2015 年 2月 17 日 早稲田(文) 【解答例】 [Ⅰ] 設問1︓イ 設問2︓マスタバ 設問3︓ハ [Ⅱ] 設問1︓ニ 設問2︓咸陽 設問3︓ロ 設問4︓ニ 設問5︓⼤都 設問6︓ニ 設問7︓ロ [Ⅲ] 設問1︓ロ 設問2︓ハラージュ 設問3︓ニ [Ⅳ] 設問1︓ア 設問2︓エ 設問3︓イ 設問4︓ウ [Ⅴ] 設問1︓ロ 設問2︓ロ 設問3︓コンスタンツ 設問4︓ロ [Ⅵ] 設問1︓ハ 設問2︓アカデミー・フランセーズ(アカデミー=フランセーズ) 設問3︓ニ 設問4︓百科全書 設問5︓ニ 設問6︓ハ 設問7︓イ 設問8︓社会進化論(社会ダーウィニズム) [Ⅶ] 設問1︓ア 設問2︓ウ 設問3︓エ 設問4︓乾隆帝の「四庫全書」編纂の狙いは、禁書や文字の獄と類似した(29 字) [Ⅷ] 設問1︓ゴシック 設問2︓エ 設問3︓イ 設問4︓ア [Ⅸ] 設問1︓ア 設問2︓エ 設問3︓エ 設問4︓武器貸与 【配点例】 50 点満点 [Ⅰ]の設問3、[Ⅱ]の設問3、6、[Ⅲ]の設問3、[Ⅵ]の設問2、[Ⅷ]の設問1、4は各2点。 [Ⅶ]の設問4は3点。 その他は全て各1点。 【解説】 正解を得るために必要なデータの難易度が絶対暗記レベルなら初級、G・MARCH(学習院、明治、⻘学、⽴教、 中央、法政)で差がつくレベルなら中級、早慶上智で差がつくレベルなら上級、受験生が正確な解答根拠を持って正解を 導くのが困難なレベルなら難問と表⽰しました。なお、解説で掲載されているまとめは全て、著者(増⽥塾・世界史・鈴⽊靖 則)が作成し、授業で使っているオリジナルテキストの抜粋です。太字は基礎・標準、☆はハイレベル、★は合否に関係のな いマニアックな知識、下線部は○×問題の注意点を意味しています。また、解答の根拠となった情報を赤字で示しました。 Ⅰ【ピラミッドについて(増⽥塾ホームページの直前映像授業「ハイレベル・オリエント史」が的中︕)】 設問1︓上級 下線部Aの直前に「メソポタミア」とあります。以下の通り、メソポタミアには古バビロニア王国が存在しまし たが、首都バビロンの守護神はイの「マルドゥク」です。 BC1894~BC1595 古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建国 ① 都=ユーフラテス河畔のバビロン(守護神=☆マルドゥク神) BC1900~ メソポタミアの アムル(アモリ)人 ② 第6代ハンムラビ王(BC18C頃)← この年号で意外に差がつく 解答根拠に なる情報を 赤字で明示 ハンムラビ法典発布、全メソポタミア統一、★治水事業でも成果 ・特徴=同害復讐法の原則(身分差規定あり、刑法だけでなく民法・商法も) ・特徴を表す言葉=“目には目を、歯には歯を” ※問われ方で答えを変える! ・スサで発見、現ルーヴル美術館所蔵、楔形文字で書かれている、全 282 条 ★ウルナンムとリピト・イシュタル法典の影響、★アッシリア、ヒッタイト、ヘブライ法へ影響 1 ③ 滅亡 by ヒッタイト なお、ロの「ギルガメシュ」はウルク王であり、神ではありません。 ① 約 20 の都市国家(それぞれ固有の守護神を持つ。☆インダス文明と交易?) レ ン ガ =ex.ウル(王墓から殉死者や黄金製の副葬品、日干し煉瓦で囲まれた聖域の中にジ BC3000 頃~ ッグラトが存在)、ウルク(現☆ワルカ、最古の円筒印章や文字が発見 12 青学法)、 メソポタミアの ラガシュ(現テルロ)、ウンマ、ニップール、キシュ etc シュメール人 (民族系統不明) ② ギルガメシュ叙事詩=ウルク王ギルガメシュが主人公、親友はエンキドゥ → 旧約聖書のノアの洪水伝説に影響?(06 愛知淑徳、09 関西学院、09 中央文、10 明治情) at メソポタミア クレイ・タブレット ③ 最古の楔形文字 on 粘 土 板 、印章(契約、私有の観念) 南部 ④ 神権政治 ⑤ ジッグラト(聖塔)建設 → 旧約聖書のバベルの塔伝説に影響? また、上記の通り、ニの「エンキドゥ」はギルガメシュの親友ですから、ギルガメシュ同様に神ではありません。ニは難 しいですが、既にアが正解だと分かっているので、スルーすればOKです。 最後に、以下の通り、ハの「アモン」はメソポタミアではなく、エジプトのテーベの市神です。 エジプトの王朝 ファラオ(大きな家) BC2686~2185 第3王朝.★ジェセル 古王国(3~6王朝) 4.クフ王 (都メンフィス) 4.☆カフラー 太陽神ラー崇拝 4.☆メンカウラー 業績 階段ピラミッド at サッカラ(明治) BC2550 三大ピラミッド at ギザ(ギゼー) ※クフ王のものが最大 ★巨大墳墓(マスタバ)から発展 BC21C~BC18C 中王国(11・12 王朝) 遊牧民ヒクソス(馬と戦車を使用)の侵入で中王国は衰退、 (都テーベ)テーベ そのまま約 100 年間エジプトを支配し、★第 15・16 王朝を建設 の市神アモン崇拝 設問2︓上級 「下線部B(ピラミッド)の原型とされる墳墓」とあるので、上記の通り、マスタバです。 設問3︓中級 「(マヤ文明の)階段ピラミッド」について正しいものを選ぶ問題ですが、イの「もっとも盛んに造営されたのは, 古代エジプトのツタンカーメン王とほぼ同じ時代である」は誤文です。以下の通り、ツタンカーメンはBC14 世紀、 マヤ⽂明はAD4世紀〜AD14 世紀(または、BC500〜AD16 世紀)なので、全く時代が異なります。 エジプト新王国 ① テル・エル・アマルナに遷都 → 自由で写実的なアマルナ美術 第 18 王朝. ※目的=テーベのアモン神官団の政治介入を排除、王権強化 アメンホテプ4世 (アメノフィス4世) ★王妃ネフェルティティ(ミタンニ出身?)の胸像が有名 ☆アマルナ(外交)文書=楔形文字記載 → メソポタと交易? アト ン に愛 さ れる 者 BC14C ② 宗教改革=アトン神を人民に強制、自称“イクナートン” 18.ツタンカーメン ① アメンホテプ4世の息子、少年王、神・都を戻す (BC1361~BC1352) ② 墓 at☆王陵(家)の谷 → ★英カーター、カーナヴォンが発掘 また、ロの「建造に際しては,新⼤陸原産の⼤型家畜が⽯材の運搬に利⽤されたため,短期問で完成に⾄ った」は誤⽂です。以下の通り、ヨーロッパ⼈が新⼤陸にやってくるまで、新⼤陸には⾺や⽜などの「⼤型家畜」は 存在しませんでした(リャマやアルパカなどは存在しました)。 三大文明 マヤ文明 アステカ文明 時期 BC500(AD4C) 12C~1521 2 インカ文明 ※インカ=太陽の子 1200~1533 ~14(16)C ユカタン半島 地域 ☆チチェン・イッツ 都 ァ、ティカル、ウシ ュマルなど メキシコ高原テスココ湖畔 テノチティトラン (現メキシコシティ) ペルー高原チチカカ湖畔 クスコ ※版図はコロンビア・エクアドルからチリ・ア ルゼンチンまで 民族 マヤ族 アステカ族(チチメカ族の一派) インカ(ケチュア)族 段階 新石器 青銅器 金・銀・青銅器 ☆階段ピラミッド、 高度な石造建築(マチュ・ピチュ遺跡) ミルパ(焼畑)農法、 ピラミッド・☆チナンパ農法 太陽の化身崇拝、労役制度(☆ミタ制)、 都市同盟、ゼロの概念 駅伝制(駅伝飛脚制度) 天文学・太陽暦・20 進法・生贄の儀式 特技 絵文字(マヤ文字・象形文字)※一部解読 文字 滅亡 共通点 無文字 but キープ(結縄)で数を表現 謎の衰退 1521 西コルテス 1533 西ピサロ(最後の皇帝はアタワルパ とどめは西 (最後の皇帝はモンテスマ2世) or トゥパク・アマル) 鉄器、牛・馬・ラクダ(大型家畜)、犂を知らず、車輪を実用化せず! トウモロコシが主食! 