おもむき 大槌学の すゝめ 昭和 年代の「安渡虎舞」 。現在の衣装 こと とは趣を異にしています。もっとも、祭 ばん てん ㉒虎舞所伝 ~香り高い郷土文化の継承と創造のために~ み は「子羊」のこと。幼い頃に口ずさんだでしょう「メリー 坂まで行って「国性爺合戦」を観て舞踊化した、という説。 lamb さんのひつじ」は、この lamb 本来、人形浄瑠璃から、であったはずのものが、歌舞伎から です。マザーグースの童謡、原題は、 は雄羊。 rum はラム酒、過ぎるとまた虎に。 と口伝されている例。 Mary had a little lamb. ram かん えい こんこう こ もんじょ たぐい 寛永 元ビートルズのポール・マッカートニーは、 1972 (1624〜1645) の頃に山田の大沢から始まり、釜 (昭和 ) 年 てん ぽう に、同じタイトル曲を発表。原曲とは少し歌詞は異なりますが、 石の片岸に伝わり、天保 (1830〜1844) の頃に片岸から は羊毛のこと、今では誰もが着用 fleece じゅう よう 幾度もの津波や戦災などもあり、伝承に関わる古文書の類は 残されていません。口頭伝承が長きに渡り行われ、いろんな話 は一緒。原曲では、 雪のように白い綿毛、 安渡に伝わった、という説。 fleece was white as snow と訳されています。この するようになった「フリース」はここから。 きゅう ぼう けい う時間。ざっと 520 年もの間、我が大槌は、まさに沿岸部 謀 計による大槌氏滅亡後は、代官所の時代が約 240 年とい たと 羊にまつわる四字熟語やことわざ、たくさんあります。 「十 羊 が混交するなどしたことは、想像に難くありません。 ぼく へい けん よう かい ぼう た き ぼう よう よう しつ こ ひ けれど、歴史から確実に言えることは、大槌氏が城山から睥 九 牧」 、 「牽 羊 悔 亡」 、 「多岐 亡 羊」 、 「羊 質 虎皮」など。どれも耳 げい が痛くなる思いです。その「羊質虎皮」 、ことわざ辞典によると、 睨していたおよそ 280 年もの時間がそこにあり、南部氏の たか振りをすると、とんでもないことになるのが相場。落語の 外見だけは立派だが、 それに実質が伴っていないことの譬え。 知っ ち はや ふ かか 「千 早 振る」 、 「鶴」 、 「ちりとてちん」などに登場してますから、 の政治や経済、交通、さらには文化の中心であったことは否定 がっ てん あたか かぶ おお づち どお 和藤内が「登場する」 「しない」に拘わらず、 百も承知二百も合点でしょう。 「大槌学のすゝめ⑰虎舞の起源」 されません。その上、 きわ 「大 槌 通り」と呼 では、どうやら、恰も虎の皮を被ったかのような「シッタカブリ」 大槌虎舞の形態が伝承されているエリアは、 きょうしゅく り。かつては襦袢が主流。 ばれる大槌代官所管内に他なりません。その文化創造と発展に あ かきの もとの た け ち の み こ の みこと へ い よりもと 半に編まれたとされ、日本には生息していない虎はすでに認知さ れていたことになります。 いう説。 よう はい じょ No.600 げん ろく これまで多くの研究者が、虎舞の起源を含め、調査を行って おの きています。民俗学的なフィールド調査には自ずと限界があり ます。それでも、大槌の誇りである郷土芸能は、確実な未来に 向けて舞い続けられ、伝承されていくことでしょう。 地方分権や地方創生、地方再生という言葉の「地方」は、田 舎を指すものではありません。震災復興に向かう今こそ、地方 もう こ せ よ よ 自性をみんなで共有することも、善く善く有意あることではな か いでしょうか。 