旧本理学療法士協会四十年史 - たくさんの「一歩」と歩んで50年 たくさん

旧本理学療法士協会四十年史
2006
社団法人
日本理学療法士協会
社 団法人 日本理学療法士協会
設立40周 年 にあた って
社団法人 日本理学療法士協会
会長
本 協 会 は 昭 和41年7月17日
に 僅 かllO名
中屋 久 長
の 会員 で 設 立 され ま した。 大 変 な 難 産 の末 に誕 生
し た 理 学 療 法 士 と い う 新 し い 職 種 に 対 し て,今
後 の リハ ビ リ テ ー シ ョ ン 医 療 発 展 の 力 と して 大
き な 期 待 が 寄 せ ら れ ま し た 。 平 成17年8月
現 在 の 理 学 療 法 士 免 許 登 録 者 は,46,114名
因 み に 平 成8年
間 で2.7倍
に は17,295名
合 格 者 は183名,1万
の4年
後 に3万
人 を 超 し た の が,そ
人,さ
な る ま で40年,今
で あ り,10年
ら に 僅 か3年
後 は4∼5年
れ か ら25年
後 に4万
で4万
の 増 加 で す 。 昭 和41年
後 の 平 成2年,そ
の7年
です。
第1回
国家 試 験
後 に2万
人,そ
人 に 達 し て い ま す 。 こ の 経 緯 か ら す る と4万
人に
人 の 新 しい理 学 療 法 士 が 誕 生 す る こ と に な り ます 。 何
れ に して も急速 な増 加 傾 向 で す 。
医 療 技 術 の 発 展,疾
病 構 造 の 変 化,国
子 高 齢 化 社 会 の 到 来 等/社
民 の 健 康 へ の 関 心 及 び 意 識 の 高 揚,医
療 費の高騰
少
会 の 仕 組 み や 情 勢 の 変 化 が リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン 医 療 ・福 祉 の ニ ー ズ
を 高 め理 学 療 法 士需 要 を 高 め た と考 え ます 。 関連 して 大 学 や 専 門学 校 に応 募 す る学 生 の 意 識 の
変 化,学
校 の 経 営 や 財 政 ・経 済 的 戦 略 を 包 含 し な が ら 養 成 校 が 急 増 し た こ と が 理 学 療 法 士 の 急
増 の 要 因 で あ る と 考 え ます 。 養 成 校 は 現 在186校,1学
学2校,4年
で93%を
制 専 門 学 校61校,3年
占 め て い ま す 。 本 協 会 員 は,17年8月
で す 。 医 療 機 関 に28,665名,74.5%,医
名,2.7%,教
保 健(健
が85%を
と 教 育 ・研 究 領 域 の90%を
康 産 業 等)100名,0.3%,そ
学42校,短
あ り,特
期大
・
学 年定員
務 す る施 設 数 は12,906施
療 福 祉 中 間 施 設 に3,313名,8.6%,福
設
祉 施 設 に1,038
筆 す べ きは 理 学 療 法 士 養 成 施 設 勤 務
占 め て い る こ と で す 。 行 政 機 関 に は,368名,1.0%,
の 他,7.9%で
す 。 さ ら に 平 均 年 齢 は31.9歳
占 め る 大 変 若 い 集 団 で す 。 こ れ か ら先 の40年
況 に な る か,ま
で,大
立 学 校 が 学 校 数 で83%,一
現 在38,498名,勤
育 ・研 究 施 設 に1,493名,3.9%で
者 が1,341名
年 定 員9,088名
制 専 門 学 校80校,私
で40歳
以下
は 全 く今 ま で の 流 れ と 異 な り厳 し い 状
た そ の 状 況 下 に 活 路 を 開 き 自 律 性 の あ る 専 門 職 と し て 位 置 付 くか は,国
保 障 制 度 の 方 向 性 と 協 会 の 活 動 や 個 々 の 理 学 療 法 士 の 知 識 ・技 術,専
の社会
門 性 及 び 思 想 と哲 学 に委
ね られ て い る とい って過 言 で はな い と思 い ます 。
国 が 進 め る ヘ ル ス プ ロ モ ー シ ョ ン も 理 学 療 法 士 が 最 も 専 門 と す る 領 域 で あ り,卒
後 教 育 に 取 り入 れ,ヘ
前 教 育,卒
ル ス プ ロ フ ェ ッ シ ョン と して の 位 置 づ けを 確 立 す べ き と考 えて い ます 。
(q
祝
辞
厚 生労働 大臣
尾辻 秀久
社 団法 人 日本 理 学 療 法 士 協 会 の設 立40周
年 に あ た り,一 言 お祝 い の言 葉 を 申 し上 げ ます 。
は じめ に,貴 協 会 に お かれ ま して は,設 立 以 来,会 員 の 皆様 の御 努 力 に よ り年 々 発 展 を 遂 げ,
国民 の健 康 の確 保 に大 き く貢 献 して こ られ た こ とに心 よ り敬 意 を表 し ます。
今 日,我 が 国で は,急 速 な 少 子 高 齢 化,国 民 の 生 活 や 意 識 の 変 化 等 大 きな 環 境 変 化 の 中 に あ り,
国民 皆 保 険 制 度 を堅 持 しつ つ,制 度 を持 続 可 能 と して い くた め,医 療 制 度 の 構 造 改 革 が 課 題 と
な っ て お り ます 。
こ の た め,厚 生 労 働 省 に お い て は,患 者 と医 療 関係 者 の信 頼 関係 の下,予 防 か ら治 療 まで の
ニ ー ズ に応 じて,安 全 ・
安心 で質 の 高 い 医療 サ ー ビス が提 供 され る患者 本 位 の 医療 の確 立 のた め,
平 成18年
に 向 け 医療 提 供 体 制 の改 革 の 検 討 を 進 め て お り,去 る10月19日
に は,厚 生 労 働 省
と して,国 民 各 層 の 幅広 い 議 論 に資 す るた め,医 療 制 度 構 造 改 革 試 案 を公 表 した と こ ろで あ り
ます 。
こ の改 革 で は,医 療 機 能 の 分 化 ・連 携 を推 進 し,急 性 期 か ら回 復 期 を経 て在 宅 療 養 へ の 切 れ
目 の な い 医 療 の流 れ を つ く り,患 者 の 方 々 が で きる 限 り早 く,住 み なれ た地 域 で の 日常 生 活 に
復 帰 で き る よ う に す る こ と に よ り,患 者 ・国 民 の生 活 の 質 の 向 上 さ せ る こ とを 柱 の一 つ と して
お り ます 。
こ う した 中 で,リ ハ ビ リテ ー シ ョン を適 切 に行 う こ と は重 要 な ポ イ ン トで あ り,理 学 療 法 士
の担 うべ き役 割 や これ に対 す る国民 の期 待 は ます ます大 き くな って い くもの と思 わ れ ます 。
理 学 療 法 士 の皆 様 に お か れ ま して は,こ れ まで 培 っ て こ られ た信 頼 を基 礎 と して,今 後 と も
一一層 の研 鐙 を積 まれ ,国 民 の保 健 衛 生 の 向上 に 寄与 して い か れ る こ とを期 待 して お ります 。
最 後 に,貴 協 会 の ます ます の 御 発 展 と皆 様 の御 活 躍 を祈 念 い た し ま して,私 の お祝 い の 言 葉
と い た し ます 。
(2)
40 IME*Milli
5 It lat—
On behalf of the World Confederation for Physical Therapy I send most sincere congratulations
on the 40th anniversary of the JPTA. This anniversary is a major milestone in the association's
history and is acknowledgement of the maturity of the profession in Japan.