神殿を建設。 次に、ハの「トウモロコシ栽培を中心とした農耕に基盤をもつ社会がピラミッドや都市の建設を可能にした」は、 正文です。上記の通り、マヤ文明はトウモロコシを主食とした農耕文明でした。 最後に、ニの「当時,貴重であった⼤量の⾦製品が埋納されており,スペイン⼈の侵略後は,その⾦製品を 求めて盗掘が絶えなかった」は誤⽂です。マヤ⽂明は⾦属器を持っていなかったので、「⾦製品が埋納」は誤りで す。 Ⅱ【中国の都市】 設問1︓上級 「唐の国際性」について誤っているものを選ぶ問題ですが、ニの「景教の流⾏をたたえて,⻑安の清真寺 内に⼤秦景教流⾏中国碑が建⽴された」が誤文です。以下の通り、「清真寺」ではなく、大秦寺です。清真寺 はイスラーム教寺院、大秦寺はネストリウス派キリスト教寺院です。 祆教 唐代三夷 教=全て ササン朝 ペルシア から西域 の絹の道 経由で伝 来 ① 5C(4~6C)北魏の頃に西域人によって伝来 し ② 寺院=☆祆祠(祆寺) (ゾロアスター教) ③ 845 武宗の会昌の廃仏で禁圧を受け、衰退 ① 635 唐の第2代太宗(李世民)時代にペルシア(イラン) あ ら ほ ん 人の☆阿羅本が布教 は し じ 景教 ② 寺院=☆波斯寺(745☆大秦寺と改称) (ネストリウス派 ③ 781 唐の第9代徳宗時代に大秦景教流行中国碑建立 → キリスト教) 漢字とシリア文字を使用、教義の概要や伝来の由来につ いての記録 ④ 845 武宗の会昌の廃仏で禁圧を受け、衰退 摩尼教 (マニ教) ① 694 唐の則天武后時代に伝来 ② ウイグル人が信仰 ③ 845 武宗の会昌の廃仏で禁圧を受け、衰退 3 回教(イスラーム教、清真教) タージー by大食(アラブ人、ペルシア人) ※ダウ船で広州へ ① 7C後半、唐の第3代高宗の時代、アラブ人が海の道経 由で伝来、後に陸路の西域経由でも伝来 ② 寺院=☆清真寺 設問2︓初級 空欄直前に「秦の都」とあるので、以下の通り、咸陽ですね。 えん せい そ しん かん ぎ ちょう 諸侯が更に巨大化:戦国の七雄=燕・斉・楚・秦・韓・魏・ 趙 秦 陝西・四川省 こう こう かんたん 趙<☆邯鄲(河 燕 北省)> けい <☆薊(北京)> 魏 河北省北部、東北地方南部 よう 孝公=BC350雍か 戦 かんよう ら陝西省の咸陽へ遷 国 ほう か しょうおう 都、法家の 商 鞅 を宰 時 相に、郡県制実施 代 しんふがい の 強 国 斉 昭侯=☆ 法家の申不害 しょくか 田氏 斉の都臨淄(山東省) まり談論風発を重ね り ん し <☆臨淄(山東省)> たこと(10 早社、12 法政の法文営) 環銭 → 半両銭 を宰相に 魯 ☆最後まで秦に抵 前 256 東周を滅ぼす 山西・河南省 宋 抗(14 慶文、早人) 楚 ☆稷下 の学=戦国の で多くの思想家が集 山西・河南省 韓 昭王 ※長江中流域、中原諸国とは風俗を異にする し ょ し ひゃっか ※諸国は諸子百家を雇い、富国強兵。北方の秦・趙・燕はモン ゴルの匈奴対策に万里の長城を部分的に造営 設問3︓中級 「北京は・・・」「戦国時代にはここ(北京)に七雄の一つの国都が置かれた」とあるので、上記の通り、ロの 「燕」です。 設問4︓初級 「安史の乱」について誤っているものを選ぶ問題ですが、ニの「反乱が鎮圧された後,節度使のカは弱体 化した」が誤⽂です。以下の通り、むしろ、節度使の⾃⽴化が進みます。なお、イの「北辺の三節度使を兼任す る安禄⼭と宰相楊国忠が対⽴した」、ロの「安禄⼭は洛陽を占領し,帝位についた」、ハの「ウイグルの援助など により,反乱はようやく鎮圧された」は、以下の通り、全て正文です。 第6代・最盛期 ① 治世の前半=編集の都合上、省略 玄宗 ② 治世の後半=楊貴妃(楊太真)を溺愛、いとこの楊国忠を宰相に抜擢 (李隆基) → 755~763 安史の乱 (712~756) by安禄山と史思明(共にイラン系ソグド人(粟得 or 胡人)の節度使) あんろくざん し し め い ☆安禄山=平盧・范陽・河東の3節度使を兼任、楊国忠と対立、洛陽・長安を占領、 “盛唐” 唐詩の発展= 756 洛陽で即位、☆大燕皇帝を自称(12 上智)、国号を☆大燕とする but757 あんけい ちょ 子の安慶緒に殺害 おう い 王維、李白、 と ☆史思明=安禄山の部下、安禄山の死後、一時的に唐に降伏 but758 再び反乱、洛陽占 ほ 杜甫 しちょうぎ 領、安慶緒殺害、☆大燕皇帝自称 but761 子の史朝義に殺害 とば ん ※経過=安史の乱に乗じてチベット高原の吐蕃が都の長安を占領 but モンゴル高原の 玄宗が創設、宋 で完成した画 院 ウイグルが唐を援助、756 玄宗は四川省の成都へ逃亡中に退位、楊貴妃も殺害。 反乱自体は玄宗退位後の 763(第8代・代宗)まで。 はんちん ※意義=節度使の自立化(地方の軍事権・財政権・民政権を掌握し、藩鎮へ) かんりん =☆翰林 と が い ん 図画院 編集の都合上、以下省略 4 設問5︓初級 「北京は・・・」「元では⾸都として( い )と称した」とあるので、以下の通り、大都が入ります。 ①元の交通網の発達 海路=隋の大運河を補修、大都にいたる新運河も建設 by フビライ・ハン 杭州・泉州・広州、海運(長江下流~山東半島~大都、中国東海岸の貿易路)発達 はい ふ 陸路=10 里毎に駅を設ける駅伝制(ジャムチ or 站赤)完備、牌符(官用旅行証明書)発行 ②元の都市 → 下の太字4つはマルコ・ポーロの「世界の記述(東方見聞録)」に記載 杭州(キンザイ) =人口 150 万、浙江省 泉州(ザイトン) =世界一の港、福建省 大都(カンバリク)=元の都、現北京 → 内陸にありながらも港を持つ(11 青学経済) 広州(カンフ-) =珠江の河口に位置、広東省 明州 =現寧波、浙江省 ニンポー 設問6︓中級 「江南」について誤っているものを選ぶ問題ですが、ニの「⻑江下流の広州は北宋最⼤の貿易港だったが, 南宋のとき泉州にその地位を奪われた」が誤文です。上記の通り、広州は「⻑江下流」ではなく、珠江の河⼝に 位置します。 設問7︓初級 「太平天国の都」とあるので、以下の通り、ロの「天京」が正解ですね。 1851~64 太平天国の乱(発生時は第9代咸豊帝、鎮圧時は第 10 代同治帝) は っ ぴ 別名=☆長髪賊の乱、髪匪の乱、中国近代史上最大の反乱 背景=アヘン戦争後の増税と銀価高騰が貧農の税負担を増大、開港による経済変化が失業者を増大 ハ ッ カ 指導=洪秀全 → 広東省花県の客家出身(客家=広東、広西、江西、福建に移住した移民、よそ者) ※科挙に数回失敗(元科挙官僚×)、後に☆ロバート・モリソンによる新約聖書の漢語訳を読み、キ リスト教に帰依、広西省桂平県で教団(拝)上帝会を結成、ヤハウェを☆天主(上帝)、自分をイ エスの弟☆天王(天弟)と称した。客家や貧農の間に多くの信者を得た。 ふううんざん せきたっかい りしゅうせい ☆主な教団幹部=馮雲山、石達開、李秀成(上海の租界の解放を主張) . . . . めつまんこうかん 標語=滅満興漢 → 満州族(女真族)の清朝を滅ぼし、漢民族の国家を再興しよう! きんでんそん 過程=1851 広西省金田村で挙兵、太平天国を建設して☆天王と自称。