アルベルト・ゼッダ氏講演会の記録 場所:イタリア文化会館(東京) 日時:2015 年 1 月 17 日(土)14 時 講演会は藤原歌劇団《ファルスタッフ》公演指揮のため来日したゼッダ先生を 迎えて東京、九段下のイタリア文化会館で行われました。主催は日本オペラ振 興会(藤原歌劇団)、朝日新聞文化財団、日本ロッシーニ協会、イタリア文化会 館です。日本ロッシーニ協会の水谷彰良会長が司会を務めました。 ロッシーニ作品との出会い 《セビリャの理髪師》クリティカル・エディションを作るまで ゼッダ「私とロッシーニとの出会い、それは人生によくあるような偶然の出会 いでした。自分で見つけに行ったわけではないのです。この出会いは指揮者と いう私の仕事に関係して起こりました。アメリカで《セビリャの理髪師》を指 揮をすることになったのが最初でした。その時はこのオペラを指揮するのがあ まり嬉しくなかった。当時、若い頃は、喜劇は好きではなかったので」。 「ロッシーニに対して持っていたイメージは、楽しい喜劇だが底が浅く、古臭 い。だから自分にはあまり関係のないものだと思っていました。ところが勉強 してみるとこのオペラは大変よく書かれており、それまで私が考えていたイタ リア・オペラの典型的なものと大きく違っていました。そして当時の演奏習慣 として、もとの楽譜には無い装飾を付け加えられた重い演奏が慣例となってい たのです」。 「私が楽譜に書いてあるテンポで演奏しようとすると、一流のオーケストラな のに弾けない部分が出てきました。これは変だと思い、イタリアに帰ってから ロッシーニの自筆譜を調べたのです。そうすると、弾けない、と言っていた第 一幕の最後の部分は、印刷されたスコアにはオーボエと書いてあったのに、実 はそれはピッコロのために書かれていたのです。だから吹けなかったのです。 他にも同様な間違いが見つかりました。つまり悪いのはロッシーニではなかっ たのです。音楽出版社リコルディは私からの進言を受け入れて真面目に対応し てくれました。私に《セビリャの理髪師》のクリティカル・エディションを作 ることを依頼してきたのです」。 「ロッシーニについて調べるうちに、彼には約 40 のオペラがあることを知りま した。その大部分は楽譜が出版されていなかった。各地の図書館などを訪ねて 自筆譜を探して勉強しました。多くはいわゆるオペラ・セリアでした。 《セミラ ーミデ》《湖上の美人》《タンクレディ》など。実演を聴いたことはなく、名前 しか知らない作品ばかりでした。そして私は、そこに偉大なるロッシーニを発 見しました。偉大なる音楽家を。独創的で極めて素晴らしい、それまでのイタ リア・オペラ界にはいなかったタイプの作曲家でした。私はロッシーニに恋を しました。その後の私の人生は、ほぼロッシーニにのみ捧げられることになっ たのです。彼の完璧さ、複雑さ。神秘的な所。ロッシーニは伝統的な流れから 外れた作曲家です。彼はコミュニケーションの仕方が新しく、オペラを刷新し ました。人間の魂を語る方法が新しいのです。ロッシーニの音楽には〈詩〉が あり、そして〈哲学〉がありました」。 「私が恋したロッシーニは、それまで知られていたロッシーニではありません でした。そして私は、彼のオペラ・セリアは彼のオペラ・ブッファよりもっと 偉大だ、との結論に達しました。人々にそれを言うと、ゼッダは頭がおかしく なった、という反応が返ってきました──「《セビリャの理髪師》が残っている のは、それが唯一良い作品だったからだ。ロッシーニのそれ以外のオペラは時 代遅れになってしまったのさ」と。だからロッシーニは若くして筆を折ったの だ、と当時人々は考えていたのです」。 水谷「ロッシーニはオペラ・ブッファの作曲家としてのみ評価されていた。それはヨー ロッパではいつごろまで続いたのでしょうか?」 「1970 年頃もまだそうでした。私たちが若い頃、ロッシーニは楽しいけれど、 かなり限界のある作曲家と思われていました」。 水谷「ヨーロッパでも 1970 年代までそうならば、日本も勿論そうだったわけです。ち なみに日本でロッシーニのオペラが最初に上演されたのは 1917 年でした。 