WCPT was founded in September 1951 by 11 national physical therapy associations. In 2005 it
has a membership of 92 organisations representing over 250,000 physical therapists.
Throughout
its history WCPT has been committed to improving the health of people by supporting the sharing
of information among member organisations and encouraging high standards of physical therapy
education, practice and research around the world. JPTA joined WCPT in this mission when it
became a Member Organisation in 1970.
JPTA is a highly respected
and valued member of the Confederation.
JPTA has grown
significantly since it joined WCPT and it is now the fastest growing and fourth largest Member
Organisation of WCPT. In the same period the development of the profession in Japan has also
been remarkable with an increase in the number of universities offering Master and PhD degrees
and a rise in the level and standard of internationally recognised research.
In 1999 JPTA hosted a very successful WCPT Congress in Yokohama. For many years JPTA has
played an active role in international affairs and in the work of WCPT including the membership
of Mr. T Morinaga, and Dr. Isao Nara on WCPT's Executive Committee. The congress in 1999
further demonstrated your international commitment to the world of physical therapy. Participants
at that congress will never forget the hospitality and generosity shown while they were in Japan.
That event also raised interest in WCPT among JPTA members and as a result there were more
delegates registered from Japan for WCPT's 2003 congress in Barcelona Spain than from any
other Member Organisation.
WCPT sincerely appreciates the support JPTA has shown WCPT over the years. We send warm
wishes and greetings on this special anniversary to be celebrated in Tokyo on 28th October 2005.
We look forward to many more years of partnership between WCPT and the JPTA.
Yours sincerely
2t4w.-
Sandra
Mercer
Moore
President
(10)
49
第13回 世界理学療法連盟 学会の開催
神 戸 学 院 大 学 総 合 リハ ビ リテ ー シ ョン学 部
奈良 勲
は じめ に
世 界 理 学 療 法 連 盟(WorldConfederationforPhysicalTherapy;WCPT,以
主 催 に よ る 第13回WCPT学
会(以
文 化 を 超 え て 」 と し て,日
下,本
本 理 学 療 法 士 協 会(以
平 成11年(1999年)5月23日
∼28日
は 天 皇 皇 后 両 陛 下 の ご臨 席 を 賜 り,天
本 会 は,昭
(1974年)に
学 会 と 略 す)は,そ
略 す)
の テ ー マ を 「BridgingCultures,
会 と 略 す)と
日本 学 術 会 議 との 合 同 で
にパ シ フ ィ コ横 浜 で 開 催 され た。 この 大 会 の 開 会 式 に
皇 陛 下 に は 「お こ と ば」(表)を
和41年(1966年)に183人
は,WCPTの
下,本
下WCPTと
いただいた。
の 理 学 療 法 士 に よ っ て 創 立 さ れ,8年
後 の 昭 和49年
会 員 国 と な っ た 。 定 款 に 定 め て あ る 本 会 の 目 的 は,「理 学 療 法 士 の 人 格,
倫 理 及 び 学 術 技 能 を 研 鐙 し,わ
が 国 の 理 学 療 法 の 普 及 向 上 を 図 る と と も に,国
寄 与 す る」 と な っ て い る 。 し か し,本
会 は,創