その後、湖南、湖北に進出して貧農、 流民を加え、1853 武昌を奪い、南京を占領して天京と改名し、太平天国の首都に。 ねんぐん 備考=長江以北で同時期に活動した捻軍の反乱(農民反乱 07 明治商)と呼応し、合流 編集の都合上、以下省略 Ⅲ【イスラーム教世界の拡大】 設問1︓初級 「正統カリフ時代,[ A ]時代,アッバース朝時代・・・」「[ A ]時代について,この時期に起こったのはどの 戦いか」とありますが、空欄Aには、もちろん、ウマイヤ朝が入ります。そういえば、ウマイヤ朝がフランク王国の宮宰 カール・マルテルに敗れたのがロの「トゥール・ポワティエ間の戦い」でしたね。よって、ロが正解です。 5 カール・マルテル イスラームのウマイヤ朝がジブラルタル海峡を越え、スペインの西ゴート王国 きゅうさい ※王ではなく、宮 宰(マ を征服し、ピレネー山脈を越え、フランク王国に侵入 ヨル・ドムス)であり、 → 732 トゥール・ポワティエ間の戦い=フランク vs ウマイヤ朝 ※意義=イスラーム教勢力からキリスト教世界を防衛&国境はピレネー山脈 行政財政担う ※カロリング家出身だ ☆イスラームのウマイヤ朝は敗戦するが、イスラームが地中海の覇権を握っ が、メロヴィング家に仕 えた たため、中世西欧は地中海の覇権を失い、商業・貨幣経済が衰退、自給自 足の現物経済(物々交換)に逆行し、荘園制が成立 なお、ウマイヤ朝は 661〜750 年ですが、イの「タラス河畔の戦い」は 751 年、ロの「トゥール・ポワティエ間の戦 い」は 732 年、ハの「ニコポリスの戦い」は 1396 年、ロの「マンジケルトの戦い」は 1071 年です。 設問2︓初級 「イスラーム教」「地租」とあるので、以下の通り、ハラージュが入りますね。 人頭税=ジズヤ → 異教徒・非改宗者・庇護民(ジンミー)が払う、払えば信仰・財産・生命を保障、 貨幣徴収 地租 =ハラージュ → 土地で取れた収穫物を年貢として払う。ウマルが開始。 アラブ人ムスリム 非アラブ人ムスリム(改宗者・マワーリー) 非改宗者・庇護民(ジンミー) ウマイヤ朝 アッバース朝 免除 ハラージュ ジズヤ、ハラージュ ハラージュ (改宗したのにジズヤは変!) ジズヤ、ハラージュ ジズヤ、ハラージュ ① アッバース朝以降のアラブ人は征服民に対し「コーランか、貢納か、剣か」と迫った。言い換えれば、 「改宗するか、改宗せずに人頭税を払うか、死ぬか」である。 ② ウマイヤ朝はアラブ人だけ免税特権があるアラブ人至上主義だが、アッバース朝ではイスラーム教徒 である限り税金差別がないので、イスラーム教徒(ムスリム)間の平等を達成。 設問3︓中級 「シーア派に当てはまらない王朝」を選ぶ問題です。以下の通り、イの「イドリース朝」、ロの「ブワイフ朝」、 ハの「ファーティマ朝」は、全てシーア派王朝です。ニの「ムラービト朝」はスンナ派王朝ですね。イの「イドリース朝」はハイレ ベルですが、モロッコに存在した史上初のシーア派王朝です。余談ながら、イドリース朝は、2015 上智(文、 総合グローバル)、2009 上智(外国語、総合人間、法)、2011 南山(人文、経 済)、2013 ⽴教(全学部)、2010 早稲田(社会科)でも出題されています。 【シーア派王朝】 ☆イドリース朝モロッコ(史上初のシーア派王朝) ブワイフ朝(穏健十二イマーム派)、ファーティマ朝(過激イスマーイール派) サファヴィー朝ペルシア(穏健十二イマーム派)、カージャール朝ペルシア、パフレヴィー朝イラン イラン・イスラーム共和国(穏健十二イマーム派)★イスマーイール派系=ドルーズ派、ニザール派 Ⅳ【敦煌の遺産】 設問1・2︓初級「⽢粛省⻄北端のオアシス都市である A 」「前漢の武帝が B を設置」とあるので、以下の通り、ア 6 の「敦煌」と、エの「郡」が正解です。 だいげっ し うそ ん ちょうけん 西:①アム川(オクソス川)上流の大月氏&イリ地方の烏孫by 前 139~ 張 騫 前 ☆目的=匈奴討伐の支援を要請(前者は失敗、後者は成功) 漢 ※意義=西域の事情が判明 ☆大月氏旅行の往復とも匈奴に捕獲された フェルガナ の ②シル川(ヤクサルテス川)上流の 大 宛 地方遠征 byBC104~李広利 ★武帝夫人李妃の兄 かんけつば 武 ※目的=汗血馬の獲得 ぶ い ちょうえき しゅせん とんこう 帝 → 河西4郡=武威郡、 張 掖 郡、酒泉郡、BC121敦煌郡(甘粛省、最西端)設置 の at 河西回廊=甘粛省の黄河以西のゴビ砂漠と南山山脈にはさまれた帯状のオアシス地帯 外 → ☆東トルキスタン(パミール高原以東)get 征 編集の都合上、以下省略 設問 3︓上級 空欄C直前に「莫⾼窟」とありますが、イの「⽯灰岩質の岩に彫られた精緻な仏像や説話図が⾒られるこ と」が不適切です。以下の通り、岩に彫られた仏像ではなく、塑像(粘土製の仏像)です。なお、アの「インド,中国 内地,チべットなどの影響を受けた壁画が残ること」、ウの「19 世紀末に⽯窟内から多数の古⽂書や絹画が発⾒ されたこと」、エの「砂漠の大画廊とよばれ,ユネスコ世界文化遺産に登録されていること」は、全て正文です。 386~534 れ ① う げ ん すいけいちゅう 酈道元=地理書「 水 経 注 」 か ② ど き 北魏の文化 by 鮮卑族拓跋氏 し き ょ う せいみんようじゅつ 賈思勰=農業書「 斉 民 要 術 」→ 中国最古の農業書、華北の乾地農法 だるま ③ 達磨=禅宗(座禅と瞑想を重視)の開祖 → インド人、海路で来朝、宋では士大夫に 広まる たい ぶ て い ④ 第3代太武帝=道教を国教化、中国初の仏教弾圧 こうけんし ※道教の大成者= 寇謙之 → 教団☆新天師道を創始 ⑤ 仏教遺跡 ば っ こ う く つ 莫高窟(千仏洞)石窟寺院 at 甘粛省敦煌 ☆19C末に敦煌文書発見、彩色された塑像(粘土像)、インド,中国内地,チべットなどの影響を 受けた壁画、19 世紀末に石窟内から多数の古文書や絹画が発見、20Cの英スタインと仏ペリオが 調査、砂漠の大画廊とよばれ,ユネスコ世界文化遺産に登録。 うんこう 雲崗石窟寺院 at 山西省平城(現大同)近郊 タートン ☆ガンダーラ美術とグプタ様式の影響、塑像(粘土像)、第4代☆文成帝時代 りゅうもん 竜 門 石窟寺院 at 河南省洛陽近郊 ※第6代孝文帝時代 設問4︓初級 敦煌近郊の莫⾼窟にあるのは、ウです。写真の左から羅漢、菩薩、⼒⼠像です。アはアジャンターの壁画、 7 イは顧愷之の「⼥史箴図」、エは「雲崗の⽯仏」で、全て⼭川出版社の教科書に写真が掲載されています。 Ⅴ【中世ヨーロッパ】 設問1︓初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、ロの「イギリスではワット=タイラーの乱がおこり,その思想的な指導者 のトマス=モアが書いた「ユートピア」の思想に農⺠たちは共鳴した」が誤⽂です。以下の通り、ワット・タイラーの乱 の「思想的な指導者」は、トマス・モアではなく、ジョン・ボールです。 1358 仏ジャックリーの乱 by☆ギヨーム・カール(ジャックリーは農民に対する蔑称で、反乱の指導 者の名前ではない。)