《セビリャの 理髪師》です。その後 50 年間《セビリャ》しか上演されなかった。 《セビリャ》以外は 1967 年に東京芸術大学がやっと《アルジェのイタリア女》を上演します。そして 1968 年に二期会が《ラ・チェネレントラ》を上演。オペラ・セリアの上演はまだまだです」。 「日本にロッシーニのオペラが紹介されるのが遅れたのは良い面もあると思い ます。長年の演奏の慣習は、ロッシーニの音楽を不自然なものにしてしまいま した。誤解は音楽上のことからロッシーニの人間的な部分にまで及んでいまし た。水谷先生はロッシーニのモダンな部分をヨーロッパの我々よりよくご存知 です。なぜか? それは先入観が無いからなのです」。 「残された手紙などの書類は嘘をつきません。伝統的なロッシーニ像と、書類 上に発見できる真のロッシーニはかなり違うのです。ロッシーニは苦悩してい た。そして音楽を書き続けていました。彼が筆を折ったのは彼の音楽が古すぎ たからではありません。彼の音楽がモダンで新しすぎたからです。進みすぎて いた。芸術上に〈抽象〉という概念が生まれるのを待たなければならなかった。 つまりロマン派文学の時代が終わるのを待たなければ、ロッシーニの音楽は理 解されなかったのです」。 「芸術文化における曖昧さ、フォリア(常軌を逸している事)の価値、ナンセ ンス、抽象性。現実世界からかけ離れた表現。それは現実の感情を写実しよう としていたロマン派とは大きく違いました。だからモダンなのです。その表現 は間接的で、アフォリズムがある。表面的には常軌を逸している部分もある。 我々、モダンな人間にはそれが普通に思えますが」。 ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)の功績 水谷「我々はロッシーニの現代性をレコードを通じて知ったわけではありません。新し いロッシーニ音楽のスタイルは、実はイタリアのペーザロにあるロッシーニ・オペラ・ フェスティバル(ROF)が始まったことによって、その上演を通じて私たちは新しいロ ッシーニ像を知ることになりました。同じくペーザロのロッシーニ財団は 1970 年代に ロッシーニの楽譜全集版の出版を決め、1979 年にはその第一弾《泥棒かささぎ》が出 版されます。その翌年 ROF が始まります。原典版を使って素晴らしい歌手たちの演奏が 始まり、私たちは真のロッシーニの姿に触れることが出来たわけです」。 *ここで映像を視聴。1984 年上演の《ランスへの旅》。6 重唱。 水谷「1980 年に《泥棒かささぎ》で幕を開けた ROF ですが、世界のオペラ・ファンが あっと驚いたのが 1984 年の《ランスへの旅》上演でした。楽譜が失われていたこのオ ペラをロッシーニ財団の学者たちが再構築したのです」。 ロッシーニの素晴らしさを世界に知らしめた《ランスへの旅》 「《ランスへの旅》の再発見は、20 世紀における音楽上の最大の発見だった、と いう意見もあるくらいです。それはこの作品が、ロッシーニの中でももっとも 美しいオペラの一つだからです。信じられないような、大変ロッシーニらしい 性質を持っています。ロッシーニらしいとはどういうことか? それはオペラで あってオペラではないところです。18 人の登場人物がいるオペラなど狂気の沙 汰です。ストーリーも有るようで無い。これはフランス国王へのオマージュ、 パリのイタリア劇場のスポンサーであったシャルル十世へ捧げたオペラだった という性質上、このような設定になっているのです。ロッシーニは実際、この 作品をオペラとは呼ばず、彼の手で自筆譜に「私のカンタータ」と書き込んで いるくらいです。ではなぜ、このオペラが今日こんなに人気があるのでしょう か? そもそも、なぜロッシーニのオペラはこのように愛されるのか? 《ラン スへの旅》は中でも象徴的な作品です。その構成からしても特別です。しかし、 そこにはロッシーニのオペラ全てに共通する部分があります。それは、ロッシ ーニのオペラは、実際に存在するものを決してそのままでは語らない、という ことです」。 