立 以 来,WCPTの
民 保 健 の 発展 に
会 員 国 に な り,わ
が国の理学
療 法 水 準 を 国 際 的 水 準 に す べ し と の 志 向 性 も堅 持 し て き た 。 こ の こ と も あ り,昭 和55年(1980
年)に
はAsianConfederationforPhysicalTherapy;ACPT,以
下ACPTと
本 会 は そ の 実 現 に 大 き な 貢 献 を して い る 。 そ し て,昭
長 と し て 第3回ACPT学
本 論 は,本
和63年(1988年)に
略 す)が
創 立 さ れ た が,
は松 村
秩氏を学会
会 を東 京 で 開 催 して い る。
会 創 立40年
史 に 過 去10年
間 の ト ピ ッ ク ス の ひ と つ と し て 掲 載 さ れ る と の こ と で,
要 点 を 記 載 し て お く。
第13回WCPT学
会の誘致の経緯
筆 者(奈 良 勲)は,平
成 元 年(1989年)に
本 会 の会 長 に就 任 した。 会 長 就 任 に際 し,本 会
が 到 達 す べ き課 題 や 展 望 を短 期 ・中 期 ・長 期 に わ た る マ ス タ ー プ ラ ン と して掲 げ,そ れ らを会
員 や役 員 と共 有 して よ り民 主 的 か つ 効 率 的 に本 会 の 事 業 を運 営 す る こ と が大 切 で あ る と考 え た。
平 成 元 年(1989年)の
(1999年)に
マ ス タ ー プ ラ ンの 長 期 到 達 課 題 の ひ とつ と して,10年
後 の平 成11年
本 学 会 を 日本 で 開催 す る こ と を掲 げ た。 当然 の こ と な が ら,マ ス タ ー プ ラ ン に掲
げ た 到 達 課 題 に つ い て は,そ れ ぞれ の 時 期 に実 現 すべ く準 備 や行 動 を 起 こす 必 要 が あ る。 本 学
会 に つ い て は,そ の 誘 致 方 策 を 計 画 し活 動 を 展 開 した。 そ の最 初 の 活 動 は平 成3年(1991年)
に ロ ン ドン で 開催 され た第11回WCPT学
会 に際 し,当 時 のWCPTの
役 員 を本 会 主 催 の パ ーテ
ィ に招 待 し,日 本 の魅 力 や 日本 で の 開催 が 可 能 で あ る こ と を ス ラ イ ドな どで ア ピー ル して 開 催
誘 致 を 表 明 した。 さ ら に,平 成5年(1993年)に
学 療 法 士 学 会(学 会 長:田
わ せ てWCPT理
パ シ フ ィ コ横 浜 で 開 催 され た 第28回
日本 理
口順 子 氏,学 会 テ ー マ:国 際 的 視 野 に立 っ た理 学 療 法)の 会期 に あ
事 会 開 催 を 誘 致 し,会 場 候 補 の パ シ フ ィコ横 浜 を視 察 して も ら った 。 ま た,田
口順 子 氏 に は上 記 の学 会 テ ー マ に沿 った シ ンポ ジ ウム で 当 時 の フ ェル ナ ン ドWCPT会
長 とオ ヘ
ア 事 務 局 長 に も発 言 の機 会 を与 え て い た だ い た。 これ らの活 動 の成 果 か ど うか定 か で はな い が,
結 果 と して 上 記 したWCPT理
事 会 で 平 成11年(1999年)の
本 学 会 の 開催 地 が 日本 に決 定 した 。
50
本学会開催に向けての準備
本 学 会 を 日本 に誘 致 で きた こ とで,ひ と まず 安 堵 した。 しか し,そ の 後 平 成11年(1999年)
の 開 催 まで6年 間 の 猶 予 が あ る と は い え,大
きな 国 際 学 会 を 開 催 した こ との な い本 会 と して,
国 際 学 会 の 開催 準 備 を請 け負 って くれ る委 託 会社 を 探 す 必 要 が あ っ た。 同 時 に 早 め に実 行 委 員
会 を 発足 させ て 準備 万 端 を 図 る必 要 性 を感 じた。
平 成6年(1994年)に
は本 会 理 事 会 で 奈 良 勲 が本 学 会 長 と して承 認 され,そ の年 の後 半 に
は実 行 委 員 会(委 員 長:丸 山仁 司 氏)が 設 置 され た 。 実 行 委 員 会 の主 な部 門 の 委 員 長 は意 思 疎
通 と会 議 出席 の 経 済 性 を と考 慮 して 当 時 の 理 事 に担 当 して い た だ い た。 な お,日 本 学 術 会 議 と
の 合 同 開催 とい う こ とで,平 成10年(1998年)に
は別 の組 織 委 員 会 も設 置 され,本 学 会 長 は
組 織 委 員 長 とい う立 場 に も な っ た。
平 成7年(1995年)に
WCPTの
は本 学 会 の テ ー マ や 会期 な どが 決 ま り,最 初 の 案 内 を 英 文 で 作 成 して,
会 員 国 に配 布 した。 また,こ の 年 に第12回WCPT学
会 が ワ シ ン トンDCで
た こ と か ら,実 行 委 員 会 の各 部 門 の 委 員 長 を ワ シ ン トンDCに
派 遣 して,WCPT学
開 催 され
会の運営 な
ど の視 察 をす る と 同 時 に,大 々 的 な広 報 活 動 を行 った。
平 成8年(1996年)に
は本 学 会 の委 託 会 社 と して 日本 コ ンベ ン シ ョ ンサ ー ビ ス が 決 定 した。
第1回 実 行 委員 会 を 平成7年(1995年)に
開 催 して,本 学 会 開催 まで通 算14回
開 催 して い る。
そ の 間,プ ロ グ ラ ム,ソ ー シ ャル イ ベ ン ト,展 示,会 期 中 の 運 営 な どに つ い て 各 部 門 別 の打 ち
合 わ せ も行 っ て も らっ た。
さ らに,大 規 模 な 国 際 学 会 の 経 験 が な い 本 会 に と っ て,2億
政 面 で の懸 念 が あ っ た。 幸 い,本 会 会 員 か らWCPT特