at フランス北部 ① 理論的指導者=ジョン・ボール“アダムが耕しイヴが紡いだとき、だ れが貴族であったか” 1381 英ワット・タイラーの乱 ※英ウィクリフの信奉者で、思想的影響を受けていた ② 実際の指導者=ワット・タイラー ③ ☆英リチャード2世が鎮圧 設問2︓初級 「14 世紀に起こった事件ではないもの」を選ぶ問題ですが、ロの「グレゴリウス 7 世はドイツ王ハインリヒ 4 世 と叙任権闘争で争ったが,最終的に勝利することはなかった」は、以下の通り、聖職叙任権闘争とカノッサの屈 辱以後のことを指していますが、11 世紀の出来事ですね。 ① クリュニー修道院出身で教会刷新運動(グレゴリウス改革)を展開、聖職売買や 聖職者の妻帯を禁じ,また聖職者を任命する権利(聖職叙任権)を世俗権力から 教会の手にとりもどして教皇権を強化しようと意図 but 神ハインリヒ4世が反発 → 聖職叙任権闘争(教皇 vs 神聖ローマ皇帝) ② 1077 カノッサの屈辱=グレゴリウス改革を無視した神ハインリヒ4世を教皇が 破門 → 神ハインリヒ4世と対立するドイツ(神聖ローマ帝国)諸侯は破門解除 教皇 がなければ神聖ローマ皇帝位を廃位すると決議 → 北イタリアのカノッサ城で グレゴリウス7世 雪の中、神ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪、教皇が破門を解き、 許しを与えた(教皇>神ロ帝) ☆謝罪後の結末=神ハインリヒ4世はドイツ(神聖ローマ帝国)に戻ると直ちに反対 派の諸侯を制圧、神ハインリヒ4世はローマを包囲し、教皇に復讐、教皇は☆ロベ ール・ギスカール(甥は両シチリア王国の☆ルッジェーロ2世)の援助で脱出する がサレルノで死去。 設問3︓初級 「教会⼤分裂は, c 公会議で一人の正統の教皇が選ばれ解決」とあるので、以下の通り、コンスタンツ が入りますね。 仏が再びアヴィニョンに教皇を擁立し、神ロ帝・英王が擁立したローマの教皇と 対立。後にピサにも擁立され、3人の教皇が鼎立し、混乱(教会大分裂 or 大シ 1378~1417 スマ) 教会大分裂(大シスマ) → 1414~18 コンスタンツ公会議でローマの教皇に統一 by 神ジギスムント ★ 公会議で選出された新教皇=マルティヌス5世 設問4︓初級 「コンスタンツ公会議」「その後,教会のあり⽅を批判する異端運動」「当てはまる異端運動」とありますが、 8 以下の通り、コンスタンツ公会議でフスが⽕刑にされた後、フス戦争が発⽣しています。よって、ロの「フス派」が適切 でしょう。 ① 1396 ニコポリスの戦い(ニコポリス十字軍) vs オスマン帝国(バヤジット1世)※ブルガリア北端の都市 ② 1414~18 コンスタンツ公会議 ・教会大分裂(大シスマ)を終結=3教皇をローマ教皇に統一 ・教皇権の確認 ☆ルクセンブルク朝 神聖ローマ帝国 ・オクスフォード大学神学教授で聖書の英訳者でもある故ウィクリフ(英、14C) ジギスムント ※ハンガリー王兼任 と、プラハ大学神学教授で聖書のチェコ語訳者でもあるフス(ベーメン出身) を異端に ※フス火刑 → ベーメン(チェコ or ボヘミア)では、フス派住民(フシーテン) が抗議し、1419~36 フス戦争が勃発 → 教皇・皇帝が対フス十字軍を組織した が失敗し、フス派の中の穏健派と組んで、過激派(タボル派)を破り、和約が 成立。 なお、イの「カタリ派」はマニ教影響を受けた南フランスの異端キリスト教、ハの「ボゴミール派」はブルガリアの異端 キリスト教、ニの「アリウス派」はニケーア公会議で異端とされた派閥です。 【中世ヨーロッパの異端運動】 11~13Cカタリ派=南仏、北伊 12~13Cアルビジョワ派=南仏 ※共にマニ教の影響を受け、明確な区別はなく、南仏のアルビ、トゥールーズを拠点とする派閥をアル ビジョワ派と呼ぶ。 ☆ワルド派 =南仏のリヨン by 悪徳商人ワルド ☆ボゴミール派=ブルガリア Ⅵ【近代以降のヨーロッパ⽂化】 設問1︓初級 「ルイ 14 世」について正しいものを選ぶ問題ですが、イの「ルイ 14 世は親政を開始すると,マザランを財務 総監として登用し,国内産業の保護育成にあたらせた」は誤文です。以下の通り、ルイ 14 世の財務総監は「マ ザラン」ではなく、コルベールですね。 9 ル ① 1661 親政(王自身による政治)開始 → 清の康熙帝の即位と同年 イ ② 財務長官=コルベール (重商主義者、特に貿易差額主義推進) 14 → 1664 経営不振だった東インド会社を復興、コルベール主義、☆フランス科学アカデミー、☆ 世 王立(特権)マニュファクチュアを創設し、輸出用毛織物(☆ゴブラン織)を製造 の ③ 陸軍大臣=☆ルーヴォワ 親 ④ 神学者=ボシュエ →「世界史論」、「聖書政治学」、王権神授説主張 政 ☆国家教会主義(ガリカニスム)=仏の教会の教皇からの独立を主張 ∥ ⑤ 古典主義文学=悲劇コルネイユ、悲劇ラシーヌ、喜劇モリエール活躍 主 ⑥ 1682 ヴェルサイユ宮殿完成(バロック様式) に ※同じ様式の建築=北京の円明園 by 伊カスティリオーネ(郎世寧)※イエズス会の人 17 ⑦ 1685 イエズス会のブーヴェ(白進)を清(康熙帝)へ派遣「康熙帝伝」 世 ⑧ 1685 祖父アンリ4世のナントの王令廃止(★フォンテーヌブローの勅令) 紀 → ユグノー(商工業者多い)が英・普・蘭に亡命 → 産業不振へ 後 半 編集の都合上、以下省略 また、ロの「ルイ 14 世の庇護のもとで,はなやかな古典主義の宮廷文化が栄え,モンテーニュ,ラシーヌ,モ リエールらの文人が活躍した」も誤文です。上記の通り、「モンテーニュ」ではなく、コルネイユです。 次に、ハの「ルイ 14 世は 1685 年にナントの王令(勅令)を廃止し,カトリックへの宗教的な統一を図った」は、 上記の通り、正文だと判断できます。 最後に、ニの「ルイ 14 世はスペイン王位の継承権を主張して,スペイン継承戦争をおこしたが,アーへンの和 約によって否定された」も誤文です。以下の通り、「アーヘンの和約」ではなく、ユトレヒト条約です。さらに、「否定 された」も誤りで、ルイ 14 世の孫フェリペがスペイン王フェリペ5世としての即位を認められています。 1701~1713(14)スペイン継承戦争=西仏 vs 墺英蘭普(1701 普が“公国”から“王国”に昇格) ① 原因=西のハプスブルク朝断絶 → ブルボン朝フランス(ルイ 14 世)が孫フェリペの王位継承を主張 ② 1713 ユトレヒト条約 1・西仏の永久合邦禁止を条件に、西がブルボン朝に(初代国王=ルイ 14 世の孫フェリペ5世) 2・英が仏領ニューファンドランド、アカディア、ハドソン湾地方(全て北米)get 3・英が西領ジブラルタル(現在までイギリス領)get、ミノルカ島 get ..... 4・英が仏からアシエント(=大西洋三角貿易においてスペイン政府が結んだ各国の政府や外国商人と . の奴隷供給契約)get → 18C後半に発生する産業革命の前提条件となる資本を蓄積 5・☆サヴォイア公国がシチリア島 get ③ 1714 ラシュタット条約=墺がスペイン領南ネーデルラント(現ベルギー)get ※↑ミラノ、ナポリ、サルデーニャも get 設問2︓中級 「リシュリューの時代に設⽴されたフランスの学術組織」「フランス語やフランス⽂化の統合に⼤きな役割を 果たした文化機関」とあるので、以下の通り、アカデミー・フランセーズ(アカデミー=フランセーズ)が適切です。 