ぐんよう 佐々木健 24 Otsuchi 編 集 後 記 ▼過去の広報を読み返し ていると、震災前に撮ら れた町の風景に目が留ま り、懐かしさとともに喪 失感を覚えます。震災後 の広報からは、復興に向 けて立ち上がろうとする 町 の 強 い 姿 を 感 じ ま す。 懐かしい大槌、復興に向 かう大槌。そのどちらも 私は素晴らしいものだと 年。 広 報 発 行 思います。(台野)▼創刊 から 600号を迎え、過去の 広報紙に目を通すと、当 時の広報担当者が、いか に、「 読 み や す く 親 し ま れる広報」をめざしてい たかがうかがえます。広 報は、行政と町民の方々 を 結 ぶ 懸 け 橋。 震 災 後、 一層、重い役割を担って い ま す。 歴 史 を た ど り、 改めて背筋が伸びる思い でした。 (但木) TEL 0193-42-2111 FAX 0193-42-3855 〒 028-1192 岩手県上閉伊郡大槌町上町 1-3/ 印刷 ㈱東海印刷所 大槌町教育委員会事務局生涯学習課長兼図書館長 広報おおつち2月5日号 前川善兵衛の水主(船乗り)は山田の大沢地区に多くいて、大 か こ 「尾崎神社略記」に拠れば、遙 拝 所が元 禄 (1699) 「群羊を駆って猛虎を攻む」は、住民の結集結束が成せる技、 年に造 育委員会事務局生涯学習課長 佐々木健) (大槌町教 なのです。 営され、この時に虎舞が舞われた、という説。 よ 将士の士気を鼓舞するため、虎の着ぐるみを着せて踊らせた、と 釜石浜町の尾崎神社。ご祭神は日本武尊、ここに閉伊頼基(平 に住む私たちが、声を発することが求められています。加えて、 ごう し 安後期から鎌倉前期)が合祀されています。この頼基に関係し、 復興のまちづくりには、香り高い郷土の文化を育て、大槌の独 やまとたけるのみこと 大いなる功績を残したのは、かの前川善兵衛の活躍であったこ が出張ったようで、 、 、恐縮の極み。 りょう 虎の胴が長いのは、戦争に徴兵され出 い かえ 兵する男衆が、 「千里往って千里還る」こ ひゃっ とも、紛れもない事実です。 とができるよう、胴の中に入り、一緒に たと 様は喩えようもなく、まさに「多岐亡羊」 。 さま 「大槌学のすゝめ⑳」で約束した「虎舞の起源」を。季節が春 か らん なだけに「百花繚乱」であれば嬉しいのですが、諸説入り乱れる じゅ ばん り袢纏などというのは江戸文化の受け売 47 気を取り直して、虎と虎舞に関する諸説のいくつかを。 ひと ま ろ ばん か まずは、万葉集。柿本 人 麻呂の高市皇子尊への挽歌に、 「虎可 ほ 叨吼登」 、すなわち、 「虎か吼ゆると」と登場。万葉集は 世紀後 7 舞った、とのこと。写真は、安渡虎舞提供。 このトラたち、世界にわずか 4000 頭 ほ ど、 絶 滅 の 危 機 に。 そ こ で、 平 成 月、WWF ジャ あ もん です。どうやら、 ネコ科の動物たちには 「箱 トラもライオンも段ボール箱に入るそう て、 段ボール箱に好んで入ります。なんと、 ところで、このトラは、脊 椎 動物亜 門 ほ にゅう こう 哺 乳 綱 ネ コ 目( 食 肉 目 ) ネ コ 科。 猫 っ せき つい に、そしてボランティア活動も。 パンのみなさんが緊急募金を届けに大槌 その縁で、震災直後の りのお花の一部をトラ保護のために寄付。 を展開。安渡虎舞はそれに協賛し、お祭 金)ジャパンが「トラ保護キャンペーン」 (1998)年、WWF(世界自然保護基 10 を見ると入りたくなる」という共通の習 性があるみたいですね。 12 4 58 10
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