めをおこなう段階で大きな役割を果たしまし
た。以下ではこの FCC によるオークションの開発過程を2つの段階に分けて追
ってゆくこととします。
B.2. 同時せり上げ式オークションの採用における実験
第 1段階は 1993 年の後半から 1994 年の初頭にかけての時期で、この時期では
オークションの主要なデザインが決定されました。オークションを開発する上
でまず入札の機会を1回に限るのではなく、何回の繰り返しをおこなうことで
入札者の間で入札の収束を図ることが重要であることが出発点となりました。
その上で、どのようなオークションをおこなうべきかが議論されました。そこ
で論点となったのは、第1に従来の口頭での入札をおこなうべきかソフトウエ
アをもちいた電子的な入札をおこなうべきかという点です。第2に、すべての
免許を同時にせり上げ式オークションでおこなうべきか、免許を1つずつオー
クションにかけるべきかという点でした。第1の方法は最終的に採用された同
時せり上げ式オークションです。第2の方法はまず買い手が免許の組み合わせ
について入札をおこなった後で売り手が免許を1つずつオークションにかけ、
そして最初の組み合わせ入札とその後でのひとつづつのオークションでの入札
のうちで価格の高いものを選ぶというものです。
ここで問題となったのは、免許間の補完性です。補完性とは,1つの財の価値が
他の財をもつことで増加することをいいます。例えば、靴の右足と左足を別々
の財と考えた場合に、靴の右足の価値は左足があるかないかで大きく異なりま
す。同様な現象が免許の間にも存在すると考えられます。例えば、文京区の免
許の価値は千代田区の免許があるかどうかで異なってくるのではないでしょう
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か。その理由は、千代田区の免許があった場合には、技術的にもまた販売店な
どでも千代田区の設備を利用できるからです。このように、2つの免許を組み
合わせた価値がそれぞれの免許の価値の和よりも大きくなる現象を優加法的
(superadditive)といいます。
したがって、この段階で FCC が考えなければならなかった問題は、(1)電子的な
オークションシステムが機能するかどうか、(2)同時せり上げ式オークションと
順次せり上げ式オークショ ンのどちらが高い効率性を持つか、(3)財の補完性
がどのようにその選択に影響するかという3点でした。
この問題に対して、カリフォルニア工科大学の研究者が実験をおこないました。
その実験の環境では、7 つあるいは 9 つの財が配分されました。オークションの
参加者は財に対して私的価値を持ち、その価値は優加法性を持つ場合もありま
す。優加法性を持つ入札者が財をすべて落札する場合と、そうではなく別々の
入札者が落札するのが効率的な場合の2つの場合を考えて、どちらのオークシ
ョンの仕組みがより効率的な結果をもたらすかを調べました。この2つのオー
クションの仕組みを比較するため、それぞれの価値に ついて2つのオークショ
ンをおこない、その結果を比較しました。これらのオークションはコンピュー
タ上で実装され、電子入札がおこなわれました。
まず、実験の結果電子入札をおこなうことに実際的な困難がないことが分かり
ました。また、同時せり上げ式オークションが順次せり上げ式オークショ ンよ
り高い効率性を持つことがわかりました。15 回のうち7回では同時せり上げ式
オークションのほうが効率性は高く、残りの8回のうちの5回 では効率性は同
じでした。
また優加法性が存在する場合は、次のような結果が得られました。まず、優加
法性が存在し、入札者が財の組み合わせ(package)を落札するのが効率的な場
合、順次せり上げ式オークションの組み合わせ入札は効率性を上げるために有
益であること。逆に言えば、同時せり上げ式オークションの非効率性は主に優
加法性が存在するにもかかわらず、入札者が財の組み合わせを落札できないこ
とから生じること。
この実験結果をもとに、FCC とカリフォルニア工科大学の研究者は1月に会議を
開き、同時せり上げ式オークションをもちいる方向で同意しました。そして、
第2段階においては、そのオークションルールの細部の詰めのために実験がも
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ちいられることになりました。
B.3.細部の詰めの段階における実験
1994 年の初頭に FCC が同時せり上げ式オークションの採用を決めた後も、実験
経済学は2つの点で貢献を続けました。第1の点は補完財が存在する状況では
効率的な価格をもたらすワルラス均衡が存在しないことを示すことで、オーク
ションの潜在的な問題点と改善の必要性を示したこと、第2の点はソフトウエ
アとオークションのテストデータを提供した点です。
第1章で述べたように、オークションメカニズムをもちいる1つの根拠は価格
をもちいることで結果が効率的になる というものでした。しかしながら、補完
財の場合には、ワルラス均衡が存在しないことがあることが分かりました。以
下の例では2つの免許 A,B および2人の 買い手1,2を考えます。この買い手
の価値は以下の図で示されているものとします。ここでこれらの価値の間には、
c>0,0.5c<d<c の関係が成り立っているものとします。
この図で、何が最も効率的な配分でしょうか。




まず、買い手1が AB を得るとその価値は, 図からみられるように、a+b+c
です。
また、買い手1が A、買い手2が B を得ると価値 は a+b+d です。
けれども、d<c と仮定されているので、買い手1が AB を得た場合のほうが
価値が高くなります。