10 ルイ 13 世 (1610~43) 宰相 ① 1615 三部会召集停止(創設年と創設者は?) ※1789 フランス革命直前に再開 .... ② 1635 ドイツ三十年戦争に旧教国であるにも関わらず、新教側で介入 ③ ☆アカデミー・フランセーズ(後のフランス学士院)by リシュリュー → フランス語が洗練、発達、当時の国際語に ∥ リシュリュー ④ 王の妃は★アンヌ・ドートリッシュ(12 慶文)、王の母は☆マリ(ー) ・ド・メディ (1624~42) シス(ルーベンスの肖像画に 13 上智)、リシュリューの城館は★パレ・ロワイヤ ↑12 青学総合 ル、リシュリューはユグノーの拠点★ラ・ロシェルを攻撃 設問3︓初級 「フランス啓蒙思想家」について正しいものを選ぶ問題ですが、イの「モンテスキューはボルドー生まれの法 律家であり,統治⼆論によって三権分⽴論を主張した」は誤⽂です。以下の通り、「統治⼆論」を「法の精神」 にすべきですね。「統治⼆論」は、モンテスキューではなく、ロックの著作です。 ① 1721 処女作、風刺小説「ペルシア人の手紙」=パリのペルシア人が故郷に宛 てた手紙という形式、大胆なフランス社会への批判 モンテスキュー(仏) (1689~1755) ☆ボルドー高等法院 の院長、★法服貴族出 身 ※コーヒーについての記述あり ② 1734☆「ローマ人盛衰原因論」 ③ 1748「法の精神」=諸国の法律制度を論じ、イギリスの立憲君主政をモデル として捉え、国家権力を国会(立法)、政府(行政)、最高裁判所(司法)に 分けて分担させ、相互の牽制によって権力の乱用を防ぐ三権分立を提案、ル イ 15 世期の絶対王政を批判、王権の制限を説く。 編集の都合上、以下省略 ① 迷信・宗教家の非寛容や偽善を攻撃、カトリック教会を批判 ② 1734「哲学書簡(イギリスだより・イギリス通信・英国だより・英国通信)」 ヴォルテール(仏) (1694~1778) ★裕福なブルジョワ 出身 =イギリスの文物を紹介、賛美するとともに、暗にフランスの後進性・封建 性を批判 ③ ☆「カンディード」「ルイ 14 世の世紀」「寛容論」、★「哲学辞典」 ④ 1756☆「習俗論」=孔子を讃美、キリスト教的歴史観を批判 ⑤ プロイセンのフリードリヒ2世と討論 at ベルリン郊外のポツダムにあるサン スーシ宮殿(ロココ様式) ⑥ ロシアのエカチェリーナ2世と文通 ① 1755「人間不平等起源論」=私有財産制を批判、絶対王政下の不平等なフラ ルソー(仏) (1712~1778) ☆スイスのジュネー ヴ生まれ、時計職人の 子 ☆理性より直感を重 視するロマン主義の 先駆者 ンス社会を強く批判 → フランス革命にもっとも深い影響 ② 1762「社会契約論」=自然状態を理想化し、人民主権(主権在民)論を強く 主張し、フランス社会の現状打破を主張 ③ フランス人権宣言に思想的影響、ロベスピエールに多大な影響 ④ 1761 恋愛小説☆「新エロイーズ」=「アベラールとエロイーズの往復書簡」 を翻案 ⑤ 1762 自然宗教論・教育論「エミール」 ⑥ 文明批判、自然回帰を主張 →“自然に帰れ” ⑦ ★「永久平和論」、自伝「告白」、「学問芸術論」、「孤独な散歩者の夢想」 ⑧ ★童謡“むすんでひらいて”作曲 11 また、ロの「ヴォルテールは哲学書簡によって主にドイツの⽂物を紹介し,フリードリヒ2世と交流を持った」も誤 文です。上記の通り、「ドイツ」ではなく、イギリスです。 さらに、ハの「ルソーはジュネーヴの貴族の⽣まれであるが,社会契約論で⼈⺠主権論を主張した」も誤⽂で す。上記の通り、ルソーは「貴族の生まれ」ではなく、時計職人の子です。 よって、ニの「ケネーは経済表を著して経済の自由放任主義を主張し,重農主義の祖とみなされている」が正 文です。 ケネー(仏) (1694~1774) ※重農主義の祖 テュルゴー(仏) (1727~1781) ※ケネーの弟子 ① ☆ルイ 15 世の宮廷医 ② 1758「経済表」=“富の源泉は農業生産にあり”とし、農業生産増大のため に自由放任を主張。経済学を生産・流通・消費の全体系で捉えた最初の著作。 ③ 農民の税金軽減と穀物輸出の自由化 but あくまでも地主的立場から ① ルイ 16 世の財務長官として財政再建、穀物取引の自由化やギルドの廃止など の自由主義的改革を計画 but 特権身分の反対を受け失脚 ② ☆「富の形成と分配に関する諸考察」 設問4︓初級 「ディドロとダランベールが編集した A 」とあるので,以下の通り、「百科全書」ですね。 「百科全書」=1751~1772 フランス啓蒙思想の記念碑的な百科事典。ディドロ、ダランベールらが編集の 中心となり、合理主義・自由主義・個人主義の原理に立つ啓蒙思想を網羅的に紹介しよう とした。キリスト教批判を厳しく行ったため、教会からの圧迫が加えられた。 百科全書派 =「百科全書」に執筆したフランスの啓蒙思想家たち → ディドロ、ダランベール、モンテ スキュー、ヴォルテール、ルソー、ケネー、テュルゴー、コンドルセ etc ディドロ(仏) (1713~1784) ダランベール(仏) (1717~1783) ☆コンドルセ(仏) ① 哲学者、文学者、「百科全書」編集の中心人物、無神論者、唯物論者 ② ☆「盲人書簡」、小説☆「ラモーの甥」 ③ 露エカチェリーナ2世と友好、年金もらう ① 哲学者、数学者、「百科全書」編集に携わる ② 啓蒙専制君主の招待を固辞 ☆「積分論」、メートル法、ジロンド派、学校教育を提案 設問5︓初級 「18 世紀ヨーロッパでの科学技術上の発明発⾒」とありますが、イの「コッホのコレラ菌発⾒」は、以下の通 り、19 世紀です。また、ロの「メンデルの遺伝の法則発⾒」も 19 世紀ですね。ハに「ノーベルのダイナマイト発明」 も 19 世紀です。よって、ニの「ラヴォワジェの質量保存法則発⾒」が正解ですが、以下の通り、18 世紀です。そも そも、ラヴォワジェは元徴税請負⼈だったために、フランス⾰命の国⺠公会時代に⼭岳派によって処刑されていま したね。 ① 1774 燃焼理論を確立(燃焼は酸素との結合、呼吸は酸素摂取) ラヴォワジェ(仏) (1743~1794) ② 質量保存の法則 ③ ☆メートル法を考案 ④ 元徴税請負人だったので山岳派(ジャコバン派の最左派)によって処刑 19Cメンデル(墺) (1822~1884) ① 1865 エンドウ豆の交配実験から遺伝の法則を発見、確立 ② 修道院長、生前には評価されず。 12 ① 細菌学の祖 19Cコッホ(独) (1843~1910) ② 1882 結核菌を発見 ※↓西インド諸島ときたら×! ③ 1883 コレラ菌を発見=インドのベンガル地方の風土病 ④ 1890 ツベルクリンの創製 ⑤ 炭素菌発見、門下生に北里柴三郎 19Cノーベル (スウェーデン) ① 1867 ダイナマイトを発明、1875 無煙火薬を発明 ② 1901 遺言でノーベル賞を創設 (1833~1896) → 最初の物理学賞はレントゲン、平和賞はデュナンが受賞 設問6︓初級 「20 世紀初頭,探検家として活躍したイギリス人」とあるので、以下の通り、ハの「スコット」が正解です。 ☆ピアリ(米) 極 地 (1856~1920) 1909 北極点に到達(1895 北極点付近に到達=ナンセン) ☆アムンゼン(ノルウェー) ① 1911 南極点に到達 探 (1872~1928) 検 ☆スコット(英) (1868~1912) ② 1928 イタリア探検家ノビレの救出に出発 but 行方不明に 1912 約1ヶ月遅れて南極点に到達、帰途に遭難死 なお、イの「チャドウィック」は 19 世紀に公衆衛⽣法を成⽴させました。 