150周年に新事務総局長に望むこと - ITU-AJ

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150周年に新事務総局長に望むこと
うつ み
元 ITU事務総局長
よし お
内海 善雄
今年は、ITUの設立150周年の記念すべき年です。ITUは、
題を取り扱う意欲も能力も欠いていました。一言で言えば通
電信から始まって、電話、テレビ、衛星通信と、技術の進展
信の自由化はWTOが決定し、その実施は世銀と世銀を取り
に応じ、今日の情報通信に飛躍的な発展をもたらしたと言っ
巻くコンサルタントが行い、ITUは取り残されたのです。
ても過言ではないでしょう。人類が設立した最古の国際機関
さらに、コンセンサスを重視するITUは、自由化後の電気
が1世紀半もの間、大役を果たしてきたということは、真に
通信マーケットには不向きの存在になりました。そもそもコ
めでたいことです。
ンセンサス方式の意思決定は、創意工夫をした者が利益を
今年は、更に記念すべき年です。というのは、ITUが主催
得、強いものが勝つ自由競争原理と基本的に相容れないも
したWSIS(世界情報社会サミット)で世界のリーダー達が
のです。その上、意思決定に多大な時間が必要で、技術進
2015年までに情報社会を建設すると誓った目標年でもある
歩にも間に合わないのです。
からです。そして、今日、ICTの普及状況を考えると、その
ITU条約では意思決定は多数決方式で行うと規定されて
約束は見事に果たされたと見てよいでしょう。したがって真
いるのですが、ITU活動に参加している者ほとんどが、金縛
にめでたいことです。ところが、このことを多くの関係者が
りにあっているのか、コンセンサス方式を金科玉条のように
忘れてしまっているのです。
「めでたさも中くらいなり、おら
考え、ここに大きな問題点があることにすら気づかないので
が春」でしょうか。このような記念すべきことを忘れてしま
す。コンセンサス方式を尊重すると、何事にも口を挟み我説
う原因は、ITU設立時まで遡れるように思います。
を固執するモンスターが出現しても、そのわがままを阻止す
150年前、当時、欧州で急速に普及した国際電信は、二
国間の個別の取決めで行われていたため、様々な技術方式や
ることができず、議事が進行しない現象が起きます。ITUで
は、そのような状況が日常茶飯事となりました。
費用分担方式が存在し、複雑かつ非能率極まりなかったら
この結果、ITU以外に解決の場がない電波の割当て分野
しいです。そこでナポレオン3世の呼びかけに応じて欧州の20
は別として、他の分野では多くの人がITUを利害調整の場と
か国がパリに集まり、数か月間の討議の末、統一的な取決
することを嫌いました。それでいわゆるフォーラムと呼ばれ
め(万国電信条約)を定め、常設機関として万国電信連合
る任意団体が数百団体も設立され、ITUの活動に置き換わ
を設立しました。これが人類が設立した最初の国際機関であ
ってしまいました。電波の分野でも衛星軌道位置の調整など
り、ITUの始まりです。実は、この設立の趣旨そのものが、
では、ITUを通さず当事者間で調整した方が手っ取り早いと
今日のITUの問題点の原点でもあると思います。
いうことで、いわゆるバイパスという現象も起きました。
それは、ITUは電信の日常実務をスムーズに行うため実務
ITUにとっては比較的新しい任務である途上国の開発援助
家が調整の場として設立した組織ですから、第一に、実務家
の分野においても問題が起きました。ITU加盟国は、デジタ
のための組織であったこと、第二に、実務の調整のためには
ル・ディバイドの解消がITUの大きな責務と考え、追加全権
関係国全てで実行可能でなければ意味がなく、意思決定は
委員会議(1992年)でこの任務の強化のため開発部門を事
コンセンサス(満場一致)方式となったことです。この二大
務総局長から独立させて創設させました。開発重視の目のつ
原則がITUを今日まで支配してきました。
けどころは良かったのですが、実務家たちは開発部門を自分
ところが通信の自由化という極めて高度な政治的政策決
達の組織にしてしまい、開発活動は事務局長がその政治力
定プロセスにおいて、実務家の集まりであるITUは対処能力
を最大限に活用して資金を集めなければ機能しないという現
を欠き、全く蚊帳の外に置かれてしまいました。通信の基本
実を全く無視したのでした。どの国連機関においても、開発
問題が、ITUではなく、WTOで取り扱われたことはITUにと
活動はもっぱらトップが腕を振るう政治的な部門です。
って致命的なことです。そして自由化後の電気通信を取り巻
その結果、ITUの開発活動は弱体化し、プロジェクトが皆
く重要問題は、技術的なことよりも制度・政策問題となり
無の状況となり、他の国際機関やNGOがITUに置き換わっ
ましたが、実務・技術屋集団のITUにおいてはそのような問
てICT関係の開発活動を行うようになってしまいました。
ITUジャーナル Vol. 45 No. 1(2015, 1)