弱 の 予 算 立 て を した こ とか ら財
別 会 費5,000円
を 供 出 い た だ く こ とが総
会 で承 認 され た こ とで,本 学 会 の登 録 費 を 通 常 よ り低 く設 定 で き た。 そ の他,会 員 や 関連 団体 ・
企 業 な ど に寄 付 金 を お 願 い した。 また,日 本 学 術 会 議 と の合 同 開催 と い う こ とで,会 場 使 用 料
の 一・
部 を 日本 学 術 会 議 に負 担 して い た だ い た。 これ らの こ と と,必 要 以 上 に委 託 会 社 に頼 らず,
実 行 委 員 会 の努 力 で 支 出 を抑 制 した こ と も あ り,懸 念 して い た財 政 面 で の赤 字 決 算 に は な らな
か った。
天 皇皇后両陛下の開会式 ・特別 レセ プシ ョンへの ご臨席
国 際 学 会 と い う こ と で,実
行 委 員 会 で は 開 会 式 に 皇 室 の ど な た か に ご臨 席 い た だ け る こ と を
願 っ て い た 。 天 皇 皇 后 両 陛 下 の ご 臨 席 な ど実 現 す る わ け が な い と 考 え て い た が,と
も か く駄 目
で も と も と,と い う 姿 勢 で 日 本 学 術 会 議 か ら宮 内 庁 を 通 じ て 申 請 し た 。 す る と,平 成10年(1998
年)の12月
に 両 陛 下 に ご 臨 席 い た だ け る 可 能 性 が あ る と の 通 知 を 受 け た 。 ま さ か と 思 わ れ た が,
そ の と き に は,天
に も 昇 る ほ ど の 感 激 で あ っ た 。 し か し,警
成11年(1999年)の5月17日
ち 同 年5月6日
に行 わ れ た 記者 会 見 の と き まで 待 つ こ と にな った 。 それ に先 立
に は 筆 者 と 接 遇 委 員 長 の 田 口 順 子 氏 と が 皇 居 を 訪 問 し て,約1時
(両 陛 下 に 理 学 療 法 や 本 学 会 に つ い て 説 明 す る こ と)を
平 成11年(1999年)5月23日,い
ご案 内 し た 。 そ し て,午
よ い よ 開 会 式(午
後5時
の 力 強 い 開 会 宣 言 が あ り,そ
後5時)で
あ る。 午 後4時30分
ラ ビ ア ペ ー ジ 参 照)さ
れ,控
には
え室 に
に は 開 会 式 場 の ス テ ー ジ に ご案 内 した 。 最 初 に丸 山 実 行 委 員 長
の 後,筆
者 が 挨 拶 を し た 後,4番
賜 っ た 。 開 会 式 が 終 了 す る と,参
し た 。 両 陛 下 は,特
間 の 「御 進 講 」
行 った。
パ シ フ ィ コ 横 浜 の 大 ホ ー ル の 玄 関 に 両 陛 下 が 車 で 到 着(グ
ペ ー ジ 参 照)を
備 な ど の 関係 で こ の公 式発 表 は平
別 レ セ プ シ ョ ン(国
目 に 天 皇 陛 下 の 「お こ と ば」(52
加 者 の ほ と ん どは レセ プ シ ョ ンの 会 場 に移 動
内 か ら100人,海
外 か ら100人
に 限 定)に
も ご臨 席 い
51
た だ き,参
列 者 と 和 や か に 会 話 を 交 わ さ れ た 。 そ し て,両
浜 を 無 事 御 発 ち に な ら れ た 。 こ の 瞬 間,筆
陛 下 が 午 後8時
過 ぎ に パ シ フ ィ コ横
者 の こ こ ろ の な か で は 深 い 感 謝 の 気 持 ち と感 激,安
堵 が 交 錯 し て い た 。 そ し て,こ の と き筆 者 の 心 の な か で は す で に 本 学 会 の60%は
終 了 して い た。
会期中の内容
学 術 プ ロ グ ラ ム の 進 行 は,国
っ た が,そ
の 他 の プ ロ グ ラ ム,展
際 学 会 で は め ず ら し くな い 一 般 演 題 の キ ャ ン セ ル が5%ほ
示,ソ
どあ
ー シ ャ ル イ ベ ン トな ど は 順 調 に 進 行 し た 。 特 に,ス
イ ド受 付 や ス ラ イ ド係 り の 担 当 と し て,神
奈 川,東
ラ
京 の養 成 校 の教 員 と学 生 の協 力 が得 られ た
こ と は大 きな パ ワ ー と な っ た。
本 学 会 に は,延
524),日
べ5,700余
本 語 演 題252。
セ ミ ナ ー13件
の 参 加 者 を 得 た 。 一・
般 演 題 は1,217(内
そ れ に加 え,基
調 講 演6件,シ
日本 の理 学 療 法 士 の 演 題
ン ポ ジ ウ ム7件,ワ
ー ク シ ョ ッ プ7件,
で あ っ た。
おわ りに
本 学 会 を 開 催 す る に あ た り,実 質 的 に は4年 余 りの期 間 をか け て 準備 して きた。 しか し,マ
ス タ ー プ ラ ン の長 期 到 達 課 題 と して そ の 開催 を掲 げ て か ら10年 か け て実 現 した こと に な る。 こ
の 間,会 員 を は じめ実 行 委員 会,組 織 委 員 会 の 委 員,関 係 各 位 な ど の 暖 か い 支 援 と協 力 を 受 け
て きた こ とで,盛 大 に本 学 会 を 開 催 で きた も の と確 信 す る。 つ ま り,本 会 の 総 力 を あ げ て 取 り
組 ん だ 大 きな イ ベ ン トで あ り,か つ わ が 国 の 理 学 療 法 水 準 が 国 際 的水 準 に 到 達 した ひ とつ の 証
で も あ っ た と い え る。
さ らに,天 皇 皇 后 両 陛下 に 開 会 式 に ご臨 席 い た だ き 「
お こ と ば」 を賜 った こ と は,両 陛 下 に
理 学 療 法(士)を
認 知 して い た だ い た と い う意 味 で あ り,そ の意 義 は極 め て大 きい とい え る。