【19 世紀イギリス】 ①1799~1824 団結禁止法=1824 廃止され、労働組合の結成を公認 12 法政 ②1807 奴隷貿易禁止(奴隷貿易廃止法)but 奴隷市場は廃止されず 13 明治(経営) by クウェーカー教徒&福音主義者☆ウィルバーフォース 1833 年奴隷制廃止(奴隷解放法) by ホイッグ党☆グレイ内閣 → フランスでは 1848、アメリカでは 1865 に奴隷制禁止 ③1848☆公衆衛生法 by☆チャドウィック ④1851 第1回ロンドン万国博覧会=世界初の万博、各国の産業・技術・製品を展示する国際的な博覧会。 その開催国の国力誇示の場 → ☆水晶宮(クリスタル・パレス)造営、禁酒運動家で近代的旅行業の創 始者☆トマス・クックが安価な夜行列車や乗合馬車を利用して、多くの観光客を誘致(1855 パリ万博、 1869 大陸横断鉄道、スエズ運河の開通を機に海外旅行も手がけ、娯楽の旅行を定着)14 上智(2月6 日)、14 早(教)、11 立教(コミ福) 編集の都合上、以下省略 ロの「トレヴィシック」は 19 世紀に蒸気機関⾞を発明しています。 ① 1790 年代:無軌道蒸気機関車=炭鉱で使用 ② 1804 軌道式蒸気機関車の発明 by トレヴィシック → 性能が低く、故障も多く、実用化には至らず 交 通 革 命 ③ 1814、25 蒸気機関車の実用化 by スティーブンソン ※1825 ストックトン・ダーリントン間で試験走行(☆ロコモーション号で客、貨物を輸送) 1830 マンチェスター・リヴァプール間で営業運転(☆ロケット号) ※1830 アメリカではボルティモア・オハイオ間 ☆鉄道建設順序=1830 英、1830 米、1832 仏、1835 ベルギー・独、1838 露、1839 蘭・伊 ④ 1807 外輪式蒸気船で渡航=フルトン(米)→ 1830 年代後半以降スクリュープロペラ採用 ※1807 ハドソン川渡航は☆クラーモント号、1819 大西洋横断はサヴァンナ号 13 ⑤ ☆運河=1830 年代に鉄道が実用化するまで、輸送の中心だった人工的な水路 ニの「サッカレー」は 19 世紀に「虚栄の市」を書いた作家です。 19C写実主義 サッカレー(英) いち 「虚栄の市」 (1811~1863) 設問7︓上級 「キャプテン=クック」について誤っているものを選ぶ問題ですが、以下の通り、ロの「ハワイで先住⺠に殺害 された」は正文です。また、ハの「ベーリング海峡を探検した」も正文ですね。ニの「オーストラリア東海岸に到達し た」も正⽂です。よって、消去法により、イの「航海中インドにおける交易で多額の利益を得た」が誤⽂です。簡単 に言えば、クックは太平洋をくまなく探検したわけで、インド洋を探検したわけではないということです。かなり細かい ので、難問の部類だと言っても差しつかえないでしょう。 バルボア(西)=16C、1513 パナマ地峡横断(発見はコロンブス)、太平洋を発見して☆南 の海と命名したコンキスタドール(“征服者”、新大陸を侵略したスペイン 人) 太平洋の 探検 タスマン(蘭)=17C、太平洋を航海、タスマニア、1642 ニュージーランドに到達。ニュー ギニア西部、1642 オーストラリア北西岸を探検。フィジー、トンガも探検。 クック (英)=18C、ベーリング海峡、タヒチ、ニュージーランド、オーストラリア東岸、 南極圏、西南太平洋諸島、ハワイ探検(島民に殺害)。既に蘭タスマンが 北西岸に到達していたオーストラリアを領有宣言(1788~流刑植民地とし て利用) 設問8︓中級 「ダーウィンの研究は・・・⼈間社会にも適⽤され」「社会は弱⾁強⾷であり,能⼒ある者が⽣き延びる」と あるので、以下の通り、ハーバート・スペンサーの「社会進化論(社会ダーウィニズム)」が正解です。 ① 実証主義を創始、社会学の祖 実証主義 哲学 ∥ コント(仏) (1798~1857) ② 知識の発展段階を、神学的、形而上学的、実証的に分けた ③ 歴史的瞬間や社会問題もみな自然現象の一側面と見て、科学的法 則で説明することが可能とする 仮説を排して、 ④ 「実証哲学講義」、空想的社会主義者サン・シモンの弟子 経験によって確 ① 功利主義+ダーウィンの(生物)進化論=社会進化論(社会ダー かめられた事柄 のみに知識の源 泉を見出そうと する哲学 ハーバート・スペ ンサー(英) (1820~1903) ウィニズム)を提唱 ② ダーウィンの生物進化論を人間社会に適用し、社会進化論(社会 ダーウィニズム)を提唱 → 人間社会も適者生存、弱肉強食であ り、能力のあるものが生き延びると主張、資本主義(帝国主義) の論理に適合、帝国主義国家の侵略の正当化に利用された Ⅶ【中国の編纂事業】 設問1︓上級 正しいものを選ぶ問題ですが、イの「北宋政府の印刷物は活字を使⽤したことに特徴がある」は誤⽂です。 以下の通り、北宋時代に活字印刷は発明されましたが、普及しませんでした。むしろ、木版印刷が普及したこと が分かっています。 14 木版印刷 ∥ 唐 北宋 高麗 発 普及 ☆「大蔵経」 「高麗版大 明 1頁型 by 趙匡胤 李氏朝鮮 ドイツ 世界最古 1447 グーテンベルクの合金活 の銅活字 字(鉛と錫)「四十二行聖書」 蔵経」 活版印刷 ☆畢昇の 世界最古の ∥ 1文字型 ☆膠泥活字 but 普及せず 金属活字 ※材質不明 また、ウの「北宋政府が刊⾏した最⼤の叢書は古今図書集成である」も誤⽂です。古今図書集成は北宋で はなく、清の康熙帝が編纂を命令し、雍正帝時代に完成したものです。なお、叢書とは多くの書物を集大成した もののことです。 もん じ ① ★雍正のチベット分割=チベットを理藩院 ごく ① 文字の獄激化=反清筆者を弾圧 清の の支配下に(13 慶應法) ② 地丁銀を全国に試行 第5代 ③ 編纂事業 世宗 ② チベットの東北にある☆青海(省)を併合 ※↓中国最大の類書(百科辞典) ここ ん ③ 典礼問題が再発 「古今図書集成」完成(編纂の命は康熙帝) → 1724 キリスト教の伝道を全面的に禁止 よう せい 「大義覚迷録」=清の中国支配の正統性主張 雍正帝 ④ 1729 軍機処設置(☆ジュンガル部討伐 1722~35 ④ 1727 キャフタ条約 の際に設置、後に行政・軍事を兼任) ・∽ 露ロマノフ朝(★ピョートル2世) ・国境=外モンゴル、★買売城 さらに、エの「北宋政府刊⾏の四書五経は読書⼈の必読⽂献となった」も誤りで、四書は「⼤学」「論語」「孟 ⼦」「中庸」を指し、五経は「易経」「春秋」「書経」「詩経」「礼記」を指しますが、例えば「春秋」は春秋末期の孔 ⼦の編纂であり、「北宋政府刊⾏」とは⾔えないでしょう。 よって、以下の通り、アの「北宋最初の⼤部な印刷物は成都で刊⾏された⼤蔵経である」が正⽂であると考え られます。 