今となっては、すでにもう四半世紀ちかくも昔のことになってしまうが、「ゲッツ/ジルベルト」 とタイトルのつけられたレコードをきいて、ボサノバの素晴らしさをしった、という人がたくさんい た。ぼくも例外ではなかった。はじめはジョアン・ジルベルトの中性的な声を奇異に感じたりしなく もなかったものの、しばらくきいているうちにすっかりボサノバの虜になってしまった。このレコー ドがニューヨークで録音されたのは1963年である。 「ゲッツ/ジルベルト」が録音された、ちょうどその年に、イギリスではビートルズ旋風がまきお こりはじめていた。ビートルズの動とボサノバの静、とでもいうべきか、いずれにしても、若さまる だしのビートルズの音楽と「ゲッツ/ジルベルト」できけるけだるげな大人っぽい音楽とは、いかに も対照的であった。 「ゲッツ/ジルベルト」における演奏は、テナー・サックスをふくスタン・ゲッツと、ギターをひ きながら歌をうたうジョアン・ジルベルト、それにここでのすべての作品を提供し、同時にピアノも ひいているアントニオ・カルロス・ジョビンによっていた。しかし、このレコードには、もうひとり、 当時は無名の、したがってその名前がジャケットにも印刷されていないスターが参加していた。その 頃はジョアン・ジルベルトの奥さんのアストラッド・ジルベルトであった。アストラッド・ジルベル トは、ほんのちょっとしたはずみでうたうことになり、このレコードがきっかけとなって、一躍スタ ーになった。 アストラッド・ジルベルトは「ボサノバの女王」とよばれ、彼女のうたう「イパネマの少年」は大 いにヒットしたりした。そんなこんなで、ビートルズ台風の吹き荒れるなか、しばしボサノバ・ブー ムなどといわれる状況までうまれ、ボサノバも日本のポピュラー音楽界に一応の定位置を獲得したか にみえた。しかし、それとても束の間、オルガ・アルビスの抽象画をあしらったジャケットにおさめ られた「ゲッツ/ジルベルト」のLPは、あれこれさまざまな思い出をきざんだもろもろのレコード とともに、音楽好きのレコード棚のすみにおしこまれた。 なにごとによらず忘れることの得意なぼくらが、西に流し目をおくり、東に手をかざして、「今」 との応対に追われているうちに、時が移り、季節が変わった。そうこうしているうちに、わずかとは いいがたい時間が経過した。 「ゲッツ/ジルベルト」録音当時三十二歳であったジルベルトも五十六歳になった。ジルベルトよ り四歳年長のジョビンは、今年還暦をむかえた。しかし、彼らは、凄い。あいかわらず、しぶとくボ サノバをやりつづけている。時代を感じとる感度がいいといえばいえなくもないが、すばしこく世間 の流行を感じとり、今日は東に明日は西へと走る、どこかの国の売れっ子ミュージシャンとはわけが ちがう。 このふたり、つまりジルベルトとジョビンが、時を同じくして新譜を発表した。ジルベルトの新譜 は、「ジョアン・ジルベルト/ライヴ・アット・モントルー」というタイトルからもあきらかなよう に、スイスのモントルー・ジャズ・フェステヴァルでライヴ録音されたものである。一方のジョビン の「パッサリン/アントニオ・カルロス・ジョビン」とタイトルのつけられた新譜は、スタジオ・レ コーディングされたものである。この二枚のディスクをきくききては、どうしてもその背後にあの「ゲ ッツ/ジルベルト」でのふたりを思い出してしまう。 「ゲッツ/ジルベルト」を録音した当時のふたりよりは馬齢をかさねていても、今のふたりの年齢 にはたっしていない男としては、「ジョアン・ジルベルト/ライヴ・アット・モントルー」と「パッ サリン/アントニオ・カルロス・ジョビン」の二枚のディスクをきいて、いくぶん複雑な気持になら ないではいられなかった。 「ジョアン・ジルベルト/ライヴ・アット・モントルー」でのジルベルトは、聴衆を前にしての七 十分ちかくのコンサートを、たったひとりで、つまりギターのひきがたりだけでやってのけている。 その間に、ジルベルトは、十三曲の歌をうたっている。しかも、コンサートは、一瞬たりとも弛緩な い。ジルベルトは、あいかわらず、いくぶんものうげにうたっているのであるが、そのような歌を、 ジルベルトがギターからもたらすコンパクトで、しかも切れの鋭い和音が支えているからである。 声も、あの「ゲッツ/ジルベルト」のときのものと、大差ない。それ以上にききてを驚かさずにお かないのは、そこでの音楽全体をつらぬいている、ぴーんとはった緊張感である。たしかに、ジルベ ルトのうたったりひいたりしているのは、緊張といったようなものからは遠くへだたったところにあ るボサノバの曲であり、それをジルベルトがお世辞にもきりっとしているとはいいがたいうたいぶり でうたっているのであるが、どの歌も背筋をのばしてきりっとしている。ここできける音楽がことの ほか若々しく感じられるのは、おそらくそのためである。 「パッサリン/アントニオ・カルロス・ジョビン」でのジョビンは、その点で、ちょっとちがって いる。ジョビンの音楽は、すでに功なり名をとげ、余生を安泰にすごしているオッサンの音楽である。 ここできける音楽には、どことなく、おさまった風情がある。ジョビンは、女声のバック・コーラス などしたがえて、例のしわがれ声でうたっているのであるが、ジョビンによってもたらされる音楽は、 あのアメリカ製の大型自家用車の走りぶりを思い出させなくもない。なお、ここでのバック・コーラ スをうけもっている五人のうちのひとりはジョビンの奥さんであり、もうひとりはジョビンのお嬢さ んである。 「ゲッツ/ジルベルト」のレコードは、まさにこれから世界的な活動を展開しようとしていた、当 時はまだ若かったジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンにとって、きわめて有効 な働きをした。事実、その後のふたりは、ききての期待にこたえる仕事をしてきた。そして、今もな お、ふたりは、ボサノバへのこだわりを捨てずに、現役として演奏活動をつづけている。見上げたふ たりである。ただ、その現役としてのあり方が、ジルベルトとジョビンでは、微妙にちがっている。 むろん、できることであれば、十年後をジルベルトのように生きたい、と思う。ただ、そのために どのようにしたらいいのか、その道がわからない。さらりと小粋に、しかもしぶとく大人をやってい る男のうたう歌に、ただ、ききほれるのみである。 ※シグネチャー 第 5 回
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