平 成15年(2003年)に
ス ペ イ ンの バ ル セ ロナ で 開 催 され た第14回WCPT学
会 にお い て も,
わ が 国 の理 学 療 法 士 の一 般 演 題 報 告 数 は200を 超 えた 。 第15回WCPT学
会 はカナダのバ ンク
ー バ ー で 開催 され るが ,こ の学 会 で もわ が 国 の理 学 療 法 士 の 活 躍 が 期 待 され る。WCPT会
員国
の会 員 数 か らみ て も,今 や 日本 は米 国 に次 い で2番 目 で あ り,こ の 点 か ら して も本 会 のWCPT
へ の貢 献 度 は ます ます 高 まる と い え よ う。
S2
天皇 陛下 のお ζとば
第13回
世 界 理 学 療 法 連 盟 学 会 が世 界 の各 地 か ら多 数 の参 加 者 を迎 えて,こ こ横 浜 に
お い て 開催 され る こ とを誠 に喜 ば し く思 い ます。
第1回
の学 会 は1953年,25か
国 か らの参 加 者 を ロ ン ドン に 迎 え,開 催 され ま した
が,当 時 我 が 国 に お い て は,ま だ 理 学 療 法 士 とい う制 度 が あ り ませ ん で した 。 それ か
ら10年 を経 た1963年,米
国 や世 界 保 健 機 関 の協 力 の 下 に初 め て理 学 療 法 士 や 作 業 療
法 士 を 専 門家 と して養 成 す る学 校 が 我 が 国 に設 け られ,2年
後,理 学 療 法 士 及 び 作 業
療 法 士 法 の制 定 に よ り,理 学 療 法 士,作 業 療 法 士 と い う国家 資 格 を持 つ 医療 の専 門職
が誕 生 し ま した。 この よ うに して 国 の 内外 の協 力 を得,理 学 療 法 と い う新 た な 世 界 を
切 り開 き,現 在19,000名
に達 す る多 くの理 学 療 法 士 を 育 て た人 々 の努 力 に深 く感 謝 の
意 を表 す る もの で あ り ます。
今 日,国 内 各 地 の福 祉 施 設 で理 学 療 法 士 や 作 業 療 法 士 が心 を 込 め て 障害 を 持 つ 人 や
高 齢 者 の 治 療 に 当 た って い る姿 に接 し,寝 た き りで あ っ た高 齢 者 が よ い看 護 を 受 け た
結 果,起
きて 生 活 が 出 来 る よ うに な っ た話 な どを 耳 に し,そ の 目覚 しい働 き に深 い感
慨 を覚 え ます。 理 学 療 法 が,今 後 と も,急 速 な 医学 の進 歩 の成 果 を取 り入 れ な が ら,人/
の生 活 の質 を 向上 さ せ るた め に さ らに 貢献 して い くよ う願 って お ります 。
今 回 の 学 会 に は,世 界 の 理 学 療 法 士 が,そ れ ぞ れ の地 域 や人 種,文 化 の違 い を認 め
あ い な が ら,そ の枠 を 超 え て,理 学 療 法 学 や 治 療 技 術 の進 歩 とい う共 通 の 目標 に よ っ
て結 ば れ て い く願 い を 込 め て 「
文 化 を 超 え て」 とい うテ ー マ が 掲 げ られ て い ます 。 理
学 療 法 が 対 象 とす る も の は人 類 に 普 遍 的 な もの で あ り,様 々 な 道 を歩 ん で きた 国 々 の
人1が 一 堂 に会 し,研 究 成 果 を分 か ち合 う こ と は極 め て 意 義 深 い こ と と思 わ れ ます。
そ して,こ の学 会 が わ が 国 に お い て は比 較 的歴 史 の浅 い この 分 野 で,日 夜 真 剣 に努 力
を続 け て い る我 が 国 の 理 学 療 法 士 に大 きな刺 激 とな り励 ま し とな る こ とを 期 待 して お
り ます。
この度 の 学 会 が参 加 者 に と っ て 実 り多 い もの とな り,理 学 療 法 の発 展 と普 及 に大 き
く貢 献 す る こ とを心 か ら願 い,開 会 式 に よせ る言 葉 とい た し ます 。
82
理学療法週間
九 州 リハ ビ リテ ー シ ョン 大 学 校
橋元 隆
(社団 法 人 日本 理 学 療 法 士 協 会
平成7∼14年
理学療法週間推進委員会
度
委員長)
事 の起 ζり
高 齢 社 会 の担 い 手 と して 理 学 療 法 士 のニ ー ズ が 高 ま る一 方 で,理 学 療 法 の 業 務,理 学 療 法 士
とい う職 種 が一 般 の 方 々 に本 当 に理 解 され て い るの で あ ろ うか 。 リハ ビ リテ ー シ ョン と い う言
葉 が 先行 す る中 で 「リハ ビ リを す る」 「
訓 練 」 と い う言 葉 で理 学 療 法 が表 現 され る,そ れ で い い
の だ ろ う か?そ う した 疑 問 が奈 良 勲 前 協 会 長 か ら投 げ か け られ た 。 そ う した経 緯 か ら理 学 療 法
週 間 が 話 題 に な り始 め た の は平 成4年 度 で あ り,平 成5年 度 に は広 報 部 に理 学療 法 週 間推 進 委
員 会(予 算10万
円)が 山 田純 生 委 員 長(当 時広 報 担 当理 事)の 下 で発 足 した。 この 年 に は"理
学 療 法 週 間"の 実 施 に あ た り各 都 道 府 県 士 会 長 に む けて 理 学 療 法 週 間 構 想 に対 す る ア ン ケ ー ト
も実 施 され た。 平 成6年 度 に は これ らア ン ケ ー トの 意 見 も取 り入 れ,日 本 理 学 療 法 士 協 会 設 立
総 会 が お こな れ た7月17日
を「
理 学 療 法 の 日」と定 め,そ の 日を挟 む1週 間 を理 学 療 法 週 間 と し,
活 動 が 開始 され た。 当 時 は士 会 活 動 の 活 性 化,士 会 法 人 化 推 進(10士