せいめい じ ょ う が ず ちょ うた く た ん ① 都=河南省開封 → 「清明上河図」=開封と周辺の繁栄を☆張択瑞が描写 ② 唐末五代の武断政治を改め、文治主義(文人政治)を採用 ③ 君主独裁体制を目指し、節度使廃止、後周の世宗を継承して☆禁軍(皇帝の衛兵、正 しょうぐん 規軍、首都周辺に駐屯)を強化、地方軍隊の★ 廂 軍 を縮小、軍事力低下のため異民族 の侵入を招く ④ 統治機構 北宋の太祖 ちょうきょういん 趙 匡胤 行政 中央 監察 軍事 中書門下省 枢密院 地方 財政 ぎょしだい ★三司 御史台 州県制 でん し (後周の武 将出身) ⑤ 科挙の整備が本格化、殿試(科挙の最終面接を皇帝自ら担当)創設 ① 秀才科(時事問題)、明経科(古典知識)、進士科(詩作文) ② 後に進士科に一本化 ③ 三段階試験=地方での州試(解試)→ 礼部での省試 → 皇帝による殿試 ④ ☆三年に一回実施 けいせいこ かん こ ⑤ 科挙合格者を出した家(多くは荘園制の新興地主層である形勢戸)を官戸と呼び、 役の減免などの特権が一代限り与えられた ⑥ ☆「大蔵経」=仏典を集大成、木版で印刷、成都で刊行(12 青学経済) ⑦ 燕雲十六州奪還失敗 15 設問2︓初級 「永楽大典」について誤っているものを選ぶ問題ですが、ウの「正本が焼失した明末の動乱とは,オイラト の指導者であるエセン=ハンが英宗を捕虜にした土木の変をいう」が誤文です。以下の通り、明は 1368〜 1644 年、⼟⽊の変は 1449 年なので、⼟⽊の変は「明末」ではなく、明中期です。 ワ ラ ①北虜:西北モンゴルのオイラト(=☆瓦刺)のエセン・ハン → 1449 土木の変=第6代英宗正統帝(後に復位して第8代天順帝)を北京近郊 ほくりょ な ん わ 北虜南倭 どぼ く ほ の河北省土木堡で捕虜に、1453 ハンに即位 だったん ∥ 東モンゴルのタタール(=☆韃靼)のアルタン・ハン(☆ダヤン・ハンの孫) こうじゅつ 北方からのオ → 1550☆ 庚 戌 の変=北京を包囲、☆1571 明の万暦帝に仕えた張居正と講和、順 イラト・タタ 義王に封じられ、朝貢。チベット遠征後にラマ教(チベット仏教)の黄帽派に ール、南方か 帰依、ダライ・ラマの称号を創設 らの倭寇の侵 入を指し、こ ②1517 大航海時代のポルトガルが広東省の広州に来航 ニンポー 1522☆寧波 事件=堺商人と結ぶ細川氏と博多商人と結ぶ大内氏が勘合貿易をめぐって 衝突 at 中国の☆明州(=浙江省の現☆寧波) れらの外患が 明の衰退を早 1557 ポルトガルが広州南方の港マカオ(澳門)の居住権 get、1887 正式併合 めた 編集の都合上、以下省略 設問3︓初級 「義和団事件」に関係しないものを選ぶ問題ですが、以下の通り、エの「九⻯半島南部割譲」は義和団 事件ではなく、アロー戦争の北京条約に関係します。 1860 北京条約(アロー戦争の講和条約)→ 清 ∽ 英仏(ロシアが調停) =天津条約の確認、天津を加え 11 港を開港、九竜半島南部割譲 to 英、アヘン貿易の公認、長江航行の が も ん 自由、1861 清朝初の外交事務官庁総理(各国事務)衙門の設置 at 北京(14 青学文) えききん ※初代総理衙門=☆恭親王奕訢(同治帝の叔父、咸豊帝の弟) ★清朝以前には、対外関係を一元的に扱う外務省に該当する部署は存在せず、冊封によって朝貢してく る国との通商事務は礼部、藩部やロシアとの通商外交は理藩院、唯一の貿易港だった広州での貿易事 務は両広総督(14 青学文)が担当していた。 設問4︓上級 「皇帝の名と禁書」とあること⾃体がヒントになっています。以下の通り、禁書を激しく⾏ったのは乾隆帝で す。また、禁書とは、反清的な書物を発禁処分にする思想統制策です。そんな反清的な思想を認めない乾 隆帝による「四庫全書」の編纂は、親清を強制する思想統制と言えなくもないでしょう。この思想統制という点 において、禁書や文字の獄とたいして変わりません。といっても、何を書かせたいのか出題者の意図をつかむのが なかなか難しい問題でした。 第6代 高宗 ① 1757 鎖国、貿易港は珠江河口の広州のみ。外 ① 編纂事業 コ ホ ン 「四庫全書」=経・史・子・集の4部 国貿易を独占した特許商人の組合(公行or 広 「五体清文鑑」 東十三行)出現。1793 英マカートニーが来朝、 「大清一統志」 ☆熱河で乾隆帝に謁見し、開港地増設と海禁 (最盛期、 ② 禁書激化=反清書物を発禁 廃止を要求 but☆三跪九叩頭を拒否。清は儀礼 最大版図) ③ ☆理藩院を理藩部と改称 省略を認めるが、交渉失敗 けんりゅう 乾 隆帝 1735~95 ね っ か さんききゅう こうとう ④ ★蘇州の繁栄「盛世滋世図」by 徐揚 かんしん わ し ん (60 年間) ⑤ ★奸臣である和珅(世界一の富豪) 16 ② 1757(58)ジュンガル部、回部を併合 しんきょう ※上記2地域= 新 疆(“新しい土地”、東トルキ を重用 スタン、現新疆ウイグル自治区) Ⅷ【ゴシック様式とルネサンス】 設問1︓中級 「 A 美術様式」「ゴート族の野蛮な美術」とあるので、以下の通り、ゴシックが入りますね。 ① ドーム(丸屋根)、モザイク壁画(石、貝殻、ガラスなどの細片を漆喰 ビザンツ様式 ※ビザンツ文化=ギ リシア正教の規制が 強く、独創性欠落 but ギリシア古典文化を 継承・保存、イタリ ア・ルネサンスに影 響 の壁にはめ込んだもの)、イコン、ギリシア十字型 ② イスタンブル(旧コンスタンティノープル)のセント(ハギア) ・ソフ ィア聖堂 by ユスティニアヌス ※1453 オスマン帝国(メフメト2世)の征服で☆ボスフォラス海峡 に望む首都コンスタンティノープルをイスタンブルと改名して遷 都。ユスティニアヌスが再建したビザンツ様式のセント(ハギ ア) ・ソフィア聖堂をイスラーム教のモスク(礼拝堂)に変え、ミ ナレット(尖塔)を付設。 ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂 ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂 ※6C半ばに建築(14 上智) ※ユスティニアヌスと随人たち、妃テオドラのモザイク壁画 ロマネスク様式 (11・12C西欧で発 達、南イタリア起源、 ローマ風) ① 半円状アーチ、窓が小さく、フレスコ(壁)画、ラテン十字型 ② 特徴=重厚、荘重 ③ 伊=ピサ大聖堂 → 斜塔でガリレオ・ガリレイが物体落下の法則の実験 独=ヴォルムス大聖堂、マインツ大聖堂、シュパイエル大聖堂 仏=クリュニー修道院、★ヴェズレー聖堂 ① 尖頭アーチ、尖塔、窓が大きく、ステンドグラス(彩色ガラス)、ラテ ン十字型 ゴシック様式 (12C北フランス起 源、全欧に普及、ゴ ート風) ② 特徴=垂直線の美しさ ③ 仏=アミアン大聖堂、パリのノートルダム大聖堂 → ナポレオン1世の 戴冠、シャルトル大聖堂、ランス大聖堂、サン・ドニ修道院(初のゴシ ック建築物) 独=ドイツ最大のケルン大聖堂、☆シュトラスブルク大聖堂 英=ウェストミンスター大聖堂、カンタベリ大聖堂、☆ヨーク大聖堂 伊=☆シエナ大聖堂、☆アッシジ大聖堂、ミラノ大聖堂 設問2︓初級 「 A 美術様式」「フランスではパリや B 」「ドイツではケルンの大聖堂」とありますが、 A にはゴシッ クが入ることが既に明らかになっています。よって、 B にはフランスの有名なゴシック様式の大聖堂の名前が入るは ずです。したがって、上記の通り、エの「シャルトル」が入ります。 なお、アの「パトヴァ」はイタリア、イの「オータン」はフランス(ロマネスク様式)ですが、覚える必要はありません。ウの 「カンタベリ」は、上記の通り、イギリスの大聖堂です。 設問3︓初級 「大聖堂の窓には・・・ C がはめこまれ」とあるので、上記の通り、ゴシック様式の特徴であるイの「ステン 17 ドグラス」を入れましょう。