他の配分についても比較して、買い手 1 が AB を得るのが最も効率的な配分
であることがわかります。
それでは、この配分を実現するような財の価格が存在するでしょうか。買い手
2が A を需要しないためには、A の価格は買い手 2 が A に対して持っている価値
a+dより高くなければなりません。同様に、B の価格も買い手 2 が B について持
っている価値 b+d より高くなければなりません。このとき、AB の価格は A につ
いての価格と B についての価格の和 a+b+2d より高くなければなりませんが、そ
れは1が AB について持つ価値 a+b+c を上回っています。ゆえに、市場を均衡さ
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せる価格は存在しません。
この均衡価格の非存在の問題はこのオークションにはいくつかの潜在的な問題
点がありうることを示唆しています。まず、買い手がその時点での価格にした
がって利益を最大化する行動をとった場合に、損失をこうむる可能性です。そ
の理由は、買い手が高い価値を持っている免許の価格を引き上げた場合に、そ
れが価値の低い他の免許を含んだ財の組み合わせの価格も引き上げてしまうか
らです。
さらにそこから派生する潜在的な問題はこの問題を避けようとした場合に、買
い手が入札を取りやめることを認めると、取りやめた結果オークションの価格
が下がり、価格の乱高下につながる可能性があることです。価格が上昇した後
に取りやめにより0にまで下がるというような乱高下を繰り返す例が見られま
した。
これらの問題点は 1994 年の同時せり上げ式オークションの採用時には十分に議
論されなかったものですが、現在おこなわれている同時せり上げ式オークショ
ンに組み合わせ式入札を導入していく必要性を明らかにしたものといえます。
最後に実験経済学がこの段階で果たした役割として、FCC の実装しようとした同
時せり上げ式オークションのテストが挙げられます。FCC は1994年の秋に最
初のオークションをおこなう予定であったため、状況はきわめて切迫していま
したが、カリフォルニア工科大学のチームは開発されたオークションのソフト
ウエアを実際にラボでテストすることによりデータを集めました。さらに、最
小入札額、入札資格ルールおよび入札実績ルールについても実験によるデータ
が理論の欠けている部分を補う役割を果たしました。この例の示すように、周
波数オークションの形成過程において、ラボでの実験結果は現実の経済行動の
定性的な特徴を捉えることができたといえるでしょう。
4.D. まとめ
この章では周波数オークションにおいて実験の果たした役割を説明しました。
労働市場における実験とは異なり、ここでは実験が取引の仕組みの問題点を洗
い出す上で有用であることが示されました。
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5. 結論
本章においてはマーケットデザインにおける実験経済学の役割を研修医のマッ
チングメカニズムと周波数オークションの例をとって説明しました。実験経済
学は社会現象の複雑な要因をコントロールして因果関係を調べる上で役に立つ
とともに、政策決定の過程での有効性をテストする手段としても有効であるこ
とが分かりました。今後も実験経済学が公共政策の場で有用な役割を果たして
いくことが期待されます。
文献案内
マーケットデザインについての入門書は以下の本です。
McMillan, John. 2002. Reinventing the Bazaar: A Natural History of Markets,
W.W. Norton,
オークションについての入門書は以下を参照してください。
Milgrom, Paul R. 2004. Putting Auction Theory to Work. Cambridge University
Press. (奥野正寛・計盛英一郎・川又邦雄・馬場弓子訳、東洋経済新報社より近
刊)
実験経済学の入門にはこの本の他の章をご覧ください。また、以下も参照して
ください。
John H. Kagel and Alvin E. Roth, editors. 1995. Handbook of Experimental
Economics, Volume 1, Princeton University Press.
研修医のマッチングに関する実験結果は以下の文献によります。
Kagel, John and Alvin Roth. 2000. The Dynamics of Reorganization in Matching
Markets: A Laboratory Experiment Motivated by a Natural Experiment. Quarterly
Journal of Economics. 201-35.
周波数オークションの制度的な側面に関してはアメリカ連邦政府予算局による
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最近の調査結果を参照してください。
United States General Accounting Office. 2005. Telecommunications: Strong Support
for Extending FCC’s Auction Authority Exists, but Little Agreement on Other Options
to Improve Efficient Use of Spectrum. GAO-06-236.
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