涯 学 習 シ ス テ ム の 実現,そ
して平 成ll年(1999年)WCPT学
会 が 法 人 化 を 取 得),生
会 開 催 に 向 け て 協 会 が動 い て い
た 時代 で あ る。
委 員 会発 足 当 時 の 委員 は部 長:山 田 純 生 氏,委 員:秋 田裕 氏,潮 見 泰 蔵 氏,半 田一・
登 氏,網 本 和 氏,
西 沢 利 広 氏 で あ った 。 平 成6年 度 に は予 算 が19万
円 と な り,具 体 的 な活 動 が 開 始 され,協 会
ニ ュ ー ス を通 じて 理 学 療 法 週 間 の 意 義,意 見 な どが 掲 載 さ れ,理 学 療 法 週 間事 業 の実 現 可 能 な
モ デ ル 地 区 を選 出,パ ッ ケ ー ジ ・プ ロ グ ラ ム作 成 の た め の調 査,方 法 論 の整 備 が 行 わ れ,米 国
理 学 療 法 週 間 に 関 す る情 報 収 集,養 成 施 設 に対 す る公 開 授 業 や 公 開 講 義 な どの働 き か け が行 わ
れ た 。 また,理 学 療 法 週 間 事 業 の趣 旨を,『1965年
生 して 以来,30数
わ が 国 に理 学療 法 士(PT)の
資格制度 が誕
年 の年 月 が 過 ぎ ま した。 そ の 間 に理 学 療 法 の知 識 と技 術 は よ り高 度 に進 歩 し,
医療 サ ー ビス の 水 準 も確 実 に 向 上 して きて い ます 。 人 口 の 高齢 化,医 療 の高 度 化 に伴 い リハ ビ
リテ ー シ ョ ン対 象 者 の増 加 や保 健 ・福 祉 の分 野 で の 新 た な需 要 の 拡 大 な ど,理 学 療 法 士 の果 た
す 役 割 の重 要 性 は ます ます 高 くな る と考 え られ ます 。 しか しな が ら私 達 た ち の 役 割 は,一 般 の
方 々 に十 分 に理 解 され て い な い 面 が あ る こ と も事 実 です 。 この よ う な観 点 に よ り,私 た ち は 専
門家 と して の 責任 にお い て,必 要 な 情 報 を よ り適 切 に社 会 に還 元 す る こと で,国 民 全 体 の保 健 ・
医療 ・福祉 の 向 上 に寄 与 した い と考 えて お り ます 。
私 た ち 日本 理 学 療 法 士 協 会 で は,協 会 が 設 立 され た 日7月17日
を 「
理 学 療 法 の 日」 と定 め,
この 日 を 中心 とす る一 週 間 を 「
理 学 療 法 週 間」 と して,全 国各 地 にお い て種1の 行 事 を 開催 す
るな か で,理 学 療 法 に 関す る社 会 的 認 識 を高 め る と と も に,こ れ か らの リハ ビ リテ ー シ ョ ンの
あ り方 を考 え る機 会 と した い と思 い ます 。』 と掲 げ,各 士 会 に事 業 へ の参 加 が促 され た。
83
理学療法週 間
平 成7年
パ イロッ ト事 業時代
度 よ り特 別 委 員 会 と し て 広 報 部 よ り独 立 し,"理
し,7月17日(月)か
ら23日(日)「
学 療 法 週 間"事
業 が正 式 に ス タ ー ト
理 学 療 法 週 間 ・パ イ ロ ッ ト'95」 を 実 施,北
海 道 ・青 森 ・
秋 田 ・埼 玉 ・神 奈 川 ・愛 知 ・大 阪 ・兵 庫 ・岡 山 ・高 知 ・福 岡 ・宮 崎 ・沖 縄 の13士
会 が 参 加 し,
モ デ ル 事 業 に あ た っ て の マ ニ ュ ア ル,ポ ス タ ー,リ ー フ レ ッ ト,ス テ ッ カ ー を 作 成 し配 布 さ れ た 。
こ の 啓 発 ポ ス タ ー に は 山 田 担 当 理 事 の 尽 力 で チ ャ ッ ク.ウ
て い た だ い た 経 緯 が あ る 。 ま た,財
ト医 科 学(株)に
鈴 木 康 三 氏(京
研(株)・
し い 委 員 と し て 全 国 各 ブ ロ ッ ク か ら 石 川 孝 幸 氏(青
都),赤
岡)が
平 成8年
政 的 支 援 を 得 る た めOG技
デルを務 め
酒 井 医 療(株)・
ミナ
も ご支 援 い た だ い た こ と を 付 記 し て お き た い 。
こ の 年 よ り,新
に 橋 元 隆(福
ィ ル ソ ン 氏 が 無 償 で,モ
松 満 氏(愛
媛),千
代 丸 信 一 氏(福
岡),高
森),宮
前 信 幸 氏(千
橋 精 一 郎 氏(福
岡),委
葉),
員長
拝 命 した。
度 に は 宮 城 ・千 葉 ・静 岡 ・石 川 ・岐 阜 ・鳥 取 ・徳 島 ・熊 本 ・宮 崎 士 会 が 加 わ り21
士 会 が 参 加,理
学 療 法 週 間 実 施 士 会 に は5万
作 成 と し て60万
円 な ど 事 業 費 と し て210万
た 学 会 中 の5月16日
円 の 援 助 金 が 支 出 さ れ,ポ
円 あ ま り が 組 ま れ,さ
に 初 め て 各 士 会 担 当 者 会 議 を 開 催(の
が 定 例 と な っ た),32名
ス タ ーや リー フ レ ッ ト
らに は名 古 屋 市 で 開催 され
ち に学 術 大 会 時 に 開催 され る こ と
の 参 加 が あ り理 学 療 法 週 間 の 普 及 が 促 進 さ れ,協
会 の重点事業 のひ と
つ と して 位 置 づ け られ る よ う に な っ た 。 ま た こ の 年 初 め て 学 会 で 理 学 療 法 週 間 に 関 す る演 題 『当
院 に お け る 「理 学 療 法 週 間 」 の 試 み 』(浦 上 遊 子 氏 ・他)が
平 成9年
度 に は ポ ス タ ー(8,000部),パ
を 作 成,「 理 学 療 法 週 間'97」
ン フ レ ッ ト(PTの
と し て,7月14日
∼20日
発 表 され た。
世 界),リ ー フ レ ッ ト(15,000部)