「ロッシーニだって音楽を通して感情を描こうとしています。テーマは情熱、 愛、死、苦しみ、幸せ、それは全てのオペラ作曲家と一緒です。しかし、その 描き方が違うのです。ロッシーニは、私たちのような個人の生活をそのまま描 写しません。登場人物は男女二人、あるいは三人、それを直接描くのではない。 そうではなくて二人の本質を理想化して描くのです。だからロッシーニは新し くて偉大なのです。人間のエモーションは一つのカテゴリーになり、普遍性を 獲得します。それゆえ彼の目的は他の作曲家より深遠で、豊かだと言えるでし ょう」。 「それは《ランスへの旅》を観ればわかります。騎士ベルフィオーレの恋愛が 重要なのではないんです。そこに描かれている人物一人一人は偉大な主人公で はありませんが、そこに社会が、世界が描き出されている。人生のテーマが描 かれています。だから一人の偉人のストーリーよりも 18 人が登場するこのオペ ラの方が、より大きな共感を得られるのです」。 水谷「《ランスへの旅》の物語に関してはお手元のプリントをごらんください。シャル ル十世の戴冠を祝うカンタータ(ここで言うカンタータとは祝祭オペラという意味)と して書かれた作品です。世界の名士たちが温泉宿に集い、戴冠式があるランスへ行こう とするが、馬が調達できずに大騒ぎになります。しかし国王はパリでも祝宴を開くので パリに行きましょうということになり、旅行のための資金で一晩の豪華なパーティーを 開く。音楽的にはベルカントの妙技が披露されます。装飾歌唱、歌の技術でロッシーニ は愛を歌い上げるわけです」。 *映像の視聴。 《ランスへの旅》メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフ伯爵の二 重唱。 水谷「ここでは感情の表現が抽象化しています。理想化されている。ヴェルディやプッ チーニはリアリズムです。プッチーニの《ラ・ボエーム》ならミミとロドルフォが向か い合って会話をします。現実の会話のように。ロッシーニは違いますね」。 「この音楽も分類するのは難しいです。今 聴いた二重唱は恋愛の二重唱ですが、 この音楽にまったく違う悲劇内容を持たせることも可能なのです。ロッシーニ の音楽は輝かしく楽しくあっても、音楽自身はそれほど喜劇的ではないのです。 《セビリャの理髪師》は我々が信じているのと比べると、実はそれほどコミカ ルな音楽ではありません。とてもシリアスで深遠な内容を持つオペラです。 《オ リー伯爵》《ランスへの旅》。これらはオペラ・ジョコーザ(滑稽なオペラ)で すが、真面目な内容を持っています。ロッシーニは魂を語る唯一のものとして 音楽を書きました」。 「ロッシーニはオペラ・ブッファの偉大な作曲家です。それは彼がオペラ・セ リアの偉大な作曲家だからなのです。その両面が離れられなく存在するのがロ ッシーニ。それが人間喜劇です。古代ギリシャの劇場の仮面はかならず笑った 顔と泣いている面がくっついています。片方だけの仮面はありません。ロッシ ーニも同じです。微笑みを浮かべて悲劇を語る。深遠さを持って喜劇を語る。 それがロッシーニの偉大さです」。 「ロッシーニは本当に泣くことはないのです。本当に笑うこともないはずです。 そこにあるのは微笑みです。ロッシーニの音楽で生きる幸せ、喜びを感じるこ とはあっても、人を笑うという音楽ではありません。悲劇と喜劇の軽やかなバ ランス。例えばヴェルディの《ファルスタッフ》は、ヴェルディの最高傑作で す。このオペラでヴェルディはついにロッシーニ的になりました。ヴェルディ は最後に、人間の感情のドラマをもはや写実的な手法を超えて読み解いたので す。おとぎ話、妖精などの力を借りて。「この世は全て冗談さ」と言うときに、 ロッシーニ的な微笑みを持ってそれを言ったのです。これまでのヴェルディの 方法でこのセリフを言ったら、このオペラは悲劇になっていたでしょう」。 *映像の視聴。《ランスへの旅》14 重唱(1999)から。 水谷「ちょっと非常識なというか、ヴェルディやプッチーニの音楽を知っている人は、 何でこんなスピードで歌わなければならないんだ?と思われるでしょう。