第4回 2015年1月(PDF:328KB)

第4回(1 月)言葉から来る差異と面子文化
永田 大治
研修員だよりをご覧の皆様、こんにちは。第4回は言葉から来る差異と面子文化を紹介
したいと思います。9 月に着任してから早いもので既に 4 か月が経過しました。日本語講師
生活をすることで中国人の上司や同僚、学生達と仕事上のコミュニケーションが生じるた
め、留学生の立場からだけでは見ることのできない中国社会の感覚を体感できることは得
難いことです。私が感じることのできた事柄を紹介したいと思います。
【中国人の「問題ない」の意味】
日本と中国で漢字や意味はほぼ一緒でも背景文化が異なるためにニュアンスが少し異な
るということがままあります。それらを理解して行動しないとボタンの掛け違いが発生し
やすくなります。
例えばよく話題に上るのは「問題ない」です。日本人の言う「問題ない」はいろいろ調
査、確認した上でのもので結果を指します。つまり日本人のいう「問題ない」は 95%~100%
問題ないという意味です。反対に中国人の「没问题:問題ない」は気休めの言葉です。
そこに誤解が生じる原因があります。漢字と使われる場面が一緒なので違いに気づきに
くいのですが、中国人は「没问题=大丈夫です」と翻訳しています。「大丈夫です。」も日
本人から見ると問題ないに相当すると思い込む傾向にありますが、中国人はこの中国版「大
丈夫」を問題が発生することを予測して発言しているわけではなく、とても気軽に発言し
ます。つまり日本語のニュアンスで言うと「うーん。まあ大丈夫だと思うよ。」あるいは「い
いと思うよ。
」程度のものです。そこに日本語の「問題ない」という重々しいニュアンスは
ありません。相手が心配しているときに心配するなと気休めの声がけの一つであり、問題
が発生する前提で発言していません。よって中国語で「問題ない、大丈夫」と聞いていて
もその前提を理解していないと実際に日本人が捉える「問題」が発生します。
ここで多くの日本人は中国人が「問題ない」と言っているが実際は問題が多いと嘆きま
すが、これは言葉の文化の違いですから仕方ありません。一言で終わらせず「自分は○○
○を懸念しているのだが、具体的に○○○は心配ありませんよね。」などとこちらの背景を
明確に伝えれば日本人の捉える重大な問題は発生しにくくなります。日本人で中国人の言
動は当てにならないと言う人がいますが、日本国内でも地域によって感覚の差異があるの
が通常なので日本の感覚に合わせるのを強いるのではなく、中国人の感覚を理解した上で
日本の感覚を合わせていくという形が軋轢や誤解を生むことのない方法かと思います。
【中国人の面子と仕事の進め方】
中国と日本では面子という文化があります。
「面子を立てる。
」
、
「面子を潰された。
」など
という表現は中国と日本双方であります。しかし中国の面子文化は日本と少し違う面があ
ります。中国の面子文化は贈り物の際になるべく高級なものを贈り金銭的価値が相手を重
要視することを表すというものがあります。また食事の際に割り勘を好まないというのも
あります。このように中国の面子文化は多岐に渡るのですが根底にあるのは「相手を尊重
する。
」ということです。これは私個人の所感です。日本でも態度や敬語などで相手を敬う
というのが礼儀ですが、中国では行動で実際に示すことが面子という文化なのではないか
と感じています。
ある日私は上司のお願いがあり、日本語講師として通常業務の枠外の仕事を引き受けま
した。日本のお正月を紹介する資料を作りたいので日本語のネイティブとして企画書を提
出して欲しいとのことでした。
芸術学院の先生。元テレビ局の敏腕
ディレクターで現在は大学教員
芸術学院の特設スタジオ内とエキ
ストラ出演の日本語学科の学生。
芸術学院の設備で映像の編集作業。
画面中央は私。
芸術学院の映像編集室。
夜 10 時頃まで作業をしました。
大晦日や初詣、年賀状といったことをまとめ、提出しました。気軽に引き受けた仕事で
したが、実際はそれで終わりませんでした。なぜならその後上司の関係先である芸術学院
の教員との折衝や河北大学としての面子などか絡み物事が複雑化しました。というのもこ
の企画は対外試合に使われることになったのです。河北省の日本語学科は河北大学の他に
もあります。省内の日本語学科の教師達が日本文化を紹介するプレゼン大会のメイン企画
だったのです。当初予定では日本語学科という内輪の扱いでパワーポイントを用いて写真
を紹介する程度のものでした。それが度重なる関係者間の折衝・会議を経て河北大学の面
子にかけて栄えある「優勝」を手に入れようということになりました。
その際に中国での仕事の仕方・発想を学ぶことができました。感じたのは仕事の進め方
で面子が表れてくるということです。中国人の面子というものは実は日本人の年齢や社会
的地位の上下関係と同じようなものなのです。上司の指示は別学部の教員やその他関係者
との折衝・修正などで状況に応じて頻繁に変わるので下にいる人間は翻弄されるものがあ
ります。しかしそれでも極力相手に合わすのが中国流です。もちろん下の人間にも予定が
あります。それでも動かせるものなら動かして相手に合わせるのが美徳です。例えば本人
が今遠く離れた場所にいるとかでない限り、上位者が来て欲しいと頼めば駆けつけるとい
うことがあります。それは上の面子を立てる行為であるのです。
このようなことは日本でも同様のことがあるので理解しやすいかと思います。少し違う
のは日本では「先読み力」
、つまり相手の考えや要望を先読みし、何かをするということが
あります。一般に「気を遣う」と表現されます。中国人の面子は誰かが相手に何かを要請
してその相手が要請を大変な思いをして合わせたときに面子を立てたということになりま
す。相手が要望を何も言っていなければこちらが何かをする必要はありません。よって日
本のように「気を遣っていない。
」とそしられることもありません。あくまでもその人が何
かを言葉で伝えていることが重要です。日本人は言わなくてもわかる文化ですが、中国や
その他外国では明確に言って貰わないと動けないという文化です。例えば下手に先読みし
て相手に喜んでもらおうと考えてお酒を飲む宴会を企画したとしましょう。しかし相手が
イスラム教徒で酒を飲まなければ嫌がらせになってしまいます。相手のことを理解するた
めにこちらの考えと相手の価値観をすり合わせる手段の一つが「議論」です。日本人は議
論というと嫌がる人は多いですが、議論は言い争いではありません。何が重要で何がダメ
なのかを把握することです。議論は共に仕事を進める上で必須のプロセスなのです。
【まとめ】
中国人の面子文化は外国人に理解しがたいと言われます。一方で日本においても外国人
から見て理解しがたい日本独特の敬語の文化(年齢や社会的地位を背景とする上下関係)
もあるのでお互い様です。共通しているのは相手を敬うということを表現するということ
です。これらは社会的な規範として機能している面があり興味深いことだと考えています。