を 中 心 に 新 た に 岩 手 ・山 形 ・福 島 ・栃
木 ・新 潟 ・富 山 ・京 都 ・滋 賀 ・広 島 ・島 根 ・愛 媛 ・長 崎 ・大 分 の13士
実 施 。 ま た,全
会 にて
国理 学 療 法 士 学 校 養 成 施 設 に本 事 業へ の協 力 とポ ス タ ー等 の掲 示 依 頼 文 書 が発
送 さ れ る よ う に な り,年 間 予 算 も280万
井)が
会 が 加 わ り34士
円 を 超 え る よ う に な っ た 。 こ の 年 よ り奈 須 田 鎮 雄 氏(福
推 進 委 員 と し て 加 わ り全 ブ ロ ッ ク で 推 進 委 員 が 構 成 さ れ た 。
平 成10年
度 は 担 当 理 事 に 磯 崎 弘 司 氏 が 就 任,46士
酒 井 医 療(株)・(株)日
本 メ デ ィ ッ ク ス,パ
会 が 参 加 。 後 援 団 体 と し てOG技
ナ マ ン トベ ッ ド(株),ミ
に ご 協 力 を い た だ い た 。 ポ ス タ ー(11,000枚),リ
研(株)・
ナ ト医 科 学(株)の5社
ー フ レ ッ ト(22,500部)お
よ び協 会 パ ン フ
レッ ト 「
理 学 療 法 っ て な ん だ ろ う」 を 参 加 士 会 な らび に 関 係 機 関 へ の 配 布.ま
たTBS作
学 療 法 紹 介 ビ デ オ も 配 布 さ れ た 。 こ の 年 よ り と啓 発 用 ボ ー ル ペ ン(30,000本)を
成 の理
記念 グッズと
して施 設 訪 問 の参 加 者 な どに配 布 す る こ とが 始 ま った。
全士会参加へ
平 成ll年
を 実 施,全
度 はWCPT学
士 会(47士
会 が 横 浜 で 開 催 さ れ た 年 で あ る が,理
会)で
開 催 さ れ る よ う に な っ た 。7月17日(土)に
ム イ ン サ タデ ー のエ ン デ ィ ン グで
を 開 始 し,全
「理 学 療 法 の 日 」 が 放 映 さ れ た 。 平 成7年
士 会 で 開 催 で き る ま で に5年
理 学 療 法 週 間 事 業 を 終 了,こ
学 療法
島)に
変 更 され た。
は 日本 テ レ ビ ズ ー
に パ イ ロ ッ ト事 業
間 を 要 し た 。 こ の 年 を 機 に パ イ ロ ッ ト事 業 と し て の
れ ま で ポ ス タ ー 作 成 な ど で ご支 援 い た だ い て き た 業 者 さ ん 等 の 協
賛 も 打 ち 切 る こ と に な っ た 。 中 国 ・四 国 ブ ロ ッ ク の 推 進 委 員 が 赤 松 満 氏(愛
氏(徳
「理 学 療 法 週 間'99」
媛)か
ら野 村 充 彦
84
平 成12年
度 に は ポ ス タ ー や ロ ゴ マ ー ク な ど の デ ザ イ ン コ ン ペ の 開 催 を 計 画,さ
ミ や 行 政 へ の 積 極 的 働 き か け,ま
鹿 児 島 が 掲 載)ホ
(15,000枚),ボ
た 協 会 ・士 会(新
(32,000部)を
潟 ・秋 田 ・長 野 ・富 山 ・大 阪 ・岡 山 ・福 岡 ・
ー ム ペ ー ジ な ど で 本 事 業 のPR活
ー ル ペ ン(30,000本)の
参 加 士 会,な
動が行 われた。事業推 進の ためのポ スター
よ び パ ン フ レ ッ ト 「理 学 療 法 っ て な ん だ ろ う」
ら び に 関 係 機 関 へ 配 布 。 各 士 会 の 事 業 内 容 も施 設 開 放,障
訪 問 講 座 な ど 多 岐 に 亘 り,こ
ら に は7月17日
作 成,お
らに は マ ス コ
を挟 んだ
の 頃 よ り対 象 者 も高 校 生 や 高 齢 者 に 限 らず,中
「理 学 療 法 週 間 」 期 間 の み の 活 動 で は な く,地
害 体 験,
学 生 や 小 学 生,さ
域 の 祭 りな どの 行 事
に 参 加 す る士 会 も増 え,恒 常 的 な 活 動 展 開 が 行 わ れ る よ う に な っ た 。 推 進 委 員 会 に 古 島 譲 氏(福
岡)が
加 わ った 。
平 成13年
度 か ら担 当 理 事 に 半 田 一 登 氏 が 就 任 し た 。 ポ ス タ ー や 記 念 グ ッ ズ(カ
ン と蛍 光 ペ ン),パ
ン フ レ ッ ト(理 学 療 法 っ て な ん だ ろ う)に
で き る リハ ビ リテ ー シ ョ ン」 を 各 士 会 に2本
療 福 祉 チ ャ ン ネ ル774)に
編 と9月13日
加 え て,協
ず つ 配 布 し た 。 ま た,ス
ラーボールペ
会 作 成 ビデ オ
「
家庭 で
カ イ パ ー フ ェ ク トTV(医
て 各 士 会 の 理 学 療 法 週 間 事 業 が 取 材 さ れ,放
映 さ れ た(9月6日
前
後 編)。 協 会 ホ ー ム ペ ー ジ で 広 報 活 動 を 展 開 す る と と も に 士 会 レ ベ ル で の ホ ー ム
ペ ー ジ で の 広 報 活 動 も 拡 大 さ れ,広
報 部 と の 連 携 に よ る 理 学 療 法 啓 発 用 ポ ス タ ー ・協 会 ロ ゴ な
ど の デ ザ イ ン を 会 員 よ り募 集 こ と に な っ た 。
平 成14年
度 に は,広
ー ク 入 り の 付 箋 紙4万
報 部 面 角 昌 実 氏 の 尽 力 に よ り協 会 の ロ ゴ マ ー ク が 完 成 し た 。 そ の ロ ゴ マ
冊 ,ポ
ス タ ー も2万
編:「 理 学 療 法 っ て 知 っ て ま す か?」
(山 口 ・九 州 全 県 版)の
パ ー フ ェ ク トTV(医
見 開 き2面
枚,さ
ら に 理 学 療 法 紹 介 ビ デ オ30秒
が 製 作 さ れ,各
士 会 へ 配 付 した。 広 報 活 動 と して讃 責 新 聞
に 理 学 療 法 啓 発 広 告 が 掲 載 され た 。 ま た,前
療 福 祉 チ ャ ン ネ ル774)に