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ITUの開発部門は単に開発途上国の代表がITUから出張旅
事務総局長は各国首脳とも話ができる立場になりました。そ
費をもらって空虚な会議を行う場になってしまったのです。
して、サミット決議の実施に関する調整を行う任務を託され
このようなITUの地位の低下に伴い、ITUの最高経営機関
ました。それらは、幅広い分野にまたがっていますが、開発
であるべき理事会への出席者も、単なる係員クラスが主体と
活動が中心です。このようにサミットは、ITUを技術専門機
なり、理事会が大きな経営的な問題を決定する場から、レベ
関から、政治的な重要な国連機関へと変身させました。私
ルの低い些末な議論や、猟官運動の場となってしまいました。
の後任の事務総局長選挙には現役の通信大臣や独立規制機
ITUが自由化やインターネット化にうまく対処できない状
関の長が何人も立候補して譲らないというITUの歴史上、稀
況を打開するためには、ITUのプレゼンスを高め、政策的な
有な現象が起きたのも、ITUの地位が様変わりした所以でし
問題の利害調整ができる組織にすることが不可欠だと考えま
ょう。
す。私は、最初は郵政省の国際担当として、後にはITUの事
務総局長として、二つのことに力を注ぎました。
ところがITUは、サミットの後フォローを十分にやらず、残
念なことに今やユネスコや国連科学技術委員会がITUに取り
その一は、
「ポリシー・フォーラム」の創設です。日本代
替わってITUが行うべき任務をおこなっている有様です。そ
表として、同調してくれたフランス代表と協力して追加全権
して、皆で誓い合った情報社会建設の目標年である2015年
会議(1992年)に提案、2年間の根回し活動の後、京都全
も忘れてしまっているのです。
権会議(1994年)で設立させることに成功しました。村越直
ITUが時代の要請に応えることができるよう設立された
政氏をはじめ、スタッフたちが活躍したおかげです。フォー
「ポリシー・フォーラム」や世界のリーダーの関心と決意をま
ラムは、フォーカスを絞った問題に対して事務局の用意した
とめたWSISを組織したリーダーシップを、その後あまり活用
ペーパーを基に意見調整をするという、従来のITU活動とは
できなかった原因をここで詮索してもあまり意味がありませ
全く異なる事務局主導の方式による政策問題解決の道を初
ん。問題は、むしろ刻々変化する情報通信の世界の中で、
めて切り拓らいたのです。
これからどうすべきか考え、新たに決意することではないで
フォーラムは、都合4回開催され、一番の功績は、既存事
しょうか。
業者が到底受け入れることができなかったIP電話の実現に合
情報社会が曲がりなりにも実現した現在、ICT分野での最
意を見ることができたことです。IP電話は、ご承知のとおり
大課題は、もはやデジタル・ディバイド解消ではなく、セキ
距離感のないほぼ無料の電話ですが、この実現で人類に大き
ュリティー問題だと思います。新事務総局長に課せられた使
な貢献をしたと思います。事務局が何度もセミナーを開催し、
命は、セキュリティー問題でITUがリーダーシップを取り、期
合意原案を作成した成果です。しかし、ITUで活躍していた
待される役割を果たすことだと思います。
ベテランの実務家代表たちは、事務局主導の意思決定プロ
ザオ氏は、10数年前の標準化局長時代、私の下で大学と
セスに対して反感を持ち、また、競争市場時代の政策課題
の連携や、他の標準化機関との連携、産業界との対話など、
の重要性も十分理解できず、
「ポリシー・フォーラム」を廃
意欲と行動力をもって標準化部門の活性化に尽力した実績
止してしまったのです。
があります。願わくば、その時の初心に立ち返り、老化現象
第二のチャレンジは、WSISの開催です。各国首脳が出席
の出ているITUを若返らせることにリーダーシップを発揮し
するサミットを、予算も実行部隊もない専門機関が開催する
ていただきたい。トップには、ITU憲章や条約には書かれて
ことは国連史上初の試みでした。幾多の試練がありましたが、
ない権威というものがあります。その気にさえなれば、ITUを
事務局主導で何十回もの準備会合の開催と、ジュネーブ及
再びICTの中心組織に甦らせることは不可能ではないと思い
びチュニスの2度のサミットを成功裏に開催することができま
ます。それは、
「ITUのため」というよりも、ザオ氏がいつも
した。今、振り返って見ても全く奇跡であったと思います。
話していたように、
「ITUという機関が存在する以上、産業界
A. レビン氏やT. ケリー氏を初めとするITUスタッフが意気に
にとってもユーザーにとっても、ITUが中心になった方が二
燃え、心血を注いで成功に導いてくれました。
重・三重にならずに効率的である」からです。日本も是非協
おかげで、ITUは全国連機関の中心に躍り出たばかりか、
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ITUジャーナル Vol. 45 No. 1(2015, 1)
力してほしいところです。