アの「フレスコ」はロマネスク様式、ウの「モザイク」はビザンツ様式です。なお、エの「タペストリ ー」を覚える必要はありませんが、壁掛けなどに使われる室内用の織物のことです。しかし、窓にはめ込むという条件 に合致しません。 設問4︓中級 「イタリアには 14 世紀初頭に D が登場・・・優れた作品を制作」とありますが、14 世紀といえば、ダンテ、 ペトラルカ、ボッカチオ、ジョットの4人です。よって、アの「ジョット」が入ります。 ① 叙事詩☆「新生」=少女ベアトリーチェに対する愛 ダンテ ※イタリア・ルネサンス 14 詩 去、★ギベリン(皇帝党) ェルギリウスに導かれて、地獄、煉獄、天上界を巡るという内容 ③ ☆「帝政論」、★「俗語論」、★「饗宴」 ① イタリア語「叙情詩集(カンツォニエーレ) 」 ィ レ ペトラルカ ン (人文主義者) ② ☆ラテン語「アフリカ」=古代ローマへの憧れ ③ 1309~77(69 年間)教皇のバビロン捕囚を目撃し、命名 ④ 古代ローマ讃美、古典の収集と復活に努力、古代ブームの発端 ツ ェ ェの口語であるトスカナ語を使用、著者自身が古代ローマ詩人ヴ 先駆者、ラヴェンナで死 C フ ② 叙事詩「神曲」=ラテン語ではなく、トスカナ地方のフィレンツ 小 ボッカチオ 説 (近代小説の祖) ② ☆古代ギリシア詩人ホメロスの作品をラテン語訳 絵 ジョット ①「聖フランチェスコの生涯」②☆チマブーエの弟子 ① 風刺小説、トスカナ語「デカメロン(十日物語・人曲) 」※ペスト流行下 なお、イの「ボッティチェリ」は 15 世紀のフィレンツェ・ルネサンスの画家、ウの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は 15・16 世 紀のローマ・ルネサンスの万能の天才、エの「ラファエロ」は 15・16 世紀のローマ・ルネサンスの画家です。 Ⅸ【フランクリン・ローズヴェルトの政策】 設問1︓初級 「1935 年に連邦最⾼裁判所から違憲判決」とあるので、以下の通り、アの「全国産業復興法」ですね。 【内政】 第 32 代 フランクリ ン・ローズヴ ェルト (民主党) (1933~ 1945) ※史上唯一の 4回当選 ☆国務長官= ハル ①ニューディール(新規巻き直し)政策=恐慌克服策。これまでの資本主義の原理の自由 放任に代えて、国家が経済に積極的に介入・統制を行って景気・国民生活の立て直しを 計ろうとした ☆3R=Relief(救済) Recovery(復興) Reform(改革)を提唱 ※ニューディール(政策)の一環として発布された重要法案 1933 農業調整法(AAA) =農業生産を制限し、農産物価格を引き上げ、過剰生産物を政府が買い上げて農産 物価格を安定させ、農民救済と購買力の回復を目指す ニ ラ 1933 全国産業復興法(NIRA) =企業ごとに規約を作らせ、生産を規制するとともに企業に適正な利潤を確保さ せ、他方で労働者の☆団結権・☆団体交渉権を認めて適正賃金の確保をはからせ、 生産力や購買力を回復させることを目指す but1935 最高裁判所にて違憲判決 編集の都合上、以下省略 18 設問2︓初級 「ローズヴェルト政権の対外政策」として誤っているものを選ぶ問題ですが、エの「戦債・賠償の支払いを1 年間猶予する措置を提案した」は誤⽂です。これは、ローズヴェルトではなく、フーヴァーのフーヴァー・モラトリアムで す。 ① 1929 ヤング案 1929 就任直後、 第 31 代 フーヴァー (共和党) (1929~ 1933) 自由放任主義に ② 独占資本(大企業群)の利益を優先 ③ 1929 年 10 月 24 日(木)就任した年の秋に世界恐慌発生 but 資本主義経済自身の景気回復能力を信じて、古典的な自由放任政 よる資本主義の “永遠の繁栄” を主張、アメリ 策に徹して事実上不況を放置 → 恐慌がさらに悪化、国民の信頼失う ④ 1930★スムート・ホーレー法=高率関税を農作物などに課し、農作物 価格などの引き上げを意図。記録的な関税引き上げで、各国のアメリ カ経済の将来に 対する楽観的な 見方を表現 カへの輸出は伸び悩み → 世界貿易の縮小、恐慌が悪化 07 中央法 ⑤ 1931 フーヴァー・モラトリアムを発表=世界恐慌が波及して財政危機 となったドイツ救済のため、戦債・賠償支払い1カ年停止の猶予 but 決定が遅すぎたため、効果なし 設問3︓初級 「世界恐慌」について誤っているものを選ぶ問題ですが、エの「ソ連では,重工業の推進と農業の集団化 を目指した第1次五カ年計画の中⽌に追い込まれた」が誤⽂です。以下の通り、ソ連は世界恐慌の影響をほとん ど受けず、第⼀次五カ年計画も⼀定の成果を挙げたと⾔われています。 1928~32 第1次五カ年計画 by スターリン =レーニンの 1921~27 ネップ(新経済政策)期に生産力が戦前の水準に回復したのち開始された、本 格的な社会主義計画経済。重工業優先政策、農業の機械化・集団化を推進。コルホーズとソフホーズ がソ連農業の根幹に。ソ連は農業国から工業国へ(世界恐慌の影響をそれほど受けず、一定の成果) but 抵抗する農民を逮捕・投獄、生産物の強制供出 → 農業は荒廃、1932~33 農民に多数の餓死者 at 穀倉地帯のウクライナなど 08 青学(国政) ※コルホーズ=農業の集団化による集団農場。土地・農具などを共有し共同使用。全国に拡大。 ※ソフホーズ=国営農場。土地と生産用具は国有、農民は俸給制で働く。五カ年計画を通じて、旧地主 の大農場(あるいは一部のコルホーズ)から転換した。 設問4︓初級 「アメリカは・・・」「中⽴政策を転換して 1941 年には A 法を成⽴させた」とあるので、以下の通り、武 器貸与が入ります。 【1941 年の連合国】 米=フランクリン・ローズヴェルト大統領が 1937 年の中立法を改正し、1941 武器貸与法(軍需品の貸与・ 売却・譲渡・交換を承認)を発布 → 連合国を支援。また、☆四つの自由(言論と意志の表現の自由、 信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由)について演説し、枢軸国に批判 ユ=ユーゴスラヴィアのティトー(本名ヨシプ・ブロズ)がドイツ占領軍に対し、パルチザン闘争(=不 正規軍の遊撃戦=正面決戦を避けるゲリラ戦)展開 すけ ソ=日ソ中立条約 with★松岡洋右 ※地理関係=独 vs ソ ∽ 日 vs 米 ※ドイツのバルカン制圧に不満を持つソ連と米との対立に不安を持つ日本が締結。期限は5年。 編集の都合上、以下省略 19 【講評】 マルドゥク神、エンキドゥ、マスタバ、マヤ文明の詳細、清真寺、燕の都、安禄山の詳細、珠江河口の広州、イドリース 朝、莫⾼窟の詳細、ボゴミール派、ルソーが時計職⼈の⼦であること、チャドウィック、クックの航海の詳細、北宋の⼤蔵 経、編纂事業と禁書の 30 字説明問題あたりの正答率が低そうです。⽂学部らしく、⽂化史の⽐重が他学部よりも⾼い ですね。定番の写真問題は、全て教科書レベルなので、失点したくないところです。 (※配点は予想配点です) 解答速報の著作権は増⽥塾に帰属します。許可無く⼀切の転⽤・転載を禁じます。 20
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