編 と4分10秒
年 度 同様 ス カイ
て 各 士 会 の 理 学 療 法 週 間 事 業 が 取 材 さ れ,放
映
され た 。
広報部担当へ
平 成15年 度 か ら は協 会組 織 改 正 と理 学 療 法 週 間 事 業 が 各 士 会 に定 着 し,推 進 す る 目的 は一 応
達 成 され た こ とか ら恒 常 的 活 動 を含 め広 報 部 へ 引 き継 が れ る こ と に な った。 内 山 田悟 朗 広 報 部
長 の も と情 報 誌 「PTあ!」
の発 行,国 際福 祉 機 器展 へ の 出展 な ど対 外 的 に も幅広 い広 報 活 動 を
展 開 す る に至 っ て い る。
望 まれ る公 的 制 定
理 学 療 法 週 間 が パ イ ロ ッ ト事 業 と して計 画 され,ま さ に10年
の歳 月 が 流 れ た。 将 来,理 学 療
法 士 と して の道 を志 して 欲 しい高 校 生 を 対 象 に始 め られ た 本 事 業 も高 齢 者,そ
して小 ・中 学 生
へ とそ の対 象 も拡 大 され,地 域 に密 着 し た事 業 と して 定 着 して きた。 本 事 業 は,理 学 療 法 ・理
学 療 法 士 の 普 及 活 動 と して 大 きな役 割 を 果 して きた と確 信 して い る。 理 学 療 法 週 間推 進 事 業 の
実 施 中 に実 現 で きな か っ た こ とに 「
理 学 療 法 週 間」 の 公 的 制 定 が あ る。 今 後,公 的 に制 定 され,
会 員 の み の パ フ ォ ー マ ン ス に と ど ま らず,地 域 住 民 が と も に参 加 で き る よ う な理 学 療 法 週 間 に
なれ ば と望 ん で や まな い。
223
編集後記
平 成16年
度 ・17年 度 に亘 る 日本 理 学 療 法 士 協 会 の40周
年 記 念 事 業 の 一 環 と して
発 行 され る記 念 誌 「40年史 」 の編 集 作 業 が 終 了 す る に 当 た っ て,横 田編 集 副 委 員 長
の並/な
らぬ 企画 能 力 ・事 務 能 力 の発 揮 が 完成 へ の 大 きな 力 とな った こ とを 申 し上 げ,
深 く感 謝 い た し ます 。 そ して編 集 委 員 の皆 様 に は煩 雑 で 詳 細 な 資 料 作 りな どに 忍 耐 強
く取 り組 ん で 頂 い た点 を 明 記 して,そ の努 力 に感 謝 を 申 し上 げ ます 。 また記 念 誌 出 版
事 業 と対 の 記 念 式 典 関係 の作 業 に 当 た られ た40周
年 記 念 式典 委 員 会 の 瀧 野 委 員 長 を
は じ め とす る委 員 の皆 様 の ご活 躍 に対 して も感 謝 申 し上 げ ます 。 また編 集 発 刊 にあ た
って,協 会 理 事 会 の ご理 解 が ご ざい ま した点 に つ き ま して も感 謝 申 し上 げ ます 。 更 に
「30年史 」 の編 集 発 刊 も担 当 して して 下 さ い ま した ア イ ペ ッ ク に は,協 会 を長 年 支 援
して い た だ い て い る 「
信 念 ・信 頼」 か ら,精 一 杯 良 い もの を 作 りた い との 強 い 動 機 に
よ り 「40年史 」 完 成 に 向 け,急 ピ ッチ で 作 業 を 一・
気 に進 捗 させ て い た だ い た こ と に
対 して 流 石 と い う感 嘆 の 言 葉 と感 謝 の意 を表 す に相 応 し く,広 田社 長,担 当 の 中 村 さ
ん に改 め て 感 謝 申 し上 げ ます 。
内 容 的 に は,グ ラ ビア で 見 る40年
の概 史,資 料 と して の価 値,「30年 史 」 以 後10
年 間 の主 だ っ た活 動 な ど が そ の 柱 と な り ます 。 十 分 な ス ペ ー ス で は あ り ませ ん の で,
内 容 的 に制 限 され ま した が,今 残 して 日の 目 を 当 て て お くの が望 ま しい グ ラ ビア を 幾
っ か 掘 り起 こ し ま した。 懐 か しい 方 々 の初 々 しい 姿 に胸 打 たれ る もの が あ るか と思 い
ます 。 若 い 会 員 諸 氏 が こん な 別 世 界 が あ っ た の か,そ こ に原 点 が あ っ た の か と思 う風
景 も垣 間 見 れ ます 。 感慨 に耽 って み て はい かが で す か。
「30年史 」 か ら10年 間 は ま さ に 激 動 そ の も の で あ っ た こ と が,資 料 編 の 図 表 等 か
ら読 み 取 って 頂 けれ ば編 集 子 と して 喜 ば しい限 りで す 。
ご執 筆 を い た だ い た 関係 諸 氏 に対 し ま して は,ご 多忙 の 中 ご高 配 賜 り大 変 あ りが と
う ご ざい ま した 。
最 後 に な り ま した が,こ の 「40年史」 が,こ れ か らの10年
の 礎 石 に な って,日 本
にお け る理 学 療 法 が更 に し っか りと質 量 共 に発 展 す る こ と を祈 念 して,こ こ に発 刊 の
喜 び を か み しめ な が ら,編 集 後 記 と します 。
平 成18年5月31日
日本 理 学 療 法 士 協 会40年
史編集委員会
委員 長
黒川幸雄
編集委員一覧
黒川
幸雄
〈
副 委 員 長 〉 横田
一彦
赤羽
秀徳
石黒
圭応
五 日市克利
小島
肇
小林
麻衣
杉本
和彦
鈴木
八重
相馬
俊雄
高橋
雅人
中村
浩
山口 正貴
山本
良一
〈
委員長〉
〈
委
員〉
社 団法人
日本 理 学 療 法 士 協 会40年
平 成18年5月31日
発行
史
発行
社 団 法 人 日本 理 学 療 法 士 協 会
東京 都 渋谷 区千駄 ヶ谷3-8-5
03-5414-7911
編集40年
史編 集委員 会