序章 - 京都ノートルダム女子大学

序
章
京都ノートルダム女子大学は、京都の地にカトリックの女子大学を設置したいという、
わが国カトリック関係者の悲願の結実として 1961(昭和 36)年に創設された。大学設置の
ための準備委員会には、当時の京都大学総長平澤興氏や倉敷レイヨン株式会社の大原総一
郎氏など、京都の学界や経済界の錚々たる方々が名を連らねられた。
本学は「ノートルダム学院小学校」および「ノートルダム女学院中学高等学校」ととも
に、学校法人「ノートルダム女学院」を構成するカトリックの女子大学である。学校法人
ノートルダム女学院の3校はいずれもフランス語の Notre Dame(ノートルダム)すなわち
聖母マリアを女性の理想像として仰ぐとともに、ラテン語で「Virtus et Scientia」と表現
される「徳と知」の教育をモットーとしているのである。
「徳と知の教育」とは、学校教育の目的を単に「知」
、すなわち知識や技術の教授にとど
めるのではなく、「徳」、すなわち価値観、道徳律、宗教心といった精神性や人間性をも涵
養すべきであるという意味にほかならない。
「徳と知」を兼ね備えた女性を育成することこ
そ、京都ノートルダム女子大学が目指してきた目標である。
「徳と知」を兼備した女性とは、
換言すれば良識や教養を持った女性ともいえよう。そのような人材を養成するために、本
学は創立以来半世紀近くにわたって、
「教養大学」
(リベラルアーツ・カレッジ)であるこ
とに徹してきており、家庭・企業・地域社会に積極的に貢献する人材を 1 万人以上も輩出
してきた。
もともと本学は、文学部のみの「ノートルダム女子大学」として認可され、開学時の 1961
年には英語英文学科が、その翌々年には生活文化学科がそれぞれ設置された。京都の「名
門女子大学」として本学は長らく無風状態にあったが、18 歳人口の減少による大学全入時
代の到来、文学部系女子大学の不人気、高校生の多様な資格志向等々、高等教育を取り巻
くわが国の社会環境の激変は本学にも容赦なく襲いかかり、本学の教職員は大学の将来に
対してきわめて大きな危機感を抱くにいたった。
本学にようやく改革の嵐が吹いたのは、1900 年代から 2000 年代への移行期である。地
方出身の受験生の増加を狙って大学名を「京都ノートルダム女子大学」に、そして学部の
名称も「文学部」から「人間文化学部」に変更するとともに、同学部に従来の英語英文学
科に加えて、人間文化学科、生活福祉文化学科、生涯発達心理学科の3学科を創設した。
本学が大学院人間文化研究科を設置したのは 2002(平成 14)年である。その年に、高度
な職業人の養成をめざして、応用英語専攻(修士課程)が発足し、その後逐年ごとに生涯
発達臨床心理学専攻(修士課程)、生活福祉文化専攻(修士課程)、人間文化専攻(修士課
程)が設置された。このうちの生涯発達臨床心理学専攻は 2005(平成 17)年に心理学研究科
として独立し、同時に博士後期課程も設けられた。
このように本学が生き残りを賭けて、積極的に学部・学科の新設や統合、あるいは収容
定員の増加などの抜本的な改革に着手したのはわずか数年前のことである。この一連の改
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革によって本学が正しい方向に歩んでいるかどうかについて、教職員は一丸となって自己
点検・自己評価に取り組まなければならない。本学の学則第 1 条の 2 は「教育研究水準の
向上を図り、
(大学の)目的及び社会的使命を達成するため、教育研究活動の状況について
自己点検及び評価を実施し、その改善・充実に努める」と謳っており、われわれ教職員は
つとに「自己点検評価」の重要性を認識し、実行してきた。その詳細については、本報告
書の第 15 章に記述してある。
京都ノートルダム女子大学は 2011(平成 23)年に建学 50 周年を迎える。本学が新たな
半世紀において更なる発展を期すためには、来し方の半世紀についての回顧・反省と、現
在についての見直しを徹底的に行なわなければならない。この『点検・評価報告書』はそ
のために欠かせない資料である。
京都ノートルダム女子大学
学長
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相良憲昭