これがロッシ ーニの音楽の快楽というか、一つの大きな魅力でもあります」。 「ロッシーニの〈歌〉の使い方が大変独特である、ということをここで聴いて いただけたと思います。ロッシーニはコミュニケーションの手段が独特なので す。オペラにおいて〈歌〉は基本です。ロッシーニもそうです。しかし普通だ と、〈歌〉でセリフを語ることを、できる限りナチュラルにみせようとします。 優しい感情は優しい〈歌〉、荒々しい感情はそれにふさわしい〈歌〉、というよ うに。ロッシーニはそこで抽象的な音楽を使います。意味はあまり語りません。 彼の書くスケール(音階)、アルペッジョ、それ自体は何か大きな意味はありま せん。彼の〈歌〉はナチュラルではなく〈人工的〉なのです。構築されたもの です。魂から生まれた本能的な音楽ではなく、頭脳の産物です。劇場で効果を 生むように作られた音楽です」。 「この音楽にどうやって意味を付け加えることができるのでしょうか? どこ で表現力を獲得するのか?それは演奏者が表現力のある音楽に変えていかな ければならないのです。ヴィルトゥオーゾ(名人芸を持つ歌手)としての妙技 が感動を与える音楽になるかどうかはそこにかかっています。例えば音階があ ります(歌う)。この音階だけでは何の価値もない。しかし、この音階を素晴 らしい歌手が歌うと(歌う)、優しさやエロティズムを表現できるのです。最 高の感動を与えることができます。同じ音階で人を殺すこともできます(歌う) 。 それは正確な技術と力強さがあってこそ可能なのです。それが表現を生むので す。演奏者の責任は、特に歌手ですが、ロッシーニにおいてはどんな他のレパ ートリーのオペラと比べても大きなものとなるわけです」。 「ロッシーニの名人芸は、全ての音符を要求される速さで歌えればいいわけで はありません。それだけでも十分難しいですが、それ以上にこれらの音符を感 情に変えていかなければいけません。それが難しいのです。偉大なるロッシー ニ歌手とは、技術的な難しさを乗り越えて、表現の難しさを征服しなければな らないのです。それがロッシーニ歌手の本質です」。 「プッチーニやヴェルディが書くような美しいメロディーで観客に感動を届け ることも難しいでしょうが、音楽が歌手を助けてくれます。一方、ロッシーニ の抽象的な音楽で観客に感動や感情を届けるのはとても難しいのです。それは 相手の感情を直接刺激すればいいのではなく、理性を通して行わなくてはなら ないからです。ロッシーニは心だけで聴くことはできません。知性(インテリ ジェンス)と文化と理性で聴かなければならないのです。それが違いです。ロ ッシーニの音楽で天国にいるように感じるためには、天使のように歌うロッシ ーニ歌手達が必要なのです」。 ROF に併設されたロッシーニ・アカデミー 水谷「ゼッダ先生はロッシーニの音楽をしばしば抽象画に例えます。ミロやカンディン スキーの絵。点と線で描かれているものがロッシーニの音楽、楽譜であって、そこに肉 付けをするのが歌手の役割であるというわけです。今ご覧頂いた 1999 年の映像には若 い歌手がたくさん出ていました。テノールは 2 人、アントニーノ・シラグーザとフアン・ ディエゴ・フローレス。どちらも日本でおなじみです。そしてエヴァ・メイも出ていま した。みな若い歌手たちでした。これらの歌手たちが学んだのは、1989 年にゼッダ先 生がペーザロで始めたロッシーニ・アカデミーという教育機関です。そこには世界から 若い指揮者、歌手が集まってロッシーニの音楽を学ぶ。理論も学び技術も学ぶ、という ことが行われています。ですからロッシーニの音楽の表現には歌手がとても大事、そし てその歌手たちを育ててきたのがゼッダ先生なのです」。 「ペーザロのロッシーニ・アカデミー、そして ROF が行おうと試みているのは つまりこういうことです。我々は歌手たちに説明します。彼らがやるべきは正 しく音符を歌うことだけでなく、これらの音符に意味を与えることなのだと。 彼ら自身のパーソナリティーやファンタジー、そして創造力を使って。他の言 い方で言えば、ロッシーニ歌手たちはオペラが生まれる現場に参加しているの です。その作品を劇場で歌うたびに。奇跡は繰り返されることもあるし、繰り 返されないこともある。それはこれらの登場人物に命を吹きこむことが出来る 歌手がいるかどうかにかかっています。ロッシーニの抽象的な音楽には命が宿 っています。しかしその音楽は、燃えるために火をつけれられのを待っている のです」 。 水谷「ペーザロでは 2001 年から若者公演としてアカデミーの修了生による《ランスへ の旅》を毎年上演しています。その中から素晴らしい歌手たちが巣立っています。例え ばアントニーノ・シラグーザもアカデミーの出身です。日本人ですと天羽明恵さんなど もアカデミアに参加した後、ゼッダ先生の指揮でヨーロッパでコリンナを歌っています。 ペーザロに行く方は見ていますが、見ていない方のために昨年の公演をご覧いただきま す。今年、大阪でフォルヴィル伯爵夫人役を歌う歌手も出演しています」。 *映像の視聴。 《ランスへの旅》フォルヴィル伯爵夫人。コリンナと騎士ベルフ ィオーレの二重唱。 アカデミーで学んでいる若い歌手たちの可能性について 「50 年前と今では大きな違いがあります。当時は、このレパートリーを歌うに は特殊なスペシャリストが必要だと考えられていた。普通の歌手たちが勉強に よって習得するのは不可能だと。ところがアカデミーで教育してみたところ、 若い人たちがロッシーニを大変よく歌えることがわかりました。今の若い音楽 家たちには、このような音楽を理解できる文化的背景があります」。 「昔の歌手で音楽をきちっと勉強している人は少なかった。現在は作曲などを 含む音楽の総合的な教育を受けた歌手が多くいて、楽器を演奏できる人も多い。 だからこのレパートリーをよく歌える人が増えたのです。それに加えて、ロッ シーニはとびぬけた美声を持たなくても、知性と文化、そしてファンタジーで 偉大な芸術家になれるのです。ベッリーニやヴェルディを歌うにはずば抜けた 声が必要ですが、ロッシーニには必ずしもそれが必要ではないのです。頭脳が 優れ、音楽性が優れていればそれでいいのです」 。 《ランスへの旅》というオペラが持つ現代性 「ロッシーニの音楽のもっとも美しいレッスンは、存在の事実を、幸せなもの も、悲しいものも、ドラマティックなものも、楽観主義を持って穏やかな心持 ちで、軽さを持って生きる、という部分にあると思うのです。この世の中をあ るがままに受け止める。先ほど、ヴェルディは《ファルスタッフ》で最高傑作 に達したと言ったのは、ヴェルディがロッシーニ的になったからより優れた存 在になった、という意味ではありません。それは違います。私が言いたかった のは、ヴェルディも、ロッシーニが見つけたように、喜劇と悲劇の理想的な融 合に達した、ということなのです。 《ファルスタッフ》は喜劇ですが同時に悲劇 でもあります。 《ドン・ジョヴァンニ》もそうです。モーツァルトは《ドン・ジ ョヴァンニ》をオペラ・ジョコーザ(滑稽なオペラ)と呼びましたが、この作 品はドラマティックな内容を持っています。 《コジ・ファントゥッテ》もそうで しょう? これらの神秘的なオペラ、傑作は、この世の疑問に答えてくれるもの です。人生は喜劇と悲劇によって成り立っています。ロッシーニはこのバラン スを、その底にある種の平静さで見せてくれる。生きる喜びを持って。彼のヴ ァイタリティ、エネルギー、それは私たちが生きることを助けてくれます。私 が思うには、それこそがロッシーニの偉大なるメッセージなのです。これは偉 大な作曲家の中でも彼がユニークな点だと思います」。 「最後にとても個人的な意見を述べさせていただきます。おそらく間違ってい るかもしれません。私はロッシーニの音楽と日本画の間に大きな共通点を見出 します。テーマに様々なニュアンスを加えること、何度も同じテーマに戻るこ と…この種の絵画を持つ日本人以上にロッシーニを理解できる国民はいないの ではないでしょうか?」 *映像の視聴。《ランスへの旅》のフィナーレ。 (c)Naoko Nagasawa (通訳及び書き起こし:井内美香)
© Copyright 2024 ExpyDoc